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2021.08.08(sun) [22-03] 推古天皇3 

目次 【十二年四月】
《肇作憲法十七條》
夏四月丙寅朔戊辰。
皇太子親肇作憲法十七條。
憲法…〈岩崎本〔以下岩〕親肇 ハツクリキ/タマフ憲-法イツクシキ ノリ十七條トヲチアマリナゝヲチ
〈図書寮本〔以下図〕 ミツカラ ハシメ ツクリタマフ憲法イツクシキ十七條トヲチアマリナゝヲチ
〈内閣文庫本〔以下閣〕ミツカラハシメテツクリ玉フ憲-法イツクシキ十七條トヲチアマリナゝヲチ
いつくし…[形]シク 威厳がある。
を・をち…[助数詞] 〈時代別上代〉細長いもの。また細長く連なったもの(条文など)。
…[名] (古訓) えた。
夏四月(うづき)丙寅(ひのえとら)を朔(つきたち)として戊辰(つちのえたつ)〔三日〕
皇太子(ひつぎのみこ)親(みづから)肇(はじめて)憲法(けむほふ、いつくしきのり)十七条(とをあまりななを)を作りたまふ。
《憲法》
憲法 〈汉典〉①在一国之内、規-定国家体制、政府組織、人民権利義務的基本法、称為「憲法」。 ②法度。《国語、晋語九》「賞善罰姦、国之憲法也」
 汉典では「憲法」の第一義は国家の基本法とするが、これは<wikipedia>中国語版に 「現代的「憲法」的概念是従西方伝入。」とあるように、西欧において国の基本的な政体を宣言する法の訳語である。
 日本では、明治憲法の制定に向かう時代に、Verfassung(独)、constitution(英)の訳語に「憲法」があてられた。この訳語の決定にあたって「十七条憲法」が意識されたのは、間違いないと思われる。
 明治に訳語として用いた「憲法」が、清の時代の中国にも影響を与えたことも考えられる。 というのは、日本で訳語として、physics→物理学、philosophy→哲学、communism→共産主義などが造語され、それが本家中国語に取り入れられた例は多いからである。
 古代中国における「憲法」は〈汉典〉の②のように、法律や規範一般を表す。 和訓において、「」、「」ともにノリが用いられるのもこの意味であろう。
 ところが古訓「イツクシキノリ〔=厳格な法〕には、既に平安時代において十七条憲法を特別視する価値観が含まれている。 書紀が書かれた時点では「憲法」は単なる「きまり」だったのが、「太子の作った十七条の憲法」が神聖化していくのに伴い 「憲法」という語にもそれが及び、特別な語感を伴うようになっていったのだろう。
《条》
 の原意はエダ〔枝〕で、枝を数える助数詞エがある。また「条」にはスジの意味もある。 ヲは細長いものを数える助数詞で、「緒」の意と思われる。ヲチは、接尾辞チをつけたものと思われるが、不詳。
 〈推古三十一年秋七月〉には「小幡十二スチヲチ」とある。 ヲ〔緒〕、スヂ〔筋〕ならどちらも自然な語だが、ヲヂは成り立ちが分からず、ヲとスジが誤って混合した結果かも知れない。
《第一条》 要点の一覧
一曰。
以和爲貴、無忤爲宗。
人皆有黨亦少達者。
是以、或不順君父乍違于隣里。
然、上和下睦諧於論事、
則事理自通、何事不成。
一曰…〈岩〉一曰。 〈図〉一日。〈北野本〔以下北〕〉
…〈岩〉 /アマナヒヤハラアマナヒ カナル タフトシ。 〈図〉ヤハラキ。 〈閣〉 アマナヒヤハラキ
あまなふ…[自]ハ四 仲良くする。〈時代別上代〉アマの派生語。
…〈岩〉 サカフルコト ムネ。 〈図〉サカフル。 〈閣〉サカフルコト為宗〔さかふることなきをむねとす〕
…[動] (古訓) さかふ。そむく。たかふ。
有党…〈岩〉 アリテタムラ。 〈図・閣〉タムラ
亦少達者…〈岩〉…𡖋サトレルサトル-者。 〈図〉サトリ。 〈閣〉サトレルモノサトリ
君父…〈岩〉-カソ。 〈図〉君父 カソ 。 〈閣〉カソニ
君父…〈汉典〉①対父為国君者的称呼。②特称天子
一(ひとを)に曰(い)ふ。
和(やはらぎ)を以ちて貴(たふとき)と為(し)て、忤(さかふること)の無(なき)を宗(むね)と為(せ)。
人(ひと)皆(みな)党(ともがら)を有(も)ち亦(また)達(さとり)の者(ひと)少なし。
是(こ)を以ちて、或(ある)は君父(きみちち)に不順(したがはず)、乍(また)[于]隣里(となりさと)に違(たが)へり。
然(しかれど)も、上(かみ)に和(やはら)ぎ下(しも)に睦(むつ)びて[於]論(ことあげてら)ふ事を諧(かな)へば、則(すなはち)事理(ことわり)自(おのづから)通(とほ)らむ。
何(いかに)や事(こと)不成(ならざら)むか。
隣里…〈岩〉アルヰハヘリ隣-里トナリサトサトゝナリ。 〈図〉マタ違于隣-里サトゝナリ。 〈閣〉アマヰハマタ違于トナリサトゝナリサト
…〈岩〉下- ムツ カナフトキヒヌルトキハ アケツラフ一レ- コト カヨフ。 〈図〉然・上・下ムツヒ諧於論事 カナフルトキハ アケツラフ・則事-理 コト カヨフ 〈閣〉・下ムツヒテカナヒヌルトキハ・於アケツラム・則事-理 コト 通。
…[動] やわらぐ、やわらげる。かなう。ととのえる。(古訓) やはらく。かなふ。ととのふ。

《和》
 前回《岩崎本》の項で見たことから、「やはらぐ」は平安中期、「あまなふ」は室町時代の訓である。 いずれも、他の人と争わない方向に振る舞うことを意味する。
《人皆有党》
 「」は出身氏族や地域などによる派閥であろう。 皆、属する党に閉じこもり、殻を破って広く仲良くする者はなかなかいない。 それができる人物を「達者」というのである。
《論》
 倭語「あげつらふ」は書紀古訓がもっとも古い例で、上代に使われた確証はないようである。 恐らくはアグ+テラフ〔掲げて見せびらかす〕であろう。つまり、ことさらに持ち上げて見せつける。 これが意見を交わす意味に拡張されたと見られる。
《大意》
 四月三日、
皇太子(ひつぎのみこ)親(みづから)肇(はじめて)憲法(けむほふ、いつくしきのり)十七条(とをあまりななを)を作りたまふ。
――第一条
 和を以って貴きとし、逆らうこと無きを旨とせよ。
 人は皆党をなし、悟る人は少ない。 これにより、ある人は君父に順わず、また隣里と違える。
 しかし、上に和し下に睦み、論ずる事を調和させれば、事の理は自ら通り、 どうして事の成らぬことがあろうか。


【十二年四月(二)】
《第二条》
二曰。
篤敬三々寶々。
者佛法僧也。
則四生之終歸萬國之極宗。
何世何人、非貴是法。
人鮮尤惡、能教從之。
其不歸三寶、何以直枉。
篤敬…〈岩〉ヰヤマヘヰヤマフ。 〈図〉ヰヤマヒ
…〈岩〉トケ。 〈図〉佛法僧ホトケ ノリ ホフシ
…〈岩〉ウシ
四生…[仏] 生物の4つの生まれ方。胎生・卵生・湿生・化生。
〈岩〉ムマレ。 〈図〉ウマレノ
終帰…〈岩〉_ヲハリノヨリトコロ萬國_キハメ ムネナリ
非貴…〈岩〉何_ツキ〔ツギ〕何_人、サルタウトハ〔ノリ〕
…〈図〉ミノリ
…[形] すくない。めったにないから目立つさま。(古訓) すくなし。
〈岩〉テヤケゝレトモ尤悪ハナハタ〔アシキ〕モノ
〈図〉鮮尤悪能教從ハナハタアシキモノ オシフルヲモ
二(ふたを)に曰ふ。
三宝(さむはふ)を篤(あつ)く敬(ゐやま)へ。
三宝者(は)仏(ほとけ)法(のり)僧(ほふし)也(なり)。
則(すなはち)四生(ししやう)之(の)終(をへ)は万国(よろづのくに)之(の)極(きはまれる)宗(むね)に帰(つ)く。
何世(いつ)の何人(たれ)そ、是(この)法(みのり)をや貴(たふとぶること)非(あらざる)か。
人尤(はなはだ)悪(あしきこと)鮮(すく)なし、能(よ)く教(をし)へ之(こ)に従(したが)へよ。
其(それ)三宝(さむはふ)に不帰(よらず)ありて、何(なに)をか以ちて枉(まがれること)を直(なほ)すや。
…[副] (古訓) もとも。はなはた。
…〈岩〉ヲシフルヲモテヲシフルトキハ
したがふ…[自]ハ四。[他]ハ下二。
不帰…〈岩〉ヨラヨリマツラ
