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[029] 序文(解題6)

2013.05.31(金) [030] 上つ巻(天地開闢1) 
天地初發之時 於高天原 成神 名天之御中主神【訓高下天云阿麻 下效此】次高御產巢日神 次神產巢日神 此三柱神者並獨神成坐而隱身也
天地(あめつち)初(はじ)めに発(お)こりし[之]時、高天原(たかあまはら)に[於]神成りまし、名づけて天之御中主(あめのみなかぬし)の神、【「高」の下なる天を訓(よ)み、阿(あ)麻(ま)と云ふ。下(しもつかた)此(これ)に効(なら)ふ。】次に高御産巣日(たかみむすひ)の神。次に神産巣日(かむむすび)の神といふ。此の三柱(みはしら)の神者(は)並びて独り神と成り坐(ま)して[而]、身を隠しましき[也]。

 天地開闢(かいびゃく)の時、高天原(たかあまはら) 【「天」の訓は、以後「あま」とします】に、神が現れました。名を、天のみなか主の神、次に、高きみむすびの神、次に、かむみむすびの神と申され、これら三柱の神はそろって独り神であらせられます。そしてそのまま姿を隠されました。

天地初発…他の表現としては、序文に「乾坤初分」「天地開闢(かいびゃく)」が使われている。人が生活する現実世界が「地」で、空の上で神々の世界が「天」である。はじめは天地一体の「混沌」であったが、天地が分離した瞬間からこの世が始まる。別の考え方としては、何もなかったところに、天と地が同時に突然出現する。
…[助] A,Bを名詞として、「A之B」はAがBを連体修飾する。古事記では「之」が多用され、多くは日本語の格助詞「の」にそのまま置き換えられる。
…[前] ~において。
…[名] ①源。②広い平野
はら…[名] 草などが生えた、平らで広い土地。野原。原っぱ
…[動] 名付ける
訓高下天 云阿麻…「高」の下なる「天」を訓(よ)み、阿(あ)麻(ま)と云ふ。つまり「高」の下にある「天」は訓読みで、「あま」と読む。
下効此…下に此れを効(なら)ふ。つまり、以下これを有効とする。これによって、古事記で「高」の次の「天」は常に「あま」と読む約束となる。
…[助] その前の部分は主語となる。「~は」(格助詞)に相当。
…[副] そろって
坐す、御坐す(まします、おわす)…(日本語用法)いらっしゃる。おいでになる。「ある」の尊敬語
…[接] しかして
…[動] 身を隠す
…[助] 文末に置き、語気を表す。

【天地開闢】
 現代人から見れば、これはまさに「神話」であり、多くの人は古代人の空想として片づけるであろう。しかし、それに比べて現代人がより進んだ考えをもっているかというと、そうでもない。
 現代の代表的宇宙論では、宇宙の最初はただの1点であり、ビッグバンによってあらゆる物質が作られ、銀河が形成されていき現在も膨張を続けているとする。では、その前には何があったのか?
 その疑問に対して、3つの考え方がある。
 「時間」は物質が伴う属性のひとつである。宇宙が点として膨張を始めたのが「絶対0秒」で、「それ以前の時刻」はそもそも宇宙がないのだから、問い自体が論理的にあり得ない。
 現在の宇宙を生み出した温床が、別の宇宙にあり、その中のある1点で起こった物理現象がビッグバンである。
 宇宙が膨張する前は収縮し、膨張に転ずる瞬間は極めて高密度であったが、実際には完全な点にはなっていない。
 ある系の内部では、①は論理的に完全に正しい。それでは、最初の一点はどうやって生じたかというと、ひとつの素粒子のようなもので、量子論的なゆらぎによって生まれたという。だが「生まれるしくみ」をわずかでも問題にした時点で、「閉じた系の内部」という前提からはみ出してしまう。我々の宇宙の最初の一点を生み出す「ゆらぎ」もつ空間が我々の宇宙の前にあったことになる。そうなると、実は②でなる。
 ②では、われわれの系と別に、他の系があることを予想する。今のところ外側の系は知られていないが、いつかわれわれの系と別の系との間に相互作用が発見されるかもしれない。ただし、それを発見した瞬間に我々の宇宙は別の系を合わせた範囲に広がり、再びその始まりはどうなっているのかという問いに戻る。
 ③では、「絶対零度では理想気体の体積は0になるが、理想気体そのものは現実には存在しない」という考え方を応用している。理論上の「宇宙」は密度が無限大になり得るが、現実の宇宙はそれに近い状態までしか行けないものと考える。その小さな点に集まる以前はどうなっていたのかという疑問を生む。つまり、問題を先送りするだけである。
 従って、「宇宙開始論」に対しては、①のようにどこかで思考を停止させて決着をつけるか、地平線を果てしなく広げていって、いつまでも解答を求め続けるかのどちらかしかない。この点に関しては、古代人の考え方も現代人の考え方も変わらないのである。
 この疑問に対して、実に思い切りよく答えてくれるものがある。それが宗教である。だから①は、実は宗教である。多くの宗教は「宇宙開闢はどのように行われたか」という問いに、明確な解答を示してくれる。(この特徴は、ある思想体系が宗教であるかどうかの判別に使えるかも知れない)その教義から演繹し、地上の支配者が創造主から自らに連なる系図を証明すれば、現体制は真実のものになる。したがって、どの民族でも天地創造神話は、体制維持のための精神的な土台である。天地開闢は、自然科学ではなく社会学の対象なのである。

【高天原】
 注記に従って「天」を「あま」と読めば、「たか+あま+はら」である。「~の」に当たる連体助詞は、「が」のほか、古くは「つ」があるが、現在では習慣的に「たかまがはら」と読まれている。地名では、大台ヶ原、青木ヶ原、戦場ヶ原など「~が原」は一般的である。また「あま」に連体助詞「が」が続くものも地名にあり、「尼崎」「尼辻」などがある。
 「~がはら」は語呂がよいが、「は」は、奈良時代以前は「ぱ」と発音されたことを考えると「がぱら」は発音しにくい。想像であるが、最初「~のぱら」だったのが、「は」になったので、破裂音がひとつ前に移動して「~がはら」になったのかも知れない。
 「高天原」は、普通に意味を取れば、「空高くにある、神の住む広い土地」である。しかし、その一族がもともと地上の「あまがはら」という土地に住んでいて、それに準えて「空高くには、神が暮らすもう一つのあまが原がある」としたのかも知れない。

【"天"と"あま"】
 「天=あま」は、「"高"の下」を対象として注記されている。では冒頭の「天地」はどうかと言えば、こちらは「あめつち」である。『古典基礎語辞典』(大野晋氏)によれば、上代語では「あま」の方が「あめ」より多く、「あめ」は「天地」など新しく入ってきた外来語につけられたから、「あめ」の方が新しいと述べている。
 さて、「天」の音は「透先平」で、漢音・呉音の「テン」はほぼ音を引き継いでいる。訓を「あま」とするのは、あまりに普通になっていて誰も疑問をもたないが、敢えてその理由を考えてみたい。
 「天」という漢字は、本来の意味「そら」とか「道教における神の住む所」の意味で使われている。だから、本来の和語では「そら」にあたる。 そこへ、当時の国を支配し始めた一族が、自らの天の世界の呼称「あま」を彼らの祀る神々のすみかの名称として広めたのではないかと思う。 だから、神の住む場所の名称は「そら」という一般名詞ではなく、「あま」という一族の神の場所で呼ばれることになったと想像している。

【成ㇾ神】
 ㇾ点を入れて、「神成る」。神は文法的には目的語であるが、「有」と同じく存在文で、事実上の主語である。伊邪那岐・伊邪那美から産まれた神は「生神=神生る」と表現される。伝統的に、どちらも「なる」と訓読するが、漢字では区別される。
 理由なしに突如出現した神は「成る」、有性生殖によって作られた神は「生る」が使われる。それでは、行為に付随して現れる神についてはどうだろう。
 伊邪那岐が左目を洗ったときにできた神「天照大御神」は「成」った。天照が須佐之男の剣を所望し、口に含んで噛み、霧を吹きだしてできた神「たきりびめ」は、やはり「成」ったものである。
 神武天皇の直径の高祖父(4代前)、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミのみこと)はどうかというと、これは須佐之男が男装した天照の宝物=天照の左の美豆良(みずら)につけた八尺の勾玉に付属する500個の「みすまる珠」=を口に含んで噛み、噴き出した霧から、「成」った。
 一方、神武天皇の母「玉依びめ」祖母の「豊玉びめ」の父「大わたつみ神」は、伊邪那岐・伊邪那美から「生」った。

【天之御中主神】
 「あまのみなかぬしのかみ」または「あめのみなかぬしのかみ」。「神」の前には、伝統的に「~の神」と「の」を挟む。
 名前からは、天の中心に位置する重要な神であるが、記紀で一番重要な神は明らかに天照である。では、どちらが格上か。これは不明である。登場する神々の序列を定めようとする論理的な考え方は見られず、羅列されるだけである。仏教も多神教であるが、仏教の場合、神々の関係を示す構造図として、曼荼羅が作られる。

