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⇒ [029] 序文(解題6) |
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2013.05.31(金) [030] 上つ巻(天地開闢1) ▼▲ |
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天地初發之時 於高天原 成神 名天之御中主神【訓高下天云阿麻 下效此】次高御產巢日神 次神產巢日神 此三柱神者並獨神成坐而隱身也 天地(あめつち)初(はじ)めに発(お)こりし[之]時、高天原(たかあまはら)に[於]神成りまし、名づけて天之御中主(あめのみなかぬし)の神、【「高」の下なる天を訓(よ)み、阿(あ)麻(ま)と云ふ。下(しもつかた)此(これ)に効(なら)ふ。】次に高御産巣日(たかみむすひ)の神。次に神産巣日(かむむすび)の神といふ。此の三柱(みはしら)の神者(は)並びて独り神と成り坐(ま)して[而]、身を隠しましき[也]。 天地開闢(かいびゃく)の時、高天原(たかあまはら) 【「天」の訓は、以後「あま」とします】に、神が現れました。名を、天のみなか主の神、次に、高きみむすびの神、次に、かむみむすびの神と申され、これら三柱の神はそろって独り神であらせられます。そしてそのまま姿を隠されました。
天地初発…他の表現としては、序文に「乾坤初分」「天地開闢(かいびゃく)」が使われている。人が生活する現実世界が「地」で、空の上で神々の世界が「天」である。はじめは天地一体の「混沌」であったが、天地が分離した瞬間からこの世が始まる。別の考え方としては、何もなかったところに、天と地が同時に突然出現する。
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2013.06.02(日) [031] 上つ巻(天地開闢2) ▼▲ |
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次國稚如浮脂而 久羅下那州多陀用幣流之時【流字以上十字以音】 如葦牙因萌騰之物 而成神名宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許 訓立云多知】 此二柱神亦獨神成坐而隱身也 《上件五柱神者別天神》 次に国稚(わか)く浮く脂(あぶら)の如くして[而]、久(く)羅(ら)下(げ)那(な)州(す)多(た)陀(だ)用(よ)幣(へ)流(る)[之]時【「流」の字(じ、な)の以上(かみつかた)十字(とをちのじ、とをな)、音(こゑ)を以ちゐる】 葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あ)がる[之]物に因りて神成りまし、名づけて宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神、【此の神の名音(こゑ)を以ちゐる】 次に天之常立(あまのとこたち)の神といひます。【「常」を訓み登(と)許(こ)と云ふ。「立」を訓み多(た)知(ち)と云ふ】 此の二柱の神亦(もまた)独り神と成り坐(ましま)し、而(すなは)ち身を隠しませり[也]。 《上(かみ)つ件(くだり)五(いつ)柱の神者(は)別天神(ことあまつかみ)なり》 その次に、国幼く、浮く脂のように、またくらげのように漂っていたとき、葦の芽のように萌え上がってできた物により神が現れ、 名を「うましあしかびひこちの神」、次に「天の常立の神」(「常」は「とこ」、「立」は「たち」と読みます)と申され、これら二柱の神もまた、そろって独り神にあらせられます。そしてそのまま姿を隠されました。 《これまでの五柱神は、別け天つ神といいます》
稚…[形] わかい。おさない。
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2013.06.03(月) [032] 上つ巻(天地開闢3) ▼▲ |
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次成神 名國之常立神【訓常立亦如上】次豐雲/上/野神 此二柱神亦獨神成坐而隱身也
次成神 名宇比地邇/上/神 次妹 須比智邇/去/神【此二神名以音】 次角杙神次妹活杙神【二柱】 次 意富斗能地神 次妹 大斗乃辨神【此二神名亦以音】 次 於母陀流神 次妹 阿夜/上/訶志古泥神【此二神名皆以音】 次 伊邪那岐神 次妹 伊邪那美神【此二神名亦以音如上】 《上件自國之常立神以下伊邪那美神以前幷稱神世七代【上二柱獨神各云一代次雙十神各合二神云一代也】》 次に神成りまし、名づけて国之常立(くにのとこたち)の神【「常立」の訓(よ)み、亦(また)上の如し】次に豊雲(上声)野(とよくもの)の神といひ、此の二柱の神は亦(また)独り神成り坐(ま)し 而(すなは)ち身を隠しませり[也]。 次に神成りまし、名づけて宇比地迩〔上声〕(うひちに)の神、次に妹(いも)、須比智迩〔去声〕(すひちに)の神【此の二神の名、音(こゑ)を以ちゐる】、 次に角杙(つぬくひ)の神、次に妹、活杙(いくくひ)の神【二柱(ふたはしら)】、 次に意富斗能地(おほとのち)の神、次に妹、大斗乃弁(おほとのべ)の神【此の二(ふたはしら)の神の名、音を以(も)ちゐる】、 次に於母陀流(おもだる)の神、次に妹、阿夜(上声)訶志古泥(あやかしこね)の神【此の二神の名、音を以ちゐる】、 次に伊邪那岐(いざなぎ)の神、次に妹、伊邪那美(いざなみ)の神【此の二神の名、音を以ちゐること上の如し】といふ。 《上(かみ)つ件(くだり)、国之常立神自(よ)り伊邪那美神の以下(しもつかた)、以前(さきつかた)より并(あわせ)て神世(かみのよ)七代(ななよ)と称(なづ)く。【上(かみ)つ二柱(ふたはしら)、独り神は各(おのおの)一代(ひとよ)と云ひ、次の双(ふたあはす)十(とを)神は、各(おのおの)二(ふた)神を合わせて一代(ひとよ)と云ふ[也]。】》 次に神が現れ、名を国之常立の神(「常立」の読みは、上と同じです)、次に豊雲野(とよくもの)の神と申され、この二柱の神もまた、独り神にあらせませます。そしてそのまま姿を隠されました。 次に神が現れ、名をういちにの神、その妻、すいちにの神、 次に角杙(つぬくい)の神、その妻、活杙(いくくい)の神、 次におおとのちの神、その妻、おおとのべの神、 次におもだるの神、その妻、あやかしこねの神、 次に伊邪那岐(いざなぎ)の神、その妻、伊邪那美(いざなみ)の神と申します。 《これまでの記事中、国の常立の神から伊邪那美の神までを、併せて神世(かみのよ)七代(ななよ)と言います。(はじめの二柱の独り神はそれぞれ一代と数え、次の二柱ずつ計十柱の神は、それぞれ二神を合わせて一代と数えます。)》 杙(ヨク)…[名] くい 妹(いも)…[名] 主として妻・恋人をさす 【国之常立の神】 名前は天之常立の神と対になっているが、別天神には含まれない。天之常立の神が天つ神であるのに対し、国之常立の神はもともとは国つ神であったためだろうか。このような格の区別については、これからも気を付けておく必要がある。 【有性の神々】
