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2026.05.05(tue) [01-01] 神代上1 

目次 【古天地未剖陰陽不分】
古天地未割陰陽不分。
渾沌如鶏子、溟涬而含牙。
及其淸陽者薄靡而爲天
重濁者淹滯而爲地、
精妙之合搏易、重濁之凝竭難。
故、天先成而地後定。
天地未割…〈日本紀私記乙本〔以下乙本〕
 天_地未割安女津知以末太和可礼須陰陽不分女乃古遠乃古和可礼奴止岐
 渾_沌萬呂加礼多留古止安加多良仁之弖如鶏子止利乃古乃古止之溟_涬保乃加爾之弖太々與比天
 含牙岐左之乎不久女利安志加比遠不久女利淸陽者以左岐與久安加良加奈留者
 薄_靡加須美太奈比岐弖_安女止奈利重_濁_者遠毛久尓古礼留者
 淹_滯而津々岐止々古保利津地止奈留精_妙_之_合久波志久太倍奈留加安倍留
 搏易安不岐耶寸久重_濁_之_凝遠毛久尓古礼留加古利太留ハ場_難加太萬利加太之
〈大橋寛治氏蔵卜部兼方本〉天地未剖。〈北野本〉〔南北朝〕天地未割

〈丹鶴叢書〉〔1306〕天地未割。 〈集解〉イマタワカレ
〈内閣文庫本〔以下閣〕
 イニシヘアメツチイマタワカレサルトキ ワカレワカレサシトキワカレスアルトキ渾沌ムラカレタルコトマロカレタルコト溟涬ホノカニシテクゝモリテ久ゝ毛利弖アシカヒ支左志乎不ゝ女利キサシヲフクメリフゝメリキサシヲ
  ムテソレ清陽アキラカナルイサキヨクアキラカナルモノハスミ アキラカナルモノハ薄-靡カスミナヒキテタナヒキテナリ アメト重濁者ヲモクニコレルモノハカサナリニコレルカモノハ淹-滯都々為弖シツミトモリテツゝイテヌトゝコヲリテナルニ ツチト
 精妙久波之久陁弊奈留クワシクタヘナルカアヘルハ搏易重濁阿布支 也須久 ヲモク ニコレルカアフキ ヤスク カサナリ ニコレルカコリタルハコリタルハ竭難カタマリカタシ
 故○マツアメナリテツチノチサタマル
まろかる…[自]ラ下二 他動詞マロカス〔四段。ひとつに丸める意〕に対応する自動詞。 

鶏子…①鶏卵。『漢書』五行志「山陽済陰雨雹如雞子」。②雛。『説文解字』「雛:雞子也」。
…[形]くらい。
溟涬…〈汉典〉「[chaos] 天地形成前元気混沌的状態」。
…[名] 動物の牙。牙将・牙城は将軍の旗が象牙で装飾されていたことに由来する。 あしかび…葦の芽。「牙」は芽に通用したもの。
清陽…〈汉典〉「[light and pure] 清軽之気」。
…[動] ①うつ。②とらえる。
…[動] つきる。つくす。
古(いにしへ)には、天地(あめつち)未(いまだ)割(わ)れずて、陰陽(おむやう)不分(わかれず)。
渾沌(まじりてあること)鶏子(とりのこ)の如(ごと)し、溟涬(ほのかにありて)[而]牙(あしかび)を含(くく)めり。
其(その)清陽者(きよくあきらめるもの)は薄靡(うすくたなび)きて[而]天(あめ)と為(な)りて
重濁者(おもくにごれるもの)は淹滞(とどこほ)りて[而]地(つち)と為(な)るに及びき。
精妙之(くはしくたへなることの)合(あへる)は搏(とら)へ易(やす)し、重濁之(おもくにごれるものの)凝(こりたる)は竭(つく)し難(かた)し。
故(かれ)、天(あめ)先(まづ)成りて[而]地(つち)後(のち)に定(さだ)まれり。
然後、神聖生其中焉。
故曰、開闢之初洲壤浮漂、
譬猶游魚之浮水上也。
然後神聖…〈閣〉然㣪シカアテノチシカウシテノチニカミ或本乍聖玄アレマス其中ソノ ナカニ故曰カレ イハク
開闢之初…〈乙本〉開闢之初安女津知乃比良久留波志女洲壤久尓津知
 游魚安曽不伊遠
〈閣〉開闢阿女■知比良久留アメツチヒラクル波支女尓ハシメ洲壤クニ ツチノウカヒウカレタゝヨヘル タトヘハコトシナヲアソフイヲノウヲノ
 ウケルカ江同之ウアヘルカ ノウレ

」…内閣文庫本の注記にある「」は大江匡房〔平安中期〕、またはその大江家による説を指すと見られる。
ひじり…[名] ①天子。②聖人君主。

然後(しかるがのち)に、神聖(かみとひじり)、其の中に生(あ)れます[焉]。
故(かれ)曰へらく、開闢之初(あめつちのひらけるはじめ)に、洲壤(くにつち)浮かび漂(ただよ)へり、
譬(たと)へば猶(なほ)游(あそ)ぶ魚(いを)之(の)水(みづ)の上(うへ)に浮かぶがごとし[也]といへり。
于時、天地之中生一物、
狀如葦牙。
便化爲神、號國常立尊
【至貴曰尊自餘曰命、
並訓美舉等也。下皆效此。】
次國狹槌尊、
次豐斟渟尊、凡三神矣。
乾道獨化、所以成此純男。
于時…〈閣〉于時 トキニアメ ツチノ中生ナカニ ナレリ一物ヒトツ モノ

状如葦牙…〈乙本〉葦牙安志加比常立尊止古太知乃美古止
 狹槌尊佐津知乃美古止豊斟渟尊止與久牟奴乃美古止三神美波志良乃神_マス

〈日本紀私紀甲本〔以下甲本〕葦牙アシカヒ
〈閣〉カタチ/状  シ アシカヒノ 便 ナルカミマウス申ス國常立尊クニノ トコ タテノ ミコト
 至貴イタテ タトキキヲソントコレヨリアマリオハ命並メイト ナラヒニイフ美舉等ミコト[ト]下皆效此シモ ミナ ナラヘ コレ[ニ][句]
 [ニ] ノツチノミコト豊斟渟トヨ クム ヌノ テ三神ミハシラノカミマス
 乾道アメノ ミチヒトリナル/ナス所以コノユヘニナセリ此純男コノ モハラナルヲトコヲナセリコノ ヲトコノカキリヲ

成此純男…〈乙本〉加美成此純男宇末志古乃遠乃止古乃加岐利遠奈世里
…[名][形] 〈類聚名義抄〉法中「:モハラ スミニ ハルカナリ オモヘラク ウルハシ スリキヌ メクル オホキニナリ アツク イト サナカラ ツゝム ニフシ」。

于時(ときに)、天地(あめつち)之(の)中に一物(ひとつのもの)生(を)ふ、
状(かたち)は葦牙(あしかび)が如し。
便(すなはち)神と化為(な)りて、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(なづ)けり
【貴(たふとき)に至りて「尊」と曰ひ自(これより)余(あまれる)は「命」と曰ふ、
並(ならびに)美挙等(みこと)と訓(よ)む[也]。下(しもつかた)皆(みな)此(こ)に効(なら)へ。】。
次に国狭槌尊(くにのさづちのみこと)、
次に豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、凡(おほよそ)三(みはしら)の神[矣]。
乾道(けんのみち)に独(ひとり)化(な)りつ、所以(ゆゑ)に、此(これ)純(もはら)男(をとこ)と成れり。
《天地未割》
 「天地未剖」は現代の版本では標準だが、〈北野本〉〈内閣文庫本〉は「天地未割」。
 漢籍では、
『淮南子』〔前漢〕俶真訓
天地未陰陽未。四時未分。萬物未生。汪然平靜。寂然清澄。莫其形。… 
 に「未剖」が見える。『書紀集解』〔1785〕の頃からこれによって「未割」を「未剖」に作るようになったと見られる。
 書紀も最初は漢籍の「未剖」を用いたが、早い時期に「未割」と誤写されてそれが定着した可能性はある。 それでも「」でも意味は同じで、長らくこの形が存在し続けたのも事実だから敢えて直す必要はないとも考えられる。
 『淮南子』天文訓
天地未形、馮馮翼翼、洞洞灟灟、故曰太昭
道始生虚廓、虚廓生宇宙、宇宙生気。
気有涯垠清陽者薄靡而為知れ天、重濁者凝滞而為知れ地
清妙之合易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定
天地之襲精為陰陽
『康熙字典』「馮翼、洞灟、無形之貌」。〈汉典〉「太昭:宇宙初始的混沌状態」。
 から太字の部分が用いられている。
 〈古事記〉では「久羅下那州多陀用幣流くらげなすただよへる(第31回)に対応する。
《混沌》
 古訓「マロカル」に対応する他動詞マロカスは混ぜ合わせる意味。語源は「丸」で「まるまっている」というニュアンスがある。 古訓には「ムラカル〔群がる〕も併記されている。
 混合をストレートに表す上代語としては、マジルマジハルが存在している。 〈汉典〉では「混沌:伝説中天地未形成時的那種元気未分、模糊不清的状態」で、「天地未分」への循環論的な説明となっている。
《溟涬》
 溟涬は、混沌と同じくカオスを意味する。
《含牙》
 『淮南子』兵略訓「凡有血気之虫、含牙帯角、前爪後距…」は、血気の虫〔=獰猛な動物〕は牙を含み、角を帯び、前足に爪、後ろ脚に距〔=蹴爪〕をもつという意味。 ここではその「含牙」の表記を「芽を含む」意味に通用させたもので、下文の「葦牙」を前もって述べたもの。 よって、明瞭に「」の意味である。
《神聖》
 ヒジリは皇統である。ここでは早々と天地開闢の直後にその種が生じたと読める。
 この「神聖」が何を意味するかについて議論があったことが〈私記〉に載る。
 『釈日本紀』述義/神代上
私記曰…答:神聖者。是下文所数箇神人也。
謂之神或謂之聖並是通号耳。
但書伝論盤古事於天於地也。故殊謂神聖也。
〔 神聖は、この下文にいくつかある「神人」のことである。
 神と言ったり聖と言ったりするが同じものの呼び名である。
 ただ、書伝には盤古のことを「天に神・地に聖」と論じ、よって特に神聖という。〕
 盤古は、開闢のときの伝説上の巨人である。「書伝」は徐整『三五曆紀』を指すと見られる。 同書は失われたが、逸文が『芸文類聚』に載る。
 『芸文類聚』所引徐整〔三国呉;3世紀〕『三五曆紀』
徐整三五曆紀曰:天地混沌如雞子。盤古生其中、萬八千歲。
天地開闢陽清為天陰濁為地。盤古在其中一日九変、神於天聖於地。
天日高一丈、地日厚一丈、盤古日長一丈。
此萬八千歲、天数極高、地数極深、盤古極長。
〔 天地は混沌として鶏子の如し。盤古はその中で生まれて一万八千年、天地開闢し、陽は澄み天となり陰は濁り地となった。
 盤古はその中で一日に九変し、天に於いて神、地に於いて聖となった。
 天は日ごとに一丈高く、地は日ごとに一丈厚くなり、盤古は日ごとに一丈成長した。
 一万八千年には天は極めて高く、地は極めて深く、盤古は極めて成長した。〕
 すなわち〈私記〉は同一の盤古が天には神として、地には聖として存在するから神聖はひとつのものであるとする。
 『集解』は釈紀所引の『三五曆紀』に触れた上で「〔ズルニ〕国常立尊」と述べる。
 書紀解釈の歴史においては「神聖」は持て余し気味であるが、書紀全体を見ると「」を一般的に天皇の権威を表す語として用いている。 例えば神功皇后紀〈仲哀〉六十年「東有国国謂日本。亦有聖王謂天皇」、 〈継体〉七年聖化憑茲遠扇」が見える。
 したがって、瓊瓊杵尊が天降りするまでは「」、天降りしてからは「」で、その出発点は開闢直後にあると述べたと受け止めるのが一貫性のある読み方となる。 たとえ原文作成者が漢籍にある言葉「神聖」を、深く考えずにここに書き込んだとしてもである。
《水上》
 「水上」はミナカミとも訓み得るが、〈時代別上代〉でのこの語の扱いは消極的で文例も載せない。そもそもミナカミは上流を意味するので、ここには当てはまらない。 万葉では(万)2433水上 如数書 みづのうへに かずかくごとき」と訓まれている。
《葦牙》
 「葦牙」の訓みは、古事記が用いた「宇摩志阿斯訶備比古遅神」(下述)の表記によるものと思われる。 訶備〔カビ〕はカビ〔穀物の穂〕とは別語で、牙は芽の通用と見られるからやはり芽を意味する語であろう。
《号》
 書紀古訓は「」にナヅクではなく「マウス」をあてる。 おそらく謙譲表現にしたのであろうが、天が名付けたとも言えるから特にその必要はないであろう。
《純男》
 「乾道独化所以成此純男」は、『周易』繫辞上「乾道成男、坤道成女」によるものである。 次回に読む「凡八神矣乾坤之道相参而化」段で、四組の男女神において、男神を「乾之道」の神、女神を「坤之道」の神と規定するのもこれである。
 この乾坤を天地と読むと天神はすべて男神、地祇はすべて女神となり理屈に合わない。 よってここでの「乾坤」は天地とは無関係に男女を表すものである。
 乾坤は、八卦の☰〔乾〕〔坤〕のことで、対極にある関係一般を表現する。
《大意》
 古(いにしえ)には、天地(あめつち)には未だ割れず、陰陽は分かれていませんでした。 渾沌たる様は鶏卵の如く、溟涬(めいけい)〔混沌と同義〕にして葦の芽を含みました。 その清陽は薄靡に〔=透き通って〕天となり、 重濁は淹滞して地となるに及びました。 精妙の合(ごう)は捉え易く、重濁の凝(ぎ)は尽くし難く、 よって、天が先に成り地は後に定まりました。
 然る後に、神聖〔天子の血筋の根源〕が、その中に生まれました。
 これについては、開闢(かいびゃく)の初めに、洲壤〔=国の土地〕は浮かび漂い、 譬えるなら、なお游(あそ)ぶ魚が水の上に浮かぶが如きといわれます。
 時に、天地の中に一つの物が生じ、 形状は葦芽(あしかび)の如くで、 すなわち神になり、国常立尊(くにのとこたちのみこと) 【尊ければ「尊」、それ以外は「命」といい、 どちらも「みこと」と訓みます。以下同じ】と呼ばれます。 次に国狭槌尊(くにのさづちのみこと)、 次に豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、あわせて三柱の神です。 乾道〔=天・陽の道〕にひとりでに生じて、ゆえにこれらは純男でした。


