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[075]  上つ巻(国譲り5)

2014.08.24(日) [076] 上つ巻(国譲り6)

故阿治志貴高日子根神者忿而飛去之時 其伊呂妹高比賣命思顯其御名故歌曰
故(かれ)阿治志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の神者(は)忿(いか)りて[而]飛び去りし[之]時、其の伊呂妹(いろど)高比売(たかひめ)の命、其の御名を思ひ顕(あらは)る故(ゆゑ)歌ひて曰はく、

阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇  布多和多良須 阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也
あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる みすまるに あなたまはや みたに ふたわたらす あぢしき たかひこねのかみぞや

此歌者夷振也
此の歌者(は)夷振(ひなぶり)なり[也]。

 このようにして、阿治志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の神は怒り飛び去った時、その同腹の妹、高比売(たかひめ)の命(みこと)は、その御名を思い示すためにこのように歌われました。

天なるや 弟織機の 項がける 珠の御統 御統に あな珠はや 御谷 二渡らす 味耜高彦根の神ぞや
《大意》
天にあるか、妹の織り女の首に懸けた珠飾りの光は…。あら、その光は阿治志貴高日子根の神が放つ光が2つの谷を越えて届いたものですの。
《別解》
天に織機が鳴るか、妹の織り女の首の珠飾りの光、七夕に二人渡る空が御田に映り「味わいをなした」…(洒落て)「味すき」たかひこねの神ですぞ。


この歌は鄙ぶりです。


いろど(いろ弟、いろ妹)…[名] 同腹の弟または妹。
あらはる(現る、顕る)…[自]ラ行下二 出現する。
うなぐ(頂ぐ)…[他]ガ行四段 首に懸ける。
たなばた(棚機、織女)…[名] ①織機。②織機つ女(機織りする女性)の略。
みすまる(御統)…古く、多くの珠を糸で貫いて輪にした装身具。
あな…[感] ああ。
わたる(渡る)…[自]ラ行四段 渡る。行く・来る。通ずる。過ごす。(給ふなどをつけ)存在していらっしゃる。
ひなぶり(鄙振り、夷振り)…[名] 鄙ぶりという曲名(歌詞の一部から)。その替え歌。

【高比売】
 大国主の系図(第68回)で、下照比売の別名としている。

【天なるや】
 「なる」は一般に、断定の助動詞とされているが、「鳴る」の可能性はないだろうか。
 まず、断定の助動詞「なり」とする場合を万葉集から拾う。
 「あめなる」…0420 天有 あめなる。1277 天在 あめなる。
 「あめなるや」…
3246 天有哉 月日如 あめなるや つきひのごとく。
3887 天尓有哉 神樂良能小野尓 あめなるや ささらのをのに。
 3887は、「なり」の成り立ち:「に有り」が音韻変化して「なり」になったという説を裏付ける。
 ところが、万葉集には次の歌がある。
4236 光神 鳴波多嫺嬬 携手 共将有等 念之尓 ひかるかみ なりはたをとめ たづさはり ともにあらむと おもひしに。
 これは、妻との死別を悲しむ歌からの抜粋である。意味は「光る神と、鳴り機乙女のように手を携え、共にいようと思っていたのに」 で、記の歌謡を意識したことが窺われる。作者と妻を阿治志貴高日子根の神と機織つ女に例えていると思われる。 この歌では「なり」は「有」ではなく「」が使われているので、「あめなるや」は、実は「天鳴るや」と読まれていたことになる。 それが正しければ、さらに「おとたなばた」の「おと」は「」に「」を掛けた可能性が出てくる。

【あなたまはや】
 御統(みすまる)は、紐に宝石を連ねた装身具なので、その穴の開いた珠という解釈が一般的である。 だが、「その光は御統の光ではなく、本当は阿治志貴高日子根の神が放つ光です」と意外な展開をするので、ここでは感嘆詞「あな」とする方がよい。
 また「はや」(主題を示す係助詞+間投助詞)も驚きを表す表現である。

【みたにふたわたらす】
 書紀一書1では、味耜高彦根の神の放つ光が、谷を2つ越えて映るという意味に解釈している(後述)が、他の解釈もあり得る。ここでは2例を挙げる。
、機織つ女が織機を操るとき、胸元の紐を通した宝石が左右に動き、胸の谷間を右に左に渡るという、艶っぽい読みが考えられる。 とすれば、阿治志貴高日子根との関わりはどうなるのであろう。
 恐らくは、「阿治志貴高日子根」の「あぢしき」の部分を「味しき」(面白みがあった)の掛詞とする技法を用いたと考えられる。 歌謡の前文「其の御名を思い顕(あらわ)す歌」は実は「御名を織り込んだ歌」という意味かも知れないのである。 ただ、この場合「わたる」のは珠であるから、「わたらす」の尊敬表現「」が問題になる。(次項)
 なお、この場合、珠が「穴に通した紐に沿って左右に動く」から、「あな」は感嘆詞ではなく「穴珠」であろう。
、私がこの歌を読んで最初に思い浮かべたのは、七夕の空の星々が「御田」の一面に映る美しい光景であった。 そもそも「みたに」を「御谷」とすることに違和感があった。そこで万葉集と古事記を検索すると、「みた」も「みたに」も皆無である。ただ書紀には「御谷」はないが、「御田」が9件あった。 ということは、「御谷」より「御田」の方が可能性が高いことになる。
 次に「ふた」について調べた。当初、星空が蓋のように覆うと取ったが、実際には、万葉集は「」が圧倒的であった。
 織機つ女が登場し、二人が渡るとなれば、当然七夕伝説が連想される。しかし、この考えは 七夕伝説がまだ飛鳥時代に存在しなければ覆される。そこで牽牛・織女の話の起源を探ると、その原型は、 <wikipedia>六朝・梁代、殷芸(いんうん)が著した『小説』</wikipedia>にあると言う。
 その原文を探したが、《中国哲学書電子化計画》には未収録だったので、ウィキペディアから再引用する。 <wikipedia>天河之東有織女 天帝之女也 年年機杼勞役 織成云錦天衣 天帝怜其獨處 許嫁河西牽牛郎 嫁後遂廢織紉 天帝怒責 令歸河東 許一年一度相會</wikipedia>
 天の河東に織女有り、天帝之女(むすめ)也(なり)。年年(としどし)に機杼(きちょ)に労役し、 錦(にしき)の天衣と云ふを織り成せり。天帝其の独りの処(ところ)にあるを憐れみ、河西の牽牛郎に嫁(とつ)がせむ。 嫁ぎし後、遂に織り紉(な)ふを廃(はい)し、天帝怒り責め、河東に帰り令(し)め、一年に一度相(あひ)会ふを許す。
河東・河西…地上からみた星空の方位ではなく、中国の星座に人為的に与えられた方位(黄道を含む面を東→北→西→南に4分割する)によれば、織女星(Vega)が東側、牽牛星(Altair)が西側である。(研究報告参照)
機杼(きちょ)…①はたの杼(ひ、=シャトル)。②機織りの仕事。

 作者の殷芸は<百度百科>(471年―529年)字灌蔬,陳郡長平(今河南西華東北)人、南朝梁文学家。</百度百科>
 さらに<wikipedia>後漢(25~220年)の応劭著『風俗通』が牛郎織女伝説を記した最も古い書籍とされている。</wikipedia>
 従って、牽牛星・織女星の話は、飛鳥時代には既に伝わっていたことが確実である。
 以上から「みたにふたわたらす」は、「田が広がる夜空に、織女と牽牛が渡る」と解釈することができる。
 の場合も「味しき」は掛詞だと考えられる。

【わたらす】
 「」の敬意は前項のでは御統の持ち主の織機つ女に、では織姫・牽牛に向けられる。 また書紀一書1の2首目の歌の「わたらす」の主語は鄙つ女であるから、「す」の尊敬の程度はその程度の軽さの場合もあると思われる。
 さらに調べると、万葉集には、河内大橋を一人で渡り去る娘を歌った歌に「わたらす」がでてくる。
1742 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 ただひとり いわたらすこは わかくさの つまかあるらむ。 (一人で橋を渡る娘は、夫がいるのだろうか)
 この場合の「す」は、ほぼ丁寧語である。だから、記の歌謡の「わたらす」が尊敬語だからといって、主語が味耜高彦根の神であるとは決定できない。

【日本書紀】
 書紀本文に、今回の歌謡はすべて省かれている。一方、一書1は、天雅彦を派遣したところから始まり、大筋は本文通りであり、加えて歌謡の部分が入っている。
 一書1は本文と概ね一致するとは言え、いくらか相違がある。たとえば、天雅彦の柩を天に上げるところは、
天稚彥之妻子、從天降來、將柩上去而於天作喪屋  天稚彦之(の)妻子、天(あめ)従(よ)り降り来たり、柩を上げ去らむ[将]として[而]天に[於]喪屋を作りき。
 本文では棺を風で吹き上げるところを、一書1では妻子が一度地に降りて、柩を天に持ち帰っている。
 さらに、細かいところで、一書1では
時有國神、號天探女  時に国つ神有り、天探女(あめのさぐめ)と号(なづ)く。
 として、天探女を国つ神と定義している。
 また、一書1では矢を拾って投げ返した「天つ神」は、文脈的には天照大神である。投げ返すときの言葉は、記より整理されている。
取矢而呪之曰「若以惡心射者、則天稚彥必當遭害。若以平心射者、則當無恙。」因還投之、卽其矢落下、中于天稚彥之高胸、因以立死。
矢を取りて[而]呪之曰(こにのらさく)「若(も)し悪し心を以て射しか者(ば)、則(すなは)ち天稚彦必ず[当]害(とが)めに遭(あ)はむ。若し平(やは)す心を以て射しか者、則ち[当に]無恙(つつみな)からむ。」 因(よ)りて之を投げ還(かへ)し、即ち其の矢落ち下り、天稚彦之高胸(たかむなさか)に[于]中(あた)り、因以(よ)りて立ち死にき。
 (矢をとって、その矢に念じるに「もし、天雅彦が裏切りの心をもってこの矢を射たなら、必ず咎めに遭うだろう。もし国つ神を平定しようとして射たのなら、つつがないであろう。」 そして矢を投げ返したところ、矢は落下し天稚彦の胸に当たり、天稚彦は立ち上がり、そのまま死んだ。)
 (原文注記:高胸、此云多歌武娜娑歌。(たかむなさか))
 さらに、本文の「新嘗」は一書1にはない。「立死」の表現は紀本文と同じである。
とがめ(咎め)…差し障り。(万)0721 吾為類和射乎 害目賜名 わがするわざを とがめたまふな。4130 比等毛登賀米授 ひともとがめず。
つつみなし(恙み無し)…無事である。(万)3253(柿本人麻呂) 恙無 つつみなく。

《呪》
 「のろふ」は、告(の)るの未然形に反復の助動詞「ふ」がついた「のらふ」が音韻変化したもの。「呪之」は、「矢に呪いを込める」意味だと思われるが、万葉集に「のろふ」はないので、上代に「のろふ」があったかどうかは不明である。
《射しかば》
 「射る」(ヤ上一)の連用形+完了の助動詞「き」の已然形+接続助詞「ば」。 ここでは「恒常条件」である。恒常条件とは、「ある条件を示し、その条件下で決まって起こる事柄を後ろに続ける」ことである。仮定条件(未然形「射せば」)、確定条件(已然形「射しかば」)の何れとも異なり、恒常条件は事実の有無には無関係で、論理上の関係を示したものである。

【日本書紀一書1の歌謡】
 前項で触れたように、一書1には本文で省略された歌謡が収録されている。
時、味耜高彥根神 光儀華艶、映于二丘二谷之間、故喪會者歌之曰、
或云、味耜高彥根神之妹下照媛、欲令衆人知映丘谷者是味耜高彥根神、故歌之曰、

時に、味耜高彦根(あぢすきたかひこね)の神の光(ひか)る儀(すがた)華(はなやか)に艶(うるはし)く、二丘(ふたをか)二谷(ふたたに)之間(ま)に[于]映(うつ)し、故(かれ)喪に会ふ者、之を歌ひ曰はく、
或云(あるいはく)、味耜高彦根の神之妹(いも)、下照媛(したてるひめ)、衆人(もろびと)に丘谷(をかたに)に映す者(は)[是れ]味耜高彦根神なるを知ら令むを欲り、故(かれ)之を歌ひ曰はく、

その時、味耜高彦根の神の光り輝く姿は華やかに麗しく、二つの丘、二つの谷の間に映え、そこで喪に会した人々がこれを歌うは、
或いは、味耜高彦根(あじすきたかひこね)の神の妹、下照姫(したてるひめ)が、人々に丘・谷に映えるのは味耜高彦根の神であることを知らせようと望み、そこで歌った歌は、

阿妹奈屢夜 乙登多奈婆多廼 汚奈餓勢屢 多磨廼彌素磨屢廼 阿奈陀磨波夜 彌多爾 輔柁和柁邏須 阿泥素企多伽避顧禰
あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまるの あなたまはや みたに ふたわたらす あぢすきたかひこね
 天なるや 乙織機の 項がける 珠の御統の あな珠はや 御谷 二渡らす 味耜高彦根
《大意》  天にいるか、妹の機織り女が首にかけた宝石の飾り、あらその光は、谷を二越えする味耜高彦根(の放つ光)かしら。
又歌之曰、
阿磨佐箇屢 避奈菟謎廼 以和多邏素西渡 以嗣箇播箇柁輔智 箇多輔智爾 阿彌播利和柁嗣 妹慮豫嗣爾 豫嗣豫利據禰 以嗣箇播箇柁輔智

あまさかる ひなつめの いわたらすせと いしかはかたふち かたふちに あみはりわたし めろよしに よしよりこね いしかはかたふち
天離る 鄙つ女の い渡らす瀬戸 石河片淵 片淵に 網張り渡し 目ろ寄しに 寄し寄り来ね 石河片淵
《大意》  都から離れた鄙(ひな)の女が、えいと渡った瀬戸。岩川の片淵(片側の淵)に網を張り渡したからには、網目に寄って寄って寄って来い。そこは岩川の片淵。
此兩首歌辭、今號夷曲。
此の両首(ふたうた)の歌の辞(こと)、今に夷曲(ひなぶり)と号(なづ)く。
うつす(映す)…[他]サ行四段 (万)1362 影毛将為跡 うつしもせむと。
い-…[接頭] 動詞の上について、意味を強める
-ろ…[接尾] 親愛の意。または語調を整える。
よす(寄す)…[自]サ行四段 (上代語)近くに来る。
よる(寄る)…[自]ラ行四段 一か所に集まる。
…[終助](上代語) ~してほしい。動詞の未然形につく。(万)1679 妻依来西尼 つまよしこせね。
-首…[量詞] 詞・歌を数えることば。