神世七代のうち、三代目から七代目までは、男女の神が組み合わせっている。それぞれの組の名は基本的に類似しているが、六代目の「おもだる・あやかしこね」だけはあまり似ていない。神の名の意味を探るのは無理かと思ったが、それでも探してみたら、やまとことばの単語形成の原理を調べたサイトが見つかった。 「ほつまつたゑ 解読ガイド」がそれである。そのうち単語の成り立ちを研究しているページが「やまとことばのみちのく」で、なるほどと思わせるものがあるが、ここではその結果だけを使って三代目以後の男女の神の名前の意味を紹介させていただく。 これを見ると、各組ごとに「大・小」「突く・生きる」「中央・周辺」のように対比された名称になっている。 まとめ 国の常立の神、豊雲野の神までは、別天つ神と同じく無性で、現れて隠れる神であったが、次の代から男女の神が組になって現れ、隠れることはなくなる。しかし、伊邪那岐・伊邪那美以外は、何かをしたのかも知れないが、名前以外何も書かれない。それぞれに、各地の古い伝承を伴うのかも知れない。伊邪那岐・伊邪那美がいよいよ実質的な物語を開始するのであるが、それまでに無性の神が7柱、次に男女神が5組現れる必要があった。 それが何を意味するのかは不明であるが、とにかく男女神が何組か出現したうちで、国を作ることができたのは一組だけであった。一種の選民思想と見ることもできる。 |
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2013.06.04(火) [033] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美1) ▼▲ |
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於是天神諸命以詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神修理固成是多陀用幣流之國
是(ここ)に[於]、天つ神の諸(もろもろ)の命(みこと)、以ちて詔(のたま)はく、伊邪那岐(いざなぎ)の命、伊邪那美(いざなみ)の命の二(ふた)柱の神に、是の多(た)陀(だ)用(よ)幣(へ)流(る)[之]国の理(ことわり)を修(なほ)し固め成せとのたまひ、 賜天沼矛 而言依賜也 天沼矛(あめのぬぼこ)を賜りて[而]、言依(ことよ)せ賜(たま)ふ[也]。 故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而 故(かれ)、二柱の神天つ浮橋に立たし【「立」を訓(よ)み、多(た)多(た)志(し)と云ふ】て[而] 指下其沼矛以畫者鹽許々袁々呂々邇【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而 其の沼戈(ぬぼこ)を指し下ろし、以ちて画けば、塩(しほ)許々袁々呂々(こをろこをろ)邇(に)【此の七字は音を以ちゐる】書き鳴(な)し【「鳴」を訓み、那(な)志(し)と云ふ】て[而] 引上時自其矛末垂落 之鹽累積 成嶋是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】 引き上ぐる時、其の矛の末(すゑ)自(よ)り垂り落ちし[之]塩(しほ)累積(つも)り、嶋に成りて、是れ淤(お)能(の)碁(ご)呂(ろ)嶋なり。【「淤」自り以下(しもつかた)四字音を以ちゐる】 そのとき、天つ神が皆で、伊邪那岐(いざなぎ)の命、伊邪那美(いざなみ)の命の二柱の神に、このただよえる国の姿を整え、土地を固めるよう命じ、天沼矛(あめのぬぼこ)をたまわりました。 そこで二柱の神は天つ浮橋にお立ちになり、沼矛(ぬほこ)で下を指して、その先で線を引くように動かしましたところ、コヲロコヲロと鳴りながら描かれました。 そして引き上げたところ、その先から垂れ落ちた塩が積み重なり、できた島が淤能碁呂(おのごろ)島でございます。 諸…[形] もろもろ 命…[動] 指示する 使役の動詞 命(みこと)…日本語用法。神の名前に添えて敬意を表す。 以…[動] もってす。ことをなす 詔…[動] 告げる。上から下へ指示する。[名] みことのり。天子の命令 修理…ととのえる。つくろい直す 賜…[動] 目上から目下に財貨を与える。[名] たまもの 矛…[名] ほこ。長い柄の先に両刃の剣をつけたもの 言…[動] いう。[副] すなわち。[助] 特定の意味をもたず、語調を整える 而…[接] 二つの文を接続するが、置き字として読まないことも多い。その場合、前文末に「~して」と送り仮名をつける。 指…[動] さす 画…[動] 描く。線引きしてわける 者…[接] ~れば。因果関係を表す重文の間に置く。 塩…[名] しお。食塩 【諸命】 「諸」が副詞「挙」なら、「命」を動詞「命ず」と考えることができる。だが、「諸」が副詞とは考えにくく、また後にさらに動詞「以詔」が続くので、神々に対する敬称とするのが自然である。 【命】 書紀では、注記に「貴いものは"尊"、それ以外は"命"を使い、読みは両方とも"みこと"である」とされるが、記では、特に区別されない。基本的に「~の神」だが、特に擬人化されているときに「~の命」である。 【以詔】 詔を名詞として、「命以詔…みことのりをもってめいず」は文法上は成り立つが、まだ神代に、制度化された天子の命令「詔」はありえないので、「詔」は動詞である。 「以」の解釈はむずかしい。接続詞(もって)なら、主語の前にあるべきだが、すでにその役割をする「以是」がある。副詞(ただちに)は、意味が合わない。 「以」はもともとは動詞(~する)である。あまり具体的な意味を持たない場合もあるので、動詞句「以詔」であると考えるのが適当だろう。 そのうえで、「詔」あるいは「以詔」を使役動詞として、いざなぎ・いざなみに対して流動する海を固めて国土にすることよう命じたと解釈する。目的語=「伊邪那岐命伊邪那美命二柱神」、補語(述部)=「修理固成是多陀用幣流之国」である。 【是多陀用幣流之国】 ここでは「是」は指示詞。前に割注付きで「多陀用幣流之国」がでてきたのを、受けている。音訓混合文であるが、もう説明なしでも大丈夫だろうというわけである。 【天浮橋】 海に直接浮かんでいるか、空中に浮かんでいるかは、明らかではない。