目次 【古天地未割陰陽不分段/一書[1]~[6]】
《一書[1]》
【一書(1)曰。
天地初判、
一物在於虛中、狀貌難言。
其中自有化生之神、
號國常立尊、亦曰國底立尊。
次國狹槌尊、亦曰國狹立尊。
次豐國主尊、亦曰豐組野尊、
亦曰豐香節野尊、
亦曰浮經野豐買尊、
亦曰豐國野尊、
亦曰豐囓野尊、
亦曰葉木國野尊、
亦曰見野尊。】
一書曰…〈閣〉一書曰アルフミニ イハクアメ地初ハシマルトキワカルトキニ一物ヒトツノモノアリ虛中ソラノナカニ
 カタチカタチイヒ ノ ニヲノツカラニ マスナリイツル号希マウスマタハマウス國狭ソコタチノ
 [ノ]タテノトヨ /クニ/ヌノヌシノトヨクミセシフシ
 浮經ウキ フノフツトヨカヒノトヨクニクヒハキキヒクニ見野ミノ

状貌難言…〈乙本〉狀_貌加太知
葉木国…〈乙本〉葉木國波古久尓浮_經宇岐岐

【一書(あるふみ)(1)に曰(い)はく。
天地(あめつち)初(はじ)めて判(わか)れて、
一物(ひとつのもの)[於]虚中(そらのなか)に在りて、状貌(かたち)は言ふに難(かた)し。
其の中に自(おのづから)に化生之(なれる)神有りて、
号(なづ)けて国常立尊(くにのとこたちのもこと)、亦(また)は国底立尊(くにのそこたちのみこと)と曰へり。
次に国狭槌尊(くにのさづちのみこと)、亦(また)は国狭立尊(くにのさたちのみこと)と曰へり。
次に豊国主尊(とよくにぬしのみこと)、亦(また)は豊組野尊(とよくみのみこと)と曰ひて、
亦(また)は豊香節野尊(とよかふしのみこと)と曰ひて、
亦(また)は浮経野豊買尊(うきふのとよかひのみこと)と曰ひて、
亦(また)は豊国野尊(とよくにのみこと)と曰ひて、
亦(また)は豊囓野尊(とよくひのみこと)と曰ひて、
亦(また)は葉木国野尊(はこくにのみこと)と曰ひて、
亦(また)は見野尊(みみこと)と曰へり。】
《一書曰》
 神代巻においては、神代のことはひとまず本文において定式化するが、そこに添えられた大量の「一書曰」は本文を書くために用いたさまざまなソースを併述するものである。 そこには、本文の記述と矛盾する内容も含まれている。
 この書法は、書紀神代巻の二重の性格を示している。
 ひとつは、天降りした天孫以後、そこからの日嗣の正当性を宗教的な真理として定式化することである。 もうひとつは広く存在した様々な伝承を客観的に記録することである。民族の歩みを包括的に述べる歴史書においては、これ自体が重要な構成部分となる。
 前者は国家権力を握る朝廷側の狙いに沿うものである。  後者は、実際に書紀の執筆にあたって調査研究を担ったスタッフの学究的態度を反映したものと言えよう。
《天地初判》
 は「わかれる」。万葉歌にも(万)0317天地之 分時従 あめつちの わかれしときゆ」の表現があり、 ワカルと訓むことは自然である。
《豊国主尊》
 豊国主尊は本文では「豊斟渟尊」の位置にあたるからその別名であろう。 の右訓は「ヌシ」、左訓は「」である。しかし、古訓には先頭の文字だけが書かれた場合も多いので左訓が主をと訓むことを示すか否かは判断できない。 別名のうち「豊組野尊」の発音がもっとも本文の「豊斟渟尊」に近い。
 たくさんの別名についてはどことなく類似性があり、いくつかについてはクニノ・クニヌからクミヌ、ミノ、クヒノなどに変化した様子が伺われる。美称の接頭辞トヨ-を伴わないものもある。 恐らくこの神はかなり広い地域に広まっていて、各地で訛りが生じたものにそれぞれ字が当てはめられたものと考えられる。
《一書[2]》
【一書(2)曰。
古國稚地稚之時、
譬猶浮膏而漂蕩。
于時、國中生物、
狀如葦牙之抽出也。
因此有化生之神、
號可美葦牙彥舅尊。
次國常立尊。
次國狹槌尊。
〈葉木國、此云播舉矩爾。
可美、此云于麻時。〉】
國稚地稚之時…〈閣〉 クニイシツチイシ特 タトヘハコトクシテウカヘルアフラノ漂蕩タゝユヘリ/タゝヨヘリ
 トキニ ノナカ ナレリモノ葦牙アシ カヒノ抽出ヌケイテタルカ
 ヨテ コレニイマスマス化生ナリ イツルマウスウマシアシ カヒ彦舅ヒコ チノ
 常立トコタチノ狹槌サ ツチノ葉木國エウモクコクハ コ クニヲハイフニト可美/カヒウマ シ ヲハ于麻時ウマシ
〈玉屋本〉國- クニクシ ツチ クシ
〈丹鶴本〉 シ地稚

有化生之神…〈乙本〉有化生之神奈利伊豆留加美以萬須
いし…[形]シク 〈時代別上代〉「イシ」は、ワカシの類義語か。また平安時代に用いられた、美しい・よいなどの意のイシと関係があるか。ただしほかに例がなく、確かに存在した語かどうかは不明」。

【一書(2)に曰はく。
古(いにしへ)の国稚(わか)く地(つち)稚(わかき)[之]時に、
譬(たと)へば猶(なほ)膏(あぶら)を浮かべて[而]漂蕩(ただよ)へるがごとし。
于時(ときに)、国の中に生(お)ふる物、
状(かたち)は葦牙(あしかび)之(の)抽出(ぬけいでてある)が如し[也]。
此(こ)に因(よ)りて化生之(なれる)神有り、
可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)と号(なづ)けり。
次に国常立尊(くにのとこたてひこのみこと)。
次に国狭槌尊(くにのさづちのみこと)。
〈葉木国、此をば播挙矩爾(はこくに)と云ふ。
可美、此をば于麻時(うまし)と云ふ。〉】
《国稚地稚》
書紀本文一書(1)一書(2)一書(3)一書(4)一書(5)一書(6)古事記
天之常立神
可美葦牙彦舅尊可美葦牙彦舅尊可美葦牙彦舅尊宇摩志阿斯訶備比古遅神
国常立尊国常立尊(国底立尊)国常立尊国底立尊国常立尊国常立尊国常立尊国之常立神
国狭槌尊国狭槌尊(国狭立尊)国狭槌尊国狭槌尊※1)
豊斟渟尊豊国主尊(豊組野尊…)豊雲野神
※1)…後に神産み段で伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれた大山津見神と野椎神の間に、天之狹土神・国之狹土神が生まれる。
 書紀の古写本では、への訓「イシ」がかなり定着しているが、ある時点で誤りが生じものが、そのまま筆写を繰り返されたように思える。 普通にワカシと訓んだとしても何ら問題はなく、またワカシの意味で使われたイシの用例が他には見当たらないからである。
 『日本国語大辞典』〔小学館;2002〕は、イシは国と地のそれぞれにつく助詞として付記されたものが、誤って稚の訓と受け取られたとの見解を示す。 イは主格につける助詞、シは強調の副助詞。ただこの箇所に限ってこれらをつける必然性はあまり感じられず、この解釈も疑問である。 常識的には「禾」〔=ワ〕の誤写と想像されるが、どのように誤られたかは不明。
《可美葦牙彦舅尊》
 葦牙から生じた三神のうち、可美葦牙彦舅尊は古事記にもあるが書紀本文では除かれている。
 一方豊斟渟尊は一書(2)にはないが、書紀本文と古事記にはある(右表)。
《一書[3]》
【一書(3)曰。
天地混成之時、始有神人焉、
號可美葦牙彥舅尊。
次國底立尊。
〈彥舅、此云比古尼。〉】
混成…〈乙本〉
 混成之万呂加礼奈留止岐尓彦舅比古知有神人加美万須漢音
〈閣〉混成マロカレナルトキマウスウマシ葦牙彦舅アシカヒヒコチノソコ
 -舅ヒコチケム キウヲハ方尼チト尼\
…(呉音) ニ。(漢音) ヂ。
【一書(あるふみ)(3)に曰はく。
天地(あめつち)混成之(まぢはりし)時、始めて神の人有り[焉]、
可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)と号(なづ)けり。
次に国底立尊(くにのそこたちのみこと)。
〈彦舅、此をば比古尼(ひこぢ)と云ふ。〉】
《神人》
 辞書によれば「神人」は、修行を重ねて神仙となった人、凡人ではない才能ある人、あるいは「神と人」を指す。
 古事記では伊邪那岐命伊邪那美命は神でありながら、天と相談したり(第35回)、 また伊邪那美命は死んでしまい人の如くで、最後は大神となって多賀神社に坐す(第44回)
 一方、瓊瓊杵尊は天から降りて日向三代を経て次第に人になり、皇統を繋ぐ。このように神と人とは絶対的に区別される存在ではないこという感覚によって 「神人」という語が使われたのだと思われる。
《一書[4]》
【一書(4)曰。
天地初判、始有倶生之神、
號國常立尊、
次國狹槌尊。
又曰、高天原所生神名、
曰天御中主尊
次高皇産靈尊
次神皇産靈尊。
〈皇産靈、此云美武須毗。〉】
天地初判…〈閣〉天地初-判 ハシマルトキニ メテイマスマストモニナルナリマツル之神
 申ス高天タカ マノ所生 アレマス ノミナヲ
天御中主…〈乙本〉天御中主天訓阿_女
〈閣〉 スアマノナカ ヌシノ産○ムスヒノミコト
 ム ムスヒノヒノクワウサムレイコレイフ
【一書(4)曰。
天地(あめつち)初(はじ)めて判(わか)れき、始めて倶(とも)に生之(あれませる)神有り、
国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(なづ)けり。
次に国狭槌尊(くにのさつぢのみこと)。
又(また)曰はく、高天原(たかまのはら)に所生(なりませる)神の名(みな)は、
天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と曰ふ。
次に高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)。
次に神皇産霊尊(かむみむすびのみこと)。
〈皇産霊、此をば美武須毗(みむすび)と云ふ。〉】
《高天原所生神》
本文
(4)以外の一書
一書(4)古事記
天御中主尊※1)天之御中主神
高皇産霊尊高御産巣日神
神皇産霊尊※1)神産巣日神
※1)…書紀における記載はここだけ。
 書紀においては神はすべて天地開闢の後に出現し、国常立尊などを最初の神と規定する。 それに対して古事記では高天原が初めから存在し、そこに「天之御中主神」・「高御産巣日神」・「神産巣日神」が坐した。
 書紀では最初の神は葦牙から出現した。よって古事記とは両立しない。 一書(4)は両論の対立点を、敢えてさらけ出したものといえる。ただ、ここでは高天原がいつから存在したかに触れていない。 したがって、もし本文に沿って読むなら高天原ができたのは天地開闢のときで、高天原の神の出現は国常尊よりも後ということになる。
 そもそも古来の伝承に沿っているのは古事記の方であって、書紀の開闢説はそこに漢籍を取り入れて再構成したものと考えられる。一書のうち(1)(6)は本文同様開闢説に依り、 (3)は不明瞭である。
 ところが、これによって問題が生じた。書紀本文では高皇産霊尊は、天降りを謀る時点になって初めて登場している。 すなわち、高皇産霊尊の存在の起点がどこにあるかについて日本書紀本文においては未解決である。
 なお、高天原神学成立までの経緯については、もともと対馬島のローカルな神であった高皇産霊神が畿内に伝わり、 さらに皇祖神は古事記の天照大神から日本書紀において高皇産霊神に移行したと読み取った(〈顕宗〉三年)
《一書[5]》
【一書(5)曰。
天地未生之時、
譬猶海上浮雲無所根係。
其中生一物、
如葦牙之初生埿中也、
便化爲人、號國常立尊。】
天地未生…〈閣〉 天地 サルナラ之時 シ シ ヲ海上ウナノウヘフル秘ウカヘル
  ノナキカトコロカゝルナカナレリ一物ヒトツノモノ
  シ葦牙アシ カヒノ テ/ゝテタルカヲイタルカヒチノナカニ便スナハチ ナル カミト
無所根係…〈乙本〉無根_係祢加ゝ留古止奈岐加
【一書(5)に曰はく。
天地(あめつち)未(いまだ)生之(ならざりし)時に、
譬(たと)えば猶(なほ)海(うなはら)の上(へ)に浮かぶ雲の所根係(ねかかること)無きがごとし。
其の中に一物(ひとつのもの)生(な)して、
葦牙(あしかび)之(の)初めて埿(ひぢ)の中に生(お)ふるが如し[也]。
便(すなはち)人(ひと)と化為(な)りて、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(なづ)けり。】
《海上浮雲無所根係》
 この一書には情景描写的な味わいがある。伝承は様々な形で語られてきたことを伺わせる。 〈乙本〉による訓読「根かかることなきが〔如し〕」は"所"をつねにトコロと読む漢文訓読体とは一線を画していて、〈乙本〉が古い時代の訓読である可能性を思わせる。
《化為人》
 蒐集された伝承の中には「」を用いるものがあり、一書(6)はそのひとつであろう。 書紀古訓では統一的に「カミと」訓むが、文献資料として元の形を保ちヒトを用いる立場もあり得よう。
《一書[6]》
【一書(6)曰。
天地初判、有物、
若葦牙、生於空中。
因此化神、
號天常立尊。
次可美葦牙彥舅尊。
又有物、若浮膏、
生於空中。
因此化神、號國常立尊。】
天地初判…〈閣〉初判ハシマルトキ アリコトクムシテナレリ空中ソラノ ナカニ
化神…〈乙本〉因此化_神古礼尓与利弖奈留神乎
〈閣〉ナルマウス-ウマシ葦牙アシ カヒ彦舅 ヒコ チノミコト
 コトクムシテ ヘル ノ/家本アリ江本 ノナル
【一書(あるふみ)(6)に曰はく、
天地(あめつち)初めて判(わか)る、物有りて、
葦牙(あしかび)の若(ごと)し、[於]空(むなし)き中に生(お)ふ。
此(こ)に因(よ)りて化(な)れる神、
天常立尊(あまのとこたちのみこと)と号(なづ)けり。
次に可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)。
又に物有りて、浮く膏(あぶら)の若(ごと)し、
[於]空(むなし)き中に生ふ。
此に因りて化(な)れる神、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(なづ)けり。】
《天常立尊》
 「国常立尊」には天常立尊が対になるのが自然で、一書(6)はそれに沿っている。
 一方で、「常立」は国に関わることであって、天は建てるべきものではない。 本文はこの立場によったと思われる。
《空中》
 天常立尊は天に、国常立尊は地に生ずるはずだから、「空中」はともに「ムナシキナカニ」と訓むべきであろう。
《大意》
 【一書(1)に曰く: 天地が初めて分かれたとき、 一つの物が空の中にあり、形状は言葉には表し難い。 その中に自然に化生した神がいた。
 名付けて国常立尊(くにのとこたちのもこと)、別名国底立尊(くにのそこたちのみこと)。
 次に国狭槌尊(くにのさずちのみこと)、別名国狭立尊(くにのさたちのみこと)。
 次に豊国主尊(とよくにぬしのみこと)、別名豊組野尊(とよくみのみこと)、 別名豊香節野尊(とよかふしののみこと)、 別名浮経野豊買尊(うきふののみこと)、 別名豊国野尊(とよくにののみこと)、 別名豊囓野尊(とよくいののみこと)、 別名葉木国野尊(はこくにののみこと)、 別名見野尊(みののみこと)である。】

