古事記をそのまま読む―資料8
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2021.09.11(sat) [52] 太子執筆と言われる三経義疏 

【三経義疏】
 「三経義疏さんぎょうぎしょ」は、上宮王聖徳太子私集として伝わる『勝鬘経しょうまんぎょう義疏』・『法華ほっけ義疏』・『維摩ゆいま経義疏』の総称である。 このうち、勝鬘経法華経については上宮王が講じた件が、〈推古十四年〉に載る。
 つまり、上宮王は三経義疏について研究してその成果を講じ、また「義疏」を著したと考えられてきた。
引用文献略称
〈法隆寺資材帳〉…『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』――『寧楽遺文』〔竹内理三編;東京堂出版1943/1962〕に収録。
〈魚住〉…『「書」と漢字』〔魚住和晃;講談社;1996〕
〈法華義疏複製〉…『御物法華義疏』聖徳太子奉讃会1927。1970再刊〔吉川弘文館〕
〈宝治板勝鬘疏〉…『花山信勝校訳 勝鬘経義疏』;吉川弘文館1977。巻末の宝治板勝鬘経義疏(影印)
〈花山〉…同上。巻末解説。
〈岩波花山〉…『岩波文庫 法華義疏』〔花山信勝校訳;上下巻1975〕巻末解説。
〈早島勝鬘疏〉…『聖徳太子 勝鬘経義疏・維摩経義疏(抄)』〔中村元・早島鏡正訳;中央公論新社2007〕の「勝鬘経義疏」現代語訳〔早島鏡正訳〕
〈田村〉…同上。冒頭解説〔田村晃祐著〕
〈国訳勝鬘経〉『国訳大蔵経 経部第三巻』〔国民文庫刊行会1918〕(国立国会図書館デジタルコレクション)
〈勝鬘経本義〉…『聖徳太子集 日本思想大系2』〔家永三郎他;岩波書店1975〕集録「勝鬘経疏本義」敦煌本。
 〈法隆寺資材帳〉には、三経義疏が「上宮聖徳王御製」としてリストアップされている。
《法隆寺文書》
『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』天平二十年〔748〕六月十七日
合論疏玄章伝記惣壹拾参部拾壹巻【八部卌巻人々坐奉者】
 法華経疏三部【各四巻】
 維摩経疏壹部【三巻】
 勝鬘経疏壹巻
  右上宮聖徳王御製者
 智度論壹部【一百巻】
  右奉為 天朝天平二年歳次庚午 宝蔵知識敬造者
『法隆寺縁起并資財帳』天平宝字五年〔761〕十月一日
合経疏捌巻
 法華経疏肆巻【正本者 帙一巻着牙 律師法師行信覓求奉納者】
 維摩経疏参巻【正本者 帙一巻着牙】
 勝鬘経疏壹巻【帙一巻着牙】
  右上宮聖徳王御製者
 鉄鉢壹口【後錣】
  右上宮聖徳王御持物【矣】天平九歳次丁丑二月廿日律師法師行信推覓奉納賜者
 新様錫杖壹枝
  右上宮聖徳王御持物【矣】大僧都行信推覓奉納賜者
肆巻…「四」の大字。…[名] ふみづつみ。
…象牙の札が現存(〈魚住〉)。天平九〔年〕歳次丁丑…737年。
 『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』は「北浦定政手沢本」として残るもので、 僧綱からの指令〔天平十八年十月十四日付〕によって、天平十九年二月十一日付で「牒」として提出され、 天平二十年〔748〕六月十七日付で僧綱によって承認された文書 (「元興寺伽藍縁起并…」Ⅳ)。
 「合」は、リストの細目ごとに頭につける文字。「玄章」はおそらく深遠な文書の意。 所蔵する歴史的文書類が、全部で13部11巻ある。また、8部40巻が人々からの寄贈と読める。 部数、巻数のカウントの仕方はよくわからない。
 この中に、法華経疏維摩経疏勝鬘経疏が、「上宮聖徳王御製」として含まれている。
 『法隆寺縁起并資財帳』は「大和法隆寺文書」として残る。天平宝字五年十月一日の日付と、寺主法師隣信を筆頭に6名の署名があるが、 提出先は記されていない。
 三疏とも「」で包まれ「」を着け、二疏には「正本」と書かれている。これについて〈魚住〉は、 「当時、法華義疏には正本と副本の区別があり、現存する法華義疏には巻物を収める簀巻すまき型のちつと牙〔象牙〕製のせん(ふだ)が備わっていることから、 現存の法華義疏が正本そのものであることが推定される」と述べる(p.14)。
 奥書に「紛失之後不幾年。 于時保安〔1121〕二年三月廿六日。自-従僧源朝之手始伝」 とあり、しばらく行方不明だったようである。初めの部分は欠けている。
 上宮聖徳王御持物の鉄鉢も、天平九年〔737〕に行信が奉納した。その肩書は「律師法師」である。 天平二十年〔748〕になると行信の肩書は、大僧都である。 よって、行信はまだ律師法師だった時期に『法華経疏』四巻の「正本」を入手して法隆寺に奉納し、 その後写本が二部加わり、その計三部の所蔵が748年の資材帳に記され、さらに761年の資材帳にも「正本」が記されたということになる。 なお、行信の没年は750年といわれる。
《遺文献》
 『法華経疏』については、 〈田村〉によれば「奈良時代から法隆寺に所蔵され明治時代に皇室に献上された草稿本」(いわゆる〈御物本〉)があり、 7世紀前半の遺品とされている。〈岩波花山〉には「明治十一年〔1878〕二月十八日献納御裁可となり」、「只今〔1975年〕は京都の御所内に奉安されている」という。
 題字の「法華義疏第一」の下に、 「此是 大委上宮王私集非海彼本〔これ、大倭〔=日本〕の上宮王の私集にて、海の彼〔方〕の本に非ず〕と書き加えられているが、 「本文と別筆で、おそらく行信という奈良時代の僧によって書かれたものと見られている」(〈田村〉)という。 行信は、奈良時代の玄蕃寮〔僧を管理する官庁〕で次席を務めた(「元興寺伽藍縁起…」Ⅳ)。
 『維摩経疏』、『勝鬘経疏』については、原本は残っていないとされる。
 『勝鬘経疏』は、〈田村〉によれば宝治元年〔1147;鎌倉〕の版本(〈宝治板勝鬘疏〉)が最古だという。
〈法華義疏複製〉  一誠堂書店