《神光儀》
 (万)0229 妹之光儀乎 いもがすがたを。では、「光儀」を「すがた」と読む。
 一方、単独で「ひかる」とよむ例は、4236 光神 鳴波多嫺嬬 ひかるかみ なりはたをとめ。をはじめとして、無数にある。
《華艶》
 (万)形容動詞「はなやかなり」の例。 2993 紫 綵色之蘰 花八香尓 むらさきの まだらのかづら はなやかに。
 「うるはし」は立派である意である。華と艶に分けて「はなやかにうるはし」と訓読することにする。
《味耜高彦根神之妹下照媛》
 書紀で兄弟関係が示されるのは、ここが初めてである。しかし書紀の本文には、遂にこの説明はない。
《みたにふたわたらす》
 前文の「映于二丘二谷之間」によって、「みたにふたわたらす」は、味耜高彦根の発する光が二つの谷を越えて照らす意味であることを示している。
 しかし、「機織り女の御統の輝きだと思ったのが、実は味耜高彦根神が光が山谷を越えて照らしたものだった」という文意は、理解不可能である。
《両首》
 万葉集では、歌の添え文に、「右の二首、~の歌」などが無数にある。
 明らかに「両首=ふたしゅ」であり、平安時代から「しゅ」とよまれたと思われるが、それでは、訓読みはあったのだろうか。 因みに、岩波文庫版を見ると「両首歌辞」を「ふたうた」と訓み、この問題を回避している。
《同語反復》
 同語反復が多いのは、歌謡だからである。耳に入るときに、心地よさを感じさせるのである。
《夷曲》
 二首目の歌は、味耜高彦根とは全く無関係で、ここにあるのはどうしてかと思わせる。
 実は、この歌は「夷曲」という用語の解説のために例示されたものである。
 「ひなぶり」(夷振り・夷曲)は元歌の旋律に、各地方でさまざまな歌詞がつけられたものである、と言いたかったのである。 そのために都の織姫の歌と、鄙の川魚漁の歌という対照的な2例を選んだ。
 「此の両首(ふたうた)の歌の辞(こと)、今に夷曲(ひなぶり)と号(なづ)く。」の、「辞」は「如(ごと)」が音を借りたもので、 「この2首の歌の例のように、各地方で様々な歌詞で歌われるものが、現在『夷曲』と呼ばれるものである。」 という意味であろう。
 ただ、これらの二首の歌が内容的に全く無関係かと言えばそうでもなく、「天に在る」と「天離る」、「織機つ女」と「鄙つ女」を対比させたり、共に「渡らす」を用いたりする。
 なお、一書1は筆記を急いだためか、記と比べると歌の一部に脱落がある。

【発光する神】
 神が発光するのは、大国主の前に海から現れた三諸山の神(大物主)の例がある。 書紀では、大物主は大国主と同一とされ、その子の味耜高彦根も発光する。他に光を放つのは天照大御神があるが、これはもともと太陽神であるから当然である。 味耜高彦根の発する光が届く範囲は、谷を2つ超えた距離までである。

【掛詞】
 これまで見てきたよにうに「おと」「あぢすき」は掛詞かも知れない。それでは、記の歌謡に掛詞の技法はあったのだろうか。
 <wikipedia>掛詞は『万葉集』にもごく少数見られるが、仮名の登場以降に多く使われるようになった。</wikipedia> とされるから、記紀にその走りがあっても不思議ではない。

まとめ
 歌謡の万葉仮名から、記は「あぢきたかひこね」書紀は「あぢきたかひこね」が確定した。 記では、本当に「味しき」(サ変の連用形+完了の助動詞)の掛詞にしたのかも知れない。 ところが、書紀では「あぢすき」であるから、この手法は引き継ぐことができない。 その代わりに「みたにふたわたらす」の意味を、「味耜高彦根神の発する光が谷を二つ越えて届く」に変更させた。これで掛詞による繋がりを、内容による繋がりに変更した。 ただ、この繋ぎの強引さは、むしろ「もともとは掛詞で繋いだ」ことを裏付けているように思える。
 書紀の「一書」は、時に古事記を補充したり、訂正する役割が与えられる場合がある。 ここでは「あぢしき」ではなく「あぢすき」であることを示し、それに伴い歌謡の解釈の変更を行ったとも考えられるが、もしそうだとすれば、この変更はあまり出来のよいものではなかった。


2014.08.31(日) [077] 上つ巻(国譲り7)

於是天照大御神詔之 亦遣曷神者吉
爾思金神及諸神白之
坐天安河河上之天石屋名伊都之尾羽張神 是可遣【伊都二字以音】
若亦非此神者 其神之子建御雷之男神此應遣
且其天尾羽張神者 逆塞上天安河之水而 塞道居故他神不得行 故別遣天迦久神可問
故爾使天迦久神 問天尾羽張神之時
答白 恐之仕奉 然於此道者 僕子建御雷神可遣 乃貢進
爾天鳥船神 副建御雷神而遣

於是(こに)天照大御神(あまてらすおほみかみ)詔之(のらさく)「亦(また)曷(いづ)れの神か遣(つか)はせ者(ば)吉(よ)き。」とのらしき。
爾(これ)に思金(おもひかね)の神及(と)諸神(もろかみ)と白之(まをさく)
「天安河(あめのやすかは)の河上(かはかみ)之(の)天石屋(あめのいはや)に坐(ま)す、名は伊都之尾羽張(いつのおはばり)の神、是れ遣(つか)はす可し【「伊都」の二字音(こゑ)を以てす。】。
若(も)し亦(また)此の神に非(あらざ)れ者(ば)、其の神之子(みこ)、建御雷之男(たてみかづちのを)の神、此れ遣はす応(べ)し。
且(また)其れ天尾羽張(あめのおはばり)の神者(は)天安河之水を逆(さか)塞(せ)き上げて[而]、道を塞(せ)き居(を)りし故(ゆゑ)他(ひと)神行(ゆ)き不得(え)ず。故(かれ)別(わ)け天迦久(あめのかく)の神を遣はし問はしむ可し。」とまをしき。
故爾(このゆゑ)天迦久の神を使はし、天尾羽張の神に問はしめし[之]時、
答へ白(まを)さく「恐(かしこ)くも之れ仕(つか)へ奉(まつ)らむ。然(しか)るに此の道に[於]者(は)僕(やつかれ)が子(こ)建御雷(たてみかづち)の神を遣はす可し。乃(すなは)ち進め貢(たてまつ)らむ。」とまをしき。
爾(かれ)天鳥船(あめのとりふね)の神、建御雷神を副(そ)へて[而]遣(つか)はしき。


 そこで、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が仰るには「今度は、どの神を派遣するのがよいか。」と仰りました。
 それに対して、思金(おもいかね)の神や神々が申し上げるには 「天安川(あめのやすかわ)の川上の天石屋(あまのいわや)に居られます、名を伊都之尾羽張(いつのおはばり)の神といい、この神を派遣するのがよいでしょう。 また、この神でなければ、その神の子、建御雷之男(たてみかずちのお)の神、この神を派遣しましょう。 また、この天尾羽張(あめのおはばり)の神は、天安河の水を堰き上げて逆流させて道を塞ぎやがって、他の神では行けないので特に天迦久(あめのかく)の神を派遣して尋ねさせましょう。」と申し上げました。
 そのために、天迦久の神を遣わし、天尾羽張の神に問うたところ、 答え申し上げるに「畏れ多くもお仕えさせていただきます。ただ、この任務には私目の息子、建御雷(たてみかずち)の神を遣わすのがよいでしょう。なのでお勧め申し上げます。」と申し上げました。
 そこで、天鳥船(あめのとりふね)の神に、建御雷神を副使に添えて遣わしました。


をり(居り)…[補助動]ラ変 (動詞の連用形について)①ずっと~している。②~しやがる。
やつかれ(僕)…[名] 一人称の人称代名詞。へりくだって言う。(倭名類聚抄)奴僕 和名夜豆加礼。(やつかれ)
かしこし(畏し)…[形]ク ①おそれ多い。②恐ろしい。(万葉集、以下「万」)0199 懼母 かしこくも。
みち(道)…[道] ①通行する道。②人間の進むべき道。道理、筋道。
そふ(添ふ、副ふ)…[他]ハ行下二 付き添わせる。

【応】
 万葉集に「応」を「べし」とよむ用例がある。(万)0325 念應過 おもひすぐべき。
べし…[助] 推量、意思、当然。

【天照大神】
 天若日子への対応は高御産巣日神が行っていたが、今回二神の派遣は、再び天照大御神が行う。 書紀本文では高皇産靈、一書1は天照、第79回に取り上げる一書2では、最初は「天つ神」、途中から高皇産靈である。

【思金神】
 高御産巣日神の御子。天照引き籠り事件(第49回)で登場し、高御産巣日神を助けて知恵を絞った。 また、葦原中国を制圧するための使者の選定(第71回)でも中心となる。
 
【逆塞上天安河之水】
 「塞上」の用例を見る。
 (万)1635 佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎 さほがはの みづをせきあげて うゑしたを。
 この歌では、堰によって水位を上げて田に水を張る。したがって、「逆塞上天安河之水」は下流に流れるのを妨げ、上流に水を溢れさせる意味である。
 それは、天尾羽張が息子の雷神と共に、激しい雷雨によって川を氾濫させていると読み取ることができる。

【恐之仕奉然於此道者~】
 「仕へ奉る」までは、儀礼的な挨拶であると見られる。 「此の道」は地に降りて葦原中つ国を平定する任務を意味する。飛鳥時代の官僚が詔を受けるときは、このような慇懃な言葉遣いをしたのであろう。

【天尾羽張の神】
 迦具土(かぐつち)の神は、生まれてきたときに伊邪那美命に火傷を負わせ、死なせた。 それを怒った伊邪那岐命は十拳剣を抜き、迦具土神を斬った。 この話に出てくる様々な神の名には、中国地方の製鉄との関連が見られる。 迦具土神を斬った剣に付けられた名が、天之尾羽張、別名は伊都之尾羽張である。(第38回)
 剣を神格化した伊都之尾羽張命を祀っているのが、斐伊神社(びい神社、島根県雲南市)である。同神社には、須佐之男命・稲田姫命も祀られている。 斐伊川は、第52回で取り上げたように、須佐之男命が降り立った出雲国の肥河とされる。
 肥河(斐伊川)は度重なる氾濫があったとされ、それが「川を逆に堰き上げた」神の所為に繋がったと考えられる。 使者に立てようとしている神なのに、「道を塞ぎやがって」と悪口を言うのは不思議であるが、もともと出雲系の神であったことが無関係ではないと思われる。

【二神】
 記では、天鳥船(あめのとりふね)の神に、副使として建御雷(たけみかづち)の神を立てる。 ただ、建御雷に決まるまでの経過は詳しいが、天鳥船が決まった経過は書かれていない。
 一方、書紀は本文、一書1とも経津主(ふつぬし)の神と、武甕槌(たけみかづち)の神である。 書紀本文は、武甕槌を副としているが、一書1では特に主副を定めない。
 天鳥船の神
《記》
 第37回に「次生神名鳥之石楠船神亦名謂天鳥船」とある。 天鳥船の神は、伊邪那岐・伊邪那美から産まれて以来の登場である。 経津主は、天鳥船神が操る天鳥船に乗り、海路いなさの浜に向かったと見られる。
 経津主の神
《紀本文》
 「磐裂、根裂神之子、磐筒男・磐筒女所生之子経津主神」とする血縁関係は、「次生海」の一書7と一致する。
《次生海一書7》
 「伊弉諾尊、拔劒斬軻遇突智、爲三段。其一段是爲雷神、一段是爲大山祇神、一段是爲高龗。又曰、斬軻遇突智時、其血激越、染於天八十河中所在五百箇磐石、而因化成神、號曰磐裂神。次根裂神、兒磐筒男神。次磐筒女神、兒經津主神。伊弉諾尊が軻遇突智(かぐつち)を斬った時、その血が飛び天の八十河の中の岩群(いわむら)を染め化成した神が、 曰磐裂神と根裂神、その子が磐筒男神と磐筒女神、その子が経津主神である。
《記》
 建御雷之男の神の別名は建布都(たけふつ)の神、豊布都(とよふつ)の神である。 これらが経津主の神と同じだとすれば、建御雷之男の神と津主の神は一体である。
 建御雷之男の神
《記》
 天安河の河上の天の岩屋にいる伊都之尾羽張神の子が建御雷之男神(または、建御雷神)。
 以前、迦具土神の頸を斬ったとき(第38回) その剣を天之尾羽張(または伊都之尾羽張)と言い、その刃の本からの血が湯津石村(岩郡)に達し、 甕速日神、樋速日神、建御雷之男神(別名、建布都神、豊布都神)が成った。
 「剣が飛ばした血から出現した神」は「剣を神格化した神から生まれた子」と言えなくはない。
《紀本文》
 天石窟にいる神で、稜威雄走神の子が甕速日神、その子が熯速日神、その子が武甕槌神。 三神は、記では並列の関係であるが、書紀では親子関係で繋がっている。

崖の上のカモシカ
【天迦久神】
 伊都之尾羽張の神は天安河を氾濫させて道を塞いでいる。そこを通るのは他の神には無理で、通れるのは天迦久神だけだという。 さて、<大辞源>迦久は鹿児(かこ)の意で鹿の神といわれる</大辞源>。カモシカは、急峻な崖を平気で上り下りできるので、氾濫した谷川を避けて山中を移動できるという意味かも知れない。 ただ、ニホンカモシカは、シカとは別の科である。
 試しに「神の使い 鹿」を検索したら、鹿島神宮がでてきた。その近くには香取神宮(書紀一書2の「東国楫取之地」)がある。 さらに調べると、鹿島神宮の祭神は武甕槌大神、香取神宮の祭神は経津主大神だと言う。何やら東国の宮と繋がってきた。 この件については、第79回に考察する。

【日本書紀本文】
 書紀では、使者に選んだ2神の系図に触れている。
是後、高皇産靈尊、更會諸神、選當遣於葦原中國者、
曰「磐裂【磐裂、此云以簸娑窶】根裂神之子磐筒男・磐筒女所生之子經津【經津、此云賦都】主神、是將佳也。」
時、有天石窟所住神稜威雄走神之子甕速日神、甕速日神之子熯速日神、熯速日神之子武甕槌神。
此神進曰「豈唯經津主神獨爲丈夫而吾非丈夫者哉。」其辭氣慷慨。
故以卽配經津主神、令平葦原中國。