…[動] (古訓) よる。おもむく。かへる。つく。
…〈図〉マカレル
《篤敬三宝》
 仏法への帰依を具体的に奨めるのは、第二条のみである。 十七条憲法の基本的性格としては、群卿・百寮すなわち官僚組織の内部規律を保つ心得集である。
 しかし、早くも第二条で仏教が出てくることが、聖徳太子による制定という印象を強めるものとなっている。
《四生》
 四生は「ムマレ〔うまれ〕と訓まれるが、 仏教用語は音読みが多い。「四生の終」を「うまれのをわり」と訓むと、背景にある輪廻思想が弱まってしまう。
《万国之極宗》
 「万国之」という語が、仏教が天竺から唐、そして百済・高句麗を経て日本に伝わったとの認識によることは間違いないであろう。 極宗は、四生からその終わりまでの悩みを直視し、その問題意識をつきつめて生み出した思想であることを表している。
《直枉》
 「直枉」から連想されるのは、伊邪那岐命みそぎのシーンである。
 伊邪那岐命は、黄泉の国で穢れた体を川で浄めた。 その穢れた垢から出現したのが八十禍津日まかつひ神・大禍津日神で、それを直す神が神直毘なほび神・大直毘神であった (第43回)。 このように、枉(まがり)を直すという考え方は、神道のものである。  
 それに対して、仏教への帰依とは煩悩でいっぱいの身が修行を積んで解脱を目指すものであり、「枉を直す」という考えにはなじまない。 飛鳥時代には、まだ仏教を神道の延長線上で捉える傾向があったということであろう。 それは、飛鳥寺の仏舎利の副葬品に古墳文化の名残が見えることにも、同質のものを感ずる。
《第三条》
三曰。
承詔必謹。
君則天之、臣則地之。
天覆地載、四時順行萬氣得通、
地欲覆天則致壞耳。
是以、君言臣承、上下行靡。
故承詔必愼、不謹自敗。
承詔必謹…〈岩〉ウケタマハリテハミコトノ〔ツツシ〕
臣則地之…〈岩〉/ヤツカラマヲハヤツコラマ。 〈閣〉ヲハアメトスヤツコラヲハツチトス
天覆地載…〈岩〉天覆ノセラ〔テ?〕。 〈図〉オホヒノス。 〈閣〉ヲホヒノセテノス
四時…①四季。②朝昼夕夜。
四時順行…〈岩〉四-時順-ユキ。 〈内閣〉時順-ユキヲ テ
万気得通…〈岩〉萬-シルシカヨフコトヲ
地欲覆天…〈岩〉地欲トキハ〔ホフ〕天則イタサムヤフルゝコト■ラソノミ
君言臣承…〈岩〉ノタマフトキハヤツコラウ タマハル
上下行靡…〈岩〉上下行トキハナヒク。 〈図〉上行下ナヒク。 〈閣〉上行
…〈岩〉ソレ詔必ンハヲノツカラ。 〈図〉。 〈閣〉テム
三(みを)に曰ふ。
詔(みことのり)を承(うけたまは)りては必ず謹(つつし)め。
君(きみ)則(すなはち)之(こ)を天(あめ)とし、臣(おみ)則ち之を地(つち)とす。
天(あめ)覆(おほ)ひて地(つち)に載(の)せてこそ、四(よつ)の時順行(めぐりゆ)きて万(よろづ)の気(け)得(え)通(かよ)ふ、
地(つち)[欲]天(あめ)を覆(おほ)はむとせば、則(すなはち)壊(こぼつこと)を致す耳(のみ)。
是(こ)を以ちて、君言(のたま)ひて臣(おみ)承(うけたま)はり、上(かみ)は行ひて下(しも)も靡(なび)く。
故(かれ)詔(みことのり)を承はりては必ず慎め、不謹(つつしまざらば)自(みづから)敗(やぶ)れてむ。
《君》
 「」は明らかに天皇のことであるが、十七条憲法には「天皇」号を用いていないところが注目される。 これは、十七条憲法が「天皇」号開始以前の時代から存在した文書であり、かつ聖徳太子の神聖化とともに後から手を加えることが憚られる性質の文書であることを示すと見ることができる。
 なお、ここでは「君」をオホキミと訓読してもよいかも知れない。
《天之》
 「」は形式目的語で、直前の文字を動詞化する。
 従って、「君則天之」=「君即以是為」である。
《臣》
 オミは宮廷に仕える者。ヤツコは自らを遜って称する語だから臣が「ヤツコ」と称するのは一人称のときのみである。 ここでは臣に向かって心構えを説く文だから、古訓が用いたヤツコヤツコラマは不適切であろう。
 一人称のみに使う語を、誤って一般化したものと思われる。
《四時順行》
 「四時順行」とは、豪雨や旱魃などの極端な気象現象がなく四季が順調に経過するという意味であろう。  「順行」の古訓は「めぐりゆく」と思われるが、「〔こなふ〕」も併記されている。古訓には一文字目だけを記すことがしばしば見られ、興味深い。
《自敗》
 の古訓はオノヅカラであるが自然崩壊というよりも、一族が敢えなくも自滅したも同然であると読むべきであろう。 従って、ミヅカラと訓んだ方がよいと思われる。
《第四条》
四曰。
群卿百寮、以禮爲本。
其治民之本、要在乎禮。
上不禮、而下非齊、
下無禮、以必有罪。
是以、群臣有禮、位次不亂、
百姓有禮、國家自治。
群卿…〈岩/図〉群-卿マチキミタチ
百寮…〈岩〉 モモノ-寮。 〈図〉百寮ツカサ\/
…〈岩〉ヰヤマヒヰヤヒ/ヰヤ
要在乎礼…〈岩〉 ナラスイヤ
…〈図〉カナラス
非斉…〈岩/図〉トゝノホラ
…〈岩/図〉ツイテ
国家自治…〈岩〉-アメノシタ〔オノヅカ〕ラ〔ヲサマ〕
〈図〉アメノシタ マル
四(よを)に曰(いふ)。
群卿(まへつきみたち)百寮(もものつかさ)、礼(ゐや)を以ちて本(もと)と為(せ)。
其(それ)治民之(たみををさむる)本(もと)、要(かならず)[乎]礼(ゐや)に在り。
上(かみ)不礼(ゐやまはざれば)、而(しかるがゆゑに)下(しも)斉(ととのほ)ら非(ず)、
下(しも)無礼(ゐやまはざれば)、以ちて必ず罪(つみ)有り。
是(こ)を以ちて、群臣(まへつきみたち)に礼(ゐや)有らば、位(くらひ)の次(つぎて)不乱(みだらざらむ)、
百姓(おほみたから、もろもろのうがら)に礼有らば、国家(くにいへ、あめのした)自(おのづから)治(をさ)まらむ。
《群卿》
 群卿の古訓マチキミタチは、〈倭名類聚抄〉にも「大臣於保伊万宇智岐美オホイマウチキミ」とある。 マチキミマウチキミは、マヘツキミ〔前ツ君;ツは属格の助詞〕の音便と見られる。 タチについては、上代語にキムダチ〔王の一族、公達きんだちに通ずる〕があり、複数の称〔つまり「群-」〕である。
《位次不乱》
 「」の古訓ツイテは、ツギテの音便と見られる。
 自動詞ミダル[下二]に対応する他動詞は、上代はミダル[四段]とされる(〈時代別上代〉)。 
 その前の「」を、仮定条件と見れば「礼あらば~乱らざらむ」、 恒常条件なら「礼あれば~乱らず」と訓読することになる。 「憲法」だから話者の願望よりも事象を客観的に記述する文体の方が適すると考えれば、 恒常条件の方となる。 ただ、実際に已然形で訓んでみるとどうもインパクトが弱い。未然形にした方が「これが望ましい」という気持ちが強く感じられる。
《百姓》
 「百姓」は、貴族や群卿百寮を除く平民を指すとも考えられるが、むしろ宮廷に出仕する者を代表とする諸族と読んだ方が文意に合う。 語源的には「百の姓=それぞれの姓をもつ諸族の集合体」である。
 十七条憲法では、通常の「オホムタカラ」なる古訓が付けられていない。第十六条で見る「民」と同様に、 書紀以前の訓が一般的に存在していたように思われる。可能性の一つとしては、そのまま「ももつかばね」かも知れない。 あるいは音よみの「ひやくしやう」が既に一般化していたことも考えられる。
《第五条》
五曰。
絶餮棄欲、明辨訴訟。
其百姓之訟、一日千事、
一日尚爾、況乎累歲。
〔須〕治訟者、得利爲常、
見賄聽讞。
便有財之訟、如石投水、
乏者之訴、似水投石。
是以、貧民則不知所由、
臣道亦於焉闕。
絶餮棄欲…〈岩〉 アチハヒヲアチハヒノムサホリ ステ タカラタカラホシミ
〈図〉アチハヒノムサホリタカラノホシミ
…[動] むさぼる。あるだけ食べつくす。(古訓) むさほる。
明弁訴訟…〈岩〉タメ/ワキマヘヨ 訴-訟ウタヘ。 〈図〉 ヨ訴-訟ウタヘ
一日千事…〈岩〉一-日ヒトヒ-ワサアリ 一- スラ況乎 テヲヤ〔一日すら尚(なほ)爾(しか)り、況(いはん)や歳を累(かさ)ねてをや〕
