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[037]  上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美5)

2013.09.07(土) [038] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美6)

於是伊邪那岐命拔所御佩之十拳劒 斬其子迦具土神之頸
是(ここ)於(に) 伊邪那岐命 所御佩之(みはかしの)十拳(とつか)の剣(つるぎ)を抜き、其の子、迦具土(かぐつち)の神之頸(くび)を斬(き)りたまひき。

爾著其御刀前之血 走就湯津石村 所成神名石拆神
次根拆神
次石筒之男神【三神】

爾(すなは)ち、其(そ)の御(み)刀(かたな)の前之血を著(あらは)し、湯津石村(ゆついわむら)に走就(たばしりた)り、成りし[所の]神の名を石拆(いはさく)の神、
次に根拆の神、
次に石筒之男(いはつつのを)の神といふ。【三(み)はしらの神】


次著御刀本血 亦走就湯津石村 所成神名甕速日神
次樋速日神
次建御雷之男神 亦名建布都神【布都二字以音下效此】 亦名豐布都神【三神】

次に、御刀の本の血を著(あらは)し、 亦(また)湯津石村(ゆついわむら)に走就(たばしりた)り、成りし[所の]神の名を甕速日(みかはやひ)の神、
次に樋速日(ひはやひ)の神、
次に建御雷之男(たけみかつのを)の神、亦(また)の名を建布都(たけふつ)の神【布都の二字(ふたもじ)音(こゑ)を以ちてす、下に此(こ)れ効(なら)ふ】亦(また)の名を豊布都(とよふつ)の神といふ。【三はしらの神】


次集御刀之手上血 自手俣漏出 所成神名【訓漏云久伎】闇淤加美神【淤以下三字以音下效此】
次闇御津羽神
《上件自石拆神以下闇御津羽神以前幷八神者 因御刀所生之神者也》

次に、御刀之(の)手上(たがみ)に集め、血手俣(たなまた)自(よ)り漏(くき)出(い)で、成りし[所の]神の名を【「漏」を訓(よ)み、久(く)伎(き)と云ふ。】闇淤加美(くらおかみ)の神、【「淤」の以下(しもつかた)三字は音を以ちてす。下此れに効(なら)ふ。】
次に闇御津羽(くらみつは)の神といふ。
《上つ件(こと)、石拆(いはさく)の神自(よ)り以って下、闇御津羽(くらみつは)の神以って前、并(あは)せ八(やつ)はしらの神者(は)御刀に因りて神生(な)れし[所の]者也(なり)。】》


所殺迦具土神之 於頭所成神名正鹿山/上/津見神
次於胸所成神名淤縢山津見神【淤縢二字以音】
次於腹所成神名奧山/上/津見神
次於陰所成神名闇山津見神
次於左手所成神名志藝山津見神【志藝二字以音】
次於右手所成神名羽山津見神
次於左足所成神名原山津見神
次於右足所成神名戸山津見神
【自正鹿山津見神至戸山津見神幷八神】

迦具土(かぐつち)の神を殺せし所之(の)頭に[於て]成りし[所の]神の名を正鹿山{上声}津見(まさかやまつみ)の神、
次に胸に[於て]成りし[所の]神の名を淤縢山津見(おどやまつみ)の神【「淤縢」二字、音(こゑ)を以てす。】といひ、
次に腹に[於て]成りし[所の]神の名を奧山(上声)津見(おくやまつみ)の神といひ、
次に陰(ほと)に[於て]成りし[所の]神の名を闇山津見(くらやまつみ)の神といひ、
次に左手に[於て]成りし[所の]神の名を志芸山津見(しぎやまつみ)の神【「志芸」二字、音を以てす。】といひ、
次に右手に[於て]成りし[所の]神の名を羽山津見(はやまつみ)の神といひ、
次に左足に[於て]成りし[所の]神の名を原山津見(はらやまつみ)の神といひ、
次に右足に[於て]成りし[所の]神の名を戸山津見(とやまつみ)の神といふ。
【正鹿山津見(まさかやまつみ)の神自(よ)り戸山津見(とやまつみ)の神に至(ま)で并(あは)せ八(や)はしらの神なり】


故 所斬之刀名謂天之尾羽張 亦名謂伊都之尾羽張【伊都二字以音】
故(かれ)、斬りし[所之(の)]刀の名を天之尾羽張(あまのおはばり)と謂ひ、亦(また)の名を伊都之尾羽張(いつのおはばり)と謂ふ。【「伊都」二字、音を以てす。】

 そこで伊邪那岐の命は、腰から十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、その子、迦具土(かぐつち)の神の頸(くび)を斬りなされました。
 すると、お刀の前方から飛び散った血は、湯津石村(ゆついわむら)に走り就き、神が成り名を石拆(いわさく)の神と言い、
次に根拆(ねさく)の神と言い、
次に石筒之男(いはつつのを)の神と言います。《三柱の神》
 次にお刀の根本から飛び散った血は、これも湯津石村(ゆついわむら)に走り就き、神が成り名を甕速日(みかはやひ)の神と言い、
次に樋速日(ひはやひ)の神と言い、
次に建御雷之男(たけみかつのを)の神、この神は別名を建布都(たけふつ)の神、あるいは豊布都(とよふつ)の神と言います。《三柱の神》
 次に、お刀の鍔の上に集まり、血が指の間より漏れ出して神が成り名を闇淤加美(くらおかみ)の神、
次に闇御津羽(くらみつは)の神と言います。
《これまでの分、石拆(いわさく)の神より以下、闇御津羽(くらみつは)の神以前の、併せて八柱の神は、お刀因(よ)り神が成ったものです。》
 迦具土(かぐつち)の神を殺した所より、頭に神が成り、名を正鹿山(上声)津見(まさかやまつみ)の神、
次に胸に神が成り、名を淤縢山津見(おどやまつみ)の神、
次に腹に神が成り、名を奧山津見(おくやまつみ)の神、
次に陰部に神が成り、名を闇山津見(くらやまつみ)の神、
次に左手に神が成り、名を志芸山津見(しぎやまつみ)の神、
次に右手に神が成り、名を羽山津見(はやまつみ)の神、
次に左足に神が成り、名を原山津見(はらやまつみ)の神、
次に右足に神が成り、名を戸山津見(とやまつみ)の神と言います。
《正鹿山津見(まさかやまつみ)の神より戸山津見()の神に至るまで、併せて八柱の神です。》
 この時、斬った刀の名を天之尾羽張(あまのおはばり)、またの名を伊都之尾羽張(いつのおはばり)と言います。


…[動] おびる。
…[名] こぶし。
…[動] あらわす。[前] ~によって。
…[動] おもむく。
…[動] さく。裂く。
手上(たがみ)…ここでは、刀の鍔(つば)を意味する。
手俣(たなまた)…指と指の間の隙間。
漏(く)く…[動] 漏れる。

【くき】
くく(漏く、潜く)…[自]カ行四段 漏れる。すきまを潜り抜ける。 
 他には、大国主命のところにでてくる。
於子之中、自我手俣久岐斯子也。子の中に、我が手俣よりくきし子なり
子らの中で、指の間から漏れた子である)こちらは初めから万葉仮名である。
 「漏」という漢字を宛てた上で、注記で「くき」と読ませているのは、序文の「辞理見るに難しは注を以て明らかとなす」の適用例の一つである。 このような処理が必要となるのは、「上古の時、言意並びて朴にて、文に敷き句に構ずは字に於いて即ち難し」場合である。 「くぐる」という動詞は現代まで残るので、古く廃れた動詞とは言えないが、記紀の時代でも「漏」を「くく」と読むのは一般的でなかったことがわかる。

【所成神名~】
 「所」は存在文「神と成る」を名詞化して主語となり、名は動詞(「名を~という」)である。

【自~至~】
 "from~to~"に相当。

【紀との比較】
 記では、出現する神は刀に流れた血、かぐつちの神の各部位からそれぞれ八柱ずつに整理されている。一方、紀に含まれる「一書」では、「次生海」の段 一書の六、七、八に書かれる。それぞれ記との共通点と相違点があるので、比較検討してみる。(右図→拡大)

【紀「次生海」の段 一書の六】
一書曰 遂拔所帶十握劒 斬軻遇突智爲三段 此各化成神也
 復劒刃垂血 是爲天安河邊所在五百箇磐石也 卽此經津主神之祖矣
 復劒鐔垂血、激越爲神 號曰甕速日神 次熯速日神 其甕速日神 是武甕槌神之祖也
 亦曰甕速日命 次熯速日命 次武甕槌神
 復劒鋒垂血 激越爲神 號曰磐裂神 次根裂神 次磐筒男命 一云 磐筒男命及磐筒女命
 復劒頭垂血 激越爲神 號曰闇 次闇山祇 次闇罔象

 遂に、十握(とつか)の剣を帯びていた所を抜き、かぐつちを斬り三段と為す。此の各(おのおの)、神に化し成る也。
 復た刃に血垂り、是、天の安河の辺所を為し、五百箇磐石(いおついはむら)に在る也。即ち此れ経津主神(ふつぬしのみこと)の祖矣(なり)。
 復た剣鍔(つば)に血を垂らし、激越し神と為す。号して曰く「甕速日(みかはやび)の神」次「熯速日(ひはやび)の神」其の「甕速日の神」是「武甕槌(たけみかつち)の神」之(の)祖なり。
 亦は「甕速日命」次「熯速日命」次「武甕槌神」と曰ふ。
 復た剣鋒に血を垂らし、激越して神と為す。号して曰く「磐裂(いはさく)の神」次「根裂(ねさく)の神」次「磐筒男(いはつつのを)の命(みこと)」、一(ある)ひは云はく「磐筒男の命」及「磐筒女(いはつつのめ)の命」。
 復た剣頭に血を垂らし、激越して神と為す。号して曰く「闇龗(くらおかみ)」次「闇山祇(くらやまつみ)」次「闇罔象(くらみつは)」。


…刀のつば。(鍔鐔)
激越…音声が高く遠くまで響くさま
天安河(あまのやすかわ、あめの―)…この場所で、天照と素戔鳴(すさのお)が向かい合って誓約したり、八十萬神が会合したりする。
五百箇磐石(いおついわむら)…「多数の岩や石」の意味。「石」は習慣的に「むら」と読む。これは、記の「湯津石村(ゆついわむら)」と一般に同一視されているからであろう。また同じ音声がときに「いお」、ときに「ゆ」と聞き取れることもあり得ると思われる。
剣鋒…刀の切っ先。
剣頭…刀の切っ先。但し、ここでは剣鋒とは違う部位を指すことにしないと、辻褄が合わない。

 かぐつちの神は十握剣によって、三段に切断され、それぞれが神になったとされるが、その三神の名は欠落している。
 さらに剣についた血から、神が現れる。
 剣刃に垂れた血は、天安河辺の五百箇磐石でとなり、これが 「経津主神(ふつぬしのみこと)」の祖である。
 剣鍔に垂れた血は、「甕速日神」(子の神は「武甕槌神」の祖)「熯速日神」。異説では「甕速日神」「熯速日神」「武甕槌神」の三神。
 剣鋒に垂れた血は、「磐裂神」「根裂神」「磐筒男命」(異説では、「磐筒男命」と「磐筒女命」)
 剣頭に垂れた血は、「闇龗(くらおかみ)」「闇山祇(くらやまつみ)」「闇罔象(くらみつは)」。
 ここで、「闇龗」の「龗」は「おかみ」と読むとする説明書きが、一書その七にある。
 また、「闇罔象」は、記の「闇御津羽神」と同一と思われる。「罔」は「あみ」なので「くらあみ」→「くらみ」までは読める。しかし、「象」を「は」と読む根拠は不明である。象はすがたという意味で、八卦の三爻(陰陽のパターン)も象という。

【紀「次生海」の段、一書の七】
一書曰 伊弉諾尊 拔劒斬軻遇突智 爲三段
其一段是爲雷神 一段是爲大山祇神 一段是爲高
又曰 斬軻遇突智時 其血激越 染於天八十河中所在五百箇磐石 而因化成神
號曰磐裂神 次根裂神 兒磐筒男神 次磐筒女神 兒經津主神

 伊弉諾尊、剣を抜き、軻遇突智(かぐつち)を斬り、三段と為す。
 其の一段、是「雷(みかつち)の神」と為す。其の一段、「大山祇(おほやまつみ)の神」と為す。其の一段、「高(たかおかみ)」と為す。
 又曰く、軻遇突智(かぐつち)を斬るの時、其の血、激越し、天の八十河に在る所、五百箇磐石(いおついはいは)を染め、因って神が化成す。
 号して曰く、「磐裂(いはさく)の神」「根裂(ねさく)の神、児「磐筒男(いはつつのを)の神」次「磐筒女(いはつつのめ)の神」、児「経津主(ふつぬし)の神」


 剣を抜き、三体に斬り分け、それぞれが神となる。「又曰く」つまり、「これとは別にこういう話もある」として、飛んでいった血が五百箇磐石を染めて、石を神に変化させる話を紹介する。
 まず「磐裂」「根裂」のニ神が現れ、そのうち「根裂」が生んだ夫婦神「磐筒男・磐筒女」が、さらに「経津主」を生んだとしている。
 「五百箇磐石」は、一書六とはややニュアンスが異なり、散在する多数の岩や細石そのものを指し、地名とは言えない。

 『一書七』の後半は、これまでの用語についての辞書である。 
倉稻魂 此云宇介能美拕磨「倉稲魂」此れ「うけのみだま」と云ふ。
少童 此云和多都美「少童」此れ「わだつみ」と云ふ。
頭邊 此云摩苦羅陛「頭辺」此れ「まくらへ」と云ふ。
脚邊 此云阿度陛「脚辺」此れ「あとへ」と云ふ。
火也 音而善反」は「火」なり。音「而善反」
此云於箇美 音力丁反。」此れ「おかみ」と云ふ。音「力丁反」


 「倉稻魂」「少童」「頭邊」「脚邊」「」の読みは、一書の六の語句を対象としている。また、「」は一書の六、七が対象である。従って、一書七の後半は、一書六と一書七前半の両方をから繋がる共通部である。
 「」、「」には、反切(中国古代の発音記号)が添えられている。反切は漢字3文字から構成され、一文字目が「声母」二文字目が「韻母」三文字目「反」は、これらが反切であることを意味する。声母は子音、韻母は声母を以外の部分で、基本的に母音だが、声調なども含む。「而善反」の例では「声母は而の声母と同じ、韻母は善の韻母と同じ」を意味する。
 訓が示されていれば日本語で読めるので、中国式の発音は必要ない。つまり、紀には、用字を定めるための基礎資料が紛れ込んでいることになる。これは後世の研究にとっては宝であるが、紀自体は、未整理の部分を含んだままになっている。
 それに対して、記ではともかく一通りの結論を確定させている。これもまた、紀とは別に記が作られた事情を推定するヒントになるかも知れない。
 これまで、その理由を2通り考えてきた。
① 民衆向けに、紀と同内容で、面白く読みやすいバージョンの歴史書を作ことが必要であった。
② 紀が、資料がない部分をもっともらしく書き加え、また都合よく書き換えたことに嫌気がさした太安万侶が、原資料に忠実な私家版を作って残そうとした。
 今回、さらにもうひとつの理由が付け加わった。
③ 紀では諸家の意見がまとまらず、雑多な「一書曰く」を残したままの不完全な形で出されようとしていることを残念に思い、ともかく結論を確定して残したかった。

