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[079]  上つ巻(国譲り9)

2014.09.23(火) [080] 上つ巻(国譲り10)

如此之白而 於出雲國之多藝志之小濱 造天之御舍【多藝志三字以音】而
水戸神之孫櫛八玉神 爲膳夫 獻天御饗之時 禱白而 櫛八玉神 化鵜入海底 咋出底之波邇【此二字以音】
作天八十毘良迦【此三字以音】而 鎌海布之柄作燧臼 以海蓴之柄作燧杵而 鑽出火 云
是我所燧火者 於高天原者 神產巢日御祖命之登陀流天之新巢之凝烟【訓凝姻云州須】之八拳垂摩弖燒擧【麻弖二字以音】
地下者 於底津石根燒凝 而
𣑥繩之千尋繩打延 爲釣海人之 口大之尾翼
鱸【訓鱸云須受岐】佐和佐和邇【此五字以音】控依騰而
打竹之登遠遠登遠遠邇【此七字以音】獻天之眞魚咋也
故建御雷神返參上 復奏言向和平葦原中國之狀


如此之(このごと)白(まを)して[而] 、出雲の国之(の)多芸志之小浜(たきしのをばま)に[於]天之(あめの)御舍(みあらか)を造り【「多芸志」の三字(みもじ)音(こへ)を以ちす。】て[而]、
水戸神(みなとのかみ)之(の)孫(ひこ)、櫛八玉神(くしやたまのかみ)を膳夫(かしはで)と為(し)、天御饗(あめのみあひ)を献(まつ)りし[之]時、禱白(いのりまを)して[而]櫛八玉の神、鵜と化(な)り海(わた)の底(そこ)に入(い)り、底(そこ)之(の)波邇(はに)【此の二字音を以ちす。】を咋(く)ひ出(い)で、
天八十毘良迦(あめのやそびらか)【此の三字(みもじ)音を以ちす】を作りて[而]、海布(め)之(の)柄(から)を鎌(かまか)り、燧臼(ひきりうす)を作り、海蓴(こも)之(の)柄(から)を以(も)ち燧杵(ひきりきね)を作りて[而]火を鑽(ひき)り出(い)で云(いのりまをさ)く、
「是(この)我(わが)燧(ひきり)せむ[所の]火者(は)、高天原(たかまがはら)に[於]者(は) 神産巣日御祖命(かみむすびみおやのみこと)之(の)登陀流(とだる)天(あま)之(の)新(にひ)巣(す)之(の)凝烟(すす)【「凝姻」を訓(よ)み州須(すす)と云ふ。】之(の)八拳(やつか)垂(し)づる摩弖(まで)焼(や)き挙(あ)げ【「麻弖(まて)」二字(ふたもじ)音(こゑ)を以ちす。】、
地(つち)の下(した)者(は)、底津(そこつ)石根(いはね)に[於]焼(や)き凝(こ)る」とまをして[而]、
栲縄(たくなは)之(の)千尋(ちひろ)の縄を打ち延(は)へ、海人(あま)に釣り為(な)さしし[之]口(くち)大(おほ)き之(の)尾(を)翼(は(跳)ね)、
鱸(すずき)【「鱸」を訓み須受岐(すずき)と云ふ。】佐和佐和邇(さわさわに)【此の五字(いもじ)音を以ちす】控(ひ)き依(よ)せ騰(あ)げて[而]、
打(う)ちし竹(たけ)之(の)登遠遠登遠遠邇(とををとををに)【此の七字音を以ちす。】、天之真魚(あめのまな)を献(あ)へ咋(くら)ひき[也]。
故(かれ)建御雷(たてみかづち)の神返(かへ)り参上(まゐりのぼ)り、葦原中国(あしはらなかつくに)に言向(ことむ)け和平(やは)しし[之]状(かたち)を復奏(かへりごとまを)しき。


 このように申し上げまして、出雲の国の多芸志(たきし)の小浜に天(あめ)の御殿を設け、 水戸神(みなとのかみ)の孫、櫛八玉神(くしやたまのかみ)を料理まかない人とし、天の饗宴を開いて差し上げ、その時、呪文を唱え、櫛八玉の神は鵜に変わり、海底に入り、底の埴(はに)土を食って吐き出し、 多数の天の平瓮(ひらか、食器)を作り、海藻の柄を鎌で刈り、火鑚臼(ひきりうす)を作り、アオサの柄を用いて火鑚り杵(ひきりきね)を作って火を鑽(ひき)り出し、祝詞を唱えるに、 「この我が燧(ひき)りする火は、高天原(たかまがはら)には神産巣日御祖命(かみむすびみおやのみこと)の立派な天(あま)の新宮殿の煤(すす)の長く垂れるまで焼き挙げ、 地下は、地の底の大岩まで焼き凝らせましょう。」と祝詞を唱え、 長い縄をはわせ、漁夫に釣らせた口の大きな魚の尾が跳ね、 その鱸(すずき)をざわざわと引き寄せ釣り上げ、 投げ入れた竹(の釣竿)はたわみ、そして天の真魚(まな)を祭壇にお供えし、食したのでした。
 このようにして、建御雷(たてみかづち)の神は戻り天に昇り、葦原中つ国との交渉をまとめ上げ平定するまでの、経過を復命しました。


あらか(殿)…[名] 宮殿。(万葉集、以下(万))0167 宮柱 太布座 御在香乎 みやばしら ふとしきいまし みあらかを。
かしはで(膳夫)…[名] 天皇や皇族の食膳や饗宴などに当たった人。古く柏の葉を食器に用いたことから。
あふ(饗ふ)…[他]ハ行下二 食事を出して接待する。
…[動] いのる。(万) いのる…6例。のむ…3例(「のみ」の借字2を含む)。ほく…1例。
いのる(祈る、禱る)…[他]ラ行四段 神の名や呪文をとなえる。神仏に乞い願う。(万)3287 乾坤乃 神乎禱而 あめつちの かみをいのりて。
のむ(祈む)…[他]マ行四段 (上代語)頭をたれて祈る。
ねぐ(祈ぐ)…[他]ガ行四段 神仏に祈る。
ほく(祝く、栄く)…[他]カ行四段 祝福の言葉をとなえる。
…[動] かえる。かわる。(万)1099 陰尓将化疑 かげにならむか。
なる(成る、為る)…[自]ラ行四段 ある状態が変化して別の状態になる意。
なす(為す)…[他]サ行四段 ある状態を変化させて、別の状態にする意。
わたのそこ(海底)…[枕詞] 沖、奥にかかる。(万)0083 海底 わたのそこ。全部で5首。
わたのそこ(海底)…[名] うみのそく。(万)1317 海底 沈白玉 わたのそこ しづくしらたま。3738(添え書き) 或有愚人 斧堕海底而不解鐵沈無理浮水 おろかなるひとあり をのわたのそこにおちてくろがねみづにうくことわりなきをしらず。
錐もみ式点火法
くふ(食ふ)…[他]ハ行四段 食べる。飲む。食いつく。
はに…[名] 赤黄色の粘土。瓦や陶器の原料や布地にすりつけたりする。
ひらか(平瓮)…[名]平たい土器。
…[名] かま。
(海布)…[名] 海藻全般。
から(柄)…[名] ①植物の茎や幹。②道具類の柄の部分。
(スイ)…[名] 火を作り出すための器具。青銅製の凹面鏡、きりもみして摩擦で火を得る装置、火打石など。
(サン)…[動] 穴を開ける。きりもみしてこする。(古訓)きる。ひききる。
ひきり(火鑚り)…[名] 檜などの板に棒の先端を当て、きりもみして火を起こすこと。またその道具。
ひきりうす(火鑚り臼)…[名] ひきりに使う、檜などの木の板。
ひきりきね(火鑚り杵)…[名] ひきりに使う、先の尖った棒。
こも(海蓴)…[名] アオサ。
いづ(出づ)…[自]ダ行下二 出る。[他]ダ行下二 出す。
にひ-(新)…[接頭] 新しい~。
やつか(八束、八拳、八握)…[名] 拳8つ分ほどの長さ。また、長さが長いこと。
縄文人の火起こし
しづ(垂づ)…[他]ダ行下二 垂らす。垂れ下げる。 
まで…[副助] (体言、動詞などの連用形につく)範囲、程度、添加を表す。
こる(凝る)…[自]ラ行四段 寄り集まって固まる。氷結する。
たくなは(栲縄)…[名] 楮(こうぞ)などの樹皮で作った白い縄。
たくなはの(栲縄の)…[枕詞] 「長し」「千尋」にかかる。
あま(海人)…[名] 漁夫。
さわさわ…[副] ざわざわ。騒がしい音のするようすを表す。
とをを…[形動]-なり たわむようす。しなうようす。
さわさわ(騒騒)…[副] 騒がしい音のする様子を表す。ざわざわ。
とをを-なり(嘵)…[形動] たわむようす。
まな(真魚)…[動] 食膳に出す魚。
まゐり-(参り)…接頭語のようにして謙譲語とする。参り通ふ、参り来、参り集ふ、など。
ことむく(言向く)…[他]カ行下二 言葉の力で説得して従わせる。

【如此之白】
 「此の如く」は、前回の大国主の言葉「葦原中国を献上する云々」の言葉を受ける。

【出雲国之多芸志之小浜】
 「多芸志」を武志町に比定する説もあるが、現在の武志町は内陸である。もし、武志=多藝志なら、 かつての武志地域はもう少し東に広く、海岸まで広がっていたことになる。
 現在の宍道湖と中海はかつては湾であり、入海と言われた。その範囲は現在よりも西側まで広がっていた。
 もし、多芸志の浜が入海側の海岸なら、御舎は「高天原に千木高知り底津石根に宮柱太知る」宮(出雲大社に比定)ではない。

【御舎】
 しかし、一般には「御舎」はその前に大国主が住むとした「とだる天の御巣」と同じものだと読まれている。 だが「とだる天の御巣」は、後に大国主の祝詞の中で「神産巣日御祖命之登陀流天之新巣」と表現される。これが単なる「御舎」と表現されることはないと思われる。 また、新巣の建造は神産巣日神が造って与えるものであり(前回、一書2に詳しい)、大国主が、さっさと自分で作るものでもない。
 さらに、大きな社(例えば大神神社)は基本的に山の麓、山を仰ぎ見る位置に造営される。これは、もともと神は山頂にいる、あるいは山そのものが神であったからである。 実際、杵築大社(現出雲大社)もそのような位置取りにあり、海に接する海岸ではない。
 文脈上も「御舎」は、直後に出てくる「献天御饗」のための、仮設会場であると読み取るべきである。

【水戸神】
 水戸(みなと)の神は、伊邪那岐・伊邪那美が神生みによって生まれた、速秋津日子(はやあきつひこ)・速秋津比賣(はやあきつひめ)神の夫婦神をまとめた名称である(第36回)。 「みなと」とは、河口。また、そこに作られた船着き場である。

【天の(あめの、あまの)】
 「あめの」(古くはあまの、あまつ)の意味は「天にある」「空にある」の他に、「天皇の」、さらには地上にある「神聖な」ものにつける美称でもある。
 今回の範囲のうち、天之御舍(あめのみあらか)、天御饗(あめのみあへ)、天八十毘良迦(あめのやそびらか)、天之眞魚(あめのまな)は何れも地上の物や事への美称だと思われる。

【孫】
 『倭名類聚抄』によれば、
 爾雅云子之子為孫【尊反和名無萬古】一云【比古】
『爾雅』に子の子を孫とす。【発音「尊」。和名は「むまご」】あるいは【ひこ】。
 「ま」の前に[m]を音節として発音する場合に「む」と書かれるのは、「むま(馬)」と同じである。

【献】
 「獻天御饗」「獻天之眞魚」の2か所に使われる。
 次の歌ではあふ」(饗ふ、料理をしてもてなす意)だが、異訓によれば、「(まつ)る」である。
(万)3880 母尓奉都也 ははにあへつや。父尓獻都也 ちちにあへつや。
 なお、この歌全文の訓読は次の通りである。
鹿島嶺の 机の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや 目豆児の刀自 父にあへつや 身女児の刀自
 しただみ…小さな海産の巻貝。い拾ひ…「い」は動詞の上につき、意味を強める接頭語。とじ(刀自)…一家の主婦。
 あへつは「あふ」の連用形+「つ(は完了の助動詞)」。異訓「まつりつ」がある。

白】※ この項では略字体を用いる。
 「祷白」(いのりまをす)は、「祝詞を唱える」であろう。その内容は、鑽出火の後の「云はく」から後だと、宣長は言う。 そのの対象範囲は「而」によっていくつかの文が繋がれていて、「献天之真魚咋也」までである。 ただ、そうだとしても「祷白」と「云」が離れすぎている。更に引用文は「この火きりをした火は」で始まり、直前の「鑽出火」(火をきり出し)を直接受けている。 また、その対象範囲中、鱸を釣り上げる部分以下は内容は火きりから離れていくので、祝詞の一節ではなく通常の叙述文だと考えた方がよい。
 一般に「白(まを)す」は引用文を伴うから探したくなるが、「祷白」は既に熟語となっていて、引用文を伴わないこともあり得ると考えた方が合理的である。 「祷白」は櫛八玉神(くしやたまのかみ)を、鵜に変身させるための呪文を唱えたことを指すとした方がよい。
 そして、「云」は、火きりに伴う祝詞を指し、本来は「鑽出火而祷白云」と書かれるべきだから、「いのりまをさく」と訓ずるのが適当だと思われる。
 