【高御産巣日神】
 「たかみむすひのかみ」。『日本書紀』では「高皇産霊神」。「日」は「ひ」だが、普通は、濁音化して「び」と読まれている。なお、この時代の発音では「日」は[pi]である。

【神産巣日神】
 「かむむすひのかみ」。「かむ」は「かみが複合語を構成するときに現れる語形」という説明があるので、名称の一部になっている場合は「かむ」と読む。

【独神】
 神には伊邪那岐・伊邪那美など、夫婦神と、単独で現れるものがある。独り神には性別がない。

【柱】
 神や魂を数えるときの日本の量詞。古事記では人を数える場合にも使っている。

【此三柱神者並独神成坐】
 「このみつはしらのかみはならびてひとりかみになります」。「者」は、助詞でその前まで主語だが、述部は主述構造。「並」は副詞。量詞「柱」、特有の意味をもつ「独神」、敬語「坐」が混ざっているところが倭風である。

【而隠身也】
 神は死なず、姿を隠すだけである。では、姿を現していた間は、何をしたのかかと言うと、何もしない。
 古事記には多数の神が登場するが、大部分は名前を挙げるのみである。各地・各部族のさまざまな言い伝えを統合する過程で、方々の神々を洗いざらい収容した感がある。すべての伝承の上部に位置する神話として受け入れさせようとしたのだろうか。ただし、名前そのものが意味を語っている場合も多い。

まとめ
 「天」の訓「あま」は、現在では完全に定着していて、何ら違和感がない。しかし、試しに「あま」という読みを一度消しゴムで消してみると、「天」の訓は、「そら」こそがふさわしいことに気付く。
 とすれば、「天」をわざわざ「あま」と読ませるのは、神々の居所を別の神の一族が占拠して、新しい看板を掲げるに等しい。ことのき、地上では「あま」を名乗る部族が占拠する事件が起こっていたと考えれば、辻褄が合うのである。
 これまでの研究を調べたところでは、オセアニアあるいは東南アジアに起源をもつ一族が、子作り神話や海彦山彦神話を携えて九州方面から日本にやってきた可能性がある。彼らが土着勢力との間で繰り広げた戦いが「倭国大乱」なのかも知れないと想像している。その結果山陰から北陸の日本海側を支配していた古代出雲を支配下に置き、初期の大和政権を確立したと考えることができる。
 また、記紀に登場する神々は天つ神と国つ神に二分されている。国つ神は、古代出雲を含む土着勢力の神であり、天つ神は後に大和政権を打ち立てた一族の神であると考えると、古事記の上巻は見通しがよくなる。以後、私はこの観点で古事記を読んでいこうと考えている。それにしても先は長いと思っていたら、最初の29文字で早くも重要な材料に遭遇した。「天」を「そら」ではなく「あま」と訓ずるのがそれである。

 和風漢文を読み下すにあたって、なるべく上代語の範囲で、また簡潔にしたかったのですが、勉強不足で間違いだらけです。これからも直していきたいと思います。[2014.01.20]
 読み下し文を改訂しました。[2014.03.14][2016.03.25]
 記上巻・上代紀の訓読を改めました。これまでの〈時代別上代〉などの文献、各種古写本などによる学びの蓄積を反映したものです。[2021.02.24]


2013.06.02(日) [031] 上つ巻(天地開闢2) 
次國稚如浮脂而 久羅下那州多陀用幣流之時【流字以上十字以音】 如葦牙因萌騰之物 而成神名宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許 訓立云多知】 此二柱神亦獨神成坐而隱身也 《上件五柱神者別天神》
次に国稚(わか)く浮く脂(あぶら)の如くして[而]、久(く)羅(ら)下(げ)那(な)州(す)多(た)陀(だ)用(よ)幣(へ)流(る)[之]時【「流」の字(じ、な)の以上(かみつかた)十字(とをちのじ、とをな)、音(こゑ)を以ちゐる】 葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あ)がる[之]物に因りて神成りまし、名づけて宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神、【此の神の名音(こゑ)を以ちゐる】 次に天之常立(あまのとこたち)の神といひます。【「常」を訓み登(と)許(こ)と云ふ。「立」を訓み多(た)知(ち)と云ふ】 此の二柱の神亦(もまた)独り神と成り坐(ましま)し、而(すなは)ち身を隠しませり[也]。 《上(かみ)つ件(くだり)五(いつ)柱の神者(は)別天神(ことあまつかみ)なり》

 その次に、国幼く、浮く脂のように、またくらげのように漂っていたとき、葦の芽のように萌え上がってできた物により神が現れ、 名を「うましあしかびひこちの神」、次に「天の常立の神」(「常」は「とこ」、「立」は「たち」と読みます)と申され、これら二柱の神もまた、そろって独り神にあらせられます。そしてそのまま姿を隠されました。 《これまでの五柱神は、別け天つ神といいます》

…[形] わかい。おさない。
…[動] ごとし。(形容詞で訓読)
…[形] うかぶ。
…[名] 動物のもつあぶら成分。
…[接] しかして。(置き字として訓読しない場合も多い)
くらげ…[名] 水母、海月。<wikipedia>刺胞動物門に属する動物のうち、淡水または海水中に生息し浮遊生活をする種の総称</wikipedia>
~なす…[接尾語] [体言、ときに動詞の連体形に付いて〕…のように。…のような。
ただよ・う〔ただよふ〕…[動ハ四] 一つ所にとどまらずゆらゆら動いている。
…[助動] 完了。「る」は連体形
…[動] めぶく。「芽」に通じる
…[動] よる。
…[動] もゆ。植物が発芽する。
…[動] (馬が)躍る。飛び上がる。
うまし…[形] 満ち足りていて美しい。

【如ク浮ク脂ノニ而テ、くらげなす漂へるノ時】
 ここでは漢文と日本文が混合している。「くらげなす」は、「くらげのように」という意味。生物名としてのくらげか、光がない「暗げ」なのかを判断する材料はない。しかしその前に「油脂を浮かべたような」という表現があるので、生物としての「くらげ」だとすれば、比喩をさらに多彩にするものと理解することができる。
 「漂ふ」の命令形に続く「る」は、完了の助動詞「り」の連体形である。その結果「くらげなす漂へる」が体言扱いとなって「の時」につながる。
 それを受ける「之」が助詞「の」であることは、割注が、「の時」の前ではなく後ろに置かれたことからも裏付けられる。従って、「…ただよへるのとき」と読まれたのは間違いない。このパターンは、和文を漢文に組み込むルールとして今後も覚えておく必要がある。
 ここですでに、古事記の文学表現の豊かさが見える。表現は柔軟で、想像力に溢れている。これが旧辞を誦読した稗田阿礼による脚色か、古来からのものかは不明である。おそらくその両方ではないかと思う。序文の書き方から見て、太安万侶ではなさそうである。

【葦牙の如き萌え騰がる物に因り】
 「萌えあがる」ものだから、「牙」は「芽」であると解釈すべきある。「因」は動詞で原因を表し、接続詞「而」の後の文が結果を表す。

【ひこ】
 男子の美称(日子)。子の子(孫)。

【ち】 みずち(古くはみつち)、いかづちについて、「ち」を「霊」と解説するものがある。みつち=水の霊。いかつち=かみなりの霊。

【うましあしかびひこち】
 うましは「美し」である。
 次の「あしかび」は一般には前文の「葦牙」を受けたものと解釈される。その結果、「あしかび」から遡って「牙」は「かび」と読むはずだということになる。ただし、ネット辞書に検索をかけてみると、「牙」を「かび」と読む用例は、古事記のこの部分以外のものはでてこない。
 また、古くなった食物が「かびる(黴る)」のも、水生植物の発芽と共通するという説明もあったが、これは無理があると思う。自然への敏感な感性をもつ古代人が、単子葉類の子葉鞘(発芽を包むさや)と、腐りかけの食物の表面の黴を同一視するとは考えられない。
 最後の「ひこ」つまり日子はごく一般的だが、次の「ち」の意味がわからない。上で見たように「霊」の意味があるが、「みつち」や「いかつち」は恐ろしい霊であって「うまし神」にはふさわしくない。「つ」がないのも問題である。音読みの途中で「つ」があれば「津」などが表記されるはずで、省略はありえない。
 想像を逞しくすれば、「あしかび彦」の治める美しい土地の守り神に由来する可能性がある。しかし「あしかび」に直結する地名は、見つけることができなかった。

【天の常立神】
 「あしかび日子の地の神」という想像を刺激する名前とは対照的に、「常立」つまり、いつもいるが、特定の姿を現さない神かと想像される。

【別け天つ神】…{あまのみなかぬし、たかみむすひ、かむむすひ、うましあしかびひこち、あまのとこたて}
 「別」は習慣的に「こと」と読まれる。これは後のある時代にそう定められたことである。しかし、古事記自体の中に「別天神」の音訓についての注記はない。これは、後から書き加えられた「神の柱数集計」文には、当初の丁寧な音訓の注記はないということである。国生み神話の部分で、各国の旧称が「~別」で示されたところには、音は「わけ」であるという割注がある。
 この「わけ」は、「国が分けられている」という意味なので、「神々の一部を特別なグループに入れる」という意味の「別天神」の「別」と同じである。したがって、「原文で明確であることを一義的に採用する」原則により、「わけあまつかみ」と読むことにする。
 五柱の神は、別格のグループとされるが、どのような意味で別けられたのかは不明である。