 【一書(2)に曰く: 古(いにしえ)の国が未熟で地が未熟だった時、 例えていうなら膏(あぶら)を浮かべて漂うごとくであった。
 その時、国の中に生じた物の、 形は葦牙(あしかび)が抜き出た如く、 これから化生した神が有り、 可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)、 次に国常立尊(くにのとこたてひこのみこと)、 次に国狭槌尊(くにのさづちのみこと)という。
 〈葉木国は「はこくに」と訓み、 可美は「うまし」と訓む。〉】

 【一書(3)に曰く: 天地が混成していたとき時、始めて神人があり、 これを可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)という。 次に国底立尊(くにのそこたちのみこと)という。
 〈彦舅は「ひこぢ」と訓む〉】

 【一書(4)に曰く。 天地が最初に分かれて、始めてともに生じた神があり、 国常立尊(くにのとこたちのみこと)、 次に国狭槌尊(くにのさつじのみこと)という。
 またいわく、高天原(たかまのはら)に生じた神の御名は、 天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、 次に高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、 次に神皇産霊尊(かむみむすびのみこと)という。
 〈皇産霊は「みむすび」と訓む。〉】

 【一書(5)に曰く: 天地未生の時、 例えれば海の上に浮かぶ雲が地に根づかず、 その中に一つの物が生まれ、 葦牙(あしかび)が初めて泥の中に生えたが如しである。
 そして人となり、これを国常立尊という。】

 【一書(6)に曰く: 天地が初めて分かれ、ものがあり、 葦牙(あしかび)のようなものが、なにもないところに生じた。 これから生じた神を、 天常立尊(あまのとこたちのみこと)、。 次に可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)という。
 また物が有り、浮く膏(あぶら)のようなものが、 なにもないところに生じた。 これから生じた神を、国常立尊(くにのとこたちのみこと)という。】


まとめ
 日本書紀は宇宙の創始を、中国古典に叙述された天地開闢を用いて語っている。 しかし、それは倭国内の伝統的な起源神話とは必ずしも噛み合わっていない。 その結果、高皇産霊尊がいつどうやって現れたのかが示されないという問題が実際に生じている。
 人々に伝わる多様な伝承を原形に近い形で収めたと見られる古事記には、地は確かに混沌としていたが天は既にその外側に存在していたと描かれている。高御産巣日神〔=高皇産霊尊〕はそこに坐したのである。 しかしその見解には、書紀ではわずかに一書(4)の後半、それもタイミング抜きの不完全な形で触れられたのみであった。
 古事記の執筆陣は、もともとは日本書紀の前半を執筆する資料を得るための、口承伝説の蒐集の任を負うスタッフであったと推定される。 彼らが心血を注いで蒐集した素材は、しかし書紀には納得できる形では取り入れられず、その不満が古事記の執筆に向かわせたと考えた (第251回に詳述)
 書紀の冒頭から、早くもその推定の妥当性が浮かび上がってくる。



2026.05.07(thu) [01-02] 神代上2 

目次 【次有神埿土煑尊・一書[1][2]】
次有神、
埿土煑尊
【埿土、此云于毗尼】
沙土煑尊
【沙土、此云須毗尼。
亦曰埿土根尊沙土根尊。】。
次有神、
大戸之道尊
【一云、大戸之邊】
大苫邊尊。
【亦曰大戸摩彥尊大戸摩姬尊。
亦曰大富道尊大富邊尊】。
埿土煑尊…〈乙本〉 埿土平聲軽下者太太字去聲宇比千尓
 沙土煑須比知尓大苫邊尊遠保止万倍大戸之道遠保止乃知大富道遠保止牟知

〈日本紀私記甲本〔以下甲本〕埿土璦ウヒチニ沙土璦スヒチニ大戸之道オホトノチ大戸間邊オホトマヘ
〈内閣文庫本〔以下閣〕
 [頭注]「/煑:上煑讀上聲。下煑去聲。/根:上根上声。下根去声」。
 マスウヒニノ埿土テイヒチハム ト此云ヒチニト
 ヒチニノ ノ沙土サト此云須毗尼𡖋マウスウサネノ江本尊○沙土根スゝヒチノ
 大戸之フト へ ノヲホ ト ノチノ一云ヲフ
 ヲホトマヒノ𡖋マウス大戸ヒコノ ト姫尊亦マウストム道尊大トムヘノ

次に神有り、
埿土煑尊(うひぢにのみこと)
【埿土、此をば于毗尼(うひぢ)と云ふ】
沙土煑尊(さひぢにのみこと)
【沙土、此をば須毗尼(すひぢ)と云ふ。
亦(また)は埿土根尊(うひぢねのみこと)沙土根尊(さひぢねのみこと)と曰ふ。】。
次に神有り、
大戸之道尊(おほとのぢのみこと)
【一(ある)に云ふ、大戸之辺(おほとのべ)】
大苫辺尊(おほまとべのみこと)。
【亦(また)は大戸摩彦尊(おほとまひこのみこと)大戸摩姫尊(おほとまひめのみこと)と曰ふ。
亦(また)は大富道尊(おほとむぢのみこと)大富辺尊(おほとむべのみこと)と曰ふ。】。
次有神、
面足尊惶根尊。
【亦曰吾屋惶根尊、
亦曰忌橿城尊、
亦曰靑橿城根尊、
亦曰吾屋橿城尊。】
次有神、
伊弉諾尊伊弉冉尊。
面足尊…〈乙本〉
 面足遠毛多留惶根加志古祢伊弉諾以佐奈支伊弉冉以佐奈美

〈閣〉面足オモ タルノ惶根カシコ ネノ𡖋 スカシコ ト𡖋曰忌橿城イムカシ キ
 𡖋曰アヲ橿カシネノ尊𡖋曰吾屋アヤ橿城カシキノナキノ尊伊弉ナミノ

…(呉音)ジヤウ。(漢音)ザウ。音仮名は〈仁徳〉四十年二月岐等羅佐泥〔サキトラサネ〕
…[動] うべなう。(呉音)ナク。(漢音)ダク。
…[形] しなやかなさま。(呉音)ネム。(漢音)ゼム。
次に神有り、
面足尊(おもたるのみこと)惶根尊(かしこねのみこと)。
【亦は吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと)と曰ふ、
亦は忌橿城尊(いむかしきのみこと)と曰ふ、
亦は青橿城根尊(あをかしきねのみこと)と曰ふ、
亦は吾屋橿城尊(あやかしきのみこと)と曰ふ。】
次に神有り、
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)。
《一書[1]》
【一書(1)曰。
此二神、
靑橿城根尊之子也。】
二神…〈閣〉フタハシラノカミアヲ橿カシネノ ノミコナリ
【一書(あるふみ)(1)に曰はく。
此の二(ふたはしら)の神、
青橿城根尊(あをかしきねのみこと)之の子(みこ)なり[也]。】
《一書[2]》
【一書(2)曰、
國常立尊生天鏡尊、
天鏡尊生天萬尊、
々々々生沫蕩尊、
々々々生伊弉諾尊。
〈沫蕩、此云阿和那伎。〉】
天鏡尊…〈乙本〉天鏡安女万志波利沫蕩安和奈岐

〈閣〉/ナシマセリウムアメカゝミノ ト ノ トアマヨロツノ トヲ
 沫蕩アハナキノ沫蕩ハツタウイフ

【一書(あるふみ)(2)に曰はく、
国常立尊(くにのとこたちのみこと)は天鏡尊(あめかがみのみこと)を生(な)せり、
天鏡尊(あめかがみのみこと)は天萬尊(あまよろづのみこと)を生せり、
天萬尊(あまよろづのみこと)は沫蕩尊(あはなぎのみこと)を生せり、
沫蕩尊(あはなぎのみこと)は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を生せり。
〈沫蕩、此をば阿和那伎(あはなぎ)と云ふ。〉】
《埿土煮尊/沙土煮尊》
 埿土煮尊沙土煮尊が古事記の「宇比地邇神」・「須比智邇神」に対応することは、訓注「于毗尼〔ウヒヂ〕」に示されている。 接頭辞の「ウ-」「ス-」はオホシ・スナシ〔大小〕の意と思われる。 ヒヂは泥。「」は古事記では「」で、かつ「亦曰」では「」に転ずるから訓仮名「」だと思われる。
 古事記では夫婦神であることは「」の字によってすぐ分かるが、書紀本文では次の段になって「乾坤之道相参而化所以成此男女」によって示されるのが初めてだから、解りにくい。
 厳密に読むと、この段だけではまだペアの二神が男女神であることは分からない。ただ、おそらく一般的に男神-女神の順で書かれるだろうこと、及び「亦曰大戸摩尊・大戸摩」によって知れることとなる。
《大戸之道尊/大苫辺尊》
 古事記では「意富斗能地神大斗乃弁神」。 別名「大戸摩彦尊大戸摩姫尊」では夫婦であることを明示する。
《面足尊/惶根尊》
 面足尊は古事記では「於母陀流神」。古事記の「阿夜訶志古泥神」は書紀における別名「吾屋惶根尊」に一致する。 「忌-〔イミ〕、「青-〔アヲ〕アヤの変か。カシキカシコの変で、はついたりつかなかったりである。
《伊弉諾尊/伊弉冉尊》
 は音仮名。 は呉音にやや似る。そして、何らかの意味を込めたことが考えられる。
《国常立尊生天鏡尊
 一書[2]では両端の国常立尊伊弉諾尊が男神であるから、中間の三神も男神であろう。
 通常は男女が揃って初めて子が生まれるからここでは配偶神の記載が略されたか、 あるいは無性生殖的に生じたかのどちらかということになる。
《大意》
 次に神が有り、 埿土煑尊(うひじにのみこと) 【埿土は「うひじ」と訓む】と 沙土煑尊(さひぢにのみこと) 【沙土は此を「すひぢ」と訓む。 また、埿土根尊(うひぢねのみこと)沙土根尊(さひぢねのみこと)ともいう】といいます。
 次に神が有り、 大戸之道尊(おおとのみこと) 【あるいは、大戸之辺(おおとのべ)】と 大苫辺尊(おほまとべのみこと)といいます 【または大戸摩彦尊(おおとまひこのみこと)と大戸摩姫尊(おおとまひめのみこと)という。 または大富道尊(おおとむじのみこと)と大富辺尊(おおとむべのみこと)という。】。
 次に神があり、 面足尊(おもたるのみこと)と惶根尊(かしこねのみこと) 【または、吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと)、 または忌橿城尊(いむかしきのみこと)、 または青橿城根尊(あおかしきねのみこと)、 または吾屋橿城尊(あやかしきのみこと)という。】といいます。
 次に神があり、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)といいます。

【一書(1)に曰く: この二柱の神は、 青橿城根尊(あおかしきねのみこと)の子である。】

【一書(2)に曰く: 国常立尊(くにのとこたちのみこと)は天鏡尊(あめかがみのみこと)を生み、 天鏡尊(あめかがみのみこと)は天萬尊(あまよろづのみこと)を生み、 天萬尊(あまよろづのみこと)は沫蕩尊(あはなぎのみこと)を生み、 沫蕩尊(あはなぎのみこと)は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を生んだ。
 〈沫蕩は阿和那伎(あわなぎ)と訓む。〉】


目次 【凡八神矣乾坤之道・一書[1]】
凡八神矣、
乾坤之道相參而化、
所以、成此男女。
自國常立尊
迄伊弉諾尊伊弉冉尊、
是謂神世七代者矣。
乾坤之道…〈乙本〉乾坤安女津知

〈閣〉スヘテヤハシラノカミマスアメツチノミチマシハテナル
 所以コノユヘ[ニ]ナスコノヲトコオムナヲ リ ノ常立[ノ]イタルマテマテ
 是 或本無仁點イフカミナゝヨトモノナリ
〈北野本〉乾川

凡(おほよそ)八(やはしら)の神なりて[矣]、
乾坤(けんこん)之(の)道(みち)相(あひ)参(まじは)りて[而]化(な)りて、
所以(ゆゑ)に、此(これ)男女(をとこをみな)と成(な)れり。
国常立尊(くにのとこたちのみこと)自(よ)り
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなぎのみこと)迄(ま)で、
是(これ)神世七代(かみのよななよ)者(なり)と謂へり[矣]。
《一書[1]》
【一書(1)曰。 男女耦生之神、
先有埿土煑尊沙土煑尊。
次有角樴尊活樴尊。
次有面足尊惶根尊。
次有伊弉諾尊伊弉冉尊。
〈樴、橛也。〉】
耦生…〈乙本〉耦生之神太久比奈留加美角樴津乃久比活樴伊久久比

〈閣〉𫀽生タクヒナル ツマスウヒチ○煑ニノ沙土スヒチニノ角樴ツノクヒオ活樴イククヒノ
 面足オモタルノ惶根カシコ ネノ樴橛/シヨク/クヱツナリクイハ クイナリ

たぐひ…[名] ① 同類。② タグフ〔連れ立つ、寄り添う〕の名詞形。
…[名] 牛馬をつなぐ杭。杭で立てた標識。
…[名] 杭。木の切り株。轡(くつわ)。

【一書(1)に曰はく。
男女(をとこをみな)耦(たぐ)ひて生之(な)りし神には、
先(まづ)埿土煮尊(うひぢにのみこと)沙土煮尊(さひぢにのみこと)有り。
次に角樴尊(つのくひのみこと)活樴尊(いくくひのみこと)有り。
次に面足尊(おもたりのみこと)惶根尊(かしきねのみこと)有り。
次に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)有り。
〈樴(しよく)は、橛(くゑつ)なり[也]。〉】
《乾坤之道》
 天地開闢で生じた国常立尊から最初の三神は「乾之道」の神、すなわち男神であった。 その後の埿土煑尊沙土煑尊の代から「乾坤之道」、すなわち男神女神のペアとなったと述べる。
 一書の「男女耦生之神」も同じ意味である(下述)。
《神世七代》
※1:ひとまず5神すべてを男神と見做す(上述)。 ※2:独神の三世は、本文と共通であろう。
本文一書(1)一書(2)※1凡八神段一書(1)※2古事記
1国常立尊1国常立尊-1国之常立神
2国狭槌尊-
3豊斟渟尊-2豊雲野神
4埿土煮尊
(埿土根尊)
沙土煮尊
(沙土根尊)
2天鏡尊4埿土煑尊沙土煑尊3宇比地邇神須比智邇神
5角樴尊活樴尊4角杙神活杙神
5大戸之道尊
(大戸之邊尊)
(大戸摩彦尊)
(大富道尊)
大苫邊尊