【麻弖】
 「まで」は、さまざまな万葉仮名で書かれ、中には記と同じ「麻弖」もある。
(万)0485 晝波 日乃久流留麻弖 ひるは ひのくるるまで。他に0017 萬代0034 左右。など。
 「迄」が使われるのは第7巻が初めてである。
(万)1188 石管自 迄吾来 含而有待 いはつつじ わがくるまでに ふふみてありまて(ふふみて=蕾のままで)
 漢和辞典によると、「迄」はもともと「およぶ」「ついに」の意味であり、「まで」は日本語用法である。 記が書かれたのは、日本で「迄=まで」が一般化する前だと思われる。

【海布】
 「(海布)」から派生した語に、ワカメ、アラメなどがある。万葉集から「」の用例を見る。
(万)0278 然之海人者 軍布苅塩焼 しかのあまは めかりしほやき。
(万)1227 海藻苅舟 海人榜出良之 めかりぶね あまこぎづらし。
(万)3871 迫門乃稚海藻者 せとのわかめは。

【柄】
 万葉集では、ほとんどが「から」の借字として使われる。
(万)1679 妻常言長柄 つまといひながら。

アオサミズアオイ(水葵)
【海蓴】
 『倭名類聚抄』に「海蓴」を見る。
石蒓 唐韻云蒓【常倫反漢語抄云石蒓古毛一云水葵菜】水葵也弁色立成云海蓴【倭名上同】
石蒓 『唐韻』に云ふ「蒓」【常倫反(発音:ジュン)。『漢語抄』に「石蒓」を古毛(こも)と云ひ、一(あるひは)水葵菜と云ふ。】 「水葵」なり。『弁色立成』に「海蓴」【倭名は上に同じ】と云ふ。
 つまり、蒓=水葵(ただし、石蒓=水葵菜とする書もある)、石蒓=海蓴。和名は両方とも「こも」である。
 現代中国語の石蒓は、日本語のアオサ(石蓴)である。(属名=Ulva) 一方、水葵は田の畔などに生息し、青い花をつける植物である。

【焼】
 宣長は、「焼挙」を「たきあぐ」と訓んでいるが、万葉集には「焼()く」も「焼()く」もある。
(万)0005 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情 あまをとめらが やくしほの おもひぞやくる あがしたごころ。
(万)1203 爪木折焼 つまきをりたき。
(万)1336 冬隠 春乃大野乎 焼人者 ふゆこもり はるのおほのを やくひとは。
(万)2695 駿河有 不盡乃高嶺之 焼管香将有 するがなる ふじのたかねの もえつつかあらむ。
(万)2742 火氣焼立而 けぶりやきたてて。
 万葉集の若い巻は「やく」が多い。「たく」は炊く・焚くに通じ、どちらかというと、加熱、照明など火の使用目的に注目する場合。それに対して「やく」は、煙や焦げなど燃焼する物質自体の変化に注目する傾向がある。

【鵜飼漁】
 「化鵜入海底 咋出底之波邇(鵜となって海底にもぐり、底の焼き物に向く土を食い、それを吐き出す)という一節がある。
 万葉集には鵜に魚を獲らせる歌がいくつかある、
(万)3330 上瀬尓 鵜矣八頭漬 下瀬尓 鵜矣八頭漬 上瀬之 年魚矣令咋 下瀬之 鮎矣令咋 麗妹尓 鮎遠惜 麗妹尓 鮎矣惜 投左乃 遠離居而 思空 不安國 嘆空 不安國 衣社薄 其破者 継乍物 又母相登言 玉社者 緒之絶薄 八十一里喚鷄 又物逢登曰 又毛不相物者 孋尓志有来
 かみつせに うをやつかづけ しもつせに うをやつかづけ かみつせの あゆをくはしめ しもつせの あゆをくはしめ くはしいもに あゆををしみ くはしいもに あゆををしみ なぐるさの とほざかりゐて おもふそら やすけなくに なげくそら やすけなくに きぬこそば それやれぬれば つぎつつも またもあふといへ たまこそば をのたえぬれば くくりつつ またもあふといへ またもあはぬものは つまにしありけり。
 八頭(やつ)漬(かづけ)=やつは「八つ」または数の多いこと。「潜(か)づく」は潜水させる。 くはしいも(麗し妹)は、妻のこと。なぐるさの(投ぐる矢の)は、「遠」への枕詞。
 妹(亡き妻)に食べさせたかったたかったなあと、アユを惜しむ。
 歌の後半の意味は、「遠ざかり、想うことも嘆くことも虚しく安らげず、衣が破れたら縫えば合え、珠の糸が切れれば結べば合えるが、いかにしても会えぬのは亡き妻である。
 後で取り上げる4191番も鵜に魚を獲らせている。当時、鵜飼漁は一般的に行われていたことが分かる。

【栲縄之千尋縄打延】
 「たくなは(栲縄)の」は「千尋」にかかる枕詞であるが、 栲縄(たくなわ)は、出雲国風土記以来、登陀流天之新巣に関係の深い場面に出てくる語でもある。 『出雲国風土記』では、神魂命が天日栖宮のサイズを栲縄の結び目の数で表して地上に降ろす(第62回)。 また、一書2(第79回)では、丸太を組んで縛るために使われたと思われる。
 ここでは「打ち延はす」という語から、沖合から地引網を曳く丈夫な縄が想像される。
 ただ、漁獲方法は地引網漁に限らず、釣り人を任命したり打竹(おそらく投げ入れた釣竿)をたわませたりするので、釣り漁も行われたことになる。

為釣海人之口大之尾翼の訓みかた】
 は尾の次の文字なので、鰭(古語は「はた」)を意味するように思われる。
《はた》
 そこでまず、「はた」について調べてみた。 古語辞典の「はた」の文例に、万葉集の歌があった。
(万)4191 鸕河立 取左牟安由能 之我波多波 吾等尓可伎无氣 念之念婆
 うかはたち とらさむあゆの しがはたは われにかきむけ おもひしおもはば。
 「しが」は、上代の指示代名詞+連体修飾の格助詞。つまり「その」と同じ。
 この「はた」が本当に鰭かどうかを確かめるために、歌の解釈をネットで検索した。その結果、(鮎を描いた儀式用の幡を思い出して)あなたが描いた幡(はた)を持ってきてほしい。 あなたが食べて残った鰭を送ってください。「思いし思えば」ともに「気が向いたら」と読み取っている。「し」は強調の副助詞だが、現代語には訳しにくい。 「かき向け」の「かき」は「軽く~する」意味の接頭語。すなおに読めば、 あゆの鰭が、たまたま私を指しているように見えるのを見て「何か言いたいことがある? でも勝手に思っていろ。」と言っているのではないか。
 以上、「はた」が万葉集にあることはわかったが、問題は「翼」が本当に鰭を意味するのかということである。
《翼》
 万葉集で「翼」のよみは、すべて「はね」である。記では、ここ以外に「翼」は使われていない。書紀に数例ある翼は、すべて鳥の翼の意味である。 とすれば、「翼」が尾鰭を表すとするのは無理かも知れない。本居宣長は、尾を「小」(接頭語。この場合特に「小」の意味はない)の借字とし、左右に広げるところが似るところから、翼は胸鰭だと言う。
《口大之尾翼》
 「口大之」は「くちおほの」だろうか。「名詞+形容詞の語幹+の」の形は「幅広の」と同じだから、表現として成り立つ。 しかし、「尾はた鱸」には違和感がある。もし「口大尾広之鱸」だったら自然なのだが。  それでも宣長は「をはた(小鰭)」が、鱸にかかるとする。魚に胸鰭があるのは当然だから、「をはた」は枕詞のようなものか。そのためだろうか、「おはたの」と「の」を挟むのはよくないと宣長は言う。
《翼はよみを借りただけか》
 ここで発想を変え、翼はあまりに魚に縁遠いので、逆に借字の可能性はないか考えてみる。(宣長も「尾はね」の可能性に気付くが、「空中をとぶ」にこだわり考えはここまでで止まっている) そうすると「はね」即ち「跳ね」となり、魚の尾は跳ねるものだから見込みがある。その線で検討を進めると、「はね」は下二段活用の「はぬ」の連用形なので、鱸の前で一旦文が切れる。 次に、「口大」は連体形「くちおほき」と訓み「口の大きな魚=鱸の別表現」と解釈することができる。  「為釣海人」は「あまをして釣らしむ」という意味の動詞句と読み取れるので、 「」は「し」(「口大」への連体修飾と、完了「き」の連体形「し」を兼ねた用法)である。 以上のように考えると、文意は「海人に釣らせた口の大きな魚の尾は跳ね、その魚、即ち鱸は騒がしく音を立てながら引き寄せ...」と、自然なものになる。
《「爲釣海人之口大之尾翼」の正規の表現》
 使役を意味する「為釣海人」は、本来の漢文では「令海人釣」である。  「はね」を借字とし、この全体を正規の漢文表現にすると、「所令漁夫釣口大魚之尾跳」(漁夫をして釣らしめし所の口大き魚の尾跳ね)となる。
口大き魚 スズキ

【鱸】
 鱸(すずき)は<wikipedia>全長は最大で1mを超える。食性は肉食性で、小魚や甲殻類などを大きな口で捕食する。</wikipedia>この「大きな口」という表現が記に一致し、興味深い。(右図)

【打竹之登遠遠登遠遠邇】
 「打竹之登遠遠登遠遠邇」が、続く「献天真魚」(あめのまなをまつる=神聖な魚を供える)を直接修飾すると考えると、意味が分からなくなる。
 しかし鱸を釣り上げた話の続きだとすれば、「竹」は釣竿で、大きくたわむと読み取ることができる。 「打つ」は針に餌をつけて海中に入れることだと考えられる。現代に「前打ち」という釣用語があり、狙う位置より沖寄りに投入することを意味する。 そこで試しに、
為釣海人之口大之尾翼鱸佐和佐和邇控依騰而打竹之登遠遠登遠遠邇」の語順を入れ替え、
為釣海人之口大鱸之尾佐和佐和邇跳打竹之登遠遠登遠遠邇控依騰而
(海人に釣らせし口大き鱸の尾さわさわに跳ね、打ちし竹のとををとををに控き依せ騰げて) =漁夫に釣らせた口が大きな鱸の尾は騒々しく跳ね、投げ込んだ釣竿をしならせながら引き寄せ上げて
 とすると判り易くなる。口語では、言い落した部分を後から付け加えことがある。原文は口語風に語順が倒置された印象を受ける。

【建御雷神返参上】
 建御雷神と共に派遣された天鳥船神はどうなったのだろう。結局天鳥船神は、船を提供し、操縦する補佐的な役割だったことになる。 (書紀では経津主の神と共に、一貫して「二神」とされる)
 すると、第77回に「天鳥船神副建御雷神而遣」において、建御雷神を副使と読んだのは読み違えだったことになる。 正しくは「天鳥船神を副建御雷神に副(そ)へて遣はしき」である。

【饗宴の会場、主催者、料理】
 主語は、「如此之白」からずっと大国主である。建御雷神が天に帰るのは饗宴の終了後だから、 この宴は大国主が建御雷神を接待するためのものである。会場は地上の多芸志浜に特設した宮である。
 前述したように、多芸志が武志町だとすれば、多芸志浜は伊那佐浜とは半島の反対側で、この会場は「とだる御巣」ではない。
 
【描かれた情景】
《海藻》
 海藻の柄から火きり臼・火きり杵を作ることは不可能である。実際には檜などの木材で作られる。 海藻を、もともと食用にするために獲りに行ったことと、火きりの道具作りが混合して、こうなったと考えられる。
《漁》
 先に述べたように、漁には地引網漁と釣り漁が混在している。それぞれの方法で大量の魚を獲ったのであろう。 中でも、巨大に育った鱸を釣り上げるのは大変で、尾をはねて水面を叩き、竹竿をもたわませるのである。 そんな情景を「佐和佐和に」「登遠遠登遠遠に」と、オノマトペで表現する。「尾翼」を「尾はね」と読むのは妥当であろう。
《献天之真魚咋》
 先に述べたように「あめの」はここでは美称である。天に奉る魚を三方に載せて祭壇に供え、一同が賑やかに魚料理を食する様子を描いている。

