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2026.05.20(wed) |
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11目次 【次生海次生川次生山】
古事記では島生みの後に大量の神を生んだ(第36回)が、書紀ではかなり絞り込まれている。 「生レ海」においては、記では海神は「大綿津見 《次生川》 記の神生み段における川の神としては、「水戸」〔河口〕の神として「速秋津日子神」・「速秋津比売神」、 そして「此速秋津日子速秋津比売二神因河海持別而生名沫那芸神沫那美神」 〔この速秋津日子・速秋津比売の二神は河海に因りて、特に別けて生れし名、沫那芸神・沫那美神〕、 「天之水分〔クマリ:水を分流する意〕神」・「国水分神」が相当する。 《次生山》 記では「山神名。大山津見神」。「~津見」は、「~ツ〔属格の助詞〕+魂〔ミ〕」。 《生木祖句句廼馳》 木の発音には、キとコがある。「木の祖 記では「生二木神一、名二久久能智神一」に対応する。 《生草祖草野姫亦名謂野椎神》 記では「生二野神一、名二鹿屋野比売神一。亦名謂野椎神」に対応する(第36回)。 一書[6]では自然界の神は本文よりやや増え、風神・土神が加わっている。 《共生日神》 書紀本文では大幅に簡略化され、記にあった「伊邪那美命が軻遇突智神を生んで死に…」以後の場面はすべてなくなっている。 記では天照大神らは伊弉諾尊の禊によって出現するが、 書紀本文では伊弉冉尊は健在で、天照大神らは二神が一連の子を生んだ後に続けて生んている。 伊弉冉尊の最後については、古事記では「伊邪那美命」が「黄泉津 記の物語の方は、概ね一書[6]として収められる。 《授以天上之事》 授以天上之事は古事記が天照大神に「所知高天原矣、事依而賜」と命じたことに対応する(第44回)。 「授以天上之事」は訓読しにくいが、 「以」を接続詞として、「以授天上之事」の和習と判断することがもっとも自然である。 もし「以天上之事授」の語順ならば、「以」は動詞「授」への目的語の倒置を示すための助詞として必要だが、 通常のⅤOの語順なら「以」は不要で「授二天上之事一」でよい。 《大意》 次に海を生みました。 次に川を生みました。 次に山を生むみました。 次に木の祖である句句廼馳(くぐのち)を生みました。 次に草の祖である草野姫(かやのひめ)、別名野槌(のづち)を生みました。 既にこれだけの神を生みましたが、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、 ともに計るに、 「私たちは既に大八洲国(おおやしまのくに)と山川草木を生んだ。 どうして天下の主となる神を生まなくてよいのか。」とおっしゃりました。 こうして、ともに日の神を生み大日孁貴(おおひるめのむち)と名付けました 【大日孁貴 は「おほひるめのむち」と訓む。 孁の音よみは力丁反(りきていはん)。 一書では天照大神(あまてらすおおみかみ)という。 一書では天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)という。】。 この御子は光華明彩にて、 六合(りくごう)の中を漏らすところなく照らしました。 よって、二神は喜んで 「我が子は多くいるとはいえ、 未だこのような霊異の子はいなかった。 この国に長く留め置いてはならない。 自ずから早く天に送り、 よって天上の事を授けるべきである。」と言いました。 この時は、天地の通行はまだ遠くなく、 よって天の御柱を使って天上に上げました。 12目次 【次生海次生川次生山/次生月神其光彩亞日】
月神については、「可以配日而治」、すなわち日神の配下となってともに天を治めよという。 古事記では「所知夜之食国矣 事依也」、すなわち夜の世界を司る(第44回)。 《可以配日而治》 「可以」は「可能」とほぼ同じ意味である。 《蛭児》 蛭児は古事記では磤馭慮嶋の柱巡りのときの生み損ないの子であったが、書紀本文では「大日孁貴-月神-蛭児-素戔嗚尊」の位置に移されている。 一書[2]では磤馭慮嶋での「陰神先発二喜言一」が遠因となって、今になって蛭児が生まれたとして、記の伝説と書紀本文とを融和させている。 《素戔嗚尊》 古事記では「所知海原矣 事依也」すなわち海の治めを命じられたと書く(第44回)が、 実際の文脈では地上の国を治めるのが任務だから、「所知天下矣 事依也」とするのが正しい。 「所知海原」は本来月読命の役目だから、書き込む位置を誤った可能性がある。 しかし、速須佐之男命は泣いてばかりいて地上の国を治めなかったから「青山如二枯山一泣枯 河海者悉泣乾 是以 悪神之音如二狭蝿一皆満 万物之妖悉発」なる状況に陥る。 書紀本文にはこの部分が取り入れられている。 その結果、伊弉諾尊は素戔嗚尊を根の国に追放した。記で「伊邪那岐大御神」が「大忿怒」して「神夜良比爾夜良比」したと書かれていることに沿っている。 《有勇悍以安忍》 悍は荒々しさを表す。文脈から見て悍の荒っぽさが勇の肯定的な語感を打ち消すであろう。 上代語「タケシ」に相当する。〈乙本〉の「イサミタケクシテ」は、勇-悍を逐語的に訓んだものだが、 「イサミ」は後文の「哭泣」にそぐわない。 次に、安忍の本来の意味は〈汉典〉「安于做残忍的事」、すなわち平然として残忍な行いをすること。 その古訓「イブリナル」の類語について辞書を見ると、 ・イブリナリ…[形動] すねる。用例は『卯月紅葉』〔1706〕。 ・イブリモノ…[名] ひねくれ者。用例は『諸道聴耳世間猿』〔1766〕。 上代には、 ・イフカシ…[形] 気がかりである。(万)2641「伊布加之 イフカシ」。 ・イブセシ…[形] 鬱陶しい。(万)4113「移夫勢美等 いぶせみと」。 ・イブカル…[動] いきどおる。倭姫命世記〔鎌倉中期〕「神倭磐余彦天皇御宇。