〈図〉一日千 アリ一日 スラ ル況乎カサネテ■ヤ
すら…[助] 主に大言に接して逆説的な状態を示し、裏返しに恒常的なことを導く。
頃治訟者…〈岩〉コノコロ ヘテ 須ク訟  モノヒトゝモクホサ シ常  マヒナヒキクコトワリマウス。 〈図〉須治訟者
…[名] 〈図〉クホサ
くほさ…[名] 利益。
まひなふ…[他]ハ四 賂(まひなひ)を贈る。
…[名] 裁判。かどめ正しくものを言う。
有財之訟…〈岩〉アルモノゝ財之訟如 モテナクル一レ水 乏-ヒトトモシキモノゝ 之訴ニタリ水投一レ
…[動] (古訓) にたり。
貧民…〈岩〉貧民マツシキオホムタカラ
所由…〈岩〉センスヘ
臣亦…〈岩〉ヤツコ道𡖋扵-コゝカケヌ
五(いつを)に曰ふ。
餮(むさぼり)を絶(た)ち欲(ほりすること)を棄(う)て、明(あきらけく)訴訟(うたへ)を弁(わきた)め。
其(それ)百姓(おほみたから)之(が)訟(うたへ)、一日(ひとひ)に千(ひとちち)の事(わざ)あり、
一日(ひとひ)すら尚(なほ)爾(しか)り、況乎(いはむや)歳(とし)を累(かさ)ぬるをや。
頃(このごろ)〔須(すべからく)〕訟(うたへ)を治(をさ)むる者(もの)は、利(かが、くほさ)を得(うる)を常(つね)と為(し)、
見賄(まひなはえ)て讞(わきため)を聴(き)く〔べし〕
便(すなはち)有財(たからをもてるひと)之(の)訟(うたへ)、石(いし)もて水に投ぐるに如(に)たり、
乏者(とぼしきひと)之(の)訴(うたへ)、水もて石に投ぐるに似たり。
是以(こをもちて)、貧(まづしき)民(たみ、おほみたから)則(すなはち)所由(よし)を不知(しらず)、
臣(おみ)の道亦(また)[於]焉(ここに)闕(か)けり。
《絶餮棄欲》
 古訓は「:あぢはひ〔味わい〕、あぢはひのむさぼり〔貪り〕」、「:たから〔財〕ほしみ」。すなわち、美食を貪り、財産をがめつく求めると読む。 古訓は拡張的に意訳されており、これは平安時代に十七条憲法が広く読まれていたことの現れであろう。
《頃・須》
 「〔このごろ〕、別本の「〔すべからく〕はどちらでも文意が通じ、決め難い。
《見賄聴讞》
 「」の古訓「」は不適切である。「」は受け身の助動詞で、賂を贈られたと読むのが妥当。 「聴」は「聴政」など、統治する意味もある。「讞」は判決の意味だから、主語は裁判官で「賄賂を贈られ判決を下す」意味となる。 このことから「訟者」=裁判官であることが明らかとなる。
《如石投水/似水投石》
 石を水に投げ込めば水は大きく乱れるが、水を石に投げつけても石は微動だにしない。 財力によって裁判の結果が左右される現状を述べる。もちろん、これは許されないと第5条はいうのである。
《臣》
 「」をヤツコと訓むことの誤りは、前述した。 ただ、オミには多くの場合美称のニュアンスを伴う。
 この条文は、裁判官としての臣の心得を言う。この場合の臣は上から裁く立場だから、ますますオミであろう。
《大意》
――第二条
 三宝を篤く敬え。 三宝とは、仏法僧をいう。
 すなわち四生(しじょう)の終わりは万国の究極の宗に帰す。 いつの世の誰が、この法を貴ばずにおれよう。
 人は最も悪い人はわずかである。よく教えて従わせよ。
 三宝に依らずして、どうやって曲がりを直すのか。
――第三条
 詔(みことのり)を承れば、必ず慎んで受けよ。
 君はこれを天とし、臣はこれを地とする。 天が空を覆って地が戴いてこそ四時は順行し、万気が通い得る。
 地が天を覆おうとすれば、破壊に至るのみ。 これによって、君が宣(のたま)い臣は承り、上が行い下は靡(なび)く。
 よって、詔を承れば必ず慎んで受けよ。さもなければ自ら敗れよう。
――第四条
 群卿や百寮は、礼を基本とせよ。
 民を治める基本は、必ず礼にある。 上に礼なければ下は整わず、 下に礼なければ必ず罪となる。
 よって、群臣に礼があれば位の秩序は乱れず、 百姓に礼があれば国家は自ら治まるだろう。
――第五条
 貪(むさぼ)り食うことを絶ち欲求を棄て、明晰に訴訟を指揮せよ。 百姓(ひゃくせい)の訴えは、一日に千件あり、 一日すらその有様なのに、況(いわん)や歳を重ねてをや。
 この頃は〔(ある書では)須(すべか)らく〕訴えを裁く者は、利益を得ることを常とし、 賂(まいない)を受け弁論を聴く。 財をもつ人の訴えは石を水に投げこむようなものであり、 貧乏な人の訴えは水を石に投げつけるようなものである。
 このように、貧民はなすすべを知らず、 臣の道はまたここにも欠けている。


【十二年四月(三)】
《第六条》
六曰。
懲惡勸善、古之良典。
是以、无匿人善、見惡必匡。
其諂詐者
則爲覆國家之利器、
爲絶人民之鋒劒。
亦、侫媚者、
對上則好說下過、
逢下則誹謗上失。
其如此人、
皆无忠於君、无仁於民、
是大亂之本也。
懲悪勧善…〈岩〉コラシアシキホマレ。 〈閣〉コラシアシキヲアシキコトヲ
こる…[自]ラ上ニ 懲りる。
良典…〈岩〉ヨキ-ノリ
无匿人善…〈岩〉カクスコトホマレ悪必タゝセ
〈閣〉ナク ス コトカクサ〔かくすことなく/かくさず〕タゝス
諂詐者…〈岩〉 ヘツ-詐者 アサムクモノハ。 〈閣〉ヘツラヒ-サムク
…[動] へつらう。
覆国家…〈岩〉 クツ- アメカ下 -器-鋒釼スクレタルツルキ トキ ツルキ。 〈閣〉クツカヘス人-民ヲムタカラヲ
くつがへす…[他]サ四 覆す。
侫媚者…〈岩〉カタマシク-媚カタミ コフムカイ上則好トキアヤマリ アフ下則-ソシルアヤマ。 〈閣〉カタマシクコフル。 〈図〉コノム
かだまし…[形]シク 心がねじれている。 
利器…鋭い武器。
如此人…〈岩〉コレラノ
…〈岩〉■■■シサ。 〈図〉イサヲシキ
…〈岩〉メクミ
大乱…〈岩〉ナル
六(むを)に曰ふ。
悪(あしき)を懲(きた)み善(ほまれ)を勧(すすむ)は、古(いにしへ)之(の)良(よ)き典(みのり)なり。
是(こ)を以ちて、人の善(ほまれ)を匿(かくすこと)无(な)く、悪(あしき)を見てば必ず匡(ただ)せ。
其(それ)諂(へつら)ひ詐(あざむ)ける者(もの)は、則(すなはち)
国家(あめのした)を覆(くつがへ)せる[之]利器(ときつはもの)と為(な)り、
人民(おほみたから)を絶(た)てる[之]鋒剣(ほこつるぎ)と為(な)らむ。
亦(また)、侫(かだま)しく媚(こ)ぶる者(もの)は、
上(かみ)に対(むか)ひて則(すなはち)下(しも)の過(あやまち)を説(とくこと)を好(この)み、
下(しも)に逢(あ)ひて則ち上(かみ)の失(あやまち)を誹謗(そし)る。
其(それ)如此(かくなる)人は、
皆(ことごとく)[於]君(きみ)に忠(いさをしき)无(な)く、[於]民(おほみたから)に仁(めぐみ)无(な)し、
是(これ)大(おほきなる)乱(みだり)之(の)本(もと)也(なり)。
《懲》
 「こる」は上二段活用で、現代語の「懲りる」となる。 古訓の「コラシ」は、他動詞のコル〔四段〕に、動詞語尾〔四段〕がついた形である。 は軽い尊敬であるが、コラシムに似るから使役かも知れない。
 古訓コラスがあるから、平安時代には使われていたが、『現代語古語類語辞典』は上代語に入れている。 ただ〈時代別上代〉によると、コル[四段]は「受け身の助動詞ルの接した形の一例のみ」という。 従って、コラスが上代まで遡るかどうかは不明である。
 同じ「懲らしめる」意味の語に、キタムがある。 キタム[下二]は、〈続紀〉延暦八年〔789〕の詔に「支多米賜倍久〔きためたまふべく〕により、奈良時代後半まで遡ることができる。 〈皇極紀-三年七月〉の歌謡「宇智岐多麻須母〔うちきたますも〕は、キタム[四段]の未然形+動詞語尾である。 だから、飛鳥時代にはキタム[四段]があったと見ることができる。従って、上代語の訓みとしてはコラスよりキタムの方が確実である。
《其》
 文頭の「」は時には何らかの強調を伴うようだが、形式的に付けることも多いようである。 漢文には句読点がないから、しばしば文の境界を明確に示すために置いたと思われる例が見られる (魏志倭人伝をそのまま読む(47)【「其」の文法】)。