【紀「次生海」の段、一書の八】
一書曰 斬軻遇突智命 爲五段 此各化成五山祇
一則首 化爲大山祇
二則身中 化爲中山祇
三則手 化爲麓山祇
四則腰 化爲正勝山祇
五則足 化爲山祇
是時 斬血激 染於石礫樹草 此草木沙石自含火之縁也
山足曰麓 此云耶磨
正勝 此云麻沙柯。一云麻左柯豆
此云之伎 音鳥含反


…[動]そそぐ …[副]おのずから …[名]ゆかり
 
 紀・一書の八によれば、伊弉諾の命は、かぐつちの神を五つに斬り分け、それぞれの部分から山祇(やまつみ)が現れる。首から「大山祇」、胴体(腰より上)から「中山祇」、手から「麓(は)山祇」、腰から「正勝(まさか、まさかつ)山祇」、足から「䨄(しぎ)山祇」である。
 7行目を読み下すと「是の時、斬りし血、石(いは)・礫・樹・草に激しく灑(そそ)ぎ、此れ、草・木・沙(いさご)・石(いは)自ら火を含(くく)む縁(よし)也。」 つまり「斬った血が大石、小石、木、草に激しく注ぎ、これが草、木、砂、岩が自身で火を含む所以である。
 「山祇」の「」は8行目に「山足をと曰ふ」と説明があるので、現代と同じく「ふもと」の意味である。「」は「は」または「ひ」であるが、記に「羽山」があるので、「簸耶磨」は「はやま」であろう。とすれば、枕草子に出てくる「山の端」(遠くから見たの山の稜線)とは意味が異なる。
 6行目までの「かぐつちの切断された部分がやまつみに変わる」の意味は明快であるが、7行目「自身で火を含む」ところの意味が取りにくい。 可能性として、①それぞれ赤色をしたものがある。赤い花、あるいは赤鉄鉱。②山火事の自然発生や、突然の噴火のこと。③乾燥させた草をはさんで火起こししたり、火打石で発火させることができる。④自然物が自ら火を吹くという何らかの伝説がある、等が考えられるが確定するのはむずかしい。
 9行目以下は辞書である。「『正勝』は『まさか』と読む。または『まさかつ』と読む。『(=鷸)』は『しぎ』と読む。中国語の読みは『鳥・含』(ch-an?)である。
 この説明から、記の「正鹿山津見」は「まさかやまつみ」であることが確定する。また、記の「志芸山津見」の「志芸」は、鳥の一種の鷸(シギ)を意味すると見てよいであろう。

【かぐつちの切り分け】
 紀の一書、記を通して、かぐつちは、3体、5体、あるいは8体に切り分けられ、それぞれが神となる。大体は、幾種類かの「山つみ」=「山の霊」になる。 これが何を象徴するかは、不明である。想像であるが、「かぐつち=火の神」と山の魂を結びつけるものは、火山活動しかない。

【血しぶきの飛散】
 刀についた血液の行き先の表現が、最も理解しやすいのは一書の八で、その近辺にあった「草木や礫砂に注がれる」である。それ以外は、剣の刃から飛び散った血しぶきは遥か彼方まで飛んでいく。行き先は、天の安河の河原の石、あるいは天の安河の「いおついわ村」または「ゆついわ村」である。そこから「いわさくの神」「ねさくの神」などが現れる。
 どこまで飛んでいったかはともかくとして、剣の鍔からいざなぎの命の手を伝った血からも「くらおかみの神」「くらみつはの神」などが現れる。ただ血液から生ずる神の数は、さまざまな言い伝えがあり、最小は0柱、最大は11柱である。

【八柱神】
 記では、かぐつちの神から出現した神は、切り分けられて8柱、血から8柱である。吉数八は、記のあらゆる場面に現れる。

【湯津石村】
むら(群、叢)…[名] むらがっている様子。
 紀では「磐石」と書いて、「いはむら」と読む。
 剣の血は、記では、湯津石村に、「走就」する。紀(一書六、七)は天安河の五百箇磐石に「激越」する。記紀の複数の記述から、「走就」とは「かぐつちを斬った刃から血が飛んで行って、数多い礫石がある河原に降った」意味であることは間違いない。「五百」は数多いという意味であるが、「数多い」という意味では、記紀では「八百」とする。それぞれ「五行説」、「八卦思想」に基づくが、「五」は古い吉数、「八」は新しい吉数である。「八」は新たに出現した古墳の形にも表れてる。古墳の墳形が方墳から八角形に変化するのは、中大兄皇子・中臣鎌足が曽我氏を倒した大化の改新の時期であるという。(『天皇陵の謎』矢澤高太郎)
 従って、「五百」は、大化元年(645年)より古い時代の言い伝えだと思われる。また「五百箇磐石」あるいは「湯津石村」は、一書七では、特定の地名を意味しないのに対し、一書六・記では地名である。従って、血が飛んで行った先は、古い方から、「天八十河の五百箇磐石(地名ではなく礫石)」→「天安河の五百箇磐石(地名)」→「湯津石村(地名)」のように移り変わってきたと思われる。
 ところで「ゆついわ」「ゆずいわ」「いおついわ」など現実の地名、あるいは神社名がないかと検索をかけてみたが、出てこないのが意外であった。かつて存在した地名が現代に伝わっていないか、もともと空想的な地名だったかのどちらかである。「血染めの石」は、赤鉄鉱を連想させ、古代の砂鉄の産地は、北九州、出雲が中心なので、「ゆついわ」などと呼ばれた地域がその地方にあった可能性はある。

【集御刀之手上血自手俣漏出】
 飛び散った血のほかに、手元に残った血からも神が現れる。 一書六によれば、剣には鍔(つば)がある。だから、記の文では「御刀之手上」は刀の鍔のことであり、刃に血が伝って鍔の上に溜った後、指の間から漏出するという意味になる。

【古い吉数五と新しい吉数八】
 紀・一書がより素朴な形態であり、記はそれらを整理したと考えられる。例えば、かぐつちを切り分けた数は、一書の3段、5段から記の8段に変化している。 また、血が落ちた場所は、近辺の草木や石が初期の形で、やがて飛散先は、はるか遠方の五百箇磐石になる。注目されるのは、記では飛散先が「湯津石村」になり、数字「五」が消滅することである。これは意図的に置き換えられたと考えることができる。 このように、古い吉数五を排除し、新しい吉数八に統一していく過程を、ここに見ることができる。
 さて、ここで記の神々に戻り、その名称の意味を探ることにする。

【剣についた血が化した神】
 《刀前の血が湯津石村に達して出現》
石拆(いはさく)……さく(裂く・割く・避く・散く) 
根拆(ねさく)……根・元(はじまり)+割く 
石筒之男(いはつつのを)……つ(格助詞)+つ(実・果) 
 《刀の本の血が湯津石村に達して出現》
甕速日(みかはやび)……みく(熟く・満く)+はやふ(栄ぶ・映ぶ・逸ぶ・早ぶ・速ぶ)
樋速日(ひはやび)……「火」+はやふ
建御雷之男神(たけみかづちのを)……武(猛)+雷
 建布都(たけふつ)……武(猛)+沸つ
 豐布都(とよふつ)……豊+うつ(熟つ)
 《御刀の手上の血が手俣から漏れて出現》
闇淤加美(くらおかみ)……暗(黒)+御+(上・神)
闇御津羽(くらみつは)……暗(黒)+み(水)+つ(格助詞)+は(現・映)

 「くらみつは」という名前は、伊邪那美の尿から現れた「みつはのび」に類似している。また「ひはやび」はかぐつちの神の別名「ひのやげはやを」と類似している。
 全体を通して、雷、火、黒色が特徴的である。このうち「石筒之男」は、紀・一書七では「石筒之女」と夫婦神で、「経津主」を生む。二つ目の「つ」は、その意味で「果実」なのかも知れない。
 記では、経津主は独立にはでてこないが、「建御雷」の別名に含まれる。頭に「武」も「豊」がついていたりすることから考えて、「ふつ」は一般的に「興る」ことを表すと思われる。
 酸化鉄は赤色なので「石に散った血」は、製鉄との関係を示唆する。木炭と酸化鉄に火を送って鉄を得る「たたら製鉄」によって、黒っぽい光沢をもつ鉄になる。製鉄は弥生時代後期から始まり、古墳時代後期に本格化したと言われる。 これらの神の名が製鉄と関係しているとすれば、大小の礫の間を流れる河原を流れる水から、砂鉄を濾し取ったことに由来するかも知れない。

【かぐつちの断片が化した神】
正鹿山津見(まさかやまつみ)《頭》……まさ(正)+か(日・光)
淤縢山津見(おどやまつみ)《胸》……お(汚・負)+ど(処) 
奧山津見(おくやまつみ)《腹》……おく(奥)
闇山津見(くらやまつみ)《陰部》……くら(闇・暗・黒)
志芸山津見(しぎやまつみ)《左手》……しぎ(鷸)
羽山津見(はやまつみ)《右手》……は(麓、ふもと)
原山津見(はらやまつみ)《左足》……はら(原)、はる(晴・映)
戸山津見(とやまつみ)《右足》……と(遠・凸)

 「やまつみ」の「つ」は格助詞、「み」は霊で、「山の魂・山の霊」である、それぞれ、「○○山」の形なので、固有名詞かも知れない。 そう思って検索してみたが、古くからそれぞれの名前で呼ばれているものは、意外になかった。とすれば、固有名詞というよりも、やまを形容する一般名詞かも知れない。
 「まさか」は、天照と須佐之男の誓約によって生じた、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)に通ずる。この神の4代目の子孫が神武天皇である。
 従って、「まさ」には「正統」というニュアンスが感じられる。とすれば、次の「おど」は、その対極にある。濁音が含まれるのも、その印象を強めている。しかし、頭からできたのが「優」の神で胸からは「穢れ」の神というところに、何か意味はあるのだろうか。謎は尽きない。
 「しぎ」は、紀一書の解説から、恐らく鳥の「しぎ」である。これだけは、特定の鳥に結び付けられる点で他と趣が異なる。
 「は」も紀に、「ふもと」という説明がある。そうすると、「おく」「はら」「くら」「と」も山の、さまざまな場所を現すと思われる。
 この中で、「おくやま」は、いろは四十八文字の「うゐのおくやま けふこえて」が連想される。これとの関連で、「おくやま」とは「奥まったところの山」であろうと思われる。
 それでは、火の神の断片が、多様な姿の「山の霊」を生じたのはなぜか、という疑問が湧く。より古いと思われる一書七を参照すると、三段に斬られたうちの一段が「大山津見」である。対して記では「大山津見」は、すでに伊邪那岐・伊邪那美の神生みにより登場している。 つまり、山津見神のグループは、大山津見を上位として下位に複数の「やまつみの神」が存在する。記では、伊邪那岐・伊邪那美から上位の神だけがひとりの子として生まれ、下位の神は伊邪那美を死に至らしめた子「かぐつち」の断片から生じたのである。

【天之尾羽張、伊都之尾羽張】
愛媛県松山市道後今市出土
時代: 弥生時代_後期
画像提供:東京国立博物館

とつかの剣…十束剣は、<wikipedia>「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される。</wikipedia>今、私の拳の幅を測ってみたら、約9cmあった。その10倍だと90cmになる。なお、国宝の埼玉稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣の長さは73.5cmである。「とつかの剣」という名称の「とつか」は、もともと長さを表していたが、後に枕詞になったと考えてよいだろう。
 「尾羽張」は、wikipediaには「刃(=羽)の束(つか)に近い部分(「尾」)が左右に張り出した形を表す」とあるから、これが通説であろう。 しかし、これとは別に孔雀の尾も連想される。検索をかけると「孔雀明王像」というものが、密教の絵画にあるという。(京都国立博物館解説ページ)孔雀は尾を立てることにより、毒蛇を撃退する力があったとされる。
 火の神を切り刻むことによって16柱もの神を出現させたのだから、剣は大いなる魔力を持っていた。だが剣の魔力が、何故孔雀の尾の力なのかとなると、なかなかむずかしい。さらに「伊都」は、魏志倭人伝に出てくる北九州の重要な国を連想させる。「あま」を神とする一族が伊都国の方面から大和にやってきた。古くその王がもっていた宝剣は、中央アジアから孔雀の力の言い伝えと共に伝来したものであるということであろうか。まことに、想像は尽きない。実際、対馬や九州の卑弥呼の時代よりはるか以前の王の墳墓から、大陸由来の銅剣が出土するのである。 もしこの想像が当たっていれば、十束剣の別名の由来は非常に古く、古事記から700年程度も遡ることになる。

まとめ
 以上から要するに、この部分には火の神・かぐつち神を十束の剣で切り刻んだ結果、血と肉片から生じた神について書かれている。しかし神々と十束の剣の名称を詳しく見ると、弥生時代以前の墳丘墓に収められた大陸伝来の銅剣や、出雲地方の砂鉄による製鉄技術の伝統まで壮大なアーチを架けている。記紀編纂の時代以前に、各地の部族に残されていた古い伝承を引き継いでいるのである。


2013.09.13(金) [039] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美7)

於是 欲相見其妹伊邪那美命 追往黃泉國
爾自殿騰戸出向之時 伊邪那岐命語詔
之愛我那邇妹命 吾與汝所作之國 未作竟故可還

是(ここ)於(に) 、其の妹、伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)に相見(み)るを欲り、追ひて黃泉(よも)つ国に往きたまひき。
爾(すなは)ち殿(との)の騰(あげ)戸(と)自(よ)り出(い)で、向(むか)ひし[之]時、伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)語り詔(の)らさく、
「之(こ)の愛(うつく)し我(あ)が那邇妹(なにも)の命(みこと)、吾(あれ)与(と)汝(なれ)の作りし[所之(の)]国は未(いま)だ作り竟(お)へざりし故(ゆゑ)に還(かへ)る可(べ)し。」