【法華義疏】
 〈田村〉によると、書家の西川やすしは、異体字の使用から見て「隋に相応する時代の作」とする。 また、石田茂作は「『法華義疏』に用いられている横幅がまちまちであり〔四巻それぞれで紙のサイズが異なっている〕、 「奈良時代に写経に用いられた用紙の幅は一定であるから、おそらく小野妹子が何回かにわたって中国から持ち帰ったものではないか、とする」という。
 これらをつき合わせると、『法華義疏』は隋代の中国で書かれて渡来したということになる。
 一方、〈田村〉は『法華義疏』には後に多くの訂正が加えられ、平均して2.5行に一か所に及んでいる。また訂正されない誤字が多数あるとする。 そして、「素人が書いたものは最初は丁寧な字で書いていても後ではどうしても乱れてくるが、この書は終始一貫しており筆者の専門家の書」と見られる。 よって、もともとかなり「乱雑な草稿」であったものを筆者の専門家に筆写させたが、筆写者は仏教の知識を欠く人物であっただろうと推定する。
 ただし〈田村〉自身は、この書が書かれた国については中立的である。
《御物本》
 〈御物本〉そのもののつくりは質素だが、保存状態は極めて良好だという。
 〈魚住〉が『「書」と漢字』で挙げた御物本の形態的な特徴のうち、主なものを拾うと、
●「軸があたかも麺棒を補足したような一本棒」である。普通は、軸木の両端に紫檀・黒檀や象牙・水晶で作った軸頭を嵌めているが、 『法華義疏』にはそれがない。
●「本紙に裏打ちの保護」が加えられず、書き込んだ紙をつぎつぎと繋いだものである。
●行頭はきれいに揃っているが、揃えるための折跡がない。しかし、実物を見たところ「へらのようなものによる押跡の罫が施されていた」ので、それを基準線にしたらしい。
●「料紙の色は薄茶褐色であるが」、年月による退色ではない。なぜなら「巻頭から巻末まで、まったく色が変わらないからである」。保存はみごとで虫食い一つない。
《書体》
法華義疏の書体〈魚住〉p.20
 また、書体について〈魚住〉は次の特徴を挙げる。
●基本的に楷書に一部草書を交え、一文字ずつを分離する。
●筆使いは直線ではなく、大体右カーブの曲線。
●「極力簡便な字が用いられている」。など。
 以上から、「簡便さを優先し、速書することを主眼となす」が、「まったく文字を連綿させ」ない〔=続け書きをしない〕ことについては、 「判読が煩わしくなることを避けるための配慮」と見ている。
 類似の書法として、「李柏文書りはくもんじょ」の例を挙げる。 これは、「今世紀初頭…シルクロードの楼蘭ろうらん古址で発掘」された李柏の手紙で、 李柏が晋書に登場する人物で、王義之おうぎし在世の時代と重なるので、年代は厳密に絞り込めるという〔328年頃という〕。 この「常用筆記体とでもいうべき書き方が、六朝時代〔222~589年〕から隋代に至るかなり長きにわたって用いられ」たという。
 また、『法華義記』〔敦煌文書〔次項参照〕;曇延許536年の書写〕は、「書法としての時代感覚は」『法華義疏』より新しい 〔=仮に義疏が義記より新しかったとしても、その書体は義記より古い〕と述べる。
 さらに、『野中寺弥勒菩薩像銘文』(丙寅年〔666〕と記される)については、 「法華義疏の書法に類似するものとして知られる」が、「弥勒菩薩像のみごとさ…に比べ、銘文がいかにも格式を欠く」とのべ、さらに文章における和習を指摘している。 このように、〈魚住〉は7世紀の倭の書のレベルは中国に劣ると見て、中国の書と共通性が高い『法華義疏』は中国のものという考えを匂わせている。
 本サイトでは、「元興寺伽藍縁起…Ⅲ」【光背・造像記の線刻】において、 像の制作からは年月を隔て、674年以後に線刻されたと見た。 
 〈魚住〉は、『法華義疏』は中国で書かれたものとする。その見解を要約すると、端的に言って次の二点である。
文中で「外国語」は梵語〔サンスクリット語〕、「漢語」は中国語を表すが、当時の日本人が正しく理解して両者を使い分けることができていたとは思えない。
弥勒寺弥勒菩薩像銘文(部分)〈魚住〉p.25
十七条憲法のぎこちなさに表れた「当時の日本人の〔文章力の〕水準を考えれば〔『法華義記』は〕あまりにかけ離れた高度なものである」。
 これらに対する本サイトの見解は、後に述べる。
《本義》
 〈花山〉によると、『法華義疏』には『本義』から引用されている。 さらに『法華義疏』の『本義』は「梁朝の広宅寺法雲〔467~529〕の講経〔=経を解説する講〕の筆録〔口演を文字起こししたもの〕 を集成した『法華義記』八巻(大正大蔵経三十三巻収録)であることは明らかである」という。
 そして、『法華義疏』『勝鬘経義疏』(後述)と同じく『本義』を底本として、「自由な選択と批判の態度」をもって私集されたものとし、 三経義疏ともに上宮王の作であるとする考えを滲ませている。
《筆録》
 ここで、仏教書籍への注釈書が作成された環境を想像してみよう。
 一般的に講において、その口述発表を筆録としてまとめるのは、どの時代にも普通のことであったと思われる。 例えば、弘仁の日本紀講筵のスタイルは、経義の講筵と同様と考えられ、その筆録に付されたものが「弘仁私記序」である。 もし、口演者が発表に向け準備したメモが提供されれば、筆録作成の作業の助けになろう。 〔自分がシンポジュームなどで、集録を編集する立場になったことを考えれば理解できよう〕
 〈推古紀〉十四年には、太子による「法華経」と載る。記録者はその内容を速記して、発表者が用意した発表原稿が借用できれば利用し、 それを筆者専門家が清書したのが、今日まで残る『義疏』だと考えることもできる。
 ただ、『法華義疏』の「総字数は約87,500字…四百字詰め原稿用紙にして、約220枚」に及ぶというから(〈魚住〉)、一回の講の記録にはとどまらない労作と見るべきであろう。 複数による合作を否定し、個人の著述とする意見もある。
 〈田村〉は、「法雲の『法華義記』に真っ向から対立する説を立てながら 「悪の心は及び難し、ゆえにことごとくは記さず」…という。もし複数の著者がおり、 その中の一人の主張がここに用いられていたら「愚の心」という言葉は出てこないだろう」(pp.6~7) と述べ、著者は単数とする。
 孔子の言葉を弟子が「論語」として遺したように、継続的に上宮王の口述、若しくは走り書きしたことをスタッフが書にまとめたことは十分に考え得る。
 仏教の導入は国家的事業であった。そのハードウェアとしての大寺院の造営は、間違いなく組織的に行われている。 同様に、ソフトウェアとしての経典の研究も、サポートする学問僧とともに組織的に行われていたと見るのが自然であろう。
 そこに浄書専門家も加わっていたが、当時はまだ日本仏教の草創期なので、あまり仏教を知らなかったのかも知れない。 よって『法華義疏』が誤字だらけになったのは、当然の帰結と思われる。 これについては、〈岩波花山〉も「仏教知識のまだ幼稚な時代の著作であったがため」と見ている。 後世に、見直して訂正がなされたのだろう。
 『法華義疏』などの研究組織の中心に上宮王がいたとすれば、これが太子の『法華義疏』として早い時期から大切に保存されてきたことも頷ける。
《書かれた国》
 多数の誤字は、仏書の蓄積のある中国では考えられないから、倭国で書かれたと考えざるを得ない。
 前述した〈魚住〉の①②の主張に関しては、『本義』という土台があったのだから、この程度の文章の構築は可能ではないだろうか。 百済僧、高句麗僧による助けも考えられる。
 については、十七条憲法は実際には大化の改新の時期に作られ、権威づけのために太子の名を冠した可能性を本サイトは論じた (推古十二年)〔ただ、骨格は太子の時代を作られ、後に肉付けされたことも考え得る〕
 考古学的に『法華義疏』を調べるなら、紙の繊維を調べればその原料植物の産出国を特定できよう。 最近はその研究手法が確立しつつあるようで、ウェブサイトを検索すると 「 前近代の和紙の混入物分析にもとづく「古文書科学」の可能性探索」などが見える。 また、「 東北メディカル・メガバンク機構」には 「ミイラや化石の中にも、DNAは残っています。さらに動植物そのものではなく、加工した物、たとえば毛織物や木工品にだってDNAは含まれている」とある。 さらに、C14法を用いれば、年代も特定できる。
 もし紙の繊維が7世紀初めの国内産なら、『法華義疏』国内のオリジナルか、少なくとも国内で模写したものである。 ただ、その調査のためには紙から小片を採取しなければならない。しかし、宮内庁も法隆寺も当分許可することはないであろう。
《結び》
 7世紀初頭から大寺院が次々と建立されたのを見れば、仏教の導入は新たな国家の骨格作りともいうべき大事業であった。 ならば、その教義についての研究も、国作りの精神的基盤に資すための研究が国家事業として推進されたと考えるべきであろう。 その研究が特定の知力に優れた個人に大きく依存したとしても、それを支える学問僧や渡来僧、書記などのスタッフがいたと見るのが自然である。
 もしその内容が仏典を主体的に自国のものにしようとする息吹に溢れ、かつ実際にそれを指針とした国作りがなされたなら、 この書は倭で書かれたものとなろう。
 結局は、その内容こそが、倭のオリジナル文書であるかどうかの判断基準になるわけである。

【勝鬘経義疏】
《勝鬘経》
 勝鬘経(一巻)は、原題『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』。
 「宋の求那跋陀羅(ぐなばつだら)訳。勝鬘夫人(しょうまんぶにん)が仏陀の威神力を受けて一乗真実の道理と如来蔵法身について説き、仏陀が賞賛してそれを是認する形をとる経典」 である(デジタル大辞泉;小学館)。
《勝鬘経義疏》
 〈花山〉は、その解説において『勝鬘経義疏』が中国で作られたとする説を否定する。 その根拠として挙げるのは、「中国における数多の章疏のなかに〔『勝鬘経義疏』についての〕何らの言及がな」いということである。 つまり、中国文献の中に『勝鬘経義疏』を引用したり、話題として取り上げた例が全く見られない。
 その一方で、奈良の智光が「上宮王〔=聖徳〕撰として三経義疏を五十数回におよんで引挙言及」することなどは、 本邦で書かれたことの裏付けとなり、正倉院の「天平年間の記録のなかに「上宮聖徳法王御製」としての 三経義疏の幾種かが存在したことを示している」と述べる(pp.274~275)〔原文は上述〕
 また、三経義疏の「太子執筆」は名目であって、実際には他の人物が著したものだろうという考えについては、 「その内容がきわめて専門的で、摂政皇太子〔中略〕のものではなかろうと考えたいのが常識だが、 凡人の常識をもって計られないもののあるところに「大聖」、「聖徳」または「法皇」という呼び名が自然に生まれた」のではないかと述べ、 太子の真筆とする印象を抱いている(p.274)。
 『勝鬘経義疏』は、中国の「敦煌写本群」から発見された『勝鬘経本義』(p.248)を 「底本として、その他いくつかの注疏を参考として私集されたもの」であると見る。
《本義》
 続けて〈花山〉による。
 「最近〔1969〕京都大学人文科学研究所の敦煌写本研究班によって、『勝鬘義疏本義』なるものが敦煌写本群のなかに存在することが発見」された 〔東方学報、京都、第四十冊、1969〕。 この『本義』と上宮王の勝鬘経義疏を比べると、勝鬘経義疏が『本義』を誤写したと見られるものが11箇所ある。 もともとの『本義』敦煌写本の誤写は28箇所ある。よっていくつかある『本義』の写本のうち 「一写本がわが国にも伝えられて、上宮王の『義疏』に『本義』として採用されることになった」と推定する。
《引用態度》
 〈花山〉によれば、「「本義云」とも、「一云」ともことわらないで、完全に『本義』の解釈をそのまま採用しているところも少なくなく、 僅かに修正を加えたり、文章を簡略にしたり、改めたりしたところもかなり多く、『本義』の散説〔=あちこちに分散して書かれたもの〕を集約したものや、 また足らざるところは加上追加したところもある」という。つまり、上宮王義疏は『本義』を理解して記す作業を土台としているという。
《経典への理解》
 〈花山〉によれば、義疏において「自説を述べるに当たっては、私懐者、今所須者」などとことわっている。 また、上宮王義疏が『本義』への同意を表す場合は、「亦好」「随欲可用〔欲しきままに用ゐるべし〕、 「好則好矣」などと表現する。これらの書法は『法華義疏』と共通するという。
 そして「ようするに」、「上宮の『勝鬘経義疏』は『本義』を底本として、その他いくつかの注疏を参考として私集したものであって、 最初からの独自の撰者でないことは、経典注釈疏としての当然のことである。 それだからといって、その価値が失われるものでは決してない。その中に見られる自由な選択と批判の態度とは、 『法華義疏』における場合と同様であって、きわめて高く評価されてよい」と結論付けている。
《義疏と本義》 
 『勝鬘経義疏』は、要するに注釈書『勝鬘経本義』を学んで作成したノートを基にして、文書として整えたということのようだ。 〈推古天皇〉十四年の「講」の筆録がもとになったかも知れないが、『義疏』の分量を「三日」で言い尽くせるかという疑問もある。 筆録以外の内容を追加したことも考えられる。