《利器/鋒剣》
 第六条では、諂(へつら)ひ詐(あざむ)く者の危険性を語るのに、かかる人物は国家を覆す利器であり人民を絶つ鋒剣であると述べる。 その「鋒剣」への古訓「スグレタルツルギ」は、あまりにも不適切である。 「すぐる」は上代から「優る」意で、誉め言葉である。 人民の命を絶つ危険なタイプの人物を責める文脈において、このような褒め言葉を用いて形容することはあり得ないだろう。
 この訓は、文脈を見ず熟語を孤立的に解釈してしまった故であろう。 この一例だけをとっても、古訓を無批判に受け入れて訓読すればそれでよしとするのは、無気力な態度と言えよう。
 「利器=鋭利な武器」の方は、「利し」の意味が「聡し」なら不適切だが、 単に物理的な性質〔よく切れる〕なら価値観を伴わない語として理解し得るから、ぎりぎりセーフであろう。
《第七条》
七曰。
人各有任、掌宜不濫。
其賢哲任官、頌音則起、
姧者有官、禍亂則繁。
世少生知、剋念作聖。
事無大少、得人必治、
時無急緩、遇賢自寛。
因此、國家永久社稷勿危。
故古聖王、
爲官以求人、爲人不求官。
有任…〈岩〉ヨサシ
よさし…[名] 任務。「ヨスの未然形+軽い尊敬の動詞語尾ス」の連用形の名詞化。
掌宜不濫…〈岩〉ツカサトルコト シ クミタレ〔よろしくみだれざるべし〕
賢哲…〈岩〉-サカシヒトヨサトキハ頌-ホム音則ヲコル
頌音(頌声)…人の徳や功績を褒め称える声や歌声。
姦者…〈岩〉姧-者カタマシキヒトタモツキ■ワサハヒ-ミタレ シ
生知…〈岩〉スクナシナカラシル人
剋念作聖…〈岩〉ヨクトキニオモ ナル ト 〔冠(かうぶ)るときに/剋(よく) 念(おも)ひ聖(ひじり)と作(な)る〕
…剋の異体字。
…[副] (古訓) よく。
大少…〈岩〉■サゝケキヲホイナリイサゝケト 私
いささけし…[形]ク 僅少である。
急緩…〈岩〉トキ-ヲソキトアフサカキヒト ユルフユルキユタカナリ
国家…〈岩〉-クニアメノシタ 永-久/トコメツラニシテ -イヱクニ  シ ス コトアヤウカラ
…〈岩〉キミ
不求官…〈岩〉人不モトメタマ
為人…「為人」は「ひととなり」訓むことが多いが、ここでは前文の「」に並列して「人の為(ため)に」である。
七(ななを)に曰ふ。
人各(おのもおのも)任(よさし)有り、掌(つかさどること)宜(よろしく)不濫(みだれざる)べし。
其(それ)賢哲(さかしきひと)官(つかさ)に任(よさ)して、頌音(ほまれ)則(すなはち)起(お)く。
姦者(かだましきひと)官(つかさ)を有(たも)ちて、禍(わざはひ)乱(みだれ)則ち繁(しげ)し。
世に生まれながらに知るひと少なく、剋(よく)念(おも)ひ聖(ひじり)と作(な)る。
事(こと)に大(おほきなり)少(いささけき)と無く、人を得て必ず治(をさ)め、
時に急(とき)緩(おそき)と無く、賢(さかしきひと)に遇(あ)ひて自(おのづから)寛(ゆる)ふ。
此(こ)に因りて、国家(あめのした)永く久しく社稷(くにいへ)勿危(あやぶむことなし)。
故(かれ)古(いにしへ)の聖(ひじり)の王(きみ)、
官(つかさ)の為(ため)に[以ちて]人を求(もと)め、人の為に官(つかさ)を不求(もとめたまはざ)りき。
《宜》
 「」の右下に、左下にの送り仮名が付くのは、「よろしく」、「べし」と再読することを示している。
 この訓点は、十五世紀のものかと思われる。影印本〔京都国立博物館;2013〕の解説によると、 訓点は、平安中期・院政期・室町の三種類が加えられ、そのうち室町の訓点は奥書から宝徳三年〔1451〕、文明六年〔1474〕と考えられている。 室町時代ではあるが、平安中期の訓点〔朱書〕を尊重して補足したものとなっている。
《爲官以求人》
 「以求人」の「」は「不求官」と字数を揃えるために付けたものだから、特に訳出する必要はないだろう。
 ここでは「為官以求人。為人不求官」、すなわち人事とは定められた役職に適材を配するものであって、 或る人物を優遇するためにわざわざ役職を作るのは本末転倒であるという。
《第八条》
八曰。
群卿百寮、早朝晏退。
公事靡盬、終日難盡。
是以、遲朝不逮于急、
早退必事不盡。
早朝晏退…〈岩〉 マヰリ オ 退マカテヨマカツ 〔は〔やく〕まゐり お〔そく〕まか〔り〕でよ〕
まかりづ…[自]ダ下二 貴人のもとから退出する。
公事…〈岩〉ヲホヤケ- ワサ
靡盬…〈岩〉-ナシ イトマイトナシ
…[動] ない。
…[名] 岩塩。岩塩のとれる池など。[形] もろい。あらい。(古訓) もろし。
()…[名] NaCl。
もろし…[形] もろい。はかない。
いとま…[名] ひま。時間のゆとり。
終日…〈岩〉ヒメモスニ シ シ
ひねもす…[副] 終日。ヒメモスとも。
遅朝不逮…〈岩〉マイルトキハ スルトキヲヨハスミヤケキナルニ■ヤク退マカルト■■。 〈図〉スミヤカナル退 トキハ
八(やを)に曰ふ。
群卿(まへつきみたち)百寮(ももつかさ)、早く朝(まゐ)で晏(おそ)く退(まかりで)よ。
公事(おほやけのわざ)に盬(もろきこと)靡(な)く、終日(ひねもす)尽(つく)し難し。
是(こ)を以ちて、遅(おそ)く朝(まゐ)らば[于]急(すみやかなること)に不逮(およばず)、
早く退(まかりで)ば必ずしも事(わざ)不尽(つきず)。
《早朝晏退》
 この条が設けられたのは、こう言っておかないと遅刻・早退をする不心得者が出てくるからであろう。 普通の職場の雰囲気が感じられ、何となく親近感を覚える。
《盬》
 は、もともと岩塩を意味し、精製する前の粗塩アラシホの結晶の崩れ易い様から、 形容詞モロシに転じたようである。 「盬悪こあく〔=粗悪〕という語があるように、劣ったイメージがある。 よって、「公事靡盬」とは、公の事には粗悪な仕事などないという意味となる。
 古訓「いとま(暇)なし」でもそれなりに意味は通るが、原文とは全く内容が異なる。 古訓者は「盬」という字の意味を実は調べきれず、大体当てはまりそうな読み方をしたかと思われる。
《第九条》
九曰。
信是義本、毎事有信。
其善惡成敗、要在于信。
群臣共信、何事不成。
群臣无信、萬事悉敗。
信是義本…〈岩〉マコトコトワリ本 毎アレ ヘシ
其善悪…〈岩〉  レ善悪ヨサ アシキ ササ ヨサ アシサ 成敗ナリ ナラヌナラス
-さ…[接尾語] 形容詞の語幹につけ、名詞化する。
共信…〈岩〉共- アラ〔信アラバ〕 -事
悉敗…〈岩〉ワサヤフレナム
九(ここのを)に曰ふ。
信(まこと)是(これ)そ義(ことわり)の本(もと)なる、事(わざ)毎(ごと)に信(まこと)有れ。
其(それ)善(よし)悪(あし)、成(なる)敗(やぶる)は、要(かならず)[于]信(まこと)に在り。
群臣(まへつきみたち)共に信(まこと)あらば、何(なに)の事(こと)か不成(ならざらむ)や。
群臣信(まこと)无(な)からば、万事(よろづのわざ)悉(ことごとく)敗(やぶ)れてむ。
《事》
 の古訓ワザは、事柄・行為を意味する和語で、コトと変わらない。 ただ「万事悉」=「ヨロヅノコトコトゴトク」はあまり優雅でないので、古訓ワザを用いておく。
《成敗》
 「成敗」の古訓はナルナラヌであるが、それぞれが後文の「何事不成〔反語文〕と、 のそれぞれが「万事悉敗」に対応するから、最初の「」もヤブルと訓んだ方がよいだろう。
《共信》
 「群臣共」の""は、次の「群臣无信」と揃えるために入れたもので、殆ど意味はない。
《大意》
――第六条
 懲悪勧善は、昔の良い法典である。 これを用いて、人の善を隠さず悪を見たら必ず正せ。
 諂(へつら)い欺く者は、 国家を覆す鋭利な刃物となり、 人民を絶つ鉾剣(ほこつるぎ)となろう。
 また、心ねじれて媚びる者は、 上に向かえば下の誤りを説くことを好み、 下に逢えば上の過失を誹謗する。
 このような人は 皆、君に忠なく民に仁なく、 大いなる乱れの元である。