是後(こののち)、高皇産霊(たかみむすび)の尊(みこと)、更(さら)に諸神(もろかみ)に会はし、[当に]遣葦原中つ国に[於]遣(つか)はさむ者を選ひ、
曰はく「磐裂(いはさく)【磐裂、此れ以簸娑窶(いはさく)と云ふ。】、根裂(ねさく)の神之(の)子(みこ)、磐筒男(いはつつのを)、磐筒女(いはつつのめ)の所生(うみし)[之]子(みこ)、経津【経津、此れ云賦都(ふつ)と云ふ。】主(ふつぬし)の神、是れ[将に]佳(よ)からむ[也]。」
時に、天石窟(あまのいはや)に所住(すむ)神、稜威雄走(いつのをはしり)の神之(の)子(みこ)甕速日(みかはやひ)の神、甕速日の神之子熯速日(ひのはやひ)の神、熯速日神之子武甕槌(たけみかづち)の神有り。
此の神進めて曰はく「豈(あに)唯(ただ)経津主の神独り丈夫(ますらを)に為[し]て[而]吾(われ)丈夫(ますらを)に非(あら)ざる者(は)哉(や)。」其の辞(こと)の気(け)慷慨(たかぶり)き。

(この神はこう申し出ました。「経津主の神ただ一人が勇者で、私が勇者ではないとは何たることか。」と語気を荒げました。)
故以(ゆゑもちて)即ち経津主の神に配り、葦原中つ国を平(たひら)げ令(し)む。
(そのような訳で、経津主の神の配下として葦原中つ国の平定を命じました。)
えらふ(選ふ)…[他]ハ行四段(上代はハ行) 選択する。 
あに…[副] ①決して(~ない) ②[反語]どうして(~か) 平安以後漢文訓読体で主に②で用いられた。(万)0596 濱之沙毛 吾戀二 豈不益歟 はまのまなごも あがこひに あにまさらじか。
ますらを(丈夫、大夫)…[名] 心身ともに優れた勇ましく立派な男性。(万)0061 大夫之 ますらをの。
(気)…[名] ある物の発する気。気配。
は-や…[終助+間投助] 感動・詠嘆の意をあらわす。~とは。[ここでは不満の意]
慷慨(ごうがい)…①外に感情が高まり出る。②内に身に染みて感じ、嘆息する。
たかぶる…[自]ラ行四段 高まる。
くばる(配る)…[他]ラ行四段 配置する。[ここでは「副使として配する」]

【一書1】
既而天照大神、以思兼神妹萬幡豐秋津媛命、配正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊爲妃、令降之於葦原中國。
是時、勝速日天忍穗耳尊、立于天浮橋而臨睨之曰「彼地未平矣、不須也頗傾凶目杵之國歟。」
乃更還登、具陳不降之狀。故、天照大神、復遣武甕槌神及經津主神、先行駈除。
(中略)頗傾也、此云歌矛志。

既而(すなは)ち天照大神(あまてらすおほみかみ)、思兼神の妹(いも)、万幡豊秋津媛命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)を以ちて正哉吾勝勝速日天忍穗耳(まさかつあかつかつはやひあめのをしほみみ)の尊に配り妃(きさき)と為(し)、於葦原中つ国に之(これ)を降り令(し)めき。
是時、勝速日天忍穗耳の尊、天浮橋に[于]立たして[而]臨睨(のぞ)み[之]曰はく「彼地(そこ)未だに平(たひら)がざり矣(や)、不須也頗傾凶目杵(いな、かぶししこめき)[之]国歟(かな)。」
乃(すなは)ち更に還(かへ)り登(のぼ)り、不降(おりざり)し[之]状(たどき)を具(つぶさ)に陳(まを)しき。故(かれ)、天照大神、復(ま)た武甕槌(たけみかつち)の神及(と)経津主(ふつぬし)の神とを遣(つか)はし、先(ま)づ行(ゆ)かせ駈除(はら)はしむ。

(なので、再び天に昇ってきて、降りない理由を詳しく申し上げた。そこで、再び武甕槌(たけみかつち)の神と経津主(ふつぬし)の神とを派遣し、先払いさせた。)
(げい)…[動] にらむ。
具陳(ぐちん)…漏らさず申し上げる。
(は)…[動] かたよる。
(けい)…[動] かたむける。
かぶす(傾す)…[自]サ行四段 頭が傾く。うなだれる。
《不須也頗傾凶目杵之國歟》
 (次生海一書7) 不須也凶目汚穢=伊儺之居梅枳枳多儺枳(いなしこめききたなき)(第40回)
 に頗傾が挿入され、汚穢が除かれている。 「中国哲学書電子化計画」収録文書を検索した結果は、熟語「頗傾」は0件である。「漢典」にも項目がないので、漢熟語ではなく書紀独自の語である。 一書1の注記に「頗傾也」は「歌矛志」(かぶし)とある。「」がつくのは、本文の「也頗傾」を見誤ったか、本文に「也」が脱落しているかのどちらかである。
 あるいは「」は軽い区切り文字であって、あってもなくても気にならない程度の物かも知れない。
 「凶目」の後ろの「」は、「しこめき」の「」を明示したと思われる。ということはもともと「凶」は「醜」に対応していたことになる。 「しこめき」は連体形である。「」が通例のように助動詞「き」の連体形だとすると、「しこめし」の連用形から接続しなけらばならない。 従って、この「之」は「連体修飾であると念を押す」ためだけの、置き字(発音しない字)である。 「次生海」の段の「汚穢之国」でも「汚穢」は「きたなき」とよめと指示されているので、「之」は置き字である。
 ただ、「しこめき」が動詞「しこめく」の連用形だとすれば、「之」は「し」(完了の助動詞「き」の連体形)と発音することができる。名詞に接尾語「-めく」をつけると動詞を作ることができるのである。(「春めく」など)
 「杵」を読む文字としてわざわざ入れたということは、「之」も発音するのかも知れない。
《記や書紀本文との対応》
 一書1では、懐柔のための使者を何度も派遣した話はすべて省略し、使者の派遣は「遣武甕槌神及經津主神、先行駈除」ただこれだけである。

まとめ
 辞書によれば「いか」は内の力が満ちてきて外側に角ばって現れる状態を言う。形容詞「いかし」は、上代は「いかめしく立派だ」の意味。
 「いかづち」(雷)は、もともと「厳つ霊」で、「恐ろしい神」の意。天つ神が最後に遣わしたのは、かくも強面の神であった。その出自は剣から飛び散った迦具土の血である。 派遣された二神は、大国主親子に対して強圧的に政権の明け渡しを迫っていく。


2014.09.05(金) [078] 上つ巻(国譲り8)

是以 此二神降到出雲國伊那佐之小濱而【伊那佐三字以音】
拔十掬劒 逆刺立于浪穗 趺坐其劒前 問其大國主神言
天照大御神高木神之命以問使之 汝之宇志波祁流【此五字以音】葦原中國者我御子之所知國 言依賜故汝心奈何
爾答白之 僕者不得白 我子八重言代主神是可白 然爲鳥遊取魚而往御大之前未還來
故爾 遣天鳥船神 徵來八重事代主神而問賜之時 語其父大神言 恐之 此國者立奉天神之御子
卽蹈傾其船而 天逆手矣 於青柴垣打成而隱也【訓柴云布斯】

是以(これに)、此の二(ふた)はしらの神、出雲(いづも)の国の伊那佐(いなさ)之(の)小浜(をはま)に降り到(た)りて[而]【「伊那佐」の三字(みもじ)音(こゑ)を以ちてす。】、
十掬(とかつ)の剣を抜き、浪(なみ)の穗に[于]逆(さか)刺(さ)し立たし、其の剣の前(まへ)に趺(あぐ)み坐(ま)し、其の大国主(おほくにぬし)の神に問はさく[言]、
「天照大御神(あまてらすおほみかみ)高木の神之(が)命(みこと)を以(も)ち問使之(とはしめ)く『汝之(なが)宇志波祁流(うしはける)【此の五字(いもじ)音を以ちてす。】葦原(あしはら)中つ国者(は)、我が御子之(の)知(しらす)[所の]国ぞ。』と言依(ことよ)せ賜ひき。故(かれ)汝(なが)心や奈何(いか)なる。」
爾(かれ)答へ白之(まをさく)「僕(やつかれ)者(は)白(まをさ)不得(じ)。我子(わがみこ)八重言代主(やへことしろぬし)の神、是れ白(まを)す可し。然れども鳥と遊ばし魚(いを)を取らむと為(し)て[而]御大之前(みほのさき)に往(ゆ)き未(いま)だ還(かへ)り来(き)たらず。」
故爾(このゆゑ)、天鳥船(あめのとりふね)の神を遣わし、八重事代主(やへことしろぬし)の神を徴(め)し来(こし)めて[而]問ひ賜ひし[之]時、其の父(ちち)大神(おほかみ)と語り言(まを)さく「恐之(かしこ)くも、此の国者(は)天つ神之御子(みこ)に立奉(たてまつ)らむ。」とまをしき。
即ち其の船を踏み傾(かたぶ)けて[而]、天逆手(あまのさかて)に矣(や)、青(あを)柴(ふし)垣(かき)を[於]打ち成(な)して[而]隠(こも)りき[也]【「柴」を訓(よ)み布斯(ふし)と云ふ。】。

故爾問其大國主神 今汝子事代主神 如此白訖 亦有可白子乎
於是亦白之 亦我子有建御名方神 除此者無也
如此白之間 其建御名方神千引石擎手末而來 言 誰來我國而 忍忍如此物言 然欲爲力競 故我先欲取其御手
故令取其御手者 卽取成立氷 亦取成劒刄 故爾懼而退居
爾欲取其建御名方神之手乞歸而取者 如取若葦搤批而投離者 卽逃去
故追往而 迫到科野國之州羽海 將殺時 建御名方神白
恐 莫殺我 除此地者不行他處 亦不違我父大國主神之命 不違八重事代主神之言
此葦原中國者隨天神御子之命獻


故爾(このゆゑ)其の大国主(おほくにぬし)の神に問はさく、「今、汝(なが)子(みこ)事代主の神、此の如(ごと)白(まを)し訖(を)へり。亦(また)白(まを)す可き子(みこ)乎(や)有る。」ととはしき。
於是(こに)亦(また)白之(まをさく)「亦(また)我(わが)子(みこ)、建御名方(たてみなかた)の神有り。此(こ)を除(お)か者(ば)無(あら)じ[也]。
此の如(ごと)白(まを)し之(し)間(ま)、其の建御名方の神、千引(ちびき)の石(いは)を手末(たなすへ)に擎(ささ)げて[而]来(き)、言はく「誰(たれ)か我が国に来(こ)む[而]。忍忍(をしをし)」此の如(ごと)物言ひ「然らば力競(きほ)は為(す)を欲る。故(かれ)我、先づ其の御手を取るを欲る。」といひき。
故(かれ)其の御手を取ら令(し)め者(ば)、即ち氷(こほり)に成り立たすを取らせ、亦(また)剣の刃に成らすを取らせ、故爾(このゆゑ)に懼(かしこ)みて[而]退(まか)り居(を)り。
爾(こ)は、其の建御名方の神之手を取るを欲り、乞(こ)ひ帰(かへ)して[而]取れ者(ば)、若葦(わかあし)を取る如(ごと)搤(おさ)へ批(う)ちて[而]投げ離(はな)て者(ば)即ち逃げ去りき。
故(かれ)追ひ往(ゆ)きて[而]科野(しなの)の国之(の)州羽(すは)の海に迫到(せめた)り、将(まさ)に殺さむとせし時、建御名方の神の白(まを)さく、
「恐(かしこ)み我(われ)を殺す莫(なか)れ。此の地を除(お)か者(ば)他処(よそ)に不行(いか)ず。亦(また)我が父大国主神之(が)命(みこと)を不違(たが)へず、八重事代主神之(が)言(こと)を不違(たが)へざり。
此の葦原中つ国者(は)、天つ神の御子(みこ)之命(みこと)に隨(したが)ひ獻(たてまつ)らむ。」とまをしき。

 これに、この二神は出雲(いずも)の国の伊那佐(いなさ)の小浜に降り立ち、 十掬剣(とかつのつるぎ)を抜き、波打ち際に逆さに突き立て、その剣の前に胡坐(あぐら)をかいて座り、その大国主(おおくにぬし)の神にこう問いました。 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高木の神がその詔をもって問われるに、『お前が勝手に治めている葦原中つ国は、私の御子が統治する国なるぞ。』と言づけ賜わった。それでお前の考えはどうだ。」 そこで、こうお答え申し上げました。「私目が申し上げることはできません。我が子、八重言代主(やへことしろぬし)の神が申し上げるでしょう。けれども鳥と遊び魚を取ろうとして、美保の岬に行ったままで、未だに帰っておりません。」 このため、天鳥船(あめのとりふね)の神を派遣し、八重事代主(やへことしろぬし)の神を召し出し来させ、問われたところ、その父の大神と話し合った末に、こう申し上げました。「恐れ多くも、この国は天津神の御子に差し上げます。」 そう話すや否や、その船を踏み傾けて、天逆手(あまのさかて)を打ち、青柴垣(あおふしがき)を作り、そこに隠れてしまいました。
 そのため、その大国主の神に問われました。「今お前の子、事代主の神はこのように申した。まだ申すべき子はあるか。」
 ここでまた大国主は申し上げました。「もう一人の我が子、建御名方(たてみなかた)の神がいます。この子を除けば、もうおりません。」 このように申し上げて間もなく、その建御名方の神が、巨大な岩を手の先にささげ持って来て、言いました。「誰が我が国に来ようとしているか。おらおら」このように言い、さらに「それでは力比べをしようではないか。そこで私が、先ずお前の御手を取ることにしたい。」と言いました。 そこで(御雷(みかづち)の神が)その御手を取らせましたが、直ちに氷に成り立ったものを掴ませようとし、また剣の刃に成ったものを掴ませようとし、故に恐怖のあまり、逃げようとしました。 今度は、その建御名方の神の手を取りたいと求め返して取れば、若葦を取るように押え打って投げ放ったので、たちまち逃げ去りました。
 それを追って行き、信濃の国の諏訪の湖で追いつき、まさに殺そうとした時、建御名方の神が申し上げるに、 「畏れながら、私を殺さないでください。ここを置いて、他の場所には行きません。また私の父大国主神の言葉を違えず、八重事代主の神の言葉も違えません。 この葦原中つ国は、天つ神の御子の言いつけに隨い、献上申し上げます。」と申し上げました。