岩波文庫の書紀の注では「はし」は古くは梯子を指したというが、漢字の「橋」を使っている以上、記紀を書く時点では川に架ける橋をイメージしているわけである。 【沼】 <wikipedia>水深5m以内の水域であり、イネ科やシダ、ヨシ、ガマ、スゲなどの草に占められ、透明度が低く、規模があまり大きくないもの</wikipedia> 島ができる前の海は、いろんなものが漂っていて、時々葦も育つから、沼のようなものだったというわけか。 【沼矛】 矛は、本来の意味の通り、武器の一種で刃がついているものである。なぜなら、それを使って混沌の海面に「画く」、すなわち鋭い刃先で線条を残すからである。なお、書紀では「瓊矛」である。その注記に「瓊は玉の意味で、ぬと読む」とある。 したがって、「沼」は「ぬ」である。 【立=多多志】 これまでに「常立神」の割注で、「立つ」は、当時も「立つ」だったことが判っている。したがって、ここでは「立つの連用形+助動詞」で読めということである。 四段活用の未然形につく助動詞「す」は、尊敬である。返り点的訓読法により接続詞「而」の直前は、連用形で訓読されていたことがわかる。たったこれだけの割注から、古事記は、書かれた時から返り点的な訓読法が正式であったと実証できるのが面白い。 【指下其沼矛以画者】 「者」は、その前を主語とするが、主部、述部それぞれに主述構造があれば、接続詞と解釈してもよいということになる。 【々】 日本語特有の記号ではなく、漢の時代以後の中国の文献でも時々使われる。 【許々袁々呂々邇】 擬声語である。やまとことばでは擬声語・擬態語が頻繁に使われるが、漢字で表そうとすれば当然音読みである。ここでは、形容動詞の連用形がそのまま副詞の位置に置かれる。「形容動詞の連用形を漢語の副詞の位置(述語の前)に置く」これが日本語の音読を取り入れる第二の方法である。 【鳴=那志】 この時代は「鳴る」を、「鳴す」と言ったことが判る。またここでも、接続詞「而」の前なので、連用形である。連用形で繋げという指示が続ので、どうやら「而」は置き字にしたらしい。 【末】 武器としてもっとも重要な刃の部分が「末」なのは、どうかと思わせる。その点、書紀の「鋒」(ほこさき)の方が適切な表現である。逆に記の方が素朴であるから、伝承の原型に近い姿を留めていることが期待できる。 【垂落之塩累積】 陸地の生成を海水が蒸発して塩を残すことに譬えたと思われる。記が書かれた時代、すでに塩田があったかも知れない。一方、書紀では「潮が凝る」と書いて、食塩を連想させない。「岩石は食塩とは違うものだろ?」という余計な突っ込みを防いでいる。 【是淤能碁呂嶋】 「是」を動詞として使うのは、繋辞、つまり英語のbe動詞である。繋辞は省略されることが多いが、主部、述部が長い場合は「是」を挟んでわかりやすくする。この文では固有名詞を含むので、文法的な枠組みをきちっと示した方がよいということである。 【淤能碁呂嶋】 「おのごろ」の意味を、「ほつまつたゑ 解読ガイド」の辞書のページによって調べてみる。 「おの (央)」+「ころ (心)」つまり、「中心地」である。伊邪那岐・伊邪那美の物語の舞台には合っている。 岩波文庫版の記の注記では、「おの」は「自の」つまり自発的に、「ころ」は「凝る」と解釈する。 その前の「許々袁々呂々」という擬音語は、島の名前の由来を説明するが、実際には地名が先にあって、その由来を物語る説話が後から作られたものである。古事記には頻繁に地名譚がでてくるが、すべて同じことである。 とは言え、語感そのものはなかなか心地よい。 まとめ 混沌とした海を固め、陸地を作ることが天つ神の総意で決められ、伊邪那岐・伊邪那美にその実行を命じ、沼矛が与えられた。書紀では矛で地上を探ってみたところ、海の存在を知ったという内容になっている。記では海面に差し入れた矛を横に動かして、線条のような痕跡を一時的に残す。 そして矛の先から滴り落ちた海水から、蒸発して塩が残るように、固まって陸地を作る。この部分に疑問の余地はない。海岸で、海水の一部が太陽により蒸発して食塩を生じるのを知り、そこから陸地の形成を連想する感覚はなかなかのものがある。 |
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2013.06.08(土) [034] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美2) ▼▲ |
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於其嶋天降坐而見立天之御柱見立八尋殿
其の嶋に[於]天降(あも)り坐(ま)して[而]天(あめ)之御(み)柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てき。 於是問其妹伊邪那美命曰汝身者如何成 於是(ここに)其の妹(いも)伊邪那美の命に問ひて曰(い)はく「汝(な)が身者(は)如何(いかに)成るや」ととひて、 答曰吾身者成成不成合處一處在 答へ曰はく、「吾(あ)が身者(は)成り成りて、成り合は不(ざ)る処(ところ)、ただ一(ひと)処(ところ)在り。」とこたふ。 爾伊邪那岐命詔我身者成成而成餘處一處在 爾(ここに)伊邪那岐の命詔(のたま)はく「我(わが)身者(は)成り成りて、而れども成り余れる処(ところ)一(ひと)処(ところ)在り。 故以此吾身成餘處刺塞汝身不成合處而以爲生成國土生奈何【訓生云宇牟下效此】 故(かれ)、此の吾が身成り余れる処を以ちて汝(な)が身の成り合は不(ざ)る処を刺し塞(ふさ)ぎて[而]国土(くにのつち)を生成(つく)り生(うむ)は奈何(いかに)やと以為(おも)ふ。」【「生」を訓(よ)み宇(う)牟(む)と云ふ。下に此れ効ふ】とのたまひ、 伊邪那美命答曰然善爾 伊邪那美の命答はく[曰]「然(しかり)。爾(これ)善(よ)し。」とこたふ。 伊邪那岐命詔然者吾與汝行廻逢是天之御柱而爲美斗能麻具波比【此七字以音】 伊邪那岐の命詔(のたま)はく「然者(しかるあらば)吾(あれ)与(と)汝(な)とは是の天(あま)之(の)御柱(みはしら)を行き廻(めぐ)り逢ひて[而]、美(み)斗(と)能(の)麻(ま)具(ぐ)波(は)比(ひ)を為(せ)む」【此の七字(もじ)音(こゑ)を以ちてす。】とのたまひ、 如此之期 乃詔汝者自右廻逢 我者自左廻逢 此之(この)期(ちぎり)の如(ごと)く、乃(すなは)ち詔(のたま)はく「汝(な)者(は)右自(よ)り廻りて逢ひ、我(あれ)者(は)左自(よ)り廻りて逢はむ」とのたまひ、 約竟廻時 伊邪那美命先言阿那邇夜志愛/上/袁登古袁【此十字以音下效】 約(ちぎ)り竟(お)へて廻りし時、伊邪那美の命先に言はく「阿(あ)那(や)邇(に)夜(よ)志(し)愛〔上声〕(え)袁(を)登(と)古(こ)袁(を)」【此の十字、音を以ちてす。下に効ふ。】