【是我所燧火者】
 大国主が火をきる(火きり臼に開けた穴に火きり杵を差し入れ錐もみし、摩擦熱で発火させる)とき、祝詞を唱える。
 それを表面的に読めば、炊き上げる火が新しい宮殿を煙で燻し、宮柱の立つ岩を焼き固め立派な宮殿になりますようにという祝辞である。 なぜこれが「新しい」宮殿かというと、「神産巣日御祖命之登陀流天之」の「」が、大国主のために新たに建造されたことを意味するからである。
 しかしその言葉の裏に、押し殺された悔しさが感じられる。
 詳しく読んで起こる疑問は、煤が上から下に向かって垂れること、そしてその煤が「天之新巣凝烟」とされること、そしてその火がとだる新巣の「底津石根」まで焼き凝らしてしまうことである。 もし、完成した神殿の前で薪を焚いたとすれば、「天の新巣煤」ではなく「天之新巣、煤」、また「八拳摩弖(八束の長さに垂れさがるまで)」ではなく「八拳摩弖」のはずである。
 また「焼き挙げ」は宮殿本体が炎上するように読め、特に「底津石根を焼き凝る」の「底津石根」は、とだる御巣の地下まで融かすような大火を想像させ、穏やかではない。 大国主は、実は「新しい神殿など、この火で燃やし尽くしてやれ」とうそぶいているのである。 それを、宮柱が立つ地下の土まで焼き凝り、新宮殿は燃え挙がり、煤となって空から降ってくると表現する(これなら「八拳摩弖」でよいことになる)。ただこれは、屈服した今となっては、すでに不可能なことである。
 大国主は、国を献上する引き換えに、自ら新しい神殿を要求したとされるが、実は言わされたのである。 本心は、国の統治権を譲らざるを得なかったことが、悔しくてならない。国を明け渡すことを了承後、海に飛び込んだ事代主と同じである。
 そして、この祝詞に隠れた意味を込めたのが、大国主の最後の抵抗であった。
 ことによると天に聳えた杵築大社が炎上した事件が、歴史上の事実として存在し(記録上、何度も倒壊して立て直したとされる=第61回参照)、 その記憶が、この部分に反映しているのかも知れない。

まとめ
 大国主の祝詞に隠されたものを除けば、内容は単純である。
 ただ、口語のような倒置や省略が目立ち、正確な読み取りのためには補足や整理が必要な個所がある。 記のすべてにこのように混乱があるわけではなく、例えば因幡の白兎などはなかなか整然と書かれ、読みやすい。
 このように、記に読み取りにくい箇所がある場合は、多くは書紀の一書で読解されるのだが、この箇所は放置されている。 それは、この時点で大国主が宴を開催する資格に疑念があるからだろう。 そもそも使者を労う宴を主催すること自体、国の主(あるじ)の立場を示すことになる。大国主は既にその資格を喪失しているのである。


2014.09.26(金) [081] 上つ巻(天降り1)

爾天照大御神高木神之命以詔 太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命
今平訖葦原中國之白故隨言依 賜降坐而知者
爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命答白
僕者將降裝束之間子生出 名天邇岐志國邇岐志【自邇至志以音】天津日高日子番能邇邇藝命此子應降也
此御子者 御合高木神之女萬幡豐秋津師比賣命
生子 天火明命
次日子番能邇邇藝命【二柱】也
是以隨白之 科詔日子番能邇邇藝命
此豐葦原水穗國者 汝將知國言依賜 故隨命以可天降


爾(かれ)、天照大御神(あまてらすおほみかみ)高木神(たかぎのかみ)之(の)命(みこと)を以(も)ち、太子(ひつぎのみこ)正勝吾勝勝速日天忍穗耳(まさかつあかつかつはやひあめのをしほみみ)の命(みこと)に詔(の)らさく、
「今、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平(たひら)げ訖(を)へて[之]白(まをさ)く『故(かれ)、言依(ことよ)せに隨(したが)はむ』とまをせば、降(お)り坐(ま)して[而]知ろしめし賜(たま)へ」とのらせ者(ば)、
爾(こ)に其の太子(ひつぎのみこ)正勝吾勝勝速日天忍穗耳の命、答へ白(まを)さく、
「僕(やつかれ)者(は)[将に]降(お)りむと裝束(よそ)ひし[之]間(ま)、子(みこ)生(う)み出(い)で、天邇岐志国邇岐志【「邇」自(よ)り「志」至(まで)音(こゑ)を以ちす。】天津日高日子番能邇邇芸(あめのにきしくににきしあまつひこひこほのににぎ)の命(みこと)と名づく、此の子(みこ)降(お)る応(べ)し[也]。」
此の御子者(は)、高木(たかぎ)の神之(の)女(むすめ)万幡豊秋津師比売(よろづはたあきつしひめ)の命(みこと)と御合(めあはしたま)ひ、
子(みこ)天火明(あめのほあかり)の命(みこと)、
次に日子番能邇邇芸(ひこほのににぎ)の命【二柱(ふたはしら)】を生みき[也]。
是以(こに)之(こ)れ白(まを)すに隨(したが)ひ、日子番能邇邇芸の命に科(を)し詔(の)らさく、
「此の豊葦原(とよあしはら)の水穂(みづほ)の国者(は)汝(な)が[将に]知(し)ろしめさむ国と言依(ことよ)せ賜(たま)ふ。故(かれ)命(みこと)に隨(したが)ひ、以(も)ちて天降(あも)る可(べ)し。」とのらしき。


 そこで、天照大御神(あまてらすおおみかみ)高木神(たかぎのかみ)のお言葉をもって、皇太子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳(まさかつあかつかつはやひあめのをしほみみ)の命(みこと)に詔(みことのり)し、 「今、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定し終え、大国主は『それなら、言いつけに従います』と申したので、天降りして統治して下さい。」と仰りましたが、
 これにその皇太子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳の命、答えて申し上げるには、
「私が、まさに降りようと準備を進めている間に子が生まれ、その名を天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸(あめのにきしくににきしあまつひこひこほのににぎ)の命と申します。この子が降りるのが良いでしょう。」
 この御子は、高木の神の娘、万幡豊秋津師比売(よろづはたあきつしひめ)の命と結婚し、 御子、天火明(あめのほあかり)の命、 そして日子番能邇邇芸(ひこほのににぎ)の命を生みました。
 よって、天忍穗耳の命の申し出に従い、日子番能邇邇芸の命に科して詔(みことのり)され、
「この豊葦原(とよあしはら)の水穂(みづほ)の国は、あなたが治める国として委ねます。そこで言いつけに従い、よって天降りしなさい。」と仰りました。


ひつぎのみこ(日嗣の御子)…[名](尊敬語) 皇太子。
ことよす(言寄す)…[自]サ行下二 ゆだねる。(万葉集。以下(万))0546 天地 神祇辞因而 あめつちの かみことよせて。
よそふ(装ふ)…[他]ハ行四段 準備する。(万)0199 刺竹 皇子御門乎 神宮尓 装束奉而 遣使 御門之人毛 さすたけの みこのみかどを かむみやに よそひまつりて つかはしし みかどのひとも。
めあはす(妻合はす)…[他]サ行下二 結婚させる。

【太子】
 書紀では、皇位を嗣ぐ子は「皇太子(ひつぎのみこ)」である。
(書紀)神武天皇 立皇子神渟名川耳尊、爲皇太子
 「日嗣」の意味をよく表す歌がある。
(万)4094 葦原能 美豆保國乎 安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能 御代可佐祢 天乃日嗣等 之良志久流 伎美能御代〃〃
 あしはらの みづほのくにを あまくだり しらしめしける すめろきの かみのみことの みよかさね あまのひつぎと しらしくる きみのみよみよ。
 記の中巻・下巻では、ほぼ皇太子の意味で「太子」が使われている。ここではまだ天皇以前であるが、天皇につながる御子である。

【今、平訖葦原中国之白「故隨言依」、賜降坐而知】
 この文の区切り方は、なかなかむずかしいが、解読の鍵になるのは「」である。 白(まをす)は謙譲語なので、「故、隨言依」の言葉は大国主が語ったものである。
 「」はここでは漢文の接続詞で、「葦原中国を平らげ訖(=終)ふ」と「『故、言依せに随ふ』と白(まを)す」を並列に繋ぐ。
 「」は、邇邇芸(ににぎ)に「降坐而知(おりましてしらしむ)」を命じ、「たまへ」(敬意を含む命令)を付けたものである。 「たまふ」などの補助動詞は動詞の後に書かれる場合が多いが、ここでは漢文の助動詞のように扱い、目的語となる動詞句の前に置かれる。 以上を、返り点を付けてに示した。
 ここで示した部分全体が、(のらさく)の目的語であるが、"…賜降坐而知」"と、直後に接続助詞「」があるから、"」"の後ろにの重複が隠されていることが分かる。つまり、実際は"…賜降坐而知者"である。
 なお、『出雲国風土記』の書法では後ろの「詔」が明示され、発言の終端が明確に示される。
《尊敬表現について》
 「故隨言依、賜降坐而知」までを大国主の言葉(…降りまして知ろしめ賜る)としても成り立つが、「降りて治めよ」の言葉は大国主の言葉の引用ではなく、天照大御神・高木神自身の言葉とすべきである。
 「降」に「坐」がつき、「知」につかないのは、「知ろしめす」自身が尊敬語だからである。 しかしこれが、もし大国主の言葉だとすれば、それを「賜る」と謙譲表現をするのは当然である。
 これが天照大御神・高木神の言葉だとすると、天忍穂耳は目下だから、尊敬表現が果たして妥当なのかという疑問が生ずる。しかし、何と言っても天忍穂耳は「天の日嗣」であるから、例え天照らの言葉の中であっても尊敬表現されるのである。
《相対的尊敬と絶対的尊敬》
 天皇は、例え対象が自分自身であっても尊敬表現を用いる。これを「自敬表現」と言う。 検索すると、竹取物語における帝の言葉「顔かたちよしと聞こしめして」などが例として紹介されている。
 古事記でここまで読んできた中に、大国主が沼河比売をよばう歌謡(第64回)に「賢し女を 有りと聞かして」、 また、伊邪那伎大神が禊するとき(第42回)「吾者為御身之禊」(あれは御身のみそぎをし)がある。
 尊敬語は、基本的に自他の相対的な立場の上下に基づくが、天皇など絶対的な存在に対しては、だれが話しても(例え本人であっても)尊敬表現が用いられる。

【書記本文】
 記では、地上に天菩比(あめのほひ)の神を遣わす前に、天照の子、天忍穂耳が天降りを試みるが、とても降りられる状態ではなく、一旦戻ってくる。 以後、天降りの直前まで天忍穂耳がそのまま、降臨することになっている。天孫が生まれて変更されるのは、天忍穂耳が天下りの準備をしている最中である。
 それに対して、書紀は最初の使者、天穗日命を遣わす前に生まれた天照の孫が、天降ることになっている。。
天照大神之子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊、娶高皇産靈尊之女𣑥幡千千姬、
生天津彥彥火瓊瓊杵尊。
故、皇祖高皇産靈尊、特鍾憐愛、以崇養焉、
遂欲立皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊、以爲葦原中國之主。

天照大神(あまてらすおほみかみ)之子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳(まさかつあかつかつはやひあめのをしほみみ)の尊(みこと)、高皇産霊(たかみむすび)の尊之女(むすめ)栲幡千千姫(たくはたちちひめ)を娶(めあ)ひ、
天津彦彦火瓊瓊杵(あまつひこひこほのににぎ)の尊を生みき。
故(かれ)、皇祖(すめおや)高皇産霊(たかみむすび)の尊、特(こと)に鍾(しく)憐愛(うるはし)み、以(も)ちて崇(たか)く養(やしな)ふ焉(を)、
遂(つひ)に皇孫(すめみま)天津彦彦火瓊瓊杵の尊を立て、以ちて葦原の中つ国之(の)主(ぬし)に為(す)るを欲る。

ことに(異に、殊に)…[副] とりわけ。(万)3099 野者殊異為而 心者同 のはことにして こころはおやじ。
しく…[副](上代語) しきりに。(万)1553 鍾礼能雨 しぐれのあめ。
かなしむ(愛しむ、哀しむ)…(万)0196 綾尓憐 あやにかなしみ。(万) はしき、うつくしき、うるはし、うるはしむ、めづ、まな。
…(万)0319 燎火乎 雪以滅 もゆるひを ゆきもちけち。(万)0420 夕衢占問 石卜以而 ゆふけとひ いしうらもちて。
…(古訓) たふとし、おほし、たかし。
…(万)かふ。2495 母養子 ははがかふこの。(古訓)かふ、かへりみる、まほる、やしなふ。など。
…(万)0462 秋風寒 将吹 如何獨 あきかぜさむく ふきなむ いかにかひとり。(万)0623 不相夜多 あはぬよおほき。


【なぜ天降りが、天照の子から孫に変更になったか】
 天忍穂耳は、自分が天降りする自信をなくした。もしくは、邇邇芸の方が適格だと考えた。 それは、日嗣に高御産巣日神(別名高木神、日本書紀では高皇産霊神)の血が継がれることが必要だと考えたのであろう。 古事記では、高天原における高御産巣日神の存在感が次第に増し、 ついには天忍穂耳は天降りの役を、高御産巣日神の血を受け継ぐ邇邇芸に交代する。
 書紀ではそのようは混乱を避け、天降りするのは最初から瓊瓊杵に決めてある。

【御合と娶】
 「娶」の訓を検討したとき(第68回)は、ここの「御合」を見落としていた。訂正しようと思って見直したが「めあはす」説はなかなか頑丈である。 ひとまず尊敬表現「御」を「たまふ」と訳すことによって一貫性を保持した上で、今後も検討を続けたい。

まとめ
 天降りを交代した裏に、高御産巣日神を特に崇拝する一族の存在が想像される。彼らが編集中の記紀の内容を知って圧力をかけ、記は執筆中に筋書きが変更され、書紀は成文化する前の段階で決着がついたと思われる。 <wikipedia>平田篤胤の説では、思金神は天児屋命と同一神であるとしている。</wikipedia>天児屋命は中臣連(なかとみのむらじ)の祖とされ、中臣連の大嶋は書紀の編集委員の一人である。(第50回) もし天児屋命=思金神だとすれば、思金神の御祖、高御産巣日神を高めさせたのは、中臣連であることになる。