まとめ
 「天地」の「地」は、ここからは「国」と表現される。国のごく初期は、脂が浮くように、また水母のように漂っていた。まだ、陸地はない。
 このとき、葦の芽が勢いよく育って現れた神が「うましあしかびひこちの神」と「天の常立の神」である。
 脂、水母は陸ができる前の海の状態を絵画的に表現しているのか。あるいはどれかの神の出現に何か関係があるのだろうか。また、葦が何を象徴するかも不明である。
 ここまでの五柱が「別け天つ神」とされるが、この集計は明らかに後から書き加えられたものである。これからも時折、現れた神の数を数えてまとめられる。


2013.06.03(月) [032] 上つ巻(天地開闢3) 
 次成神 名國之常立神【訓常立亦如上】次豐雲/上/野神 此二柱神亦獨神成坐而隱身也
 次成神 名宇比地邇/上/神 次妹 須比智邇/去/神【此二神名以音】
 次角杙神次妹活杙神【二柱】
 次 意富斗能地神 次妹 大斗乃辨神【此二神名亦以音】
 次 於母陀流神 次妹 阿夜/上/訶志古泥神【此二神名皆以音】
 次 伊邪那岐神 次妹 伊邪那美神【此二神名亦以音如上】
 《上件自國之常立神以下伊邪那美神以前幷稱神世七代【上二柱獨神各云一代次雙十神各合二神云一代也】》

 次に神成りまし、名づけて国之常立(くにのとこたち)の神【「常立」の訓(よ)み、亦(また)上の如し】次に豊雲(上声)野(とよくもの)の神といひ、此の二柱の神は亦(また)独り神成り坐(ま)し 而(すなは)ち身を隠しませり[也]。
 次に神成りまし、名づけて宇比地迩〔上声〕(うひちに)の神、次に妹(いも)、須比智迩〔去声〕(すひちに)の神【此の二神の名、音(こゑ)を以ちゐる】、
 次に角杙(つぬくひ)の神、次に妹、活杙(いくくひ)の神【二柱(ふたはしら)】、
 次に意富斗能地(おほとのち)の神、次に妹、大斗乃弁(おほとのべ)の神【此の二(ふたはしら)の神の名、音を以(も)ちゐる】、
 次に於母陀流(おもだる)の神、次に妹、阿夜(上声)訶志古泥(あやかしこね)の神【此の二神の名、音を以ちゐる】、
 次に伊邪那岐(いざなぎ)の神、次に妹、伊邪那美(いざなみ)の神【此の二神の名、音を以ちゐること上の如し】といふ。
 《上(かみ)つ件(くだり)、国之常立神自(よ)り伊邪那美神の以下(しもつかた)、以前(さきつかた)より并(あわせ)て神世(かみのよ)七代(ななよ)と称(なづ)く。【上(かみ)つ二柱(ふたはしら)、独り神は各(おのおの)一代(ひとよ)と云ひ、次の双(ふたあはす)十(とを)神は、各(おのおの)二(ふた)神を合わせて一代(ひとよ)と云ふ[也]。】》


 次に神が現れ、名を国之常立の神(「常立」の読みは、上と同じです)、次に豊雲野(とよくもの)の神と申され、この二柱の神もまた、独り神にあらせませます。そしてそのまま姿を隠されました。
 次に神が現れ、名をういちにの神、その妻、すいちにの神、
 次に角杙(つぬくい)の神、その妻、活杙(いくくい)の神、
 次におおとのちの神、その妻、おおとのべの神、
 次におもだるの神、その妻、あやかしこねの神、
 次に伊邪那岐(いざなぎ)の神、その妻、伊邪那美(いざなみ)の神と申します。
 《これまでの記事中、国の常立の神から伊邪那美の神までを、併せて神世(かみのよ)七代(ななよ)と言います。(はじめの二柱の独り神はそれぞれ一代と数え、次の二柱ずつ計十柱の神は、それぞれ二神を合わせて一代と数えます。)》


(ヨク)…[名] くい
(いも)…[名] 主として妻・恋人をさす

【国之常立の神】
 名前は天之常立の神と対になっているが、別天神には含まれない。天之常立の神が天つ神であるのに対し、国之常立の神はもともとは国つ神であったためだろうか。このような格の区別については、これからも気を付けておく必要がある。

【有性の神々】
宇比地邇ウヒチニ大いに水に濡れるさま
須比智邇スヒチニ少し水に濡れるさま
角杙ツノクヰ「つの(突ぬ)」+「くゐ(高ゆ・越ゆ・肥ゆ)」
活杙イククイ「いく(活く・熟く・上く)」+「くい(高ふ・越ふ・肥ふ)」
意富斗能地オオトノチ「おおとの(央殿)」+「ち(内)」
大斗乃辨神(オオトノ)へ【辺・端・方・部・縁・鄙・僻】(1)添う(沿う)所。そば。 (2)区分。区画。廻。独り言:「ほう(方)」 (3)下・末・隅。
於母陀流オモタル「おも(上む・熟む・秀む)」+「たる(足る・達る)」
阿夜訶志古泥(アヤ)カシコネ「かし(高す・上す・活す)」+「こね(熟ぬ)」
伊邪那岐イサナキ「いさ(禊・清・美・至)」+「な」+「き(貴・熟)」。「な」は「の(格助詞)」の変態。 「き(貴・熟)」は夫婦神の男神を表す。
伊邪那美イサナミ「いさ(禊・清・美・至)」+「な」+「み(陰・穢・卑)」。「な」は「の(格助詞)」の変態。 「み(陰・穢・卑)」は夫婦神の女神を表す。

 神世七代のうち、三代目から七代目までは、男女の神が組み合わせっている。それぞれの組の名は基本的に類似しているが、六代目の「おもだる・あやかしこね」だけはあまり似ていない。神の名の意味を探るのは無理かと思ったが、それでも探してみたら、やまとことばの単語形成の原理を調べたサイトが見つかった。 「ほつまつたゑ 解読ガイド」がそれである。そのうち単語の成り立ちを研究しているページが「やまとことばのみちのく」で、なるほどと思わせるものがあるが、ここではその結果だけを使って三代目以後の男女の神の名前の意味を紹介させていただく。 これを見ると、各組ごとに「大・小」「突く・生きる」「中央・周辺」のように対比された名称になっている。

まとめ
 国の常立の神、豊雲野の神までは、別天つ神と同じく無性で、現れて隠れる神であったが、次の代から男女の神が組になって現れ、隠れることはなくなる。しかし、伊邪那岐・伊邪那美以外は、何かをしたのかも知れないが、名前以外何も書かれない。それぞれに、各地の古い伝承を伴うのかも知れない。伊邪那岐・伊邪那美がいよいよ実質的な物語を開始するのであるが、それまでに無性の神が7柱、次に男女神が5組現れる必要があった。 それが何を意味するのかは不明であるが、とにかく男女神が何組か出現したうちで、国を作ることができたのは一組だけであった。一種の選民思想と見ることもできる。

2013.06.04(火) [033] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美1) 
於是天神諸命以詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神修理固成是多陀用幣流之國
是(ここ)に[於]、天つ神の諸(もろもろ)の命(みこと)、以ちて詔(のたま)はく、伊邪那岐(いざなぎ)の命、伊邪那美(いざなみ)の命の二(ふた)柱の神に、是の多(た)陀(だ)用(よ)幣(へ)流(る)[之]国の理(ことわり)を修(なほ)し固め成せとのたまひ、

賜天沼矛 而言依賜也
天沼矛(あめのぬぼこ)を賜りて[而]、言依(ことよ)せ賜(たま)ふ[也]。

故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而
故(かれ)、二柱の神天つ浮橋に立たし【「立」を訓(よ)み、多(た)多(た)志(し)と云ふ】て[而]

指下其沼矛以畫者鹽許々袁々呂々邇【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而
其の沼戈(ぬぼこ)を指し下ろし、以ちて画けば、塩(しほ)許々袁々呂々(こをろこをろ)邇(に)【此の七字は音を以ちゐる】書き鳴(な)し【「鳴」を訓み、那(な)志(し)と云ふ】て[而]

引上時自其矛末垂落 之鹽累積 成嶋是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】
引き上ぐる時、其の矛の末(すゑ)自(よ)り垂り落ちし[之]塩(しほ)累積(つも)り、嶋に成りて、是れ淤(お)能(の)碁(ご)呂(ろ)嶋なり。【「淤」自り以下(しもつかた)四字音を以ちゐる】