といひ、 此後伊邪那岐命言阿那邇夜志愛/上/袁登賣袁 此の後(のち)に伊邪那岐の命言はく「阿(あ)那(や)邇(に)夜(よ)志(し)愛〔上声〕(え)袁(を)登(と)賣(め)袁(を)」といひ、 各言竟之後告其妹曰女人先言不良雖然久美度邇【此四字以音】興而生子水蛭子此子者入葦船而流去 各(おのもおのも)言(ひ)竟(を)へし[之]後(のち)、其(の)妹(いも)に告(の)たまはく[曰]「女(をみな)人(びと)の先に言ふは良不(よからざ)れど[雖]然(しか)り。」とのたまひ、久(く)美(み)度(ど)邇(に)【此の四字音を以てす】興(おこ)して[而]生(う)みし子は水蛭子(ひるこ)にて、此の子者(は)葦船(あしのふね)に入れて[而]流し去りき。 次生淡嶋是亦不入子之例 次に淡嶋(あはしま)を生(う)みき。是れ亦(また)子(こ)之(の)例(たぐひ)に不入(いれず)。 その島に天下り、天之(あめの)御柱を見つけ気に入られ、また八尋殿を見つけ気に入られました。 [伊邪那岐の命は、]その妹伊邪那美の命に、「おまえの体は、どのようなつくりになっているか」と尋ねられました。 伊邪那美の命は、「私の身体は普通にできていますが、合わさっていないところが、ただ一か所だけあります。」 伊邪那岐の命は、「我の身体は普通にできているが、余っているところが一か所ある。 よって、私の身体に余っている部分を、お前の合わさっていない部分に差し入れて塞ごうと思う。そして大地を作って産んだらどうだろうと思う。」と仰いました。 伊邪那美の命は、「はい、うれしいわ」と答えました。 伊邪那岐の命は、「ならば、我とお前でこの天之御柱をぐるっと回って逢い、寝所での交わりをしよう」と仰いました。 このことがあり、続いて「お前は右から回って逢い、我は左から回って逢おう。」と仰りました。 約束を果たし、回ったとき、伊邪那美の命が先に、「あやしく麗しい、ああ、いい男だこと」と言い、 その後に、伊邪那岐の命が、「あやしく麗しい、ああ、いい乙女だこと」と言いました。 それぞれに言った後、その妹に「女の人が先に言うのはよくないが、かまわない」と告げて、寝所での交わりを盛大にして、子を産みました。しかしその子は蛭子であり、葦船に乗せて流し去りました。 次に淡島を生みましたが、これも[不完全だったので]子のうちに含めません。 尋…[数詞] 両手を伸ばした長さ。明治以後は1.818m。 八尋…広大なさまを表す。 汝(な)…[代] そなた。おまえ。目下の者や親しい者に対して用いる。 奈…[動] いかんせん。普通疑問代詞「何」を伴う。 爾…[助] 文末に置き、限定を表す副詞に呼応して使われることが多い [接尾] 副詞や形容詞につける。 乃…[接] すなわち。 約…[名] とりきめ。 むすぶ…[自]ハ行四段 約束する。契る。 竟…[動] 終える。 あやに…[副] なんとも不思議に え…[感動詞] ああ 然…[形] しかり (動詞化)しかりとす。 興…[動] おこる。発生する 【見立】 「立てる」だけだとすれば意味がわかるが、「見」が前につくと、むずかしくなる。解釈として、次の3つの可能性を考えてみた。 ① 伊邪那岐・伊邪那美の手で建てた。「見」は尊敬の「御」である。 ② 淤能碁呂嶋に、神殿と柱が自然に建つのを伊邪那岐・伊邪那美が見た。 ③ 淤能碁呂嶋ができるときに建った柱、神殿を、出会いと、まぐわいの場所に選んだ(見立てた)。 手がかりとして、書紀を参照する。「一書に曰く」(異説を紹介する部分)には、「二神降居彼嶋、化作八尋之殿。又化竪天柱。」と書かれている。 「化」の意味は、「(1)人心を変える。(2)(物理的に)発生する」などである。そうすると、伊邪那岐・伊邪那美の手に依らずに建ったと読み取ることも可能である。少なくとも、伊邪那岐・伊邪那美が作ったと積極的には書いていない。 従って、誰が作ったかは「特に触れられていない」と読み取るべきである。 その上で、「見立つ」という動詞(下二段活用)が現実に存在し、そのまま自然に受け取るのがベストである。伊邪那岐・伊邪那美は、たまたまそこにあった柱と神殿を、これから出会い、愛し合うのに相応しい場所として「見立てた」のである。 また、よみについては、これまでに「立」への注記で尊敬の助動詞「す」をつけることが示されてきているので、ここでもそれに従う。 なお、ここでは「見」は「御」ではないだろう。 【汝】 同格か目下の、あるいは親しみをこめた二人称の代詞。「いまし、な、なむぢ(なんじ)、なれ、まし、みまし」など、いろいろな読み方がある。 【成成不成合処一処在爾】 成成=成(動詞)+成(目的語)。全体的には、しかるべき形(成り)に成っている。 不成合処一処在…「不成合」は「処」を連体修飾。「一処」は「在」を連用修飾。例外的に、「不成合処」つまり「閉じていないところ」が一か所ある。 爾…限定を表す語句を受ける助詞。 【成成而成余処一処在】 成成…全体的には、しかるべき成りに成っている。 而…逆説の接続詞。 成余処一処在…例外的に、「成余処」つまり「とび出ているところ」が一か所ある。 【以此吾身成余処、刺塞汝身不成合処】 この部分は、書紀ではどのように書かれているか。 『書紀』(本説)…「吾身有一雌元之処。陽神曰、吾身亦有雄元之処。思欲以吾身元処、合汝身之元処。」である。(陽神=伊弉諾尊、陰神=伊弉冉尊) 『一書曰く』…「思欲以吾身陽元、合汝身之陰元。」これらは、記の内容と一致する。 他の『一書』…非常に面白いものがある。 「遂将合交。而不知其術。時有鶺鴒、飛来揺其首尾。二神見而学之、即得交道。」 遂に、将(まさ)に合ひ交らんとす。而るに其の術(すべ)を知らず。時に鶺鴒(せきれい)有り、飛び来りて其の首尾を揺らす。二神見て之を学び、即ち交わる道を得(う)。 最初はやり方が分らなかった。そこに飛んできたセキレイが実際に交尾したのか、腰を振る動きをしただけかは分からないが、その動きから学び、無事に事を終えた。 記の場合、これらの書紀の本文や異説に比べるて、書き方がかなり即物的である。「表現が素朴である」特徴がここにも表れている。 【生成国土生奈何】 動詞「奈」に対して、「生成国土生」が主語である。注に示された「生」のよみ「うむ」は連体形で、体言として主語になることを示している。 【妹】 「いも」…古語では血縁上の兄弟というより、仲の良い男女とされる。ただ、伊邪那岐が伊邪那美に対して「汝」と呼び、時に「詔」を使うので、兄・妹の関係に見える。 【みとのまぐはひ】 『書紀』…陰陽始遘(=逅)合為夫婦 初めて出会って夫婦になる。 『一書』…遂為夫婦 遂に夫婦となる。 「まぐはふ」=「性交」と言われる。ほつまつたゑ/辞書を参考にすると、「交(ま)く」+「合う」からできた言葉だと思われる。 「みとの」…「御処」として神聖な行為をする場所であろうか。性器かも知れないが、それではちょっとくどすぎる。