爾伊邪那美命 答白
悔哉不速來 吾者爲黃泉戸喫
然 愛我那勢命【那勢二字以音下效此】
入來坐之事恐 故欲還且與黃泉神相論
莫視我如此白

爾(すなは)ち伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)答へて白(まお)さく、
「悔(く)ゆる哉(かな)速(はや)来たらず。吾(あれ)者(は)黃泉(よも)戸(と)喫(く)らひを為(し)き。
然(しか)らば、愛(うつく)し我(あ)が那勢の命(なせみこと)、【「那(な)勢(せ)」の二字音を以ちてす。下此に効(なら)ふ。】
入(い)り来坐(ま)す[之]事は恐(おそ)ろし。故(かれ)、還(かへ)りて[且(か)つ]黃泉(よも)つ神与(と)相論(と)くを欲る。
我(あれ)を視(み)る莫(な)かれ、此(こ)の白(まお)せし如し。」


而還入其殿內 之間甚久難待
故刺左之御美豆良【三字以音下效此】湯津津間櫛之男柱一箇取闕 而燭一火

而(すなは)ち其の殿内に還(かへ)り入り、之の間(あひだ)甚(はなは)だ久しきに待ち難し。
故(かれ)、左之御美豆良(みづら)【三字音を以ちてす。下此れに効(なら)ふ】に刺したまふ湯津津間(ゆつつま)櫛之男柱(をばしら)、一箇取り闕(か)け、而(すなは)ち一つ火を燭(と)もしき。


 そこで、彼の妹に逢うことを望み、追いかけて黄泉の国に行きなされたのでした。
 神殿の上げ戸から出て妹に向かって、いざなぎの命は
「この愛(いと)しの妹、お前のみこと、私とお前で作った国はまだ作り終えていない。だから何としても戻ってきなさい。」と仰られました。
 いざなみの命はそれに答えて、
「残念です。もっと早く来てほしかった。私は、黄泉の洞内で食する暮らしを始めているのです。
 ですから、愛しい兄のあなた様のみこと、あなたが入っていらっしゃることは恐ろしいことですから、戻って黄泉の神と話をしてください。
 私を決して見てはいけません。私が申し上げることはこれだけです。」と申し上げました。
 言われた通り、神殿の中に還りましたが、黄泉の神を待つ時間はとても長く待ちきれなくなりました。
 そこで左の御みずらにお刺しになっていたゆつつま櫛の男柱(おばしら)の片方を取り欠き、火をつけてひとつの明かりとしました。


…[助動] 可能・許可・当然・勧誘・評価。日本語の「べし」は推量・意思・当然・適当・命令・可能。
…判断を示す文末に置き、強く肯定したり確認する。「~のみ」と訓読するが限定の意味はない。「~なのである」
(=与)…[接][前] ~と
…[動] 終える
…[動] もうす
…[動] 食物を口に入れ、噛み砕いてから飲み下す
…[動] すわる;<日本語用法>「ましま-す」…「いる」の尊敬語
…[接] かつ。累加の接続詞。
…[副] なかれ
…[名] (あひだ)空間、または時間の隔たり;<日本語用法>和漢混交文で接続助詞のように用いる。~ところ。~ゆえに。
(けつ)…[動] 欠ける

【詔・白】
 どちらも「言う」であるが、「詔」は上から下へ、「白」は下から上に向かう意味合いがある。対句表現である。記紀編纂の時代はもう男性優位社会になっていたことが、ここにも表れている。

【殿騰戸】
 「殿」が建築物を指すのは、後の「還入其殿内」(いざなみの話を一度は聞き入れて「殿」内にもどり入る)という文から明らかである。 また、おのころ島には八尋殿」という広大な御殿があった。すると、もともと古墳の前には、社殿が立てられるのが普通であったと想像される。
 「騰戸」は、他の文献に用例がないので解釈が難しいが、単純に考えれば上向きに開く戸で、開くとき、また開いたままにするときに棒で支える形態ではないかと想像される。

【「自殿騰戸出向」の主語】
 これまで述べた通り、この部分は前文から続いて伊邪那岐が主語であると考え、黄泉への洞窟の外に宮殿があると考えてきた。しかし、主語を伊邪那美に変えて、伊邪那美が伊邪那岐を「殿から出て迎える」ことにしても、辻褄が合うのである。この場合、「殿」は黄泉の中にあることになる。 そして、伊邪那美は殿に戻り、私が黄泉の神と相談するのを待てと言う。伊邪那岐は待ちきれずに櫛の一端を折り、火を灯して中に入る。もし「而燭一火入見之時」に「殿」を加え「而燭一火入殿見之時」となっていたら「主語=伊邪那美」が確定する。
 しかしそうではないので定まらない。そこで「伊邪那美・主語説」を前提として検討したが、以下の点が納得できずに残るのである。
(1) 暗黒の洞内から、声だけで対応しているはずの伊邪那美が、出てきて対面していることになる。伊邪那岐の側から暗闇にいる相手に「向って」話しかけると読んだ方が自然である。
(2) 「入來坐之事恐 故欲還」は、「入って来る」人に「戻れ」と言っているのである。だから、殿に還るのは伊邪那岐である。
(3) 紀・一書六では、伊邪那美は「私はこれから黄泉の神と相談したい」ではなく、「すぐに寝息したい」と言っている。伊邪那岐の相手に煩わされずに、早く安らかな眠りに就きたいのである。
(4) 全体として伊邪那岐と伊邪那美の記述の対称性が保たれている。対称性を重んずれば、「殿騰戸」と「黄泉戸」はそれぞれ伊邪那岐と伊邪那美の行動に割り振るのがよい。

 一方、伊邪那美主語説に立つ資料もある。紀・一書九がそれである。「伊邪那美が出迎え、その姿はまるで生きているかのようであった」と「出迎」の文字を使って明確に述べている。伊邪那美はその後忽然と姿を消すのだが、闇に火を灯して見たら、身体は膨れ上がり、八色の雷で彩られた奇怪な姿であった。 そのまま現代のホラー映画になりそうで大変面白いが、「出向」の主語が伊邪那美であることを前提とすれば、こう解釈せざるを得ない。原資料を読んだ一人の編者が「伊邪那美が出向えた」と解釈して、うまく話が繋がるように脚色した可能性がある。

【之の愛(うつく)し我が那(な)邇(に)妹(も)の命(いのち)乎(かな)】
 いざなぎが最愛の妹を亡くした場面で、いざなみに呼びかけたときの表現が、もう一度用いられる。 なに=汝である。「いとしい私のいもうとであるお前の命なのに」と二人称で呼びかける。

【可還爾】
 ここの「べし」は、当然、勧誘、命令。「爾」は話し手の強い意志を表す語気詞。「どうしても帰って来い」と強く訴える。

【我がなせの命(みこと)】
…神・天皇、または、目上の人の尊敬語。「…のみこと」の形で用いる。
(兄・夫・背)…[名] あなた。夫。あの人。女性が、夫、兄弟、恋人など自分 の親しい男性をさして呼んだ語。
 いざなぎは、いざなみを、「なにも」(妹であるお前)と呼んだ。それに対応していざなみの方からいざなぎを呼ぶので、「なせ」は「あなた+兄」と解釈することができる。
 さらに、紀一書の六は、「吾夫君尊」と表し、一書の七で「あがなせ」と読めと指示している。「我=吾、な=君、せ=夫、命=尊」のように対応するので、これで「せ」が「兄」であることが確定する。また、一書六は、記と同一資料に基づいて書かれたことがわかる。
 記では「せ」に「兄」あるいは「夫」を宛てることをせずに音で表記し、紀でも一書七に注釈があることから、兄や夫を「せ」と読むのは当時は一般的でなかったことがわかる。

【如此白】
 「私が今言った通り」と念を押す。つまりもうこれ以上話すことはない、あとは神殿に戻って黄泉の神と相談せよと突き放すのである。そして、私の姿を見てはならないと言う。けれども、見るなと言われれば見たくなるのが人情である。

【之間】 
 現在は「居間」など、「一室」の意味があるので、「其殿内之間」は「宮殿内の一部屋」と読めてしまうが、この時代に部屋を「間」と表現していたとは思えない。この場面ではいざなぎは、いざなみの言うことを聞いて、一旦宮殿で黄泉の神を待つが、待ちきれないのである。 だから、「之の間(あいだ)」として時間経過を表すか、または日本語用法の接続詞(「このあいだ」=すなわち)のどちらかである。

【不速来】
 「早からず来る」あるいは「早く来たらず」。つまり「悔哉。不速来」は、「残念だわ、もっと早く来てくれればよかったのに」という意味である。紀の一書六では「何来之晩也」となっている。形容詞の「晩」には「事態がすでに取り返しがつかない時にいたっているさま」という意味がある。

【黄泉戸】
 「殿騰戸」と対になっている。なお「戸」には出入口にはめる「戸」のほかに、「洞穴」の意味がある。

【吾者為黃泉戸喫】
 「者」は「吾」が主語であることを明確にする。「為」が動詞。「黃泉戸」は場所を示す副詞句として動詞「喫」形容する。これでは動詞が2つになるが、「黃泉戸喫」は名詞化して中心的な動詞「為」の目的語になる。
 「吾者為~」は、「私は~という状態にある」といった意味である。「喫」は一文字で「食物を食す」を意味する。つまり、この文の意味は「私は、もう黄泉の世界で食する身になってしまった」である。
 紀一書六は、「吾已湌泉之竈矣。」湌=餐(たべる) 已(すでに) 泉は「黄泉」のこと。「矣」は語気詞。つまり、「私はすでに黄泉のかまから食するようになってしまった」。記と共通する。

【刺左之御美豆良…】
 「刺」は、「さす」という動作ではなく、「刺していた」という状態を表すことにしないと意味が通じない。また、構文は素朴である。
 本来は「所」を使って「取闕所刺左之御美豆良湯津津間櫛之男柱一箇」(左の美豆良に刺した所の湯津津間櫛之男柱の一箇を取り闕け)とするところである。
 ただ、漢文は主語+述語がそのまま名詞節や副詞節になったりして、かなり自由度が高いので、原文のままでも誤りとは言い切れない。

【湯津津間(ゆつつま)櫛】
 <大辞泉ネット版>ゆつ‐つまぐし(斎つ爪櫛) 神聖で清浄な櫛。一説に歯の多い櫛の意。ゆつのつまぐし。</大辞泉>

【男柱】
国内最古級の横櫛(よこぐし)
小阪合遺跡出土、古墳時代
写真:邪馬台国大研究
(八尾市立歴史民俗資料館蔵)

 一般には、「橋・階段などの左右の端にある大きな柱」を指す。櫛の両端の太い刃を形容するか。

【黄泉】
<百度百科(中華人民共和国)>
 黄泉,在中国文化中是指人死后(=後)所居住的地方。打泉井至深时(=時)水呈黄色,又人死后埋于地下,故古人以地极(=極)深处(=処)黄泉地带为(=為)人死后居住的地下世界,[()内は対応する日本の漢字]
 黄泉。中国文化の中で、死後に居住する場所を指す。地中深く井戸を掘ると湧き出る水が時に黄色を呈する。また、死後は地下に埋葬する。よって古人は極めて深い場所である黄泉地帯を人が死後居住する地下の世界とした。
</百度百科>
 また中華民国の「中国哲学書電子化計画」から検索すると、「黄泉」は203件あるので、古くから地下の死後の世界を指す一般的な語であることがわかる。
 日本語の「よみ」を調べると、『ほつまつたゑ』によれば、「よみ」は、「よむ(倦む・膿む・穢む・罷む・終む)」の名詞形であり、「落ちる、縮小する、果てる」などのようすを表す。
 古語辞典を見ると、「よみ」または「よも」と言う。一般に、黄泉比良坂=「よもつひらさか」、黄泉神=「よもつかみ」と読まれるのに対して、黄泉国は「よもつくに」「よみのくに」の両方がある。「つ」は古い連体助詞なので、「よむ」は古い形であろう。
 記の「黄泉」には注釈がないので、「よむ」「よみ」という訓読みは、古事記編纂の時期に、すでに一般的だったと思われる。

【紀・次生海の段、一書より】
《一書六》
然後、伊弉諾尊、追伊弉冉尊、入於黃泉、而及之共語時、
伊弉冉尊曰、吾夫君尊、何來之晩也。
吾已湌泉之竈矣。雖然、吾當寢息。請勿視之。
伊弉諾尊不聽、陰取湯津爪櫛、牽折其雄柱、以爲秉炬。

然る後、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を追ひ、黃泉に入り、而(すなは)ち之(こ)れ共に語らふに及びし時、
伊弉冉尊(いざなみのみこと)曰(いは)く、吾夫君(あがなせ)の尊(みこと)、何来たる之(これ)晩(おそ)し也。
吾(あれ)已(すで)に湌泉之竈(よもつべぐひ)矣(たり)。然りと雖(いへど)も、吾當(まさ)に寢息せむとす。之を視ること勿(なか)れと請(こ)ふ。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)聴(き)かず、陰(かげ)に湯津爪(ゆつつま)櫛を取り、其の雄柱を牽(ひ)き折り、以て秉炬(たい)と為す。

…かまど (=餐)…たべる …[助動]まさに~すべし …[副]なかれ
…[動]ひく …[動](とる)手にもつ …[名]かがり火
 吾夫君(あがなせ)、秉炬(たい)、湌泉之竈(よもつべぐひ)の読みは、一書七に明示されている。

《一書九》
一書曰、伊弉諾尊、欲見其妹、乃到殯斂之處。
是時伊弉冉尊、猶如生平、出迎共語。
已而謂伊弉諾尊曰、吾夫君尊、請勿視吾矣。
言訖忽然不見。于時闇也。伊弉諾尊、乃舉一片之火而視之。

一書曰、伊弉諾(いざなぎ)の尊、其の妹を見んと欲し、乃(すなは)ち殯斂(ひんれん)之処に到る。
是時伊弉冉(いざなみ)の尊、猶(なほ)生平の如く、出迎へ共に語らひぬ。
已而(すでにして)伊弉諾尊に謂ひて曰く、吾夫君(あがなせ)の尊、吾を視る勿(なか)矣(れ)と請ふ。
言ひ訖(お)へ忽然と見へず。時に於いて闇也(なり)。伊弉諾尊、乃(すなは)ち一片之火を挙げ[而ち]之を視る。

 いざなみは生前と変わらぬ姿でいざなぎを出迎え、語らうのであるが、「私を決して見てはいけません」と言った後、突然姿が見えなくなり、やがて暗黒になる。 この後、いざなぎは変わり果てたいざなみの姿を見て大変驚くことになる。