 そのとき、天つ神が皆で、伊邪那岐(いざなぎ)の命、伊邪那美(いざなみ)の命の二柱の神に、このただよえる国の姿を整え、土地を固めるよう命じ、天沼矛(あめのぬぼこ)をたまわりました。 そこで二柱の神は天つ浮橋にお立ちになり、沼矛(ぬほこ)で下を指して、その先で線を引くように動かしましたところ、コヲロコヲロと鳴りながら描かれました。 そして引き上げたところ、その先から垂れ落ちた塩が積み重なり、できた島が淤能碁呂(おのごろ)島でございます。

…[形] もろもろ
…[動] 指示する 使役の動詞
(みこと)…日本語用法。神の名前に添えて敬意を表す。
…[動] もってす。ことをなす
…[動] 告げる。上から下へ指示する。[名] みことのり。天子の命令
修理…ととのえる。つくろい直す
…[動] 目上から目下に財貨を与える。[名] たまもの
…[名] ほこ。長い柄の先に両刃の剣をつけたもの
…[動] いう。[副] すなわち。[助] 特定の意味をもたず、語調を整える
…[接] 二つの文を接続するが、置き字として読まないことも多い。その場合、前文末に「~して」と送り仮名をつける。
…[動] さす
…[動] 描く。線引きしてわける
…[接] ~れば。因果関係を表す重文の間に置く。
…[名] しお。食塩

【諸命】
 「諸」が副詞「挙」なら、「命」を動詞「命ず」と考えることができる。だが、「諸」が副詞とは考えにくく、また後にさらに動詞「以詔」が続くので、神々に対する敬称とするのが自然である。

【命】
 書紀では、注記に「貴いものは"尊"、それ以外は"命"を使い、読みは両方とも"みこと"である」とされるが、記では、特に区別されない。基本的に「~の神」だが、特に擬人化されているときに「~の命」である。

【以詔】
 詔を名詞として、「命以詔…みことのりをもってめいず」は文法上は成り立つが、まだ神代に、制度化された天子の命令「詔」はありえないので、「詔」は動詞である。
 「以」の解釈はむずかしい。接続詞(もって)なら、主語の前にあるべきだが、すでにその役割をする「以是」がある。副詞(ただちに)は、意味が合わない。
 「以」はもともとは動詞(~する)である。あまり具体的な意味を持たない場合もあるので、動詞句「以詔」であると考えるのが適当だろう。
 そのうえで、「詔」あるいは「以詔」を使役動詞として、いざなぎ・いざなみに対して流動する海を固めて国土にすることよう命じたと解釈する。目的語=「伊邪那岐命伊邪那美命二柱神」、補語(述部)=「修理固成是多陀用幣流之国」である。

【是多陀用幣流之国】
 ここでは「是」は指示詞。前に割注付きで「多陀用幣流之国」がでてきたのを、受けている。音訓混合文であるが、もう説明なしでも大丈夫だろうというわけである。

【天浮橋】
 海に直接浮かんでいるか、空中に浮かんでいるかは、明らかではない。岩波文庫の書紀の注では「はし」は古くは梯子を指したというが、漢字の「橋」を使っている以上、記紀を書く時点では川に架ける橋をイメージしているわけである。

【沼】
 <wikipedia>水深5m以内の水域であり、イネ科やシダ、ヨシ、ガマ、スゲなどの草に占められ、透明度が低く、規模があまり大きくないもの</wikipedia>
 島ができる前の海は、いろんなものが漂っていて、時々葦も育つから、沼のようなものだったというわけか。

【沼矛】
 矛は、本来の意味の通り、武器の一種で刃がついているものである。なぜなら、それを使って混沌の海面に「画く」、すなわち鋭い刃先で線条を残すからである。なお、書紀では「瓊矛」である。その注記に「瓊は玉の意味で、ぬと読む」とある。
 したがって、「沼」は「ぬ」である。

【立=多多志】
 これまでに「常立神」の割注で、「立つ」は、当時も「立つ」だったことが判っている。したがって、ここでは「立つの連用形+助動詞」で読めということである。
 四段活用の未然形につく助動詞「す」は、尊敬である。返り点的訓読法により接続詞「而」の直前は、連用形で訓読されていたことがわかる。たったこれだけの割注から、古事記は、書かれた時から返り点的な訓読法が正式であったと実証できるのが面白い。

【指下其沼矛以画者】
 「者」は、その前を主語とするが、主部、述部それぞれに主述構造があれば、接続詞と解釈してもよいということになる。

【々】
 日本語特有の記号ではなく、漢の時代以後の中国の文献でも時々使われる。

【許々袁々呂々邇】
 擬声語である。やまとことばでは擬声語・擬態語が頻繁に使われるが、漢字で表そうとすれば当然音読みである。ここでは、形容動詞の連用形がそのまま副詞の位置に置かれる。「形容動詞の連用形を漢語の副詞の位置(述語の前)に置く」これが日本語の音読を取り入れる第二の方法である。

【鳴=那志】
 この時代は「鳴る」を、「鳴す」と言ったことが判る。またここでも、接続詞「而」の前なので、連用形である。連用形で繋げという指示が続ので、どうやら「而」は置き字にしたらしい。

【末】
 武器としてもっとも重要な刃の部分が「末」なのは、どうかと思わせる。その点、書紀の「鋒」(ほこさき)の方が適切な表現である。逆に記の方が素朴であるから、伝承の原型に近い姿を留めていることが期待できる。

【垂落之塩累積】
 陸地の生成を海水が蒸発して塩を残すことに譬えたと思われる。記が書かれた時代、すでに塩田があったかも知れない。一方、書紀では「潮が凝る」と書いて、食塩を連想させない。「岩石は食塩とは違うものだろ?」という余計な突っ込みを防いでいる。

【是淤能碁呂嶋】
 「是」を動詞として使うのは、繋辞、つまり英語のbe動詞である。繋辞は省略されることが多いが、主部、述部が長い場合は「是」を挟んでわかりやすくする。この文では固有名詞を含むので、文法的な枠組みをきちっと示した方がよいということである。

【淤能碁呂嶋】
 「おのごろ」の意味を、「ほつまつたゑ 解読ガイド」の辞書のページによって調べてみる。
 「おの (央)」+「ころ (心)」つまり、「中心地」である。伊邪那岐・伊邪那美の物語の舞台には合っている。
 岩波文庫版の記の注記では、「おの」は「自の」つまり自発的に、「ころ」は「凝る」と解釈する。
 その前の「許々袁々呂々」という擬音語は、島の名前の由来を説明するが、実際には地名が先にあって、その由来を物語る説話が後から作られたものである。古事記には頻繁に地名譚がでてくるが、すべて同じことである。
 とは言え、語感そのものはなかなか心地よい。

まとめ
 混沌とした海を固め、陸地を作ることが天つ神の総意で決められ、伊邪那岐・伊邪那美にその実行を命じ、沼矛が与えられた。書紀では矛で地上を探ってみたところ、海の存在を知ったという内容になっている。記では海面に差し入れた矛を横に動かして、線条のような痕跡を一時的に残す。
 そして矛の先から滴り落ちた海水から、蒸発して塩が残るように、固まって陸地を作る。この部分に疑問の余地はない。海岸で、海水の一部が太陽により蒸発して食塩を生じるのを知り、そこから陸地の形成を連想する感覚はなかなかのものがある。

2013.06.08(土) [034] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美2) 
於其嶋天降坐而見立天之御柱見立八尋殿
其の嶋に[於]天降(あも)り坐(ま)して[而]天(あめ)之御(み)柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てき。

於是問其妹伊邪那美命曰汝身者如何成
於是(ここに)其の妹(いも)伊邪那美の命に問ひて曰(い)はく「汝(な)が身者(は)如何(いかに)成るや」ととひて、

答曰吾身者成成不成合處一處在
答へ曰はく、「吾(あ)が身者(は)成り成りて、成り合は不(ざ)る処(ところ)、ただ一(ひと)処(ところ)在り。」とこたふ。

爾伊邪那岐命詔我身者成成而成餘處一處在
爾(ここに)伊邪那岐の命詔(のたま)はく「我(わが)身者(は)成り成りて、而れども成り余れる処(ところ)一(ひと)処(ところ)在り。

故以此吾身成餘處刺塞汝身不成合處而以爲生成國土生奈何【訓生云宇牟下效此】
故(かれ)、此の吾が身成り余れる処を以ちて汝(な)が身の成り合は不(ざ)る処を刺し塞(ふさ)ぎて[而]国土(くにのつち)を生成(つく)り生(うむ)は奈何(いかに)やと以為(おも)ふ。」【「生」を訓(よ)み宇(う)牟(む)と云ふ。下に此れ効ふ】とのたまひ、

伊邪那美命答曰然善爾
伊邪那美の命答はく[曰]「然(しかり)。爾(これ)善(よ)し。」とこたふ。

伊邪那岐命詔然者吾與汝行廻逢是天之御柱而爲美斗能麻具波比【此七字以音】
伊邪那岐の命詔(のたま)はく「然者(しかるあらば)吾(あれ)与(と)汝(な)とは是の天(あま)之(の)御柱(みはしら)を行き廻(めぐ)り逢ひて[而]、美(み)斗(と)能(の)麻(ま)具(ぐ)波(は)比(ひ)を為(せ)む」【此の七字(もじ)音(こゑ)を以ちてす。】とのたまひ、