いずれにしても「くみどに興す」の「みど」と同一と考えなければならない。 【左回り・右回り】 日本神話の御殿―要素/生み損ない型の研究によると、中国南部や南西部の神話に、類似の行動が見られる。 「兄は妹に求婚し、妹は自分を追いかけて捕まえることができたら結婚すると言い、一本の大きな樹(あるいは大きな山)の周りを廻る。兄は追いつけなかったが、一計を案じ、逆回りをしたら捕らえることができた。」という話が複数の民族にある。 記紀の記述だけでは意味が分からなかったが、もともとこういう話だったのだと知って納得できた。そのつながりを考えれば、兄・妹はやはり血縁関係を表している。では、神世七代の他のペアの「妹」も「いもうと」の意味か。 【あやによし、え、をとこ(をとめ)を】 「愛(え)」は上声とされている。もともと四声は中国語の音韻である。記紀の時代の中国は唐である。その時代の音韻についてこのような資料があるという。 <wikipedia>日本の安然『悉曇蔵』(880年)巻5に「平声直低、有軽有重。上声直昂、有軽無重。去声稍引、無軽無重。入声径止、無内無外。平中怒声、与重無別。上中重音、与去不分」とある。</wikipedia> 和文の発音の高低の特徴を、特に必要がある場合だけ「平上去入」を使って表していると考えられる。上声は「高くまっすぐ」である。感情を表す間投詞であろう。 文は、助詞「を」で中断して終わる。話し言葉だから、あとは「……」(無言)である。 この会話文は、書紀ではどうなっているだろうか。 『書紀』…憙哉、遇可美少男焉 憙=喜。少男…烏等孤(をとこ)。少女…烏等咩(をとめ)。烏は漢音では「を」と発音。可美…うまし、よきかな。 よきかな うましをとこにあへり 『一書』…姸哉、可愛少男歟 姸…うつくし。歟…[助]や、か(疑問・反語・感嘆)。 うつくしきかな うましをとこかな。 いずれも、感嘆を込めて、「ああ、すてきな男だこと」「ああ、うるわし乙女だこと」という感じである。 【くみどに興る】 「くみどに」と特に音読みを指定したこの語の意味を、なるべく厳密に突き止めたい。まず、前後関係を見る。 久美度邇興而生子…「女子から先に誘うのはよくないが、それでもかまわない」と言った後に「くみどに興」し、その結果「子を生む」というのが順番である。 他の箇所を探すと、記にもう一か所、すさのおの命が櫛名田姫と結ばれる場面にある。 其櫛名田比賣以、久美度邇起而、所生神名、謂八嶋士奴美神…櫛名田比賣(くしなだひめ)を相手に「くみどに起」こし、神を産む。次の文は「娶大山津見神之女、名神大市比賣、生子、大年神」(…を娶(めと)り、子を産む)だから、「くみどに起こる」は「娶る」に類似する行為であることがわかる。 よって「くみどに興(起)こる」は「みとのまぐはひ」と同じく「性交」の意味であると言えよう。この語句は書紀には出てこない。書紀で使われないこと自体が、生々しい表現であることを裏付けている。それでは、「くみどに興る」が性交であることを、語のなりたちから実証できないだろうか。 まず、「みど」は「みとのまぐはひ」の「みと」と同じで「寝所」であると考えなければならない。ところが、そうすると先頭の「く」が取り残されてしまう。「く」そのものの意味を探ると「交」「来」のニュアンスである。そこで「まぐはひ」に相当する語であると考えられる。 「に」は形容動詞の語尾(あるいは助動詞の連用形)。問題は次の「興る」「起こる」である。「おこる」には、自ら発する、または離れるというニュアンスがある。ことによると男性器が「勃こる」のを暗示するかも知れない。 以上を組み合わせると、「くみどに起こる」=「く」(交わり)が「みど」(寝所)「におこる」。という解釈がなんとか成り立つので、ひとまずこれを結論としておこうと思う。 【蛭子】 書紀では「蛭兒」、記は「水蛭子」。「水」がついているので、流産が連想される。受精後32日ごろには胎芽に手足の元になる突起を生じるが、この時期はまだ体長数mmである。「蛭子」の表現がこれに関係するかどうかは分からない。 【葦船】 葦は竹と同じように建材に使われる。葦の茎を普通に束ねて縛り、実用になる船を作ることができる。蛭子が流れ着いた伝説は各地にあり、夷信仰と結びつき、蛭子は「えびす」とも読まれる。これは、各地で古事記を読んだ人たちが、何らかの漂流物を祀ることから始まったと思われる。 このことから、記紀の内容が全国に広く流布していたことがわかる。 【淡嶋】 これも子(島)の数に入れない。しかし、ともかくも「島」という名前がついている。また、「淡路島」は、阿波国への道にあたる島という意味だから、阿波もまた古い地名である。にもかかわらず「生み損ない」とされるのは、阿波地方の豪族が長い間大和政権に服従しなかったことを意味する可能性がある。 想像を逞しくすれば、卑弥呼に服従しなかった狗奴(くな)国が、阿波まで勢力圏にしていたかも知れない。 【生み損ない神話】 最初の2子は生み損なったという下りについても、日本神話の御殿―要素/生み損ない型で比較されている。 「逆回りして兄が妹を捕まえた」型の神話では、最初に生まれたのが肉の塊で、それを刻むとその断片が人や植物になる。 ボルネオなど、他の地域では、兄弟が結ばれるが最初の2回(あるいは3回)は生み損なう話がある。 「熊→猿→人」「犬→鶏→人」「豚→犬→鶏→人」の順に生む。 また、波照間島の兄妹始祖創世神話にもいくつか紹介されている。 先島(宮古・八重山)地方には「兄妹始祖洪水神話」波照間島の神話にもさまざまなパターンがあり、兄妹から「魚のようなもの→ハブ→人」「魚→ムカデ→女児→男児」などの順に生まれる。宮古島には「シャコ貝→人」がある。 まとめ ニ神は、淤能碁呂島に天から降りる。正確には「自天降」(天より降りる)とすべきなのに「自」がないは、すでに「あまくだり」が一般的なことばになっていたからだと思われる。天降った二神は天の御柱を見つける。一般的に、まず二神が柱と八尋殿を立てたと解釈されているが、あくまでも地上のものを作り始めるのは結ばれてからである。何かを作り出すのは、まだ早すぎると考えた方がよい。 ルーツと思われる南方系の神話でも、大木あるいは大きな山を追いかけて回る話が中心で、その前にまず木や山を作ったとは書いていない。大木や、山は既にそこにあったのである。 次に「八尋殿」が書いてあるる理由は「まぐはい」をする「御処」が必要だからである。 さて、陽神は陰神と体のつくりの違いを示し、性交を誘う。この部分があまりに即物的なので、初めて読む者はびっくりする。しかし、これには理由がある。じつは古事記は性教育の教材を兼ねているのである(ただし、これは私の想像であるが)。上つ巻は、全般にこども向けを狙った内容である。こんなに面白いのだから。 こうやって古事記を各家庭への普及が進み、天武天皇が始めた新しい国家体制の精神的土台にしようとする思惑が、確実にある。 興味深いのは、女性側が主導権をもって男性を誘うことは良くないとされていることである。神の世界の支配者は女性の天照であるが、地上の社会は男性が主導権をもつと教育する。奈良時代は、もう男性優位社会であった。 伊邪那岐の命は、「それでもかまわない」と言って伊邪那美の命とまぐわいした。しかし、できた子は不完全であった。二番目の子は、淡島というが、これも産んだ子の数には入れない。 書紀では、「一書曰」として10通りもの異説が紹介されるが、その最初の「一書」はほぼ古事記と同一である。しかし本説では伊邪那美が最初に「よきかな、うまし男かな」と言った段階で、「男子から先に言うのが理である」と言ってすぐやり直させている。 書紀の編者は、神が人間的な失敗をするのを余り好まないようである。ただしその結果、読み物としての楽しさを損なっている。 |