なみのほ(波の穂)…[名-接助-名] 波頭。
さき(先、前)…[名] ①位置が前方。先端。②時間が過去または未来に向かって先。 (万葉集、以下「万」)0251 粟路之 野嶋之前乃 濱風尓 あはぢの のしまがさきの はまかぜに。
まへ(前)…[名] ①場所的に前。②時間的に前。 (万)0894 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 いまのよの ひともことごと めのまへに みたりしりたり。
趺坐(ふざ)…足を組み合わせて座ること。
あぐむ(足組む、趺む)…[自]マ行四段 足を組んですわる。  
うしはく(領く)…[他]カ行四段 (上代語)領有する、(万)1759 此山乎 牛掃神之 従来 このやまを うしはくかみの むかしより。
(魚)…[名] 食用とする魚。
いを(魚)…[名] さかな。
…[動] 召し出す。めす。
めす(召す)…[他] お呼びになる。(万)0159 我大王之 暮去者 召賜良之 明来者 問賜良志 わごおほきみの ゆふされば めしたまふらし あけくれば とひたまふらし。 (私の大王は、夕に召し出され、朝に問いかけられ)
かたぶく(傾く)…[自]カ行四段 傾く。[他]カ行下二 傾ける。
ふし(柴)…[名] しば。
…[助] 語気詞。停頓や感嘆の意を表す。
…[間投助] 詠嘆・強調。
うち-(打ち)…[接頭] 動詞の上について「さっと」「まったく」の意を加える。
なす(成す)…[他] サ行四段 作り上げる。
かき(垣)…[名] かこい。
こもる(籠る、隠る)…[他] ラ行四段 閉じこもる。(万)0923 青垣隠 あをかきごもり。
…[動] 終える。
をふ(終ふ)…[自]ハ行下二 終わる。
…[動] のぞく。
おく…[他]カ行四段 そのままの状態で放置する意。(万)1842 除雪而 ゆきをおきて。
…[動] ささげる。上に向かってささえる。
ささぐ(捧ぐ)…[他]ガ行下二 両手に持って高く差し上げる。(万)4204 吾勢故我 捧而持流 保寳我之婆 わがせこが ささげてもてる ほほがしは。 [ほほがしは=朴(ほお)の木]
たなすゑ(手末)…[名] 手の先。指先。
をし…[感嘆] 天皇や貴人が通るときに先払いの人が注意を促すために言う語。
きほふ(競ふ)…[他]ハ行四段 勇んで張り合う。(万)0302 競敢六鴨 きほひあへむかも。
…[助] (語気詞)感嘆。反語。
まづ(先づ)…[副] 最初に。(万)1653 先咲花乃 まづさくはなの。
わか-(若)…[接頭] (体言の上について)若い。新しい。
…[動] ①おさえる。②力を入れて押さえつける。
…[動] ①うつ。なぐる。②おす。
おさふ(押ふ、抑ふ)…[他]ハ行下二 (万)1002 押止駐余 おさへとどめよ。3295 黄楊乃小櫛乎 抑刺 つげのをぐしを おさへさす。
うつ(打つ)…[他]タ行四段 物を他の者の面に強く打ち当てる。(万)「打つ(うつ)」は無数にある。
せむ(迫む)…[他]マ行下二 近づき寄る。(万)1028 迫有者 せめたれば。
たてまつる(奉る)…[他]ラ行四段 差し上げる。献上する。
かしこむ(懼む)…[自]マ行四段 恐れる。(万)2508 懼見等 かしこみと。
まかる(罷る)…[他]ラ行四段 「出(い)づ」の謙譲語。(万)1019 夷部尓退 ひなへにまかる。

【徴来】
 汉典(漢典、中国Web辞書)に、熟語「徴来」はない。辞書によれば「徴」の古訓に「めす」がある。(類聚名義抄・観智院) 「召し」は「召し集う」「召し寄す」など、接頭語のように使って動作主への尊敬を表す。意味から考えてこの「来」には使役の助動詞「しむ」を補うべきである。

【いなさの小浜】
 「五十」は「いそ」のほか、「」ともよむ。
 書紀の五十田狭之小汀(いたさのおはま)と同じと思われる。[t]は[n]と舌が硬口蓋に当たる場所が同じなので、音韻変化が起こりやすい。 現在、稲佐(いなさ)の浜と呼ばれる海岸が、出雲大社の近くにある。

【逆刺立于浪穂】
 波の穂とは、波頭が砕けて白い泡になった部分である。 ここでは、海岸に打ち寄せる波の先端の、泡立った部分と読み取るのが常識的である。そうでなければ剣を砂に突き立て、その前に座ることはできない。 ただ、神の行為は時に現実を超越するから、海の真っ只中に剣を突き立て切先に胡坐をかくことも不可能ではない。
 なお、書紀では「倒植於地」と、地面に突き立てたと解釈している。

【大国主が示した突然の弱気】
 大国主は、これまで数々の試練を乗り越え、北陸一帯までの国土を制圧した英雄であった。 ところが天照への服属の受け入れを迫られ、その結論を突然事代主らに委ねる。この突然の決定権の放棄は、奇異な印象を受ける。
 事代主は、後述するように、奈良盆地南部の鴨氏が祀る神である。
 鴨氏は<wikipedia>壬申の乱の功臣である鴨蝦夷を出し、天武天皇13年(684年)に朝臣姓を賜与された。</wikipedia> 事代主への権限の賦与は、天御天皇による鴨氏の引立てを引き継いだ結果ではないかと思われる。

【御大之前】
 第69回に少名毘古那(すくなびこな)の神に出会ったのは、大国主が出雲の「御大之御前」にいたときである。 「素戔鳴尊自天而降到・一書6」では、「当飲食」として、食事をする場所(御台)と解釈していたと思われる。
 今回は書紀本文は、三穂之碕(美保之崎)としているので、「御大之前」は「みおほのさき」あるいは「みおほがさき」が音韻変化したと解釈されている。一般には「みほのさき」と読まれている。 書紀はこの語への解釈に揺れがあるので、美保之崎と断定はできないが、少なくともどこかの地名であろうと思われる。

【如取若葦】
 漢文の「若」は、接続詞「もし」など。 「わかい」(=年齢が少ない)は日本語用法。辞書には「同音の「弱」との通用か。上代以後の用法。」とある。
 古事記の時代には、この日本語用法が始まっていたことことを示す例である。

【搤批】
 「中国哲学書電子化計画」、汉典(漢典、中国のWeb辞書)で検索したが、熟語としては存在しない。 従って、二字がそれぞれ単独で和語を表すと思われる。

【語其父大神言】
 「話す」には、言・云・白・告・詔・勅などが使われるが、「」は珍しい。 辞書を見ると「語る」には「親しく交わる」意味もあるので、直接顔を合わせて意見を出し合ったと思われる。 だから、事代主は大国主と御雷が待つ場所まで戻ってきたのである。これは、その前の「徴来」から意味が通る。
 ところが、その後天鳥船で大暴れする。戻って父と話し合った後に、わざわざ船に戻るか、あるいは話し合いの間もずっと船に乗っていたことになり、やや不自然である。 おそらく、二種類の話が混合したのであろう。
 書紀では詰問使が美保の岬に派遣され、事代主はその場で回答を託し直ちに海に飛び込む。そして詰問使がそれを復命する。 この方が流れとして自然なので、書紀は記を訂正したと思われる。

【天逆手】
 一般には、特殊な作法による柏手を打ったと解釈されている。
 ただ、実際には「天の逆手や」と詠嘆の「や」によって強調する以外に、何の記述もない。頼みとする書紀にも、対応する部分がない。
 事代主は船の縁から海中に飛び込み、その反動で船は大きく揺れる。 ここに見える情景は、皇孫に随うことを了承しながら実は全く納得しておらず、大暴れした果てに、海中に飛び込んだ事代主の姿である。 両手を前にして頭から飛び込んだのなら、その手は天と逆の方向を向いているから、「手を天と逆の向きに伸ばし」の意味かもしれない。 しかし、瞬時に海中に青柴垣を出現させるためには、何らかの霊力を持つ行為を必要とするのも確かである。やはり特殊な柏手をしたのだろうか。

【青柴垣】
 連想されるのは、大物主が祀られた場所である。大物主は奈良盆地東部の青垣と呼ばれる山地の三輪山に祀られている。
 それに対して、青柴垣の「(しば、ふし)」は背の低い雑木、または垣を作るために切った小枝を意味する。 事代主は、雄大な青垣とは対照的に、粗末な柴で垣を作り、その中に葬られた(あるいは祭られた)と読みとれるのである。「青垣」と対比しているのであれば、その地は三輪山の近くだと見られる。 後に述べるように、三輪山周辺にいた鴨氏は事代主を祀ってきたという。
 これが元になって、一瞬のうちに海底に青柴垣を造った話になったのかも知れない。
 なお、記には青柴垣の場所は明記されていない。書紀では、飛び込んだ場所の海面下と解釈している。

【八重事代主神】
 記によれば、八重事代主神は大国主が神屋楯比売命第68回との間に生んだ子。
 この事代主神を三穂津姫命と共に祀るのが、美保神社(島根県松江市美保関町美保関)である。 『出雲国風土記』(733年)によれば、嶋根郡(しまねこほり)の美保郷(みほのさと)には、 大国主が高志の国で奴奈宜波比売(ぬなかはひめ)との間に生んだ御穂須々美(みほすすみ)の命がいるという。 (第63回) また、嶋根郡の項には美保神社の社名がある。
 なお、一書2(天照大神之子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊の段)には高皇産霊尊が、その娘の三穂津姫を大物主に嫁がせる話が出てくるが、これについては第79回で考察する。
 美保神社は、<美保神社ご由緒>境内地からは4世紀頃の勾玉の破片や、雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土</ご由緒>することから、原形の祭祀場は少なくとも古墳時代に遡る。 恐らく、三穂津姫は美保神社に古くから祀られていたが、<wikipedia>記紀神話の影響により事代主神</wikipedia>を祭神に加えたと言われる。
 別項のように、事代主神の一番の大本は鴨神社であるとも言われる。

【建御名方神】
 諏訪大社の祭神は、建御名方神と八坂刀売神(やさかとめのかみ)である。 <wikipedia>本来の祭神はミシャグチ神他とされるが、現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われることが多い</wikipedia>とされる。 また<wikipedia>『諏訪大明神絵詞』などの伝承によれば洩矢神(もりやしん、もれやしん)は古来諏訪地方を統べる神であった。しかし建御名方神が諏訪に侵入し争いとなると敗北した。以後、洩矢神は諏訪地方の祭神の地位を建御名方神に譲った。</wikipedia>
 以上から、諏訪大社はもともと土着の神を祀ってきたが、記が書かれてた後は記に書いてあることが優先され、土着の神を押しのけて建御名方神が祭神になったと思われる。 だから、建御名方神は土着の神ではない。 記は、各地の氏族の大和政権への統合を促すために、しばしばその土地の神を尊重しているが、ここは例外である。 そのためかどうか、書紀では本文・一書ともに建御名方神の部分は完全に無視されている。
 ただ、「諏訪」という土地自体に意味があるのかも知れない。というのは、 美濃の国の喪山と諏訪湖を結ぶラインが、大国主勢力と天照勢力が対峙する前線であったと考えることができるからである。

【取成立氷、亦取成剣刃】
 建御名方神が御雷神の手を取ろうとするといきなり腕が氷柱となり突き立ち、続いて剣の刃になり、掴むことができない。漫画『水木しげるの古代出雲』でこの場面を読んだときは脚色だと思ったが、実際には原文自体の表現であった。 時代を超越した発想力には、驚くばかりである。

【実力を行使した神はどちらか】
 剣を突き立ててどっかと座る、あるいは相撲で圧倒的な力を発揮する文の主語は「二神」である。 ただ、相撲をとったのは恐らく御雷神であることは、名前が暗示する。天鳥船神はその船を揺らされるなど今一つ弱いので、船を操舵するなどの役割ではないかと思われる。

【鴨都波神社・高鴨神社】
 鴨氏は高鴨神社周辺の豪族で、弥生時代まで遡る(第68回参照)という。
 鴨都波神社(かもつばじんじゃ、奈良県御所市)は、積羽八重事代主命と下照姫命を主祭神とする。 <wikipedia>事代主神は元々は鴨族が信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源である。一帯は「鴨都波遺跡」という遺跡で、弥生時代の土器や農具が多数出土しており、古くから鴨族がこの地に住みついて農耕をしていた</wikipedia>という。
 また、高鴨神社(奈良県御所市鴨神)の祭神は、阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)=迦毛之大御神(かものおおみかみ) 事代主命(ことしろぬしのみこと)、阿治須岐速雄命(あじすきはやおのみこと)、下照姫命(したてるひめのみこと)、天稚彦命(あめわかひこのみこと)である。
 大国主側の阿治須岐高日子根の神が、出雲地域から遠く離れた鴨氏に共有されているのは、非常に興味深い。
 もちろん、祭神が定められたのは記紀の成立後だろうが、仮にそうだとしても、膨大な数の神々から選ばれたのはなぜだろうか。 また、天照側から裏切者として憎まれた天若彦が加えられているのも特異である。
 その謎に迫るために、まずそれぞれの神の出自を整理してみよう。 阿治須岐速雄命は出雲風土記に出てくる。また、物語の舞台となったいなさの小浜、美保の崎は出雲国内である。 一方、事代主神は出雲風土記には登場しない。鴨氏の主神とされるから、もともと奈良県御所市周辺に祀られていた。
 ということは、出雲勢力の一部が畿内に移入して鴨氏と合流した歴史があり、それに伴い双方の神話が融合したのかも知れない。
 融合した神話が古事記に反映され、国譲りは大国主と、遠く離れた土地にいる事代主の両方の承諾が必要ということになった。 (前述したように、天武天皇の時代の鴨氏への配慮という側面もある)
 従って「御大の前」は、もともとは三輪山を仰ぎ見る土地を意味していたかも知れない。 さらに鴨氏の祖先もまた、戦闘の末に天照勢力に制圧されたのだろう。だからこそ、出雲・鴨氏の神話は容易に融合した。
 仮説としては、古墳時代の直前に大国主勢力は出雲の地で、鴨氏は畿内でそれぞれ弥生時代末に天照勢力に制圧された。その後、出雲から一部の勢力が畿内に移り、鴨氏と合流した。
 その結果、大国主と事代主は連合して天照に抵抗した神と描かれ、奈良盆地南部では事代主命に加えて、新たに阿治須岐高日子根命が鴨氏の神となった。

【日本書紀本文】
二神、於是、降到出雲國五十田狹之小汀、則拔十握劒、倒植於地、
踞其鋒端而問大己貴神曰「高皇産靈尊、欲降皇孫、君臨此地。故、先遣我二神驅除平定。汝意何如。當須避不。」
時大己貴神對曰「當問我子。然後將報。」
是時、其子事代主神、遊行、在於出雲國三穗【三穗、此云美保】之碕、以釣魚爲樂。或曰、遊鳥爲樂。
故、以熊野諸手船【亦名天鴿船】載使者稻背脛、遣之而、致高皇産靈尊勅於事代主神、且問將報之辭。
時、事代主神、謂使者曰「今天神有此借問之勅、我父宜當奉避。吾亦不可違。」
因於海中造八重蒼柴【柴、此云府璽】籬、蹈船枻【船枻、此云浮那能倍】而避之。使者既還報命。