2014.10.01(水) [082] 上つ巻(天降り2)

爾 日子番能邇邇藝命將天降之時 居天之八衢而 上光高天原下光葦原中國之神於是有故爾
天照大御神高木神之命以 詔天宇受賣神
汝者雖有手弱女人 與伊牟迦布神【自伊至布以音】面勝神故 專汝往將問者
吾御子爲天降之道 誰如此而居
故問賜之時答白
僕者國神 名猨田毘古神也 所以出居者 聞天神御子天降坐故 仕奉御前而參向之侍


爾(かれ)、日子番能邇邇芸(ひこほのににぎ)の命[将に]天降(あもら)むとしし[之]時 天之(あめの)八衢(やちまた)に居(を)りて[而]、上(うへ)は高天原(たかまがはら)に光(ひか)り下(した)は葦原(あしはら)の中つ国に光りし[之]神(かみ)於是有(ここな)る故爾(ゆゑに)、
天照大御神(あまてらすおほみかみ)高木神(たかぎのかみ)之(の)命(みこと)を以(も)ち、天宇受売(あめのうずめ)の神に詔(の)らさく、
「汝(なれ)者(は)手弱女人(たをやめ)有(な)れ雖(ども)、伊(い)牟迦布(むかふ)神【「伊」自(よ)り「布」至(まで)音(こゑ)を以(も)ちてす。】与(と)面勝(おもかつ)神故(ゆゑ) 專(もは)ら汝(なれ)往(ゆ)き[将]問(と)はむ者(は)、
『吾(あ)が御子(みこ)天降(あもり)為(し)[之]道(みち)は、誰(たれ)か如此而(かくて)居(を)る。』ぞ」とのらしき。
故(かれ)問ひ賜ひし[之]時、答へ白(まを)さく、
「僕(やつかれ)者(は)国つ神、名は猿田毘古(さるたひこ)の神也(なり)。 出(い)で居(を)る所以(ゆゑ)者(は)、天(あま)つ神の御子(みこ)天降(あも)り坐(ま)すを聞きし故(ゆゑ)に、御前(みまへ)に仕(つか)へ奉(まつ)りて[而]参(まゐ)り向(むか)ひ之(し)侍(さもら)ふ。」とまをしき。


 そこで日子番能邇邇芸(ひこほのににぎ)の命が天降りしようとした時 天の八巷(やちまた)にいて、上は高天原(たかまがはら)に光りを放ち、下は光葦原(あしはら)の中つ国に光を放つ神が、ここにおりました。その故に、 天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高木神(たかぎのかみ)は、そのお言葉によって、天宇受売(あめのうずめ)の神に仰るには、
「お前はか弱き女子ではあるが、向かってくる神に対して顔で勝てる神であるから、 お前こそが行き、そこでこのように問いなさい。 『私の御子が天降りする道を、誰か案内してくれる者はいないか。』」と仰りました。
 そして、天宇受売が問われた時、お答えしたのは、
「私目は、地祇(くにつかみ)で、名はを猿田毘古(さるたひこ)の神と申します。 このように出て参りました理由は、天津神の御子が天降りされるとお聞きしたので、その御前に仕え奉(まつ)り御目にかかるためでございます。」


ちまた(巷、岐、衢)…[名] 辻。分かれ道。(万葉集、以下(万))0125 橘之 蔭履路乃 八衢尓 たちばなの かげふむみちの やちまたに。
ひかる(光る)…[自]ラ行四段 光を放つ。(万)0346 夜光 玉跡言十方 よるひかる たまといふとも。
てる(照る)…[自]ラ行四段 ①火や月が光り輝く。②美しく輝く。(万)0981 出来月乃 遅将光 いでくるつきの おそくてるらむ。(万)1079 可照月乎 てるべきつきを。
うへ(上)…[名] 高い位置。ものの表面。(万)0052 堤上尓 つつみのうへに。
した(下)…[名] 低い位置。内側。(万)0005 吾下情 あがしたごころ。
ここ…[代名] ①この場所。②このこと。(万)3791 蚊黒為髪尾 信櫛持 於是蚊寸垂 取束 かぐろしかみを まくしもち ここにかきたれ とりつかね。
ゆゑに…[名]+[格助] (万)0200 久堅之 天所知流 君故尓 ひさかたの あめしらしぬる きみゆゑに
ども、ど…[接助](已然形につく) 逆接の確定条件・恒常条件・仮定条件。(万)0029 天離 夷者雖有 あまざかる ひなにはあれど。
たわやめ(撓や女、手弱女)…[名] しなやかで優しい女性。
(與)…[前] ~とともに。名詞を伴い、前置詞構造を構成し、述語に対する依拠する条件や共同の対象を表す。
…[格助] 動作を一緒にする相手を示す。
い-むかふ(対ふ、向かふ)…[接頭]+[自]ハ行四段 (い-)動詞の意味を強める。(むかふ)向き合う。
おも(面)…[名] ①表面。②顔。
もはら…[副] ひたすら。ただただ。
みち(道)…[名] (万)0025 其山 そのやまみちを。
さもらふ(侍ふ)…[自]ハ行四段 (上代語)「仕ふ」の謙譲語。(万)2508 神御門乎 懼見等 侍従時尓かみのみかどを かしこみと さもらふときに。

【岐(衢)の神】
 <デジタル大辞泉>道の分岐点を守り邪霊の侵入を阻止する神。また、旅人の安全を守護する神。道祖神。さえのかみ。</デジタル大辞泉>
 記では、伊邪那岐が黄泉の国から脱出し、禊をするために衣服を投げ捨てたときに生じた神々のうちの一柱が、道俣神(ちまたのかみ)である。 (第42回に「於投棄御褌所成神名道俣神。=みはかま(褌)を投げ捨てたとき)
 また、杖を投げ捨てたところに生じた衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)は、書紀一書6では「岐神」と書き、「ふなとのかみ」とよむ。
 一方、一書9(第40回)によれば、禊ぎの場面より前、黄泉から逃げる時に追ってくる雷公に杖を投げつけ「くな」(=来るな)と言ったので、 その場所(くなと)に因んで「来名戸之祖神(くなとのそのかみ)」が生じ、さらにそれが元になって「(ふなと)の神」になったという。
 何れも、「道に防衛線を張って、悪霊を食い止める神」というイメージに基づく話だと解釈できる。
 民衆の生活の場には、あらゆる岐に神がいる。「天八衢神」は、天から地に降りる途中の「」にいる神であって、天降りする天孫の道案内をすることになる。

【如此而】
 この組み合わせに一致する歌が、万葉集にある。
 (万)0734 吾念 如此而不有者 あがもひは かくてあらずは。

【手弱女人】
(万)0379 手弱女之 たわやめの。
(倭名類聚抄) 婦人 日本紀云手弱女人【和名太乎夜米】上同
 婦人 日本紀に云う、手弱女人(和名「太乎夜米」)、上に同じ。(たをやめ)
 『倭名類聚抄』に引用された、日本紀(=日本書紀)の該当部分を探した。
(日本書紀六巻)垂仁(すいにん)天皇八十七年。
吾手弱女人也、何能登天神庫耶。
 五十瓊敷(いにしき)命が妹大中姫に「私は年老いたので神宝の管理ができない。これからはお前がやれ」 と言ったのに対して「私はか弱い女です。どうやって天神庫(財宝の収蔵庫)に登れましょうか。」と答えた言葉。
 もともと「た-」は「弱し」への接頭語で語調を調える。「手弱」は、女性に「か弱い」という属性を付け加えるが、単なる「女性」の意味で使うことが中心である。 ただ、「撓(たわむ)」の字を宛てると、女性特有の折れることのない芯の強さという意味合いが感じられる。
 「人」については、万葉集ではさまざまな人として、無数に使用されるが、「女人」という熟語は出てこない。しかし、記紀には何度か出てくる。 『倭名類聚抄』では「手弱女人」の「人」を読んでいないので、形式的に付けたものと思われる。

【面勝神】
 伊牟迦布神、面勝神とはいかなる神であろうか。まず、それぞれが固有名詞であると仮定して、祭神とする社を検索してみたが、伊牟迦布神の名で祀る社は見つからなかった。 面勝神を祭神とする社は「國勝長勝面勝神」が篠崎八幡神社(福岡県北九州市小倉北区)の境内社、愛宕神社に(宮城県仙台市太白区)の境内社(境内のあちこちにある小さな社)に祀られていた。 このようにいくつかの社で祭神とされるとは言え、記ではどちらも固有名詞としてではなく、「向かってくる」神、それに「おもかつ」神を意味すると思われる。 それでは、「面勝」とはいかなる動詞であろうか。
 「面勝」はどの辞書に載っていない。よみは「おもかつ」あるいは「おもまさる」だろうと思われるが、ここではまず「面」「勝」のよみを確定させる。
《面のよみ》
(万)2460 遠妹 振仰見 偲 是月面 雲勿棚引  とほきいもが ふりさけみつつ しのふらむ このつきのおもに くもなたなびき。
 遠くにいる妹(恋人)が見上げて私を思っているだろう、この月おもてに雲が棚引くことなかれ。
 「面」は万葉集に多数でてくるが、そのほとんどは「おも」とよんでいる。
《勝のよみ》
(万)1352 吾情 湯谷絶谷 浮蓴 邊毛奥毛 依勝益士  あがこころ ゆたにたゆたに うきぬなは へにもおきにも よりかつましじ。
 「ゆたに」「たゆたに蓴 (倭名類聚抄)ぬなは=ジュンサイ。 ましじ(上代語) 打消しの推量。
 従って、「岸にも沖にも寄ることはできないだろう。」の意味。
 「かつ」は補助動詞的に用いて「~することができる。~に耐える。」を意味する。万葉集で「かつ」の多くはこれであり、現代語でも「~しがちである」といい、 勝負に「勝つ」と同根だと思われる。
 万葉集では、(万)0431 勝壮鹿乃 かつしかの。(現代の葛飾区につながる)など、地名にも使われる。
 本来の「勝負」の意味に使われる例はなかなか見つからないが、 発音を借りて「勝」の字で表す場合が多いので、「勝」は基本的に「かつ」とよまれたことがわかる。
《面勝と目勝》
 「面勝」は特別の熟語である可能性は低いので、「おもかつ」とよむ。 その「面勝」は、書紀一書1では「目勝」と表現される。ここから面勝神は、「怖気づかずに睨み返す目力(めぢから)の持ち主」と読み取れる。
 ところが一書1を読み進むと、天鈿女は得意技の「露其胸乳抑裳帯於臍下」を用い、恐ろしい相手を大笑いさせることによって勝利を得た。 天宇受賣は、天照立てこもり事件のときも、激しく踊り裸体を晒す(記による)ことによって満場の爆笑を誘い、事件の解決に貢献した。 ということは「面勝=目勝」とは、「笑うと負けよ」のにらめっこ勝負であったか。天鈿女は大した技を使ったものである。 「面勝」の意味を真剣に追究していたときにこの文を見て、一気に力が抜けた。
 早速「面勝 にらめっこ」を検索語として探ったのだが、にらめっこだと解釈するサイトは現時点で僅か一件である。多くの論者は、もう少し高級な勝負を期待しているようである。 因みに、本居宣長も「面勝(おもかつ)は、人と相対(あひむかひ)て、愧(はぢ)ず怖れず、面の強くて、負けぬなり」としている。
 なお、ここでは天照立てこもり事件とは逆に、書紀の方(一書)が露骨な表現を用い、古事記の方が表現を抑えているところが興味深い。

【所以出居者…仕奉御前而参向之侍】
 「目下に仕える」を意味すると思われる語が、「仕奉御前」「参向」「」と3つもあるのは、不思議である。
 このうち「侍」は、「所以は」を受ける動詞「有り」の謙譲語だと思われる。
 次に「」について。万葉集の「之」は、格助詞「が」「の」以外は万葉仮名の「」が圧倒的に多い。 ところがここでは、「侍ふ」は用言なのでその前の「之」は、属格の格助詞ではなく、連体修飾の「し」でもない。
 しかし「之」が多く「し」と読まれている事実を重視して、「ゆゑは…しさもらふ」としてみると、これが意外に収まりよく感じられる。
 そこで、「」としたときの文法は、次の2通りが考えられる。
 直前の「むかふ」の連用形「むかひ」に「為(す)」をつけ、複合動詞としたもの。 この言い回しは、鎌倉時代から増加するが、上代にも見られるという。
 副助詞「し」。これも連用形である「むかひ」から接続可能である。 強調を示す副助詞「し」は記の歌謡でも多用されるが、歌謡以外にはほとんど見られない。ただ会話文なので、歌謡のような言い回しが使われた可能性はある。 ここでは冒頭の「ゆゑは」を受け、「~なのである」のように強調したと読み取ることができる。

【天神御子】
 天降りは、天照の御子から孫に変更されたが、一部に「御子」の表現を残す。天孫でも、広い意味で「御子」と言い得るからいいようなものだが、修正漏れであろう。 