――第七条
 人にはそれぞれの任務があり、職掌を濫用(らんよう)しないようにせよ。
 賢哲を官に任ずれば、頌声(ひんせい)〔=褒め称える声〕が沸き起こる。 姦人(かんじん)〔=心ねじれた人〕が官を続ければ、禍いや乱れが頻繁となろう。 世に生まれながらに知る人〔=聖人〕は少なく、剋念〔=よい心がけ〕により聖人に成長する。 事の大小によらず、賢人を得れば必ず治まり、 時の緩急によらず、賢人に遇えば自ずから平穏となろう。
 これにより、国家は永遠で、社稷(しゃしょく)〔=国家〕に危うさはなくなる。 ちなみに、古(いにしえ)の聖王は、 官のために〔役職に適する〕人を求めたのであって、人のために官〔役職を作ること〕を求めなかった。
――第八条
 群卿(まちきみたち)百寮(ももつかさ)は、早く出勤し、遅く退出せよ。
 公事に脆(もろ)いこと〔容易にこなせること〕などなく、一日かけてもやり尽くすことは難しい。 よって、遅く出勤したのでは急ぎに間に合わず、 早く退出したのでは要件をやり尽くせない。
――第九条
 信はこれこそ義の元で、事毎に信がある。
 善悪や成否には、必ず信がある。 群臣(まちきみたち)に共に信があれば、成らぬことなどあろうか。 群臣に信なければ、万事は悉く敗れるであろう。


【十二年四月(四)】
《第十条》
十曰。
絶忿棄瞋、不怒人違。
人皆有心、々各有執、
彼是則我非、我是則彼非。
我必非聖、彼必非愚、
共是凡夫耳。
是非之理、詎能可定。
相共賢愚、如鐶无端。
是以、彼人雖瞋、還恐我失。
我獨雖得、從衆同舉。
絶忿棄瞋…〈岩〉タチ忿コゝロノイカリオヘリノイカリ 私オモヘリノイカリ/ヲモミイカリ  サ〔怒らざれ〕。 〈図〉忿ココロノイカリオモテノイカリオモヘリ   
忿…[動] (古訓) ここるやむ。ねたむ。いかる。うらむ。
…[動] (古訓) いかる。はらたつ。
人違…〈閣〉タカフヲ
…〈岩〉 ルコト〔とれること〕
是非…〈岩〉彼-ヨムスレ則我-アシアシム我-ヨミスレ則彼-アシアシンス
…[名] (古訓) よし。なほし。
凡夫耳…〈岩〉-タゝヒトヲクノミ
ただひと…[名] 平凡な人。世の常の人。
是非之理…〈岩〉是非ヨサ アシサノヨク アシキコトワリ。 〈図〉是非之ヨミシ アシムスル コトワリ
賢愚…〈岩〉カシコク- ナルコト シミゝカネ一レハシ
…[名] ゆびわ。みみわ。(古訓) みみかね。たまき。
たまき…[名] 手首に巻く玉のつい金属の腕飾り。クシロとも。
みみがね…[名] 〈現代語古語類語辞典〉[中世]。
恐我失…〈岩〉ヲソレヨアヤマチ
従衆同挙…〈岩〉モロ\/同-ヲコナヘオコナヘ。 〈図〉マコナヘ
十(とをを)に曰ふ。
忿(いきどほり)を絶(た)ち瞋(いかり)を棄(す)て、人の違(たがへるところ)を不怒(いかるな)。
人皆(みな)心を有(も)ち、心各(おのもおのも)執(とれるところ)を有(たも)ち、
彼(かの)是(よしみ)則(すなはち)我(わが)非(あしみ)なりて、我が是則ち彼の非なり。
我(われ)必(かならず)しも聖(ひじり)に非(あら)ず、彼(かれ)必しも愚(おろか)に非ず、
共に是(これ)凡夫(ただひと)なる耳(のみ)。
是非之(よしみあしみする)理(ことわり)、詎(なにそ)能(よ)く定(さだむること)を可(ゆる)すか。
相(あひ)共に賢(さか)しく愚(おろか)なりて、鐶(くしろ)の端(はし)无(な)きが如し。
是(こ)を以ちて、彼(かの)人を雖瞋(いかれど)、還(かへ)りて我が失(あやまち)を恐りよ。
我(われ)独(ひとり)雖得(えども)、衆(もろもろのひと)に従ひ同(とも)に挙(おこ)なへ。
《忿・瞋》
 忿は、『例文仏教語大辞典』〔小学館;1997〕によると、 法相宗が説くのは「大煩悩」として、貪・・痴・慢・疑・悪見。 「随煩悩二十」として、忿・恨・覆・悩・慳・嫉・誑…〔以下略〕が見える。
 根本にあるのが「大煩悩」で、そこから派生する多くの煩悩を「随煩悩」と呼ぶようである。
 第十条は、仏法の教義を説くというよりは、怒りを相手にぶつける前に自分を顧みよという心得である。 そのイカルの表記として、仏教用語の文字を用いたということであろう。
《如鐶无端》
金製耳飾 金・銀製。熊本県和水町江田船山古墳出土。全長14.9cm、6.7cm。古墳時代(5~6世紀) 腕輪 金・銀製。奈良県橿原市川西町新沢千塚126号墳出土。外径6.7×7.1cm。古墳時代
研究情報アーカイブズ
 「」は「環」に通じ、輪になった装身具で、金偏だから金属製である。 図は耳飾りで、出土した江田船山古墳は、銀象嵌銘鉄剣で有名である(資料[28])。 図は腕輪で、出土した新沢千塚古墳群(橿原市北越智町・川西町)126号墳からはペルシャのガラス碗なども出土し「地下の正倉院」とも言われる。
 古訓ミミカネは図の類がイメージされたと考えられる。しかし、文意に合う形は右側の腕飾りである。 ということは、訓はクシロタマキ〔手纏〕の方が適切かと思われる。
 は棒の両端のような排他的な概念ではなく、鐶のように連続しているという。 つまり、賢策は異なる立場から見れば愚策になり得ることを、どこまで行っても限りのないリングに喩えている。
《彼人雖瞋》
 「彼人雖瞋還恐我失」は自分が叱られたときに反発せず自分の失策を反省せよとも読める。 しかし、冒頭で「人違〔人が自分と違っていても怒るな〕 というから、人を怒りたくなった時は、その前にまず自分自身を振り返れという意味である。
 「」という語は、後者を感じされる。前者なら「不抗」などを用いると思える。 従って、「彼人」は受事主語〔行為の対象を主語として置く〕である。
《我独雖得》
 「我独雖得従衆同挙」、すなわち自分のアイディアが優れていると思っても、協調性を崩すなという。 常に相手の考えの方が優れている可能性があることも頭に入れて、対等な仲間として付き合うのがよい。
《第十一条》
十一曰。
明察功過、賞罰必當。
日者賞不在功、罰不在罪。
執事群卿、宜明賞罰。
明察…〈岩〉アキラカニモ-イサミ-ツミアヤマリ――二 ツミナヘツミナノタマモノ/アテムアタル
つみなふ…[他]ハ下二 罪に服させる。〈時代別上代〉四段のツミナフ〔他動詞〕に対して、使役の意が強いようである。
日者…〈岩〉/コノコロヒコロ
賞不在功…〈岩〉賞不オイテセ■サミツミナヘ。 〈図〉タマモオイテセ
執事…〈岩〉-〔事を執れ〕。
賞罰…〈岩〉 シ ク賞罸タマモノ ツミナヘ
十一(とをあまりひとを)に曰ふ。
明(あきらけ)く功(いさみ)過(つみ)を察(み)て、賞(たまもの)罰(つみなへ)を必ず当つ。
日者(このごろは)賞(たまもの)功(いさみ)に不在(おきてせず)、罰(つみなへ)罪(つみ)に不在(おきてせず)。
事(わざ)を執(と)れる群卿(まへつきみたち)、宜(よろしく)賞(たまもの)罰(つみなへ)を明(あきら)め。
《第十二条》
十二曰。
國司國造、勿斂百姓。
國非二君、民無兩主。
率土兆民、以王爲主。
所任官司、皆是王臣。
何敢與公、賦斂百姓。
国司国造…〈岩〉國-ミコトモチクニ-ツコ ヲサメトルヲサメトラ百姓
…[動] あつめる。税金を搾り取る。(古訓) をさむ。をさめとる。
非二君…〈岩〉アラ/ナシ二君アルシ
率土…〈岩〉-クニノウチ -〔オホムタカラ・キミ・アルシ〕
任官司…〈岩〉-ヨサ -ミコトモチツカサ\/
王臣…〈岩〉キミ-ヤツコナリ
賦斂…〈岩〉-ヲサメトラム百姓
十二(とをあまりふたを)に曰ふ。
国司(くにのつかさ)国造(くにのみやつこ)、百姓(おほみたから、たみ)より勿斂(〔みつきを〕なをさめとりそ)。
国に二君(ふたりのきみ)非(あらず)、民(たみ)に両主(ふたりのあろじ)無し。
土(くに)の兆民(おほみたから、あまたなるたみ)を率(ひきゐ)るは、王(きみ)を以ちて主(あろじ)と為(す)。
所任(よささえし)官司(つかさつかさ)、皆(みな)是(これ)王(きみ)の臣(おみ)なり。