二(ふたはしら)神、於是(こに)、出雲(いづも)の国の五十田狹(いたさ)之(の)小汀(おばま)に降到(おりた)り、則(すなは)ち十握(とかつ)の剣を抜き、地に[於]倒(さか)植(た)たし、
其の鋒(ほこさき)の端(はし)に踞(あぐ)みて[而]大己貴(おほなむち)の神に問曰(とはさく)「高皇産霊(たかみむすび)の尊(みこと)、皇孫(すのみま)を降ろし、此の地を君臨(し)らしむを欲る。故(かれ)、先づ遣(つか)はせられし我(われら)二(ふたはしら)の神、駆除(さきばらひ)し平定(たひらげ)む。汝(なが)意(こころ)や何如(いか)に。当須(すべから)く避(さかる)べきに不(あらず)や。」ととはしき。
時に大己貴の神、対(むか)ひ曰はく「当(まさ)に我が子(みこ)に問はむ。然る後に[将]報(こた)へむ。」といひき。
是の時、其の子(みこ)事代主(ことしろぬし)の神、遊(あそ)び行(ゆ)き、出雲の国の三穗【三穗、此れ美保(みほ)と云ふ。】之碕(のさき)に[於]在り、以(も)ちて魚(いを)を釣り楽(たのし)く為(す)。或(ある)曰はく、鳥と遊び楽く為。
故(かれ)、熊野の諸手船(もろたぶね)【亦の名は、天鴿船(あまのはとぶね)。】を以ち、使者(つかひ)稲背脛(いなせはぎ)を載(の)せ、之(こ)を遣(つか)はして[而]高皇産霊尊の勅(みことのり)を事代主の神に[於]致(いた)らせ、且(また)[将に]報(こた)へむとせし[之]辞(こと)を問はせむ。
時に、事代主の神、使者(つかひ)に謂(まを)さく[曰]「今、天つ神の此れ借問(とは)せし[之]勅(みことのり)有り、我が父[当(まさ)に]避(さか)り奉(まつ)らむはこれ宜(よろ)し。吾(われ)も亦(また)不可違(たがへじ)。」
因(よ)りて、海の中に[於]八重(やへ)の蒼(あを)柴(ふし)【「柴」、此れ府璽(ふし)と云ふ。】の籬(まがき)を造り、船枻(ふなのへ)【「船枻」、此れ浮那能倍(ふなのへ)と云ふ。】を踏みて[而]之(これ)に避(さか)りき。使者(つかひ)、既(すで)に還(かへ)り、報命(かへりまを)しき。
<------------------->
 二神(武甕槌神・経津主神)は出雲国のいたさの小浜に降り、十握(とかつ)の剣を抜き地に突き立て、 その剣の刃の端(はた)で胡坐をかき、大己貴(おほなむち)の神に「高皇産霊(たかみむすび)の尊は皇孫を降らせ、この地に君臨させたい。そこで我々二神が派遣された。我々の任務は先払いして平定することだ。お前の意思はどうだ。もう退くべきではないか。」と問うた。
 大己貴の神は彼らに向かって「まず私の御子に、意向を聞きたい。その後に答えよう。」と言った。
 その時、大己貴の神の御子、事代主(ことしろぬし)の神は遊びに出かけ、出雲国の三穗之碕に滞在し、魚釣りを楽しんでいた。一説には、鳥と遊んでいたとも言う。
 そこで熊野の諸手船(別名天の鳩船)を用意し、使者の稲背脛(いなせはぎ)を乗せ、高皇産霊尊の詔を事代主の神に届け、答を聞いて来いと命じた。
 事代主神は、「ほう、高皇産霊が借問する詔があると…。父が退くというなら、それでよしとしよう。私も背くことはしない。」と答えた。 そして海中に青柴垣を作り、船縁から飛び込み退いたので、使者(稲背脛)は急ぎ戻り、二神に復命した。

五十田狭之小汀(いたさのおはま)…五十狭々小汀(いささのおはま、第69回(一書六)で大国主が少彦名命と出会った場所)と同じと見られる。
…使いの雉がカヅラの木にとまる場面(第73回)の割注に「所立」を「たてる」と訓ませている。
…[名] ほこさき。
すのみま(皇御孫)…[名] 天照大御神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。またその子孫である天皇。
…(万)0619 意者不持 こころはもたず。
…(万)0348 今代尓之 樂有者 このよにし たのしくあらば。
熊野…出雲国風土記によれば、意宇郡に熊野山がある。
諸手船(もろたぶね)…<wikipedia>島根県松江市美保関町の美保神社の神事に用いられる刳舟である。およそ40年に一度造りかえることを旨として受け継がれてきた。</wikipedia>
鴿…[名] ハト科の鳥の総称。ドバトとイエバトに分かれる。
稲背脛(いなせはぎ)の命…伊奈西波岐神社(島根県出雲市大社町鷺浦)に御祭神として祀られる。
借問(しゃくもん)…質問する。
よろし…[形] まあよい。「よし」は申し分なくよいことを表し、「よろし」は要求される水準に大体達していることを表す。(万)0005 珠手次 懸乃宜久 たまたすき かけのよろしく。
まがき(籬)…[名] 竹や柴をあらく編んで作った垣根。
…すでに。(万)2983 既心齒 すでにこころは。

《大己貴の神の御子は、事代主の神のみ》
 書紀本文では、大己貴の神の御子として登場するのは事代主の神のみで、建御名方の神は登場しない。
 さらに、記では神でもある天鳥船を派遣し八重事代主の神を載せて戻るが、書紀本文では稲背脛を詰問使として派遣し、八重事代主の神の返事を復命する。
《記であいまいな箇所への解釈》
 ・二神が剣を突き立てたのは、土の上である。
 ・蒼柴の真垣は、海中に作られたと解釈する。また、「天逆手」は記の編者にも理解できない語であったので、削除したと思われる。
 
【書記一書1】
時二神降到出雲、便問大己貴神曰「汝、將此國奉天神耶以不。」
對曰「吾兒事代主、射鳥遨遊在三津之碕。今當問以報之。」
乃遣使人訪、焉對曰「天神所求、何不奉歟。」

二はしらの神、出雲に降り到(た)る時、便(すなは)ち大己貴(おほなむち)の神に問はさく[曰]「汝(なれ)、[将に]此の国を天神(あまつかみ)にや奉(まつら)む[耶]。以不(いなや)。」
対(むか)ひて曰(まを)さく「吾(あが)児(こ)事代主(ことしろぬし)、鳥を射(い)て遨遊(あそ)び三津之碕に在り。今[当に]問ひ以ちて之に報(むく)はむ。」
乃(すなは)ち使人(つかひ)を訪(たづ)ね遣(し)め、焉(すなは)ち対(むか)ひて曰(まを)さく「天つ神の求めます[所]、何(なに)をか不奉(まつらざ)る[歟]。」とまをしき。

(使者を立て訪ねさせたところ、対して事代主が申すに「天津神が求められますものを、どうして差し上げないことがありましょうか。」と申し上げました。)
遨遊…気ままに遊ぶ。
三津…仁多郡三澤郷の旧名であるが、仁多郡は内陸なので、「碕」がつく地名は考えにくい。「三穂之碕」の誤記か。


まとめ
 出雲の国が舞台とされているが、意外にも三輪山との関係が深い。 高鴨神社に、阿治須岐高日子根命という出雲の神や、天照を裏切って大国主側についた天稚彦命が祭られている理由は、鴨氏が出雲に親近感を持っていた以外考えられない。 第69回で、「三輪山の神は、初期大和政権の神であった可能性が高い」、 また「書紀は、三輪山の神を持て余して出雲に押し付けた」という趣旨を書いたが、実は天照勢力は、先住の鴨族の祖先を攻め、その土地を占拠したのである。  一方、中国地方では大国主勢力が制圧されて初期大和政権が確立した。その後出雲勢力の一部が、初期大和政権の祭祀を担当するために三輪山に移り、その地で暮らしていた嶋氏と友好関係を持った。 彼らは共に先祖が制圧された言い伝えを持っている者同士として、親近感を抱いたのである。だからそれぞれの神、阿治須岐高日子根と事代主が共有された。
 このように考えて見ると、大国主の降伏は出雲が舞台であるが、実は三輪山も隠された舞台である。 歴史的には、地理的にも時間的にも別個の戦争であろうが、神話では融合したのである。
 以上の考えは、数々の不可解な点、
 大国主が、自分では判断しきれずに事代主の意思の確認を要した。
 事代主のいた美保の崎が「御大の前」と表記される。
 海底に靑柴垣を瞬時に作るという不自然なエピソードを挿入した。
 記では正体不明だった三輪山の神を、書紀一書で大国主と同一神である大物主に仕立て上げた。
 天照側にダメージを与えた出雲側の神を、鴨氏がこれ見よがしに祀っている。
 の意味を考えるうちに導き出されたものである。


2014.09.16(火) [079] 上つ巻(国譲り9)

故更且還來問其大國主神
汝子等 事代主神建御名方神二神者 隨天神御子之命勿違 白訖故 汝心奈何
爾答白之 僕子等二神隨白 僕之不違 此葦原中國者隨命既獻也
唯僕住所者 如天神御子之天津日繼所知之登陀流【此三字以音下效此】天之御巢而
於底津石根宮柱布斗斯理【此四字以音】於高天原氷木多迦斯理【多迦斯理四字以音】而
治賜者 僕者於百不足八十坰手隱而侍
亦僕子等百八十神者 卽八重事代主神爲神之御尾前而仕奉者 違神者非也

故(かれ)更に且(ま)た還(かへ)り来たりて、其の大国主(おほくにぬし)の神に問はさく、
「汝(なが)子等(ら)事代主(ことしろぬし)の神、建御名方(たてみなかた)の神の二(ふた)はしらの神者(は)天神(あまつかみ)の御子(みこ)之(の)命(みこと)に隨(したが)ひ勿違(たがはず)と白訖(まをしき)。故(かれ)、汝が心や奈何(いか)なる。」
爾(こ)に答へて白之(まをさく)「僕(やつかれ)の子等(ら)二はしらの神隨(したが)ふと白(まを)し、僕(やつかれ)之(これ)を不違(たがへ)ず、此の葦原中つ国者(は)命(みこと)に隨(したが)ひ既(すで)に獻(まつら)む[也]。
唯(ただ)僕(やつかれ)の住む所(ところ)者(は)、天神(あまつかみ)の御子(みこ)之(の)天津日継(あまつひつぎ)の知(し)ろしめし[所之]登陀流(とだる)【此の三字(みもじ)音(こゑ)を以(も)ち、下(した)此れに效(なら)ふ。】天之御巣(あめのみす)に如(し)きて[而]、
底津石根(そこついはね)に[於]宮柱布斗斯理(ふとしり)【此の四字、音を以ちてす。】高天原に[於]氷木(ひき)多迦斯理(たかしり)【「多迦斯理」四字音を以ちてす。】て[而]、
治(をさ)め賜(たま)へ者(ば)、僕(やつかれ)者(は)百不足(ももたらず)八十(やそ)坰(くま)手(て)を[於]隠(こも)りて[而]侍(はべ)らむ。
亦(また)僕(やつかれ)の子等(ら)百八十(ももはしらあまりやそはしらの)神(かみ)者(は)、即ち八重事代主(やへことしろ)の神、神之御尾(みを)の前(さき)に為(し)て[而]仕(つか)へ奉(まつ)らせ者(ば)、違(たが)ふ神者(は)非(あら)ざり[也]。」

 そこで、(諏訪の地から)再び戻り、待機していた大国主(おおくにぬし)神に問いました。 「お前の子ら、事代主(ことしろぬし)神、建御名方(たてみなかた)神の二神者は天津神(あまつかみ)の御子の言いつけに従い、違えることはないと申された。それではお前の意思はどうだ。」
 この問いにお答え申し上げました。「私の子ら二神は従うと申し上げました。私は、これを違えず、この葦原中つ国は御子の言いつけに従い、すべてを差し上げましょう。 ただし、私の住む所は、天津神の御子の天津日嗣が治める世のご立派なご住いと同じぐらいに、 地の底の岩に宮柱を太くし、高天原まで千木が高く達する宮とし、 統治していただければ、私は 国土の隅々の多くから身を引き、お仕え申し上げます。 また私の子ら百八十[=数多い]神は、そのまま八重事代主が、神々の端に加えさせ、お仕え申し上げさせますので、違える神はありません。」


すでに(既に)…[副] ①もはや。②すべて。③確かに。 (万葉集、以下「万」)2986 既心齒 因尓思物乎 すでにこころは よりにしものを。 3923 天下 須泥尓於保比氐 布流雪乃 あめのした すでにおほひて ふるゆきの。
…[副] ①なかれ。②しない。[動] 存在しない。
…[動] ①終える。終わる。②いたる。
あまつひつぎ(天つ日嗣)…[名] 天照大御神の系統を継承すること。天皇の位。
とだる…[自]ラ行四段 意味不詳。
ふとしる(太知る)…[他]ラ行四段 宮殿などの柱をしっかり立てる。
たかしる(高知る)…[他]ラ行四段 宮殿などを立派に造営する。
ひき(氷木)、ちぎ(千木)…[名] 神社建築の棟の両端に、交差させて突き出させた長い二本の木。
…[名] 遠い土地。
まへ(前)…[名] ①(場所、時間)前。②貴人の前。
さき(先・前)…[名] ①(位置)先頭。前方。②(時間)以前。

【如】
ごと(如)…61
ごとし(如)…8、(如之)…2
ごとき(如)…2、(如来、如寸)…各1
ごとく(如)…12、(如久)…10
しかず(不如)…4
なす(如)…1[注1]
かく(如此)…41、(如是)…66、(如)…1
もころを(如己男)…1[注2]
なにか、なにぞetc.(何如)…13、(如何)…6
いかに(何如)…7、(如何)…18
[注1](万)3336 哭児如=なくこなす。
[注2]「自分に匹敵する男性」の意。