【一書1】
 書紀「天照大神之子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊娶」の一書1は、天鈿女と猿田彦神が向かう場面を詳しく描く。
已而且降之間、先驅者還白
「有一神、居天八達之衢。其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。
且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也。」
卽遣從神往問時、有八十萬神、皆不得目勝相問故、特勅天鈿女曰
「汝是目勝於人者、宜往問之。」
天鈿女、乃露其胸乳、抑裳帶於臍下而、咲㖸向立。
是時、衢神問曰「天鈿女、汝爲之何故耶。」
對曰「天照大神之子所幸道路、有如此居之者誰也、敢問之。」
衢神對曰「聞天照大神之子今當降行、故奉迎相待。吾名是猨田彥大神。」
時天鈿女復問曰「汝將先我行乎、抑我先汝行乎。」
對曰「吾先啓行。」
天鈿女復問曰「汝何處到耶。皇孫何處到耶。」
對曰「天神之子、則當到筑紫日向高千穗槵觸之峯。吾則應到伊勢之狹長田五十鈴川上。」
因曰「發顯我者汝也。故汝可以送我而致之矣。」
天鈿女、還詣報狀。

已(を)へて[而]且(また)降之(くだらし)間(ま)、先駆(さきがけ)者(は)還(かへ)り白(まをさ)く、
「一(ある)神有り、天(あめの)八達(やとほし)之(の)衢(ちまた)に居(を)り。其の鼻長(はななが)七(なな)咫(あた)、背長(せなが)七(なな)尺(さく)余(あまり)、当(まさ)に七(なな)尋(ひろ)と言ふべし。
且(また)口(くち)尻(しり)明(あか)く耀(ひか)り、眼(め)八咫(やた)の鏡に如(し)きて[而]赩(あか)く、然(しか)も赤(あか)酸醤(ほほづき)に似(に)たり[也]。」
即ち従(したが)ふ神に遣(つか)はし往(ゆ)かさくを問(と)ふ時、八十万(やそよろづ)の神有り皆(みな)目勝(まか)ち不得(か)ね相(あひ)問(と)ふ故、特(こと)に天鈿女(あめのうずめ)に勅(の)らさく[曰]
「汝(なれ)是(ここ)に人に[於]目勝(まか)つ者(は)、宜(よろしく)往(ゆ)き之(これ)を問へ。」
天鈿女、乃(すなは)ち其の胸乳(むなち)を露(あらは)し、裳(も)の帯(おび)を臍(へそ)の下に[於]抑(おさ)へて[而]、咲㖸(わらひにわら)ひ向(むか)ひ立たしき。
是(この)時、衢(ちまた)の神問曰(とはさ)く「天鈿女、汝(なれ)之(こ)を何故(なにゆゑ)に為(な)す耶(や)。」
対(むか)ひて曰はく「天照大神(あまてらすおほみかみ)之(の)子(みこ)の幸(いでま)す[所の]道路(みちみち)、如此(かく)有ると居(を)りし[之]者(は)誰(たれ)か[也]、敢(あ)へて之(これ)問はむ。」
衢の神対ひて曰はく「天照大神之子(みこ)今[当]降(お)り行(ゆ)かさむと聞きし故(ゆゑ)、迎(むか)へ奉(まつ)り相(あひ)待(はべ)らむ。吾(あ)が名、是れ猿田彦(さるたひこ)の大神(おほみかみ)ぞ。」
時に天鈿女復(また)問曰(とはさ)く「汝(なれ)[将]我が先(さき)を行く乎(や)、我が先を抑(おさ)へ汝が行く乎(や)。」
対ひて曰はく「吾(あれ)先(さき)に啓(ひら)き行(ゆ)かむ。」
天鈿女復(また)問曰(とはさ)く「汝(なれ)何処(いづこ)に到(いた)る耶(や)。皇孫(すめみま)何処に到る耶(や)。」
対ひて曰はく「天神(あまつかみ)之(の)子(みこ)、則(すなは)ち[当]筑紫日向高千穂槵触(くしふる)之(の)峯(を)に到らむ。吾(あれ)則(すなは)ち[応]伊勢之(の)狭長田(さながた)五十鈴(いすず)の川上に到るべし。」
因(よ)り曰はく「我(われ)を発顕(たちあらは)しき者(は)汝(なれ)ぞ[也]。故(かれ)汝(なれ)我を送るを以(も)ちて[而]之(これ)を致(いた)す可(べ)き矣(かな)。」
天鈿女、還(かへ)り詣(いた)りて状(かたち)を報(かへりごとまを)しき。

 (随伴する神の任命などを)終えて、また降りようとしたとき、物見が戻って報告するには、
「神がいます。その神は天(あめの)八岐(やちまた)にいて、その鼻の長さは七咫(あた)、背の長さは七尺(さく)余(あまり)で、大まかに七尋(ひろ)と言ふべきです。 また口と尻は明るく輝き、眼は八咫(やた)鏡のように赤く、加えて赤いほおづき)に似ています。」
 そこで従う神に派遣を打診し、多くの神々がいたのですが、皆目勝(まかち)ができず、互いにお前はどうだと言いあう有り様だったので、特に天鈿女(あめのうずめ)を選び、命ずるに、
「お前は、相手がだれでも目勝つので、行って必要なことを問うべく、よろしくお願いします。」
 天鈿女はそれで、その乳房をさらけ出し、裳(も)の帯を臍の下まで押し下げたところ、衢(ちまた)の神は大笑いして眺め立った。
 この時、衢の神は「天鈿女、お前はどうしてこんなことをするのだ。」と尋ねた。
 対して言うは「天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子のい出ます道筋を、案内していただける神は誰かおられますでしょうかと、敢えてあなたにお聞きしたいのでございます。」
 衢の神はそれに対して「天照大神の御子、今まさに降りていらっしゃるとお聞きしたので、お迎えしてお会い申し上げたい。私の名は、猿田彦(さるたひこ)の大神(おほみかみ)でございます。」と申し上げた。
 そこで天鈿女は、また問うた。「あなたが私たちの先を行き、導いてくださるのですか。それとも、先回りして私たちの邪魔をするつもりですか。」
 対して言うは「私が先を切り拓いて導きます。」
 天鈿女は、また問うた。「あなたは、どこへ行きますか。皇孫はどこへ行くのでしょうか。」
 対して言うは「天神の御子は、則ち筑紫、日向の国の高千穂、槵触(くしふる)の峰に行かれます。私は則ち伊勢の狭長田(さながた)、五十鈴(いすず)の川上に行かねばなりません。」
 したがって言うは「私を出現させたのはあなたですので、あなたが私を五十鈴(いすず)の川上に送ってくださることを条件として、私は皇孫のためにお役に立ちましょう。」
 天鈿女は天に戻り、以上のいきさつを報告した。

…(万)ほぼ全部が「は」「ば」で、「もの」はない。
とほす(通す)…[他]サ行四段 貫く。
…(倭名類聚抄)玉篇云「脊」【和名世奈加(せなか)】背也。(万)0268 吾背子我 わがせこが。
あた(咫)…[名] 長さの単位。親指と中指(一説に人差し指)を開いた長さ。
さか、しゃく(尺)…[名] 長さの単位。大宝律令による大尺=35.6cm、小尺=29.6cm。
ひろ(尋)…[名] 両手を左右に拡げた長さ。約1.5~1.8m。
…(万)0089 ゐあかして。
耀…(万)1053 山下耀 やましたひかり
…[形] 真っ赤。あかい。
しかも…[副] そのように。(万)0018 三輪山乎 毛隠賀 みわやまを しかもかくすか。
…(万)0344 猿二鴨 さるにかもにる
酸醤…(倭名類聚抄)酸漿 兼名苑云酸漿一名洛神珠【和名保々豆木】(ほほづき)
(u35b8)…噱の異体字。(u5671)…大いに笑う。
まかつ(目勝つ)…[自]タ行四段 相手を恐れずににらみつける。
めくらべ(目比べ)…[名] にらみあうこと。にらめっこ。
…(万)0478 大御馬之 口 おほみまの くちおさへとめ。
…(万)3803 者如何 あらはさばいかに。
…(倭名類聚抄)媲臍 四聲字苑云媲臍【鼙齊二反和名保曽俗云倍曽】腹孔也(和名「ほぞ」俗に「へそ」)
いでます(出で坐す)…「出づ」「行く」「来る」の尊敬語。(万)0295 我王之 幸行處 わごおほきみの いでましところ。
みちみち(道道)…[名] あちらこちらの道。
…(万)1894 かすみたつ
…(万)1262 やつこえ。
…(古訓) いたる。まいる。
…(古訓) こたゆ。むくゆ。
むくゆ(報ゆ、酬ゆ)…[他]ヤ行上二 受けた物事に見合ったことをして返す。「むくふ」は平安時代末期から。

《降らし間》
 まだ天降りは完了していないから、「し」は完了ではなく、上代の尊敬の助動詞「す」の連用形であろう。 ところが「す」は下二段活用からは接続しないから、「降(お)る」ではなく四段活用の「くだる」でなければならない。
《天八達之衢》
 記の「天八衢」に対応するので、記のまま「やちまた」と訓むのが一般的である。 「やちまた」だけでも八方に道が出る交差点を意味するが、 「八達之衢」(八方に向かって、道を突き通す)は、それを詳しく書いたものなので、訓にもその説明を含むのがよいと思う。
《鼻七咫、背七尺、全身七尋》
 この通りの長さだとすると、随分バランスが悪いから、実際の寸法を無視した語呂合わせである。珍しく吉数八ではなく「七」なので、異文化の影響が伺われる。
三角縁神獣鏡(模造品)
=天理市立黒塚古墳展示館=
ホオズキ
《如八咫鏡而赩然似赤酸醤》
 八咫鏡は青銅製だと思われる。青銅は主に銅と錫の合金であるが、錫の含有量が少なければ赤銅色である。銅鏡のように澄んだ目が睨めつけ、目勝つという訳だ。 また「赤酸醤」は八岐大蛇の表現を借りている。
 しかし鏡のようであり、同時にほおずきに似るというのは、想像が困難である。
《まとまりを欠く表現》 
 口の他にが明るく耀(ひか)るというのは面白い。「田彦」にひっかけて、ニホンザルの尻の赤さを強調しているのだろうか。
 それにしても、大きさの辻褄が合わず、いろいろ表現されるが、その姿が浮かび上がって来ない。「八岐」と「八衢」は同じ意味であるためか、目の描写に八岐大蛇(やまたのをろち)の借用がある。 「露其胸乳」も天照立てこもり事件の再利用であり、あまりまとまりのある文章とは言えない。
《宜往問之》
 万葉集には「之」を「これ」とする訓はない。しかしここでは「問」の目的語であるから、代名詞「これ」であると思われる。
《御子と皇孫》
 天照の御子は孫に変更されたが、ここにも「御子」の表現を残す。
《因曰発顕我者汝也~》
 この言葉は、 「我をたち顕(あら)わさせしは汝ぞ。かれ、汝は我を送るを以ちてこれを致す可きや。」 である。
 この発言は、天細女、猿田彦のどちらのものであろうか。「対曰」ではなく「因曰く」だから、猿田彦の発言の続きではあろうが、断言はできない。
 そこで一書1の続きを読むと、猿田彦は高千穂に天孫を案内してから五十鈴の川上に行く。そして天細女は猿田彦の伊勢への道に随行する。
 それから遡れば、この言葉はやはり猿田彦のもので、意味は、 「私を出現させたのはあなたではないか。だから、事が済んだら私を五十鈴まで送ってくれるという条件で、皇孫の道案内をしよう。」 であることが分かる。

まとめ
 国つ神で残っているのは、にらめっこで勝負がつくほどの弱い神であった。 大国主との戦いは、それほど困難なものであったことが、逆に浮かび上がる。国つ神に立ち向かう緊張感は、もうない。
 しかし面白い話の方が、記から書紀の一書に回されたのはどうしてだろうか。これまでは、とっておきの話は常に記に採用されてきたのである。
 考えるに、記の執筆に当たって、随伴して降る神として、どの氏族の祖神が選ばれるかという争いが、それほど厳しかったということであろう。 天降りにあたって、それぞれの祖神の役割がどう書かれるかは、今後の政権内の各氏の影響力に直結するのである。 天孫に随伴して降る5神のうち、天宇受売だけが特に脚光を浴びたのでは、他の神から怒りを買うことであろう。 だから、文中に天宇受売の活躍は抑えなければならない。また、前述したように「目勝つ」話のできが悪かったことも理由かもしれない。


2014.10.15(水) [083] 上つ巻(天降り3)

爾 天兒屋命布刀玉命天宇受賣命伊斯許理度賣命玉祖命 幷五伴緖矣支加而天降也
於是 副賜其遠岐斯【此三字以音】八尺勾璁鏡及草那藝劒 亦常世思金神手力男神天石門別神而 詔者
此之鏡者專爲我御魂而 如拜吾前伊都岐奉 次思金神者取持前事爲政
此二柱神者 拜祭佐久久斯侶伊須受能宮【自佐至能以音】
次登由宇氣神 此者坐外宮之度相神者也
次天石戸別神 亦名謂櫛石窻神亦名謂豐石窻神 此神者御門之神也
次手力男神者坐佐那那縣也