何(なに)そ敢(あ)へて公(おほやけ)に与(あづか)り、百姓(おほみたから、たみ)より賦(みつき)を斂(をさめと)るか。
《国司・国造》
 「国司」が始めて本格的に使われたのは、孝徳天皇の大化元年〔645〕である。 同年八月に東国の国司に発した詔があり、その権限や性格を比較的具体的に定めている。
 特に注目されるのが、次の部分である。
 「若有名之人、元非国造伴造県〔主〕稲置而輙詐訴言、自我祖時此官家二上是郡県、汝等国司不詐便牒於朝、審得実用而後可申。
〔若し名を求める人有りて、元より国造・伴造・県主・稲置に非ずして詐(いつは)り訴(うた)へて言はく 「我が祖の時より此れ宮家に領(あづか)り是の郡県(こほりあがた)を治めり」といひへども、 汝等(いましら)国司、詐(いつはり)の隨(まにま)に便(たやすく)朝(みかど)に牒(まをすこと)を得ず、審(つまひらかに)実(まことに)用ゐることを得て後に申す可し〕
 すなわち、国造・伴造・県主・稲置を自称して公認を求める者がいるが、 その言のまま安易に牒〔報告書〕を上げず、詳細に調べてからにせよという。
 もともと国造伴造県主稲置は、地方を領する王を中央政権が地方官として追認した名目上の称号と思われる。 国造本紀や〈延喜式-祝詞〉の「六県」(第195回《五村苑人》)から見て、郡程度の規模であったと見られる。 これらは飛鳥時代前半までと思われ、以後地位としては消滅するが、姓として残るわけである。
 そして大化の改新において、新たに直轄の官として国司が定められる。 国司の称は大宝律令〔701〕でも維持され、四等官(かみすけじょうさかん)の総称となる。
 「国司」の始まりが大化元年〔645〕頃だとすれば、十七条憲法の成立はそれ以後である。
 書紀にはそれ以前に、〈雄略天皇記〉の「任那国司」、〈清寧天皇記〉の「播磨国司」、 〈崇峻天皇紀〉の「河内国司」」が見えるが、伝説的で時代を遡って称を用いたものと思われる。
 十二条で「国司国造」と並列するのは、国司に切り替えた直後を物語っている。
 ただ、大化二年の詔は「東国」の国司が対象なので、畿内などでは既に「国司」の称が始まっていた可能性もあるが、 それにしても推古十二年〔604〕と大化元年〔645〕では間隔が長すぎる。 十七条憲法は650年前後に成立したものを聖徳太子作として崇高化したか、または十二条は後から付け加えたと考えるのが妥当かも知れない。
《斂》
 は、集まる・集める意であるが(収斂)、特に税を取り立てる意味がある。「賦斂」ともあるから、この意味であろう。 すなわち、朝廷と国造による二重徴税、もしくは朝廷に上納する税の中抜きを非難する。
《国非二君》
 国司および国造は朝廷から遣わされたみこともちであって、地方権力をもつ王であってはならないという。 だから、「国非二君。民無両主」とは、領民が仕える君は大王のみであって、地方の王ではないという意味である。
 すると「国司国造」という言い方からは、国造=王を、国司=宰に置き換えたというニュアンスも取れる。 ならば、やはり少なくとも十二条は大化の改新の時期かと思える。
《第十三条》
十三曰。
諸任官者、同知職掌。
或病或使、有闕於事。
然、得知之日、和如曾識。
其以非與聞、勿防〔妨〕公務。
任官者…〈岩〉官-者ヨサセル  ツカサヒト 
職掌…〈岩〉-ツカサトリコトノ ツカサコト 
或病…〈岩〉ヤマイ■シ使アリキヲコタルコトニ 〔シカレト〕エムシルコト
〈図〉或或〔ママ〕〔ヤマ〕ヒシ使ツカヒシ
〈閣〉ヤマヒマウシキ ヒシ使 アリキツカヒシテシル之日ニハ
…〈岩〉アマナフコトクニセヨ/インサキヨリ  ムカシ  。 〈図〉イムサキヨリ
いむさき…[名] むかし。かつて。
以非与聞…〈岩〉サルナシト云フ テアツカリ-コト 勿-防フセキソ公-マツリコト
〈図〉 イフ アツカリ勿防ナサマタケソ
〈閣〉 テナシトイフイフコトヲアツカリキクコト -防ナサマタケソ公-務マツリコトヲ
…[動] (古訓) ふせく。さまたく。
十三(とをあまりみを)に曰ふ。
諸(もろもろの)任(よさせる)官(つかさ)者(は)、同(ともに)職掌(つかさどりこと)を知れ。
或(あるは)病(やまひ)して或は使(つかひ)して、[於]事(こと)に闕(かくること)有り。
然(しかれども)、得知之(しりえし)日(ひ)に、和(あまな)ひ曽(かつて)識(し)りし如くせよ。
其(それ)与(あづか)り聞くことの非(あら)ざるを以(も)ちて、公務(まつりごと)を勿(な)妨(さまた)げそ。
《以非与聞》
 標準は「以非与聞」、岩崎本は「非以与聞」だが、どちらでも意味は通る。
 なお、訓読において「」を加えて「云非与聞」とする流儀は、岩崎本以来の伝統と見られる。
《防》
 「」は禍をフセグ意であり、古訓でいうサマタグまさきものを「」げる意であることは、どの辞書を見ても揺るがない。 よって、岩崎本の古訓フセグは字の意味には忠実だが、文脈には合わない。
 〈類聚名義抄〉による「防」への古訓サマタグは、むしろ岩崎本の古訓を採用したものと推定される。 〈図書寮本〉などを見ると、後にはサマタグが主流になったようだが、それは「」が「」の誤りだと判断したのであろう。
《大意》
――第十条
 忿(ふん)〔いきどおり〕を絶ち瞋(しん)〔怒り〕を棄て、人の間違いを怒るな。
 人皆心をもち、心はそれぞれに捉われることを保ち、 彼が是とすることは自分は非で、自分が是とすることは彼は非である。 自分は必ずしも聖人ではなく、彼は必ずしも愚かではなく、 二人とも平凡な人にすぎない。
 是非の理など、どうやって定めることができようか。 互いに賢く愚かで、丸い腕輪に両端がないようなものである。
 だから、彼の人に怒りたいことがあっても、却って自分の過失を恐れよ。 自分ひとりに得たものがあっても、皆に従って同じ行動をせよ。
――第十一条
 はっきり功罪を見て、必ず賞罰を行え。
 この頃は〔(ある本)すべからく〕功があっても賞せず、罪があっても罰しない。 事を執り行なう群卿は、賞罰をはっきりさせるべきである。
――第十二条
 国司や国造は、百姓(ひゃくせい)の賦を収めるな〔=課税するな〕。
 国に二君はなく、民に二主はない。 土着の兆民を率いるに、王〔=天皇〕こそ主(あるじ)である。 任命された官司は、皆王の臣である。 どうして敢えて公に与り、百姓の賦を収めるか。
――第十三条
 諸(もろもろ)の任官は、等しく職掌の内容を知っておけ。
 時には病し、時には使者に発ち、用務に欠けることがある。 それでも、それが分かった日には、以前から仲良くして知識を得た通りに行え。 事前に関わって聞いておかなかったがために、公務を妨げてはならない。


【十二年四月(五)】
《第十四条》
十四曰。
群臣百寮、無有嫉妬。
我既嫉人、々亦嫉我。
嫉妬之患、不知其極。
所以、智勝於己則不悅、
才優於己則嫉妬。
是以、五百之乃今遇賢、
千載以難待一聖。
其不得賢聖、何以治國。
嫉妬…〈岩〉ウラヤミ- ネタムコト
嫉人…〈岩〉ウラヤメハウ トキ 〔人をうらやむとき/人をうらやめば〕
…〈岩〉ウレヘキハマリ。 (古訓) うれふ。やまひ。
所以…〈岩〉所以コノユヘ  サト■  マサレハ トキヲノレ。 〈図〉マサルトナラハ
…〈岩〉カトマサレハ。 〈図〉カトマサルトナラハ
五百…〈岩〉五百イヲトキイホトセイマシ。 〈図〉五百イホトセイマシ
乃今遇賢…〈岩〉/令イ シムトモサカシヒト
いまし…[副] まさにいま。シは強調の副助詞。
さかし…[形]シク 賢明である。語幹による連体修飾(「さかし」)、連用形による修飾(「七のさかしき人等」)の両方が見られる。
千載…〈岩〉トロニナシ
…〈岩〉ヒシリヲ
賢聖…〈岩〉サカキヒシリ 何- ニヲ テカ メム
十四(とをあまりよを)に曰ふ。
群臣(まへつきみたち)百寮(もものつかさ)は、嫉妬(うらやみねたむこと)を有(もつこと)無(な)かれ。
我既に人を嫉(うらや)まば、人亦(また)我を嫉まむ。