悪神伊不加利弖人民亡。火気発起而天下不安留仁」。 これらの語根イブは、心の晴れないさま、あるいは憤怒を示すと見られる。 よって、書紀古訓「イブリナル」は、安忍の意味:「顔色ひとつ変えずに暴虐をはたらく」とは食い違う。 この意に沿った上代語としては、「ヤスクシヘタク」〔易く虐ぐ〕などが考えられる。 しかし、これに繋がる伝統的な材料があまりにも存在しないので、これを用いることは自制すべきであろう。 なお、ここの「以」はオモフであろう。 日本書紀は時折漢籍にある熟語を用いているが、原文を作成した段階では適切な倭語による訓読にたどり着けないものが残されていたと見てよい。 古訓学者はそこに倭語を当てる努力をしたが、「安忍」については漢語の意味と離れているから、ここに関しては適切な和訓を求めるという課題は解決されていない。 よって、本来の書紀の形に忠実であろうとするなら、このような箇所においては音読が適切であろう。 なお、「勇悍」への訓「タケシ」はこれよりは適切であるが、隣り合う語句に訓読と音読が並ぶのはエレガントではないので音読に揃えるべきであろう。 《令国内人民多以夭折》 夭折は〈乙本〉では「アカラサマニシナシム」と訓読される。アカラサマは「俄かに」の意味で、アカラシマカゼは突然の疾風を意味する。 夭折は、周囲にとっては確かに突然だが、突然の死が必ず夭折〔若くして死ぬ〕とは言えない。よってこの古訓は正確ではない。 ここにも「以」がある。この段全体で「以」の使い方を比べると、ここでも接続詞「以」が和習によりイレギュラーな位置に置かれたと思われる。 《君臨宇宙》 〈乙本〉の訓「天下 《遂逐之》 「逐」への書紀古訓ヤラフについては、記に「夜良比爾夜良比」(第44回)、 「夜良比夜良比」(第45回)が見える。 《大意》 次に月の神を生みました 【一書に月弓尊(つきゆみのみこと)、 月夜見尊(つきよみのみこと)、 月読尊(つきよみのみこと)という。】。 その光彩は日に次ぎ、 よって日を補佐して天を治めるべきとされました。 故に、また天に送りました。 次に蛭児(ひるこ)を生みました。 既に三歳になっても、脚はなお立てませんでした。 故に、天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)に載せて 風のままに放ち棄てました。 次に素戔嗚尊(すさのをのみこと)を生みました 【一書に神素戔嗚尊(かむすさのをのみこと)、 速素戔嗚尊(はやすさのをのみと)という。】。 この神は勇悍で安忍を思い、 また常に哭泣することばかりを行いとしました。 故に、国内の多くの人民を夭折させ、 また青山を枯山に変えました。 故に、その父母二神は、素戔嗚尊に 「お前はとても無道である。 よって宇宙に君臨してはならない。 必ず遠い根の国に行くべきである。」と勅して、 遂に放逐しました。 まとめ 「安忍」は書紀古訓によって意味が薄められたが、本来は朝廷の国家に従わない勢力を峻烈に非難する立ち位置から用いた言葉であろう。 素戔嗚尊と大国主の国であった出雲国に対する厳しい姿勢が見えるのが、〈崇神〉六十年の振根に宝物を供出させた記事である。 しかし、それでも書紀に「一書」として古事記の記述を大幅に取り入れざるを得なかったのは、 現実的には政権が各地方を本貫とする多様な氏族によって支えられていたためで、それぞれが誇りとするアイデンティティーに対して一定の配慮を払う必要があったからであろう。 さて、書紀は天照大神などの誕生を、なぜ二神の夫婦としての通常の営みとして描いたのであろうか。 結局は古事記神話では、埋葬された遺体が腐敗していく場面などにあまりに生々しい肉体性のある姿として描かれていたためと考えられる。 伝統的な神話は、穢れや怪異に彩られた呪術的なものであった。 それに対して書紀は、宇宙は陰陽五行説のような論理的な秩序によって成り立っていて、神はその宇宙の形而上に置くことがあるべき神話の姿であると考えたのであろう。 |
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2026.05.24(sun) [01-07] 神代上7 ▼▲ |
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13目次 【次生海次生川次生山/一書[1]】 《一書[1]》
大日孁尊などについて、一書[1]では伊弉諾尊と伊弉冉尊が夫婦となって生んだ形をとらず、伊弉諾尊の持った白銅鏡などから「化出」する。 またここには伊弉冉尊も出てこないので、禊によって「所生」した古事記神話の系列に属することになる。 《白銅鏡》 書紀古訓「マスミカガミ」は、マソカガミと同じとみられる。 マソカガミは、(万)0619「真十鏡 磨師情乎 まそかがみ とぎしこころを」のように、しばしば枕詞として使われ「研ぐ」などを引き出すから、 精密に磨き上げられた金属鏡ということになる。 マスミカガミの形は、(万)3885「吾目良波 真墨乃鏡 わがめらは ますみのかがみ」に見える。 「白銅鏡」については、現在の白銅は銅-ニッケル合金のことだが、「中国古代の文献においては、白色の銅合金は総称して白銅と呼ばれ」、 「正倉院が所蔵する奈良時代の中国製白銅鏡の一群は、分析によれば錫約25%、鉛約5%を含」むという([百度百科])。 これについては、[ようこそ、深遠なる古代鏡の世界へ]によると、 正倉院の銅鏡は「A群鏡:銅約70%、スズ約25%、鉛約5%。B群鏡:銅約80%、スズ約20%、ヒ素1~3%」という。 すなわち、Cu-Sn合金であるが、白色に見える。 伊弉冉尊は精緻に磨かれたマスミカガミを手にとり、これに「白銅鏡」の表記をあてたと見ても特に問題はないであろう。 《廻首顧眄之間》 「顧眄」〔首を回して見る〕には「廻レ首」の意も含まれ同語反復的である。 