【勝鬘経義疏-真子章】
 【法華義疏】の《結び》で述べたように、三義疏が倭国のオリジナル文書であるかどうかの判断は、 結局書かれた内容による。
 それにはこれらの全部を読解しなければならないが、簡単には終わりそうにない。 ここでは、さわりだけを見ておきたい。
 〈推古紀〉では最初に講じたのは勝鬘経となっているので、経の研究の入り口は勝鬘経であったと考えてみる。 そして、勝鬘経の中核は「如来蔵説」にあり、「真子章」にはその内容がよく書かれているので、この部分を抜き出してみる。
 なお、「如来蔵説」は大乗仏教の思想で、人は皆、仏〔=如来〕になる可能性を内包〔=蔵〕するという考え方を指す。
《略明真子》
巻末の〈宝治板勝鬘疏〉影印 『勝鬘経』該当部分 訓読
從「如是二法」以下
第二※1)能信定〔理〕※2)
上 勝鬘既言定 此如來亦言
卽 爲信无據所 以擧能信人勧信莫疑也
中有
第一 惣明深解者能信 諸凡難
第二 從「若我弟子」以下正出能信人
即 是信順二忍菩薩
第三從「此五種巧便」以下※3)能信
「如是二法」従(よ)り以下(しもつかた)、
第二(つぎてのふたつ)の能(よ)く定め難き〔理(り)〕を信(う)くる人を出(い)づ。
上(かみ)に勝鬘(しようまむ)既(すで)に定め難しと言ひ、此(これ)如來(によらい)亦(また)定め難しと言ふ。
即(すなはち)信(うくること)拠所(よるところ)を无(な)きが為(ため)に、以ちて能(よ)く信(う)くる人を挙げ、信(う)けて莫(な)疑ひそと勧めむ[也]。
中に就(つ)きて三(みつ)有り。
第一(つぎてのひとつ)、惣(すべて)明(あきらけきこと)を深く解(さと)る者(ひと)は能く信(う)け、諸(もろびと)は凡(おほよそ)信け難し。
第二(つぎてのふたつ)、「若我弟子」従(よ)り以下(しもつかた)、正(まさ)しく能く信くる人出ず。
即ち是(これ)信(うくること)順(したがふこと)二つの忍(にむ)の菩薩(ぼさつ)なり。
第三(つぎてのみつ)、「此五種巧便」従り以下は能く信くこと有りと結ぶ。
如此二法汝及成就大法菩薩魔訶薩
乃能聽受諾諸餘聲聞唯信佛語

〈眞子章第十四〉

若我弟子 随信増上者 依明信已随順法智
而得究竟随順法智者
 觀察施設根意解境界
 觀察業報
 觀察阿羅漢眼
 觀察心自在樂禪定樂
 觀察阿羅漢辟支佛大力菩薩聖自在通
此五種巧便 觀成就於我滅後未來世中
我弟子随信増上 依我明信 隋順法智
自性清浄心彼爲煩悩染汚 而得究竟
是究竟者 入大乘道因
信如来者有是大利益不謗深義

敦煌本 『勝鬘経本義』 訓読
 第四 述其推崇与仏 従「如此二法」已下是
「二法」者 仏性之理及善悪之心 其向明唯仏証知 今押解
在已師及弟子 互相讃成也

 就第十四真子章 又分為二
 第一 仏略説真子 但明信順二忍也 又分為三
  第一 章門 又分為二
   第一 明信忍章門 従「若我弟子」已下是
「信増上者」者謂登住之信 信中之上也 又云此信
信仏性増上之法也
   第二 明順忍章門 〔従〕「依明信已」已下是
  第二 正出忍体 以釈上章門 此中正明順忍兼明信忍
若五種観成則是順忍 観若不成則是信忍 故不別明信忍也
五種巧便観者也
   第一観 十八界 「観察施設根」者謂五根仮施設也
「意」者謂意根也 「解」者謂六識也 「境界」者謂六塵也
   第二観 因果 「観察業報」此句是也
   第三観 阿羅漢眠 「阿羅漢眠」謂无明住地惑也
   第四観 知禅 「観察心自在楽」者謂智恵照境
任放為楽也 「禅楽」者禅定楽也
   第五観 三乗神通 従「観察阿羅漢辟支仏」已下是也
  第三 結 従「於我滅後」已下是 言此人於仏滅後
能秉行大乗也
「而得究竟」者美其解不染而染義也
「入大乗道因」者言大乗道 為仏作因也
又云 八地是大乗道 信順二忍 是大乗道因也
※1)…「第二」は、前段で「勝鬘夫人」について述べた二つの事柄のうち二つ目を受けたもの。
※2)…この前の段に「能信此難定理人」とあるから、ここでも「理」が補われるべきであろう。
※3)…後の段で詳述される。
 