内  容
(1)神殿の騰戸から、いざなぎが出て、入る。
(2)神殿の騰戸から、いざなみが出て、入る。
(3)いざなみは、いざなぎを出迎える。
(4)はじめ、いざなぎは、いざなみ(の幻影)と生前と変わらず親密に語り合う。
(5)いざなみは、すでに黄泉で食事をとる身になったから、いざなぎが来るのは遅すぎたと言う。
(6)いざなみは、私の姿を見てはならないという。
(7)いざなみは、話し終えた後、忽然と見えなくなる。
(8)いざなみは、自身が戻って黄泉の神と話し合いたいと言う。
(9)いざなみは、いざなぎに、戻って黄泉の神から説明を聞けと言う。
凡例:  〇…記載あり。 △…いざなみ殿内説。 ▲…いざなぎ殿内説。 [空欄]…記載なし。
まとめ
 この部分の要素を右の表にまとめた。
 いざなみの魂は、生前と何ら変わることなくいざなぎを慕っている。しかし、物体としての自分の姿(死体)は、醜く朽ちていく一方なので、決して見られてはならない。 また、すでに黄泉の国で食生活する身になったのだから、現世に戻ることはできない。
 この話において、前半で生身のいざなみが現れた場合、「それではいつ姿を消を消したのだろう」という疑問を生む。 一書九はそこを何とかすべく「忽然と姿が見えなくなる」を挟んでいる。これで確かに話は繋がるが、あまりに空想的でやや白ける。神話だから何でもいいわけでもあるまい。ただ、映画やオペラにする場合にはこれがよい。
 別の繋ぎとしては、の「欲還且与黃泉神相論」を、いざなみが「黄泉神と相談するために戻る」と読み取る方法もある。ただし、この部分は「如此白」つまり「これ以上私から話すことはない」から、あとは黄泉の神から説明を聞けといざなぎに言ったとも取れる。
 このように考えていくと、この部分でいざなみが生身の姿を現すことは最初から最後までなく、洞内から声だけで対応したという解釈が一番すっきりすると思えるのである。


2013.09.28(土) [040] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美8)

入見之時 宇士多加禮許呂呂岐弖【此十字以音】
於頭者大雷居 於胸者火雷居 於腹者黑雷居 於陰者拆雷居 於左手者若雷居 於右手者土雷居 於左足者鳴雷居 於右足者伏雷居 幷八雷神成居

入(い)り見しし[之]時、宇(う)士(じ)多(た)加(か)礼(れ)許(こ)呂(ろ)呂(ろ)岐(ぎ)弖(て)【此の十字音を以てす】、
頭に[於]者(は)大(おほ)雷(いかづち)居(を)り、胸に[於]者火(ほの)雷居り、腹に[於]者黒(くろ)雷居り、陰(ほと)に[於]者拆(さく)雷居り、左手に[於]者若(わか)雷居り、右手に[於]者土雷居り、左足に[於]者鳴(なる)雷居り、右足に[於]者伏(ふす)雷居り、并(あはせ)て八(つはしら)雷の神成[居]りき。


於是 伊邪那岐命見畏 而逃還之時 其妹伊邪那美命 言令見辱吾
卽遣豫母都志許賣【此六字以音】令追 爾伊邪那岐命 取黑御𦆅 投棄 乃生蒲子 是摭食之間逃行
猶追 亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛 引闕 而投棄 乃生笋 是拔食之間 逃行

是(こ)れ於(に)伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)見(め)し畏(おそ)れ、[而]逃げ還(かへ)りし[之]時、其の妹(いも)伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)言はく「吾(あれ)に辱(はづか)しけるを見(み)令(し)む。」
即(すなは)ち予(よ)母(も)都(つ)志(し)許(こ)売(め)【此の六字、音を以てす】を遣(つかは)し、追(お)は令(し)む。爾(ここ)に伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)黒御縵(くろみかづら)[=蔦を巻いた冠]を取りて投げ棄(す)ち、乃(すなは)ち蒲子(えびかづら)[=山葡萄]生(お)ひ、是れを摭(ひろ)ひ食(は)みし[之]間(ま)に逃げ行(ゆ)きき。
猶(なほ)追ひ、亦(また)其(そ)の右の御(み)美豆良(みづら)に刺しし[之]湯津津間櫛(ゆつつまぐし)引き闕(か)き[而]投げ棄ち、乃(すなは)ち笋(たかむな)[=たけのこ]生(お)ひ、是れを抜き食(は)みし[之]間(ま)に逃げ行きき。


且後者 於其八雷神 副千五百之黃泉軍 令追 爾拔所御佩之十拳劒而 於後手布伎都都【此四字以音】逃來
猶追 到黃泉比良【此二字以音】坂之坂本時 取在其坂本桃子三箇待擊者悉逃迯也

且つ後(うし)ろ者(は)其の八つはしらの雷(いかづち)の神於(に)千五百(ちあまりいほつ)之(の)黄泉(よもつ)軍(いくさ)を副(そ)へ、追は令(し)めき、爾(すなは)ち御佩(おびたまひし)[所之]十拳剣(とつかつるぎ)を抜きて[而]後ろ手に[於]布(ふ)伎(き)都(つ)都(つ)【此の四字音を以ちてす】逃げ来たり。
猶(なほ)追ひ、黄泉(よもつ)比(ひ)良(ら)【此の二字音を以てす】坂之(の)坂本に到れる時、其れ坂本に桃(もも)子(こ)三箇(こ)在るを取り、待ちて撃つ者(は)悉(ことごと)く逃げに迯(に)げき[也]。


爾伊邪那岐命告其桃子 汝如助吾 於葦原中國所有宇都志伎【此四字以音】青人草之落苦瀬 而患惚時可助 告賜名 號意富加牟豆美命【自意至美以音】
爾(すなは)ち伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)其の桃子に告(の)らさく「汝(なれ)助吾(あれ)を助く如く、葦原中国(あしはらなかつくに)に[於]有る[所の]宇(う)都(つ)志(し)伎(き)【此の四字音を以てす】青人草(あをひとくさ)之(の)苦(くる)し瀬に落ち[而]患(わづら)ひ惚(ほ)く時助く可(べ)し。」名を告(の)り賜はり「意(お)富(ほ)加(か)牟(む)豆(づ)美(み)の命(みこと)と号(なづ)けき。【意自(よ)り美至(ま)で音を以ちてす】

 入ってみたところ、蛆がたかり[遺体は]ころがるままにされ、頭には大雷(いかづち)がおり、胸には火(ほの)雷がおり、腹には黒雷がおり、陰部には裂(さく)雷がおり、左手には若雷がおり、右手には土雷がおり、左足には鳴(なる)雷がおり、右足には伏(ふす)雷がおり、併せて8柱の雷(いかづち)の神に成りました。
 このため、いざなぎの命は見て恐れ逃げ帰られました。その妹のいざなみの命は「私を恥ずかしい目に遭わせたわね」と言い、そのため黄泉醜女(よもつしこめ)に命じて追わせたのでした。いざなぎの命は、黒御鬘(くろみかずら=蔦の冠)を投げ捨てられたところ山葡萄が生えたので、拾って食べている間に逃げて行かれました。
 尚追い、再びその右の鬟(みずら)に刺していたゆつつま櫛を引き抜き、投げ捨てられたところ筍(たけのこ)が生えたので、抜いて食べている間に逃げて行かれました。
 さらにその後ろに、八柱のいかづちの神に1500の黄泉(よもつ)軍を添えて追わせたのでした。いざなぎの命は腰に帯びていたとかつの剣を抜かれ、後ろ手に振り回しながら逃げていらっしゃいました。
 尚追い、黄泉比良坂(よもつひらさか)の登り口に到ったとき、その登り口に桃が3個あったのを取り、待ち構えて投げつけたところ、追手はことごとく逃げ去ってしまいました。
 いざなぎの命は、桃たちに「お前たちは私を助けたように、葦原中津国に移り来て、人民が苦境に陥り患い悩む時に助けなさい」と告げられ、名を賜り「大神つ実(おおかむつみ)の命」と呼ぶよう告げられました。


…[助](語気詞) ~のみ。
生(お)ふ…[動] 生(は)える
…[接] 順接の接続詞。前節の事実をうけて、後節において結果を示す。
…[動] ひろう。
蒲子(えびかずら)…山葡萄
(たかうな、たかむな)…タケノコ。
…[接](累加) かつ。
…[動]おぶ、おびる。「佩刀」(はいとう)=刀を帯びる。
-こ…[接尾] 親しみの気持ちをこめて、人の名に付ける。
…[動]「逃」に同じ。
青人草(あおひとぐさ)…人民。
…[名] ①川や海の浅くなっている所。また浅くて流れのはやい所にもいう。瀬。浅瀬。②物事に出合う時。場所。折。機会。
惚(ほ)く…[動] ぼんやりする。ぼける。「ほうく」とも。
…[動] 目下から目上に申し上げる 目上から目下に知らせる
(号)…[動] (な)づく

【入見之時】
 「之」は漢文としては「入見」を名詞化して「時」を連体修飾する関係を示すが、やまとことばの動詞が連体形であることを示す記号のようなものであると受け取った方がよさそうである。 これまで、本稿では基本的に「~の」と訓読したが、この場合は日本語として不自然なので、今後遡って直していこうと思う。

【八雷神】
雷(かみなり)は、古くは「いかづち」といった。
  いかづち
 語源由来辞典によれば、「厳(いか)つ霊(ち)」が語源。「いか」は「たけだけしい」などの意味。ち(霊)は霊的な力をもつもの。
 本来、いかずちは鬼や蛇、恐ろしい神などを表す言葉であったが、自然現象の中でも特に恐ろしく、神と関わりが深いと考えられていた「雷」を意味するようになったとされる。
 「雷」の字が宛てられているところから見て、記紀編纂の時代にはすでに「いかづち=雷」が定着していたが、元々の伝説が作られた古い時代には、鬼や蛇などの恐ろしいものを指していたと想像される。
 (おほ):頭 頭から生ずるから、八神の代表である。
 (ほの):胸 火之迦具土の神は、「ひの」と読むが、ここでは「ほの」である。古くは、連体修飾の格助詞「の」「つ」がつく場合、「i」が「o」に変わるようである。(「よもつ」など)「ほつ」でもよさそうだが、「ほついかつち」は、語呂が悪い。
 (くろ):腹 火之迦具土(ひのかぐつち)の神と同様に、火、黒には製鉄との関係が連想される。
 (さく):陰部 「拆」は「裂」と同じで「わける」「ひらく」である。女性神の陰部に因むか。
 (わか):左手 「若」は漢字としては仮定の接続詞である。日本語用法では同音の「弱」に通用し「わかい」と読む。(「稚」と同じ意味)
 (つち):右手
 (なる):左足 「鳴る」は雷を連想させるが、それ以外はどんな雷なのか、想像は難しい。
 (ふす):右足
 ここでも、雷神は八柱にまとめられる。一書六でも同様で八雷であるが、記とは一部不一致がある。
 一書六では「八色の雷」とされる。「八色の姓」のように「色」は必ずしも色彩ではないが、「火」「黒」「土」「若」などの名前から、もともと色彩を指していたことが想像される。 死体が日数を経ると皮膚がさまざまに変色、変形して恐ろしい印象を与えたということであろう。

【於頭者大雷居】
…[前]~において [動]おいてす。なす。
 まず、漢文の文法によって解釈してみる。「者」は、「於頭」が主語であることを示す。しかし「大雷」も「居」の主語なので、「於頭」は、主述構造「大雷居」を述語にとる大主語である。「於」は前置詞であっても、動詞から転じたものだから、ここでは、「動詞+目的語(事実上の主語)」が名詞化したものになる。
 しかし、この文は典型的な漢文なら「頭有黒雷」で充分である。ここはやまとことばを写し取り、助詞・動詞に漢字を対応させ、「於=に、者=は、居=をり」と読ませたと見るのが自然である。

【黒御𦆅】(くろみかづら)
𦆅の異体字。
 そこで、縵を漢和辞典で調べる。
(パン、マン)…無地の絹織物
 これでは全く意味が通じない。そこで、対応する紀の一書六を見ると、
因投黑鬘。此卽化成蒲陶。黒鬘を投げたところ、これが葡萄と化した。
…(かづら) 蔦などを頭部に巻いた飾り。後に演劇で頭に被る「鬘(かつら)」
 これで、「黒御𦆅」はつる性植物で作った冠のような飾り、という意味が確定した。

【蒲子】(えびかずら)
ヤマブドウ エビヅル

 「えびかずら」は葡萄葛、塩見葛、紫葛、蒲子、蒲陶、蝦蔓、衣比加豆良、衣比加都良などと表記される。葡萄・山葡萄・蘡薁(えびづる)などの古名。
園芸手帳ブドウ科
  ヤマブドウ(学名:Vitis coignetiae)は、ブドウ科のつる性落葉樹。
 原産地は日本(北海道~四国))、サハリン、アムールなど。山野に自生する野生のブドウ。 果実は球形で秋に熟し黒紫色になる。甘酸っぱく、生食できる。
  エビヅル(ブドウ科、Vitis ficifolia)つる性落葉樹。
 原産地は日本(本州~九州)、朝鮮半島、中国。
 ヤマブドウに似ているが葉の裏の産毛が白いので区別がつく。実は食べることができる。
</園芸手帳>
 なお、今日栽培されているブドウは、<wikipedia>ヨーロッパブドウ(原産地:中央アジア~アフガニスタンなど)である。日本で古くから栽培されている甲州種は、中国から輸入されたヨーロッパブドウの東アジア系が自生化して、鎌倉時代初期に甲斐国勝沼で栽培が始められたという。</wikipedia>

【うじたかれ】
たかる…[動]四段 むらがる。
 「たかれ」は連用形だから、四段活用ではなく下二段活用でなければならない。そう思って古語辞典をよく見たら、「古くは下二段活用」という注記があった。
 ウジは「蛆」(蠅の幼虫)であろう。対応する紀一緒六、九に蛆は登場せず「黄泉はきたない」あるいは「体がふくれあがった姿」が書かれている。

【ころろぐ】
 ある古語辞典には「ころろく」は「ころころと音をたてる」とある。
 類似の語句を探すと、古語に「転ぶ」があるが、これは「まろぶ」と読む。だから「ころろぐ」は、いざなぎが驚いて転んだのではない。 つくりが似た語を探したところ、「ほほろぐ(ほろろぐ)」(ばらばらに崩しほぐす、ぼろぼろにする)があった。
 語尾「~ぐ」は、形容動詞を動詞化するはたらきがある。例えば「やはらぐ」は、「形容動詞『やはら』の動詞化」と説明される。
 したがって「ほろろぐ」は、擬態語の副詞「ほろほろ」が動詞化したものである。
 現代語にも「ころころ」という擬態語がある。記では矛で下界の混沌とした沼を画いたときに「こをろこをろ」がある。心地よい音声のイメージでは、墓の中のようすを形容するにはふさわしくないが、 「ころろぐ」は、「ころころした状態に化す」という動詞に変えることができる。
 主語を蛆とすれば「ころろぐ」は「蛆がころころしている」という解釈が、一応可能になる。 しかし、頼りの紀一書に対応する文がなく、今のところ比較する材料がないので、確実なことは言えない。