原注「ミルマサカリニ」〔顧眄 そもそもこの段で言いたいことは、振り返ってよそ見をしたすきにとんでもない神〔=素戔嗚尊〕ができてしてしまったということであろう。 だとすれば「之間」をわざわざ「その真盛りに」と誇張しなくても意は伝わりそうである。 《照臨》 語順を逆転した「臨照」は、万葉でオシテルと訓む。オシテルのかな書きの例は、(万)4361「難波乃海 於之弖流宮尓 伎許之賣須奈倍 なにはのうみ おしてるみやに きこしめすなへ」に見える。 万葉で他の表記は押光・押照・忍照・忍光。 もっぱら難波を引き出す枕詞として用いられるのは難波京をほめ讃えることによるから、オシテルには「まばゆく輝き光る」語意があったということであろう。 よって、照臨をオシテルと訓むことは至極妥当だと考えられる。 《残害》 「残害」は主に惨たらしく殺す意で、ここでは本文の「夭折」にあたるからコロスという強い言葉を用いるべきであろう。 《珍此云于図》 一書の中では原注をそれぞれの一書の末尾にまとめている。もともとは一書そのものが割注だったから(〈北野本〉がその形)、 割注の割注としてさらに小さい字を用いることを避け、末尾に集約する形をとったと見られる。 《大意》 【一書(あるふみ)(1)に曰く、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は 「私は御世を治める珍(うづ)の子〔=貴い子〕を生み出したい。」と言った。 そこで左手に持った白銅鏡から 化生した神があり、 これを大日孁尊(おおひるむちのみこと)という。 右手に持った白銅鏡から 化生した神があり、 これは月弓尊(つくゆみのみこと)という。 また、首を回して見る最っ盛りに〔=よそ見していたときに〕 化生した神があり、 これを素戔嗚尊(すさのをのみこと)という。 こうして生じた大日孁尊と月弓尊は、 並んで性質は光り輝き麗しかったので、 天地を広く照らすことを任じた。 素戔嗚尊は、性質は残害を好んだので、 根の国に降ろして治めさせた。 〈珍は、「うづ」と訓む。 顧眄之間は 「みるまさかりに」と訓む。〉】 15目次 【次生海次生川次生山/一書[2]】 《一書[2]》
大日孁尊以下四神を二神が夫婦として生んだとされることと蛭児が生まれたタイミング、 そして素戔嗚尊を根の国に追放したところは、書紀本文の通りである。一書[2]では、そこに次の3点が付け加えられている。 ① 蛭児が生まれた遠因として、柱巡りのときの「違二陰陽之理一」があったこと。 ② 次に鳥磐櫲樟船を生んだこと。 ③ 次に軻遇突智を生み、それによって伊弉冉尊が死んだこと。 ただ、大日孁尊などは既にこのときに生まれたから、伊弉諾尊が③の後に伊弉冉尊の墓を訪ねてから禊によって三神が生まれるまでの話は必要がなくなる。 《脚尚不立》 古事記の「水蛭子」には、ヒトの形になる前に未熟なまま生まれた如きイメージが湧く。 一方、書紀では「蛭児」は足の不自由な子として描かれている。 《既違陰陽之理》 一書2では、「巡レ柱之時」(於天浮橋之上段)に遡り、そのときの「陰神先発二喜言一」が「違二陰陽之理一」だったのが禍 これによって、書紀本文と古事記神話との間で折り合いをつけた形になっている。 《此神性悪》 「性悪説」は人は生まれながら悪なので、正しく修養することによって克服する努力が必要とする考え方である。 書紀の素戔嗚尊の「此神性悪」にも、これを生まれつきの性質とするニュアンスがある。 《常好哭恚国民多死青山為枯》 記紀における一般的な素戔嗚尊の描き方である。 《鳥磐櫲樟船》 鳥磐櫲樟船は、古事記では「迦具土神」〔軻遇突智〕の二柱前に生まれ、 「鳥之石楠船神。亦名謂天鳥船」とある(第37回)。記の神生み段で大量に生まれた神の大部分は書紀では省かれているが、 鳥磐櫲樟船は特別に、蛭児を載せて流す船として生まれている。この神の登場も記への歩み寄りのひとつと言えよう。 《軻遇突智》 ここでも記への歩み寄りが見られる。 記では伊邪那美神は「火之夜芸速男神、亦名謂火之炫毘古神、亦名謂火之迦具土神」を産んだ時に「美蕃登 《埴山姫/罔象女》 埴山姫は記の「波邇夜須毘売神」に対応するであろう。 罔象女は訓注「罔象:美都波 記では波邇夜須毘売神は伊邪那美神の屎 《稚産霊》 稚産霊は、一書[2]では「軻遇突智」と「埴山姫」の間に生まれた子とされる。 記では「和久産巣日神」と表記され、前項の弥都波能売とともに伊邪那美神の尿から成ったとされ、「豊宇気毘売神」は和久産巣日神の子とされる。 稚産霊の姿は、記の「大気津比売神」に類似する(第51回)。 また一書[11]「保食神」も同様に描かれる。保食神は豊宇気毘売神と同一視して差し支えないであろう。 結局、保食神の性格をもつ神は、さまざまな神となって出現するのである。 《大意》 【一書(2)に曰く、 日〔の神〕と月〔の神〕が既に生まれ、 次に蛭児(ひるこ)を生んだ。 この子は満三歳になっても、脚はなお立たなかった。 以前に 伊弉諾尊と伊弉冉尊が御柱を巡った時、 陰神が先に喜ぶ言葉を発したことは、 既に陰陽の理(ことわり)を違えた。 この故に、今蛭児を生むことになった。 次に素戔嗚尊(すさのをのみこと)を生んだ。 この神は性悪で常に泣き怒ることを好み、 国の民は多く死に、青山は枯山となった。 故に、その父母は勅して 「もしお前がこの国を治めれば、 必ずむごく痛めつけることが多かろう。 故にお前は極めて遠くにある根の国を馭(ぎょ)すのがよい。」と命じた。 次に鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)を生んだ。 そしてこの船に蛭児を載せて、 流れるままに放棄した。 次に火の神軻遇突智(かぐつち)を生んだ。 その時に伊弉冉尊は、 軻遇突智によって焼かれて命を終えた。 その終えようとする間に、 臥して土の神埴山姫(はにやまひめ)と水の神罔象女(みつはのめ)とを生んだ。 そして軻遇突智は、 埴山姫を娶って稚産霊(わかむすび)を生んだ。 この神は頭の上に蚕と桑を生じ、 臍(ほぞ)の中に五穀を生じた。 〈罔象は「みつは」と訓む。〉】 14目次 【次生海次生川次生山/一書[3][4][5]】 《一書[3]》