第二※1)正出中 卽二有
第一 直出二忍章門※2)
第二 從「随順法智者」以下 釋順忍※3)
「若我弟子從信信増上」者々信々※4)忍章門
「信増上」者謂登住之信々中之上
「依明信已随順法智而得究竟」者順忍章門
而 疑※5)只是順忍章門
「随信信増上」者只是擧順本也
第二(つぎてのふたつ)正(まさ)しくを出でし中に就(つ)け、即ち二(ふたつ)有り。
第一(つぎてのひとつ)は、直(ただ)二(ふたつの)忍(にむ)の章門(しやうもむ)を出(い)づ。
第二(つぎてのふたつ)は、「随順法智者」従(よ)り以下(しもつかた)順忍(じゅむにむ)を釈(と)く。
「若我弟子従信信増上」者(は)、「信」者(は)信忍(しむにむ)の章門なり。
「信増上」者(は)、「登住(とうぢゆう)之(の)信」を謂ひ、「信」の中(うち)之(の)上(かみ)也(なり)。
「依明信已随順法智而得究竟」者(は)、順と忍との章門なり。
而(しかれども)只(ただ)是(これ)順忍の章門なるを疑へり。
「随信信増上」者(は)只(ただ)是(これ)「順」の本(もと)を挙(あ)ぐるなり[也]。
※1)…「就第二」は、上で「第二」とする「若我弟子~菩薩聖自在通」の部分をさらに詳しく説明するという意味。 次の「第二釋」も同様。
※2)…章門:「真子章第十四」のように、『勝鬘経』は「章」に分割されている。「章門」はさらにその下位と見られる。
※3)…信忍と順忍。「忍」は心の安定。「信」は信じる。「順」は法理に順うこと。
※4)…〈宝治板勝鬘疏〉には「者者信信」。「者〃信〃」への宝治年間〔鎌倉時代〕の解釈。上代は「者信者信」を表す。
※5)…これを信忍・順忍の並列と読むことは疑わしく、「信が高まることにより順を獲得する」という順序性を述べたものではないかという。
第二釋 唯釋順忍※1)
一觀「觀察施設根」者謂五根※2)假施設
「意解」者謂六識※3)
「境界」者謂六塵※4) 此是十八界※5)
二觀「觀察業報」者謂因果二觀
三觀「觀察阿羅漢眠」者謂无明住地惑觀
四觀「觀察心自在樂禪定樂」者謂知禪二觀
智慧照境住〔任〕※6)
五觀〔「〕〔察阿羅漢辟支佛」者謂※7)
三乘※8)神通力〔一〕
第二(つぎてのふたつ)に釈(と)く。唯(ただ)順忍を釈(と)く。
一観(いちくわむ)の「観察施設根」者(は)五根(ごこむ)の仮(かり)の施設(まうけ)を謂ふ。
「意解」(いげ)者(は)六識(ろくしき)を謂ふ。
「境界」(きやうがい)者(は)六塵(ろくぢむ)を謂ふ。此(ここ)に、是(こ)は十八界(じふはちけ)の観(くわむ)なり。
二(に)観の「観察業報」者(は)因果(いむぐわ)二(ふたつの)観(くわむ)を謂ふ。
三(さむ)観の「観察阿羅漢眠」者(は)住む地(ところ)を明(あき)らむこと无(な)く惑(まと)ふ観(くわむ)を謂ふ。
四(し)観の「観察心自在楽禅定楽」者(は)知(ち)と禅(ぜむ)との二(ふたつの)観を謂ふ。
智恵(ちゑ)、境(きやう)を照らし任放(ほしきまにまに)楽(げう)と為(す)。
五(ご)観の「観察阿羅漢辟支佛」者(は)
三乗(さむじよう)の神通力(じむずうりき)の観(くわむ)を謂ふ。
※1)…「順忍」の前段階の「信忍」のうちは、五観はまだ未分化である。
※2)…五根は、目・耳・鼻・舌・身の五つの感覚器官。
※3)…六識は、六つの感覚器官による認識作用(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)。
※4)…六塵は、悟りの妨げとなる欲望(色・声・香・味・触・法)。
※5)…十八界=六根〔五根+意根〕+六境〔内容は六塵と同じ〕+六識。
※6)…任放:礼法にとらわれず思うままに行動すること。
※7)…〈宝治板勝鬘疏〉における脱落と見られる。
※8)…声聞乗・緑覚乗・菩提乗。乗は人間を悟りの世界に運ぶ乗り物(教え)。
從「此五種」以下 第三結 有能信
[八]※1)「大乘道因」者明大乘道佛作国
又云八地※2)以上是「大乘道」 信順二忍是大乘因
「信如※3)來者有如是大利益不謗深義」者
此人前能信佛語
故 得是五種觀之利益
所以因此五觀之力
今亦 能信二上此難定之理
「此五種」従り以下、第三(つぎてのみつ)に結ぶ。能く信(うくこと)有り。
「大乗道因」者(は)、大乗(だいじよう)の道を明(あき)らめて仏の作れる国と為(す)。
又云(い)へらく八地(やぢ)の以上(かみつかた)是(これ)大乗の道なりといへり。信順二つの忍、是(これ)大乗の因(たね)なり。
「信如来者有如是大利益不謗深義」者(は)
これ言へらく、此の人、前(さき)に能(よ)く仏(ほとけ)の語(かたり)を信(う)け、
故(かれ)如是(かくのごとき)五種(いつくさ)の観(くわむ)之(の)利益(りやく)を得(え)て、
所以(ゆゑ)に此の五(いつつ)の観(くわむ)之(の)力(ちから)に因(よ)りて、
今亦(また)能く此の難定之(さだまりがたき)理(ことわり)を信(う)くといへり[也]。
※1)…「八」は誤記と見られる。 ※2)…敦煌『本義』に「又云八地是大乗道」。 ※3)…釈迦の尊名のひとつ。他に世尊、仏陀。
《引用における書法》
 『勝鬘経』からの引用箇所には「従~以下」の書式を用いる。 『本義』では「従~已下」を用いている〔「已下」は「以下」と同じ〕
 また、ネスティングされた〔=入れ子の〕箇条書きが用いられるところも共通し、 『義疏』は、『本義』などの一般的な注釈書の書き方に倣ったものと言えよう。
《「若我弟子」の主語》
 「若我弟子」以下は、誰が話した言葉かを押さえておく。 『本義』に「仏略説真子」とあるから、「仏」=釈迦が話した言葉と見て間違いないだろう。
《依明信已随順法智》
 『勝鬘経』〈真子章第十四〉冒頭の「依明信已随順法智」を、 『本義』が簡単に「『順忍章門』を明らかにした」で片づけたことに対して、 『義疏』は不満を表明している。
 それは〔感情としての信〕が増上して〔法理を理解した順〕に至るという、 順序性に触れていない点である。
 この箇所は、『義疏』が自分の頭で勝鬘経を読解する態度を示す一例と言えよう。
《煩悩染汚》
 「染汚」の解釈は『本義』にはあるが、『義疏』ではこの部分にはなく、 後段『勝鬘白仏』の「更有餘大利益」の項に回されている。
《大意》
 「如是二法」以下は、第二の定め難い理(ことわり)を信ずる人を示す。 上で勝鬘(しょうまん)は既に定め難いといい、ここで如來〔釈迦〕も定め難いという。 すなわち、信の拠り所がないため、信できる人の資質を挙げ、信じよ疑うなかれと勧める。
 その中に次の三項がある。
 第一;総明を深解する者は信ずることができ、諸の凡人は信じ難い。
 第二;「若我弟子」以下は、正に信じ得る人を示す。 すなわち、これは信と順の二忍の菩薩である。
 第三;「此五種巧便」以下は、信じ得ることありと結ぶ。
 この「第二」については、中に二項がある。
  第一;単純に二忍の章門ありという。
  第二;「随順法智者」以下は、順と忍を釈す。
  「若我弟子従信信増上」において、「信」は信忍の章門、 「信増上」は、「登住(とうじゅう)の信」をいい、「信」のうち上位にある。 「依明信已随順法智而得究竟」は、順と忍の章門を述べる。
 しかし、これを順忍の章門を単に並べたものと読んで済ませるのは疑わしい。 「随信信増上」の一文は、「信は順の元である」という関係を示すものである。
 「第二」の釈は、ただ順忍を釈す。
  一観(いちかん)の「観察施設根」は、五根が仮に受け取る〔感覚器による受容〕ことをいう。 「意解」(いげ)は、六識(ろくしき)をいう。 「境界」(きょうがい)は、六塵(ろくじん)をいう。ここまでに、十八界(げ)の観(かん)を述べる。
  二観の「観察業報」は、因果の二観をいう。
  三観の「観察阿羅漢眠」は、住地が明らかでなく惑う観をいう。
  四観の「観察心自在楽禅定楽」は、知禅の二観をいう。 智恵は境(きょう)〔感覚器官の外界〕を照らし、恣(ほしいまま)に楽(ぎょう)を生み出す。
  五観の「観察阿羅漢辟支佛」は、三乗〔三つの教え〕の神通力の観をいう。
 第三;「此五種」以下は結びで、よく信ずることについて述べる。
 「大乗道因」は、大乗の道を明らかにして仏の作る国とする。 又いう。八地以上は、これは大乗の道であると。信順の二忍、これは大乗の因である。
 「信如来者有如是大利益不謗深義」はいう。このような人は先によく仏の言葉を信じ、 よってこのような五種の観の利益(りやく)を得、 ゆえにこの五観の力に因って、 今またよくこの定まり難い理を信じると。

《広明真子》
影印〈宝治板勝鬘疏〉 『勝鬘経』該当部分 訓読
從「爾時勝鬘」以下正躰中之第三※1)
眞子一章 明御乘人
乘躰乘境已竟
故 此擧眞子一章
三忍※2)菩薩受此乘而行
「爾時勝鬘〔白佛〕」従り以下(しもつかた)正(まさしき)体(み)の中(なか)之(の)第三(つぎてのみつ)に、
「真子」の一つの章を挙げ、御乗(ぎよじよう)の人を明(あき)らむ。
乗体(じようたい)と乗境(じようきやう)と、已(すで)に竟(を)ふ。
故(かれ)、此(ここに)真子の一章を挙げ、
三忍(さむにむ)の菩薩(ぼさつ)此の乗を受けて[而]行(ゆ)くことを明(あき)らむ[也]。
爾時勝鬘白佛言
更有餘大利益
我當承佛威神復説斯義
佛言更説
勝鬘白佛言
三種善男子善女人於甚深義
離自毀傷生大功徳入大乘道
何等為三謂
若善男子善女人自成就甚深法智
若善男子善女人成就随順法智 
若善男子善女人於諸深法不自了知
仰推如來非我境界唯佛所知
是名善男子善女子仰推如來
除此諸善男子善女人已