 「如天神御子之…」の大まかな意味は、「大国主の住処は、天の日嗣の宮殿に匹敵して、巨大である」である。 「如」を「ごとし」とよみ、その連用形を接続助詞「て(而)」につなぐと「ごとくて」となる。 そこで万葉集にある「」を詳しく調べたのが右の表だが、「~ごとくて」と並列させる例は一例もない。「ごとく」は、すべて単独で動詞を形容する。 (0239 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 ひさかたの あめみるごとく まそかがみ あふぎてみれど。など)
 「ごとくて」を避けるためには、「而」を置き字とする。動詞「す」を入れて「ごとくして」とする。「如くなり」を用いて「ごとくにて」とする。 「如し」と同じ意味の動詞「しく(如く、若く、及く)」を用いる。万葉集の僅かな用例の「なす」を用いる。の何れかである。 ところが、いずれも一長一短がある。
 は、ほとんど「而=て」と訓み、置き字にならない。
 は漢文訓読調になってしまうので、飛鳥時代には違和感がある。ただ、「ごとく」の後ろには動詞が来るので、「ごとく為(す)」もないとは言いきれない。
 は平安時代に「ごとし」の活用の不完全を補うために使われるようになったとされる。
 は、万葉集で「如」の文字を使った例は「不如(しかず)」だけであるが、万葉仮名の「しく」はある。(万)0803 銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母 しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも。 (銀も金も玉も何為むに優れる宝子に如かめやも=どのような金銀宝石も、宝子に及ぶことがあろうか)
 万葉集以外の文例が辞書にある。(枕草子=平安時代)節(せち)は五月にしく月はなし(五月の節句に及ぶ月はない)
 は本居宣長による。「なす」の持つ幅広い意味の中に比況も含まれるのは明らかだが、長い節を受けて「それに匹敵する」という文意を的確に表すためには、「なす」では漠然としすぎている。その上、万葉集では特殊な例である。
 ところで「如」の目的語に、こんなに長い節があり得るかという疑問が湧くが、万葉集には長い目的語を伴う例がある。 (万)0210 吾二人見之 趍出之 堤尓立有 槻木之 己知碁知乃枝之 春葉之 茂之如久  わがふたりみし はしりでの つつみにたてる つきのきの こちごちのえの はるのはの しげきがごとく。 (我ら2人が見た山から突出した堤に立つ槻木(つきのき)のあちこちの枝の春の葉の茂る如く)

【所】
 「」は万葉集では、多くは動詞の連体形を示す置き字である。(3264 所佐國叙 たすくるくにぞ。など)、 場所を表す「ところ」を表すのは「処」が多いが「所」もある。(1267 百師木乃 大宮人之 踏跡所 ももしきの おほみやひとの ふみしあとところ。など)

【隠】
 万葉集で、「」のよみは、 (万)0079 隠國乃 こもりくの。0092 秋山之 樹下隠 逝水乃 あきやまの このしたがくり ゆくみづの。
 このように「こもる」「かくる」がある。ここではどちらもあり得る。

【治賜者】
 接続助詞「」は、未然形「賜は」に続けば仮定条件(まだ現実化していない。起こり得る可能性がある場合を含む)。 しかし、已然形「賜へ」でも、恒常条件(現実とは無関係に、論理的な関係を示す)の用法があるので「治め賜へば」でもよいと考えられる。

【為神御尾前】
 この「」は「神の尾」として尊敬表現されるから、事代主神ではなく、天神である。
 「」はこの場合、天の神々の末席を指す。「」は、万葉集に「さき」と「まへ」の両方のよみがある。 『古典基礎語辞典』によれば、「さき」は地形や物の突き出た先端が原義で、進んでいく先端の意味がある。 「まへ」は「目(め)+方(へ)=目が向いている方向」で、正面、前方を表す。 ここでは百八十神が天の八百万神の端に加わることを表すので、「さき」が適当である。
 動詞「為」は、事代主神が百八十神に、天神の末席に加わるよう「命ず」ことを意味する。
 一書2を見ると、経津主が掃討作戦を行い、帰順した神は大物主・事代主が統率して天に昇らせ、忠誠を誓わせる。 昇った神は、「八百万神の末席に加わり天神に従う」ことになるだろう。記ではそれを「為神御尾前(かみのみをのさきとす)」と表現したと考えられる。

【皇孫の住処の如し】
 杵築大社(現出雲大社)には、飛鳥時代から鎌倉時代まで、高さ48mの大神殿が建っていたという話題は第61回で取り上げた。 この神殿に比定される社については、書によって様々に書かれる。
《出雲国風土記》
 神魂命(かみたまのみこと)は「私は、天日栖宮の縦横の寸法を測り、たく縄(コウゾの樹皮で作った白い縄)の結び目の数でその寸法を表したものを 地上に降ろし、大国主の大きな宮を作って差し上げよう。」と言った。(第63回)
 つまり、高天原の天日栖宮(恐らく天照の宮殿)を模して、地上で現実化したものが、杵築大社である。
《記》
 大国主は「これから地上を治める天孫と、その血統を継ぐ代々の天皇の住居の如き、立派な宮に住みたい」と主張する。
 この文を裏付けるように「於底津石根宮柱布斗斯理、於高天原氷椽多迦斯理」と表現される宮はもう一つ、 番能邇邇藝命(天照の孫)が降臨したときに造られる。
 風土記で「日栖宮(天照の御巣)を模した」とされた部分が、記では「天孫や天皇の宮と同規模」に置き換えられている。
《紀本文》
 大国主に住居を提供した話には、一切触れられていない。大国主に譲歩したことを本文に入れることを嫌ったと思われる。大国主への宮殿の建造は、参考資料として一書2に織り込んでいる。
《一書2》
 一書2では天日隅宮そのものが、高皇産霊尊によって大国主に与えられる。それは庭園が大国主が遊ぶ海まで囲む大規模なものである。 ここでは、天照や天孫の住処を引き合いに出すこともせず、純粋に大国主のために建造する。 大国主への好意を最大限に示すために、天孫との比較を止めたとも考えられる。

【僕者於百不足八十坰手隠】
 「僕者於百不足八十坰手隠」をそのまま訳せば「私は多くの坰手(=僻地の手)に於いて身を隠す」である。 この文を意味するところを、書紀や『出雲国風土記』(以下「風土記」)と比較して探る。
《一書2》
 高皇産霊尊は「汝所治顕露(あらはに)之事、宜是吾孫治之。汝則可以治神事。(お前が担ってきた現実の統治は、天孫が引き継ぐ。お前は神事を治めよ。)と命じる。 大己貴神(=大国主神)は「吾所治顕露事者、皇孫当治。吾将退治幽事。(私が現実に統治してきた事は皇孫に治めさせる。私は退き、目に見えない事を治める)と言い、 現実政治から退き、宗教的な心の支配を担当することになる。
《風土記意宇郡(おうのこほり)母理郷(もりのさと)
我造坐而 命國者 御皇孫命 平世 所知依奉 但八雲立出雲國者我静坐國
 我が造り坐して命(みこと)する国は、御皇孫(すめみま)の命の世を平(たひら)げ知依(しろしめ)し奉(たま)ふ所なり。 但、八雲立つ出雲(いづも)の国は、我が静(しづ)まり坐す国なり。
 一書2と風土記は、大国主が国の統治を天孫に引き渡すことは明確である。 その後の大国主の役割は、一書2では宗教の支配者を務め、 風土記では、出雲国に鎮座し支配者であり続ける。
《百不足》
 書紀本文と記にある「百不足」は八十などにかかる枕詞であるが、暗黙裡に「出雲の国は例外」 とする風土記の留保を意味すると読み取れる。(詳しくは別項)
《坰・隅》
 「八隅知し(やすみしし)」という掛詞がある。
 (万)0036 八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 やすみしし わごおほきみの きこしをす あめのしたに。
 のように「我ご大王」にかかり、国の隅々までお治めになる、の意味である。 「くま(隅)」と訓んだ場合も、「辺鄙なところ」の意味がある。 だから「くま(隅)」は国の隅々を意味する。
 書紀本文の「(くまで)」は、記の「坰手」を継承したものである。書紀の編者は「坰手」を「くまて」と訓んだと思われる。 「」には「手勢」や「手段」の意味があるので、「くま手」は国土の隅々まで配された直轄兵力、あるいは行政機構と読める。
《書紀本文》
 以上のように、「くま手=国土の隅々まで行き渡った統治」であるが、書紀本文はそれを明確にするために、その文の前に「これまで大己貴(=大国主)が国を治める為に効力を発揮した矛を、天孫に授ける」という文を挿入した。 そしてもう一文字「」を挿入して、「当於百不足之八十隅」としている。 「当」は助動詞「べし」のための置き字が多いが、ここでは「該当する」という動詞である。省略された目的語「此矛」を補足し「当此矛於百不足之八十隅」(この矛を百足らず八十すみ手に当(あ)つこの矛を国の統治に役立てる)とすれば、意味は明確になる。
《記》
 記の原文に「奉天神御子」を補うと明確になる。
 「僕者於百不足之八十坰手奉天神御子而隠」(僕(やつかれ)は百足らず八十隅手を天つ神の御子に奉(まつ)りて隠れむ。私は国土の統治の大半を天照の御子に献上し、隠れよう。)
 なお、書紀では献上する相手は「天孫」であるが、記は「天神御子」である。それは、天津御子(正勝吾勝勝速日天忍穗耳命)が、もっと後になってから孫(邇邇芸命)に降臨の役を譲るからである。

【本居宣長の解釈】
《如》
 前述したように、「如~而」を「なして」と読んでいる。ただ彼の解説文の中では「天神の御巣の如くにと乞ひ白(まを)したまふ」と書き、大国主が天照(あるいはその日嗣)の住居と同じ規模のものを要望したと読み取っている。
《八十坰手》
 宣長は「八十隅=多く曲がりくねった」、「手(て)=道(ち、上代の発音は〔tⅰ〕」とし、黄泉に続く曲がりくねった道と解釈した。だから「大国主は黄泉の国に隠れた」とする。 だが、黄泉の神のために天孫の住居と同じ大神殿を建てるのは、不自然に思える。 書紀を素直に読めば、天神の意志は、現実政治は天孫が担い、それを内面から支える人民の心の支配を大国主が担うことである。精神面の支配者は黄泉ではなく、堂々と日の当たる場所に立てばよい。 実際、出雲大社は今日に至るまで表舞台で多数の参拝者を集めている。
 確かに宣長が言うように「くま」には「曲がりくねった」意味があるが、他に「辺境の地」の意味がある。 ここで記に立ち戻ると、のつくりは(区切り)+(領域)の会意で、遠い国の境界を意味する語である。だから、書紀の「くま」は「辺境の地」を引き継いだものである。 従って「八十隅」の隈は、「八隅知之吾大王」の隅であるのは決定的である。
《日継》
 宣長は、何を「継ぐ」のかにこだわり、それは稲作であるとしている。 「日嗣」の意味は「国を知ろしめす地位を継承する」だけで十分だと思われるが、敢えて稲作にこだわるのは次の「とだる」に繋がるからである。
《とだる》
 宣長は、次の段で高天原まで煤が昇ると書いてあるところに注目する。竈から上がる煙は人民の豊かな生活の象徴で、それを「富(とみ)足る」という。天の御巣も、同様に「煙が上がるところに豊かさがある」から「とだる」(と=「とみ」の短縮形)だと解釈する。 ただ、「高天原まで煤が昇る」を豊かさと読み取るのは無理がある。これについては、第八十回に取り上げる。

【百足らず】
 「百足らず」は数値八十などに係る枕詞である。 枕詞とは、「一定の語句に冠してこれを修飾し、または語調を整える言葉」とされる。 例えば「波雲の愛(うつく)し妻」の「波雲の」は意味のある修飾語であり、使われる度に「波や雲のように美しい」感情を呼び起こす。
 それでは「百足らず」は語調のみか、意味を伴うか。その用例から探ろう。
 (万)0427 百不足 八十隅坂尓 手向為者 過去人尓 盖相牟鴨 ももたらず やそくまさかに たむけせば すぎにしひとに けだしあはむかも。  (たくさんの曲がり角に花を手向ければ、亡くなった人に会えるかも知れない)
 この歌では、語調を整えるだけかも知れないが、 仮に意味を持つとすると、「もっと多くの隅に供えたい」と「これくらい多くの隅に供えれば十分である」という正反対の解釈があり得る。 なおこの歌は、宣長が「八十隈」を黄泉への道とする根拠にした歌である。
 八十から拡張し「や」のつく語にかかる場合がある。
 (万)3276 百不足 山田道乎 浪雲乃 愛妻跡 不語 別之来者 ももたらず やまだのみちを なみくもの うつくしづまと かたらはず わかれしくれば。
 「山田の道」は藤原宮の大路で、県道桜井明日香吉野線の南側に発見されたという発表が2007年に行われた。 ここの「ももたらず山田の道」には「妻と別れる前にもっと話をしてくればよかった」という物足りなさの発露が感じられる。
 このように「百足らず」には、確かに「まだ満ちていない」意味合いを醸す場合がある。

【隠而侍】
 「侍(はべ)り」は謙譲語であり、補助動詞としても使われる。この場合は「而」によって「隠」と分離されるから、独立して「お仕えする」意味になる。一書2によれば、大国主は国の統治権の大半を献上した後も、宗教の力で人民の心を支配し、また帰順した神々を束ねる役割を科せられている。 「而侍」(そして侍る)は、その役割を表現するものである。 従って「」は、死、または「神として静的に祀られる」ことを意味しない。あくまでも、あらわな統治から身を引くだけである。
 なお、事代主も同様に、海中の青柴垣に飛び込み、死んだように印象付けられるが、その後、天神に帰順した国神の勢力を統率管理する役目を与えられる。(一書2)

【日本書紀本文】
故、大己貴神、則以其子之辭、白於二神曰
「我怙之子、既避去矣。故吾亦當避。如吾防禦者、國內諸神必當同禦。今我奉避。誰復敢有不順者。」
乃以平國時所杖之廣矛、授二神曰
「吾、以此矛卒有治功。天孫若用此矛治國者、必當平安。今我當於百不足之八十隅、將隱去矣。」【隅、此云矩磨泥。】言訖遂隱。
於是、二神、誅諸不順鬼神等、
【一云、二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。 故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未。】
果以復命。

故(かれ)、大己貴(おほなむち)の神、則(すなは)ち其の子之辞(こと)を以ち、二(ふた)はしらの神に[於]白(まを)さく[曰]、
「我が怙之(たのみし)子、既(すで)に避去(さりにし)矣(かな)。故(かれ)吾(あれ)亦(また)[当に]避(さ)らむ。吾(あが)如(ごと)防禦(ふせ)か者(ば)、国(くに)の内(うち)の諸神(もろがみ)必(かなら)ず[当]同(おや)じく禦(ふせ)くべし。今我(われ)避(さ)り奉(まつ)らむ。誰(たれ)か復(また)敢(あへ)て不順(まつろは)ぬ者(もの)有(あ)らむ。」
乃(すなは)ち国を平(たひら)げし時、杖(つゑつ)きし[之][所の]広(ひろ)矛(ほこ)を以ち、二(ふた)はしらの神に授(さづ)け曰(いは)く
「吾(あれ)、此の矛を以(も)ち卒(ことごと)く治(をさ)むに功(いさを)有り。天孫(あまつひこ)若(も)し此の矛(ほこ)を用(も)ち国を治(をさ)め者(ば)、必(かなら)ず[当に]平(たひら)ぎ安(やす)らかならむ。今我、百不足(ももたらず)[之]八十(やそ)隅(くまて)を[於]当て、[将に]隠(こも)り去(さ)らむ矣(かな)。」【「隅」、此れ矩磨泥(くまて)と云ふ。】と言ひ訖(を)へ遂(つひ)に隠(こも)りき。
於是(こに)、二はしらの神、諸(もろもろ)の不順(まつろはざ)る鬼神(しこのかみ)等(ら)を誅(ころ)し、
【一云(あるいはく)、二はしらの神、遂(つひ)に邪(よこしま)なる神及(と)草木(くさき)石(いは)の類(たぐひ)を誅(ころ)し、皆(みな)已(すで)に平(たひら)げ了(り)。其の不服(まつろはざ)る[所]者(は)、唯(ただ)星神香香背男(ほしのかがせを)耳(のみ)。 故(かれ)加(さら)に倭文神(しづりがみ)建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣(つか)はせ者(ば)則(すなは)ち服(まつろ)ひき。故(かれ)二はしらの神天(あま)に登りき[也]。「倭文神」、此れ斯圖梨俄未(しづりがみ)と云ふ。】
果以(はてに)復命(かへりまをし)き。