【見(め)し畏れ】
 ここでは、敬語のよみ「めし」を採用した。
 一書六より抑制した表現である。いざなぎのあまりに心ない言動を書くことは控えている。
 一書六でいざなぎが叫んだ言葉「吾不意到於不須也凶目(いなしこめき)汚穢(きたなき)国矣」の意味は、 「あってはならない、見るに忌まわしい、きたない国に来てしまうとは思わなかった」である。それは、声に出してはならない言葉であった。

【於後手布伎都都】(後ろ手にふぎつつ)
 古語辞典では「ふく」は「風が吹く」など、空気の動きを意味する。しかし、これでは剣を後ろ手にする動きとは言えない。
 そこで「ふく」の意味の推定を試みる。一書六「背揮」のよみ「しりへてにふく」は、「後(しり)へ手にふく」であろう。 漢字「揮」は、「振り回す」という意味である。従って「ふく」は「振るう」の古い形であると思われる。

【葦原中国】(あしはらなかつくに)
 地上の世界、つまり国家そのものを指す語が、ここで初めて出てくる。以後、すさのをの命が登場後に数回出てくる。

【葦原中国に有る所にうつしき】
 <wikipedia>弥生時代後期には大陸から栽培種が伝来し桃核が大型化し、各時代を通じて出土事例がある。桃は食用のほか祭祀用途にも用いられ、斎串など祭祀遺物と伴出することもある。</wikipedia>
 中国から伝来し、北九州から出雲地方で栽培されていたのを、古墳時代に畿内に儀式用に持ち込んだという経過を反映しているかも知れない。そのように仮定すれば「うつしき」=「移し来」である。

【黄泉比良坂の坂本】
 「黄泉比良坂」(よもつひらさか)が固有名詞であるから、「坂本」は一般名詞で、坂の下の部分という意味である。
 記では、出雲国の伊賦夜坂を比定地としているが、「伊賦夜坂」自体も現在の地名には残っていない。「揖夜神社」(島根県松江市東出雲町揖屋2229)から東南東300mのあたりが黄泉比良坂の比定地とされ、石碑がある。
 記編纂の頃にその土地に言い伝えがあったのか、後に古事記を読んだ人々がこのあたりだろうと想像して定めたのかは不明であるが、山陰道を通って出雲の国に入る辺りなので、黄泉は出雲にあるというのが古くからの共通認識であったと思われる。
 また、出雲の国の入り口にあった桃の実に向かって、「葦原中津国に移れ」と言うのであるから、出雲はもともと葦原中津国から見て辺境であったことになる。大国主による国譲りとの関連で、注目される。

【おほかむづみ】
 「大神つ実」=「大いなる神の果実」であろう。桃は道教において神聖な果実であった。
 『山海経』(せんがいきょう)で恐ろしい死神であった西方母は、<wikipedia>道教が成立すると、西王母はかつての「人頭獣身の鬼神」から「天界の美しき最高仙女」へと完全に変化し、不老不死の仙桃を管理する、艶やかにして麗しい天の女主人として、絶大な信仰を集めるにいたった。</wikipedia>
 『山海経』は中国の戦国時代~漢代(403B.C.~220A.D.)に徐々に形成された。道教は5世紀ごろにまとまったとされるが、古墳から多数出土する三角縁神獣鏡に描かれたのが西方母である。古墳時代の初期の遺跡から大量に桃の種が出土する事実もある。道教は古墳時代の倭国に強い影響を及ぼしていた。
 それ以来、桃を聖なる果実とする伝統が記紀の時代まで受け継がれてきたと思われる。一書九では、伝統的に桃は「鬼を避ける」ものとされている。
 記では、「苦しき瀬に陥り患ひ呆ける時に助くべし」として、病などに苦しむ人民を救う役割を課している。

【一書六】
 紀「次生海」の段の一書六は記に対応する。
時伊弉諾尊、大驚之曰、吾不意到於不須也凶目汚穢之國矣。乃急走廻歸。
于時、伊弉冉尊恨曰、何不用要言。令吾恥辱。
乃遣泉津醜女八人、一云、泉津日狹女、追留之。
故伊弉諾尊、拔劒背揮。以逃矣。因投黑鬘。此卽化成蒲陶。醜女見而採噉之。噉了則更追。
伊弉諾尊、又投湯津爪櫛。此卽化成筍。醜女亦以拔噉之。噉了則更追。

時に伊弉諾(いざなぎ)の尊(みこと)、大(おほ)きに之を驚きて曰(いは)く、吾(あれ)不須也凶目汚穢(いなしこめききたなき)[之]国於(に)到るは不意(おもはざる)矣(なり)。乃(すなは)ち急ぎ走り廻(まは)り帰(かへ)りぬ。
于時(ときに)、伊弉冉(いざなみ)の尊恨みて曰く、何(なん)ぞ言(こと)を要(えう)ずるを不用(もちひざ)らんや。
[=なんと要らぬことを言うか]吾(あれ)を恥辱(はずか)令(しめ)む。
乃(すなは)ち泉津醜女(よものしこめ)八人(やつひと)、一云(あるひはいはく)泉津日狹女(よもつひさめ)を遣はし、之を追ひ留む。
故(かれ)伊弉諾の尊、剣を抜き背揮(しりへてにふぐ)。以て逃ぐる矣(なり)。因って投黒鬘(かづら)を投(な)ぐ。此れ即(すなは)ち化(け)し蒲陶(えびかずら)
[=山葡萄]成りぬ。醜女見(み)、而(すなは)ち採り、之を噉(くら)ふ。噉ひ了(を)へ則(すなは)ち更(さら)に追ふ。
伊弉諾の尊、又湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を投ぐ。此れ即ち化し筍(たかうな)成る。醜女亦抜くを以って之を噉ふ。噉ひ了へ則ち更に追ふ。


(=啖)…[動] くらう
 話し言葉の部分を除けば、紀・一書六の文体は記よりも漢文に近く、わかりやすい。

【一書七】
 紀「次生海」の段の一書七は、一書六・一書九のための辞書である。関連部分を抜き出して示す。
不須也凶目汚穢、此云伊儺之居梅枳枳多儺枳。(いなしこめききたなき)
醜女、此云志許賣。(しこめ)
背揮、此云志理幣提爾布倶。(しりへてにふぐ)
泉津平坂、此云餘母都比羅佐可。(よもつひらさか)
岐神、此云布那斗能加微。(ふなとのかみ[乙])

  「伊儺之居梅枳枳多儺枳」 ※ この項、2014/08/26改訂。
 「不須也」を注記なしに「いな」と読むのは不可能である。
 漢文では「也」は語尾または副詞につける語気詞である。記紀では、置き字として単に文を区切る機能である場合も多い。
 「須」は「必須」というように「必要」という意味がある。感嘆詞「いな」(否)に、「必要ない」という漢語を宛たと思われる。
 次に「之居梅枳」について。 漢字表記から意味を取り、「目で見るに凶である」とすれば意味は合う。 古語辞典には形容詞「しこめし」とある。
 「しこ」には「醜」の文字があてられ、接頭語となって「しこ名」「しこ女」「しこ屋」などのが派生して一般的な語となっている。だから、意味の分かっている語にまず結びつけようとするのは適切である。
 次の「汚穢」を「きたなき」と読むのは、判り易い。
 このよみから、記紀以前の時代から、倭語を漢字で表す際、さまざまに訓を宛てていたことが伺える。 それらを注釈なしに伝えるのはとても困難で、宮廷の専門部署で代々口伝えしないと途絶えてしまう。
 ところが、稗田阿礼はそれを再現できた。阿礼には、各時代の部族ごとに残ってはいるが、伝承が途絶えて意味不明な漢字の羅列にしか見えなくなった文を見て、もともとの倭語を推し量る特別の才能があったと思われる。
  泉津
 「よもつ」というよみから、「泉」一文字で「黄泉」を表すことがわかる。また「よみ」に連体修飾の助詞「つ」がつくと、「よもつ」になることもわかる。

【一書九】
 紀「次生海」の段の一書九も、また記に対応する。
時伊弉冉尊、脹滿太高。上有八色雷公。伊弉諾尊、驚而走還。
是時、雷等皆起追來。時道邊有大桃樹。故伊弉諾尊、隱其樹下、因採其實、
以擲雷者、雷等皆退走矣。此用桃避鬼之縁也。時伊弉諾尊、乃投其杖曰、自此以還、雷不敢來。
是謂岐神。此本號曰來名戸之祖神焉。
所謂八雷者、在首曰大雷。在胸曰火雷。在腹曰土雷。在背曰稚雷。在尻曰黑雷。在手曰山雷。在足上曰野雷。在陰上曰裂雷。

時に伊弉冉(いざなみ)の尊、脹満太高(ふくれあがり)き。上に八色の雷公(いかづちこう)有り。伊弉諾(いざなぎ)の尊、驚き[而]走り還(かへ)りぬ。
是の時、雷等皆起こり追ひ来(きた)る。時に道辺(みちへ)に大(おほ)き桃の樹(き)有り。故(かれ)伊弉諾の尊、其の樹の下に隠れ、因りて其の実を採りぬ。
以て雷に擲(なげう)て者(ば)、雷等皆退(しりぞ)き走り矣(た)り。此れ桃を用ひ鬼を避(さ)く之(の)縁(ゆかり)也(なり)。時に伊弉諾(の)尊、乃(すなは)ち其の杖を投げ曰(いは)く、此れ自(よ)り以て還(かへ)れ、雷敢(あ)へて不来(きたらず)。
[ここで帰れ。いかづちは来てはならぬ]
是(これ)岐(ふなと)の神と謂ふ。此れ本(もと)号(な)づけて曰く、来名戸之祖(くなとのそ)の神焉(なり)。
所謂(いはゆる)八つ雷者(は)、首に大(おほ)雷と曰ふ在り。胸に火(ほの)雷と曰ふ在り。腹に土(つち)雷と曰ふ在り。背に稚(わか)雷と曰ふ在り。尻に黒(くろ)雷と曰ふ在り。手に山(やま)雷と曰ふ在り。足上に野(の)雷と曰ふ在り。陰(ほと)上に裂(さく)雷と曰ふ在り。


-こう(公)…[日本語用法] 人名の略称・動物名などの下につけて、親しみや軽蔑の意を表す語。「えて公」など。
 現代の中学生の隠語「先公」もこれである。しかしここの「雷公」は蔑称とまでは言えず「頼朝公」などのような尊称だが、尊・命よりは格下と見られる。記では"雷神"と「神」とされるが、一書九では決して「神」とは書かれず、その手前である。
  脹満太高
…「腹の中に圧迫されるような不快感を覚える(脹満、ちょうまん)」「ものがふくれる。はれる(膨脹=膨張)」という意味があるが、ここでの意味は「膨脹」だと思われる。
 ある納棺師は、自らの体験に基づいて死体が傷んでいく経過を述べている。
納棺師の日記より>
 腐敗性変色(死後20時間~48時間):遺体の下腹部から緑色に変色。
 腐敗網発生(死後30時間~数日):血管に沿う形で濃い紫色の網状の変色。
 腐敗膨張(死後1週間~3週間):腐敗疱腐敗ガスの発生による膨満。
 死体の損壊(死後10日~数か月):ウジ虫や甲虫目による蚕食。
 白骨化(死後1年~):白骨化またはミイラ化。
</納棺師の日記>
 この観察を参考にすると、記紀は死体が朽ち果てていく表現「蛆たかりころろぐ」「脹満太高」「八色の雷」がよくわかる。 そして、体の各部分の腐敗はあたかも化け物がまとわりついているように見える。いざなぎが逃げるや、それらは体から離れて襲いかかってくるのである。
  くなと
 =来、=強い否定の終助詞。動詞の終止形の後ろにつく。=処。つまり、この場面のいざなぎの言葉「来てはならぬ」をもって、この神名の謂れとしている。
  八雷
 まず、頭・胸・腹・陰部で4か所。加えて記では手足を左右別々に数えて計8か所にしているのに対し、一書九では手・足に尻、背を加えて8か所としている。また、記の「なる」「ふす」はなく、代わりに「の」「やま」が加わっている。
 それらの名称は特に深い意味はなく、「八雷」に数を合わせるためにそれぞれ適当に名を付けたような印象を受ける。

【一書十】
 一書十にもこの件がある。
一書曰、伊弉諾尊、追至伊弉冉尊所在處、
便語之曰、悲汝故來。答曰、族也、勿看吾矣。
伊裝諾尊、不從猶看之。故伊弉冉尊恥恨之曰、汝已見我情。我復見汝情。
時伊弉諾尊亦慙焉。因將出返。于時、不直默歸、而盟之曰、族離。又曰、不負於族。
乃所唾之神、號曰速玉之男。次掃之神、號泉津事解之男。凡二神矣。
及其與妹相鬪於泉平坂也、伊弉諾尊曰、始爲族悲、及思哀者、是吾之怯矣。
時泉守道者白云、有言矣。曰、吾與汝已生國矣。奈何更求生乎。吾則當留此國、不可共去。
是時、菊理媛神亦有白事。伊弉諾尊聞而善之。乃散去矣。

…(中略)…
不負於族、此云宇我邏磨穊茸。(うがらまけじ、うがら=親族。ここでは夫婦)
一書(あるふみ)に曰く、伊弉諾尊、追ひ伊弉冉尊所在処(あらせらるところ)に至れり。
便(すなは)ち語之(かた)り曰く、汝(なれ)故(ことさら)に来むは悲し。答へて曰く、族(うがら)也(なり)
[「うつくしあがなせ」と同じ]看吾(あれ)を見る勿(なか)れ[矣]。
伊裝諾尊、不従(したがはず)猶(なほ)之を看ゆ。故(かれ)伊弉冉尊之を恥じ恨みて曰く、汝(なれ)已(すで)に見我(あ)が情(さま)
[=状況]を見ゆ。我(あれ)復(また)見汝が情(さま)を見むとす。[=私の姿を見られたのだから、あなたを追って姿を見に行くわ]
時に伊弉諾尊亦慙(は)じ焉(ぬ)。
[=自分を恥ずかしく思った]因て将(まさ)に出で返さむとす。于時(ときに)直(すぐ)黙して帰せず、[而]之を盟(ちか)ひ曰く、族離(うがらはなる)。又曰、不負於族(うがらまけじ)。[=離婚する]
乃(すなは)ち所唾之(つはく)神、号(な)づけ曰く速玉之男(はやたまのを)。次に掃之(はらふ)神、号づけ、泉津事解之男(よもつことわけのを)。凡(あは)せ二(ふた)はしら神矣(なり)。
及ち其の妹(いも)与(と)泉平坂(よもつひらさか)於(に)相(あひ)闘(たたか)ふ也(なり)。伊弉諾尊曰く、始め族(うがら)為すは悲し、及ち哀く思ふ者(は)是れ吾之怯(あがおび)ゆ矣(なり)。
時泉守道(よもつみちもり)者(は)白(まお)して云わく、有言矣(ことあり)
[=言伝があります]。曰く、吾与汝(あれとなれ)は已に国を生み矣(を=終)へり。奈何(いかんぞ)更に生く求乎(や)[=どうしてこれ以上生くことがあろうか]。吾則(すなは)ち当(まさ)に此の国に留まむとす。不可共去(ともにさるべからず)。
是の時、菊理媛(くくりひめ)の神亦白(まお)す事有り。伊弉諾尊聞きて[而]善之(これをよしとす)。乃(すなわち)散去矣(ちりさりぬ)
[=解散し、それぞれに去った]