如此之期 乃詔汝者自右廻逢 我者自左廻逢
此之(この)期(ちぎり)の如(ごと)く、乃(すなは)ち詔(のたま)はく「汝(な)者(は)右自(よ)り廻りて逢ひ、我(あれ)者(は)左自(よ)り廻りて逢はむ」とのたまひ、

約竟廻時 伊邪那美命先言阿那邇夜志愛/上/袁登古袁【此十字以音下效】
約(ちぎ)り竟(お)へて廻りし時、伊邪那美の命先に言はく「阿(あ)那(や)邇(に)夜(よ)志(し)愛〔上声〕(え)袁(を)登(と)古(こ)袁(を)」【此の十字、音を以ちてす。下に効ふ。】といひ、

此後伊邪那岐命言阿那邇夜志愛/上/袁登賣袁
此の後(のち)に伊邪那岐の命言はく「阿(あ)那(や)邇(に)夜(よ)志(し)愛〔上声〕(え)袁(を)登(と)賣(め)袁(を)」といひ、

各言竟之後告其妹曰女人先言不良雖然久美度邇【此四字以音】興而生子水蛭子此子者入葦船而流去
各(おのもおのも)言(ひ)竟(を)へし[之]後(のち)、其(の)妹(いも)に告(の)たまはく[曰]「女(をみな)人(びと)の先に言ふは良不(よからざ)れど[雖]然(しか)り。」とのたまひ、久(く)美(み)度(ど)邇(に)【此の四字音を以てす】興(おこ)して[而]生(う)みし子は水蛭子(ひるこ)にて、此の子者(は)葦船(あしのふね)に入れて[而]流し去りき。

次生淡嶋是亦不入子之例
次に淡嶋(あはしま)を生(う)みき。是れ亦(また)子(こ)之(の)例(たぐひ)に不入(いれず)。

 その島に天下り、天之(あめの)御柱を見つけ気に入られ、また八尋殿を見つけ気に入られました。
 [伊邪那岐の命は、]その妹伊邪那美の命に、「おまえの体は、どのようなつくりになっているか」と尋ねられました。
 伊邪那美の命は、「私の身体は普通にできていますが、合わさっていないところが、ただ一か所だけあります。」
 伊邪那岐の命は、「我の身体は普通にできているが、余っているところが一か所ある。
 よって、私の身体に余っている部分を、お前の合わさっていない部分に差し入れて塞ごうと思う。そして大地を作って産んだらどうだろうと思う。」と仰いました。
 伊邪那美の命は、「はい、うれしいわ」と答えました。
 伊邪那岐の命は、「ならば、我とお前でこの天之御柱をぐるっと回って逢い、寝所での交わりをしよう」と仰いました。
 このことがあり、続いて「お前は右から回って逢い、我は左から回って逢おう。」と仰りました。
 約束を果たし、回ったとき、伊邪那美の命が先に、「あやしく麗しい、ああ、いい男だこと」と言い、
 その後に、伊邪那岐の命が、「あやしく麗しい、ああ、いい乙女だこと」と言いました。
 それぞれに言った後、その妹に「女の人が先に言うのはよくないが、かまわない」と告げて、寝所での交わりを盛大にして、子を産みました。しかしその子は蛭子であり、葦船に乗せて流し去りました。
 次に淡島を生みましたが、これも[不完全だったので]子のうちに含めません。


…[数詞] 両手を伸ばした長さ。明治以後は1.818m。
八尋…広大なさまを表す。
(な)…[代] そなた。おまえ。目下の者や親しい者に対して用いる。
…[動] いかんせん。普通疑問代詞「何」を伴う。
…[助] 文末に置き、限定を表す副詞に呼応して使われることが多い [接尾] 副詞や形容詞につける。
…[接] すなわち。 
…[名] とりきめ。
むすぶ…[自]ハ行四段 約束する。契る。
…[動] 終える。
あやに…[副] なんとも不思議に
…[感動詞] ああ
…[形] しかり (動詞化)しかりとす。
…[動] おこる。発生する

【見立】
 「立てる」だけだとすれば意味がわかるが、「見」が前につくと、むずかしくなる。解釈として、次の3つの可能性を考えてみた。
 伊邪那岐・伊邪那美の手で建てた。「見」は尊敬の「御」である。
 淤能碁呂嶋に、神殿と柱が自然に建つのを伊邪那岐・伊邪那美が見た。
 淤能碁呂嶋ができるときに建った柱、神殿を、出会いと、まぐわいの場所に選んだ(見立てた)。
 手がかりとして、書紀を参照する。「一書に曰く」(異説を紹介する部分)には、「二神降居彼嶋、化作八尋之殿。又化竪天柱。」と書かれている。
 「化」の意味は、「(1)人心を変える。(2)(物理的に)発生する」などである。そうすると、伊邪那岐・伊邪那美の手に依らずに建ったと読み取ることも可能である。少なくとも、伊邪那岐・伊邪那美が作ったと積極的には書いていない。
 従って、誰が作ったかは「特に触れられていない」と読み取るべきである。
 その上で、「見立つ」という動詞(下二段活用)が現実に存在し、そのまま自然に受け取るのがベストである。伊邪那岐・伊邪那美は、たまたまそこにあった柱と神殿を、これから出会い、愛し合うのに相応しい場所として「見立てた」のである。
 また、よみについては、これまでに「立」への注記で尊敬の助動詞「す」をつけることが示されてきているので、ここでもそれに従う。
 なお、ここでは「見」は「御」ではないだろう。

【汝】
 同格か目下の、あるいは親しみをこめた二人称の代詞。「いまし、な、なむぢ(なんじ)、なれ、まし、みまし」など、いろいろな読み方がある。

【成成不成合処一処在爾】
成成=成(動詞)+成(目的語)。全体的には、しかるべき形(成り)に成っている。
不成合処一処在…「不成合」は「処」を連体修飾。「一処」は「在」を連用修飾。例外的に、「不成合処」つまり「閉じていないところ」が一か所ある。
…限定を表す語句を受ける助詞。

【成成而成余処一処在】
成成…全体的には、しかるべき成りに成っている。
…逆説の接続詞。
成余処一処在…例外的に、「成余処」つまり「とび出ているところ」が一か所ある。

【以此吾身成余処、刺塞汝身不成合処】
 この部分は、書紀ではどのように書かれているか。
 『書紀』(本説)…「吾身有一雌元之処。陽神曰、吾身亦有雄元之処。思欲以吾身元処、合汝身之元処。」である。(陽神=伊弉諾尊、陰神=伊弉冉尊)
 『一書曰く』…「思欲以吾身陽元、合汝身之陰元。」これらは、記の内容と一致する。
 他の『一書』…非常に面白いものがある。
 「遂将合交。而不知其術。時有鶺鴒、飛来揺其首尾。二神見而学之、即得交道。」
 遂に、将(まさ)に合ひ交らんとす。而るに其の術(すべ)を知らず。時に鶺鴒(せきれい)有り、飛び来りて其の首尾を揺らす。二神見て之を学び、即ち交わる道を得(う)。
 最初はやり方が分らなかった。そこに飛んできたセキレイが実際に交尾したのか、腰を振る動きをしただけかは分からないが、その動きから学び、無事に事を終えた。
 記の場合、これらの書紀の本文や異説に比べるて、書き方がかなり即物的である。「表現が素朴である」特徴がここにも表れている。

【生成国土生奈何】
 動詞「奈」に対して、「生成国土生」が主語である。注に示された「生」のよみ「うむ」は連体形で、体言として主語になることを示している。

【妹】
「いも」…古語では血縁上の兄弟というより、仲の良い男女とされる。ただ、伊邪那岐が伊邪那美に対して「汝」と呼び、時に「詔」を使うので、兄・妹の関係に見える。

【みとのまぐはひ】
 『書紀』…陰陽始遘(=逅)合為夫婦 初めて出会って夫婦になる。
 『一書』…遂為夫婦 遂に夫婦となる。
 「まぐはふ」=「性交」と言われる。ほつまつたゑ/辞書を参考にすると、「交(ま)く」+「合う」からできた言葉だと思われる。
 「みとの」…「御処」として神聖な行為をする場所であろうか。性器かも知れないが、それではちょっとくどすぎる。いずれにしても「くみどに興す」の「みど」と同一と考えなければならない。

【左回り・右回り】
 日本神話の御殿―要素/生み損ない型の研究によると、中国南部や南西部の神話に、類似の行動が見られる。
 「兄は妹に求婚し、妹は自分を追いかけて捕まえることができたら結婚すると言い、一本の大きな樹(あるいは大きな山)の周りを廻る。兄は追いつけなかったが、一計を案じ、逆回りをしたら捕らえることができた。」という話が複数の民族にある。
 記紀の記述だけでは意味が分からなかったが、もともとこういう話だったのだと知って納得できた。そのつながりを考えれば、兄・妹はやはり血縁関係を表している。では、神世七代の他のペアの「妹」も「いもうと」の意味か。