 そこで、大己貴(おおなむち)の神、ただちにその子の言葉により、二神に申し上げました。 「私の頼みの子は、既に避(さ)ってしまいました。よって、私もまた避りましょう。私を防御したのですから、同じようにすれば、国内の諸神は必ず同じく防げましょう。これで私は避らせていただきます。誰がまた、敢て順(したが)わざる者がおりましょうや。(反語)」
 そして国を平定した時、杖として用いた広矛を以って、二神に授けて言いました。 「私は、この矛によって、悉く治めるのに功が有りました。天孫がもしこの矛を用いて国を治めれば、必ず平安を維持できるでしょう。今私は、国の多くの隅々の統治を天孫に担っていただき、隠れ去りましょう。」と言い終え、遂に隠れました。
 これによって、二神はもろもろの順(したが)わざる強力な神どもを誅殺し、 【別説では、二神は、遂に邪(よこしま)な神や草木、岩の類を誅殺し、皆平定し終えました。それでも不服従な者は、ただ星神香香背男(ほしのかがせお)のみでした。 そこで更に倭文神(しずりがみ)建葉槌命(たけはずちのみこと)を遣わしたので、やっと服従しました。そして二神は天に登りました。】 その果てに、復命しました。

…[動] たのむ。すがる。たよる。[名] 父。
たのむ…[他]マ行下四 信頼する。(万)0774 諸弟等之 練乃言羽者 吾波不 もろとらが ねりのことばは われはたのまじ。
にき…[助動+助動] 助動詞「ね」の連用形+完了の助動詞「き」。完了を表す。(万)0047 過去君之 すぎにしきみが。
…[動] ふせぐ。
かな…[終助] 詠嘆。
おやじ(同じ)…[形]シク (上代語)「おなじ」の古形。(万)0956 日本毛此間毛 同登曽念 やまともここも おやじとぞおもふ。
いさを(功、勲)…[名] 手柄。功績。
もつ…[他] (万)0319 落雪乎 火用消通都 ふるゆきを ひもちけちつつ。
…[名] すみ。
天孫…『倭名類聚抄』によれば、孫は「うまご」あるいは「ひこ」である。天孫=邇邇芸命(ににぎのみこと)の上につく「あまつひこひこ」は「天つ孫(ひこ)」に由来すると思われる。
…辞書によれば、古訓も「おに」とされる。一方、万葉集には「おに」はない。(万)0117 鬼乃益卜雄 しこのますらを。なお、この歌の文意は、「片思いに応えてくれない憎いますらお」である。
…(万)0079 隠國乃 こもりくの。0092 秋山之 樹下隠 逝水乃 あきやまの このしたがくり ゆくみづの。
まつろふ(服ふ、順ふ)…[自]ハ行四段 服従する。(万)0199 不奉仕 國乎治跡 まつろはぬ くにををさめと。


【一書1】
故、大己貴神、以其子之辭、報乎二神。二神乃昇天、復命而告之曰「葦原中國、皆已平竟。」
故(かれ)、大己貴(おほなむち)の神、其の子之辞(こと)を以ち、二(ふた)はしらの神に報(こた)へし乎(や)。二はしらの神乃(すなは)ち天(あめ)に昇り、復命(かへりまを)して[而]告之曰(のらさく)「葦原中つ国、皆(みな)已(すで)に平(たひら)げ竟(を)へり。」

【一書2】
 長文であるが、大国主に引退を迫った後。どのような待遇を与えたかを見る上で重要なので、全文を読む。
一書曰、天神、遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。
時二神曰「天有惡神、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。」
是時、齋主神、號齋之大人。此神今在于東國檝取之地也。
既而二神、降到出雲五十田狹之小汀而問大己貴神曰
「汝、將以此國、奉天神耶、以不。」對曰「疑、汝二神、非是吾處來者。故不須許也。」

一書曰(あるふみにいはく)、天神(あまつかみ)、経津主(へつぬし)の神と武甕槌(たけみかづち)の神とを遣(つかは)し、葦原中国(あしはらなかつくに)を平(たひら)げ定(さだ)め使(し)む。
時に二(ふたはしらの)神曰はく「天(あめ)に悪しき神有り、名を天津甕星(あまつかみぼし)と曰ひ、亦(また)の名を天香香背男(あまのかがしを)といふ。先(ま)づ此の神を誅(ころ)し、然後(しかるのち)に下(くだ)り葦原中つ国を撥(をさ)むを請(こ)ひたてまつる。」
是(この)時、斎主(いはひ)の神、斎之大人(いはひのうし)と号(なづ)く。此の神今に東国(あづま)の楫取(かとり)之地に[于]在り[也]。 既(を)へて[而]二はしらの神、出雲の五十田狹(いたさ)之(の)小汀(をはま)に降り到(た)りて[而]大己貴(おほなむち)の神に問(と)はさく[曰]、
「汝(なれ)、[将に]此の国を[以ち]、天神(あまつかみ)にや奉(まつ)らむ[耶]、以不(いなや)。」対(むか)ひて曰はく「疑(うたがわしきや)、汝(なむち)ら二(ふたはしらの)神、是(こ)の吾(あが)処(ところ)に来(こ)む者(もの)に非(あら)ず。故(かれ)不須許(ゆるさじ)[也]。」

於是、經津主神、則還昇報告、時高皇産靈尊、乃還遣二神、勅大己貴神曰
「今者聞汝所言深有其理故、更條而勅之。夫汝所治顯露之事、宜是吾孫治之。
汝則可以治神事。又汝應住天日隅宮者、今當供造。
卽以千尋𣑥繩結爲百八十紐、其造宮之制者、柱則高大、板則廣厚。
又將田供佃。又爲汝往來遊海之具、高橋・浮橋及天鳥船、亦將供造。
又於天安河、亦造打橋。又供造百八十縫之白楯。又當主汝祭祀者、天穗日命是也。」

於是(こに)、経津主神、則(すなは)ち還(かへ)り昇(のぼ)り報告(かへりまをし)、時に高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、乃(すなは)ち二(ふたはしらの)神を還(かへ)し遣(つか)はし、大己貴の神に勅(の)らさく[曰]、
「今者(は)汝(なれ)の言ふ[所]に深く其の理(ことわり)有るを聞きし故(ゆゑ)更に條(すぢ)して[而]之を勅(の)らす。夫(それ)汝(なむぢ)の顕露(あらはに)治(をさ)めし[所の][之]事(こと)、宜(よろし)く是(これ)吾(あが)孫(すめみま)[之を]治(をさ)めむ。
汝(なれ)則(すなは)ち以ちて神事(かむごと)を治(をさ)む可し。又(また)汝(なむち)天日隅宮(あめのひすみのみや)に住む応(べ)けれ者(ば)、今[当(まさ)に]造り供(たてまつ)らむ。
即ち千尋(ちひろ)の栲縄(たくなは)を[以ちて]百八十(ももあまりやそ)の紐(ひも)に結ひ為(な)し、其の造宮(みやづくり)之(の)制(さだめ)者(は)、柱(はしら)則(すなは)ち高く大(おほ)く、板(いた)則ち広く厚し。
又[将に]田に佃(つくだ)を供(たてまつ)らむ。又汝(なむち)の往来(いきき)し、海に遊(あそば)す[之]具(そなへ)と為(し)、高橋(たかはし)と浮橋(うきはし)及(と)天鳥船(あめのとりふね)、亦[将に]造り供(たてまつ)らむ。
又天安河(あめのやすかは)に[於]、亦打橋(うちはし)を造りたてまつらむ。又百八十縫(ももぬひあまりやそぬひ)之(の)白楯(しらたて)を造り供(たてまつ)らむ。又[当に]汝(なむち)を祭祀(まつらむ)[主]者(は)、天穗日(あめのほひ)の命、是(これ)ぞ[也]。」

於是、大己貴神報曰「天神勅教、慇懃如此。敢不從命乎。
吾所治顯露事者、皇孫當治。吾將退治幽事。」
乃薦岐神於二神曰「是當代我而奉從也。吾將自此避去。」
卽躬披瑞之八坂瓊、而長隱者矣。故經津主神、以岐神爲鄕導、周流削平。
有逆命者、卽加斬戮、歸順者、仍加褒美。是時、歸順之首渠者、大物主神及事代主神。
乃合八十萬神於天高市、帥以昇天、陳其誠款之至。
時高皇産靈尊、勅大物主神
「汝若以國神爲妻、吾猶謂汝有疏心。故今以吾女三穗津姬、配汝爲妻。宜領八十萬神、永爲皇孫奉護。」

於是(こに)、大己貴の神報曰(こたへまをしたまはく)「天つ神の勅教(みことのらす)、此の如(ごと)慇懃(ねむころ)ぞ。敢へて命(みこと)に不従(したがざ)る乎(や)。
吾(わが)顕露(あらはに)事(こと)を治(をさ)む[所]者(は)、皇孫(すまらま)の[当に]治(をさ)めたまはむ。吾(あれ)[将に]退(まか)り幽(かく)りて事を治(をさ)めむ。」
乃(すなは)ち岐神(ふなとのかみ)を薦(すす)め、二はしらの神に[於]曰(まをさ)く「是れ[当に]我(われ)に代(か)はらして[而]従(したが)ひ奉(たてまつ)らむ[也]。吾(あれ)[将に]此(ここ)自(よ)り避(さか)り去(い)なむ。」
即ち躬(み)に瑞之八坂瓊(みづのやさかに)を披(ひら)きて[而]長く隠(かく)れ者(ば)矣(や)。故(かれ)経津主神、[以]岐神を郷導(さとびき)と為(し)、流れを周(めぐ)り削り平げり。
命(みこと)に逆(さか)ふもの有れ者(ば)、即ち加斬戮(き)り、帰(かへ)り順(したが)ふものあれ者(ば)、仍(すなは)ち加褒美(ほ)む。是の時、帰(かへ)り順(まつろ)ひしもの之(の)首渠(かしら)者(は)、大物主(おほものぬし)の神及(と)事代主(ことしろぬし)の神ぞ。
乃(すなは)ち天高市(あめのたけち)に[於]八十万神(やそよろづのかみ)を合はせ、帥(ひき)ゐ[以ちて]天(あま)に昇らせ、其の誠款(まこと)之(の)至(いた)りたてまつるを陳(まを)しき。
時に高皇産霊尊、大物主の神に勅(の)らさく、
「汝(なむち)若し[以]国つ神を妻と為(せ)ば、吾(われ)猶(なほ)汝(な)に疏(うとまし)き心有りと謂(おも)はむ。故(かれ)今、[以]吾(わ)が女(むすめ)三穂津姫(みほつひめ)を、汝(なれ)に配(あは)し妻と為(せ)む。宜しく八十万の神を領(ひき)ゐ、永く皇孫(すめみま)を護(まも)り奉(まつ)ら為(せ)よ。」
(中略)
齋主、此云伊播毗。顯露、此云阿羅播貳。
斎主、此れ伊播毗(いはひ)と云ふ。顯露、此れ阿羅播貳(あらはに)と云ふ。
 天神(あまつかみ、=高皇産霊尊(たかみむすびのみこと))、経津主(へつぬし)の神と武甕槌(たけみかづち)の神とを派遣し、平定葦原中国(あしはらなかつくに、=地上の国)を平定するよう、命じた。 けれども、二神は「また天に悪神がいて、名を天津甕星(あまつかみぼし)、別名、天香香背男(あまのかがしを)、先ずはこの神を誅殺し、その後に地に降り、葦原中つ国を平定するよう、お願いしたいのです。」 この時、斎(いつき)の神を、斎之大人(いはひのうし)と名付けた。この神は現在の東国、楫取[香取神社が残る]の地にある。
 (天津甕を)平らげ終え、二神は出雲の五十田狹(いたさ)の)小汀(おばま)に降り、大己貴(おほなむち)の神に問うに、 「お前はこの国を、天津神に差し上げよ、いやか。」
 大己貴が答えるに「信じられぬ。お前ら二神は、この私の国に来てもよい者ではない。許さぬぞ。」
 そこで、経津主神はそのまま帰り昇り、報告を差し上げたところ、高皇産霊尊は、二神を再び派遣され、大己貴の神に詔を発するに、 「今、貴殿の言葉を聞き、深き理(ことわり)有りと受け止めた。そこでもう一度筋を通してこれを勅(ちょく)す。貴殿が実地に事を治めてきたところを、うまく私の皇孫に引き継がせ、治めさせたい。 よって貴殿は、神事を司るものとする。また、貴殿は天日隅宮(あめのひすみのみや)に住むものとし、これより建造して提供する。 即ち、長大な栲縄(たくなは=白い縄)を多数の紐に結い、その造営の定めは、柱は高く太く、板は広く厚くするものである。 また、田を営田(つくだ)として提供する。また貴殿が行き来し、海に遊ぶ設備として、高橋、浮橋そして天鳥船(あめのとりふね)、これらも造り提供する。 また天安河(あめのやすかは)に、打橋(うちはし)を造る。また多くの白楯(しらたて)を造り提供する。また貴殿を祀る宮の祭司として、天穗日(あめのほひ)の命を任ずるものである。」
 これを聞き、大己貴の神がお答え申し上げるに「天つ神の勅(みことのり)が、かくも慇懃であるとは。敢えて詔に従わないことは、間違ってもございましょうか。 私目が実地に治めてきたところは、皇孫に受け継いでいただきます。私目は地上のことから退き、見えない精神世界を司ります。」
 そこで、岐神(ふなとのかみ)を推薦して、二神に申し上げるに「私の代わりに、この神を従わせます。私はこれで退去します。」
 そして、身に瑞之八坂瓊(みづのやさかに)を飾り、永く隠れた。そして経津主神は、岐神に郷を案内させ、河を廻り、土地を削り平らげた。 詔に逆らう者があれば、直ちに斬戮(ざんりく)し、帰順する者があれば、すぐに褒美を与えた。その際、帰順した者どもの首領は、大物主(おおものぬし)の神と事代主の神とした。
 そこで、天高市(あめのたけち)に(帰順した)多数の神を集合させ、これを率いて天に昇り、誠款(=誠実な心)に至ったことを申し陳(ひら)きした。
 ところで、高皇産霊尊が大物主の神に仰るには、 「貴殿がもし国津神を妻としたままなら、私は、まだ貴殿に疑わしい心があると思わざるを得ない。なので今度は、我が娘の三穂津姫(みほつひめ)を、貴殿に娶らせ、妻とする。首尾よく貴殿の神々を率いて、末永く皇孫(=代々の天皇)をお護りせよ。」
 