一書[3]は、一書[2]を部分修正するものである。 産霊は「高皇産霊神」のように、ムスビと訓まれた。「火産靈」は軻遇突智の新たな別名として加えられる。 また、伊弉冉尊が神避ったときに生 《一書[4]》
一書[4]は、伊弉冉尊が死んで生じた神のことのみを記す。その内容は一書[3]からさらに記に近づいている。 金山彦は、記の「金山毘古神」と同じ。 また、埴山媛は大便〔屎〕、罔象女は小便〔尿〕から生じたと明記されている点も、記と一致する (第37回)。 一書[3]では埴山媛は「土神」、罔象女は「水神」、軻遇突智は「火神」であった。 金山彦は間違いなく金神である。 句句廼馳は、一書[6]で「木神」〔本文では「木租」〕とされる。 これらの神にはわざわざ「土神」、「水神」などが添えられていることから見て、間違いなく五行思想の木・火・土・金・水が意識されている。 《一書[5]》
記では伊邪那美神の埋葬地は「出雲国与伯伎国堺比婆之山」(第37回)とされた。 一書[5]で「紀伊国熊野之有馬村」とされることについては、第54回【森林開発の功績】で、出雲国から紀伊国への移民があった可能性を見た。 出雲国と紀伊国の共通地名に、熊野、須佐、美保がある。移民が故郷を懐かしんで、新しい土地に馴染みのある地名をつけることは一般的に見られる。 紀伊国熊野有馬村という伊弉冉尊埋葬伝承地の存在は、出雲国から紀伊国への移民があったことをさらに裏付ける材料となる。 《紀伊国熊野之有馬村》
『大日本地名辞書』によれば「有馬 その花の窟 社を建てるようになる以前の古い時代においては、磐座 《花時》 「花時」は「花が咲き誇る時期に」の意で、先頭に「以」または「于」を補うべきであろう。 《大意》 【一書(3)に曰く、 伊弉冉尊(いざなみのみこと)が火産霊(ほのむすび)を生んだ時、 その子によって焼かれて神避(かみさ)りした〔=死んだ〕 〈または、神避(かみさかる)という〉。 そのまさに神避ろうとした時、 水の神罔象女(みつはのめ)と土の神埴山姫(はにやまひめ)を生じ、 また天吉葛(あまのよさづら)を生じた。 〈天吉葛は、 「あまのよさずら」と訓む。 あるいは、「よそずら」ともいう。〉】 【一書(4)に曰く。 伊弉冉尊が 火の神軻遇突智(かぐつち)を生もうとしたとき、 熱に悶えて懊悩(おうのう)した。 よって嘔吐して、これが神となって、 その名を金山彦(かなやまひこ)という。 次に小便から神となって、 その名を罔象女(みつはのめ)という。 次に大便から神となって、 その名を埴山媛(はにやまひめ)という。】 【一書(5)に曰く、 伊弉冉尊(いざなみのみこと)は 火の神を生んだ時に、灼(や)かれて神避(かみさり)した。 そして紀伊国の熊野の有馬村に葬った。 土地の人は、この神の御霊の祭りとして、 花の時に、また花の祭で、 また鼓、笛、旗、歌舞によって祭る。】 まとめ 伊弉冉尊の葬りの伝承地は、出雲と紀伊という遠く離れた場所に存在する。 柱巡り伝説の発祥地は淡路説で定着しているが、こと伊弉冉尊の軻遇突智出産伝説についてはその発祥は出雲国にあり、移民によって紀伊に伝わったとも考えられる。 火の神を生んだときに美蕃登 書紀本文が火神出産の話を避けたのは、結局この話の結末として天照大神が禊によって出現したことに繋がってしまうためと見られる。 書紀は、大日孁尊〔天照大神〕の出現を穢れと禊という呪術的な伝説から、儒教や五行思想に依る理神的な営みに置き換える方針をとったと考えられる。例えば《金山彦》項でみた五行思想による神名の規定はそのひとつの現れである。 しかしそれ以上に、国家の起源神話はそもそも朝廷が主体となって体系化すべきものであって、出雲の土着神話に依存することをよしとしなかった可能性がある。 ところが、現実問題として伊弉冉尊による火神出産神話の存在は強固で、結局のところ書紀本文は火神出産を語る多くの一書によって包囲された格好になっている。 |
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2026.05.27(wed) [01-08] 神代上8 ▼▲ |
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16目次 【次生海次生川次生山/一書[6]-(1)】 《一書[6]-(1)》
日本の神は、一般にはあらゆる現象から生じ得る。 しかし古事記の神生み段では、大量の神すべてを二神が夫婦となって生んだ枠組みに当てはめた。 しかし一書[6]の「吹撥之気化為神」は、級長戸辺命を抜き出し、別の登場の仕方に書き直されたれたものである。 むしろこの方が伝承の原形に近いと考えられる。 《又飢時生児》
それでは一書[6]ではなぜ風神だけが特別の出現の仕方をするのであろうか。 これについては、〈天武〉紀には、四年に初めて龍田風神と広瀬大忌神が祀られた記事が注目される。以後、毎年四月・七月の恒例行事となったものである。 龍田風神は級長戸辺命と見られる。 広瀬大忌神については、「倉稲魂命」(宇介能美拕磨 よって龍田の神と広瀬の神は神生みから抜き出して取り上げられていて、これは天武四年から龍野・広瀬両の祭祀が重視されたようになったことの表れと考えられる。その際、社の御由緒などに伝わる本来の出現の形が復活してのであろう。 すなわち、古事記においては「志那都比古神」と「宇迦之御魂神」は神生みによる大量の神に埋もれていたが、現実に宮廷の重要行事になったことに合わせて抜き出されたのである。 書紀には古事記から一歩進んだ記述が時折見られが、これもそのひとつの例と考えられる。 他の例としては、大吉備津彦のことがあった。