【あやによし、え、をとこ(をとめ)を】
 「愛(え)」は上声とされている。もともと四声は中国語の音韻である。記紀の時代の中国は唐である。その時代の音韻についてこのような資料があるという。
 <wikipedia>日本の安然『悉曇蔵』(880年)巻5に「平声直低、有軽有重。上声直昂、有軽無重。去声稍引、無軽無重。入声径止、無内無外。平中怒声、与重無別。上中重音、与去不分」とある。</wikipedia>
 和文の発音の高低の特徴を、特に必要がある場合だけ「平上去入」を使って表していると考えられる。上声は「高くまっすぐ」である。感情を表す間投詞であろう。
 文は、助詞「を」で中断して終わる。話し言葉だから、あとは「……」(無言)である。
 この会話文は、書紀ではどうなっているだろうか。
 『書紀』…憙哉、遇可美少男焉     憙=喜。少男…烏等孤(をとこ)。少女…烏等咩(をとめ)。烏は漢音では「を」と発音。可美…うまし、よきかな。
   よきかな うましをとこにあへり 
 『一書』…姸哉、可愛少男歟  姸…うつくし。歟…[助]や、か(疑問・反語・感嘆)。
   うつくしきかな うましをとこかな。
 いずれも、感嘆を込めて、「ああ、すてきな男だこと」「ああ、うるわし乙女だこと」という感じである。

【くみどに興る】
 「くみどに」と特に音読みを指定したこの語の意味を、なるべく厳密に突き止めたい。まず、前後関係を見る。
 久美度邇興而生子…「女子から先に誘うのはよくないが、それでもかまわない」と言った後に「くみどに興」し、その結果「子を生む」というのが順番である。
 他の箇所を探すと、記にもう一か所、すさのおの命が櫛名田姫と結ばれる場面にある。
 其櫛名田比賣以、久美度邇起而、所生神名、謂八嶋士奴美神…櫛名田比賣(くしなだひめ)を相手に「くみどに起」こし、神を産む。次の文は「娶大山津見神之女、名神大市比賣、生子、大年神」(…を娶(めと)り、子を産む)だから、「くみどに起こる」は「娶る」に類似する行為であることがわかる。
 よって「くみどに興(起)こる」は「みとのまぐはひ」と同じく「性交」の意味であると言えよう。この語句は書紀には出てこない。書紀で使われないこと自体が、生々しい表現であることを裏付けている。それでは、「くみどに興る」が性交であることを、語のなりたちから実証できないだろうか。
 まず、「みど」は「みとのまぐはひ」の「みと」と同じで「寝所」であると考えなければならない。ところが、そうすると先頭の「く」が取り残されてしまう。「く」そのものの意味を探ると「交」「来」のニュアンスである。そこで「まぐはひ」に相当する語であると考えられる。
 「に」は形容動詞の語尾(あるいは助動詞の連用形)。問題は次の「興る」「起こる」である。「おこる」には、自ら発する、または離れるというニュアンスがある。ことによると男性器が「勃こる」のを暗示するかも知れない。
 以上を組み合わせると、「くみどに起こる」=「く」(交わり)が「みど」(寝所)「におこる」。という解釈がなんとか成り立つので、ひとまずこれを結論としておこうと思う。

【蛭子】
 書紀では「蛭兒」、記は「水蛭子」。「水」がついているので、流産が連想される。受精後32日ごろには胎芽に手足の元になる突起を生じるが、この時期はまだ体長数mmである。「蛭子」の表現がこれに関係するかどうかは分からない。

【葦船】
 葦は竹と同じように建材に使われる。葦の茎を普通に束ねて縛り、実用になる船を作ることができる。蛭子が流れ着いた伝説は各地にあり、夷信仰と結びつき、蛭子は「えびす」とも読まれる。これは、各地で古事記を読んだ人たちが、何らかの漂流物を祀ることから始まったと思われる。
 このことから、記紀の内容が全国に広く流布していたことがわかる。

【淡嶋】
 これも子(島)の数に入れない。しかし、ともかくも「島」という名前がついている。また、「淡路島」は、阿波国への道にあたる島という意味だから、阿波もまた古い地名である。にもかかわらず「生み損ない」とされるのは、阿波地方の豪族が長い間大和政権に服従しなかったことを意味する可能性がある。
 想像を逞しくすれば、卑弥呼に服従しなかった狗奴(くな)国が、阿波まで勢力圏にしていたかも知れない。

【生み損ない神話】
 最初の2子は生み損なったという下りについても、日本神話の御殿―要素/生み損ない型で比較されている。
 「逆回りして兄が妹を捕まえた」型の神話では、最初に生まれたのが肉の塊で、それを刻むとその断片が人や植物になる。
 ボルネオなど、他の地域では、兄弟が結ばれるが最初の2回(あるいは3回)は生み損なう話がある。
 「熊→猿→人」「犬→鶏→人」「豚→犬→鶏→人」の順に生む。
 また、波照間島の兄妹始祖創世神話にもいくつか紹介されている。
 先島(宮古・八重山)地方には「兄妹始祖洪水神話」波照間島の神話にもさまざまなパターンがあり、兄妹から「魚のようなもの→ハブ→人」「魚→ムカデ→女児→男児」などの順に生まれる。宮古島には「シャコ貝→人」がある。

まとめ
 ニ神は、淤能碁呂島に天から降りる。正確には「自天降」(天より降りる)とすべきなのに「自」がないは、すでに「あまくだり」が一般的なことばになっていたからだと思われる。天降った二神は天の御柱を見つける。一般的に、まず二神が柱と八尋殿を立てたと解釈されているが、あくまでも地上のものを作り始めるのは結ばれてからである。何かを作り出すのは、まだ早すぎると考えた方がよい。
 ルーツと思われる南方系の神話でも、大木あるいは大きな山を追いかけて回る話が中心で、その前にまず木や山を作ったとは書いていない。大木や、山は既にそこにあったのである。
 次に「八尋殿」が書いてあるる理由は「まぐはい」をする「御処」が必要だからである。
 さて、陽神は陰神と体のつくりの違いを示し、性交を誘う。この部分があまりに即物的なので、初めて読む者はびっくりする。しかし、これには理由がある。じつは古事記は性教育の教材を兼ねているのである(ただし、これは私の想像であるが)。上つ巻は、全般にこども向けを狙った内容である。こんなに面白いのだから。
 こうやって古事記を各家庭への普及が進み、天武天皇が始めた新しい国家体制の精神的土台にしようとする思惑が、確実にある。
 興味深いのは、女性側が主導権をもって男性を誘うことは良くないとされていることである。神の世界の支配者は女性の天照であるが、地上の社会は男性が主導権をもつと教育する。奈良時代は、もう男性優位社会であった。
 伊邪那岐の命は、「それでもかまわない」と言って伊邪那美の命とまぐわいした。しかし、できた子は不完全であった。二番目の子は、淡島というが、これも産んだ子の数には入れない。
 書紀では、「一書曰」として10通りもの異説が紹介されるが、その最初の「一書」はほぼ古事記と同一である。しかし本説では伊邪那美が最初に「よきかな、うまし男かな」と言った段階で、「男子から先に言うのが理である」と言ってすぐやり直させている。
 書紀の編者は、神が人間的な失敗をするのを余り好まないようである。ただしその結果、読み物としての楽しさを損なっている。

2013.06.10(月) [035] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美3) 
於是二柱神議云 今吾所生之子不良猶宜白天神之御所 卽共參上請天神之命
於是(ここに)二柱(ふたはしら)の神議(はか)りて云はく「今吾(われ)らが生みし[所之(の)]子、不良(よからず)、猶(なほ)宜(よろし)く天つ神之(の)御(み)所(ところ)に白(まを)すべし。即(すなは)ち共に参(まゐ)上(のぼ)り天つ神之(の)命(おほせこと)を請(こ)ひまつらむ」といひき。

爾天神之命以布斗麻邇爾/上/【此五字以音】ト相 而詔之 因女先言而不良 亦還降改言
爾(ここに)天つ神之(の)命(おほせこと)、布(ふ)斗(と)麻(ま)邇(に)爾〔上声〕(に)【此の五字(いつつのじ、いつな)、音(こゑ)を以ちゐる】卜相(うらな)ふを以ちて[而][之れを]詔(のたまはく)「女(をみな)の先に言ふに因りて[而]不良(よからず)。亦(また)還(かへ)り降(くだ)り言(こと)を改むべし」とのたまひき。

故爾 反降更往廻其天之御柱如先 於是伊邪那岐命先言阿那邇夜志愛袁登賣袁 後妹伊邪那美命言阿那邇夜志愛袁登古袁
爾(しか)るが故(ゆゑ)に、反(かへ)り降(お)り更(さら)に其の天(あめ)之御柱(みはしら)を往(い)き廻(めぐ)ること先の如し。是(ここ)於(に)、伊邪那岐の命、先(さき)に「阿(あ)那(や)邇(に)夜(よ)志(し)、愛(え)、袁(を)登(と)賣(め)袁(を)」と言ひ、後(のち)に妹(いも)、伊邪那美の命「阿(あ)那(や)邇(に)夜(よ)志(し)、愛(え)、袁(を)登(と)古(こ)袁(を)」と言ひき。