(大戸摩姫尊)
(大富邊尊)
3天萬尊5意富斗能地神大斗乃弁神
6面足尊惶根尊
(吾屋惶根尊)
(忌橿城尊)
(青橿城根尊)
(吾屋橿城尊)
6


青橿城根尊
4沫蕩尊6面足尊惶根尊6母陀流神
阿夜訶志古泥神
7伊弉諾尊伊弉冉尊7伊弉諾尊伊弉冉尊5伊弉諾尊7伊弉諾尊伊弉冉尊7伊邪那岐神伊邪那美神
 本文では初めの三代はひとり神、次の四代は夫婦神である。
 右表のように整理してみると、古事記のいう「神世七代」と概ね対応していることが分かる。ただし古事記の場合は、二代が独神、五代が夫婦神である。
 一書(2)については神名は他とは随分異なるが、神が神を「生む」と表現されている。一書(1)でも「~の子」とあるので、おそらく本文の神世七代も親子関係として語られていたと思われるが、 意図的に親子関係として読まれることを避けた可能性もある。
 凡八神段一書では、独神は本文と共通であろうと思われるが、明記されていないので記述を控えた。 古事記本文凡八神段一書を混合したものから国狭槌尊を省いた形になっている。
《男女耦生之神》
 「耦生」のは「」と同意で、偶数の神がセットになって生まれることである。
 「」は時に「𫀽」に作られ、現代の版本では岩波文庫版がこれを採用していて「大橋寛治氏蔵卜部兼方本」によるものという。 これは極めて珍しい字で、ユニコード〔U+2B03D〕は定められているが諸辞書に語釈は載らず、おそらく何らかの字の異体字としてのみ現れる。
北野本乙本内閣文庫本類聚名義抄
 いくつかの影印本における書体を右図に示した。
 『類聚名義抄』〔日本古典全集刊行会1938〕には、 法下巻に「𫀽:フタナガラ トモカラ タグヒ トモ」が見え、禾偏の形だが語釈は「」のものである。
 内閣文庫本は「」が非常に明瞭である。 北野本、日本紀私記乙本も「」であるが、字形を見ると誤って禾偏として誤写され得る可能性は感じられる。『集解』・『通証』では「」で、おそらく「」の意味についての知識があったと思われる。
 このように考えると、現代の版本で禾偏の字を用いることはよい選択とは言えないであろう。
《大意》
 全部で八柱の神で、 乾坤(けんこん)の道に互いに混ざり生じ、 ゆえに、このように男女となりました。
 国常立尊(くにのとこたちのみこと)から 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなぎのみこと)まで、 これを神世七代といいます。

【一書(1)に曰く: 男女が偶数となって生じた神には、 まず埿土煮尊(うひじにのみこと)と沙土煮尊(さひじにのみこと)があり、 次に角樴尊(つのくいのみこと)と活樴尊(いくくいのみこと)があり、 次に面足尊(おもたりのみこと)と惶根尊(かしきねのみこと)があり、 次に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)があった。
 〈樴(しょく)は、橛(けつ)である。〉】


まとめ
 古事記を併せて読めば、神世七代は明らかに親子関係として受け止められていた。 しかし、親子として語ることによってイメージされる肉体的な生々しさを、日本書紀は避けたようである。
 すなわち、神を形而上の抽象的事物として位置づけようとしたと見られる。 しかし、伊弉諾・伊弉冉以後の神はすべて人格神だから、上代巻全体に神学的な純粋さを貫くことは全く不可能となった。



2026.05.12(tue) [01-03] 神代上3 

目次 【伊弉諾尊伊弉冉尊立於天浮橋之上】
伊弉諾尊伊弉冉尊、
立於天浮橋之上、
共計曰
「底下、豈無國歟」
廼以天之瓊
【瓊玉也、此云努】矛、
指下而探之、是獲滄溟。
其矛鋒滴瀝之潮、凝成一嶋、
名之曰磤馭慮嶋。
天浮橋…〈日本紀私記乙本〔以下乙本〕
 立於天浮橋安末乃宇岐波志乃宇倍尓太之上知万志天底下曽古津志太
 無國歟久尓奈加良牟哉天之瓊安万乃尓保古
 指下而左志遠呂志天探之加岐左久留
 エタリ滄溟古々尓安遠宇奈波良矛鋒保古乃左岐輿利滴瀝志太太留

〈日本紀私記〔以下甲本〕
 天浮橋アマノウキハシ底下ソコツシタアマノヌホココゝニヱヲ滄溟ウナハラアリ滴瀝シタゝリウシホ磤馭慮嶋オノコロシマ
〈内閣文庫本〔以下閣〕
 タゝスタゝシアマノ浮橋ウキハシノウヘ ニハカラタマハク底下ソコツシタニ養老説江シタツクニニナカラム ケン クニヤトノタマテ
 スハナチアマノ瓊玉ケイハタマナリ也此[ヲ][ハ]イフ トホコヲ
 指下サシヲロシテサクリシカマカキサクコゝニエキ滄溟アヲウナハラヲ
  ノ ノサキヨリ滴瀝シタゝルシホコテナレリ一嶋ヒ ノ シマニ
 名○イフオノ馭慮コロシマ

たたす…[自]サ四 タツの未然形+軽い尊敬の動詞語尾。古事記の訓注に「立云多多志(第33回)
…[名] ① 刀、剣等の兵器の尖端。② 器物の尖端。
滴瀝…〈汉典〉「状声詞。形容水滴落下的声音。to drip(of rainwater)」。
…[名] ① 潮汐。② 海水。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)、
[於]天浮橋(あまのうきはし)之(の)上(へ)に立たして、
共に計(はか)りて曰(のたまは)く
「底下(そこつした)に、豈(あに)国(くに)無(な)からむ歟(や)」とのたまひて
廼(すなはち)天之瓊(あまのぬ)
【瓊は玉(たま)なり[也]、此をば努(ぬ)と云ふ】矛(ほこ)を以ちて、
指下(さしおろし)て[而]探之(さぐりたま)へば、是(ここ)に滄溟(あをうなはら)を獲(え)てあり。
其の矛(ほこ)の鋒(さき)より滴瀝之(しただれし)潮(しほ)、凝(こ)りて一嶋(ひとつのしま)を成(な)せり、
之(こ)を名(なづ)けて磤馭慮嶋(おのころしま)と曰ふ。
二神於是降居彼嶋、
因欲共爲夫婦産生洲國。
便以磤馭慮嶋爲國中之柱
【柱、此云美簸旨邏】而
陽神左旋、陰神右旋、
分巡國柱、同會一面。
降居彼嶋…〈乙本〉降居安万久太利万寸磤馭慮嶋遠乃古呂志万
 國中之柱久尓奈加乃美波志良陽神陰神女神會一面志不尓安比弖

〈甲本〉ミハシラ陽神雄神ヲカミ陰神雌神メカミ
〈閣〉二神フタハシラノカミ於是 コゝニ-居アマクタリマシカノトス共-為-夫-婦四字連讀也ミコマクハヒシテ  ミトノマクハイシテ-生 ウマム洲-國 クニツチ
 國中クニノナカノハシラ左旋 ヨリメクリ ヒメメ カミ ヨリ ル-巡 メクテ ノミハシラヲアイキ一面ヒトツ ヲモテ[ニ]

為夫婦…古事記「美斗能麻具波比〔みとのまぐはひ〕を書紀古訓に用いたと見られる。
二神(ふたはしらのかみ)於是(ここに)彼嶋(そのしま)に降居(おります)、
因(よ)りて[欲]共に夫婦(ふうふ)と為(な)りて洲国(しまのくに)を産生(こうみ)せむとす。
便(すなはち)磤馭慮嶋(おのころしま)を以ちて国中之(くにのなかの)柱(みはしら)と為(な)し
【柱、此をば美簸旨邏(みはしら)と云ふ】て[而]
陽神(やうしん、をかみ)は左(ひだり)より旋(めぐ)りて、陰神(いむしん、めかみ)は右(みぎ)より旋(めぐ)りて、
分かれて国の柱(みはしら)を巡(めぐ)りて、同(おな)じきに一面(ひとつおもて)に会(あ)ひき。
時陰神先唱曰
「憙哉、遇可美少男焉。」
【少男、此云烏等孤。】
陽神不悅曰
「吾是男子、理當先唱。
如何婦人反先言乎。
事既不祥、宜以改旋。」
憙哉遇可美少男…〈乙本〉
 憙哉安奈宇礼志乎少男止古男子遠乃古安万志良乎
 婦人太乎也女尓之弖女乃古尓之弖先言乎古止左岐太津哉不祥左加奈志
〈甲本〉憙哉アナウレシヤ遇可美少男焉ウマシオトコニアヒヌ
〈閣〉陰神 メ ミマツトナヘテ憙哉アナウレシヱヤアヒヌ可美 トフキ ウマシ 少男ヲトコ焉【少男セウナム[ヲ][ハ]烏等孤
  スシ ヨロコハ吾是男子マスラヲナリコトハリ ヘシマサ  ツ フ如何イカムソ婦人メノコニシテタオヤメノカヘテサイタツヤコト
 事既[ニ]不祥サカナシ江同 ヘシ シク改旋アラタメ メクル

…①[動][名] 「喜」と同じ。②[感嘆詞] 息の声。
憙哉…習慣的に、古事記の音仮名表記「阿那邇夜志愛袁登古袁」に准じて訓まれている。
あな…[感嘆詞] 〈時代別上代〉「喜怒哀楽いずれにつけても使う」。

時に陰神(おむしん、めかみ)先(さき)に唱(とな)へて曰(のたまひしく)
「憙哉(あなうれしや)、可美少男(うましをとこ)に遇ひき[焉]。」とのたまひき。
【少男、此をば烏等孤(をとこ)と云ふ。】
陽神(やうしん)不悦(よろこばず)て曰(のたまへらく)
「吾(あれ)是(これ)男子(をのこ)なりて、理(ことわり)は当(まさ)に先(まず)唱(となふ)べし。
如何(いかにそ)婦人(めのこ)反(かへ)りて先づ言(いふ)乎(や)。
事既(すで)に不祥(さがなし)、宜(よろし)く以ちて改(あらた)めて旋(めぐ)るべし。」とのたまへり。
於是、二神却更相遇、
是行也、陽神先唱曰
「憙哉、遇可美少女焉。」
【少女、此云烏等咩。】
却更相遇…〈乙本〉
 是行古乃太比波少女
〈甲本〉是行コノタヒ少女オトメ
〈閣〉於是 コゝニ二神フタハシラノカミ カヘテ アフメクリ ミセタマヒヌ ノたひは陽神ヲ カミ先唱
 憙哉アナウレシエヤアイヌ可美ウマシ少女ヲトメニ焉 【少女セウチヨ[ヲ][ハ]イフ烏等咩
於是(ここに)、二神(ふたはしらのかみ)却(かへ)りて更(また)相遇(あ)ひて、
是行也(かくおこな)ひて、陽神(やうしん)先(まず)唱(とな)へて曰(のたまはく)
「憙哉(あなうれしや)、可美(うまし)少女(をとめ)に遇(あ)ひき[焉]。」とのたまふ
【少女、此をば烏等咩(をとめ)と云ふ。】。
因問陰神曰
「汝身、有何成耶。」
對曰
「吾身有一雌元之處。」
陽神曰
「吾身亦有雄元之處。
思欲以吾身元處合汝身之元處。」
於是、陰陽始遘合爲夫婦。
吾身有一雌…〈乙本〉
 有一雌元之處比正津乃三波志女止古呂安利下推准此思欲遠毛不
 始遘波自女天ハシメア不合爲夫婦美戸乃万具波非須
〈閣〉イマシミニアル成耶ナレル所カ江 レルコトカレル心カ ヤワカミニアリ ツノメノハシメトイフトコロ
 亦有ハシメトイフ ロ-欲オモフ テ吾身元處ハシメノトコロヲアハセムト汝身イマシカミノハシメノ ニ
 陰陽メヲ テ遘合ミトノマクナヒシテ夫婦ナルスヒ ヲト メト ミトノマクハヒス
遘合…男女が性交する。
因(よ)りて陰神(おむしん)に問ひて曰(のたまは)く
「汝身(いましがみ)に、有何成(いかになりてある)耶(や)。」とのたまふ。
対(こたへ)て曰(のたまへら)く
「吾身(あがみ)に一(ひとつ)の雌(め)の元(もと)之(の)処(ところ)有り。」とのたまへり。
陽神(やうしん)曰(のたまはひし)く
「吾身(あがみ)に亦(また)雄(を)の元(もと)之(の)処(ところ)有り。
以ちて吾身(あがみ)の元の処を汝身(いましがみ)之(の)元の処に合(あ)はさむと思欲(おもほ)す。」とのたまひき。
於是(ここに)、陰陽(おむやう)始めて遘合(みとのまぐはひ)して夫婦(ふうふ)と為(な)りぬ。
《底下豈無国歟》
 「磤馭慮嶋」ができるまでは大筋で古事記と共通する(第33回)
 ただし古事記では「天神諸命」の指令によって行ったが、書紀では二神自身の意思で行った。 これは、天地開闢から間もない時点で既に天に神々がいるのは理屈に合わないからであろう。
《滴瀝之潮》
 「」は、ここでは海水のしずくである。倭語のウシホシホも「潮」と同じく潮汐または海水を指す。
《磤馭慮嶋》
 淡路島の南に浮かぶ沼島に「自凝神社〔兵庫県南あわじ市沼島73〕がある。 社頭表示によると、島の「おのころ山」そのものが御神体山とされ、寛政年間〔1789~1801〕に小祠を建て、神殿が建造されたのは1923年という。
 淡路島内にも「自凝島神社〔兵庫県南あわじ市榎列下幡多415〕がある。
 淡路島には伊弉諾神宮もある。 書紀と古事記において国生みの最初が淡路島であることも考えると、 イザナギ・イザナミ伝説の発祥地が淡路島であったことは確定的である。
 2015年五月に、南あわじ市で7個の松帆銅鐸が発見された([南あわじ市公式|松帆銅鐸])。 付随した植物片の年代測定により、前4~前2世紀に埋められたことが判明した。 九州に渡来した民は、その一部が瀬戸内海を東進して淡路島にいったん累積し、そこでひとつの文化を形成したことが考えられる。
 そこに、東南アジア・台湾方面から兄妹の柱廻り・生みそこない神話が伝わった可能性もある(第34回)。
《洲国》
 書紀古訓は「」を「ツチ」と訓む。しかし、生んだ八つの洲は、まとめて大八島国という。 よって、洲国は、その意に繋がるようにはっきりシマノクニと訓まれるべきである。
《以磤馭慮嶋為国中之柱》
 この構文〔以A為B〕においては、確実に「磤馭慮嶋〔の山〕を国の中心の御柱と見做して」という意味である。 すると、古事記の「見立天之御柱(第34回)は、現代語の「見立てる」と同様の意味で読まざるを得ない。
 しかし、古事記の場合は場所を見立てた上でさらに物理的に巨柱を立てたと読むことも可能である。それは、頭の中で描く物語だからである。神話を受け止める感覚としてはむしろこの方が自然であろう。 結局、どちらと読んでも差し支えないと思われる。
《陽神/陰神》
 神の性別を意識する場合の呼称においては、メガミはよく使われるがヲガミはあまり使われない。 さらに上代の言語空間では、メガミも怪しい。神々を概念的に性別で括る言い方はあまりなされず、個別の神ごとに接尾辞「~ヒコ」「~ヒメ」で判別されたと思われる。
 「陽神・陰神」の訓は、いっそのこと「イザナギノミコト」・「イザナミノミコト」にしたらどうだろうか。 あるいは、陰陽〔オムヤウ〕が上代に既に普及していたことを考えれば、ヤウシン・イムシンでも問題はないであろう。
 なお、日本紀私記には興味深い話が載る。
 『釈日本紀』巻十六:秘訓一神代上
陽神陰神:
私記曰。…師説。読陰陽雌雄。安氏説。陽神読ヒコ神。陰神読ヒメ神
…又公望私記云。案。養老等説如師説也。安氏説出誰口哉。
〔師説〔博士の説〕では陰陽を雌雄〔メ・ヲ〕と読む。安氏〔太安万侶〕説では陽神をヒコ神、陰神をヒメ神と読む。 一方、公望〔矢田部公望〕の私記では「案ずるに養老等の日本紀講例では師説の通りである。安氏説は誰の口から出たのだろうか」という。〕
 すなわち、訓みは基本的にヲ神・メ神だが、ヒコ神・ヒメ神と訓む説もあったようである。
《憙哉》
 憙哉の古訓は「アナウレシヤ」。「為夫婦」とともに、明らかに古事記の音仮名表記が書紀古訓に取り入れられている。 古事記を再発見したのは本居宣長であるが、奈良時代・平安時代にはまだ古事記は身近なところにあったと思われる。 むしろ、私記には太安万侶が書紀訓読にも関わっていたことが示される(下述)。
 そもそも日本紀は漢文の書を目指したのであるから、本来は音読すべきという考え方もあり得るかも知れない。 しかし、ミトノマグアヒアナウレシヤは古事記の表現法を用いたと見られるから、この古訓は正真正銘当時の上代語である。 そもそも書紀自体歌謡は上代語で、原注において訓が示される箇所もある。よって日本書紀を当時の倭語で訓読することは、正当な読み方である。
 反面、漢籍をそのまま利用した部分では、しばしば上代語による倭読は困難である。 よって、日本書紀はその本質において、純正漢文と和文の複合体であったと捉えるべきであろう。
《陽神不悦曰》
 古事記では、この後構わずに交わったが、生まれたのは「水蛭子」と「淡嶋」で、正規の子としなかった。 その後いったん天に戻って天の神々と相談し、そのアドバイスに従って御柱を廻るところからやり直したと記されている。
 ところが書紀本文では、この件がすっぽり欠けている。 やはり、書紀の宇宙観では天にはまだ神々は置けなかったのであろう。
《遘合為夫婦》
 〈釈紀-秘訓〉私記曰「…安氏説。始遘合二字読ミトノマグハヒ。為夫婦三字読如本字。旧説又有同安家者也。〔初めの「遘合」の二字はミトノマグハヒと読め。「為夫婦」の三字は本の字の如く読め。旧説にもまた安家と同じくするものがある〕
 安氏安家太安万侶を指すことは確実である。「元字」の「」は漢字のことだから、音読せよとの意味であろう。
 夫婦の和語としてはメヲト〔古語辞典の文例は今昔〔平安末〕〕、メヲトコ〔同じく宇治拾遺〔鎌倉初期〕〕がある。 上代語にはヲフト(ヲヒト)〔夫〕・メ〔妻〕があるが、繋いでヲフトメまたはメヲフトとした形は確認できない。
 もし存在したのなら、安万侶は「本字」とは言わずにその訓を示したであろう。
《雌(雄)元之処》
 〈釈紀-述義〉「雌元之処メノハシメトイフトコロ: 私記曰。問。何故謂之元処哉。答。凡男女初生之時。先見此処定男女。故謂之元処耳。下雄元又同〔問:なぜ元処はじめのところというか。答:凡そ男女が生まれたとき、まずここを見て男女を定める。ゆえに元処(はじめのところ)という。…〕
 「」をハジメと訓むとこうなるであろう。しかし、モト、即ち雄雌を決定する根源の部分としてと訓んでもよいと思われる。
《大意》
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、 天(あま)の浮橋の上に立って 共に計り、 「下界に国がなくてもよいだろうか」と言い、 そこで天(あま)の瓊【瓊は玉のことで、「ぬ」と訓む】 矛(ぬほこ)を まっすぐ降ろして探ったところ、青海原がありました。 その矛の先端から滴り落ちた潮は、凝固して一つの島となりました。 その名を磤馭慮(おのころ)島といいます。
 二神はその島に降りたち、 共に夫婦となって島国を産もうと考えました。 そこで磤馭慮島を国の中心の柱とし て、 陽神は左から巡り、陰神は右から巡り、 分かれて国の柱を回って、同じところで出会いました。
 その時、陰神が先に 「まあうれしい、よい男に会ったこと。」と唱えました。
 しかし陽神は不機嫌になり 「私は男子であるから、理(ことわり)によって先に唱えるべきだ。 どうして逆らって女子が先に言ってよいものか。 やってしまったがよくないから、回り直そう。」と言いました。
 そして、二神はやり直して再び出会い、 こんどは陽神が先に 「ああうれしい、よい乙女に会えた。」と唱えました 。
 そして陰神に 「お前の体は、どのようなつくりか。」と問いました。 それに答えて、 「私の体には一か所の女性の元のところがありますわ。」と言いました。 陽神は 「私の体にも、また男性の元のところがある。 そこで、私の体の元のところをお前の体の元のところに合わそうと思う。」と言い、 こうして陰陽が初めて御処(みと)の交(まぐわい)をして夫婦になりました。