そこでは、上道と下道の分割について記では〈孝霊〉朝の神話的起源を用いていたが、 書紀の調査によって「吉備国の分割は稲建別の時代まで下ることが判明した」と見た(【御友別一族】項)。 《生海神等号少童命》 「生海神等号少童命…」と書かれるが、複数の神に同じ名前がつくことは不合理である。 ただ海神の少童については、「大綿津見」(第36回)、「底津綿津見・中津綿津見・上津綿津見」(第43回)とある。 よって、「少童」は「〇〇少童」の総称と見ることができる。 それを正確に表すとすれば「生山神等号諸山祇」などが考えられ、これの略と見ることはできる。 同様に、山神は、迦具土神から化成した「正鹿山津見」、「淤縢山津見」など多数あり、やはり「〇〇山津見」の総称と言い得る。 水門神(みとのかみ)の速秋津日は、「速秋津日子」・「速秋津比売」をまとめたとも読める(第36回)。 一方、木神は久久能智のみだが、草祖草野姫〔記:鹿屋野比売〕を植物として包含するかも知れない〔やや苦しい〕。 土神は一書[2]の埴山姫だけだから等がつかないと、言えないことはない。 なお二文目以下に「生」が省略されているのは和習によるもので、正規漢文としての訓読は不可能である。 《大意》 【一書(6)に曰く、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、 共に大八洲国(おおやしまのくに)を生んだ。 その後、伊弉諾尊は 「わが生ん国には、 ただ朝霧があって薫りが満ちるだけだ」と言った。 そこで、吹き払った息が神となり、 名付けて級長戸辺命(しながとべのみこと)といい、 また級長津彦命(しながつひこのみこと)ともいい、 これは風の神である。 また、飢えた時に生まれた子は倉稲魂命(うけのみたまのみこと)〔ウカノミタマとも〕という名である。 また、海の神たちは〔さまざまな〕少童命(わたつみのみこと)、 山の神たちは山祇、 水門(みと)の神たちは速秋津日(はやつひ)〔速秋津日子・速秋津日売〕の命(みこと)、 木の神たちは句句廼馳(くくのち)〔など〕、 土の神は埴安神(はにやすのかみ)という名である。 その後に、万物をことごとく生んだ。 17目次 【次生海次生川次生山/一書[6]-(2)】 《一書[6]-(2)》
この部分は記と酷似していて、ほぼ同文といってよい(右表)。 「頭辺」を書紀古訓でマクラヘと訓むのは、記の「枕方」によるものと思われる。 《啼沢女命》 畝尾
この哭澤女伝説の挿入は、伊弉諾尊伊弉冉尊神話が既に飛鳥時代において、畿内に十分浸透していたことを物語るものである。 ただし、古事記の執筆段階で、伊弉諾尊伊弉冉尊を畿内に結び付けようとして挿入された可能性も残る。 あるいはこれらは二律背反ではなく、既に民衆レベルでは一定程度浸透していて、さらに畿内を中心とする国家意識に沿うものとして強力に上書きされたという形で統一できるかも知れない。 《遂抜所帯十握剣》 以下の神の現れ方は記とは記述の順番が異なり、また神名についても若干の不一致がある。神名の対応図(第38回)参照。
《斬軻遇突智為三段》 軻遇突智は「三段」斬りにされてそれぞれが神になるが、神名はここには示されない。 一書[7]では「三段」は「雷・大山祇・髙龗」とされる。 一書[8]では五段に切り刻まれる。記では体は切り刻まれないが、体の八つの部分から神が成る。この三・五・八は、記紀に於いて象徴的な数字として頻繁に現れる。 《剣刃垂血》
古事記の「湯津石村」は「御刀前」・「御刀本」からの血が走り就く先として幅広く描かれている。 それに対して一書[6]の「五百箇磐石」からは「剣鋒」〔記では御刀前〕、「剣鍔」〔紀では御刀本〕が除かれて「剣刃」に限定され、 そこからは経津主神のみが出現する。このように五百箇磐石の範囲を記から著しく絞り込んだ点と、そこに経津主神のみしか置かれない点に不自然さがある。 それに対して一書[7]では、経津主神を磐裂神・根裂神のグループの「五百箇磐石」に属するものとする〔実質的に一書[6]の剣鋒垂血〕。 結局一書[7]は一書[6]における五百箇磐石の構造と経津主神の描き方の不自然さを改め、記との整合性を取り戻したものと受け止め得る。 一書[7]は、一書[6]への訓注が多くの部分を占めることから見ても、一書[6]への修正・補足の性格をもつものと言える。 このように流動的な状態のまま残されたのは、国譲り段で大活躍する経津主神を偉大化するためにその出自を後から書き加えようとして、 その過程における試行錯誤が生の形で表れているためではないかと思われる。 《剣鐔垂血》
《剣鐔垂血》
《剣頭垂血》
火の神軻遇突智(かぐつち)が生まれるに至り、 その母伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、焼かれて神去りした〔=死んだ〕。 その時、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)はこれを恨み 「たった一人の子のために、 私の愛するお前が身代わりになってしまったのか。」と言って 枕元に腹這い、 足元に腹這いして声を上げて泣き、涙を流した。 その涙が落ちて成った神は、 畝丘(うねお)の樹の下に坐(ま)す神で、 その名を啼沢女命(なきさわめのみこと)という。 遂に腰に帯びた十握(とつか)の剣(つるぎ)を抜いて、 軻遇突智(かぐつち)を三段斬りして、 それぞれが神に化成した。 また、剣の刃(やいば)から滴り落ちた血は、 天安河(あまのやすかわ)の川辺にある五百箇磐石(いおついわむら)となった。 これが経津主神(へつぬしのかみ)の祖である。 また、剣の鐔(つば)から滴り落ちた血が激越して成った神は、 その名を甕速日(みかはやひ)の神、 次に熯速日(ひはやひ)の神といい、 その甕速日神は、武甕槌(たけみかつち)の神の祖である。 別の言い伝えでは、甕速日の命、 次に熯速日の命、 次に武甕槌の神という。 