爾(かれ)、天児屋(あめのこやね)の命(みこと)、布刀玉(ふとたま)の命、天宇受売(あめのうずめ)の命、伊斯許理度売(いしこりどめ)の命、玉祖(たまのおや)の命、并(あは)せ五(いつ)はしらの伴緖(とものを)矣(を)支(たす)け加(くは)へて[而]天降(あも)らしき[也]。
於是(ここに)其れ遠岐斯(をきし)【此の三字音(こゑ)を以ちす。】八尺(やさか)の勾瓊(まがたま)、鏡(かがみ)、草那芸剣(くさなぎのつるぎ)及(ま)で、亦(また)常世思金(とこよのおもひかね)の神、手力男(たぢからを)の神、天石門別(あめのいはとわけ)の神を副(たぐ)ひ賜(たま)ひて[而]詔(の)らす者(は)、
「此之(この)鏡者(は)專(もはら)我(わが)御魂(みたま)と為(し)て[而]吾(わが)前(みまへ)を拝(をろが)む如(ごと)伊都岐(いつき)奉(たま)へ。次(つぎ)に、思金の神者(は)前(みまへ)事(ごと)を取り持ち政(まつりごと)を為(せ)よ。
此の二柱(ふたはしら)の神者(は)、佐久久斯侶(さくくしろ)伊須受能宮(いすずのみや)【「佐」自(よ)り「能」至(まで)音(こゑ)を以ちてす】に拝(をろが)み祭(まつ)れ。
次に登由宇気(とようけ)の神、此者(こは)外宮(とつみや)之(の)度相(わたらひ)に坐(ま)す神[者]ぞ[也]。
次に天石戸別(あめのいはとわけ)の神、亦(また)の名は櫛石窓(くしいはまど)の神と謂(い)ひ、亦の名は豊石窓(とよいはまど)の神と謂ひ、 此の神者(は)御門(みかど)之(の)神ぞ[也]。
次に手力男(たぢからを)の神者(は)佐那那(さなな)県(あがた)に坐(ま)せ[也]。」


故其 天兒屋命者中臣連等之祖
布刀玉命者忌部首等之祖
天宇受賣命者猨女君等之祖
伊斯許理度賣命者作鏡連等之祖
玉祖命者玉祖連等之祖

故其(そのゆゑ)に、天児屋(あめのこやね)の命者(は)中臣(なかとみ)の連(むらじ)等(ら)之(の)祖(おや)、
布刀玉(ふとたま)の命者(は)忌部(いみべ)の首(おびと)等(ら)之祖(おや)、
天宇受売(あめのうずめ)の命者(は)猿女(さるめ)の君(きみ)等(ら)之祖(おや)、
伊斯許理度売(いしころどめ)の命者(は)作鏡(かがみつくり)の連等之祖(おや)、
玉祖(たまのおや)の命者(は)玉祖(たまのおや)の連(むらじ)等之祖(おや)。


 そこで、天児屋(あめのこやね)の命(みこと)、布刀玉(ふとたま)の命、天宇受売(あめのうずめ)の命、伊斯許理度売(いしこりどめ)の命、玉祖(たまのおや)の命、併せて五柱の伴緖(とものお)を支えに加えて天降りさせました。 ここに、取り寄せた八尺(やさか)の勾瓊(まがたま)、鏡、草那芸剣(くさなぎのつるぎ)、そして常世思金(とこよのおもいかね)の神、手力男(たぢからお)の神、天石門別(あめのいわとわけ)の神を付き添えにしてお言葉をいただくに、
 「この鏡はひたすら私の御魂(みたま)として、我が御前に拝むのと同じく、斎きしなさい。次に、思金の神は御前の事を取り持ち政り事をしなさい。 この二柱の神は、五十鈴の宮に祭り拝みなさい。 次に豊受(とようけ)の神、この神は外宮の度会郡に坐します神です。 次に天石戸別(あめのいわとわけ)の神は、またの名は櫛石窓(くしいわまど)の神、あるいは豊石窓(とよいわまど)の神として、 この神は御門の神です。 次に手力男(たぢからお)の神は佐那那(さなな)県(あがた)に坐(ま)せ。」
 この故事により、天児屋(あめのこやね)の命は中臣(なかとみ)の連(むらじ)の先祖、 布刀玉(ふとたま)の命は忌部(いんべ)の首(おびと)の先祖、 天宇受売(あめのうずめ)の命は猿女(さるめ)の君の先祖、 伊斯許理度売(いしころどめ)の命は作鏡(かがみつくり)の連の先祖、 玉祖(たまのおや)の命者(は)玉祖(たまのおや)の連(むらじ)ら先祖です。


ささふ(支ふ、障ふ)…[他]ハ行下二 ①持ちこたえる。②妨げる。
たすく(助く、扶く)…[他]カ行下二 たすける。
くはふ(加ふ)…[他]ハ行下二 
そふ(添ふ、副ふ)…[他]ハ行下二 付き添わせる。
たぐふ(類ふ、比ふ)…[他]ハ行下二 付き添わせる。
をく(招く)…[他]カ行四段 呼び寄せる。
とりもつ(取り持つ)…[他]タ行四段 ①取って持つ。②世話する。③仲立ちをする。
とものを(伴の緒、伴の男、伴の雄)…[名] 大化の改新以前、一定の職務で朝廷につかえる集団(伴)に属していた人。
もはら(専ら)…[副] ただただ。ひたすら。もっぱら。
とつみや(外つ宮)…[名] ①皇居以外に設けられた宮殿。離宮。②豊受大神宮。
あがた(県)…[名]大化の改新以前、地方諸国に遭った朝廷の直轄地。

【五伴緖矣支加而】
 「矣支加」を、ひとまず万葉仮名だと仮定すると「をしか」である。 「しか」は未然形だから「而」は「で」となり「を如かで」となるが、これでは意味が通じない。
 一書1の対応する箇所は「使配侍焉」だから「支加」は万葉仮名ではなく、「支える+加える」であることがわかる。
《五》
 天児屋命らは神であるから、原文に忠実なら「五柱の」とよむべきであろう。
《伴緒》
 現在、この五神は一般に「五伴緒神(いつとものをのかみ)」と呼ばれる。このようによみ慣わされてきたのである。 「とものを」は辞書によれば、律令制以前の官僚の呼び名である。
(万)1047 八十伴緒乃 やそとものをの。
(万)0478 皇子之命 物乃負能 八十伴男乎 召集聚 率比賜比 みこのみこと もののふの やそとものをを めしつどへ あどもひたまひ。
 やそとものを(八十伴の緒)…[名] 多くの部族の長。また、朝廷につかえる多くの役人。
《矣》
 万葉集において「矣」は、格助詞「」として大量に使われる。
(万)0161 青雲之 星離去 月離而 あをくもの ほしさかりゆく つきはなれて。
 記紀では基本的には漢文式に動詞・目的語を倒置し、目的語には暗黙裡に「を」がつくので、通常は「矣」は使わない。
 ここでは「伴緖」という古来の表現を使うのに伴い、全体を和文にし、「」を入れたであろう。 天降りは朝廷が存在する根拠を示す大切な事柄なので、訓に幅がある漢語ではなく、本来の和語を用いたと見られる。(その後、書紀では「五部神」を正式表記にしたようである。) もし漢文で表すとすると、「令天児屋命布刀玉命天宇受売命伊斯許理度売命玉祖命五官扶之」が考えられる。
《支》
 万葉集では「支」は万葉仮名のみで使われ、「き・ぎ」である。古訓には「たすく」「ささふ」がある。 万葉集では「ささふ」は出てこないが、「たすく」は使われている。
(万)3254 倭國者 事霊之 所國叙 やまとのくには ことだまの たすくるくにぞ。
《加》
 万葉仮名「加(か)」として大量に使われるが、訓よみの「くはふ」は一例だけある。
(万)0892 我身上尓 病遠等 弖阿礼婆 あがみのうへに やまひをと くはへてあれば。

【副】
 万葉集における訓は、「そふ」も「たぐふ」もある。
(万)0217 劔刀 身二寐價牟 若草 其嬬子者 つるぎたち みにそへねけむ わかくさの そのつまのこは。
 「剣太刀」は「身に添ふ」などに係る枕詞で、具体的に剣太刀を表すわけではない。
(万)0520 於君而 此日令晩 きみにたぐひて このひくらさむ。

【及】
 万葉集では「まで」が大部分だが、「しく」(=及ぶ)もある。
(万)1747 客去君之 還来 たびゆくきみが かへりくるまで
(万)0499 百重二物 来毳常 念鴨 ももへにも きしかぬかもと おもへかも。度重ねて

【為政】
《政》
(古訓) まつりこと。をさむ。
 語源は「祀る」だろうが、「まつりこと」は、明確に政治を意味する。
《ヒメヒコ制の残像》
 思金神は、天照と民衆の間を「取り持ち」、「政」を担当する。ここから、天照大御神の御前で祭祀を司ったり、神戸(かんべ、特定の神社の祭祀を維持するために神社に付属した民戸)を統率するなどの役割が想像される。 思金神は、高天原で果たしてきた役割を見ても、戦略能力に優れる。
 弥生時代には、祭祀を担当するヒメと政治を司るヒコがセットでクニを治める形態があり、これをヒメヒコ制という。邪馬台国における卑弥呼と弟もその一例と見られる。
 非常に古い時代のことなのだが、記のこの部分にはその記憶が反映しているように思われる。ただ、女子王がカリスマとなって倭を支配したのは、古墳時代開始期の卑弥呼と壱与ぐらいで、すぐに男子王が祭政の両方を支配する形態になっていったと思われる。
《訳語の選択》
 万葉集には「まつりごと」、「政」とも一例も使われていない。 しかし、書紀19巻(欽明天皇)に「余、幼年淺識、未閑政事。」(閑=習熟する)という文がある。この「政事」は「まつりごと」であると思われる。従ってこの「政」は「まつりごと」の可能性が高い。

【「詔」の主語】
 「詔」の主語は、その言葉の内容から天照大御神であることは明らかだが、実際は明示されていない。 遡っていくと、天宇受売(あめのうずめ)の神に猿田彦との交渉を命じたのが、「天照大御神高木神の命を以って」である。 さらに遡ると、天御子あるいは天孫に天降りを命じたのも「天照大御神高木神之命」によってである。
 従って、「御言」は全体として二人の共同の言葉であるが、「如拝吾」の部分だけは天照の言葉のはずである。
 なお、「天照大御神は、高木神の命によって」とよむことは可能であるが、もしそうだとすれば天照大御神が高木神(高御産巣日神の別名)の目下ということになる。
 この天照と高木神の上下関係については項を改めて論ずる。

【如拝吾前】
(万)0239 十六社者 伊波比拜目 ししこそは いはひをろがめ。(鹿(しし)こそは、い這い拝(をろが)め)
 柿本人麻呂の歌。しし(猪や鹿)が這い拝むように、大王に仕えようという歌の一部。 「い-」は意味を強める接頭語。「をろがむ」(上代語)は「をがむ」の古形。
《吾前》
 ""は、自己敬語として「みまへ」とよむべきであろう。

【佐久久斯侶伊須受能宮】
《さくくしろ(拆釧)》
 地名「五十鈴」にかかる枕詞。
《いすずの宮》
 倭名類聚抄には、五十鈴という地名は載っていないが、一書1には「伊勢之狭長田五十鈴川上」とある。 現在の内宮は五十鈴川の上流にあるから、内宮に比定される。

【此之鏡者專為我御魂而如拝吾前伊都岐奉】
 「この鏡はもはら我が御魂とし、私の御前を拝むごと斎きまつれ。
《我・吾》
 我・吾は、天照大御神のことである。
《もはら》
 鏡は天照の魂そのものであると宣言し、鏡に斎くことは天照に斎くことと同じであるとする。 五十鈴の宮の八咫鏡が天照を体現するのは、天武天皇の定めだと思われる。
《一書2の記述》 
 書紀巻一では、天岩戸閉じ籠り事件のところで触れられる。
 「是後、素戔嗚尊之為行也、甚無状。」の段一書2(第50回)
於是、日神方開磐戸而出焉。是時、以鏡入其石窟者、觸戸小瑕。 其瑕於秡今猶存。此卽伊勢崇祕之大神也。
 「天照が天の岩戸を開き出てくるとき、差し入れた鏡は岩戸に触(觸)れ小さな瑕(きず)がついた。 その瑕は今にいたるまで祓いの力がある。この鏡は伊勢の大御神である。」
 とされていることと符合する。

《天武天皇の意向》
 大海人皇子は、壬申の乱の決戦場、不破の関への途上、朝明の地で五十鈴の宮に向かって遥拝する。 (書紀28巻 「於朝明郡迹太川辺、望拝天照大神。」)
 壬申の乱に勝利し天武天皇となった後は、自らの勝利をもたらした五十鈴の宮の神に感謝し、皇女を斎王として派遣し神宮を厚く崇拝する。 (書紀29巻 天武天皇三年春「大来皇女、自泊瀬斎宮向伊勢神宮。」) そして天武天皇14年、現代に続く式年神宮の制を定める。
 天武天皇は天照大神を日嗣の起点とし、五十鈴の宮の八咫鏡は三種の神器のひとつであると同時に、天照の魂が宿ると定めたと思われる。 その意思が、記のこの部分に定式化されたと考えられる。 その結果、初期の倭政権の斎の神であった三輪山の神は、脇役に追いやられることになった。