 「不負於族」に「うがらまけじ」というよみ方がついている。古語辞典によれば「うから」=親族で、上代は「うがら」であったとされる。だから最初のいざなみの言葉「族也」は「うがら=夫婦あるいは兄妹です」となり、記においていざなみがいざなぎを呼ぶ言葉「愛し我がなせの命」にあたることが判る。
 一書十では、見るなと言われたのに、いざなぎの死後の姿を見て逃げ出し、恥をかいたいざなみが怒って追い、争うという大筋は共通であるが、醜女や雷神は現れず、主に手続きにこだわっている。
 離婚にあたっては盟約が必要で、争いを治める為に仲介人(神)が複数登場するところが面白いところである。

まとめ
 この段では、死体が朽ち果てるようすを子どもに読み聞かせることによる、教育の側面があったと思われる。生命の始めについては体の「成り成りて…」の部分で性行為を説明した。今度は死後の人体を描くことにより、生命の終わりについて説明するのである。
 ここでは「いかづち」が主に「かみなり」を意味するようになるより、ずっと以前に成立した口述神話に起源があると思われることは、既に述べた。 女性が醜く変貌した姿を見られることを極端に嫌うのは当然であろう。黄泉の国にあるものはすべて忌むべきもので、仕える侍女も、また醜い風貌である。また死体の各部は化け物のようになり、見られると死体から離れて襲ってくるのである。黄泉の国は徹底的に恐ろしい国として描かれている。さらに、その位置は現在(=記紀成立の時代)の出雲国である。 出雲の国は既に律令国の一つであるが、遠い昔の民族的な憎悪の名残は隠すことができないのである。
 男子は、時に蔦などを編んで環にした髪飾りを作り、装飾する習慣があったようだ。それを地面に投げると育って山葡萄になるのは、形が葡萄の蔓に似ているからであろう。櫛が筍に化す理由は想像が難しいが、筍の縦断面は、櫛に似ている。
 いざなぎを追う者は一書六は醜女のみ、一書九は八雷のみである。記では、もともと2種類あった話を統合したのかも知れない。それにしてもこの部分はとても幻想的で、その面白さは比類のないものである。
 桃のもつ霊力は、初期大和政権の宗教、道教の残存をうかがわせる。桃への「大神つ実」の部分は、前後の文章とは異質で、神の権威を背景とする国の支配者による人民への施しに触れる。 このように面白い話で引き付けておいた上で、時に国の支配の形を紛れ込ませ、刷り込みをするのである。うまくできている。


2013.11.30(土) [041] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美9)

最後其妹伊邪那美命身自追來焉爾千引石引塞其黃泉比良坂
其石置中各對立而度事戸之時
伊邪那美命言愛我那勢命爲如此者汝國之人草一日絞殺千頭
爾伊邪那岐命詔愛我那邇妹命汝爲然者吾一日立千五百產屋
是以一日必千人死一日必千五百人生也

最(もと)も後(のち)其(そ)の妹(いも)伊邪那美命(いざなみのみこと)の身(み)自(みづか)ら焉(これ)に追ひ来たり。爾(ここ)に千引(ちびき)の石(いは)を引き、其の黄泉比良坂(よもつひらさか)を塞(せ)きき。
其(そ)の石中に置き各(おのおの)対(むか)ひ立ちて[而]事戸(ことど)を度(わた)せし[之]時(とき)、
伊邪那美(いざなみ)の命言(まお)さく「愛(うつく)し我(あ)が那勢命(なせのみこと)此(こ)の如く為す者(は)汝(な)の国之(の)人草(ひとくさ)を一日に千頭(ちがしら)絞(し)め殺さむ。
爾(ここ)に伊邪那岐(いざなぎ)の命詔(の)らさく「愛(うつく)し我(あ)が那邇妹命(なにものみこと)汝(な)が然(しか)り為(せ)者(ば)吾(あれ)は一日(ひとひ)に千五百産屋(ちうぶやあまりいほうぶや)を立たむ。
是以(これもち)て一日(ひとひ)必(かなら)ず千人(ちひと)死(し)し、一日(ひとひ)必ず千五百人(ちひとあまりいほひと)生(う)まる也(なり)。


故號其伊邪那美神命謂黃泉津大神亦云以其追斯伎斯【此三字以音】而號道敷大神亦所塞其黃泉坂之石者號道反大神亦謂塞坐黃泉戸大神
故其所謂黃泉比良坂者今謂出雲國之伊賦夜坂也

故(かれ)其(そ)の伊邪那美(いざなみ)の神の命を号(な)づけ黄泉津大神(よもつおほかみ)と謂ひ、亦(また)其の追ひ斯伎斯(しきし)【此の三つ字音を以ちてす】を以ちて云ひ[而]道敷大神(ちしきのおほかみ)と号(なづ)く。亦其の黃泉坂之(よみのさかの)石(いは)の塞(せ)きしか[所]者(ば)道反大神(ちがへしのおほかみ)と号け、亦(また)塞坐黄泉戸大神(さやりますよみとのおほかみ)と謂ふ。
故(かれ)其の黄泉比良坂(よもつひらさか)と所謂(いはれ)し者(は)今に出雲国(いづものくに)之伊賦夜坂(いふやさか)と謂(い)はるる也(なり)。


 最後に妹であるいざなみの命自身が追って来られました。[いざなぎは]千引きの岩を引いて黄泉平坂(よもつひらさか)を塞ぎました。
 その岩を間にして向い立ち離縁を言い渡し、 そのときいざなみの命は「愛しい私の兄、あなた様のみこと、[私に]このようにされた上は、あなたの国の人草を一日に1000人絞め殺すしかありません。」と申し上げ、 いざなぎの命は「愛しい私の妹、おまえのみこと、[あなたが]そうするなら一日に1500の産屋を立てます。」と告げられました。
 そのようなわけで、一日に必ず1000人死に、一日に必ず1500人生まれることになりました。
 そこで、そのいざなみ神のみことを名づけ、黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼び、またこのように追ってきたいわれにより道敷大神(ちしきのおおかみ)と名付けました。またその黃泉坂(よみのさか)の岩が塞いだので、道反大神(ちがへしのおおかみ)と名付け、また塞坐黃泉戸大神(さやりますよみとのおおかみ)とも言います。
 ちなみに、その黄泉比良坂(よもつひらさか)といわれる所は、今は出雲国(いづものくに)の伊賦夜坂(いふやさか)と言います。

 
(身)…[名]自分。わが身。
みづから(自ら)…[副]自分自身で。直接に。
…[代](動詞の目的語として)これに。
所謂…「いはゆる」(「ゆる」は古い受け身の動詞「ゆ」の連体形)は、主に漢文を訓読する際に使われた。
…[動]人や動物の生命を絶つ。

【千引石】(ちびきのいわ)
 その謂れは、紀一書六に書いてある。
「以千人所引磐石、塞其坂路」…千人(ちひと)磐石(おほいは)を引くを以て、其の坂路を塞(さ)ふ。[または塞(ふた)ぐ]
 つまり、千人で曳くほどの巨大な石である。

【度事戸】
 紀一書六では、対応する位置に「建絶妻之誓」とあり、一書七によれば、そのよみは「ことど」である。つまり、離縁を決めることを「ことど」という。
 こと―(異) [接頭] 名詞の前につけて 他の。別の。用例に「こと人」「ことざま」「こと国」
 その意味を想像してみると、ことど=「異処」「異戸」か。離縁は、「生活の場所(家)を別にする」ことである。「こと=さまざまなこと」として「事」「異」は、やまとことばでは近い単語であると思われる。だから「異」の意味にも「事」が宛てられることに、違和感はなかったと思われる。 なお「戸」は入口のほか、家そのものも表す。
 この場合、度は渡と同じ。「渡」はもともと水をまたいで反対側に移動する意味だが、日本語には「手渡す」、漢語で「譲渡」という使い方もある。ここでは離縁の取り決めを「言い渡す」意味だと思われる。

【人草】
 「青人草」と同じ。天皇を頂点とする国では、庶民は植物のような存在である。ただ、植物が立派に育ってこそ国は豊かになる。 明治維新から第二次世界大戦敗北までの間もまた、国民は「民草」であった。

【絞殺】
 一書六では「縊殺」と書かれ、同じである。

【立産屋】
 一書六では、いざなぎが主体となって「産む」と表現するが、記では産屋を立てることによって人民が子を産むのを助けるという間接表現である。

【一日必千人死一日必千五百人生】
 差引、一日あたり500人の増である。地上の社会では、人は寿命や病気で必ず死ぬが、一方で新しい生命も生まれる。差し引き人口は少しずつ増加するとされるのは、当時の人口が増加傾向にあったからだろう。
 水田耕作地の開拓や栽培技術は少しずつ向上し、人口増が基調であったと想像される。天武天皇が集権国家の確立を目指す中で、国力を高めるために農業振興が重視されたかも知れない。
 『近代以前の日本の人口統計』(Wikipedia)によると、研究によってさまざまであるが、8世紀の人口は大体500万人とされている。平均寿命が35年だと仮定すると、死亡者数は1年あたり平均7万人。1日あたり200人程度と推定される。
 1日あたり500人の増加は、計算上1年の人口増加率が3.6%となり、大き過ぎる。(20年で倍増してしまう)1000人と1500人は「死亡数を上回る出生数」を意味する概念上の数字であるのは当然である。

【塞坐黄泉戸大神】
 一般に「さやりますよみとのおほかみ」と読まれる。紀一書六では「泉門塞之大神」(よみとさへのおほかみ)である。
「さやる」「さふ」は、現代語「差し障る」の「障」だが、「障」にも「ふさぐ」意味がある。
 古語では、「障」はさや・る [障る] さ・ふ [障ふ] ふた・ぐ[塞ぐ]と読まれる。
 古語辞典によれば「塞(ふさ)ぐ」は「ふたぐ」であった。文字通り「蓋をする」である。面白いことに、仙台では今も「ふさぐ」を「ふたぐ」と言う。[s]と[t]は調音部位が同じなので、相互転換が起こり得る。また言語は中央から波紋のように伝搬する法則があり、古い畿内の単語や発音がしばしば東北や沖縄に残っている。
 話を戻すと、「ふたぐ」「さやる」はほぼ同じだから「塞坐」を「ふたぎます」あるいは「ふたぎおはす」と読んでもよさそうである。
 「塞坐」の部分を「さやります」とよむなら、この段の冒頭の「塞其黄泉比良坂」は「そのよもつひらさかをさやりき」と読むことになる。もう少し資料にあたってみよう。
古典引用サイト 埋れ木に掲載されている「古典通解辞典」(丸山林平)を参照すると「塞」の読み方は「さやる」「ふたぐ」の両方があり、「ふたぐ」の意味は「ふさぐ」、「さやぐ」の意味は「ふさぐ」「さまたげる」である。
 「ふたぐ」と「さやる」文例を見る。「ふたぐ」の文例は記の「このあが身の成り余れる処を、なが身の成り合はざる処に刺しふたぎて」が採用され、
「さやる」の文例も、記の「その黄泉(よみ)の坂にさやれりし石は道反(ちがへ)しの大神とも申し、またさやりますよみどの大神とも申す」が採用されている。
 「塞」の読み分けに焦点を当てた研究は、なかなか見つからないので、試しに万葉集の原文(万葉仮名による表現)に検索をかけてみる。「塞」は10例あり、そのうち8例は、動詞「せく」または、それが名詞化した「せき(堰、関)」で、「ふさぐ」「さまたげる」の意味である。その他の3338番は、恐らく「さやれる」と読み「さまたげる」意味。 3225番は副助詞「さへ」(または、動詞「冴ゆ」の連用形「さえ」)が、読みを借りたものである。
 以上から、万葉集には「せく」が多く「さふ」は少ないが、存在したことは確実である。一方「ふた-ぐ」は万葉集にはないので、一般にどの程度使われていたかは不明である。
 また、「黃泉戸」の読み方にも疑問が残る。一書六では「泉門」と表記されるので「戸」が「と」あるいは「ど」と読まれるのは間違いない。
 「黄泉」はここでは「よもつ」ではなく「よみ」になっている。「よもつ」は古い語形で、おの後「よみ」のまま接続するようになったと思われるが、これを区別する根拠も見つけられない。
 このように疑問は残るが、伝統的に「よみと」なのをあえて覆すには、充分な根拠が必要である。

【伊賦夜坂】(いふやさか)
 日本書紀巻26の「齊明天皇 五年秋七月」の記事が出てくる。
狐嚙斷於友郡役丁所執葛末而去。又狗嚙置死人手臂於言屋社。【言屋、此云伊浮瑘。天子崩兆。】
狐、於友郡(おう郡)の役丁の執れる所の葛の末を噛み断ちて去れり。また、狗(いぬ)、言屋(いふや)社に死に人の手臂(うで)を噛み置きぬ。【言屋、此を伊浮瑘(いふや)と云ふ。天子崩(ほう)する兆(きざし)なり】

 また、出雲風土記に「意宇郡 社 伊布夜社」という記述がある。
 以上から地名「いふや」が確定する。この日本書紀の記事は不気味な内容であるが、注記で天皇の死を兆しとされているので、死後の世界につながる場所と考えられていたことがわかる。 ただ、現在はこの地名を見つけ出すことはできない。

【一書六】
 紀「次生海」の段の一書六は記と類似している。
後則伊弉冉尊、亦自來追。是時、伊弉諾尊、已到泉津平坂。
 一云、伊弉諾尊、乃向大樹放尿。此卽化成巨川。泉津日狹女、將渡其水之間、伊弉諾尊、已至泉津平坂。
故便以千人所引磐石、塞其坂路。與伊弉冉尊相向而立、遂建絶妻之誓。
時伊弉冉尊曰、愛也吾夫君、言如此者、吾當縊殺汝所治國民日將千頭。
伊弉諾尊、乃報之曰、愛也吾妹、言如此者、吾則當産日將千五百頭。
因曰、自此莫過。