如此言竟 而御合生子 淡道之穗之狹別嶋【訓別云和氣下效此】
此の言(こと)の如く竟(お)えて[而]御合(みあ)ひ、生(う)みし子は淡道之穗之狹別(あはぢのほのせわけ)の島。【「別」を訓(よ)み、和(わ)気(け)と云ふ。下に此れ効(なら)ふ。】

次生伊豫之二名嶋 此嶋者身一 而有面四毎面有名 故伊豫國謂愛/上/比賣【此三字以音下效此也】讚岐國謂飯依比古粟國謂大宜都比賣【此四字以音】土左國謂建依別
次に伊予之二名(いよのふたな)の島を生みき。此の島者(は)身(み一(ひと)つにて[而]面(かほ)四つ有り。面(かほ)毎(ごと)に名有(あ)り。故(かれ)伊予の国(くに)は愛〔上声〕比賣(えひめ)と謂ひ、【此の三字音を以ちゐる。下に此れに効ふ[也]】讃岐(さぬき)の国は飯依比古(いひよりひこ)と謂ひ、粟(あは)の国は大宜都比売(おほげつひめ)【此の四字は音を以ちゐる】と謂ひ、土左(とさ)の国は建依別(たけよりわけ)と謂ふ。

次生隱伎之三子嶋亦名天之忍許呂別【許呂二字以音】
次に隠岐之三子(おきのみつこ)の島を生みき。亦(また)の名は、天之忍許呂別(あまのおしころわけ)。【「許」(こ)「呂」(ろ)二字は音を以ちゐる。】

次生筑紫嶋此嶋亦身一而有面四毎面有名故筑紫國謂白日別豐國謂豐日別肥國謂建日向日豐久士比泥別【自久至泥以音】熊曾國謂建日別【曾字以音】
次に筑紫(つくし)の島を生みき。此の島は亦(また)身(み)一つにして[而]面(かほ)四つ有り。面毎(ごと)に名有り。故(かれ)、筑紫(つくし)の国は白日別(しらひわけ)と謂ひ、豊(とよ)の国は豊日別(とよひわけ)と謂ひ、肥(ひ)の国は建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくしひねわけ)【「久」自(よ)り「泥」至(ま)で音を以ちゐる】と謂ひ、熊曽(くまそ)の国は建日別(たけひわけ)と謂ふ。【「曽」の字は音を以ちゐる。】

次生伊伎嶋亦名謂天比登都柱自比至都以音訓天如天
次に伊伎(いき)の島を生みき。 亦の名は、天比登都柱(あまひとつはしら)と謂ふ。【「比」自り「都」至(ま)で音を以ちゐる。「天」を訓(よ)むは、「天」(あま)の如し。】

次生津嶋亦名謂天之狹手依比賣
次に津島(つのしま)を生みき。亦の名は天之狭手依比売(あまのさてよりひめ)と謂ふ。

次生佐度嶋
次に佐度(さど)の島を生みき。

次生大倭豐秋津嶋亦名謂天御虛空豐秋津根別
次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みき。亦の名を天御虚空豊秋津根別(あまみそらとよあきつねわけ)と謂ふ。

故因此八嶋先所生謂大八嶋國
故(かれ)、此の八島(やつのしま)先に生みし[所]に因り、大八島(おほやしま)の国と謂ふ。

 ここに、二柱の神は相談して、「今我らが産んだ子は、良く有りませんでした。このまま天つ神の所へ行って申しましょう。共に参り、[どうしたらよいか]天つ神の指図を請うのです。」と言われました。
 天つ神の命じられましたように、太占(ふとまに)により、割れ目から占い、その告げたところは、「女が先に言ったことに因り、良くなかった。また還って言うこと[順番]を改めよ。」でした。
 そのようなことであったので、戻り降って、さらに天の御柱を回られたのは先と同様です。ここで、伊邪那岐の命が先に「あやしく麗しい、ああ、いい乙女だこと」と言われ、後に妹の伊邪那美の命が「あやしく麗しい、ああ、いい男だこと」と言いました。
 この言葉の通りにして、お逢いになって子、「淡路のほのせわけの島」を生みなされました。
 次に「伊予のふたなの島」を生みなされました。この島は、からだ一つに4つの顔があり、顔毎に名前があります。その内訳は伊予の国は愛媛といい、讃岐の国はいいより彦といい、阿波の国はおおきつ姫といい、土佐の国はたけより別(わけ)といいます。
 次に「隠岐のみつこの島」を生みなされました。またの名を、天のおしころ別けといいます。
 次に「筑紫の島」を生みなされました。この島も、からだ一つに4つの顔があり、顔ごとに名前があります。その内訳は筑紫の国はしらひ別といい、豊の国は豊日別といい、肥の国は建(たけ)日向い豊(とよ)くしひね別といい、熊襲の国は建(たけ)日別といいます。
 次に「壱岐の島」を生みなされました。またの名を、天ひとつ柱といいます。
 次に「対馬」を生みなされました。またの名を、天のさてより姫といいます。
 次に「佐渡の島」を生みなされました。
 次に「大倭(やまと)豊秋津島」を生みなされました。またの名を天みそら豊秋つね別といいます。
 よって、これまでの八つの島は先に生まれたことによって、大八洲の国と言います。


…[副] なお
…[助動] よろしく…べし。~した方がよい
…[動] もうす。申し上げる。
…[動] こう。相手に求める
…[助] (語気詞)のみ。か [代] しかり
…[名] かたち

【太占】
 倭国では、主に猪の肩甲骨が用いられた。きまりに従って穴を開けて火であぶり、その割れた結果から神の意志を読み取る。弥生時代ごろから出土する。魏志倭人伝にも灼骨占いの話題がでてくる。
 その風習が現代まで続いている神社や、旧家がある。しかし、記では音読みで書かれるので、奈良時代には、一般的には馴染みのない言葉になっていたと思われる。しかし、記紀によって用語が蘇る。古事記が広く読まれるようになったからである。

【島々の並び順】
 8つの嶋島の並び順は、数のごろ合わせによる。
 ①あわじ(?)→②伊予の「ふた」なの島→③隠岐の「みつ」この島→④つく「し」の島→⑤「い」きの島→⑥つしま(?)→⑦さどの島(?)→⑧「や」まと豊秋津島
 ただし、一番の淡路、六番の対馬、七番の佐渡は苦しい。

【淡路島】
 この地名は本来的には「あわ道」つまり、阿波の国への通り道であると思われる。書紀は、「意所不快」(意味は快からず所なる)としている。「合わじ」つまり「私には合わないだろう」か。「あわじが最初である」という言い伝えの根強さと、「秋津島を一番目にする」という思惑の間で折り合いをつけたと推察できる。

【二名島】
 土佐の観光情報によれば、「久礼湾にぽっかりと浮かぶ二対の島。これが、土佐十景の一つとされる『双名島』です。」とされる。
 「な」は助詞「の」の古い形で、語源「なる」に由来する。おそらく奈良時代以前からの名所である。四国を「二」に関連付けるために風景の名称を借りたのではないかと思われる。

【三子島】
 隠岐は、「西ノ島」「中ノ島」「知夫里島」の三島からなる「島前」と、最大の島「島後」からなる。島後を親、3人の子に譬えていると言われる。

【筑紫】
 隋書(636年成立)には、607年の遣隋使に対する復使を翌年送り、その航路として、都斯麻國 一支國 竹斯國が列記され、竹斯國から十数か国は倭国に附庸すると書かれている。「附庸」とは、中国皇帝以外の地方政権が、勝手にその周辺国から朝貢を受ける関係のことで、倭の小国が倭政権の支配に属していることを蔑視している。
 この文から、この時点ではまだ、倭国が各地の王による連合政権の性格が濃かったことも分かる。ここで、都斯麻國=対馬国、一支國=壱岐国、竹斯國=筑紫国である。魏志倭人伝の時点では、筑紫は存在していない。
 日本書紀によれば、筑紫君磐井(528没)は、独立性の強い地方豪族で、任那へ渡航しようとする倭国軍を妨害した(磐井の乱)とされる。「紫」は、もともと北極星のあるところだが、そこから地上の天子の住まいも指す。従って、5世紀末までに、北九州地域の豪族が独立性を強め、自らを皇帝に準えてこの地域に「紫微垣」を「築」こうとしたと考えられる。
 倭政権側からこのような美称を与えることはあり得ない。筑紫氏は中国から渡来したか、中国文明に明るかったと想像される。磐井の乱に敗北後も、名称だけはそのまま残されたと思われる。
 「しらひわけ」は、この地域が「筑紫」になる前の名称であろう。「わけ」は律令国以後の「国」に当たる呼称だと考えられる。