【外宮】
 外宮を「げくう」と音読みするようになったのは後の時代のことで、奈良時代は「とつみや」であった。
(万)3231 三諸之山 砺津宮地 みもろのやまの とつみやところ。
 これは第1の意味、離宮である。
 「伊勢神宮の外宮」の意味で使われたの「とつみやどころ」の文例は、 <デジタル大辞泉の文例>「みたらし川の外つ宮所」〈殷富門院大輔集〉</大辞泉>がある。 「みたらし川(御手洗川)」は全国各地にあるが、この歌では宮川のことかと思われる。※殷富門院大輔(1131頃~1200以前)は平安時代の歌人。
《外》
 万葉集に「外」は"よそ"((万)0174 外尓見之 よそにみし)、"ほか"((万)0216 外向来 ほかにむきけり)とともに、""もある。
(万)0443 皇祖 神之御門尓 重尓 立候 内重尓 仕奉 すめろきの かみのみかどに のへに たちさもらひ うちのへに つかへまつりて。
 ""は属格を示す古い格助詞だから、「とつみや」は古い語であろう。

【登由宇気神】
 伊邪那美が火之迦具土神を生んだとき、陰部に火傷を負った後、尿から和久産巣日が現れ、その子が 豊宇気毘売神(とようきびめ)とされる。(第37回) ここでは、登由宇気神と表記される。一般に「豊受けの神」と表記され、食物をつかさどる神とされる。 古事記そのままに、当時の度相(度会郡=わたらい)の外宮に、今日まで祀られている。

【天石戸別神】
 この神だけは、天照の天岩戸立て籠もり事件には関わっていない。 <wikipedia>天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神である。</wikipedia>

【次手力男神者坐佐那那縣也】
 手力男神は天照の手を引き、天岩戸から引っ張り出した。
 佐那神社(三重県多気郡多気町仁田)は、天手力男命と曙立王命を主祭神としている。
 この語句を引用したウェブページを見ると、本稿のもの以外に「次手力男神有坐佐那懸也」「次手力男神者坐佐那縣也」など様々である。 現存する最古の写本とされる、真福寺本(1372年)では「那」と「懸」の間に小さく「」が読み取れる。 一方、明治3年の刊本では「々」は無視されている。「佐那神社」の名称は、「々」が脱落した系統の写本に基づいてつけられたと思われる。
 なお「神有」については、真福寺本では「神者」は明らかである。また手力男神は既に天の岩戸事件で登場した後だから、「神有り」は全くの誤りである。

【詔者「…」】
 引用符の範囲は、思金神の部分までとする解釈もあるが、 「常世思金神手力男神天石門別神を副へて、詔らすは」と言う以上は、手力男神の部分までが言葉の範囲であると考えられる。

【中臣連など】
《中臣連》
 連(むらじ)は、上代の姓(かばね、家格を表す称号)の一つで臣(おみ)と並ぶ最高位の姓。 朝廷に属し、特別な職業を担当する集団をまとめたとされる。 <wikipedia>中臣連(なかとみのむらじ)は、忌部氏 とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。</wikipedia> 中臣連鎌足は大化改新の功臣で藤原氏の始祖である。
《忌部首》
 <『日本の苗字七千傑』【斎部氏】>高皇産霊命の子、天太玉命の後裔で中臣氏とともに神事に携わった上古の大族である。始めは忌部首を称するが、 古語拾遺の撰者である浜成に至り斎部宿禰に改称する。後世の斎部氏は次第に衰微して多くは神官として現代に至る。</日本の苗字七千傑> 天太玉命を高皇産霊命の子とするのは、<wikipedia>『古語拾遺』による</wikipedia>。
《猿女君》
 猿女は、<デジタル大辞泉>古代、神祇官に属し、大嘗祭や鎮魂祭などのときに、神楽の舞などの奉仕をした女官。</大辞泉> 一書1によれば、天鈿女命は猿田彦神に付いて五十鈴川上に行ったので、皇孫は「猿女君」と名乗れと命じたという。
《作鏡連》
 文字通り鏡造りを担当した連だと思われる。始祖の伊斯許理度売(いしころどめ)は、天岩戸閉じ籠り事件の解決のために鏡をつくり、それが八咫鏡になった。 後世の文献には現れないので、活躍することなく姿を消したとされる。
《玉祖連》
 「玉祖連(たまおやのむらじ)」は、『新撰姓氏録』に記述がある。新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)は、平安時代初期の815年成立の古代の氏族名鑑。
 玉作(連)… 高魂命孫天明玉命之後也。 天津彥火瓊瓊杵命 降幸於葦原中國時 與五氏神部 陪從皇孫降來 是時 造作玉璧 以為神幣 故號玉祖連 亦號玉作連
 (天津彦火瓊瓊杵命が葦原中国に降(を)り幸(ゆ)きし時、五氏神部と皇孫に陪従(つきしたが)ひ降りき。是の時、玉璧を造作(つく)り以って神幣(みてぐら)とす。故(かれ)玉祖連と号(なづ)け、また玉作連と号く。)
 『新撰姓氏録』では、玉祖連は玉作連と同一視されている。 玉造部(玉作部)は、弥生時代から各地で勾玉(まがたま)等の玉類の製作に従事した集団が、5世紀ごろ大和朝廷の職業部に組織され、玉作連(玉祖連)の下に統率されたと言われる。

【天照と高御産巣日神の関係】
 最初に天降りを試みた段階では、天照が一人だけで詔(みことのり)した。この時点で地上は、天照勢は劣勢であった。
 そこで対策を練るために神々に召集をかけたのは、「高御産巣日神天照大御神の命を以って」である。【「詔」の主語】の項で試みたよみ方に従えば、ここでは天照が目上になってしまい。一貫性がなくなる。 従って「天照大御神高木神之命之命以」は、やはり連名である。
 記の冒頭に遡ると、伊邪那岐・伊邪那美は、神々によって遣わされた若い夫婦神であった。その子が天照であるから、高御産巣日はそれを司る立場である。
 また、御子を天降りさせたかったのは天照であったが、地上の国の平定に手を焼くうちに次第に高御産巣日が前面に出てきて、 天降りさせる神も、自分の血を引く天孫に変更させてしまった。
 天武天皇は、壬申の乱において勝利を導いてくれた天照への思いが強かったが、天武天皇亡き後の記紀の編纂過程で、高御産巣日を斎く勢力からの巻き返しがあったと考えられる。(第81回参照)

【書紀本文】
 書紀の本文では、五伴緖や三種の神器には全く触れられていない。
 ただ五伴緖の一部は、天岩戸閉じ籠り事件のところで、(第49回)氏族の遠祖(とほつおや)とされている。
思兼神、深謀遠慮、遂聚常世之長鳴鳥使互長鳴。亦、以手力雄神、立磐戸之側而、 中臣連遠祖天兒屋命忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇眞坂樹而、 上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡、下枝懸靑和幣・白和幣、相與致其祈禱焉。 又、猨女君遠祖天鈿女命、則手持茅纒之矟、立於天石窟戸之前、巧作俳優。
 しかし、作鏡遠祖「石凝姥(いしこりどめ)」、玉作遠祖「玉屋(たまのや)の命」は登場しない。

三種の宝物八坂瓊曲玉八咫鏡草薙剣
古事記
書紀本文
一書1
一書2
【一書1】
 一書1では、天降りを天忍穂耳から瓊瓊杵に変更するタイミングは、大体記と同じである。
 また、三種宝物(みくさのたからもの)として、八坂瓊曲玉(やさかのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)が明記されている。 五部神(いつとものをのかみ)は、記と同じだがそれ以外に随伴する神は登場しない。
時天照大神勅曰「若然者、方當降吾兒矣。」
且將降間、皇孫已生、號曰「天津彥彥火瓊瓊杵尊」時有、
奏曰「欲以此皇孫代降。」
故天照大神、乃賜天津彥彥火瓊瓊杵尊、八坂瓊曲玉及八咫鏡・草薙劒、三種寶物。
又以中臣上祖天兒屋命・忌部上祖太玉命・猨女上祖天鈿女命・鏡作上祖石凝姥命・玉作上祖玉屋命凡五部神、使配侍焉。
因勅皇孫曰「葦原千五百秋之瑞穗國、是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫就而治焉。行矣、寶祚之隆、當與天壤無窮者矣。」

(八衢神の件=前回=に続く)
時に天照大神(あまてらすおほみかみ)勅曰(のらさく)「若然者(しからば)、方(まさに)[当]吾(あが)児(みこ)を降(お)ろすべき矣(かな)。」
且(また)[将]降(お)ろしたまわむ間(ま)、皇孫(すめみま)已(すで)に生(う)まれ、号曰(なづけ)く「天津彦彦火瓊瓊杵尊(あめのあまつひこひこほのににぎのみこと)」となづけし時有り、
奏曰(まをさく)「此の皇孫(すめみま)を以ち、代(か)へ降(お)ろすを欲(ほ)り。」とまをしき。
故(かれ)天照大神、乃(すなは)ち天津彦彦火瓊瓊杵尊に、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)及(と)八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)との、三種(みくさ)の宝物(たからもの)を賜(たま)ひき。
又(また)中臣(なかとみ)の上祖(かみつおや)天児屋(あめのこやね)の命(みこと)・忌部(いみべ)の上祖太玉(ふとたま)の命・猿女(さるめ)の上祖天鈿女(あめのうずめ)の命・鏡作(かがみつくり)の上祖石凝姥(いしころどめ)の命・玉作(たまつくり)の上祖玉屋(たまのや)の命、凡(およ)そ五(いつ)はしらの部(とものを)の神を以ち、配(そ)へ侍(さもら)は使(し)めき[焉]。
因(よ)り皇孫(すめみま)に勅(のらさ)く[曰]「葦原千五百秋之瑞穂国(あしはらのちいほあきのみずほのくに)、是(これ)吾子孫(あがこの)可王之(しろしめすべき)地(くに)ぞ[也]。宜(よろし)く爾(なむち)皇孫(すめみま)、就(つ)きて[而]治(をさ)むべし[焉]。行(いでま)す矣(や)、宝祚(すめろき)之(の)隆(さかえ)、[当]天壤(あめつち)に無窮(きはめなき)を与(あた)へむ者(は)矣(や)。」

(因って皇孫に詔するに、「日本の国は、我が子が統治すべき国です。皇孫であるあなたが着任し、宜しく治めなさい。御行きになれば宝祚(皇位)の隆盛を、天壌無窮に(天地に限りなく)与えるでしょう。」)
…[副] ①まさに。②いまにも。③(かなりの期間の経過の後)はじめて。
…(万)1755 鸎之 生卵乃中尓 霍公鳥 獨所 うぐひすの かひごのなかに ほととぎす ひとりうまれて。
…(万)0894 多麻比志 まをしたまひ。
宝祚(寶祚、ほうそ)…天子の位の美称。(汉典)帝位。
…[動] 一国に君臨する。和語では「統(す)ぶ」「食(を)す」「知らす」「知ろしめす」など。
すめろき…[名] 君主。天皇。(万)0092 所知食兼 天皇之 しらしめしけむ すめろきの。
あたふ(与ふ)…[他]ハ行下二 与える。(万)0210 取與 とりあたふ。
…(古訓)さかゆ。たかし。
…(古訓)きはむ。
きはむ…[自・他]マ行下二 きわめる。
はや…[終助+間投助]~だなあ。感動・詠嘆の意を表す。

五部神内宮外宮その他
古事記天児屋命
(中臣連)
布刀玉命
(忌部首)
天宇受売命
(猿女君)
伊斯許理度売命
(作鏡連)
玉祖命
(玉祖連)
(天照大神)
(いすずの宮)
常世思金神
(いすずの宮)
登由宇気神
(外宮)
天石戸別神
(御門)
手力男神
(佐那那県)
書紀本文天児屋命
(中臣連)
太玉命
(忌部)
天鈿女命
(猿女君)
思兼神手力雄神
一書1天児屋命
(中臣)
太玉命
(忌部)
天鈿女命
(猿女)
石凝姥命
(鏡作)
玉屋命
(玉作)
一書2天児屋命
(神事の宗源)
太玉命
(祭の始起)
手置帆負神(笠作)
彦狭知神(作盾)
天目一箇神(作金)
天日鷲神(作木綿)
櫛明玉神(作玉)
《五部神》
 一般に、古事記の訓に合わせて「いつとものをのかみ」と読まれる。「」は「べ」で、朝廷に属する職能集団(=伴(とも))を意味するのは明らかである。
 記や書紀の本文・一書を突き合わせると、天降りに随伴する神には不一致がある。そこには記紀編集時代の、朝廷内の勢力図が様々に反映している。 表にしてみると、書紀の編集委員のうち、忌部連の首・中臣連の大嶋の発言力の大きさがここでも目立つ。(第50回参照)

《天壌無窮(てんじょうむきゅう)》
 「天地に極まることなし」の意。「宝祚」とともに、漢語を取り入れたものである。 後世になれば音読みの方が適切であるが、上代語のスタイルに合わせるためには、適当な和語に翻訳する必要がある。
 『中国哲学書電子化計画』から中国古典での使用例を調べた。
『太平御覧』人事部一百三 游説下{晉中興書} 「名與天壤無窮哉」(名は天壤無窮に与ふや)
※ 太平御覧(977年から983年成立)は、類書(古典からの抜書きを集めた書)のひとつ。