目次 伊弉諾尊伊弉冉尊立於天浮橋之上/及至産時先以淡路洲為胞】
及至産時、
先以淡路洲爲胞、
意所不快、
故名之曰淡路洲。
及至産時…〈甲本〉エナ
〈閣〉 ルニ産時コウム トキニ ツ淡路洲アハチノシマヲエトミコゝロニトコロナリ ルヨロコヒ
 カレイフ淡路洲アハチノクニト

及至…〈汉典〉「[until;up to]表示等到〔=when〕某種状況出現;直至〔=till〕」。
…[名] 羊膜。子宮。膀胱。「胞衣」は羊膜と胎盤。

産(こうみ)の時に至(いた)るに及(およ)びて、
先(まづ)淡路洲(あはぢのしま)を以ちて胞(え、えな)と為(し)て、
意(おもひ)は所不快(こころよからじ)、
故(かれ)之(これ)を名(なづ)けて淡路洲(あはぢのしま)と曰ふ。
廼生大日本
【日本、此云耶麻騰。
下皆效此】
豐秋津洲。
次生伊豫二名洲。
次生筑紫洲。
次雙生億岐洲
與佐度洲、
世人或有雙生者象此也。
廼生大日本…〈乙本〉布太古有雙生者安留伊波布太古宇牟巳止安留波
〈閣〉スナハチウムヲホ日本ヤマト日本ノモイ本此云耶麻騰ヤマトシモナラヘ此也】 豊秋津洲トヨアキツシマ
 二名洲フタナノシマ筑紫ツクシノ億岐ヲキノトヲ
 ヒトアルイハアルハ雙生フタコウムコトコレニカタトテナリ
廼(すなはち)大日本(おほやまと)
【日本、此をば耶麻騰(やまと)と云ふ。
下(しもつかた)皆(みな)此(これ)に効(なら)へ】
豊秋津洲(とよあきつのしま)を生む。
次に伊予二名洲(いよのふたなのしま)を生む。
次に筑紫洲(つくしのしま)を生む。
次に双(ふたごなる)億岐洲(おきのしま)と
佐度洲(さどのしま)与(と)を生みて、
世人(よのひと)或(ある)は双(ふたご)生(う)む者(ひと)有らば此(これ)に象(かたど)れり[也]。
次生越洲。
次生大洲。
次生吉備子洲。
由是、
始起大八洲國之號焉、
卽對馬嶋壹岐嶋及處處小嶋、
皆是潮沫凝成者矣、
亦曰水沫凝而成也。
次生越洲…〈閣〉
 コシノヲホ吉備キヒノヲコレリ大八洲ヲホヤシマノ ノナヲ對馬シマ壹岐ユキノ
  ハ皆是潮沫凝成者シホノアハノコリテナレルモノナリ𡖋 ハイフミツノ ノ凝而ナルトモナルトモイフ 江
みなわ…[名] 水の泡。
次に越洲(こしのしま)を生む。
次に大洲(おほしま)を生む。
次に吉備子洲(きびのこじま)を生む。
是(こ)に由(よ)りて、
始めて大八洲国(おほやしまのくに)之(の)号(な)を起(お)こせり[焉]。
即(すなは)ち対馬嶋(つしまのしま)壱岐嶋(いきのしま)及びに処処(ところところ)の小嶋(こじま)、
皆(みな)是(これ)潮(うしほ)の沫(あは)凝(こ)り成(な)せる者なり[矣]、
亦(また)水沫(みなわ)凝(こ)りて[而]成せりと曰ふ[也]。
《以淡路洲為胞》
 ここでは「以~為~」は判断や作為ではなく、現象の客観的記述と見られる。すなわち「淡路洲は胞であった」。
《淡路洲》
 古事記との相違点は、一回目の柱廻りの後には子を作らず、 二回目の柱廻りの後の最初に生んだ淡路島を生み損ないの位置にあてているところ、また「水蛭子」が生まれないところである。
 古事記では、「淡道之穂之狭別嶋」は正しい作法によって初めて生まれた記念すべき子であるが、書紀本文では「淡路洲」は出来損ないの子として貶められる。
 このように正反対ともいうべき位置づけとなったのは、古事記にはそれぞれの地方が誇りとする独自の言い伝えに寄り添う姿勢があったことに対して、 書紀は畿内を華夏として高め地方を後進地域と位置付けたためと考えられる。
 同様のことは、出雲の扱いについてもいえる。
《胞》
 「~胞」は生物体を構成する袋状の構造一般をいう〔細胞、膿胞など〕。胎児の場合は羊膜で包まれた袋である。 倭語のエナは羊膜・胎盤・臍帯などの付属物で、後産で排出されるものを指すと考えられる。漢語では胞衣・胎衣にあたる。
 この段でいう「」は、胎衣のようなものばかりで人の形をなさないものと解釈される。
《故名之曰淡路洲》
 「故名之曰淡路洲〔だから名前をアハヂという〕というが、これはどういうことであろうか。
 〈釈紀〉(述義一:神代上)には「私記曰」として「之淡路。其意如何」との質問が出され、 これに答えて「淡路猶言吾恥也。言吾初自謂必生珍子。而今不意先生此悪子。故名之吾恥嶋〔最初の子は必ず珍子〔=めったにない貴い子〕であってほしいと思ったが、意図せず先に悪しき子が生まれてしまった。これは私の恥だから「吾恥(アハヂ)嶋」という〕と述べたことが載る。 淡路洲のどこが悪いかというと、「自産広大之洲。而不意之他。先生小島〔広大な島を望んだが意に反して小さな島が生まれた〕からだという。
 なお、この文中には「必有胞衣者也。是初産之時先出者也〔胞衣は必ず初産のはじめに出るものである〕ともあるが、これは医学的に見て誤りである。
《大日本》
 これが日本の公的文献における「日本」の初出。原注「此云耶麻騰。下皆効」は、書紀ではヤマトの表記に「日本」を用いると宣言したもの。 対外的には、既に国号「日本」を用いていて、中国では隋唐音で[niĕt-puən]と発音されたと考えられる。漢音はニホン〔ホの当時の発音は[po]〕
 『旧唐書』の
 『旧唐書』〔945年成立〕高麗百済新羅倭国日本伝 
倭国者古倭奴国也…
貞観五年〔630〕遣使献方物…
日本国者倭国之別種也。以其国在日辺故以日本名。或曰倭国自其名不雅改為日本
長安三年〔703〕其大臣朝臣真人来貢方物…
 によれば、倭国から中国への上表において国号「日本」を用いるようになったのは630年から703年までの間となる。
 また、『三国史記』新羅本紀〔1145年成立〕には、 文武王十年〔670;〈天智〉九年〕十二月に「倭国更号日本、自言近日所レ出以為一レ名。」が見える。
 『三国史記』の成立自体は12世紀だから正確な史実と言い得るかどうかという問題はあるが、白村江の戦い〔〈天智〉二年〕の前後には倭国から大量の文書が百済・高句麗・新羅に送られていたと思われるので、 その文章中に国号「日本」が用いられていた事実が新羅本紀に反映されたと考えることは十分可能である。
 この国号の発想自体は、大業三年〔607;〈推古〉十五年〕(隋書倭国伝)日出処天子致書日没処天子」まで遡るから、670年頃としてもそれほど不自然ではない。
 なお、書紀でも倭から日本への置き換えが及んでいないと思われる「明神御大八洲倭根子天皇(〈天武〉十二年正月)が見え、興味深い。 これは、おそらくこの詔が文書として残っていて、それに手を加えることが憚られたためと思われる。倭根子の表記が日本根子になるのは、〈続紀〉「日本根子天津御代豊国成姫天皇」(〈元明〉;707年即位)に見える。
 また、書紀でも地域名としての「〔大和国など〕、氏族名の中の「」はそのままにしている。
 〈続紀〉になっても詔で国内に向けて国号をいうときは「大八洲国」が多く、「日本国」は専ら唐、新羅、渤海など外国からの使者の上表中に現れる。 よって、奈良時代になっても「日本」は主に外交文書で用いられた国号ということかも知れない。
《豊秋津洲》
 (トヨ)は美称。秋津洲〈神武〉三十一年に知名由来譚があり、 嗛間丘に登って国見したときに、たまたまアキヅ〔トンボ〕が交尾していたのを見たことに由来する。 もともと旧掖上村・旧秋津村の地域〔現御所市〕を指し、それが倭国の別称に転じた(第105回)。
 島生みの島は西日本の範囲で、また越を別島とするから、大日本豊秋津洲の範囲は畿内〔もしくは畿内+山陽・山陰〕に相当すると考えられる。
 よってこの伝承の原形は朝廷が勢力圏を東国に広げる以前に成立したと考えられる。 東北地方の太平洋岸側の朝廷の進出は、朝廷軍を日本武尊に人格化した東征伝説として記されたが、その時期は471年から150年間ぐらいだと推定した(〈斉明〉四年【常陸国側の進出】)
 なお、古事記と書紀とでは島生みの順番は異なるが、島の名称は両者で一致するので、その名称自体は古事記スタッフと書紀中心メンバーとの間で共有されたと考えられる。
 本文と一書及び古事記の島生みリストの対照表を第35回【書紀との違い】で示した。
《億岐洲/佐度洲》
 かつて大国主が支配した日本海王国は、前漢~三国時代の中国や朝鮮半島との活発な交流があったと考えられる。 隠岐島佐渡島が取り上げられるのは、表玄関が日本海側であった頃の状況を反映したと考えられる。
 第54回【天壁立】項で、出雲風土記に出てくる「天壁立」は立山連峰のことで「古代出雲王国が、日本海側一体を国土としていた頃の記憶が反映」したものと見た。 同回まとめでは「四隅突出型墳丘墓が、山陰一体に、少し遅れて北陸に分布している」ことを、その推定の根拠として取り上げた。
《越洲》
 越洲は豊秋津洲嶋とは地続きだが、にも関わらず別の嶋とされるのは、独立性の高い地域だったためであろう。 古事記では「大八島」に越島はなく逆に「小豆嶋」を島生みの島に入れ、この方が実際の地理には合っている。
《大洲》
周防大島 吉備児島
 「大島」は、全国に数多く存在する[都道府県市区町村|地名コレクション]によれば72個〕。 よって特定は困難かと思われたが、「億岐洲」や「佐度洲」が現代の島に特定できることを考えれば、少なくとも現実に存在した島がイメージされていたはずである。 その候補とされるのが山口県の矢代島で、別名「周防大島」は周辺の島々を含めて「周防大島町」という行政区画として残っている。
 矢代島には大多満根神社〔大島郡周防大島町西三蒲10-1〕がある。 社頭掲示の「御由緒」には「御祭神:主神 大多満流別。合祀 豊玉彦命・豊玉姫命・塩土老翁」、「〔古事記島生み段にいう〕大島とは本島のことで当神社の初め飯の山山頂に磐境をきづき神籬〔ひもろぎ〕を立て…西暦550年頃、飯の山裾の古明神というところに社殿を建立、後昭和十八年現在地に遷座」などと書かれている ([神社探訪|大多満根神社])大多麻流別は古事記でいう大嶋の「亦名(第36回)
 周防大嶋町誌〔大島町誌編纂委員会1959〕は、 「大和朝廷の皇威がだんだんひろがって、時にはすでに国を成している所が皇威になびいていることを順序に列挙したもの… 大島はその首長に大多麻流別命を任命した…別(わけ)であるから皇別である」と述べる。
 これらは地元が国生み神話の大島は周防大島に該当すると自認したものだが、現在の地元山口県や周防大島町では「国生みの島大島」にあまり関心はもたれていないようである。
 瀬戸内海の島々の面積を比べると、屋代島は、淡路島〔592.2㎢〕、小豆島〔153.3㎢〕に次ぐ第三位〔128.3㎢〕となり一定の大きさがある([瀬戸内Finder])。 隠岐の島後〔241.6㎢〕よりは小さいが、 吉備児島とともに瀬戸内海の重要な海上交通路に当たっていた。その存在感が、面積で劣ることをカバーするとも考えられる。
《吉備子洲》
 吉備子洲は〈倭名類聚抄〉{備前国・児島郡}にあたり、現在は本土と繋がって児島半島となっている(第167回《吉備国児島》項、第126回【穴神】項)
 瀬戸内海の小豆島は周防大島より大きい。小豆島は古事記では島生みの島に入れるが、書紀では全く記述がない。 古事記には「亦名」として示される吉備児嶋」の「謂建日方別」、小豆嶋の「大野手比売」、大島の「大多麻流別」はそれぞれを本拠とした氏族の首長と見られる。 それぞれ独立性の高い大族であったことにより、特に島生みの島にあてられたと見られる。
《大八洲国之号》
 記紀が成立した時代に「」という数字へのこだわりは強い。素戔嗚尊は八岐大蛇を退治し、その話にはに因んだ事柄が多数ある(第52回)。 「八紘而為」(〈神武〉己未年)は八方をひとつの屋根の下に置く意味。 〈舒明〉帝以後、天皇陵は八角墳となる(【牽牛子塚古墳】)。八角形の法隆寺夢殿(【斑鳩宮】)。 丸軒瓦の文様、例えば興福寺の複弁八葉蓮華文。枕詞ヤスミシシ〔八隅知し〕には天子の威光を八方の隅々に行きわたらせる発想がある。これらの根源を辿ると八卦に行きつくように思われる。 すなわち、八卦の表す世界の八方位を網羅するという発想である。
 書紀では島生みで生まれたシマには、その他はという使い分けがなされている。 「」は潮沫凝成もしくは水沫凝成によって自然にできたものと規定される。
《対馬嶋/壱岐嶋》
 古事記では「大八島」に入っているが、書紀では「大八洲」から除かれている。 大陸との交流の経路にあたり、魏志倭人伝にも描かれた重要な島であるが、古事記はその伝統を重んじたのに対し、書紀は畿内を上とする国家観により辺境と位置付けたと考えられる。
《大意》
 時は出産に至り、 最初の淡路洲(あわじのしま)は、胞衣(えな)〔後産で生まれるもの〕でした。 心は不快で、 よって、これを淡路洲(あわじのしま)といいます。
 あらためて大日本(おおやまと) 【日本は「やまと」と訓む。 以下も同様】 豊秋津洲(とよあきつしま)を生みました。 次に伊予二名洲(いよのふたなのしま)を生みました。 次に筑紫洲(つくしのしま)を生みました。 次に双子として億岐洲(おきのしま)と 佐度洲(さどのしま)を生み、 世の人は、或いは双子を生む人がいればこれに準えました。 次に越洲(こしのしま)を生みました。 次に大洲(おおしま)を生みました。 次に吉備子洲(きびのこじま)を生みました。
 これによって、 初めて大八洲国(おおやしまのくに)の名が起こりました。
 すなわち、対馬嶋(つしま)壱岐嶋(いきのしま)など所々の小さな島は、 皆潮の泡が凝結したもの、 または水の泡が凝結してできたものといいます。


