上代語で読む日本書紀〔安康天皇(1)〕 サイト内検索

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2018.03.09(fri) [13-07] 安康天皇1 


目次 【即位前】
穴穗天皇、雄朝津間稚子宿禰天皇第二子也。……〔続き〕


目次 【即位】
〔允恭天皇四十二年〕十二月己巳朔壬午、穴穗皇子卽天皇位。……〔続き〕


目次 【当即位時】
《大泊瀬皇子欲聘瑞歯別天皇之女等》
當是時、大泊瀬皇子、
欲聘瑞齒別天皇之女等【女名不見諸記】、
於是皇女等皆對曰
瑞歯別天皇之女…香火姫皇女、円皇女、財皇女 (第183回)。
当(まさに)是の時、大泊瀬皇子(おほはつせのみこ)、
[欲]瑞歯別天皇(みづはわけのすめらみこと)之(の)女(みむすめ)等(ら)【女(むすめ)の名諸(もろもろの)記(ふみ)に不見(みえず)】聘(むか)へむとして、
於是(ここに)皇女(みこ)等(ら)皆(みな)対(こた)へて曰(まを)ししく。
「君王恆暴强也、儵忽忿起。
則朝見者夕被殺、夕見者朝被殺。
今妾等顏色不秀、加以、情性拙之。
若威儀言語、如毫毛不似王意、豈爲親乎。
是以、不能奉命。」
遂遁以不聽矣。
…[副] たちまち。
儵忽(しゅくこつ)…① 現れたり消えたりするのが素早いさま。② いなずま。
たちまちに…[副] 突然。
ゆふへ…[名] 〈時代別上代〉ユフが複合語中に用いられるものに対して単独で用いられる。アシタの対。
情性…① 感情と生まれつきの本性。② 心。
…(古訓) つたなし。かたくなし。にふし。
つたなし…[形] 愚かだ。臆病だ。
威儀…威厳のあること。
…(古訓) いかめし。かしこまる。よそほひ。
…細かい毛。ほんのわずかであること。
「君王(きみみこ)恒(つね)に暴(あら)くして強(こは)くありて[也]、儵忽(たちまちに)忿(いかり)起こりて、
則(すなはち)朝(あした)に見し者(ひと)夕(ゆふへ)に被殺(ころさえ)て、夕に見し者朝に被殺(ころさゆ)。
今妾等(われら)の顔色(かほいろ)不秀(すぐれざ)りて、加(くは)へて以ちて、情性(こころ)[之]拙(つたな)くもあり。
若(も)し言語(ことば)に威儀(よそほ)ひすれど、毫毛(けのすゑ)の如きも王(おほきみ)の意(こころ)に不似(にざ)れば、豈(あに)親(むつま)しきこと為(な)しまつる乎(や)。
是以(こをもちて)、命(おほせごと)を奉(たてまつ)ること不能(あたはず)。」とまをしき。
遂に遁(に)げまつりて、以ちて不聴(ゆるしまつらず)[矣]。
《女名不見諸記》
 瑞歯別(反正)天皇紀には三人の女(むすめ)の名が挙げられているから、「女名不見諸記」は不可解である。 あるいは、この類話の部分に限定してのことであろうか。
 なお、反正天皇の四子のうち弟媛が産んだ二子は、 書紀によれば「財皇女と高部皇子」、記によれば「財王、次に多訶弁郎女」で男女が逆転している。 但し財王については、景行天皇の子「銀王」は女性なので、財王も女性の可能性がある。
《若威儀言語如毫毛不似王意》
 を「みこ」と訓めば、「言葉が礼儀正しいとしても、大泊瀬皇子の強暴な心には1ミリも似ていない」という意味になる。
 これでも成り立つのだが、「」を「きみ」「おほきみ」と訓むこともでき、この場合は 「うわべの言葉は礼儀正しくても、王〔統治者〕に相応しい心構えはほんの少しも持ち合わせていない」という意味になる。 「毫毛」という語は「毫毛ほどの徳もない」のような使い方の方が自然なので、ここでは後者を採用した。
《大意》
 この時に、大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)、 瑞歯別天皇(みづはわけのすめらみこと)の娘たち【娘の名は、諸記に見えない。】妃に迎えようとしましたが、
 皇女らは皆、こうお答えしました。
 「君皇子は常に強暴で、突然怒りだすことがあり、 朝方見た人が夕方には殺され、夕方見た人が朝方には殺されるありさまです。 今、私たちの顔色はすぐれず、加えて心の拠り所もございません。
 例え言葉を装れたとしても、毫毛(ごうもう)ほども王の心には似ず、親しくすることなどあり得ましょうか。 よって、命(めい)を承ることはできません。」と。
 遂に逃げて、お受けしませんでした。


目次 【元年】
元年春二月戊辰朔、 天皇、爲大泊瀬皇子欲聘大草香皇子妹幡梭皇女。……〔続き〕


目次 【二年】
二年春正月癸巳朔己酉、立中蒂姬命爲皇后……〔続き〕


目次 【三年】
三年秋八月甲申朔壬辰、天皇、爲眉輪王見弑。……〔続き〕


まとめ
 安康天皇は、大草香皇子(おほくさかのみこ)の妹を大泊瀬皇子(雄略天皇)に娶せようとした。 そして根使主の讒言によって大草香皇子を殺す事件もあったが、最終的には娶せることに成功した。
 書紀はその前段に、大泊瀬皇子がなかなか妃を得られなかったという逸話を挿入した。 ここでは大泊瀬皇子が短気で強暴な人物であることを上書きする。 併せて安康天皇が弟の妃を得るための苦労を、輪をかけて大きく描いたことになる。
 安康天皇が暗殺されたのも、もとを正せば大泊瀬皇子のために尽くしたことが発端である。 よって、雄略天皇は安康天皇には頭が上がらない。書紀においては、その基調は一貫している。 雄略天皇が大きな安康天皇陵を完成させたことはその延長線上にあるから、 記紀が想定した「菅原伏見陵」は現在の宝来山古墳であろうと思われるのである。