嫉み妬むこと之(の)患(うれへ)、其の極(きはみ)を不知(しらず)。
所以(このゆゑに)、智(さときこと)[於]己(おのれ)に勝(すぐれてあ)れば則(すなはち)不悦(よろこばず)、
才(かど)[於]己に優(まさ)りてあれば則ち嫉み妬む。
是(ここに)、以ちて五百(いほとせ)之(の)乃今(いまし)賢(さかしひと)に遇(あ)ひ、
千載(ちとせ)に、以ちて一(ひとりの)聖(ひじり)を待ち難(がた)し。
其(それ)賢(さかしひと)聖(ひじり)を不得(うることなかりて)、何(なに)そ以ちて国を治(をさ)めむか。
《才優於己》
 「才優於己」は、〈岩崎本〉右側の黒色訓点〔室町〕の「マサレハ」は已然形、〈図書寮本〉の訓点の「マサルトナラハ」は未然形である。
 已然形の場合は恒常条件で、「他人の才が自己に勝れば嫉妬するものである」という客観記述となる。 未然形の場合は「他人の才が自己に勝るとなれば、嫉妬するであろう」という未確定の前提による構文となる。
 どちらでも可能だが、憲法という性質上、前者の客観記述体の方が適しているかも知れない。 已然形が仮定条件に用いられるようになったのは、近世(江戸時代。もしくは安土桃山+江戸)とされるので、 〈岩崎本〉の訓点はまだ仮定条件の時代のものではないと見てよいだろう。
 …『文章と表現』〔阪倉篤義;角川書店1975〕
 才能ある人に嫉妬して引き摺り下ろしてはならない。賢聖は国の財産だから大切にしろという。
《第十五条》
十五曰。
背私向公、是臣之道矣。
凡人有私必有恨、有憾必非同、
非同則以私妨公、
憾起則違制害法。
故初章云上下和諧、
其亦是情歟。
背私向公…〈岩〉ソムキユクオホヤケ
臣之道…〈岩〉ヤツコノ之道
…〈岩〉スヘテ
有私…〈岩〉 トキ必有〔私有る時〕
有憾…〈岩〉 トキウラミトゝノホラ
ととのほる…[自]ラ四 すっかり備わる。
…[形・動] (古訓) おなし。ひとしうす。ととのふ。
以私妨公…〈岩〉サマタク
違制害法…〈岩〉タカヒコトワリソコナフヤフルノリ
…[動] いさむ。いましむ。ことはる。
故初章云…〈岩〉ソレクタリ章讀件
和諧…〈岩〉和諧アマナヒトゝノホレト其亦是情歟コノコゝロナルカナ
十五(とをあまりいつを)に曰ふ。
私(わたくし)を背(そむ)け公(おほやけ)に向かふ、是(これ)臣(おみ)之(が)道(みち)なり[矣]。
凡(おほよそ)人に私(わたくし)有れば必ず恨(うらみ)有り、憾(うらみ)有れば必ず非同(ひとしからず)、
非同(ひとしからざ)れば則(すなはち)私(わたくし)を以ちて公(おほやけ)を妨(さまた)げ、
憾(うらみ)起(おこ)れば則ち制(ことわり)を違(たが)ひ法(のり)を害(そこな)ふ。
故(かれ)初(はじめ)の章(くだり)に上下(かみしも)和(やはらぎ)諧(かなへ)と云ふ、
其(それ)亦(また)是(この)情(こころ)なるや[歟]。
《同》
 わがままを通せば人に恨みが生まれ、その結果損なわれるのは協調性である。 古訓では、協調性を整然として一糸乱れぬ様=「トトノホル」と表現する。 より「」に近い語の、オナジヒトシトモニスなどでも全く差し支えない。
《哉》
 の古訓は「カナ」。この「かな」について、〈時代別上代〉は、これが見られるのは上代には常陸風土記の一例だけで、 その音仮名の中に一文字だけ訓仮名「津」が混ざるから〔後世に付した仮名と見られ〕、「この一例だけで上代にカナの存在したことを積極的に立証できるか、疑わしい」という。
《第十六条》
十六曰。
使民以時、古之良典。
故、冬月有間以可使民、
從春至秋農桑之節、不可使民。
其不農何食、不桑何服。
使民…〈岩〉使ツカハシムルニツカフタミ
以時…〈岩〉 スルハ。 〈図〉 スル
有間…〈岩〉イトマ
…[名] (古訓) ひま。あひた。
いとま…[名] 「(万)4455 欲流乃伊刀末仁 都賣流芹子許礼 よるのいとまに つめるせりこれ」。
農桑…〈岩〉ヨリマテナリハヒ-コカヒトキナリ
…[名] 蚕。
不農何食…〈岩〉不-タツクラ〔※〕ナリハ〔ヒ〕ナニヲカナレ-クラハムクハトラ何-キム…田作らず。 〈閣〉ナニヲカ ム
十六(とをあまりむを)に曰ふ。
民(たみ、おほみたから)を使ふに時を以(もちゐ)ることは、古(いにしへ)之(の)良き典(のり)なり。
故(かれ)、冬の月に間(いとま)有り以ちて民を使ふ可(べ)し。
春従(よ)り秋に至(いた)る農(なりはひ)桑(こかひ)之(の)節(とき)は、民を使う不可(べくにあらず)。
其(それ)不農(なりはひせず)ありて何(なにそ)食(くらは)むか、不桑(こかひせず)ありて何そ服(き)むか。
《民》
 古訓においてはは常にオホムタカラで、タミと訓むのは例外的である。 十七条憲法は書紀古訓時期以前から訓読されていた可能性がある。その頃の訓オミは既に一般化していて、今更オホムタカラが受け入れられる余地がなかったと考えられる。
《第十七条》
十七曰。
夫事不可獨斷、必與衆宜論。
少事是輕、不可必衆。
唯逮論大事、若疑有失、
故與衆相辨、辭則得理。
…〈岩〉コト
独断…〈岩〉獨断ヒトリサタム
…[動] (古訓) さたむ。
与衆…〈岩〉 ヘシ クアケツラ
少事…〈岩〉イサゝケキ-事是カル\/シク シモモロゝゝ
〈閣〉イサゝケノイサゝケコトハ不可 モモロ\/ス〔必ずしも衆(もろもろ)すべからず〕
大事…〈岩〉唯-逮タゝ ヲヨムアケツラフ大事  ナル コト ウタカハシキトキ アリアヤマチ
〈閣〉ウタカハシキトキハアヤマチアヤマツコト
与衆相弁…〈岩〉ワキマヘルトキ コト則得コトハリ
〈閣〉…相-辨ワキマウルトキハ引合〔引合;二文字をまとめて訓を付す〕
…[動] わける。(古訓) わきまう。
十七(とをあまりななを)に曰ふ。
夫(それ)事(こと)は独(ひとり)断(さだむ)不可(べくあらず)、必(かならず)衆(もろもろ)と与(とも)に宜(よろしく)論(ことあげてらふ)べし。
少(いささかき)事是(これ)軽(かる)し、必ずしも衆(もろもろとともにす)可(べ)くはあら不(じ)。
唯(ただ)大事(おほきなること)を論(ことあげてらふ)に逮(およ)びて、若(もし)失(あやまち)有りと疑(うたがはし)くあらば、
故(かれ)衆(もろもろ)に与(あづ)かり相弁(あひわきため)て、辞(こと)則(すなはち)理(ことわり)を得よ。
《衆》
 古訓では、二つ目のモロモロにはサ変動詞をつけて「もろもろす」と訓むが、やや舌足らずの感がある。 むしろ「与衆」と次の「」は両方とも「もろもろとともにす」と訓み、幅広い議論に委ねることをきちっと言った方がよいと思われる。
《不可必衆》
 不可必衆は部分否定の構文で、「否定の副詞+可能の助動詞+副詞+動詞」の構造をしている。 この「不可」を「~べからず」と訓むと全否定となり、「必ずしも」との折り合いが悪い。 訓読は、うまく部分否定の意を表すような工夫が必要となる。
《大意》
――第十四条
 群臣百寮は、嫉妬心を持つな。
 我が既に人を嫉(ねた)んだとき、人もまた我を嫉んでいるものである。 嫉妬の憂えは、その極みを知らない。
 そのために、知恵が自分より優れていれば喜ばず、 才能が自分より勝っていれば嫉妬する。
 ところが、五百年来のまさに今、賢者に遭遇しているかも知れず、 千年に一人の聖人を待つことは難しい。
 賢者聖人を得ることなしに、どうやって国を治めることができよう。
――第十五条
 私心には背を向け公を向くのが、臣の道である。
 凡そ人に私心があれば必ず恨みが起こり、恨みがあれば必ず協調できず、 協調できないから、結局私心が公を妨げる。 恨みが起これば定めを違え法を損なう。
 よって、初めの章において、上下が和して調和せよといった、 それもまたこの心による。
――第十六条
 民に使役を課すのに、時期の判断を用いることは、古(いにしえ)の良き法である。 つまり、冬には閑散期があり、その時期に民に使役を課すべきである。