まとめ
 古事記の伊邪那岐・伊邪那美が沼矛を地表に降ろしてから島生みまでの経過はとても味わい深く描かれ、 そこには淡路島の伝説を貴重な民族の宝として紹介する姿勢が見えた。
 書紀はその物語を概ね採用してはいるが、割り切って整理している。 古事記が伊邪那岐・伊邪那美以外に既に天の神々がいるとするのは確かに矛盾であるから、書紀がそれを修正したことはその限りでは妥当である。
 しかし、島生みを八洲に限定してそれ以外は自然に生じたとして線を引くのは、いかにも御都合主義である。 古事記では、大八島を生み終えた後もさらに島を生み続ける。それでも地上の島全部を漏らさず生んだかどうかは不明であるが、 曖昧なままにして置くのもまた味わいであろう。
 島生み神話はヤマトタケル伝説よりも古い時代から既に存在していた可能性もあり、そのような古い話は矛盾があっても放置して霧のかなたに置くのもまたよい。 書紀は話を単純化して味わいを損なわせ、しかも淡路島を重視した本来の生まれ順を恣意的に変更して畿内の外国とつくにに対する優位性を表現する形に改竄してしまったのである。



2026.05.14(thu) [01-04] 神代上4 

目次 伊弉諾尊伊弉冉尊立於天浮橋之上/一書[1]-(1)】
《一書[1]-(1)》
【一書(1)曰。
天神謂伊弉諾尊伊弉冉尊曰
「有豐葦原千五百秋瑞穗之地、
宜汝往脩之。」
廼賜天瓊戈。
於是二神、立於天上浮橋、
投戈求地。
天神…〈内閣文庫本〔以下閣〕天神アメノカミカタ
 アリ豊葦原トヨアシハラノ秋瑞穗アキミツホノクニ
 ヘシトノタマイヨロシクイマシユイテシラス チ フアマノホコタゝシ-アマノ
投戈求地…〈乙本〉投戈保古乎奈介久太志弖求地久尓乎毛止牟ルトキニ
〈閣〉サシクタシサシヲロシモトモ クニ
【一書(あるふみ)(1)に曰はく。
天神(あまつかみ)伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)に謂(かた)りて曰はく
「豊葦原千五百秋瑞穗(とよあしはらのちいほあきみづほ)之(の)地(ところ)有りて、
宜(よろし)く汝(いまし)往(ゆ)きて脩之(をさ)むべし。」とかたりて
廼(すなは)ち天瓊戈(あまのぬほこ)を賜(たま)へり。
於是(ここに)二(ふたはしら)の神、[於]天(あま)の上(へ)の浮橋(うきはし)に立たして、
戈(ほこ)を投(なげ、さしおろし)て地(つち)を求(もと)めり。
因畫滄海而引舉之、
卽戈鋒垂落之潮、
結而爲嶋、
名曰磤馭慮嶋。
二神、降居彼嶋、
化作八尋之殿、又化竪天柱。
画滄海…〈乙本〉畫滄海而_引_舉之安乎宇奈波良乎志保已呂乎尓加岐奈志氐
 垂落志太太゛留降居彼嶋曽乃志摩尓安末久太゛利万須
 化作八尋之殿也比呂止乃奈良美太津結而已利氐
 化竪天柱安末乃美波志良乎美太津

〈閣〉ヨテ畫滄海而カキナシテ アヲウナハラヲコホロコヲロニカキナシテヒキニ江アクルトキ
  ノサキヨリ=二字引合シタゝル/シタリ/オツルシホナル シマトオノシマ
 マヒクタリマシ[ノ][ニ]-作 ミタツヤ-尋-之-殿ヒロ  トノ師説也比呂止乃乎
 -竪 ミタツアメノミハシラ

因(よ)りて滄海(あをうなはら)を画(か)きて[而]之(こ)を引き挙(あ)ぐれば、
即(すなは)ち戈鋒(ほこさき)より垂落之(しただれし)潮(しほ)、
結(こ)りて[而]嶋(しま)と為れり、
名づけて磤馭慮嶋(おのころしま)と曰ふ。
二(ふたはしら)の神、彼(その)嶋に降(くだ)り居(ま)して、
八尋之殿(やひろのとの)を化作(たてり、みたてり)、又(また)天柱(あまのみはしら)を化竪(たてり、みたてり)。
陽神問陰神曰
「汝身有何成耶。」
對曰
「吾身具成而有稱陰元者一處。」
陽神曰
「吾身亦具成而有稱陽元者一處。
思欲以吾身陽元合汝身之陰元。」
汝身…〈閣〉イマシ[カ][ニ]アルナニノ/ナレル所カ
〈閣〉具成ナリ ナリアリイフメノメノモトイフ/ハシメトモノモノヒトトコロ〔陰ノ元ト称フ者一処有り〕
 アリイフヲノハシメトモノヒトトコロ
 欲 以 [カ][ノ][ノ]ハシメノトコロアハセムトイマシカミノメノハシメ
陽神(やうしん)陰神(いむしん)に問ひて曰(い)はく
「汝身(いましがみ)に何(いかに)や成りて有る耶(か)。」といへば
対(こた)へて曰(い)へらく
「吾身(わがみ)具成(つぶさになりて、なりなりて)[而]陰(め)の元(もと)と称(い)ふ者(もの)一処(ひとつところ)有り。」といへり。
陽神(やうしん)曰(い)はく
「吾身(わがみ)に亦(また)具成(つぶさになりて、なりなりて)[而]陽(を)の元(もと)と称(い)ふ者一処(ひとつところ)有り。
吾身(わがみ)の陽元(をのもと)を以ちて汝身(ながみ)之(の)陰元(めのもと)に合(あ)はさむと思欲(おもほす)。」と
云爾卽將巡天柱約束曰
「妹自左巡、吾當右巡。」
既而分巡相遇、
陰神乃先唱曰
「姸哉、可愛少男歟。」
陽神、後和之曰
「姸哉、可愛少女歟。」
遂爲夫婦。
後和…〈乙本〉後和答也爲夫婦千比止志弖
云爾…〈閣〉イフ シカ チマサメクラムトアメノ約束チキリテイロトハ
  ヨリメクラム シワカルメクリテメクリアイタマヒヌ姸哉アナニエヤ可愛少男オトコ
 コタエテオトメ為夫婦ミトノマクハヒシテ
爾(かく)云ひて、即(すなは)ち将(まさに)天柱(あまのみやしら)を巡(めぐ)らむと約束(ちぎ)りて曰ひしく
「妹(いも)は左(ひだり)自(よ)り巡(めぐ)れ、吾(われ)は当(まさ)に右より巡らむ。」といひき。
既(すで)にして[而]分かれ巡り相遇(あ)ひて、
陰神(いむしん)乃(すなは)ち先(さき)に唱(とな)へて曰へらく
「姸哉(あなにゑや)、可愛(え)少男(をとこ)は[歟]。」といへり。
陽神(やうしん)、後(のち)に和之(あまな)ひて曰はく
「姸哉(あなにゑや)、可愛(え)少女(をとめ)は[歟]。」といひて、
遂(つひ)に為夫婦(ふうふとなれり、みとのまぐはひせり)。
《天神》
 一書[1]では古事記と同じく天に神がいて、伊弉諾尊・伊弉冉尊はその指示によって行動する(第33回)。 物語は次々項と島の生み順を除けば古事記とほぼ一致する。書紀本文が変更を加える前の形を、資料として載せた如くである。 書紀による書き換えに異議を唱えた伝承蒐集スタッフに配慮したような気配が感じられる。
《豊葦原千五百秋瑞穗之地》
 大八洲島国と並んで、これも倭国本土の別名である。五百〔イホ〕千五百〔チイホ〕は数の多いさまをあらわす。 これを簡略化した葦原中国豊葦原中国もしばしば使われる。
《投戈求地》
 〈内閣文庫本〉の「サシオロシ」、「サシクタシ」は「」を古事記の「指下」に作ったもの。 〈乙本〉「」の字のまま「奈介久太志弖〔投げ下して〕と訓んでいる。 「投げる」動作だが戈から手を離さない、あるいは一旦手から離れたが掴みなおしたことも考え得る 〔頭の中で描く神話だから、腕はどれだけでも伸ばせる〕からナグと訓んでも特に問題はないだろう。
《画滄海》
 「」への古訓として、古事記の「許袁呂許袁呂邇画那志〔コヲロコヲロニカキナシ〕(第33回)が用いられている。
《化作/化竪》
 古訓は「化作」・「化竪」を「美田津」と訓み、やはり古事記の「見立」によっている。但し、古事記の前段の訓注では「」を「タタシ」としていた。
 なお〈乙本〉の「化竪天柱」の「安末乃美波志良乎美太津〔天の御柱を見立つ〕は意味が通るが、 「化作八尋之殿」の「也比呂止乃奈良美太津〔八尋殿ナラ見立つ〕は意味が通らない。この「奈良」は「」の誤りであろう。 〈内閣文庫本〉の「私説也比呂止乃ヤヒロトノヲ」はこの訂正を言ったものと思われる。
《陽神問陰神曰》
 書紀第三巻以後においては、天皇を主語とする動詞にタマフをつけることは自明となっている。  伊弉諾尊・伊弉冉尊は神であるから尊敬表現すべきもので、古事記の「タタス」はその意味かと思われる。 しかし、尊敬表現を貫こうとすると例えば「陽神問陰神曰」は「陽神、陰神に問ひたまひて曰(のたま)はく」となるが、 煩雑で神話の味わいが損なわれよう。
 とくに「云爾」については、これも「かくのたまひて」と訓むべきなのだろうか。
 そもそも漢文の「」は引用符の役割をする形式的な文字なので、倭読では省略できる場合は略し、せいぜい軽くイハクを用いればよいと思われる。 特に伊弉諾尊・伊弉冉尊の物語において言えよう。
《具成》
 古訓は「具成」に、やはり古事記の「成成」をあてている。
《妹自左巡吾当右巡》
 すなわち、一書[1]では、一回目は陰神が左から回る。この箇所は古事記とも相違し、一回目の柱廻りは回り順も誤った如くである。 古事記、書紀本文ともに二回とも陽神が左である。この時代には、左大臣・右大臣の関係のように左を優位とすることが関係あるかも知れない。
 話としては回る方向を間違えた方が自然、かつ面白い。。 先に言葉を発するのは男でなければならないという考え方は、男性優位の思想によって比較的新しい時代に付け加わったのではないだろうか。 よって、この部分に限っては一書[1]の方が古い形を残しているように思える。
《和之》
 古訓ではを「コタフ」と訓むが、単に答えるだけではなく相手と感情を共有して喜ぶ様子を表すニュアンスの語であろう。 「」をアマナフと訓む箇所もある(十七条憲法)
《大意》
 【一書(1)に曰く。 天神(あまつかみ)は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)に 「豊葦原千五百秋瑞穗(とよあしはらのちいほあきみづほ)の地が有る。 お前たちはそこへ行って治めよ。」と語り、 よって天瓊戈(あまのぬほこ)を賜った。
 そこで二神は、天上の浮橋(うきはし)に立ち、 戈を投げ降ろしてて地を求めた。 その結果、青海原を画いてこれを引き上げたところ、 戈鋒〔ほこの先〕から滴り落ちた海水が、 凝固して島となり、 名づけて磤馭慮嶋(おのころしま)という。
 二神は、その嶋に降り居て、 八尋之殿(やひろのとの)を見立て、また天の御柱を見立てた。
 陽神が陰神に 「汝身(いましがみ)に何(いかに)や成りて有る耶(か)。」に問うたところ、 陰神は 「私の体には成りなりて陰(め)の元というものが一か所ある」と答えた。 陽神は、 「私の体にもまた、成りなりて陽(を)の元というところが一か所ある。 私の体の陽の元を、お前の体の陰の元に合わせようと思う。」と、 このように言って、天の御柱を巡ろうと約束してこう言った。
 「妹(いも)は左から巡れ。私は右から廻ろう。」。 こうして分かれて回りめぐり合ったところで、 陰神が先に 「まあ、よい男子であること。」と唱えた。 陽神は、後で気持ちを和して 「おや、よい少女である。」と言い、 遂に夫婦となった。