〈勝鬘章第十五〉

諸餘衆生 於諸深法堅著妄説
違背正法習諸外道腐敗種子者
當以王力及天龍鬼神力而 調伏之
爾時勝鬘與諸眷属 頂禮佛足
佛言 善哉善哉
勝鬘於甚深法方便守護降伏非法
善得其宜
汝已親近百千億佛能説此義
敦煌本 『勝鬘経本義』 訓読
 第二 勝鬘広説真子 備明三忍也 又分為二
  第一 勝鬘正説真子 又分為五
   第一 総唱三種善人 従「爾時勝鬘」已下
是「離自毀傷」者能不誹謗
   第二 列无生忍 従「何等為三」已下是
   第三 列順忍 「成就随順法智」此句是也
   第四 列信忍 従「於諸深法」已下是
   第五 明調伏悪人 従「除此諸善男子」已下是
  第二 如来述成 勝鬘諸説真子也
従「佛言善哉」已下是
「降伏非法」者偏述其五段 調伏悪人也
※1)…その次にいう「乗体」が第一、「乗境」が第二か。 ※2)…無性法忍における喜忍・悟忍・信忍。
『本義』云「從「若我弟子」以下入眞子章
中有
第一※1) 如來但擧信順二忍 故名爲略明眞子
此下 勝鬘備-擧三忍 故名爲廣明眞子
而 如來欲此經※2)功於勝鬘
故 但「略明〔眞子〕」信順二忍合 爲「勝鬘眞子章」
随欲可※3)
『本義』云へらく、「「若我弟子」従り以下(しもつかた)「真子章」に入(い)る。
中に就け、二(ふたつ)有り。
第一(つぎてのひとつ)に、如来(によらい)但(ただ)信と順との二つの忍(にむ)を挙げ、故(かれ)名づけて「略明真子」と為(す)。
此(ここ)従(よ)り下(しもつかた)、勝鬘、三忍を備(まう)け挙げ、故(かれ)名づけて「広明真子」と為(す)」といへり。
而(しかくありて)、如来、此の経(きやう)を以ちて功(いさみ)を[於]勝鬘に推(お)さむと欲(おもほ)し、
故(かれ)、但(ただ)「略明真子」の信と順との二忍を合はせて、「勝鬘真子章」と為(す)[也]。
随欲(ほしきまにまに)用(もちゐ)る可(べ)し。
※1)《略明真子》の段全体。
※2)…「信順二忍」は釈迦の言葉である。しかし『本記』はこの部分は勝鬘の思いを代弁したことにして、 そうやって勝鬘の功を推し広げたのではないかという。
※3)…「真子章」の起点を「若我弟子」とするか「爾時勝鬘」とするかは、読み手が自由に決めればよい。
中 初開爲
第一 勝鬘請説※1)
第二 如來命説
第三 從「白〔佛〕言」以下正説
〔就第一請説〕「更有餘大利益」者
上 已明乘躰及境 而未乘人※2)
故 言「更有餘大利益」
亦可
如來擧能信染不※3)人利益
故 仍言更有餘通行此經人利益
中に就け、初めに開(ひら)きて三(みつ)と為(す)。
第一(つぎてのひとつ)は勝鬘説くことを請(こ)ふ。
第二は如来、説けと命(おほ)す。
第三は「白仏言」従り以下(しもつかた)に正(まさ)しく説く。
〔第一の請説に就け〕「更有餘大利益」者(は)、
上(かみつかた)に已(すで)に乗(じよう)の体(たい)及(と)境(きやう)とを明(あき)らめ、而(しかれども)未(いまだ)乗に行(ゆ)く人を明らめず。
故(かれ)「更有余大利益」(さらにあまれるおほきりやくあり)と言へり。
亦(また)上(のぼ)る可(べ)し。
如来能(よく)〔義を〕信(う)け染まりて〔汚に〕不染(そまらざる)人の利益(りやく)を挙ぐ。
故(かれ)仍(すなはち)言へらく、更に余りて通(あまねく)此の経(きやう)を行(おこなひ)する人に利益有りといへり。
※1)…第一は「勝鬘白佛言」。第二は「佛言更説」。第三は「勝鬘白佛言」。
※2)…乗に向かう主体としての人について、未だ触れられていないという。
※3)…《略明真子》の『勝鬘経』下から3行目の「煩悩染汚」以下に対応。 『本義』では、「其解不染而染義」〔義に染まらない状態から解く〕と解釈される。 「信染不染」は「信-染義汚」と解するべきであろう。
第三正説開爲
第一〔從「三種善男子」以下〕-唱三種人
第二 從「何等爲三」以下※) 別-列三種人 三種人「若」爲
第三 從「除此諸善男子」以下 明調-伏悪人
 勝鬘自能以王力及天龍力而 調-伏之
第四 從「爾時勝鬘」以下 明説竟致
第五〔從「佛言善哉」以下〕佛述嘆
 即是有二 第一嘆其調-伏悪人
 第二從「汝已親近」以下嘆説非
今「此義」者 通擧躰境及行乘人諸義也
第三(つぎてのみつ)に就(つ)け、正(まさし)説(とくこと)を開き、五(いつつ)と為(す)。
第一(つぎてのひとつ)〔「三種善男子」従(よ)り以下(しもつかた)〕に、三種(みくさ)の人を惣(す)べ唱(とな)ふ。
第二(つぎてのふたつ)「何等為三」従り以下に、三種人(みくさのひと)を別(わ)け列(な)ぶ。三種人は「若」を別(わけ)と為(す)。
第三(つぎてのみつ)「除此諸善男子」従り以下に、悪人(あしきひと)を調(ととの)へ伏(ふ)する言(こと)を明(あき)らむ。
 勝鬘(しようまむ)自(みづから)能(よく)王力(わうりき)及(と)天龍(てむりゆう)の力との如きを以(もち)ゐて[而]、之(こ)を調へ伏す[也]。
第四(つぎてのよつ)「爾時勝鬘〔予与〕」従り以下に、明らけく説き竟(を)へて敬(ゐやまひ)を致(いた)す。
第五(つぎてのいつつ)〔「佛言善哉」従り以下〕に、仏(ほとけ)の述べ歎(なげくこと)を明らむ。
 即(すなはち)是(ここに)二つ有り。第一は、其の悪しき人を調(ととの)へ伏(ふ)することを歎く。
 第二は「汝已親近」従り以下、を歎き説くことに適(かなふ)に非(あら)ず。
今「此義」者(は)、通(あまねく)体(たい)境(きやう)より乗(じよう)に行く人に及びて諸(もろもろ)の義(ぎ)を挙(あ)ぐ[也]。
※)…『本義』の第二「何等為三」・第三「成就随順法智」を『義疏』は「第二」にまとめ、 それ以後の番号が繰り上がっている。
《正躰中之第三》
 「正体中の第三」は、難解である。 正体は「正説」と同じ意味だと解釈し、爾時勝鬘」以下の章が「第三」だとすれば、第一・第二はその前のどれかの章となるはずである。しかし、直接には示されていない。 ちなみに〈早島勝鬘疏〉は、「第一」を「第六から第九章」、「第二」を「第十から第十三章」と解釈している。
 あるいは、直後に「乗体乗境已竟乗体乗境については既に言い終えた〕とあるから、「第一:乗体」、「第二:乗境」ということかも知れない。
 乗体乗境を「略明真子」の「一観観察察施設意解境界」における「」="乗体"と「境界」="乗境"と読むことは可能であろう。 「一観」のところではこれについて、五根=感覚器官、六識=外界からの刺激を感覚器に受容するはたらき、六塵=体の外の環境を意味すると述べている。 つまり、=感覚器官を持つ体が「第一」、=外界が「第二」である。 それぞれに乗~がついているのは、「悟りの彼岸に向かって乗っていく教えでいうところの」の意を添えるものであろう。
 そして、感覚器()、外界()に、その主体として「乗に行く人」を加えるのである。
 この段の結び「今此義者通挙体境及行乗人諸義也」でも「(肉体)」・「(環境)」・「行乗(修行)」を並べている。
《略明真子と広明真子》
 『義疏』は「爾時勝鬘」から真子章とするが、 〈本義〉〔敦煌本 『勝鬘経本義』〕は遡って「若我弟子」から真子章としている。
 「若我弟子」の部分は二忍(順忍と信忍)を挙げるが、行を積んで楽(ぎょう)の心境に達する部分に触れてない。 そこで、「爾時勝鬘」以下がそれを述べたものとする。
 「若我弟子」章は真子についての略された記述だから「」で、「爾時勝鬘」章は行によって高まる部分を広く詳述するから「」と呼ぶ。
 これは、〈本義〉が述べた「第一仏略説真子」・「第二勝鬘広説真子〔釈迦は真子を略説し、勝鬘は真子を広説した〕を受けたものである。
 『義疏』は、もし「若我弟子」から一章とするなら、その理由は第一の部分についても勝鬘の功を推すためだとする。 その場合、合体した章号として「勝鬘真子章」を提唱するのは、「勝鬘の提唱する真子の章」と名付けるべきだという意味であろう。
 自説を提起しておきながら、「随欲可〔すなわち章の区切りをどうするかは読み手のご自由に〕と言われても困るが、 ことの本質に及ぶような重大な問題とは見ていないのだろう。
《三種の人》
 『勝鬘経』は、善男子善女に次の「三種の人」を挙げる。
 自ら、甚だ深い法智を成就する人。
 法智を理解して従うことにより、成就する人。 
 これが深い法智に沿うものと自覚しないまま、既に成就している人。
 は、師から学ぶことによって法智を身に着ける。これが普通のタイプであろう。 は、経典の読解力があり独力で学ぶことができる。 は、法智のことはあまり知らないのだが、その振る舞いがまさに法智に適っている人をいう。 の終端がどこまでかという判断は難しい。「不自了知。」までで止めて、単純に法智のことをまだ知らない人と割り切る方法もあるが、 「(みづから)」があるから、「自分では気づかぬうちに出来上がっていて、仏はそれを知っている」ということであろう。
 この何れかがすべての善男子善女人に備わっているという。これがまさに、如来蔵説の神髄であろう。
 『義疏』は、これらについては説明を加えていない。 『勝鬘経』の原文だけで、意味は明瞭だからであろう。
《二忍と三忍》
 二忍・三忍は〈本義〉の用いた語である。『義疏』は基本的に〈本義〉に触れた部分で使い、『義疏』自身は積極的に定義していない。
 二忍が「信忍」「順忍」を意味するのは明らかであるが、「三忍」におけるもう一つの「忍」は何であろうか。 〈本義〉における三忍の定義は、どうやら无忍〔=無忍〕順忍信忍である。〈本義〉は、それぞれに対して「三種の人」から語句を拾っている。
 无忍…①から「何等為三謂…自成就甚深法智」。〈本義〉では未だ信忍も順忍も持たない状態。
 順忍…②から「成就随順法智」。『勝鬘経』によれば、信忍から増上し、ついに法智に達した忍。
 信忍…③から「於諸深法不自了知仰推如来非我境界唯仏所知」。『勝鬘経』によれば、自然発生的な感情。
 しかし、これらの拾い出し方は、必ずしも『勝鬘経』のいう各タイプの説明文(前項)とかみ合わず、適切とは言えない。 正しくは、①②は信忍から増上して順忍に達する二通りの道筋であり、 は无忍だが、仏からみればすでに法智を得ている。
《第一》
 第一・第二…の対応に厳密性を欠くのは、一種の和習であろう。
 〈本義〉にも第一・第二…の箇条書きが数多く見られる。更に二層、三層のネスティングがあるが、 層を下げるところには必ず「又分為n」を入れて構造を明確にしている。
 正直に言って、『義疏』はその点が甘い。この特徴は『義疏』が倭人によって書かれたことの、有力な裏付けになる。
 一般に漢籍においては、「」で引用を区切る、「」で主部を区切る、「」で文末を示す、「」の反復で文頭を明確にするなどして抜かりがない。 ラテン語のように格変化や人称変化のある言語ならそれによって文のまとまりが分かるのだが、 漢文にはそれがないから特定の文字を区切りとして用いるのである。
《勝鬘章第十五》
 国訳大蔵経版では、「第三従「除此諸善男子」以下」の部分は、章目〈勝鬘章第十五〉をまたがっている。
 章目「第十五章」は、「除此諸善男子善女人已」と「諸余衆生」の間にある。 しかし、「此諸善男子善女人已諸余衆生〔此の諸(もろもろ)の善男子善女人を除くことを已(お)へて諸の余れる衆生は〕は、 「今述べた三種の善男子善女人以外の衆生は…〔調伏すべし〕」という意味で、したがって〈勝鬘章第十五〉はこの文章を途中で切断していてあまりに不自然である。
 同版は第一章のところに「此章以下至第十五章俱並無章目〔この章から十五章まで章目〔章の題名〕なし〕なる頭注を付けているので、 章目は後から付加したもののようである。
《大意》
 「爾時勝鬘」以下は正体の中の第三として、 「真子」一章を挙げ、御乗(ぎょじょう)の人を明らかにする。 〔第一の〕乗体(じょうたい)と〔第二の〕乗境(じょうきょう)は、既に正説を終えた。
 そこで、ここに真子の一章を設け、 三忍の菩薩がこの乗を受けて乗に行くことを明らかにする。
 『本義』は、「「若我弟子」以下が「真子章」に入る。 その中には、二つの部分がある。 第一は、如来〔釈迦〕がただ信・順の二忍を挙げ、よって「略明真子」〔略して真子を明かす〕と名付ける。 〔第二は〕ここから下で、勝鬘が三忍を備えて挙げ、よって「広明真子」〔広く真子を明かす〕と名付ける。」という。
 こうして、如来はこの経(きょう)をもって功を勝鬘に推そうと欲し、 ただ「略明真子」のこの信・順の二忍を併せ、「勝鬘真子章」としたものである。 どちらを用いるかは、任意にするがよい。
 「広明真子」の中については、初めに三つの部分に開く。
 第一は、勝鬘が説くことを請(こ)う。
 第二は、如来が説けと命じる。
 第三は「白仏言」以下で、勝鬘による正説である。
 第一の部分の「更有餘大利益」は、 上〔「若我弟子」の章〕で既に乗(じょう)の「体(たい)」及び「境(きょう)」を明らかにしたが、しかし未だ乗(じょう)に行く人のことを明らかにしない。 よって、「更有余大利益」〔"さらに"余れる大きな利益有り〕と言うのである。
 また遡ると、 如来はよく義に信じ染まり、汚れに染まらない人の利益(りやく)を挙げる。 よって言う、更に余して遍(あまね)くこの経を行う人に利益があると。
 第三の部分については正説を開き、次の五項がある。
  第一は「三種善男子」以下で、三種の人をまとめていう。
  第二は「何等為三」以下で、三種の人を分けて並べる。三種の人は「若」の文字で区切られる。
  第三は「除此諸善男子」以下で、悪人を調伏することを明らかにする。 勝鬘(しょうまん)は自らよく王の力及び天の竜の力などを用いて、これを調伏することができる。
  第四は「爾時勝鬘」以下で、明説を終えて敬意を払う。
  第五は「佛言善哉」以下で、仏の述嘆を明らかにする。即ちここには二つあり、その第一は、その悪人を調伏することを述嘆する。 第二は「汝已親近」以下で、嘆説には入らない〔嘆説はすでに終わり、これは勝鬘を褒める文である〕。
 今「此義」は、体・境及び乗に行く人の諸々の義の全体を通していうものである。