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2013.06.10(月) [035] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美3) ▼▲ |
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於是二柱神議云 今吾所生之子不良猶宜白天神之御所 卽共參上請天神之命
於是(ここに)二柱(ふたはしら)の神議(はか)りて云はく「今吾(われ)らが生みし[所之(の)]子、不良(よからず)、猶(なほ)宜(よろし)く天つ神之(の)御(み)所(ところ)に白(まを)すべし。即(すなは)ち共に参(まゐ)上(のぼ)り天つ神之(の)命(おほせこと)を請(こ)ひまつらむ」といひき。 爾天神之命以布斗麻邇爾/上/【此五字以音】ト相 而詔之 因女先言而不良 亦還降改言 爾(ここに)天つ神之(の)命(おほせこと)、布(ふ)斗(と)麻(ま)邇(に)爾〔上声〕(に)【此の五字(いつつのじ、いつな)、音(こゑ)を以ちゐる】卜相(うらな)ふを以ちて[而][之れを]詔(のたまはく)「女(をみな)の先に言ふに因りて[而]不良(よからず)。亦(また)還(かへ)り降(くだ)り言(こと)を改むべし」とのたまひき。 故爾 反降更往廻其天之御柱如先 於是伊邪那岐命先言阿那邇夜志愛袁登賣袁 後妹伊邪那美命言阿那邇夜志愛袁登古袁 爾(しか)るが故(ゆゑ)に、反(かへ)り降(お)り更(さら)に其の天(あめ)之御柱(みはしら)を往(い)き廻(めぐ)ること先の如し。是(ここ)於(に)、伊邪那岐の命、先(さき)に「阿(あ)那(や)邇(に)夜(よ)志(し)、愛(え)、袁(を)登(と)賣(め)袁(を)」と言ひ、後(のち)に妹(いも)、伊邪那美の命「阿(あ)那(や)邇(に)夜(よ)志(し)、愛(え)、袁(を)登(と)古(こ)袁(を)」と言ひき。 如此言竟 而御合生子 淡道之穗之狹別嶋【訓別云和氣下效此】 此の言(こと)の如く竟(お)えて[而]御合(みあ)ひ、生(う)みし子は淡道之穗之狹別(あはぢのほのせわけ)の島。【「別」を訓(よ)み、和(わ)気(け)と云ふ。下に此れ効(なら)ふ。】 次生伊豫之二名嶋 此嶋者身一 而有面四毎面有名 故伊豫國謂愛/上/比賣【此三字以音下效此也】讚岐國謂飯依比古粟國謂大宜都比賣【此四字以音】土左國謂建依別 次に伊予之二名(いよのふたな)の島を生みき。此の島者(は)身(み一(ひと)つにて[而]面(かほ)四つ有り。面(かほ)毎(ごと)に名有(あ)り。故(かれ)伊予の国(くに)は愛〔上声〕比賣(えひめ)と謂ひ、【此の三字音を以ちゐる。下に此れに効ふ[也]】讃岐(さぬき)の国は飯依比古(いひよりひこ)と謂ひ、粟(あは)の国は大宜都比売(おほげつひめ)【此の四字は音を以ちゐる】と謂ひ、土左(とさ)の国は建依別(たけよりわけ)と謂ふ。 次生隱伎之三子嶋亦名天之忍許呂別【許呂二字以音】 次に隠岐之三子(おきのみつこ)の島を生みき。亦(また)の名は、天之忍許呂別(あまのおしころわけ)。【「許」(こ)「呂」(ろ)二字は音を以ちゐる。】 次生筑紫嶋此嶋亦身一而有面四毎面有名故筑紫國謂白日別豐國謂豐日別肥國謂建日向日豐久士比泥別【自久至泥以音】熊曾國謂建日別【曾字以音】 次に筑紫(つくし)の島を生みき。此の島は亦(また)身(み)一つにして[而]面(かほ)四つ有り。面毎(ごと)に名有り。故(かれ)、筑紫(つくし)の国は白日別(しらひわけ)と謂ひ、豊(とよ)の国は豊日別(とよひわけ)と謂ひ、肥(ひ)の国は建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくしひねわけ)【「久」自(よ)り「泥」至(ま)で音を以ちゐる】と謂ひ、熊曽(くまそ)の国は建日別(たけひわけ)と謂ふ。【「曽」の字は音を以ちゐる。】 次生伊伎嶋亦名謂天比登都柱自比至都以音訓天如天 次に伊伎(いき)の島を生みき。 亦の名は、天比登都柱(あまひとつはしら)と謂ふ。【「比」自り「都」至(ま)で音を以ちゐる。「天」を訓(よ)むは、「天」(あま)の如し。】 次生津嶋亦名謂天之狹手依比賣 次に津島(つのしま)を生みき。亦の名は天之狭手依比売(あまのさてよりひめ)と謂ふ。 次生佐度嶋 次に佐度(さど)の島を生みき。 次生大倭豐秋津嶋亦名謂天御虛空豐秋津根別 次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みき。亦の名を天御虚空豊秋津根別(あまみそらとよあきつねわけ)と謂ふ。 故因此八嶋先所生謂大八嶋國 故(かれ)、此の八島(やつのしま)先に生みし[所]に因り、大八島(おほやしま)の国と謂ふ。 ここに、二柱の神は相談して、「今我らが産んだ子は、良く有りませんでした。このまま天つ神の所へ行って申しましょう。共に参り、[どうしたらよいか]天つ神の指図を請うのです。」と言われました。 天つ神の命じられましたように、太占(ふとまに)により、割れ目から占い、その告げたところは、「女が先に言ったことに因り、良くなかった。また還って言うこと[順番]を改めよ。」でした。 そのようなことであったので、戻り降って、さらに天の御柱を回られたのは先と同様です。ここで、伊邪那岐の命が先に「あやしく麗しい、ああ、いい乙女だこと」と言われ、後に妹の伊邪那美の命が「あやしく麗しい、ああ、いい男だこと」と言いました。 この言葉の通りにして、お逢いになって子、「淡路のほのせわけの島」を生みなされました。 次に「伊予のふたなの島」を生みなされました。この島は、からだ一つに4つの顔があり、顔毎に名前があります。その内訳は伊予の国は愛媛といい、讃岐の国はいいより彦といい、阿波の国はおおきつ姫といい、土佐の国はたけより別(わけ)といいます。 次に「隠岐のみつこの島」を生みなされました。またの名を、天のおしころ別けといいます。 次に「筑紫の島」を生みなされました。この島も、からだ一つに4つの顔があり、顔ごとに名前があります。その内訳は筑紫の国はしらひ別といい、豊の国は豊日別といい、肥の国は建(たけ)日向い豊(とよ)くしひね別といい、熊襲の国は建(たけ)日別といいます。 次に「壱岐の島」を生みなされました。またの名を、天ひとつ柱といいます。 次に「対馬」を生みなされました。またの名を、天のさてより姫といいます。 次に「佐渡の島」を生みなされました。 次に「大倭(やまと)豊秋津島」を生みなされました。またの名を天みそら豊秋つね別といいます。 よって、これまでの八つの島は先に生まれたことによって、大八洲の国と言います。