また、剣の鋒(ほう)〔=きっさき〕から滴り落ちた血が激越して成った神は、 その名を磐裂(いわさく)の神、 次に根裂(ねさく)の神、 次に磐筒男(いわつつのお)の命(みこと)、 あるいは磐筒男の命及び磐筒女(いわつつのめ)の命という。 また、剣の頭(たかみ)〔=柄(つか)〕から滴り落ちた血が激越して成った神は、 その名を闇龗(くらおかみ)、 次に闇山祇(くらやまつみ)、 次に闇罔象(くらみつは)という。 まとめ 一書[6]のここまでの部分は、古事記を基本としつつ、龍田と広瀬の神をそこに加えている。 また、軻遇突智に関しては三段斬りと経津主を中途半端な形で取り入れたために、物語が崩壊している。一書[7]は明らかにこの修復のために置かれている。 さて、湯津石村・五百箇磐石には血が飛び散って神が出現するので、どこかの赤鉄鉱の産出地帯をイメージした可能性がある。 中国地方の製鉄遺跡は、6~11世紀では吉備国に集中していたという([出雲国たたら風土記])。 鉄の精錬には高温の炉を用いるから、火の神軻遇突智との関連が考えられて興味深い。 よって伝承の原形には、あ、これは吉備あるいは出雲の地名だと気づかせる記述が含まれていたかも知れない。しかし、一書[6]はそれを削ってローカル性を消すことにより、天安川を漠然と天界にあるものと印象付けた可能性がある。 こうして物語を純粋たる朝廷の起源神話として描いた。この目論見は成功して、却って日向地域の高千穂などに天安川伝承地を生みだすことになったと考えられる。 この中央の起源神話としての仕立て直しは、浄御原宮の近傍にある啼沢女神を突如登場させたことと軌を一にする。 これは、既に古事記の方針であった。 これまでに古事記は地方諸族のアイデンティティに寄り添うものと見てきたが、その立ち位置は基本的に朝廷の国家側にあり、 地方氏族に対してはあくまでも恩恵的な拾い上げに留まるのであろう。 |
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2026.05.30(sat) [01-09] 神代上9 ▼▲ |
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18目次 【次生海次生川次生山/一書[6]-(3)】 《一書[6]-(3)》
黄泉の書紀古訓「ヨモツクニ」は、古事記(第39回)の「黄泉国」に合わせたと見られる。 ヨモはヨミの母音転化。ツは属格の助詞。 《吾夫君尊》 記の「我那勢命」にあてた表記。 《湌泉之竃》 一書[7]訓注の「誉母都俳遇比 既に名詞として固定したものと見られるから、サ変動詞またはクラフを補って読むことになる。 《雖然》 逆接の接続詞「雖然」は、ここでは「もっと会話をつづけたいが(もう寝る)」と解される。 《雄柱》 雄柱は、古事記(第39回)でも「男柱」が櫛の一部を表す語として使われている。 書紀古訓には「ホトリハ(゛)」。櫛の両端の太い歯「辺(ほと)り歯」か。 この語は実際に上代語として存在したと思われるが、古事記にも書紀にもホトリバと明示する訓注がない。ホトリバを雄柱・男柱と表記することがよほど一般的だったか、 実際にはヲバシラ〔またはヲトコハシラ〕と訓まれていたかのどちらかである。書紀の「男柱」は記の「雄柱」にあてたものと思われるから、後者であろう。 なお、橋・階段の左右の端の太い柱をオトコバシラという言い方は現代にもある。 《膿沸虫流》 日本書紀神代巻への書紀古訓は「虫流」を「ウジタカル」と訓む。字のまま訓めば虫はムシであり、流はナガルであるから、 これが古事記の「宇士多加礼」に倣った意訳であることは確実である。 字の通りに「膿沸虫流」を訓むなら、流れるのは膿で沸く(湧く)のは虫であるから、語順の誤りのようにも思える。 しかし、仮に語順が正しいとした場合でも、「沸」を他動詞として、膿が虫を湧かせて流れ出ていたと訓むことは不可能ではない。 なお「沸」については、虫が沸くように現れたのであるから、これをタカルと訓むことは必ずしも困難ではない。 《吾不意到於不須也凶目汚穢之国矣》 記では、伊邪那岐命がこの言葉を発するのはもう少し後ろの場面、逃げ切った後で禊を始めたときである(第42回)。 一書[6]では、記と同じ場面でもう一度出てくる。 記における表記は「吾者到於伊那志許米志許米岐穢国」である。 すなわち、その「伊那志許米志許米岐穢」が書紀の「不須也凶目汚穢之」にあたる。「志許米志許米岐」の反復は省いて「不須也 一書[6]では、この言葉を伊弉冉尊に面と向かって発した場面で、これによって逆上したと描かれる。場面が異なっても同じ言葉だから、口承において広く使われた特徴的な言葉だったのであろう。 《何不用要言令吾恥辱》 「何不用要言令吾恥辱」は、記の「言令見辱吾」に対応する。記では伊邪那美の腐敗した姿を見た瞬間に伊邪那岐が驚きの表情を見せ、それによって辱めを受けたという文脈になっている。 書紀古訓は「不用要言」を「契りし言を用ゐずして」、すなわち「契りを交わした関係なのだからもっと違う言葉を使うべきだろう」と言ったと訓む。 《泉津醜女八人》 泉津醜女に、記では音仮名を用いて「予母都志許売」と表す。「八人」は記にはなく、おそらく記の「八雷神」から移されたと見られる。 「雷神」は一書[6]にはない。ただ一書[9]でこれを補って、記の形を回復する形になっている。 《八人》 「八人」を、書紀古訓はヤタリではなく「ヤツヒト」と訓んでいることが注目される。助数詞リ・タリについては、〈時代別上代〉にはヒトリ・フタリ・ミタリしかない。 実は平安時代になっても、あまり多い人数には使われていなかった可能性がある。文献では枕草子の「三人四人」などがあるが、漢字表記のみなので実際に~タリが使われたかは不明である。 音読みの「~ニン」の方が言いやすかったので、早い時期にこちらが使われるようになったという論を見る。 《一云泉津日狭女》 「一云泉津日狭女」は本来は割注とすべき部分であるが、一書自体が既に割注だったのでこれ以上小さな文字は用いられなかったと見られる(上述)。 《背揮以逃矣》 記では「取黒御𦆅投棄」・「湯津津間櫛引闕而投棄」の後、雷神に対する場面でこの語が使われる(第40回)。 「抜剣背揮」は、記の「抜所御佩之十拳剣而於後手布伎都都」〔…シリヘテニフキツツ〕を表したことがが、一書[7]原注に示されている。 《投黒鬘此即化成蒲陶》 この部分について、記と比較する。