【勝鬘経】
 勝鬘経の該当部分を訓読する。
 ここでは上宮太子の時代に本義が読まれたと想定して、上代語を用いる。 ただし、仏教語については、この時代は外来語だから音読かも知れない。もし、一定程度和訓が試みられていたとたとしても、 その訓みは不明だから、ここでは音読で統一する。
 学究的には不完全だが、理解の助けとするための便法とする。
如此二法 汝及-就大法菩薩魔訶薩
乃能聽受-諾諸餘聲 聞唯信佛語
此(かく)の如き二法、汝(いまし)大法菩薩魔訶薩を成就(じやうじゆ)するに及ぶ。
乃(すなはち)能(よ)く受諾せし諸(もろもろの)余れる声を聴き、唯(ただ)仏(ほとけ)を信ずる語(かたり)を聞く。

〈眞子章第十四〉

若我弟子 随信増上者
明信 已随順法智
而得究竟 随-順法智
 觀-察施-設根意解境界
 觀-察業報
 觀-察阿羅漢眼
 觀-察心自在樂禪定樂
 觀-察阿羅漢辟支佛大力菩薩聖自在通
阿羅漢…[梵]arhatの主格=arhan。①小乗仏教で最上の聖者。②阿羅漢果〔阿羅漢の位〕。③仏の別称のひとつ。
辟支仏(びゃくしぶつ)…[梵]pratyeka-buddha。仏の教えによらず、ひとり悟りを開いてそれを楽しむ仏。
大力菩薩…大力ある菩薩。

〈眞子章第十四〉

若(も)し我が弟子(てし)随(したが)ひて信(しん)増上(ぞうじやう)せ者(ば)、
明(あきらか)なる信に依り、已(すでに)順(じゆん)随(したが)ひ法智(ほふち)す。
而(しかくありて)究竟(きうきやう)を得て順に随ひ法智せ者(ば)、
 根(こん)意解(いげ)境界(きやうがい)を施設(せせつ)することを観察(くわんさつ)す。
 業報(ごふほう)を観察す。
 阿羅漢(あらかん)の眼を観察す。
 心(しん)自在(じざい)の楽(げう)と禅定(ぜんぢやう)の楽とを観察す。
 阿羅漢・辟支(へきし)仏・大力菩薩の聖(ひじり)自在に通(とほ)すことを観察す。
此五種巧便 觀成就於我滅後未來世中
我弟子随信増上 依我明信 隋順法智
自性清浄心 彼爲煩悩染汚而得究竟
是究竟者 入大乘道
信如来者有是大利益不謗深義
巧便(ぎょうべん)…仏・菩薩が衆生救済において、相手の能力に応じて巧みにさまざまな方法を用いること。
究竟(きゅうきょう)…ことを極めて最高に達すること。
(ぎょう)…[動] このむ。ねがう。
此の五種(いつくさ)を巧便(げうべん)し、[於]我が滅びし後(のち)の未来(みらい)の世の中に成就(じやうじゆ)することを観(み)よ。
我が弟子(ていし)信(しん)の随(まま)に増上(ぞうじやう)し、我が明(あきらか)なる信(しん)に依り順に隋(したが)ひ法智す。
自性(じしやう)清浄心(しやうじやうしん)なれど、彼(かれ)煩悩(ぼんなう)に染汚(ぜんま)為(し)て[而]究竟(きうきやう)を得(う)。
是の究竟者(は)、大乗(だいじよう)に入(い)る因(いん)なり。
如来を信(う)くる者(もの)に是の大(おほきなる)利益(りやく)有り、深義(じんぎ)を不謗(そしらじ)」といへり。
爾時勝鬘佛言
更有餘大利益
我當承佛威神復説斯義
佛言更説
勝鬘白佛言
巧便(ぎょうべん)…仏・菩薩が衆生救済において、相手の能力に応じて巧みにさまざまな方法を用いること。
威神(いじん)…不思議な、人には計り知れない徳。
爾(その)時勝鬘(しようまん)仏に白(まを)して言はく
「更に余りて大きなる利益(りやく)有り。
我当(まさに)仏の威神(ゐじん)を承り、復(また)斯(その)義(ぎ)を説くべし。」といひ、
仏「更に説け」と言へり。
勝鬘仏に白(まを)して言へらく。
三種善男子善女人於甚深義
自毀傷 生大功徳 入大乘道
何等為三謂
若善男子善女人自成就甚深法智
若善男子善女人成就随順法智 
若善男子善女人於諸深法不自了知
-推如來 非我境界唯佛所知
是名善男子善女子 仰-推如來
了知(りょうち)…はっきりとしること。
「三種(みくさ)の善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんによにん)[於]甚(はなはだし)き深義(しんぎ)に、
毀(こぼ)ちし傷(きづ)自(よ)り離(か)り、大(おほきなる)功徳(くどく)を生(な)し、大乗(だいじよう)の道に入(い)る。
何等(いづれら)を三(みつ)と為(な)すと謂ふか。
若(もしや)善男子善女人自(みづから)甚(はなはだ)しき深法(しんほふ)の智(ち)を成就するか、
若(もしや)善男子善女人の成就、法智に随順(したが)ふか、
若(もしや)善男子善女人[於]諸(もろもろの)深法、不自了知(みづかられうちせざ)りて、
如来を仰(あふ)ぎ推(お)しまつるに、我が境界(きやうがい)に非ず、唯(ただ)仏(ほとけ)の知る所なり。
是(これ)善男子善女子と名づけ、如来に仰ぎ推しまつる。
除此諸善男子善女人已

〈勝鬘章第十五〉

諸餘衆生 於諸深法堅著妄説
-背正法 習諸外道腐敗種子
王力及天龍鬼神力而調二上-伏之
調伏(ちょうぶく)…祈祷してその力で怨敵を降伏させる。
此の諸(もろもろの)善男子善女人を除き已(を)へて、