書紀では、津島・壱岐は八州から除外される。すべての一書でも同様である。大和から見て辺境なので、伝統ある島には相応しくないというわけだ。しかし、対馬・壱岐は祖先が辿ってきた道筋に当たり、最後に政権を打ち立てた土地が大和とすれば、記の方が民族の古い記憶を反映しているようにも見える。逆に言えば、書紀では倭政権が渡来した一族の末裔であるような印象は拭い去りたいのである。 書紀の本説では、淡路島に対する評価を下げようとする。「秋津島を廼(はじめ)て生む」前に「胞を為した」に過ぎず、八洲に入れられない。「胞」は、もともと羊膜の意味である。この文中における意味は分からないが、恐らく流産など不完全な結果を指すのだろう。生み損ない神話の一種である。 一書(1)は、生んだ島の名前と順番を除けば、記とほぼ一致するから、記とほぼ同一の資料によると思われる。。 そのほかに興味を引くのは、越が秋津島と別の島扱いされていることである。本説と一書(1)(6)(8)が該当する。地続だと認識されていなかったとは、とても思えないので、越は独立性が高い地域だったのであろう。 吉備の児島は、現在は地続きになり、児島半島と呼ばれる。小さな島が取り上げられるのは、当時の国の中心地に近いからである。「大島・小島」の語呂にこだわったこともある。その「大島」は各地にあるので、特定するのはむずかしい。 まとめ 四国・九州については律令国とその旧称が紹介されている。ただし、九州は大宝律令(701年)のころ分割される前の国名である。秋津島の出雲、吉備、越、畿内、東国については触れられていないのが惜しいが、一貫性のないところが素朴である。古い伝承をそのまま収容した古事記の性格を表している。書紀では、各国ごとの記事はすべて省略されているので、編集の手がより加えられている。 「はじめに島々を生んだ」神話は、何世代もかけて点在する島伝いに海洋をわたってきた古い記憶が、反映されたものかも知れない。伊邪那岐・伊邪那美が逆方向に回る天つ御柱があったのは、中国南部かオセアニアか。(ただし、伝承が、という意味である) 記の記述からは、渡来民族という経歴や、熊襲との戦いの歴史の痕跡を拾うことができるが、書紀では、不要な記述は削除している。古事記は失われゆく過去の伝承を大切に残すことを目的にしている。その意味で過去を向いている。対して日本書紀は改竄を恐れず、国の成り立ちを整然と示すことによって、中央集権的な国作りに役立てようとする。その意味で未来を向いている。 |
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2013.06.13(木) [036] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美4) ▼▲ |
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然後還坐之時生吉備兒嶋亦名謂建日方別
次生小豆嶋亦名謂大野手/上/比賣 次生大嶋亦名謂大多麻/上/流別【自多至流以音】 次生女嶋亦名謂天一根【訓天如天】 次生知訶嶋亦名謂天之忍男 次生兩兒嶋亦名謂天兩屋【自吉備兒嶋至天兩屋嶋幷六嶋】 然(しか)る後(のち)、還(かへ)り坐(ま)しし[之]時、吉備の児島(こじま)を生(う)み、 亦の名を建日方別(たけひかたわけ)と謂ふ。 次に小豆(あづき)島を生み、亦の名を 大野手〔上声〕比賣(おほのてひめ)と謂ふ。 次に大(おほ)島を生み、亦の名を大多麻〔上声〕流別(おほたまるわけ)【「多」自(よ)り「流」に至(ま)で音(こゑ)を以ちゐる。】と謂ふ。 次に女(め)の島を生み、亦の名を天一根(あまのひとつね)【「天」を訓(よ)むは天(あま)の如し。】と謂ふ。 次に知訶(ちか)の島を生み、亦の名を天之忍男(あめのおしを)と謂ふ。 次に両児(ふたご)の島を生み、亦の名を天両屋(あまのふたや)と謂ふ。【吉備の児島自り天両屋島至(ま)で、并(あは)せて六つ島をなす。】 既生國竟更生神故生神名大事忍男神 次生石土毘古神【訓石云伊波亦毘古二字以音下效此也】 次生石巢比賣神 次生大戸日別神 次生天之吹上男神 次生大屋毘古神 次生風木津別之忍男神【訓風云加邪訓木以音】 次生海神名大綿津見神 次生水戸神名速秋津日子神 次妹速秋津比賣神【自大事忍男神至秋津比賣神幷十神】 既(すで)に国を生(う)みしを竟(お)へ、更に神を生(う)みき。 故(かれ)、生みし神の名は大事忍男(おほごとおしを)の神。 次に石土毘古(いはつちびこ)の神【「石」を訓(よ)み、伊(い)波(は)と云ふ。亦(また)「毘(び)古(こ)」二字は音を以ちゐる。下(しもつかた)此れに効ふ[也]。】を生みき。 次に石巣比賣(いはすひめ)の神を生みき。 次に大戸日別(おほとひわけ)の神を生みき。 次に天之吹上男(あめのふきあけを)の神を生みき。 次に大屋毘古(おほやびこ)の神を生みき。 次に風木津別之忍男(かざもつわけのおしを)の神【「風」を訓み、加(か)邪(ざ)と云ふ。「木」を訓むは音(こゑ)を以ちゐる。】を生みき。 次に海(うみ)の神、名を大綿津見(おほわたつみ)の神を生み、 次に水戸(みなと)の神、名は速秋津日子(はやあきつひこ)の神、 次に妹(いも)、速秋津比賣(はやあきつひめ)の神を生みき。【大事忍男の神自(よ)り秋津比賣の神に至り、并(あは)せて十(と)はしらの神。】 此速秋津日子速秋津比賣二神因河海持別而生神名沫那藝神【那藝二字以音下效此】 次沫那美神【那美二字以音下效此】 次頰那藝神 次頰那美神 次天之水分神【訓分云久麻理下效此】 次國之水分神 次天之久比奢母智神【自久以下五字以音下效此】 次國之久比奢母智神【自沫那藝神至國之久比奢母智神幷八神】 此の速秋津日子、速秋津比賣の二つ神、河(かは)海(うみ)に因り持(も)ち別(わ)けて[而]神、名は沫那芸(あはなぎ)の神【「那芸」二字音を以ちてす。下に此れ効ふ。】、 次に沫那美(あはなみ)の神【「那美」二字音を以てす。下に此れ効ふ。】