【一書2】
 書紀「天照大神之子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊娶」の段の一書2は、経津主神・武甕槌神による葦原中つ国の平定に続いて、天孫の天降りを描く。 ここでは、天忍穂耳が瓊瓊杵への交代劇が複雑である。
(1) 乃使還降之。
卽以紀國忌部遠祖手置帆負神定爲作笠者、
彥狹知神爲作盾者、
天目一箇神爲作金者、
天日鷲神爲作木綿者、
櫛明玉神爲作玉者。
乃使太玉命、以弱肩被太手繦而代御手、以祭此神者、始起於此矣。
且天兒屋命、主神事之宗源者也、故俾以太占之卜事而奉仕焉。

乃(すなは)ち還(かへ)り[之]降(お)り使(し)めき。
即ち以紀国(きのくに)忌部(いみべ)の遠祖(とほつおや)、手置帆負(たおきほおひ)の神を定(さだ)め作笠者(かさぬひ)に為(し)、
彦狭知(ひこさしり)の神を作盾者(たてぬひ)に為(し)、
天目一箇(あめのまひとつ)の神を作金者(かなたくみ)に為(し)、
天日鷲(あめのひわし)の神を作木綿者(ゆふつくり)に為(し)、
櫛明玉(くしあかるたま)の神を作玉者(たまつくり)に為(す)。
乃(すなは)ち太玉(ふとたま)の命を使(つかは)し、弱き肩を以ち太き手繦(たすき)を被(おほ)ひて[而]御手(みて)に代へ、以ちて此の神を祭(まつ)れ者(ば)、始(はじ)め此(ここ)に[於]起(お)こせり[矣]。
且(また)天児屋(あめのこやね)の命、神事(かむごと)之(の)宗(むね)の源(みなもと)を主(つかさど)る者(もの)也(なり)、故(かれ)太占(ふとまに)之(の)卜(うらへ)事(こと)を以(も)ち俾(かしつ)きて[而]仕(つか)へ奉(まつ)りき[焉]。

(2)高皇産靈尊因勅曰
「吾、則起樹天津神籬及天津磐境當、爲吾孫奉齋矣。
汝、天兒屋命・太玉命、宜持天津神籬、降於葦原中國、亦爲吾孫奉齋焉。」
乃使二神、陪從天忍穗耳尊以降之。

高皇産霊(たかみむすび)の尊(みこと)、因(よ)りて勅曰(のらさく)
「吾(われ)、則(すなは)ち樹(き)を起(た)たし天津(あまつ)神籬(ひもろき)及(と)天津(あまつ)磐境(いはさか)に当(あ)て、吾(わが)孫(ひこ)に斎(いつ)き奉(まつ)ら為(せ)む矣(や)。
汝(なむち)、天児童屋(あめのこやね)の命・太玉(ふとたま)の命、宜(よろし)く天津神籬(あまつひもろき)を持ち、葦原(あしはら)中つ国に[於]降り、亦(また)吾(わが)孫(ひこ)に斎(いつ)き奉(まつ)ら為(す)べし[焉]。」
乃(すなは)ち二(ふた)はしらの神を使(つか)はし、天忍穂耳(あめのおしほみみ)の尊に陪従(つきしたが)へ以(も)ちて[之]降らしむ。

(3)是時、天照大神、手持寶鏡、授天忍穗耳尊而祝之曰
「吾兒、視此寶鏡、當猶視吾。可與同床共殿、以爲齋鏡。」
復勅天兒屋命・太玉命「惟爾二神、亦同侍殿內、善爲防護。」
又勅曰「以吾高天原所御齋庭之穗、亦當御於吾兒。」

是の時、天照大神(あまてらすおほみかみ)、手許の宝の鏡を天忍穂耳の尊に授(さづ)けて[而]之を祝(ほ)ぎのらさく[曰]
「吾児、此の宝の鏡を視(み)るは、当(まさ)に猶(なほ)吾(われ)を視(み)るべし。同じ床(とこ)、共(おな)じ殿(あらか)を与(ともにし)、以ちて斎(いつき)の鏡(かがみ)と為(す)可(べ)し。」
復(また)天児屋の命・太玉の命に勅(のらさ)く「惟(ただ)爾(なむちら)二(ふた)はしらの神、亦(また)同じく侍(あらか)の内(うち)に殿(さもら)ひ、善(よろし)く防護(まもり)為(す)べし。」
又(また)勅曰(のらさく)「吾(わ)が高天原(たかまがはら)の御(をさ)む[所の]斎庭(ゆには)之(の)穂(ほ)を以ち、亦(また)[当]吾(わが)児(みこ)に[於]御(すす)めたまふべし。」

(4)則以高皇産靈尊之女號萬幡姬、配天忍穗耳尊爲妃、降之。
故時居於虛天而生兒、號天津彥火瓊瓊杵尊、因欲以此皇孫代親而降。
故、以天兒屋命・太玉命及諸部神等、悉皆相授。
且服御之物、一依前授。
然後、天忍穗耳尊、復還於天。

則(すなは)ち、以高皇産霊(たかみむすび)の尊(みこと)之(の)女(むすめ)、号(な)は万幡姫(よろづはたひめ)、天忍穂耳の尊に配(あは)せ妃(きさき)と為(し)、之(これ)を降(お)らしむ。
故(かの)時、虚天(そら)に[於]居(ゐ)て[而]生(う)まる児(みこ)、号(な)は天津彦火瓊瓊杵(あまつひこににぎ)の尊、因(よ)りて此の皇孫(すめみま)を以(も)ちて親に代へて[而]降らしむを欲(ほ)る。
故(かれ)、以天児屋命・太玉命及諸(もろ)部(とものを)の神等(ら)、悉皆(ことごと)に相(あひ)授(さづ)けき。
且(また)服御(すすめられ)し[之]物、一依(ひとつより)前(みまへ)に授(さづ)けき。
然後(しかるのち)、天忍穗耳の尊、復(また)天(あめ)に[於]還(かへ)りき。

(1) (大国主に天つ神を娶らした後、御子を)再び天降りさせることになりました。
 紀国忌部(きのくにいんべ)の遠い祖先、手置帆負(たおきほおひ)の神を笠縫に、 彦狭知(ひこさしり)の神を楯縫に、 天目一箇(あめのまひとつ)の神を金匠に、 天日鷲(あめのひわし)の神を木綿(ゆう)造に、 櫛明玉(くしあかるたま)の神を玉造にしました。
 また太玉(ふとたま)の命を遣わし、この神は肩を手繦(たすき)で被い神を祭る作法を創始しました。 また天児屋(あめのこやね)の命を遣わし、この神は神事の宗源(元になる教義)を司り、太占(ふとまに)の卜事によって神に仕えました。

(2) 高皇産霊(たかみむすび)の尊は、
 「私は木を植えて天津神籬(ひもろき)と天津磐境(いはさか)を設置し、私の孫に斎(いつき)致させたい。 あなたたち天児童屋(あめのこやね)の命・太玉(ふとたま)の命は、天津神籬を持って降り、私の孫に斎いたさせなさい。」と告げられました。
 そこで、この二神を、天忍穂耳(あめのおしほみみ)の尊に従わせ、降ろしました。

(3) 天照大神は、手許の鏡を御子、天忍穂耳に授け、「この鏡を私だと思って視なさい。そしてあなたの宮殿内に置き、寝るときも近くに置きなさい。」と命じられました。 また、天児屋の命・太玉の命には「天忍穂耳の宮殿で、傍に侍り守護しなさい。」と命じられました。 また、「高天原の私の斎庭(ゆにわ)の稲穂を、御子に授け育てさせなさい。」と命じられました。
(4) そして、高皇産霊(たかみむすび)の尊の娘、万幡姫(よろずはたひめ)を降(くだ)らせて天忍穂耳の尊に娶らせたとき、 空中で子、天津彦火瓊瓊杵(あまつひこににぎ)の尊が生まれたので、親の天忍穂耳の尊に交代させて降らせることを欲し、 天忍穂耳の尊に従っていた天児屋命・太玉命など、伴の男(とものお、随伴する神)すべてを、皇孫に授け、財宝など一切を皇孫に授けることになりました。
 しかる後に、天忍穗耳の尊は高天原に戻りました。

たくみ(匠)…[名] 職人。
たすき(手繦、襷)…[名] 奈良時代以前、神を祀るとき、供物に袖が触れないよう、袖を束ねるために肩にかけた紐。
おこす(起こす、興す)…[他]サ行四段 (万)0478 大夫之 心振起 ますらをの こころふりおこし。
…[動] (古訓)つかさどる。
…[名] 中心。(古訓) むね。
…(古訓) みなもと。「な」は上代の格助詞だから、この語は上代から存在したはずである。
ひもろき(神籬)…[名] 神祭りのとき、清浄な地を選び、周囲に常緑樹を植えて、神の宿る場所としたもの。
いはさか(盤境)…[名] 神の鎮座する区域。
ほく(祝く、寿く)…[他]カ行四段 祝福の言葉を唱える。 
…(古訓) おなし。
ゆには(斎庭)…[名] 神をまつるためにはらい浄めた神聖な場所。
…[動] (古訓)うけなす。すすむ。つかさとる。をさむ。
…[名] ①からの器。②天空。そら。(万)0534 安莫國 嘆虚 やすけなくに なげくそら。(万)0001 虚見津 山跡乃國者 そらみつ やまとのくには。「そらみつ」は枕詞。


交代のタイミング古事記書紀本文一書1一書2
葦原中国平定以前※1
天忍穂耳の天降り準備中
天忍穂耳の天降り開始後※2
※1…最初から瓊瓊杵。※2…降る途中の空中。
【一書2の注目点】
《虚天とは》
 ここでは、段落(4)の「虚」(そら)が注目される。万葉集では「虚」を多くは「そら」とよむ。「そら」の主な意味は、見上げる空や中空である。 「天」もここでは高天原ではなく「空」の意味だと考えられ、「虚天」は「虚空」(=大空)と同じく同義語による熟語であると思われる。
 (4)では、万幡姫が妃となって降りつつある天忍穂耳を追い、天津彦火瓊瓊杵が生まれた。 その結果、葦原中つ国に降り立ったのは瓊瓊杵であった。 出発したときは子だったのに、実際に到着したのは孫である。そして、途中の「虚天(そら)」で子供が生まれて交代するという筋書きになった。 空に浮かんでいる間に子が産まれたとするのは、いかにも苦しい。
 葦原中つ国に降りる役が突然変更されたので、やむを得ず(4)を書き足した印象を受ける。
 もう一か所(2)で、天降りの前に高皇産霊は、まだ誰かも知れぬ孫が、いつか斎主を務める予定の祭壇の設置を、天児童屋命・太玉命に準備させている。 (孫は斎主ではなく、斎される神を意味するかも知れないが、「」はまともによめば、使役の助動詞「しむ」である。)
 この高皇産霊の指示は、意味が分からない。「孫」は皇孫であるはずだが、それにも関わらず、まだ地上の国を治めるとは書かれず、中途半端な形で出てくる。
 このように、一緒2は天照が子を天降りさせる話と、高皇産霊が孫を天降りさせる話が混合した複雑な形になっている。 本来は、天忍穂耳が天降りしたのは(3)で明白である。それを書紀に収録するときに修正したと見られ、解りにくい文になってしまった。
《原文を持ちこんだ編集委員の存在》
 それでも書紀に加えたのは、書紀の編集委員の一人が原文を持ちこみ、周囲に文句を言わせない力関係があったのだろう。
(1)に紀伊国の忌部が取り上げられているので、彼はその代表かも知れない。紀伊国へは、須佐之男の子が来たので出雲と繋がりが伺われる。 一書2の前半が、大国主に対して最も好意的なのもそのせいだろうか。
《三種の神器》
 一書2では、段落(3)で、天照が鏡を天忍穂耳に授けるだけで、勾玉・剣については触れられていない。 ただ、(4)で天忍穂耳の「服御之物」(授けられて身に着けているもの)一切が、瓊瓊杵に引き継がれたとあるので、これが三種の神器すべてを指すと思われる。
《部神》
 一書2では、五部(いつとものを)の神のうち、随伴して降りるのは天児童屋神、太玉神の二柱だけである。 他に笠縫・楯縫・金匠・木綿作・玉造の遠祖(とおつおや)が随伴する。ここでは玉造の祖は太玉神ではなく櫛明玉とされ、太玉神は祭りの作法の祖である。

まとめ
 古事記(712年成立)から日本書紀(720年成立)の間に、内容の変動がある。 それは主に、天忍穂耳から瓊瓊杵への変更、そして随伴する神のメンバーの2点である。
 瓊瓊杵への変更については、当初は、天武天皇の天照への思い入れが強く反映され、天降りは天忍穂耳であった。 それが、天皇の代替わりを重ねるうちに、高皇産霊への揺り戻しが進んだことの表れであるように感じられる。 伊勢神宮があまりに力を持ってきたことに対しては、嫉妬も生まれるであろう。
 随伴する神のメンバーに関しては、いよいよ、天孫が地上の支配者になる条件が整い、物語の中身はともかくとして、 誰がそれに随伴したかによって、朝廷を支える各氏族の利害があからさまに衝突する段階に突入する。 その争いを反映して、随伴する神の顔ぶれは様々に変わるとこになる。天降りの部神(とものお)に自分の祖神を押し込むこと自体が、権力闘争であった。 記紀に祖神の果たした役割が取り上げられれば、現実政治に於いて自分の氏族の優位性が高まるからである。


[084]  上つ巻(天降り4)