後(のち)則(すなは)ち伊弉冉尊(いざなみのみこと)、亦(また)自(みづか)ら来し追ひし。是の時、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、已(すで)に泉津平坂(よもつひらさか)に到る。
 一(ある)ひは云ふ、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、乃(すなは)ち大(おほ)き樹(き)に向き尿(ゆばり)を放つ。此即(すなは)ち巨(おほ)き川と化成(な)る。泉津(よもつ)日狹女(ひさめ?)、将(まさ)に其の水を渡りし[之]間、伊弉諾尊、已(すで)に泉津平坂に至(いた)る。
故便(すなは)ち千人(ちひと)を以ち磐石(おほいは)を引く所、其の坂(さか)路(ち)を塞(せ)く。伊弉冉尊(いざなみのみこと)与(と)相向き[而]立ち、遂(つひ)に絶妻之誓(ことど)を建つ。
時に伊弉冉(いざなみ)の尊曰はく、愛也(うつくし)吾夫(あがなせ)の君、此の如く言う者(は)、吾(あ)当(まさ)に汝が治む[所の]国の民(たみ)日(ひ)将(まさ)に千頭(ちがしら)縊(し)め殺(そ)ぐ。
伊弉諾(いざなぎ)の尊、乃(すなは)ち之に報(むく)ひ曰はく、愛也(うつくし)吾妹(あがなにも)、此の如く言う者(は)、吾則(すなは)ち当に日将(まさ)に千五百頭(ちがしらあまりいおがしら)産む。
因り曰はく、此れ自(よ)り過ぐ莫(な)し。[=これですべて終わった]

 ここまでは、記とほぼ一致しているが、「一云」としてつけ加えられた放尿の部分は記には採用されない。「日狹女」(ひさめ?)はいざなぎを追ってきているので、「醜女」(しこめ)の別名かも知れないが、ここ以外に出てこないなので何とも言えない。
 次に、記では「禊をしよう」と独り言を言うが、一書六では「自此莫過」として、直接禊には触れられない。以下、脱ぎ捨てた衣服などから生じた神が列挙される。それらと記との対応を見ておく。
卽投其杖。是謂岐神也。即ち其の杖を投ぐ。是岐(ふなと)の神と謂ふ[也]。[よみ「ふなと」は一書七(次項)による。記:「船戸神」]
又投其帶。是謂長道磐神。(ながちは)の神。[記:「道之長乳歯神」みちのながちはの神]
又投其衣。是謂煩神。(わづらひの)の神。[記:「和豆良比能宇斯能神」わづらひのうしの神]
又投其褌。是謂開囓神。(あきくひの)の神。[記:「道俣神」ちまたの神]
又投其履。是謂道敷神。(ちしきの)の神。[記:「道敷大神」ちしきの大神]
 泉津平坂の地名については、その次に出てくる。
其於泉津平坂、或所謂泉津平坂者、不復別有處所、但臨死氣絶之際、是之謂歟。
泉津平坂について。ある場合「泉津平坂」は戻ることのない別れの場所を言う。ただ死に臨んで意識を失う間際、このいわれであろうか。
…[助]疑問の助詞。~か。
 つまり、人が死んで意識をなくす瞬間を、比喩的に「泉津(よもつ、=黄泉)平坂」という。解説的な文章である。
 最後に、黄泉戸を塞いだ石が神として命名される。
所塞磐石、是謂泉門塞之大神也。亦名道返大神矣。
磐石(おほいは)を塞(せ)く所、是、泉門塞之大神(よみとさへのおほかみ)と謂ひ、亦(また)の名は道返大神(ちかへしのおほかみ)矣(なり)。
 
【一書七】
 上記の一書六への辞書である。
尿、此云愈磨理。音乃弔反。[「ゆばり」または「ゆまり」とよむ。反切(中国の発音)「にょう」]
絶妻之誓、此云許等度。[「ことど」とよむ。]
岐神、此云布那斗能加微。[「ふなとのかみ」とよむ。]
 「尿」のよみが、音訓共にわかる。また「ことど」は離縁を決定することで、一書六では「絶妻之誓」、記では「事戸」と書かれる。

まとめ
 いざなみは、いざなぎと共に国生みという大切な役割を果たした。しかし、最後は穢れた黄泉の国にいて人の死を支配する神となった。記紀には古代出雲への憎悪の名残とともに、女性を穢れの性だとする思想が貫かれている。 女性は、命を産み育てる性であるにもかかわらずである。これは、古事記の思想は男性優位であることを決定的に示すものである。
それはまた、神から繋がる天皇の系図は完全な男子系列でなければならないことと一体である。(以前述べたように、天皇の系図の確定は天武天皇が築こうとする中央集権国家の基礎になる)
 記紀と魏志倭人伝はなぜ、このように内容がかみ合わないのか疑問があったが、ここにその理由があったのだ。 つまり、記紀においては、子を残さなかった女王卑弥呼は、天皇の系図から排除すべき存在であった。


2013.12.21(土) [042] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美10)

是以伊邪那伎大神詔吾者到於伊那志許米/上/志許米岐【此九字以音】穢國而在祁理【此二字以音】故吾者爲御身之禊
而到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐【此三字以音】原而禊祓也

是以(ここに)、伊邪那伎大神(いざなぎのおほみかみ)詔(の)らさく「吾(あれ)者(は)、伊(い)那(な)志(し)許(こ)米{上声}(め)志(し)許(こ)米(め)岐(き)【此の九字(ここのもじ)音(こゑ)を以ちてす。】穢(きたな)き国於(に)到り[而]在り祁(け)理(り)【此の二字(ふたもじ)音を以ちてす。】。故(かれ)吾(あれ)者(は)御(お)身(み)之(の)禊(みそぎ)を為(せ)む。」
而(かれ)竺紫(ちくし)日(ひ)向(むかひ)之(の)橘(たちばな)小門(をど)之阿(あ)波(は)岐(ぎ)【此の三字(みもじ)音を以ちてす。】原に到(いた)り坐(ま)して[而]禊(みそ)ぎ祓(はら)ひき[也]。


故於投棄御杖所成神名衝立船戸神
次於投棄御帶所成神名道之長乳齒神
次於投棄御囊所成神名時量師神
次於投棄御衣所成神名和豆良比能宇斯能神【此神名以音】
次於投棄御褌所成神名道俣神
次於投棄御冠所成神名飽咋之宇斯能神【自宇以下三字以音】
次於投棄左御手之手纒所成神名奧疎神【訓奧云於伎下效此訓疎云奢加留下效此】
次奧津那藝佐毘古神【自那以下五字以音下效此】
次奧津甲斐辨羅神【自甲以下四字以音下效此】
次於投棄右御手之手纒所成神名邊疎神
次邊津那藝佐毘古神
次邊津甲斐辨羅神

故(かれ)御(み)杖を投げ棄(う)つに[於]成る[所の]神の名を衝立船戸つきたつふなとの神といふ。
次に御(み)帯を投げ棄つに[於]成る[所の]神の名を道之長乳歯(みちのながちは)の神といふ。
次に御(み)嚢(ふくろ)を投げ棄つに[於]成る[所の]神の名を時量師(ときはからし)の神といふ。
次に御(み)衣(きぬ)を投げ棄つに[於]成る[所の]神の名を和(わ)豆(づ)良(ら)比(ひ)能(の)宇(う)斯(し)能(の)神【此の神の名音(こゑ)を以てす。】といふ。
次に御(み)褌(はかま)を投げ棄つに[於]成る[所の]神の名を道俣(ちまた)の神といふ。
次に御(み)冠(かうぶり)を投げ棄つに[於]成る[所の]神の名を飽咋(あきぐひ)之(の)宇(う)斯(し)能(の)神【「宇」自(よ)り以下(しもつかた)三字音を以てす。】といふ。
次に左の御(み)手之手纒(たまき)を投げ棄つに[於]成る[所の]神の名を奧(おき)疎(ざかる)の神【奧を訓(よ)み於(お)伎(き)と云ふ。下に此れ效(なら)ふ。疎を訓み奢(ざ)加(か)留(る)と云ふ。下に此れ効(なら)ふ。】、
次に奧(おき)津(つ)那(な)芸(ぎ)佐(さ)毘(び)古(こ)の神【「那」自(よ)り以下五字(いつもじ)音(こゑ)を以ちてす。下に此れ効(なら)ふ。】、
次に奧(おき)津(つ)甲(か)斐(ひ)弁(べ)羅(ら)の神【「甲」自り四字(よつもじ)音を以ちてす。下此れに効ふ。】といふ。
次に右の御(み)手之手纒(たまき)を投げ棄つに[於]成る[所の]神の名を辺(へ)疎(ざかる)の神、
次に辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神、
次に辺津甲斐弁羅(へつかひべら)の神といふ。

《右件自船戸神以下邊津甲斐辨羅神以前十二神者因脱著身之物所生神也》
《右の件(くだり)、船戸(ふなと)の神自(よ)り以ちて下、辺津甲斐弁羅(へつかひべら)の神を以ちて前十二神(とをつはしらあまりふたつははしらのかみ)者(は)身に著(つ)けし[之]物を脱きし所に因り生(な)りましき神也(なり)。》

 その結果、いざなぎの大神(おおかみ)が仰るに、「私は、あってはならぬ、目にも不吉な、不吉で穢れた国を訪れてしまった。そこで、私は御身体(からだ)を禊(みそぎ)することととしよう。」
 そこで、筑紫の日向(ひむかい)の橘(たちばな)小門(おど)の阿波岐(あわぎ)原にいらっしゃり、禊(みそ)ぎ、祓(はら)いをしました。

 そして、御杖(みつえ)を投げ棄てた所に神が現れ、その名を衝立船戸(つきたつふなと)の神と言います。
 次に御帯(みおび)を投げ棄てた所に神が現れ、その名を道之長乳歯(みちのながちは)の神と言います。
 次に御嚢(みふくろ)を投げ棄てた所に神が現れ、その名を時量師(ときはからし)の神と言います。
 次に御衣(みきぬ)を投げ棄てた所に神が現れ、その名をわづらいのうしの神と言います。
 次に御褌(みはかま)を投げ棄てた所に神が現れ、その名を道俣(ちまた)の神と言います。
 次に御冠(みかんむり)を投げ棄てた所に神が現れ、その名を飽咋(あきぐひ)のうしの神と言います。
 次に左の御手(みて)の手纒(たまき)を投げ棄てた所に神が現れ、その名を奧疎(おきざかる)の神、
また奧津(おきつ)なぎさびこの神、
また奧津かひべらの神と言います。
 次に右の御手の手纒を投げ棄てた所に神が現れ、その名を辺疎(へざかる)の神、
また辺津(へつ)なぎさびこの神、
また辺津かひべらの神と言います。

 《右の件(くだり)、船戸(ふなと)の神から、辺津甲斐弁羅(へつかひべら)の神までの十二柱の神は身に着けたものを脱いだことにより現れた神です。》


是以(このゆへに)…代詞「是」と接続詞「故」が熟し、前文の事情を前提としてその結果を表す。
(ワイ)…[形]あ-れる。みにく-い。みだ-ら。[動]けが-す。けが-れる。 
(ちく)…=竹
(みそぎ)…[名]陰暦の三月三日と七月十四日に川辺で不詳を払う祭事。
禊ぐ…[動]みそぎをする。
(はら)…[動]神に祈って災いや邪悪を取り除く。洗って清潔にする。  
…(=嚢)[名]ふくろ。巾着。
…[名](こん)ももひき、したばかま。[日本語用法]ふんどし。男子が陰部を覆う細長い布。
…[副]たちまち(=乍) [名]大声 [動]食らう
手纒(たまき)…「手に巻くもの」から、 ①上代の装身具の一。玉や鈴に紐を通して肘のあたりに巻いた。くしろ。 ②弓を射るとき肘につける籠手。弓籠手(ゆごて)。[和名抄]

【吾者到於伊那志許米志許米岐穢國】 ※ この項、2014/08/26改訂。
 紀一書六には第40回で見た部分と今回の内容の部分の2度にわたって「吾不意到於不須也凶目汚穢之國矣。」とある。「不須也凶目汚穢」は一書七で「いなしこめききたなき」と読むと解説されている。
 記では、「志許米志許米岐」のように重複があるとはいえ、ほぼ一書六と共通している。 したがって、「いな」=「否」、「しこめ」=「見るに不吉」だと思われる。 また「穢」は紀の一書七に倣って「きたなき」と読むべきであろう。「しこめしこめし」という重複は、おそらく口語表現における、反復による強調である。 そこで、この部分は、「吾(あ)は、いな、しこめしこめききたなき国に至り」と読み、意味は「否、見るに醜い、醜く見えるなけがれた国に来た」である。
 よってこの部分は、「否、醜目醜めき穢き国」となる。「醜目」は「目るからに醜な様子」。「醜めく」の「めく」は接尾語の動詞「~のように見える」、あるいは形容詞「醜目し」の連体形となる。

【在祁理】
 「けり」は完了の助動詞に音をあてたもので、「ありけり」と読むと見られる。「…に到り、在りける」として「来てしまった」と結果を悔やむ気持ちを表す。

【吾者為御身之禊】
 いざなぎの独り言であるにかかわらず、自ら敬語「御身」を使う。会話文ではあるが、作者から見た敬語表現が盛り込まれる。

【小門】(をど)
 記一書十では、禊をしようとしたいざなぎが、粟門(あわのみと)と速吸名門(はやすいなと)は流れが大変急なので避け、橘の小門に戻ったと明確に書いている。
 粟門(あはのみと)は現在の鳴門海峡、速吸名門は豊予(ほうよ)海峡とされる。「と」は、海峡や港など、水にかかわる場所を広く指す。
 従って「小門」はもともと小さな海峡や入江を表すと思われる。一書六では所在地が筑紫日向と明記されるが、一書十では、「筑紫島の日向」には触れられていない。