〈勝鬘章第十五〉

諸(もろもろの)余れる衆生(しゆじやう)、[於]諸(もろもろの)深法(ふかきのり)に堅く妄説(まうせつ)を著(つ)け、
正法(しやうほふ)に違背(そむ)き、諸(もろもろの)外道(ぐゑだう)腐敗(ふはい)の種子(たね)を習(なら)へ者(ば)、
当(まさに)王力(わうりき)及び天竜(てんりゆう)鬼神(くゐじん)の力を以て[而]之(こ)を調伏(てうぶく)すべし。」といへり。
爾時勝鬘與諸眷属 頂-禮佛足
佛言 善哉善哉
勝鬘於甚深法方便守護降-伏非法
善得其宜
汝已親近百千億佛 能説此義
眷属(けんぞく)…仏に就き仏に親しくつきあう者。また仏のそばにいる菩薩。
頂礼(ちょうらい)…古代インドの最高の敬礼。頭を地面につけて相手の足元にお辞儀をする。
方便(ほうべん)…仏が衆生を導くために用いる仮の手段。
降伏(ごうぶく)…悪魔を威力で従わせること。
親近(しんごん)…親しみ近づくこと。
爾(その)時、勝鬘諸(もろもろの)眷属(くゑんぞく)と与(とも)に、仏足(ぶつそく)を頂礼(ちやうらい)す。
仏言ひしく「善哉(よきかな)善哉。
勝鬘甚(いと)深き法(のり)の方便(はうべん)に於きて守護し、非法(ひほふ)〔の者〕を降伏(ごうぶく)し、
善く其(そ)の宜(よろしき)を得(う)。
汝(いまし)已(すでに)百千億(ひやくせんおく)の仏(ほとけ)に親近(しんごん)し、能(よ)く此の義(ぎ)を説く。」といひき。
《大意》
如是二法 〔釈尊は〕「…このような二法で、あなたは大法菩薩魔訶薩を成就する。 そしてよく受諾した諸々の他の声を聴き、ただ仏信の語を聞く。
〈眞子章第十四〉
若我弟子 もしわが弟子が随信し増上ぞうじょうすれば、 明信に依存し、随順して法智の人となろう。 こうして究竟きゅうきょうを得て随順し法智になれば、 ①根・意解いげ境界きょうがい施設せせつすることを観察する、 ②業報ぎょうほうを観察する、 ③阿羅漢あらかんの眼を観察する、 ④心自在のぎょう禅定ぜんじょうの楽を観察する、 ⑤阿羅漢・辟支仏・大力菩薩の聖上が自在に通じるすことを観察する、 この五種を巧便ぎょうべんし、私が滅した後の未来の世の中に成就することを観よ。
 私の弟子は、信ずるままに増上し、私の明信により法智に隋順である。 自性じしょう〔生まれついて〕の清浄心があるが、彼は煩悩に染汚ぜんまして究竟きゅうきょうを得、 この究竟が、大乗に入るいんである。 如来を信ずる者にこの大いなる利益りやくが与えられるのであって、深義じんぎを誹謗してはならない。
爾時勝鬘 その時、勝鬘しょうまんは釈尊に、 「更に加えて大いなる利益りやくが有ります。 私が仏〔=釈尊〕の威神いじんを承り、またその義を説きたいと存じます。」と申し上げ、 それを聞いた釈尊は「よろしい。更に説きなさい」と仰った。
 勝鬘は釈尊に仏に申し上げた。 「三種の善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん甚深じんしんの義に、 毀損した傷から離れ、大なる功徳を生み、大乗道に入ります。 三種とは如何なる人でしょうか。
  若しや、善男子・善女人が自ら甚深の法のを成就します。
  若しくは、善男子・善女人の法智に随順して成就します。
  若しくは、善男子・善女人が諸々の深い法を自ら気付かぬまま 如来を仰ぎ推し、自分の境界にはなくただ仏のみが知ります。
 これらを善男子・善女子と名付けて、如来〔=釈尊〕を仰ぎ推奨させていただくものでございます。 これらの諸々の善男子・善女人を除き、
〈勝鬘章第十五〉
 その他の諸々の衆生しゅじょうは、諸々の深法に対して頑なに妄説に捉われています。 正法に違背し、諸々の外道・腐敗の種子を習う者は、 まさに王力・天竜・鬼神の力を用いて調伏ちょうぶくすべきです。」
 このように申し上げ、勝鬘は諸々の眷属けんぞく〔同門の者たち〕と共に、仏足に頂礼ちょうらい〔釈尊の足元に深々と座礼〕した。
 釈尊は言った。「よろしい、まことによろしい。 勝鬘はごく深い法によりさまざまな方便を用いて守護し、非法の者を降伏ごうぶくできよう。 よくその宜(ぎ)を得たのである。 あなたは既に百千億の仏に親近しんごんしし、よくこの義を説いてくれた。」


【勝鬘義疏本義】
 『勝鬘義疏本義』敦煌本を訓読する。 ここでも上宮王の時代に読まれたことと想定して、仏教用語は音読し、その他は上代語として訓む。
 第四其推崇与仏 従「如此二法」已下是
「二法」者 仏性之理及善悪之心 其向唯仏証知 今押解
在已師及弟子 互相讃成也

 就第十四真子章 又分為
 第一 仏略-説真子 但明信順二忍也 又分為
  第一 章門 又分為
   第一 明信忍章門 従「若我弟子」已下是
「信増上者」者謂登住之信 信中之上也
又云此信 信仏性増上之法也
   第二 明順忍章門 〔従〕「依明信已」已下是
仏性(ぶつしょう)…すべての生き物が生まれながらもつ、仏になれる性質。
 第四 其の推崇を仏に与(あたふる)ことを述(の)ぶ。 「如此二法」従(よ)り已下(いか)是(これ)なり。
「二法」者(は) 仏性(ぶつしやう)之(の)理(り)及び善悪之(の)心にて、其(それ)唯(ただ)仏証(ぶつしよう)の知を明らむことに向かひ、今押し解き、
師及び弟子(ていし)に在り已(を)へ、互相(ごそう)〔=相互〕に讃成〔=賛成〕す[也]。