目次 伊弉諾尊伊弉冉尊立於天浮橋之上/一書[1]-(2)】
《一書[1]-(2)》
先生蛭兒、
便載葦船而流之。
次生淡洲、
此亦不以充兒數。
故、還復上詣於天具奏其狀。
時天神、以太占而卜合之、
乃教曰
「婦人之辭其已先揚乎。
宜更還去。」
先生蛭児…〈乙本〉流之奈加志也利弖淡洲安波志麻
 不以充兒數古乃加須尓安弖須゛還復加倍利弖上詣於天安女尓乃保利万為天
 卜合宇良奈布揚乎安介太礼波加

〈甲本〉蛭兒ヒルコ
〈閣〉ウム蛭兒ヒルコヲ便ノセアシノ ニ流之ナカシヤル/ハナチヤリキアハノ[テ]イレコノカス[ニ]
 カレ還-復カヘリテ-詣ノホリ マヰテ/ノホリ /マウテゝアメ[ニ][ニ]申シタマウカタチ/アリサマヲ
 フトマニ卜合ウラフ チアシワイテタヲヤメノコトアケタレハムヘヨロシク還去/カヘリヰネカヘレトノタマフ

先(ま)づ蛭児(ひるこ)を生みて、
便(すなは)ち葦船(あしふね)に載(の)せて[而]流之(なが)しつ。
次に淡洲(あはしま)を生みて、
此(こ)も亦(また)[不]以ちて児(こ)の数(かず)に充(あ)てず。
故(かれ)、還(かへ)りて復(また)[於]天(あめ)に上詣(のぼりゆ)きて具(つぶさ)に其の状(かたち)を奏(まを)す。
時に天神(あまつかみ)、太占(ふとまに)を以ちて[而]之(こ)を卜合(うらな)ひて、
乃(すなは)ち教(をし)へて曰はく
「婦人(をむなめ)之(の)辞(こと)や其(それ)已(すで)に先(さき)に揚(あ)げてある乎(か)。
宜(よろし)く更(また)還(かへ)り去(ゆ)くべし。」
乃卜定時日而降之。
故二神、
改復巡柱。
陽神自左陰神自右、
既遇之時、
陽神先唱曰
「姸哉、可愛少女歟。」
陰神、後和之曰
「姸哉、可愛少男歟。」
時日降之…〈閣〉時日ヨキトキノ ヨキヒヲトキ ヒ降之アマクタルアマクタリマス
 [テ]マタ リタマフ アイヌル/アヒタマヒヌルコタエ
乃(すなは)ち卜(うら)して時(とき)と日(ひ)とを定めて[而]降之(おりつ)。
故(かれ)二(ふたはしらの)神、
改(あらた)めて復(また)柱(みはしら)を巡(めぐ)りき。
陽神(やうしん)は左自(よ)り陰神(いむしん)は右自(よ)り、
既(すで)に遇之(あひし)時に、
陽神(やうしん)先(さき)に唱(とな)へて曰はく
「姸哉(あなにゑや)、可愛(え)少女(をとめ)は[歟]。」ととなへつ。
陰神(いむしん)、後(のち)に和之(あまな)ひて曰はく
「姸哉(あなにゑや)、可愛(え)少男(をとこ)は[歟]。」とあまなひつ。
然後、同宮共住而生兒、
號大日本豐秋津洲。
次淡路洲、
次伊豫二名洲、
次筑紫洲、
次億岐三子洲、
次佐度洲、
次越洲、
次吉備子洲。
由此謂之大八洲國矣。
同宮共住…〈閣〉同宮ヲナシ ミヤニヲナシウシ ミヤスマイナツク ミコノ
然(しかるが)後(のち)に、同(おな)じき宮に共に住(す)まひて[而]生(う)みし児(こ)には、
大日本豊秋津洲(おほやまととよあきつのしま)、
次に淡路洲(あはぢのしま)、
次に伊予二名洲(いよのふたなのしま)、
次に筑紫洲(つくしのしま)、
次に億岐三子洲(おきのみつこのしま)、
次に佐度洲(さどのしま)、
次に越洲(こしのしま)、
次に吉備子洲(きびのこじま)と号(なづ)けり。
此(これ)に由(よ)りて之(こ)を大八洲国(おほやしまのくに)と謂ふ[矣]。
〈瑞、此云彌圖。
姸哉、此云阿那而惠夜。
可愛、此云哀。
太占、此云布刀磨爾。〉】
…〈乙本〉弥同姸哉安奈而恵耶太占布刀万尓音依豆末已恵弖

〈閣〉スイ彌圖ミツ姸哉チムサイ阿那而惠夜アナニエヤ可愛カ アイ太占タイセム布刀磨尓フトマニ
…[形] うつくしい。

〈瑞、此をば弥図(みづ)と云ふ。
姸哉、此をば阿那而恵夜(あなにゑや)と云ふ。
可愛、此をば哀(え)と云ふ。
太占、此をば布刀磨爾(ふとまに)と云ふ。〉】
《蛭児/葦船/淡洲》
 この部分は古事記と完全に一致している(第34回)
《大八洲》
書紀と古事記に見る洲の位置づけ
島生みリスト参照〕
※1順位平均※2
大倭豊秋津洲2.3※3
伊予二名洲2.6
筑紫洲4.3
億岐三子洲4.5
佐渡洲5.5
吉備子洲(7.2)※4
淡路洲※5(1.3)
越洲(6.8)
対馬洲(7.3)
壱岐(6.0)
大洲(7.0)
※1…八洲に含める書(本文と一書、古事記)の数。
※2…平均順位。
※3…古事記「8位」が平均順位を下げている。
※4…()内は八洲内にあるもののみを平均。
※5…他の3書では「胞」。
 大八洲に含まれる洲の選択と順番は、書紀本文と書紀をミックスした形になっている。
 淡路洲ではなくとして扱うのは古事記に倣ったもの。 古事記では淡路洲がトップであったが、一書[1]では大倭豊秋津洲を本文に合わせてトップに持ってきた結果、2番目に繰り下がったようだ。淡路洲が入った結果、大洲がはみ出している。
 右図は古事記と書紀本文、及び一書の5書、計7書に現れる頻度と順位をまとめたものである。これを見ると、大洲を大八洲に含むのは2書に留まる。 本文においては周防大島に一定の存在感があることを見たが、書紀全体としては影が薄い。 実はどの大島をイメージするかを読み手に任せ、漠然とした形で加えたのかも知れない。
《婦人之辞其已先揚乎》
 この文自体は「女性が先に言葉を言い立ててしまったのか」と疑問を投げかける形である。 言外に「それはよくなかった」というものだが、 古事記では「因女先言而不良」と明確に述べている。
《大意》
 初めに蛭児(ひるこ)を生み、 これは葦船(あしふね)に載せて流した。
 次に淡洲(あわしま)を生み、 これもまた児の数に入れなかった。
 よって、再び帰ることにして、天に上り具(つぶさ)にその様を奏上した。 その時、天の神は、太占(ふとまに)によってこれを卜ったところ、 その教えは 「婦人の言葉を最初に上げてしまったのか。 再び行き直しなさい。」であった。
 そして卜占によって機会と日を定めて降りた。 こうして二神は、 改めて再び御柱を巡った。 今度は陽神が左から、陰神が右から巡って、 出会った時に、 陽神が先に 「おや、よい少女であるぞ。」と唱え、 陰神は後から気持ちを和して 「あら、よい男子だこと。」と唱えた。
 この後、同じ宮で共に住み生んだ児には、 大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつのしま)と名付けた。 次に淡路洲(あわじのしま)、 次に伊予二名洲(いよのふたなのしま)、 次に筑紫洲(つくしのしま)、 次に億岐三子洲(おきのみつこのしま)、 次に佐度洲(さどのしま)、 次に越洲(こしのしま)、 次に吉備子洲(きびのこじま)と名付け、 これによって、これを大八洲国(おおやしまのくに)という。
 〈瑞は「みづ」と訓む。 姸哉は「あなにゑや」と訓む。 可愛は「え」と訓む。 太占は「ふとまに」と訓む。〉】


まとめ
 一書[1]が島生みの順番として大日本豊秋津洲を最初にもってきたところは書紀本文によっているが、柱を回るとき一回目の向きを反対にしたところは古事記より古いと考えられる。
 神代巻に併載された大量の一書は、書紀が執筆のために大量の口承資料を集めたことを示す。 それらの資料は、記紀のスタッフには当然共有されていたはずである。同じ資料を使って、古事記、書紀それぞれの方針に従ったまとめ方がなされたわけである。 その様子が典型的に表れているのが、「伊弉諾尊伊弉冉尊立於天浮橋之上」条といえよう。



2026.05.16(sat) [01-05] 神代上5 

目次 伊弉諾尊伊弉冉尊立於天浮橋之上/一書[2][3][4][5]】
《一書[2]》
【一書(2)曰。 伊弉諾尊伊弉冉尊二神、
立于天霧之中曰
「吾欲得國。」
乃以天瓊矛、指垂而探之、
得磤馭慮嶋。
則拔矛而喜之曰 「善乎、國之在矣。」】
立于天霧之中…〈乙本〉立于天霧之中安末津左岐利乃奈可尓太々之女弖
 指垂左志久太志弖拔矛保古乎奴支介゛天

〈内閣文庫本〔以下閣〕
 タゝシ天霧アマノサキリノナカノタマテ エムト國乃以アマノ指垂サシ クタシ探之サクリシカハ
 エタマヒキヲノシマヌキアケ ホコヨロコムヨヒカナクニアリケルコト

【一書(あるふみ)(2)に曰はく。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)二(ふたはしら)の神、
[于]天霧之(あまのさぎりの)中に立たして曰(のたま)はく
「吾(われ)国(くに)を得むと欲(おもほ)す。」とのたまひて、
乃(すなは)ち天瓊矛(あまのぬほこ)を以ちて、指(さ)し垂(おろ)して[而]探之(さぐりてあ)れば、
磤馭慮嶋(おのころしま)を得(う)。
則(すなは)ち矛(ほこ)を抜(ぬ)きて[而]喜之(よろこ)びて曰(のたま)へらく
「善乎(よしや)、国之(の)在(あ)るは[矣]。」とのたまへり。】
《天霧之中》
 一書[2]では、天は霧で包まれている。伝説のひとつの変種であろう。
 ここだけを読めば矛先で探ってみたところ、そこにあった磤馭慮嶋を見つけたとも読み得る。 しかし、本文では矛先から滴り落ちた海水が固まって島ができたと描くから、 どの一書においても、天瓊矛を使って何かをしたことによって初めて磤馭慮嶋ができたと読むべきであろう。
《一書[3]》
【一書(3)曰。
伊弉諾伊弉冉二神、
坐于高天原曰
「當有國耶。」
乃以天瓊矛畫成磤馭慮嶋。】
坐于高天原…〈閣〉マシ高天原タカ マノ ハラマサ[ニ]國耶アラム クニヤト ノタマヒテクニアラムヤトノタマヒテ
 カキサクリナス
【一書(3)に曰はく。
伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)二(ふたはしら)の神、
[于]高天原(たかまのはら)に坐(ま)して曰(のたま)はく
「当(まさ)に国(くに)有るべきや[耶]。」とのたまひて、
乃(すなは)ち天瓊矛(あまのぬほこ)を以ちて磤馭慮嶋(おのころしま)を画(か)き成しつ。】
《画成》
 一書[3]も伝承のひとつの変種である。
 「」は磤馭慮嶋を目的語とする他動詞の位置にあるので、膏が浮かびくらげなす地に矛で線を描いたら磤馭慮嶋が形となって現れた。
《善乎国之在矣》
 主述の倒置は、万葉に (万)0002怜憾國曽 蜻嶋 八間跡能國者 うましくにぞ あきづしま やまとのくには」など多く見える。 文末の助詞「」は余韻を残す。
 「善乎国之在矣」の訓読もこれを用いてみると自然な語調になる。
《一書[4]》
【一書(4)曰。
伊弉諾伊弉冉二神、
相謂曰
「有物若浮膏、
其中蓋有國乎。」
乃以天瓊矛、
探成一嶋。
名曰磤馭慮嶋。】
相謂曰…〈閣〉相謂アイカタ[テ]モノ[テ] シ ヘル ノケタシアラム クニヤト宣
 [ノ]探成カキサクテ ナス ノ[ヲ]
【一書(4)に曰はく。
伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)二(ふたはしら)の神、
相(あひ)謂(かたら)ひて曰はく
「物有りて膏(あぶら)を浮かぶぶら若(ごと)し、
其の中に蓋(けだし)国(くに)有らむ乎(や)。」とかたらひて
乃(すなは)ち天瓊矛(あめのぬほこ)を以ちて、
探(さぐ)れれば一(ひとつ)の嶋(しま)を成(な)せり。
名(なづ)けて磤馭慮嶋(おのころしま)と曰ふ。】
《探成》
 「探成〔探りて成すというから、これも矛で探るという行為が一つの島を生みだしたと読むべきであろう。
 一書[2]~[4]は「天瓊矛」と「磤馭慮嶋」を共有するが、細部が異なる。 概ね同じような内容でも、相違点に注目して異伝を丁寧に拾い上げたものといえよう。
《一書[5]》
【一書(5)曰。
陰神先唱曰
「美哉、善少男。」
時以陰神先言故爲不祥、
美哉善少男…〈乙本〉義哉安奈尓恵也善少男輿伎遠止古