湯津爪櫛については、一書[6]は「投げて・筍になり・抜いて・食べて・食べ終わって・更に追う」。 記は「美豆良から抜いて・投げ棄て・笋が生え・抜いて・食べる間に逃げた」となっている。 これらの内容自体は完全に一致する。 《泉津平坂》 記では「黃泉比良坂」で、 「「揖夜神社」(島根県松江市東出雲町揖屋2229)から東南東300mのあたりが黄泉比良坂の比定地」 (第40回)とされる。 一方、一書[6]においてはこれらは天界の物語の中として、現実の地名とは無関係とされる(下述)。 《向大樹放尿》 「一云伊弉諾尊乃向大樹放尿…已至泉津平坂」の段落は本来は割注である。しかし、既に一書自体が割注なので同じ大きさの文字が用いられたと見られる(a href="#wari">上述)。 ここは記にはなく、一書[6]独自である。記はこのあまり芳しくない話はここには合わないと考えて省いた可能性がある。 記は文学としての美しさを重視しているからである。 しかし、ともかくもこの大河は泉津日狭女を足止めして、逃げるための時間稼ぎになったと位置付けられている。 《大意》 こうなった後に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、 伊弉冉尊(いざなみのみこと)を追って黄泉の国に行き、 こうして共に語らった時のこと。 伊弉冉尊は 「私の夫よ、どうして遅れて来たのですか。 私は既に湌泉竃(よもつひぐい)をしてしまいました。 もっと話したいのですが、私はもう寝ます。願わくは、私を見ないでください。」と言った。 伊弉諾尊は聴かず、 暗陰で湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を取り、その端の歯を引き折り、 これを灯火として見ると、 膿に虫〔あるいは蛆〕が湧いて流れていた。 今、世の人は 夜に一片に火を付けることを忌み、また夜に櫛を投げることを忌む、 これはその縁(ゆかり)である。 その時、伊弉諾尊は大いに驚き、 「私は思いもよらず、 不須也(いな)凶目(しこめき)汚穢之(きたなき)国(くに)に来てしまった」と言い、 ただちに急いで逃げ帰った。 その時、伊弉冉尊は恨んで 「どうして言わなければならない言葉を使わず、私を辱めたのですか。」と言い、 泉津醜女(よもつしこめ)八人に命じて、 〈あるいは、泉津日狭女(よもつひさめ)ともいう〉、 追いかけて引き留めさせました。 すると、伊弉諾尊は剣を抜いて後ろ手に振り回して逃げた。 そして黒鬘(くろみかずら)を投げると、これが蒲陶(えびかづら)〔野ブドウ〕に化成し、 醜女(しこめ)をそれを見て採って食べ、 食べ終わると再び追った。 伊弉諾尊は、 また湯津爪櫛(ゆつつまくし)を投げると、これが筍(たかむな)〔タケノコ〕に化成し、 醜女はまたこれを抜いて食べ、 食べ終わると再び追った。 その後から伊弉冉尊が、また自ら追いかけて来た。 この時、伊弉諾尊は既に泉津平坂(よもつひらさか)に到った。 〈あるいはいう。 伊弉諾尊は、大樹に向かって放尿し、 これが大河に化成した。 泉津日狹女(よもつひさめ)がその川を渡ろうとしている間に、 伊弉諾尊は、既に泉津平坂に着いたという。〉 19目次 【次生海次生川次生山/一書[6]-(4)】 《一書[6]-(4)》
絶妻之誓は、記「千引石引塞其黄泉比良坂其石置中各対立而度事戸」 の「事戸」を指す。また動詞は記「度」〔わたす〕、一書[6]「建」が用いられている。 「コトド」については「異戸」〔戸を分かつ〕と解釈した((第41回)。 「絶妻之誓」はこれを中国語で表現したもの。訓読においては一書[7]訓注ではコトドを用いているが、字のままに「つまをたつちかひ」でも差し支えないであろう。 《伊弉冉尊曰》 記では「伊邪那美命言」〔いはく〕、「伊邪那岐命詔」〔のたまはく〕と区別され、上下関係を示している。 ただ、書紀の「曰」の訓読においては、両方ともノタマフとしておくのが自然のように感じられる。 《千人所引磐石》 「千人所引磐石」は、記の「千引石」を説明的に表記したもの((第41回)。 チヒキノイシの場合はこの場面と結び付いた固有名詞だから、一書[6]の訓読でもこれを用いるべきであろう。 《愛也吾夫君》 この部分は、記と同じである。
《自此莫過》 普通に読めば「自此莫過」は伊弉諾尊が発した言葉で、「汝は一日に千人を超えて殺すな、我も一日に千五百人を超えて産まない」と釘を刺したと読める。 しかし、伊弉諾尊の言葉と伊弉冉尊の言葉の対称性が失われるのであまりエレガントではない。 これが、本来は「因二神曰」だったとすれば、ひとまず対称性は保たれる。 さて、この言葉と杖を投げる行為を結び付けて、杖を結界にしたとする読み方も見る。すなわち「過」を杖をまたぐ行為と読む。 ところが、それでは続けて帯・衣・褌・履を投げ捨てたことの意味が分からない。 接続詞「即」は、醜女に追われて逃げる途中にあったことを振り返ってここで述べるという区切りだと思われる。 また杖結界説においても、二神は非対称である。ここは二神が千頭絞殺と千五百頭産のことを互いに宣言したことをもって、美しく決別したと読むべきであろう。 その後に、この杖のラインを越えて追って来るなよと付け足すことは明らかに蛇足である。 《汝所治国民》 〈乙本〉は「吾 〈乙本〉はやや古い時代の古訓を反映している可能性がある。というのは、ここでは民をオホムタカラと訓むが、他の箇所ではオホミタカラと訓んでおり(《公民》項)、 オホミが音便によってオホム〔[ofon]と発音〕に移行する前の記述が一部残存していたと考えられるからである。