【竺紫】
「竺」=「竹」なので、「竺紫」=「筑紫」であるのは間違いない。一書六では「筑紫」と書かれる。

【橘】

 「筑紫日向の橘」と書いてはあるが、現在の地名で全国に「橘」がどれくらいあるか検索してみる。
 愛知県名古屋市中区橘 愛知県知多郡南知多町豊浜(大字)橘(字) 石川県能美郡川北町橘(字) 大阪府大阪市西成区橘  福岡県大牟田市橘(大字) 静岡県周智郡森町橘 奈良県高市郡明日香村橘(大字)  香川県小豆郡小豆島町橘 徳島県海部郡牟岐町橘(大字) 新潟県佐渡市橘  熊本県上益城郡山都町橘 高知県吾川郡仁淀川町橘 宮崎県宮崎市橘通東
 飛鳥時代末、県犬養三千代が元明天皇から「橘宿禰(たちばなのすくね)」の氏姓を賜った。橘は植物名なので、どこにあっても不思議ではないが、実際にはそんなに多くなかった。
 元明天皇は、古事記の上梓されたときの天皇である。以後、橘氏の子孫が各地に分散した結果地名になったのか、古事記以前に「橘」族が阿波辺りを中心に広く分布していたかは不明である。 なお、出雲地方を避けるかのように九州→四国→近畿と分布している点は、地名「あま」と一致する。
 これらのうち「竺紫日向之橘小門」に一致するのは、宮崎市橘通である。
 紀一書十では、「粟門」(あわのみと)「速吸名門」(はやすいなと)が流れが急すぎたので、「橘之小門」に戻って穢れを払うことにしたとある。 粟門は鳴門海峡、速吸名門は豊予海峡とされる。その結果日向の国の小さな海峡を選んだ。なお、速吸門(はやすいのと)は神武天皇が吉備の国高嶋宮に滞在した後、浪速之渡(古代河内湾の入り口)までの途中に通るので、だとすれば明石海峡である。
 どこに行ったとしても、神話だからかまわない。 ただ、黄泉の国とされた出雲の入り口から逃げ還った場所は、大倭豊秋津島の中心地の畿内方面だろうから、一書十で鳴門海峡や豊予海峡から「還る」先が宮崎県というのは不自然な印象を受ける。
 地名「阿波岐原」は阿波国を連想させる。もともとは鳴門海峡の近くの小さな海峡または入江(小門)だから、阿波の国にあると考えるのが自然である。 現在の徳島県大字橘の近くの湾には「橘港」がある。九州南部から到来したあま族の東への移動経路を暗示する「海部」という地名も、何やら関係を匂わせる。
 従って、もともとの言い伝えでは、いざなぎが禊をした入江は阿波国にあったが、記を編集する段階で、日向の国に移した可能性がある。 この想像が正しいとすれば、その理由は何か。「日向国」の地域がもつ特別な意味について、もう一度振り返ってみる。

【大和政権による熊襲征服の歴史】
 記の国生みで見たように、九州は筑紫島と呼ばれ、もともと筑紫国、豊国、肥国、熊曾国の4地域からなった。
 再録すると
次生筑紫嶋此嶋亦身一而有面四 毎面有名 故筑紫国謂白日別 豊国謂豊日別 肥国謂建日向日豊久士比泥別【自久至泥以音】熊曾国謂建日別【曾字以音】
 筑紫嶋(九州)を構成する4国の別名(恐らく古い呼び名)は、筑紫国が白日別、豊国が豊日別、肥国謂が建日向日豊久くじひね別、熊曾(そ)国が建日別である。
 これらのうち「肥国」の古名に「日向」が含まれるのは不思議である。もともと「日向」は、後の日向の国の位置ではなく「建日別にむかう」意味だった可能性がある。
 南九州には倭に服従しない勢力があったと見られる。ひとつの裏付けとしては、鹿児島県に残る前方後円墳は志布志湾周辺に限られ、それ以外は最後まで浸透していないまま古墳時代の終わりを迎える。
 大和政権にとって、その征服は長年の課題であった。その期間は卑弥呼の時代(3世紀ごろ)から奈良時代初頭に及ぶと思われる。
 筆者は、卑弥呼に敵対した狗奴(くな)国が九州南部の勢力につながるのではないかと想像した。
 そして、熊襲との戦いの記憶が、日本武尊の派遣や景行天皇の親征の記述に反映したのである。 熊曾国の古名「建日別」(たけひわけ)は、「たけ」は武装して対峙する国を想起させる。
大和政権の九州南部への進出
1 小野崎遺跡
2 南鶴遺跡
1 城ノ越古墳、スリバチ山古墳、御手水古墳、向野田古墳
2 生目古墳群
1 チプサン古墳,鍋田横穴群 2 双子塚古墳 3 木柑子高塚古墳 4 袈裟尾高塚古墳
5 西都原古墳群
6 横瀬古墳/大塚山古墳 7 唐仁古墳群 8 塚崎古墳群
1 鞠智城
 対する肥の国の古名は「建日向日(むかひ)豊(とよ)のくじひね別(わけ)」とされ、「向」の字によって「武装する熊曾国に立ち向かう国」という位置づけが見てとれる。つまり、もともと「日向」は特定の地域ではなく、肥の国全体が熊襲に対抗する性格を表す言葉であったと解釈することができる。 その攻め口は、前方後円墳の分布から見て、初期は西部の肥前・肥後方面、後に東側の宮崎市付近となる。
 古墳時代後期は、現在の宮崎市付近が主要な戦いの地だったので、この地域が「日向」と呼ばれるようになった。その侵攻を合理化するために、神話で天孫降臨の地を日向の国とし「民族のふるさとを取り返す」という「根拠」を与えたと考えることができる。 記紀の時代は、すでにこの地域を律令国に編入していたとは言え、苦労して服従させた戦いは記憶に新しく、物語が残された。
 以上から、日向が天孫降臨の地であり、またいざなぎが穢れを払う、さらに天照大御神が生まれた場所と位置づけられた。宮崎市には「橘」や「阿波岐」を含め記紀にまつわる地名が残り、定着している。だがその地が比定地とされたのは、記紀が編纂された後のことであろう。

【いざなぎが脱ぎ捨てた衣服など】
…一書九では、これを黄泉からの追手を防ぐために投げ捨てたものである。記では、禊のために放り投げた場面にまとめられている。
…「着物を着るとき、腰に巻いて結ぶもの」で間違いないだろう。
…物入れ袋を持っていたようだ。
…上代は、「きぬ」「ころも」があり「きぬ」は特に上半身にまとうものとされる。
…古語辞典によれば、上代は「犢鼻褌(たふさぎ)」だったとされるが、紀の用例で調べてみる。紀五巻『崇神天皇紀』に「亦其卒怖走、屎漏于褌。」という文がある。卒は兵卒、屎(くそ)は糞便。反乱軍の首領であった埴安彦に、鎮圧軍の矢が命中し、反乱軍の軍勢は総崩れになった。怖気づいて敗走する兵卒には、褌の中に脱糞する者があった。この文からは、褌が下半身の衣類であったのは明白である。
 続けて地名譚があり「褌屎處曰屎褌。今謂樟葉訛也」、つまり褌屎を逆転して屎褌としたものが、訛って「樟葉」(地名/くずは…大阪府旧・北河内郡樟葉村の地域)となったとする。「くそ」が訛って「くす」になっていることから、褌は「は」に近い読みでなければならない。岩波文庫の日本書紀を参照すると、「褌」を股引のような着衣として「はかま」と読んでいる。「は」で始まる語だから、「たふさぎ」よりは辻褄が合う。
…日本の「冠」は、中国に影響を受け604年に冠位十二階を定めたのが最初である。それ以前は、後漢書(636年成立)で「頭亦無冠,但垂髮於兩耳上」(頭には冠はなく、角髪(みずら)を結う)とされるなどと描写されている。ここでいう「冠」は、いざなぎが頭に被っていたものを指す。以前、醜女(しこめ)に追われた際、鬘(かずら=頭につける蔦かざり)を投げ捨てているので、さらに冠をかぶっているのは辻褄が合わない。
 いざなぎが投げ捨てたものを、8点(手纒は左右別々に数える)に数を揃えるために、着衣や装飾品を適当に挙げた印象を受ける。
手纒(たまき)…「身に着けていたもの」のひとつを指す。装身具、籠手のどちらもありそうだが、特に問題にはならない。

【衝立船戸神】(つくたてふなとの神)
 この神だけは、一書九でもその謂れが説明されている。もともとは、追ってくる八雷を防ぐために杖を投げたとき、「くなと」(=くるな)と言ったことが元々であるとする。
 しかし、記では禊の場面で、衣服・持ち物等投げ捨てたものの中にまとめられている。 【その他の十一神】
道之長乳歯神(みちのながちはの神)…「みち」はいざなぎが追われた道に因むかとも思われるが、それ以上は不明である。帯との関係も見えない。
時量師神(ときはからしの神、ときはかしの神、ときおかしの神)…読み方はいくつかあるが「時」「量る」が訓読みされる点は共通している。「袋」との関連は分からない。
わづらひうしの神(わづらいうしの神)…「わづらふ」は、「悩む、病む」。「うし」は「失す」(なくす)かも知れない。衣服についた穢れ(わづらひ)を払うとすれば辻褄は合うが、確かなことはわからない。
道俣神(ちまたの神)…三叉路にいて、悪霊の侵入を防ぐと神とされる。はかまは分岐する形なので、「道の又」に関連するかも知れない。
飽咋のうしの神(あきぐいのうしの神)…「咋」は動詞の場合「喰う」と同じ。その場合、「うし」=「失し」では意味が通じない。冠との関係も不明である。
奧疎神(おきざかるの神)…左の手纒から、三神が生じる。おき=「沖」と思われ、海の神であろう。「さかる」は「疎」だから、「遠ざかる」であろうが、神の名としての意味は不明である。
奧津なぎさびこの神(おきつなぎさびこの神)…渚は波打ち際のことだが、「沖の波打ち際」は一見矛盾する。「沖からやってきて今は渚にいる男神」かも知れないが確かなことは言えない。
奧津かひべらの神(おきつかいべらの神)…貝(かひ)は確かに海にいるが、「かひべら」となると全く意味が分からない。
辺疎(へざかるの神)…右の手纒からは辺(海岸付近)の三神が生じる。
辺津なぎさびこの神(へつなぎさびこの神)…海岸は渚に近いのでこれだけなら納得できるが、「おきつなぎさ」と組になって出てくると意味が分からなくなる。
辺津かひべらの神(へつかいべらの神)…以上、他の品からはそれぞれ一神なのに、手纒だけは三神ずつ生じる意味が分からない。
 このように、投げ捨てた品との関連がある程度感じられる場合もあるが、多くは意味不明である。
 紀一書六では、:長道磐(ながちは)の神、:煩(わづらい)の神、:開囓(あきぐい)の神、:道敷(ちしき)の神である。
 神名は、褌以外は記と大体一致する。ただし、一書六では投げ捨てた品は杖を加えて五点である。一書六は古い吉数五、記は新しい吉数八が用いられる。
 記は一書六の伝承を引き継ぎ吉数八に合わせて拡張するために、冠、袋と左右の手纒を加え、逆に履物を省く。また足に履くものを他の品々と同格に扱うことを避け、手に装着するものに置き換えたのかも知れない。また追加するために必要な神は、数ある神々から適当に拾い上げた印象を受ける。 奥津・辺津の六神はもともとセットだったので、それを崩すことを避け、そのまま左右の手纒に割り振ったのかも知れない。その結果神は八柱に揃えることはできず、十二柱という中途半端な数になった。

【一書六】
伊弉諾尊既還乃追悔之曰、吾前到於不須也凶目汚穢之處、故當滌去吾身之濁穢。則往至筑紫日向小戸橘之檍原而秡除焉。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)既(すで)に還(かへ)り[乃(すなは)ち]之を追ひ悔ひて曰(いは)く「吾(あ)は前に不須也凶目汚穢(いなしこめききたなき)[之]処(ところ)於(に)到(いた)る。故(かれ)当(まさ)に吾身(あがみ)之(の)濁(にご)り穢(きたな)きを滌(あら)ひ去るべし。」と。則(すなは)ち筑紫日向小戸橘之檍(あはぎ)原至(に)往(い)きたまひ、[而]焉(これ)を秡(はら)ひ除(のぞ)きたり。

伊弉諾尊は、もう(黄泉から)戻り、振り返り悔やんで言うに「私は決して行ってはならぬ穢れた場所に行ってしまった。だから、わが身の穢れを滌(あら)い清めるべきである。」と。そこで筑紫日向(ひむかい)小戸(おど)橘の檍(あわぎ)原にいらっしゃり、穢れを祓い除かれました。
(=当)…[助動]当然または推定。(=should)
 ここから、記の「竺紫」=「筑紫」であり、「小門」は「おど」と読むことが確認できる。また、いざなぎ自身の言葉なので「御身」ではなく「吾身」であるのは適切である。記と内容は完全に一致し、漢文として記より洗練されている。

【一書七】
(再録)不須也凶目汚穢、此云伊儺之居梅枳枳多儺枳。[いなしこめききたなき]
檍、此云阿波岐[檍は「あはぎ」と読む]

【一書十】
但親見泉國、此既不祥。故欲濯除其穢惡、乃往見粟門及速吸名門。然此二門、潮既太急。故還向於橘之小門而拂濯也。
但(ただ)親(みづか)ら泉(よも)つ国を見(め)し、此れ既(すで)に祥(よ)からず。故(かれ)其の穢悪(けがれ)を濯除(すす)ぐを欲(おぼ)す。乃(すなは)ち粟門(あはのみと)及(と)速吸名門(はやすひなと)に往(い)き見(め)し。然(しかる)に此の二門(ふたど)、潮(うしほ)既(すで)に太(はなは)だ急(はや)し。故(かれ)橘之小門(をど)於(に)還向(かへ)り[而]払ひ濯(すす)ぐ也(なり)。

 いざなぎは黄泉の国を見ただけだが、それでも不吉なので穢れを濯ぎたい。粟門も速吸名門も潮流が激しすぎるので橘の小門まで戻って灌いだ。
 粟門は現在の鳴門海峡とされるが、渦潮で有名なように潮流は速い。速吸名門あるいは速吸門は一般に豊予海峡と考えられているが、記では神武天皇の移動経路の部分に限って、明石海峡と見た方がよい。明石海峡も潮流が速い。そうすると、橘之小門は淡路島内のどこかの入江が一番ありそうな場所であるが、それらしい地名は見つからない。 周辺には、「兵庫県川西市小戸」がある。昔は海だったかも知れないが、それらしい遺跡はなさそうである。
 一書十には「筑紫」も「日向」も出てこない。書きっぷりも簡潔なので、一書十が伝承の原型かも知れない。後に、「還向」の「向」の字が「日向」につながっていった可能性はある。

まとめ
 今回の重要問題は、いざなぎの禊の地はどこだったかということである。紀の本文及び記では「日向の国」としているが、編纂の段階で政治的に定めた可能性がある。民族のふるさとは、日向の国でなければならなかった。景行天皇の親征が、民族発祥の地を取り戻す神聖な戦いであると描くためである。だが、真実の大和政権発祥の地は畿内であり、いざなぎの禊の伝説も、元々は畿内に近い阿波の国が舞台であった。
 いざなぎは水浴するにあたって、穢れた衣類や装飾品を脱ぎ捨てた。それらには、合理性を欠く「冠」や手提袋のようなものが含まれる。そこから出現する神も雑多である。だが、それより八点という数が守られなけれがならない。それほど「八」が大切なのであった。


[043]  上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美11)