 第十四真子章(しんししやう)に就(つ)け、又分(わか)ちて二と為(な)す。
 第一:仏(ほとけ)真子を略説し、但(ただ)信順二忍を明らむ[也]。又分ちて三と為(な)す。
  第一:章門(しやうもん)。又分ちて二と為す。
   第一:信忍(しんにん)が章門を明らむ。「若我弟子」従り已下是なり。
「信増上者」者(は)登住(とうぢゆう)之(が)信(しん)を謂ひ、信の中之(の)上(じやう)也(なり)。
又此の信を云ふ。信は仏性(ぶつしやう)増上(ぞうじやう)之(が)法(ほふ)也(なり)。
   第二:順忍(じゆんにん)が章門を明らむ 。「依明信已」従り已下是なり。
  第二 正出忍体 以釈上章門 此中正明順忍兼明信忍
若五種観成則是順忍 観若不成則是信忍
故不別明信忍也 五種巧便観者也
   第一観 十八界 「観察施設根」者謂五根仮施設
「意」者謂意根也 「解」者謂六識也 「境界」者謂六塵
   第二観 因果 「観察業報」此句是也
   第三観 「阿羅漢眠」 「阿羅漢眠」謂住地
   第四観 知禅 「観察心自在楽」者謂智恵照境 任放為一レ楽也
「禅楽」者禅定楽也
   第五観 三乗神通 従「観察阿羅漢辟支仏」已下是也
  第三 結 従「於我滅後」已下是
此人於仏滅後 能秉-行大乗
「而得究竟」者 美其解不染而染上レ義也
「入大乗道因」者 言大乗道 為仏作因
又云 八地是大乗道 信順二忍 是大乗道因
不染…「染」は「染汚」、「染義」の両方の意味で使うようである。ここでは「解く」の目的語だから、「染汚」。
…「たのしむ」「よろこぶ」の意味では、二種類の発音、ラク・ゲフ(ぎょう)がある。 「不染汚」の意味となる。
  第二:正(まさ)に忍体(にんたい)を出(い)づ。以て釈(と)きて章門を上げ、此の中の正に順忍を明(あき)らめ、兼ねて信忍を明らむ。
若(も)し五種(いつくさ)の観(かん)成らば則ち是(これ)順忍(じゆんにん)にて、 観若(も)し不成(ならざら)ば則ち是信忍(しんにん)なり。
故(かれ)不別(わかたざる)は信忍(しんにん)なるを明らめ[也]、五種の巧便(げうべん)は「観」者(なり)[也]。
   第一の観:十八(じふはち)界(がい)は、「観察施設根」者(は)五根(ごこん)の仮(かり)の施設(せせつ)を謂ふ[也]。
「意(い)」者(は)意根(いこん)を謂ふ[也]。「解(げ)」者(は)六識を謂ひ[也]、「境界(きやうがい)」者(は)六塵(ろくじん)を謂ふ[也]。
   第二の観:因果(いんぐわ)は、「観察業報」此の句是(これ)也
   第三の観:「阿羅漢眠」、「阿羅漢眠」は住地(ぢゆうぢ)を明(あきらむ)こと无(な)く惑(まど)ふを謂ふ[也]。
   第四の観:知禅(ちぜん)、「観察心自在楽」者(は)智恵(ちゑ)照境(せうきやう)し、任放(ほしきまにまに)楽(げう)を為すを謂ふ[也]。
「禅楽」者(は)禅定(ぜんぢやう)の楽(げう)也(なり)。
   第五観:三乗(さんじよう)神通(じんずう)は、「観察阿羅漢辟支仏」従り已下是也(なり)。
  第三:結ぶ。「於我滅後」従り已下是なり。
此の人に、[於]仏滅(ぶつめつ)の後(のち)、能く大乗を秉(にぎ)り行(おこな)へと言ふ[也]。
「而得究竟」者(は)、其(その)不染(ふぜん)を解き、而(しかるがゆゑに)義に染まりしことを美(ほ)む[也]。
「入大乗道因」者(は)、大乗道(だいじようだう)仏と作(な)る因(いん)を為すと言ふ[也]。
又云はく、「八地(やぢ)是(これ)大乗道なり、信順二忍是(これ)大乗道の因なり」といふ[也]。
 第二 勝鬘広説真子 備明三忍也 又分為
  第一 勝鬘正説真子 又分為
   第一 総唱三種善人 従(よ)り「爾時勝鬘」已下なり。
是「離自毀傷」者 能不誹謗
   第二 列忍 従「何等為三」已下是
   第三 列順忍 「成就随順法智」此句是也
   第四 列信忍 従「於諸深法」已下是
   第五 明調-伏悪人 従「除此諸善男子」已下是
  第二 如来述成 勝鬘諸説真子也
従「佛言善哉」已下是
「降伏非法」者 偏述其五段調-伏悪人
列无生忍…第二~第四にわたって、①無忍②順忍③信忍を列挙する。
順忍…「成就随順法智」を、法理を学んで理解して達した「順忍」であると読んでいる。
信忍…『勝鬘経』でいう第三類型は、深法を知らぬまま、既に如来を仰推する境地に達している人を指す。 これを、「本義」は「信忍」〔理知的になる前の感情としての信仰〕の人と解釈している。
偏述…いくつかある中から、ある事項に限定して述べる。
 第二 勝鬘広く真子(しんし)を説く。備(つぶさに)三忍を明(あき)らめ[也]、又分(わか)ちて二と為(な)す。
  第一:勝鬘正(まさ)しく真子を説く。又分ちて五と為(な)す。
   第一:総(すべ)て三種(みくさ)の善人(ぜんにん)を唱(とな)へ、「爾時勝鬘」従り已下(いか)なり。
是(ここ)に「離自毀傷」者(は)不誹謗(ひばうせざること)を能(あた)ふ。
   第二:忍(にん)を生(な)すこと无(な)きを列(な)ぶ、「何等為三」従り已下是(これ)なり。
   第三:順忍を列ぶ、「成就随順法智」此の句是也(なり)。
   第四:信忍を列ぶ、 「於諸深法」従り已下是なり。
   第五:悪人(あくにん)を調伏(てうぶく)することを明らむ、「除此諸善男子」従り已下是なり。
  第二:如来、勝鬘が諸(おほよそ)真子を説きしことを述べ成せり[也]。
「佛言善哉」従り已下是なり。
 「降伏非法」者(は)偏(ひとへに)其の五段(いつつのきだ)の悪人を調伏することを述ぶ[也]。
《大意》
 第四:その崇拝を仏に与えることを述べる。 如是二法以下がこれである。 「二法」は仏性の理と善悪の心で、それはただ仏証ぶっしょうの知を明らかにすることに向かい、今押し解き 師弟の関係を結び、相互に賞讃する。
 第十四、真子章しんししょうについては、さらに二つに分ける。
 第一:職損は真子を略説し、ただしんじゅんの二つのにんを明らかにし、さらに三つに分ける。
  第一:章門しょうもん。さらに二つに分ける。
   第一:信忍の章門を明らかにする。「若我弟子」以下がこれである。 「信増上者」は、登住とうじゅうの信をいい、信の中の上である。 またこの信をいい、信は仏性増上の法である。
   第二:順忍の章門を明らかにする 。「依明信已」以下がこれである。
  第二:正しく忍体を出す。釈して章門を上げ、この中に正しく順忍を明らかにし、兼ねて信忍を明らかにする。 もし、五種のかん成れば、これが順忍であり、 観がもし成らなければ、これが信忍である。 よって、区別がないうちは信忍を示すに過ぎず、五種の巧便ぎょうべんが「観」なのである。
   第一観:十八界(がい)は、「観察施設根」は五根の仮の施設せせつをいい、 「意」は意根いこんをいい、「」は六識をいい、「境界きょうがい」は六塵ろくじんをいう。
   第二観:因果は、「観察業報」の句がこれである。
   第三観:「阿羅漢眠」は住地じゅうちを明らかにならず困惑することをいう]。
   第四観:知禅(ちぜん)。「観察心自在楽」は智恵が照境しょうきょうし、ほしいままぎょうをなすという。 「禅楽」は禅定ぜんじょうぎょうである。
   第五観:三乗・神通は、「観察阿羅漢辟支仏」以下がこれである。
  第三:結びとする。「於我滅後」以下がこれである。 この人に、仏滅〔釈尊の没〕の後、よく大乗をにぎって行えという。 「而得究竟」は、その不染ふぜんを解き、義染したことを褒める。 「入大乗道因」は、大乗道が仏となる因となるという。 また「八地やぢは大乗道で、信・順の二忍は大乗道の因である」という。
 第二:勝鬘は真子しんしを広説し、つぶさに三忍を明らかにする。さらに二つに分ける。
  第一:勝鬘は正に真子を説く。さらに五つに分ける。
   第一:三種の善人を総称し、爾時勝鬘以下である。 ここで「離自毀傷」は、誹謗しないことができる。
   第二:忍を未だ挙げない段階を示す。「何等為三」以下がこれである。
   第三:順忍を示す。「成就随順法智」という句がこれである。
   第四:信忍を示す。「於諸深法」以下がこれである。
   第五:悪人を調伏することを示す。「除此諸善男子」以下がこれである。
  第二:如来〔=釈尊〕が、勝鬘が概ね真子を説いたことを述べる。 「佛言善哉」以下がこれである。 「降伏非法」は、ひとえに上の第五段で悪人を調伏することを取り出して述べる。


【義疏は勝鬘経をどう読んだか】
《信忍と順忍》
 信順の二忍の相互関係について、「信忍が増上して順忍に至る」という順序性を見落とすなという。 〈本義〉がそれに触れず、単に並列していることを批判したと見られる。
《広明真子》
 『義疏』は「更有余大利益」に注目する。これは「善男子善女人」すなわち幅広い範囲の人々に利益が及ぶと解釈しているようである。 「行乗人」は信忍・順忍の主体となる人のことで、《略明真子》はそこまでは触れていないという。 『義疏』が真子章を《広明真子》に限定するのは、そこだけに書かれた「人」を重視しているからであろう。
 このことから、『義疏』の関心は、仏教の幅広い普及に向けられていることが分かる。
 この部分について、〈本義〉は「三忍」を述べた部分とするが比較的素っ気ない。 『義疏』は〈本義〉に縛られることなく、主体的に意味を読み取ろうとするのである。
《独自性》
 『義疏』の筆者は〈本義〉を参考にするが、決して〈本義〉に毛の生えた程度のものではなく『勝鬘経』を自分の頭で納得いくまで理解しようとする態度に溢れている。 その背景には、国家が仏教を導入するにあたって、その経典に書かれた思想の神髄を理解し切った上で取り組もうとする姿勢があったと感じられる。
 また、少なくとも真子章においては、庶民のレベルまで法智への理解を広めようとする意欲が読み取れるのである。 実際にそれを行おうとすれば、様々な既存の宗教勢力との衝突が避けられない。「調伏悪人」の部分は、その問題意識によって取り上げられたものであろう。

まとめ
 推古朝において、本格的に仏教国家に向けて舵を切ったのは、現実に建立された寺院を見れば歴史的事実として疑う余地はない。 その際、仏教思想を根底まで理解して臨もうとする真摯さが、『勝鬘経義疏』など三経義疏の執筆を促したとするのも、また自然な見方であろう。 その中心に上宮王がいたことは、確実であろう。義疏の執筆が朝廷の部署による組織的な仕事であったの当然であろうが、 少なくとも清書前の執筆が上宮王自身だったとしても、それほど無理のある想像ではないと感じられる。 ごく僅かな部分を見ただけだが、『義疏』と経典を照合して深く読むほど、その感が強まるのは事実である。 少なくとも『義疏』が、経典を真剣に読み解いて成し遂げられた偉大な著作であることは間違いない。
 さて、三経義疏の執筆者に関して、外形的な特徴に拠る議論と、仏教思想からのアプローチとの間には深い断絶がある。
 前者がしばしば中国製を主張するのは、その形態的な特徴が中国文化の内にあると見做されるからである。 一方、後者においては、なんといっても我が国の仏教の著作が「聖徳太子の著作」を出発点として発展してきたからである。
 しかし前者については、金錯銘鉄剣以来の筆法・書法の交流の蓄積が軽視されているように思える。 また後者については、純粋な科学の対象に信仰のフィルターがかかっていないとは言い切れない。 双方の研究手法に、ともに深く通じた研究者の出現が望まれる。
 ただ、大局的に見てこの時代の国家の大規模な仏教化は否定のしようもなく、その要に上宮王がいたこともまた確かであろう。 だから、少なくとも三経義疏の製作には、太子が一定程度の関与があったと見てよいと思われる。