こふ(乞ふ)…(万)0892 妻子等波 乞〃泣良牟 めこどもは こふこふなくらむ。
うし(大人)…[名](上代語) 領主や貴人の敬称。
…①おさめる。②ひらく。③のぞく。
楫取…(倭名類聚抄)巻五 下総国・香取【加止里】。香取神宮の所在地と思われる。
…[動] つきる。終わる。[副][接] すでに。(万)2986 既心齒 すでにこころは。
をふ(終ふ)…(万)0176 天地与 共将終登 念乍 あめつちと ともにをへむと おもひつつ。
うたがはし…[形]シク 信じがたい。
…ゆるす。(万)0086 如此許 かくばかり。0666 幾許吾者 ここだくあれは[ここだく=こんなにたくさん]。 1753 男神毛 許賜 をかみも ゆるしたまひ。
をさむ(治む)…(万)0928 食國乎 治賜者 をすくにを をさめたまへば。
さだむ(定む)…(万)0398 事者将定 ことはさだめむ。
たてまつりたまふ…[補動] 二方面への尊敬語。
岐神(ふなとのかみ)…道の分岐するところの神
…(万)2215 左夜深而 さよふけて。2469 心深 こころもふかく
たくなは(栲縄)…[名] 楮(こうぞ)などの樹皮で作った白い縄。
うちはし(打橋)…[名] ①板をかけ渡しただけの仮の橋。②建物と建物の間にかけ渡した板。
ぬひ(縫ひ)…[数助] 楯を数える数助詞(量詞)か。出雲国風土記によれば、楯は「縫って」製作すると見られる。
ねむころ(懇ろ)…[形動]-なり まごころをこめて熱心に。(万)3291 慇懃 ねむころに。
…[形] ふかい。かすか。くろい。死者や霊界に関したさま。
ほのか…[形動]-なり。(万)3085 髣髴所見而 ほのかにみえて。髣髴=ほうふつ。類語の「かすか」「みそ(密)か」は万葉集にはない。
岐神(ふなとのかみ)…道の分岐するところの神
…さかる。(万)1865 春避来之 山際 はるさりくらし やまのまの。 2161 三吉野乃 石本不避 鳴川津 みよしのの いはもとさらず なくかはづ。 0274 奥部莫避 おきへなさかり。
…[名] からだ。
…(万)0336 白縫 筑紫乃綿者 身著而 しらぬひ つくしのわたは につけて。
…(動) 閉じているものを開く。披露。(万)1740 玉篋 小披尓 たまくしげ すこしひらくに。
やさかに(八尺瓊)…[名] 大きな玉、または多数の珠を輪につないだもの。
瑞之八坂瓊…天照大神は、大切な時に八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつすみまる)を身に着ける。また天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)が降臨するときもつ、三種の宝物のひとつが八坂瓊之五百箇御統である。
郷導(きょうどう)…道案内する。またその人。
斬戮(ざんりく)…切り殺す。
渠帥・渠率・渠魁…悪者の親玉。
かしら…①あたま。②ものの先端部分。③集団の上に立つ人。(万)4346 知〃波〃我 可之良加伎奈弖 ちちははが かしらかきなで。
天高市(あめのたけち)神社…奈良県橿原市曽我町。祭神=事代主命。
大和国高市郡…(倭名類聚抄)大和国・高市【多介知】(たけち)
誠款(せいかん)…誠実なさま。
まこと(真、実、誠)…①真実。②誠実さ。(万)「まこと」は、など。無数にある。
…[動] ①とおす。②わかれる。③(疎に通ず)うとんずる。[形] ①うとい。②(疎に通ず)あらい。
うとまし…[形] ①気味が悪い。②いとわしい。
よろし(宜し)…[形] (万)3020 宜毛 よろしくも。

《時二神曰~東国楫取之地也》
 武甕槌を香取神宮に祀る由来を示すために、この部分を挿入したと思われる。別項「東国三社」を参照。
《まをしたまふ》
 大己貴の神は天つ神に遜っているが、一方、大己貴の神は民からは神として崇められる。 従って謙譲語を尊敬表現にする必要がある。
《治幽事》
 「」は、「死者や霊界に関する」という意味もあるが、ここでは「治顕露事」(露わに事を治む)と対になっているので、「ほのかに事を治む」の意味である。 「露わに事を治む」とは、現実政治を行うことで、「ほのかに事を治む」とは、精神世界、つまり心を支配する意味だと考えられる。
《躬披瑞之八坂瓊》
 他に八坂瓊が登場するのは、天照大神が素戔嗚に向かうときに身に付ける。天孫が降りる時に三種の神器として持たせる。の2場面である。 だから、大国主は天照や天孫に匹敵する。 その最高級の装飾品を披(ひけらか)しながら退場すると書くのは、単純に姿を消すのではなく、隠然と影響力を発揮し続けることを強調するためである。
《大己貴と大物主》
 書紀では他の一書(「是時素戔嗚尊自天而降到」の一書6(第69回)で、 大物主は大己貴と同一神とされている。この一書でも、その立場は引き継がれていると思われるが、 長く(恐らく永久に)天日隅宮に避(ひ)くと言っておきながら、その後でまた高市に降り、帰順した国津神を引き連れて昇ってくるので、同一神だとすると筋書きが不自然である。 では別神かと言うと、大国主の子、事代主を帰順した神の共同リーダーとしているし、 高皇産霊尊が大物主に対して「お前はまだ国神を妻とし続けるのか」と詰問するので、一書2でも「大物主=大国主」の可能性が濃厚である。
 考えられるのは、一書2は出典の異なる2話を繋いで作られただろうということである。
《三穂津姫》
 一書2では高皇産霊の娘、つまり天神の一員だが、風土記では、大国主が高志の国で奴奈宜波比売(ぬなかはひめ)との間に生んだのが御穂須々美(みほすすみ)の命で、国神の一員である。

赤線は奈良時代の海岸線
(茨城県霞ケ浦環境科学センターの資料 (ファイル4)により作成)
鹿島神宮武甕槌大神
香取神宮経津主大神(斎之大人)
息栖神社岐神・天鳥船神
【東国三社】
 伊都之尾羽張の神は天安河を氾濫させて道を塞いでいる。そこを通れるのは、他の神では無理で天迦久神だけだという。 第78回で述べたように、迦久は鹿児(かこ)の意で鹿の神といわれる。鹿島神宮は鹿を神使とする。
 鹿島神宮は東国にあり、経津主神・武甕槌神は、東国の平定にも向かっている。
(書紀本文)[経津主神・武甕槌神が葦原中つ国平定後]
 それ服さざるは、ただ星神、香香背男のみ。故(かれ)、倭文神(しづりがみ)建葉槌(たけはづち)の命を加へ遣はせば、則ち服す。
(一書2)[葦原中つ国平定前、経津主神・武甕槌神を遣わして平定したのは]
 天津甕星(あまつかみぼし)と曰ひ、亦(また)の名を天香香背男(あまのかがしを)といふ。 是時、斎主神、号斎之大人。此神今在于東国楫取之地也。
 それでは、東国三社にはこれら二神がどのように祀られているのだろうか。 
《鹿島神宮》
 <wikipedia>『常陸国風土記』に香島神宮の名で鎮座が確認される。鹿を神使とすることでも知られる。「鹿島」と記した初見は養老7年(723年)。 祭神は、武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)(別名を建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)。</wikipedia>
《香取神宮》
 祭神は経津主大神。別名を伊波比主神・斎主神(いわいぬしのかみ)、斎之大人(いはひのうし)。
<wikipedia>『常陸国風土記』(8世紀初頭成立)にすでに「香取神子之社」として分祠の記載が見え、それ以前の鎮座は確実とされる</wikipedia>
《息栖神社》
 <wikipedia>息栖社主祭神の岐神は東国に導いたと伝えられる神であり、同社では天鳥船神を配祀する。</wikipedia>
 一書2によれば、、大国主が隠れた後、岐神がその代理として経津主神を各地に案内して平定を助けた。
 このように、記紀で葦原中つ国に関わった神が祭神とされているが、三神宮に分かれているのが興味深い。
《大和政権による東国への拡張の歴史》
 書紀の該当部分を読むと、大国主の国の平定と前後して、東国の平定に向かったことになるが、これは考えにくい。ここで東方への進出の時期を見る。
 まず、魏志倭人伝によれば、出雲国を指すと思われる投馬国は既に邪馬台国に服属していると思われるので、 古代出雲王国の平定の時期は、倭国大乱の終結(2世紀末)の時期ではないかと思われる。
 その後の東方への進出は、 第71回に考察したのは、およそ 330年ごろ…静岡県。471年…茨城県。654年…宮城県松島。である。
 一方、各地の豪族が大和政権の支配下にあることを示す前方後円墳は、千葉県で4世紀初め、北関東で4世紀後半から本格的に現れる。(参考資料:関東の古墳のサイト)
 以上から、実際に大和政権が関東の平定に向かうのは、景行天皇(第12代)の時代で、 大国主制圧の時期に、関東地方が倭の領土であったとは考えられない。
 東国三社が、大和政権による安定的な支配域内の大神宮としてスタートしたのは早くて4世紀であろう。 その後になってから、二神を東方進出の守護神として再登場させた。
 4世紀のはじめは、東国三社の地域は蝦夷との戦いの前線であった。その伝統から、その後長く東北地方へ向かう軍の戦勝祈願の宮だったと想像される。 その時点で、大国主制圧で絶大な功績のある経津主・武甕槌を再度、蝦夷征服の守護神として招き、香取神宮・鹿島神宮に祀ったのである。 それを受けて、二神は書紀に「東国に祀られた」と書き加えられた。 だから、本当は大国主の時代からずっと後になってから東北地方に進出したのを、書紀では同じ時期にしてしまったのである。

【一書2に描かれた融和策】
 一書2は、本文とは対照的に、これまでするかというほどの優遇を示した上で、現実政治を明け渡させる。 遊ぶ海までも庭として備えた大規模なな宮殿や、供米田を与えた上で、宗教を司り、人民の心の支配により代々の天皇を支えてくれることを請うた。
 さらに、これまで率いてきた勢力を引き続き束ね、天孫を支えるために影響力を発揮するよう依頼した。
 戦闘では、高皇産霊・天照の勢力が優勢となったが、大国主勢力を壊滅までは追い込まず出雲の国に封じて温存し、 その宗教的伝統・権威を国家全体で共有し、国の精神的統一に資するようにしたのである。。
 本文においては、大国主にこのように気を遣ったところを見せては格好がつかないので、融和策はすべて伏せられた。 その分、一書2においてその内実を見せている。
 新しい政権は、武力で奪い取っただけでは政権を長く維持させるのはむずかしい。結局民衆の支持が得られない限り政権は存続できない。
 後世の武家社会に於いて、幕府は征夷大将軍を地位を朝廷から任命されることによって、その正統性を示した。 それと同じで、大和政権は正統性の裏付けを出雲の宗教的伝統に頼った。 つまり、江戸時代における江戸と京都の関係が、倭政権における大和国と出雲国の関係に相当する。
 その要となるのが、一書2における「汝則可以治神事」の一文である。 一般に「大国主は、大神殿の造営を交換条件として国を譲った」と言われている。 これは、政権を奪取した天照側が、政権の正統性を得るために出雲の宗教的伝統に乗っかったことを直感させるが、 一書2は、その直感が正しいことを物語っている。

【大国主は何を献上したか】
 大国主が献上したのは地上の統治の大部分であり、その後また役割が与えられる。 それは国の統一のための人民の心の支配と、天つ神への服従に転じた神々の統率(これは、事代主と共同で)、 そして依然として出雲の国の統治を続ける。
 心の支配者としての大国主の存在は、古事記の上巻そのものである。古事記によって大国主の神話は諸族に共有され、国家の精神的基盤となる。
 この役割が大国主に与えられたのは、天武天皇の方針による。 壬申の乱によって天武天皇が国の支配権を得た以後も、出雲勢力はその独自性を失わず、国家統合の障害になっていたのだろう。 そこで天武天皇は、大国主は統治を天孫に譲り宗教の世界の支配者になったのだから、大国主の子孫であるお前たちもそのようにせよと言いたかったのである。
 大国主の服属と、交換条件としての優遇策は、そのまま古事記を読む出雲出身者へのメッセージであった。
 同時に、各地の氏族に対しては、民族の由来について出雲の伝承を軸として国定神話を定め、各氏族のごとの創造神話を排除したと想像される。

まとめ
《大国主像の二重性》
 葦原中つ国の大国主による統治は、天孫の手に移される。これを、天照派は逆賊大国主の成敗として読み取って満足感を味わわなければならない。
 逆に、出雲派は、所造天下大神への称賛として読み取とり、納得しなければならない。
 問題の「於百不足八十坰(隅)手」という表現は、同時代の人が読んでも解りにくいと想像される。 天孫の日嗣を頂点とする体制にとっては、「但八雲立出雲国者我静坐国」(出雲国風土記)という取引を思わせるような表現は、避けたいのである。 故に、敢えて解りにくい表現をした。 そのあいまい作戦の効果は、皮肉なことに古事記の解読に心血を注いだ本居宣長が読み違えたことによって実証された。
 この文は出雲派に対しては、掛詞「百足らず」によって、出雲国だけは守り抜いたとする説明を、可能にする仕掛けになっている。
 また、宮殿の造営については、書紀本文は完全に黙殺する。これは天照派に「え、あの大国主にどうしてそんなサービスをするの?」という疑念を与えないためである。 その分一書2では大国主に、雄大な宮殿を与える。これは出雲派をある程度納得させるためである。
 ここからは、両派に気を遣う、官僚(書紀の十二名の編集委員)の姿が浮かび上がってくる。
《東国制圧の二神》
 経津主神・武甕槌神が蝦夷を制圧する時期に守護神として東国に祀られたのは、飛鳥時代まで下るかも知れない。 古事記では全く触れられないが、現実に東国に祀られていた(と思われる)。書紀がこれを取り上げたのは、下総国・常陸国出身者の要求があったのかも知れない。
 書紀の本文には、二神は大国主が退いた後、更に各地の反抗勢力の鎮圧に努めたとは書いてあるが、それが東国の完全制圧までだとすれば、少なくとも12代の景行天皇以後になる。 これでは、天孫降臨がその後のことになってしまうので、まるで辻褄が合わない。この部分は、書紀が大筋出来上がった段階になってから書き加えられたのだろう。 それなら、古事記に記述がないのは当然である。


[080]  上つ巻(国譲り10)