、 次に頰那芸(つらなぎ)の神、 次に頰那美(つらなみ)の神、 次に天之水分(あめのみくまり)の神【「分」を訓(よ)み、久(く)麻(ま)理(り)と云ふ。下に此れ効ふ。】、 次に国之水分(くにのみくまり)の神 次に天之久比奢母智(あめのくひざもち)の神【「久」自り以下(しもつかた)五字(いつもじ)音を以てす。下に此れ効ふ。】 次に国之久比奢母智(くにのくひざもち)の神を生みき。【沫那芸の神自り国之久比奢母智の神至(ま)で、并せて八はしらの神をなす。】 次生風神名志那都比古神【此神名以音】 次生木神名久久能智神【此神名以音】 次生山神名大山/上/津見神 次生野神名鹿屋野比賣神亦名謂野椎神【自志那都比古神至野椎幷四神】 次に風の神を生み、名を志那都比古(しなつひこ)の神【此の神の名、音を以てす。】といふ。 次に木の神、名は久久能智(くくのち)の神【此の神の名、音を以てす。】を生みき。 次に山の神、名は大山〔上声〕津見(おほやまつみ)の神を生みき。 次に野の神、名は鹿屋野比賣(かやのひめ)の神、亦の名を野椎(のづち)の神を生みき。【志那都比古の神自り野椎に至り、并せて四(よはしら)の神。】 此大山津見神野椎神二神因山野持別而生神名天之狹土神【訓土云豆知下效此】 次國之狹土神 次天之狹霧神 次國之狹霧神 次天之闇戸神 次國之闇戸神 次大戸惑子神【訓惑云麻刀比下效此】 次大戸惑女神【自天之狹土神至大戸惑女神幷八神也】 此の大山津見の神、野椎の神の二はしらの神、山(やま)野(の)に因り持ち別(わ)けて[而]生みし神の名は天之狹土(あめのさつち)の神【「土」を訓み豆(つ)知(ち)と云ふ。下に此れ効ふ。】、 次に国之狭土(くにのさつち)の神、 次に天之狭霧(あめのさぎり)の神、 次に国之狭霧(くにのさぎり)の神、 次に天之闇戸(あめのくらど)の神、 次に国之闇戸(くにのくらど)の神、 次に大戸惑子(おほとまとひこ)の神【「惑」を訓み、麻(ま)刀(と)比(ひ)と云ふ。下此れに効ふ。】、 次に大戸惑女(おほとまとひめ)の神。【天之狹土の神自り大戸惑女の神に至(ま)で、并せて八はしらの神也(なり)。】
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2013.06.16(日) [037] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美5) ▼▲ |
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次生神名鳥之石楠船神亦名謂天鳥船
次生大宜都比賣神【此神名以音】 次に生みし神の名は、鳥之石楠船(とりのいはくすふね)の神、亦の名は天鳥船(あまのとりふね)と謂ふ。 次に大宜都比賣(おほげつひめ)の神【此の神の名は音(こゑ)を以てす。】を生みき。 次生火之夜藝速男神【夜藝二字以音】 亦名謂火之炫毘古神 亦名謂火之迦具土神【迦具二字以音】 次に火之夜芸速男(ひのやげはやを)の神【夜(や)芸(ぎ)の二字は音を以ちゐる。】を生み、 亦の名を火之炫毘古(ひのかがびこ)の神と謂ひ、亦の名を火之迦具土(ひのかぐつち)の神【迦(か)具(ぐ)の二字は音を以ちゐる。】と謂ふ。 因生此子美蕃登【此三字以音】見炙而病臥在 多具理邇【此四字以音】生神名金山毘古神【訓金云迦那下效此】次金山毘賣神 此の子を生みしに因りて美(み)蕃(ほ)登(と)【此の三字は音を以ちゐる。】見炙(やかえ)て[而]病(や)み臥(ふ)して在り、多(た)具(ぐ)理(り)邇(に)【此の四字は音を以ちゐる。】生みし神の名は金山毘古(かなやまびこ)の神【「金」を訓み、迦(か)那(な)と云ふ。下に此れ効ふ。】、次に金山毘賣(かなやまびめ)の神。 次於屎成神名波邇夜須毘古神【此神名以音】 次波邇夜須毘賣神【此神名亦以音】 次に屎(くそ)に[於]成りし神の名は波邇夜須毘古(はにやすびこ)の神【此の神の名は音を以ゐる。】、次に波邇夜須毘賣(はにやすびめ)の神【此の神の名は亦(また)音を以ちゐる。】。 次於尿成神名彌都波能賣神 次和久產巢日神 此神之子謂豐宇氣毘賣神【自宇以下四字以音】 次に尿(ゆまり)に[於]成りし神の名は弥都波能売(みつはのめ)の神、次に和久産巣日(わくむすび)の神、 此の神之(の)子、豊宇気毘賣(とようけびめ)の神【「宇」自り以下(しもつかた)四字は音を以ちゐる。】と謂ふ。 故伊邪那美神者因生火神遂神避坐也【自天鳥船至豐宇氣毘賣神幷八神】 故(かれ)伊邪那美の神者(は)、火の神を生むに因りて遂に神避(かむさ)り坐(ま)しき[也]。【天鳥船自り豊宇気毘賣の神に至り、并せて八(や)はしらの神。】 《凡伊邪那岐伊邪那美二神共所生嶋壹拾肆嶋神參拾伍神【是伊邪那美神未神避以前所生唯意能碁呂嶋者非所生亦姪子與淡嶋不入子之例也】》 《凡(おほよそ)、伊邪那岐、伊邪那美、二はしらの神共に生(う)みし[所]島は一十拾四島(とをちあまりよつのしま)、神は三十五神(みそはしらあまりいつはしらのかみ)【是れ伊邪那美の神未(いま)だ神避(かむさ)らざるを以ちて前に生みし所なるも、唯(ただ)意能碁呂(おのころ)島者(は)生みし所に非ず、亦(また)姪子(ひるこ)与(と)淡島とは子之例(たぐひ)に不入(いらざ)る也(なり)。】》 故爾伊邪那岐命詔之愛我那邇妹命乎【那邇二字以音下效此】 謂易子之一木乎 乃匍匐御枕方匍匐御足方 而哭時於御淚所成神 坐香山之畝尾木本 名泣澤女神 故 其所神避之伊邪那美神者 葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也 故爾(しかるゆゑに)、伊邪那岐の命詔(のたま)はく「之の愛(うつく)し我(あ)が那邇妹(なにも)の命(いのち)乎(かな)【那(な)邇(に)の二字は音(こゑ)を以ちゐる。下に此れ効ふ。】。 子之(の)一(ひとつ)木(き)に易(か)ふと謂ふ乎(かな)」 乃(すなは)ち御(み)枕(まくら)の方(かた)に匍匐(は)ひ、御(み)足(あし)の方(かた)に匍匐(は)ひて[而]哭(な)きたる時、御(み)涙(なみだ)す所(ところ)に[於]神成り、香山(かぐやま)之(の)畝尾(うねび)の木の本(もと)に坐(ま)し、名は泣沢女(なきさわめ)の神。 故(かれ)、其の神避(かむさ)りし[所之]伊邪那美の神者(は)、出雲国(いづものくに)与(と)伯伎国(はくきのくに)とを堺(さか)ふる比婆之(ひばの)山に葬(はぶ)りき[也]。
次に神を生みなされ、名を鳥の石楠船(とりのいわくすふね)の神、またの名を天鳥船(あまのとりふね)といいます。次に大宜都比賣(おおげつひめ)の神を生みなされました。
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⇒ [038] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美6) |