 春から秋までの農業養蚕の時期には、民を使うべからず。 農業せずに何を食するか。養蚕せずにどうやって衣を着るか。
――第十七条
 事は独断せず、必ず多数で論議すべし。
 小事で軽ければ、必ずしも多数で行うことはない。 ただ、大事は論議にかけ、もし誤りが疑われるときは、 多数で論じて、言辞の理を得よ。


【十七条憲法の構成】
要点の一覧
主題仏教儒教臣順君以和為尊群卿百寮種別
以和為尊順君父。上和下睦。諧於論事。人皆有党。道徳
篤敬三宝仏法僧。宗教
承詔必謹君言臣承。規則
以礼為本位次不乱。道徳
明弁訴訟臣道欠。貧民不所由規則
懲悪勧善忠/仁忠於君。諂詐者…覆国家仁於民。政策
掌宜不乱人不求官。政策
早朝遅退早朝遅退。規則
信是義本信/義群臣共信。事成。道徳
不怒人違皆凡夫耳。道徳
十一 賞罰必当賞罰規則
十二 国司国造国非二君一。官司皆是王臣。百姓政策
十三 同知職掌曽識於事規則
十四 無有嫉妬智勝於己則不賢聖以治国。道徳
十五 背私向公上下和諧。非同則以私妨公。道徳
十六 使民以時冬間。可使民。規則
十七 不可独断衆相弁。辞則得理。規則
 十七条憲法は、基本的に「群卿百寮〔官僚組織〕の内部規律を保つことを目的として、その心得を列挙した書である。 「和を以て貴しとなす」は非常に有名であるが、人民一般向けの言葉ではなくあくまでも官僚間の規律に関する言葉である。
《群卿百寮》
 群卿の訓「マチキミタチ」は「マヘつ君達」の音便で、 王の側近の意。官庁における上級官僚である。百寮の「」は令においては省の付属官署である(資料[24])。 一般にモモノツカサと訓み、ここでは下級官僚である。
 すなわち、群卿百寮は、結局宮廷に仕える官の集団を指す。
《仏教》
 仏教に関する部分は第二条のみで、仏法僧に敬意を持てというにとどまる。
《儒教》 
 儒教では「仁・義・礼・智・信」を五徳という。これに三綱「忠・孝・悌」を加えた八つの徳目が『南総里見八犬伝』にも出てくる。
 第六条では、国家安泰のための基本原理として、を用いている。第三条も同じく君臣の序を説いたものであるが、こちらで用いた「天地」は陰陽道の概念である。
 第四条では、を秩序を保つため原理とする。
 第九条では、〔=論理〕の泉源であり、すべてに貫かれるべきとする。 また、群臣の横の関係の基盤に信を置けという。だから、信は上下関係に関してはニュートラル〔中立〕である。
 については、知性〔intelligence〕と捉えられており、 第十四条で、智に優れた人の足を引っ張るなと言い、第七条では「知」は生まれながら備わったものではなく、努力して身に付けるものだとする。
 このように、儒教の徳目が官僚の規律を裏付けるものとして援用されているのは明らかである。
 なお、八徳目のうち〔親子間〕〔夫婦間〕が出てこないのは、十七条憲法の対象がやはり官僚であることを示している。
《民》
 民・百姓に対する言及は、五条、六条、十二条、十六条にある。 このうち、第十二条は国家に納める税を地方領主が横取りするするなと言っているだけだから、農民を大切にせよという趣旨ではない。
 第十六条は、農作業の季節に役(えたち)〔=徴用〕を課してはならないという。休息すべき時期に引っ張り出すのだから、全く仁とは言えない。
 第六条は、「民には仁を」と言うが、本質的には苛政によって反乱に決起させることを警戒してのことである。
 結局、真に民への仁を語るのは、裁判は貧富によらず公正に行えという第五条だけである。 全体として民に冷淡なのは、官僚向けの文書だからであろう。
《種別》
 各条文は、次のような種別によって分類することができよう。
 ●規則(7)…無条件に守るべき規則が、比較的端的に短く書かれている。秩序を保つための命令系統や服務規律の類である。
 ●道徳(6)…心得というべきものである。自分勝手を抑えよく話し合って協力して成果を得ることを求める。内面的な成長を要請するものである。
 ●政策(3)…これも規則ではあるが、実現には相当の努力を要しむしろ政策的目標というべきもので、長文となっている。
 ●宗教(1)…意外にも第二条のみである。
 全体として、官僚の行動や態度に向けられたものということができる。 あまり系統だっていないので、一度にまとめて書かれたものというよりは一定の時間をかけて積み重ねられたもののようにも思われる。
 ただ、簡潔な中に意味がよく通る文になっていて、なかなかの文章力が感じられる。 これに比べると弘仁私記序、元興寺伽藍縁起、古語拾遺などは、かなり読みにくい。
 また、書記にしばしば見られる漢籍を下敷きにして韻文を作ったような部分は今のところ見つからず、オリジナルであろうと思われる。
《党》
 第一条「人皆有〔人は、皆属する党がある〕と、 第十二条「国司国造勿百姓〔人民から税を取るな〕を併せると、 在地独立勢力の連合体から中央集権へという指向性が浮かび上がってくる。
 それに伴い、官僚組織を出身氏族の利害を代表して調整する機関ではなく、対象を客観視してフラットに議論し、 いわば「三人寄れば文殊の知恵」を生み出す体制にしようとするのである。 これが十七条憲法の主要な狙いではないだろうか。
 孝徳天皇大化二年〔646〕の詔の最初に 「昔在天皇等所立子代之民処々屯倉及別臣連伴造国造村首所有部曲之民処々田荘。仍賜食封大夫以上各有差。…〔昔在りし天皇の立てたる子代(みこしろ)、処々(ところどころの)屯倉(みやけ)及び別・臣連(おみむらじ)伴造(とものみやつこ)村首(すぐり)の所有(もてる)部曲(かきべ)の民、処々の田荘(たどころ)を罷(や)めよ。 仍(すなはち)食封(じきふ)を大夫(たいふ)以上(いじやう)に賜(たまは)る。各(おのおの)差(しな)有り。〕とある。 すなわち、官僚による田荘(たどころ)の私有を廃止し、税を直接国家に納めさせ各官僚に支給する形を目指す。 実際には、この改革は大宝令〔701〕の頃まで及ぶ長い事業だったと考えられている。 この改革に伴い、官司は自己の領地の直接支配から離れ、国家のために立案する集団の一員になることが望まれる。
 このように考えると、十七条憲法の内容が現実と噛み合うのは、大化の改新以後ということになる。 一般に、偉大な業績の端緒を古い大王に遡らせることは珍しくない。それは例えば崇神天皇に調の始め(男弓端之調、女手末之調)、依網池の始め、斎王の始めを置いている。 同様に十七条憲法を聖徳太子に遡らせることは、十分考えられる。
 ただ、これだけの文章力をもつ真の執筆者を大化以後に見つけるのは大変である。

まとめ
 十七条憲法は、官司が氏族の利益代表の集まりではなく、朝廷にフラットに仕えて合議で政策を決める集団になるべきだと促す文書である。 この課題は大宝令までの長い期間、ずっと継続していたと思われる。 しかし、十二条で考察したように、国造を廃して国司を置いた大化の改新の時期に、成立した可能性が一番高いように思われる。
 だとすれば、その頃に洗練された文章を作る能力に優れた誰かが、権威付けのために聖徳太子の名前を使って仕立て上げたことになる。
 もしそうでないとするなら、聖徳太子が先駆的にこの問題意識をもっていたことになる。その可能性も、実は捨てきれない。 というのは、冠位十二階の制定は、唐に倣って塊としての官僚組織を太子が整えようとしたと考えられるからである。 ただ、その場合でも十二条だけは大化の改新の時期にに追加された〔最初から十七条なら置き換え〕ように思われる。
 何れにしても、十七条憲法の成立はまだ「天皇」の呼称のない時代で、この形で既に広まっていたから、書記も「君」や「君父」を「天皇」に置き換える作為ができなかったと思われる。 もし、書紀編纂の時点で十七条憲法の存在が一般にあまり知られていなかったとすれば、絶対に「天皇」にしたはずである。
 さらには、早い時期から既に訓読されて「民」の訓にはタミが定着していたから、古訓もオホムタカラにできなかったと考えられる。