〈閣〉美哉アナニエヤ- オトコモテノ陰神[ノ]サイタツルヲ一コト>故ユヘ[ニ]不祥サカナシ
 アラタメ■ ル

【一書(5)に曰はく。
陰神(いむしん)先(さき)に唱(とな)へて曰はく
「美哉(うるはしや、あなにゑや)、善(ゑ、よき)少男(をとこ)は。」ととなふ。
時に陰神(いむしん)の先(ま)づ言へるを以ちて故(かれ)不祥(さがなし)と為(す)。
更復改巡、
則陽神先唱曰
「美哉、善少女。」
遂將合交而不知其術、
時有鶺鴒、飛來搖其首尾。
二神見而學之、卽得交道。】
遂将合交…〈乙本〉遂將合交豆比尒美安八世志牟止須其術曽乃美千毛
 鶺鴒止豆岐万奈乎比止利 又云正豆岐志倍止利
 搖其首尾曽乃加志良遠遠宇古゛加須得交道止豆岐須流美知遠々志倍太利

〈閣〉少女 オトメ[ニ][ニ]合交/アハセムトスルニミアハセムトシカモ/ミチヲハチ
 トツキヲシヘトリニハクナフリツゝマナハシラタゝク首尾カシラ ヲ[ヲ]ミソナハシテ 學マナムテ/ナラヒ
  リ /トツキノ[ヲ]

更復…〈汉典〉「更復:[again]再次、重複」。
…[動] うごく。
首尾…〈汉典〉「事物的始末」。
更復(また)改(あらた)めて巡(めぐ)りて、
則(すなは)ち陽神(やうしん)先(ま)づ唱(とな)へて曰(い)はく
「美哉(うつくしや、あなにゑや)、善(ゑ、よき)少女(をとめ)は。」ととなふ。
遂(つひ)に将(まさ)に合交(みとのまぐはひせむとし)て[而]其(その)術(みち)を不知(しらず)、
時に鶺鴒(まなばしら)有り、飛び来たりて其(その)首尾(はじめよりをへまで、しゆびを)揺(うごか)せり。
二(ふたはしら)の神見(みそなは)して[而]学之(まな)びて、即(すなはち)交(まぐはひ)の道(みち)を得(う)。】
《美哉》
 「美哉善少男」も《善乎国之在矣》項(上記)と同様に「善少男は美哉」を倒置した形で読むと自然である。
《鶺鴒》
ハクセキレイ
 鶺鴒を表す語は多い。
 〈釈紀-秘訓〉「鶺鴒:ニハクナフリ トツキヲシヘトリ トツキトリ ツゝナハセトリ ツゝマナハシラ 已上有五説之中第一之説可」。すなわち〈釈紀〉は五説のうち最初のニハクナフリを推奨している。
 〈乙本〉の「止豆岐万奈乎比止利」は「」が衍字で「止豆岐万奈比止利交接とつぎ学び鳥〕であろう。 続く「又云:正豆岐 志倍止利」は、逆に「」が欠字で「止豆岐乎志倍止利交接とつをしへ鳥〕か。すなわち、筆写の過程で「」が移動したと考えられる。
 倭名類聚抄「𪃹鴒※):積霊二音。字或作鶺鴒。和名爾波久奈布里。日本紀私記曰:止豆木乎之閉止里〔ニハクナブリ。トツギヲシヘトリ。※)…上に令、下に鳥
 〈神武〉紀【あめつつちどりましとと】項では「ツツ」。
 記〈雄略〉段の歌謡(第209回)に「麻那婆志良〔まなばしら〕がある。これなら正真正銘の上代語だから、 鶺鴒の訓読にはこれを用いるのが安全である。
《トツキヲシヘトリ》
 一書[5]は書紀本文の「為夫婦」に付随するエピソードと位置付けられる。
 トツギヲシヘトリ、トツギマナビトリは、この伝説と密接に結びついた呼び名である。
《首尾》
 熟語「首尾」は固有の意味〔物事の始まりから終わりまで〕をもつ。よって鶺鴒の頭部と尾部という意味で用いたものではない。
《大意》
 【一書(あるふみ)(2)に曰く。 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二神は、 天霧(あまのさぎり)の中に立ち、 「我々は国を得たいものです。」と言い、 天(あま)の瓊矛(ぬほこ)を指し降ろして探ると、 磤馭慮嶋(おのころしま)を得た。
 そこで矛を抜き上げて喜び 「うれしい、国があった。」と話した。】

 【一書(3)に曰く。 伊弉諾、伊弉冉の二神は、 高天原(たかまのはら)に坐して 「国があって当然だろう。」と言って 天瓊矛(あまのぬほこ)で描くと、磤馭慮嶋(おのころしま)となりました。】

 【一書(4)に曰く。 伊弉諾、伊弉冉の二神は 互いに語らい 「物がある、それは浮かぶ膏(あぶら)のようだ。 その中に国はあるだろうか。」と言って、 天の瓊矛で 探ったところ一つの嶋ができた。 名付けて磤馭慮嶋という。】

 【一書(5)に曰く。 陰神が先に 「立派なこと、善い男子は。」と唱えた。 この時は、陰神が先に言った故によくなかった。
 再度改めて巡り、 陽神が先に 「可愛いよ、善い少女は。」と唱え、 遂に交合しようとしたが、そのやり方が分からなかった。
 その時、鶺鴒が飛んで来てその首尾を揺れて示した。 二神はこれを見て学び、こうして交合の方法を得た。】


10目次 伊弉諾尊伊弉冉尊立於天浮橋之上/一書[6][7][8][9][10]】
《一書[6]》
【一書(6)曰。
二神合爲夫婦、
先以淡路洲
淡洲爲胞、
生大日本豐秋津洲、
次伊豫洲、
次筑紫洲、
次雙生億岐洲
與佐度洲、
次越洲、
次大洲、
次子洲。】
合為夫婦…〈閣〉合-為-夫-婦ミトノマクハヒシテエトフタコニウム
【一書(あるふみ)(6)に曰はく。
二(ふたはしらの)神合為夫婦(あひてふうふとなりて、みとのまぐはひして)、
先(ま)づ淡路洲(あはぢのしま)
淡洲(あはのしま)を以(も)ちて胞(え)と為(し)て、
大日本豊秋津洲(おほやまととよあきつしま)、
次に伊予洲(いよのしま)、
次に筑紫洲(つくしのしま)、
次に双(ふたご)に生まるる億岐洲(おきのしま)
与(と)佐度洲(さどのしま)、
次に越洲(こしのしま)、
次に大洲(おほしま)、
次に子洲(こじま)を生む。】
《以淡路洲淡洲為胞》
 八洲の内訳は順番も含めて本文に完全に一致するが、胞に「淡洲」を追加している。 ただ表記には若干の違いがあり、「吉備子洲」が「子洲」、「伊予二名洲」が「伊予洲」となっている。
 書紀の本文と一書、古事記それぞれの国生みの比較は、島生みリスト(第35回)にまとめてある。
《一書[7]》
【一書(7)曰。
先生淡路洲。
次大日本豐秋津洲、
次伊豫二名洲、
次億岐洲、
次佐度洲、
次筑紫洲、
次壹岐洲、
次對馬洲。】
【一書(7)に曰はく。
先(ま)づ淡路洲(あはぢのしま)を生みて、
次に大日本豊秋津洲(おほやまととよあきつのしま)、
次に伊予二名洲(いよのふたなのしま)、
次に億岐洲(おきのしま)、
次に佐度洲(さどのしま)、
次に筑紫洲(つくしのしま)、
次に壱岐洲(いきのしま)、
次に対馬洲(つしまのしま)をうむ。】
《先生》
 最初に「先生」とあるから、以下は「次生」から「」が省略された形である。 動詞を最初に一回だけ書き、以後の繰り返しを省略することは〈続紀〉では普通に用いられる形だが、正規漢文のように返り点を入れて訓読することは不可能となる。
 本文ではすべて「次生」となり、正規の形になっている。
《淡路洲》
 淡路洲とせず、一番目の子とする。 本文から「越洲」・「大洲」・「吉備子洲」を除き、「壱岐洲」・「対馬洲」を加えている。
 その結果、概ね古事記の大八島と一致するが、順番については大日本豊秋津洲を二番目に繰り上げ、佐度洲を対馬洲の前に繰り上げている。
《一書[8]》
【一書(8)曰。
以磤馭慮嶋爲胞、
生淡路洲、
次大日本豐秋津洲、
次伊豫二名洲、
次筑紫洲、
次吉備子洲、
次雙生億岐洲
與佐度洲、
次越洲。】
【一書(8)に曰はく。
磤馭慮嶋(おのころしま)を以ちて胞(え)と為(し)て、
淡路洲(あはぢのしま)、
次に大日本豊秋津洲(おほやまととよあきつのしま)、
次に伊予二名洲(いよのふたなのしま)、
次に筑紫洲(つくしのしま)、
次に吉備子洲(きびのこじま)、
次に双(ふたご)に生まるる億岐洲(おきのしま)と
佐度洲(さどのしま)与(と)を、
次に越洲(こしのしま)を生む。】
《以磤馭慮嶋為胞》
 磤馭慮嶋を天瓊矛によって成ったものではなく、「」とするのは一書[8]のみである。
 大八洲の中身については、一書[7]から「壱岐洲」・「対馬洲」を除き、「吉備子洲」・「越洲」を加えている。
《一書[9]》
【一書(9)曰。
以淡路洲爲胞、
生大日本豐秋津洲。
次淡洲、
次伊豫二名洲、
次億岐三子洲、
次佐度洲、
次筑紫洲、
次吉備子洲、
次大洲。】
【一書(9)に曰はく。
淡路洲(あはぢのしま)を以ちて胞(え)と為(し)て、
大日本豊秋津洲(おほやまととよあきつのしま)、
次に淡洲(あはのしま)、
次に伊予二名洲(いよのふたなのしま)、
次に億岐三子洲(おきのみつごのしま)、
次に佐度洲(さどのしま)、
次に筑紫洲(つくしのしま)、
次に吉備子洲(きびのこじま)、
次に大洲(おほしま)を生む。】
《以淡路洲為胞》
 淡洲を正規の「」に入れるのは一書[9]のみである。 この場合の淡洲は阿波国をイメージさせ、にわかに実在感が出てくる。ただ、四国は淡洲と伊予二名洲との二面となる。
 隠岐を「三子洲」と表現するのは古事記に沿ったもの(第35回【三子島】)。書紀では一書[9]のみである。
 一書のうち淡路洲を「」とするのは[6]、[9]、[10]で、本文に沿ったもの。一方、[1]、[7]、[8]は古事記と同じく淡路洲を子として一番目または二番目に置く。 このように、両説は拮抗している。
《一書[10]》
【一書(10)曰。
陰神先唱曰
「姸哉、可愛少男乎。」
便握陽神之手、
遂爲夫婦、
生淡路洲、
次蛭兒。】
握陽神之手…〈閣〉便 チ為-夫-婦ミトノマクハヒシテウム
【一書(10)に曰はく。
陰神(いむしん)先(さき)に唱(とな)へて曰はく
「姸哉(あなにゑや)、可愛(え)少男(をとこ)を[乎]。」と唱ふ。
便(すなは)ち陽神(やうしん)之(が)手(みて)を握(にぎ)りて、
遂(つひ)に為夫婦(みとのまぐはひをし)て、
淡路洲(あはぢのしま)、
次に蛭児(ひるこ)を生む。】
《陰神先唱》
 ここでは「陰神先唱」とあるから、一書[10]古事記における生み損ないの部分に限定した異伝である。 「蛭児」は古事記と一致する。一方、「淡路洲」を子に入れないところは書紀本文に沿う。
《姸哉可愛少男乎》
 「蛭児」があり、一書の「姸哉可愛少男歟」の「」が「」になっていることは、 「姸哉可愛少男乎」が古事記の「阿那邇夜志愛袁登古袁あなにやしえをとこを(第34回) の漢字表記であることを強く感じさせる。
《大意》
 【一書(6)に曰く、 二神合わせて夫婦となり、 最初の淡路洲(あわじのしま)と 淡洲(あわのしま)は胞衣であったが、 大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)を生んだ。 次に伊予洲(いよのしま)、 次に筑紫洲(つくしのしま)、 次に双子として億岐洲(おきのしま) と佐度洲(さどのしま)、 次に越洲(こしのしま)、 次に大洲(おおしま)、 次に子洲(こじま)を生んだ。】

 【一書(7)に曰く、 最初に淡路洲を生み、 次に大日本豊秋津洲、 次に伊予二名洲(いよのふたなのしま)、 次に億岐洲、 次に佐度洲、 次に筑紫洲(つくしのしま)、 次に壱岐洲(いきのしま)、 次に対馬洲(つしまのしま)を生んだ。】

 【一書(8)に曰く、 磤馭慮嶋(おのころしま)を胞衣として、 淡路洲、 次に大日本豊秋津洲、 次に伊予二名洲、 次に筑紫洲、 次に吉備子洲(きびのこじま)、 次に双子で生まれた億岐洲と 佐度洲、 次に越洲を生む。】

 【一書(9)に曰く、 淡路洲を胞衣として、 大日本豊秋津洲、 次に、 次に伊予二名洲、 次に億岐三子洲(おきのみつごのしま)、 次に佐度洲、 次に筑紫洲、 次に吉備子洲、 次に大洲を生む。】

 【一書(10)に曰く、 陰神が先に 「まあ、よい男子だこと。」と唱え、 陽神の御手を握り、 遂に夫婦となり、 淡路洲と 次に蛭児(ひるこ)を生んだ。】


まとめ
 一書[3]のように、流動体であった地上に天瓊矛で輪郭線を引いたらそれが磤馭慮嶋になったとする発想も、また面白い。 物語は、様々な異説に枝分かれして広がっていくことを示している。
 さて、国生み伝説において生み損ないが淡島、あるいは淡路島にあてられたのは、アハの語感に「水の泡」や「淡い」のイメージがあったためとも考えられる。 ただ、淡路島をこのように扱うことは、淡路島が縄文~弥生時代頃に渡来人の集結地となって一定の規模のクニが存在したであろう姿とは鋭く対立するものになっている。
 そもそも、国土が八洲国と描かれるのは、さまざまな渡来人が海を渡ってやってきて、それぞれが上陸した島ごとにクニを作り、それらがやがて統合されていった歴史的経過を反映するものであろう。
 記紀が編纂された時期は、畿内を華夏とした律令国家の形成が急がれていた。国家の起源神話をそれに沿わせようとした意図と実際に伝わってきた神話の姿が複合して、国生み段における記紀及び一書群の構造を形成したと理解される。



[01-06]  神代上(2)