「投其杖…」段の中身は記「故於投棄御杖所成神…」段(第42回)と大体同じだが、それが置かれたストーリー上の位置が異なる。記においては、禊をする前の場面。 一書[6]では、醜女に追われて逃げる途中と見られる(上記《自此莫過》項)。 さて、「投其杖是謂岐神也」は正確には「投其杖化成神号岐神也」であり、省略が著しい。一方、記の「於投棄御杖所成神名衝立船戸神」は完全な文章で丁寧である。 一書には、時たまこのような雑さが見られる。なお、この傾向は〈持統〉天皇紀に多く見られた ([30-20]項など)。 ゆくゆくは成文にする予定で取り敢えずメモ書きした部分がそのまま収められているように感じられる。 なお、ここで化成する神は記よりも絞り込まれていて、また開囓神に関する不一致がある。道敷神は記には見えない(右表)。 このようなバリエーションがあることは、この伝承が広く行き渡っていたことを物語っている。 《其於泉津平坂》 「其於泉津平坂」の本来の語順は「於其…」であるべきだが、「其於…」のままでも「其(それ)、於…」と訓読することはできる。 この「於」の存在は悩ましいが、やはり前置詞句「於泉津平坂」が「所塞磐石」を連体修飾すると見るのが合理的であろう。 だとすれば、「或所謂泉津平坂者不復別有處所但臨死氣絶之際是之謂歟」は注釈として挿入された部分と位置付けられる 〔これまでにしばしば述べたように、すでに割注として書かれた「一書」の割注をさらに小字にはできなかった〕。 「泉津平坂」が繰り替えされていることも、それを物語っている 〔つまり、注釈中で「その泉津平坂については…」と言い直す〕。 この注釈では「但」がキーワードである。これによって以下は「単に臨死で意識を失うときにあの世との境界を表すときに用いる言葉に過ぎない」と読める。 だとすれば、「或所謂泉津平坂者不復別有処所」は「現実に各地に存在する"泉津平坂"を指すものではない」という趣旨で読むことが自然となる。 この捉え方が正しければ、この段では「泉津平坂」を神話内の空間に置いて現実世界から切り離し、「臨死の瞬間」に脳内に描かれる精神世界に昇華させている。 そして、ここでも出雲の地方伝説から脱して中央の朝廷の正統的な起源神話に位置づけようとする意図があると見ざるを得ない。 これは、古事記が「其所謂黄泉比良坂者今謂出雲国之伊賦夜坂也」〔ここでいう黄泉比良坂は現在の出雲国の伊賦夜坂である〕と述べたことを真っ向から否定するものとなっている (第41回)。 《泉門塞之大神》 泉門〔よみと甲、よもつと甲〕は、黄泉の国の入り口を意味する。 記ではこの神の表記は「塞坐黄泉戸大神」〔さやります(「ふたぎます」、「ふさぎます」とも)よみとのおほかみ〕(第41回)。 サヤルはサハル(障る)と同じ意味。〈神武〉段歌謡「しぎ(鴫)はさやらず…くぢら(鯨)さやる」(第98回)などに見える。 その別名「道返大神」は、記では「道反大神」(第41回)。 《大意》 そこで千引石(ちびきのいし)で、 その坂道を塞ぎ、 伊弉冉尊と向かい合って立ち、 遂にことど〔夫婦の縁を断つ誓い〕をたてた。 その時、伊弉冉尊は 「愛しい私の夫がそうおっしゃるなら、 私はあなたが治める国の民を一日あたり千人を絞め殺します。」と言った。 伊弉諾尊、これに応えて、 「愛しい私の妻がそうおっしゃるなら、 私は一日あたり千五百人を産もう。」と言った。 よって、〔二神は共に〕「これを過ぎないようにしよう」と言った。 すなわちその杖を投げて化成した神を、岐神(ちまたのかみ)という。 また、その帯を投げて化成した神を、長道磐神(ながちはのかみ)という。 また、その衣を投げて化成した神を、煩神(わづらいのかみ)という。 また、その褌(はかま)を投げて化成した神を、開囓神(あきくいのかみ)という、 また、その履(くつ)を投げて化成した神を、道敷神(ちしきのかみ)という。 その、泉津平坂(よもつひらさか)にあって 〈ちなみに、そのいわゆる泉津平坂は、特にある場所に存在するわけではない、 死に臨んで息絶える際(きわ)に、これをいうのである。〉、 塞いだ石を、泉門塞之大神(よみとにふたぎますおおかみ)という 〈また、その名を道返大神(ちがえしのおおかみ)という[矣]〉。 まとめ この段は古事記とかなり類似するが、ストーリーにおける場面の順番の入れ替えが見られる。しかし、特徴的な言葉についてはほぼ同じ形が共通して使われている点が特記される。 口承においては、物語の全体構成よりも、そこで使われた印象的な語句の方が形を崩さずに普遍的に維持されると考えられる。 概念的には古事記の方がより原形を保っていると思われがちだが、 古事記においても、文学作品として印象深く整えるために原伝承の順番を入れ替えたことは十分に考えられるので、 一書[6]と古事記のどちらが伝承の原形に近いかは、一概に言い切れないところがある。 すなわち太安万侶は文筆力に優れ、原伝承を重んじながら、それをバランスよく納得させる力のある作品として結晶化している。その過程で素材を部品に分けて再構成することがあったと考えられる。 しかし当時存在していた実際の伝承は素朴で、辻褄が合わず衝突する箇所も多く、却って一書の方がその原型を崩さずに収めていると考え得るからである。 なお、「自此莫過即投其杖」の解釈については通説とは異なる結論に達した。 一書だから辻褄の合わないこともあろうと言って思考停止に陥ることなく、ひとまず最善の読み方を求めた上で次の検討に入るべきという姿勢で突き詰めた結果である。 |
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⇒ [01-10] 神代上(3) |
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