【熊襲】
 記紀の景行天皇や、倭建命の伝説から、この地域の抵抗は激しかった。戦線は、ことによると7世紀ぐらいまで続いていたかも知れない。「建(たける)」は軍事を指しているので、「建日別」は敵対する戦闘集団そのものである。肥の国の名の一部、「建日向日」は、「建日別」に向かう、つまり倭政権側からの前線の国である。
 書紀では「熊襲」だが、記では「曾」は音読みと注記があることから、本当は「熊襲」であるが、読みにくいので初めから音で書いたのかもしれない。

【土佐】
 四国で唯一、「わけ」がついている。他の3国がひめ、ひこが祀られたおだやかな地域であるのに対して、「建より別」という敵対勢力であった。反倭勢力が強かったときは、南九州、土佐、阿波を支配していたのだろうか。面白いのは、関が原の乱で最後まで抵抗したのが島津藩で、幕末に反幕府の先頭に薩摩藩、土佐藩がいた。地理的に中央への服属に抵抗しがちな傾向があるかもしれない。

【対馬=津島】
 習慣的に「島」の前に「の」を挟むが、「つしま」は例外である。卑弥呼の時代から海洋交易の中継地で、港の島=津島と呼ばれていたと考えられる。倭人伝でも隋書でも「つしま」である。これだけは明確な根拠があるので「つのしま」とは読まれない。
 なお、愛知県津島市も、古墳時代までは海に浮かぶ島であり、同じく海上交易の中継地として、畿内と東国をつないでいたと思われる。

【日本海文化圏との関連】
 対馬、壱岐、隠岐、佐渡の日本海文化圏に属したと思われる島々が優先されているのは、古代出雲の言い伝えの名残が伺われる。

【おしころ別・天のひとつ柱】
 おのころ島や、天つ御柱との関連が伺われる。さまざまな神話が各地に広がるとともに、地域ごとに言い伝えが変化していくから、同じ種類の神話の舞台が複数の離れた土地にあり得るのは、当然である。
「あま」を自称する部族が中国南部あるいは東南アジアから島伝いに日本列島に到来したのではないとの考えによれば、その途中の壱岐島に天つ御柱があったとしても、不思議はない。

【各島の名称と別名】
 名称は現在(と言っても、記が編纂された8世紀はじめ)のものである。別名は、言い伝えによる古い名称である。別名には音読みの注記が多い。序文にあるように、「上古之時言意並朴 敷文構句於字即難」(古い時代は言意素朴にして、敷文構句を漢文で表すことは難しい)
 だが、前文音読みでは長大になりすぎるので、「辞理叵見以注明 意況易解更非注」(意味の理解が困難な場合に注をつけ、簡単な場合は注をつけない)。
 だから、漢字では意味不明な文字の羅列に音読みが指示されていれば、その部分は古事記編纂の時代には使わなくなった古い日本語である。

【やまと豊秋つ島】
 別名、天みそら豊秋つね別とほとんど変わらない。「豊秋」は稲穂の実りを言祝ぐ美称であろうか。「つ」は連体修飾を表す助詞る。「あまみ」は奄美大島を連想させるが、もともと南方からやってきた「あま」を名乗る一族であったことを示唆する。「ねわけ」の「ね」は根本つまり、「わけ」のうちでも中心になる「わけ」であると想像することができる。
 「やまと」の「や」は、八番目の「や」に懸けられている。これは、後に本稿で意味をもってくる。

【八という数】
 序文の「乾坤」のところで、儒教の八卦との関係を述べた。数字「八」は、「めでたい数」である。

【書紀との違い】

(阿波)淡路島本州四国九州隠岐佐渡(各地)吉備児島対馬壱岐小豆島(各地)五島列島(各地)
磤馭慮嶋蛭子淡路大日本豊秋津伊予二名筑紫億岐三子佐度大島吉備小島対馬壱岐小豆島女島知訶島両児島
古事記滴す×1824371196510121314
日本書紀滴す0123(4+5)a(4+5)b678910
一書(1)×21345678
一書(2)探る
一書(3)描く
一書(4)探る
一書(5)(なし)
一書(6)0b0a123(4+5)a(4+5)b678
一書(7)12364587
一書(8)胞を為す1234(6+7)a(6+7)b85
一書(9)201364578
一書(10)21
×…葦船で流す、…子の例に入れず、a,b…双子の関係。
 八州の後に生んだ島も含めて、一覧表に示す。記と書紀では、島のメンバーと順番が大幅に異なっている。秋津島は、記では8番目であるが、書紀では1番目あるいは2番目である。記では、「や」まとの語呂を「八」に結びつけ8番目にもってきているが、書紀が大和を含む秋津島は断然重要だから、長男であるべきだとするのは当然である。
 書紀では、津島・壱岐は八州から除外される。すべての一書でも同様である。大和から見て辺境なので、伝統ある島には相応しくないというわけだ。しかし、対馬・壱岐は祖先が辿ってきた道筋に当たり、最後に政権を打ち立てた土地が大和とすれば、記の方が民族の古い記憶を反映しているようにも見える。逆に言えば、書紀では倭政権が渡来した一族の末裔であるような印象は拭い去りたいのである。
 書紀の本説では、淡路島に対する評価を下げようとする。「秋津島を廼(はじめ)て生む」前に「胞を為した」に過ぎず、八洲に入れられない。「胞」は、もともと羊膜の意味である。この文中における意味は分からないが、恐らく流産など不完全な結果を指すのだろう。生み損ない神話の一種である。
 一書(1)は、生んだ島の名前と順番を除けば、記とほぼ一致するから、記とほぼ同一の資料によると思われる。。
 そのほかに興味を引くのは、越が秋津島と別の島扱いされていることである。本説と一書(1)(6)(8)が該当する。地続だと認識されていなかったとは、とても思えないので、越は独立性が高い地域だったのであろう。
 吉備の児島は、現在は地続きになり、児島半島と呼ばれる。小さな島が取り上げられるのは、当時の国の中心地に近いからである。「大島・小島」の語呂にこだわったこともある。その「大島」は各地にあるので、特定するのはむずかしい。

まとめ
 四国・九州については律令国とその旧称が紹介されている。ただし、九州は大宝律令(701年)のころ分割される前の国名である。秋津島の出雲、吉備、越、畿内、東国については触れられていないのが惜しいが、一貫性のないところが素朴である。古い伝承をそのまま収容した古事記の性格を表している。書紀では、各国ごとの記事はすべて省略されているので、編集の手がより加えられている。
 「はじめに島々を生んだ」神話は、何世代もかけて点在する島伝いに海洋をわたってきた古い記憶が、反映されたものかも知れない。伊邪那岐・伊邪那美が逆方向に回る天つ御柱があったのは、中国南部かオセアニアか。(ただし、伝承が、という意味である)
 記の記述からは、渡来民族という経歴や、熊襲との戦いの歴史の痕跡を拾うことができるが、書紀では、不要な記述は削除している。古事記は失われゆく過去の伝承を大切に残すことを目的にしている。その意味で過去を向いている。対して日本書紀は改竄を恐れず、国の成り立ちを整然と示すことによって、中央集権的な国作りに役立てようとする。その意味で未来を向いている。

2013.06.13(木) [036] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美4) 
然後還坐之時生吉備兒嶋亦名謂建日方別
次生小豆嶋亦名謂大野手/上/比賣
次生大嶋亦名謂大多麻/上/流別【自多至流以音】
次生女嶋亦名謂天一根【訓天如天】
次生知訶嶋亦名謂天之忍男
次生兩兒嶋亦名謂天兩屋【自吉備兒嶋至天兩屋嶋幷六嶋】

然(しか)る後(のち)、還(かへ)り坐(ま)しし[之]時、吉備の児島(こじま)を生(う)み、 亦の名を建日方別(たけひかたわけ)と謂ふ。
次に小豆(あづき)島を生み、亦の名を 大野手〔上声〕比賣(おほのてひめ)と謂ふ。
次に大(おほ)島を生み、亦の名を大多麻〔上声〕流別(おほたまるわけ)【「多」自(よ)り「流」に至(ま)で音(こゑ)を以ちゐる。】と謂ふ。
次に女(め)の島を生み、亦の名を天一根(あまのひとつね)【「天」を訓(よ)むは天(あま)の如し。】と謂ふ。
次に知訶(ちか)の島を生み、亦の名を天之忍男(あめのおしを)と謂ふ。
次に両児(ふたご)の島を生み、亦の名を天両屋(あまのふたや)と謂ふ。【吉備の児島自り天両屋島至(ま)で、并(あは)せて六つ島をなす。】


既生國竟更生神故生神名大事忍男神
次生石土毘古神【訓石云伊波亦毘古二字以音下效此也】
次生石巢比賣神
次生大戸日別神
次生天之吹上男神
次生大屋毘古神
次生風木津別之忍男神【訓風云加邪訓木以音】
次生海神名大綿津見神
次生水戸神名速秋津日子神
次妹速秋津比賣神【自大事忍男神至秋津比賣神幷十神】

既(すで)に国を生(う)みしを竟(お)へ、更に神を生(う)みき。
故(かれ)、生みし神の名は大事忍男(おほごとおしを)の神。
次に石土毘古(いはつちびこ)の神【「石」を訓(よ)み、伊(い)波(は)と云ふ。亦(また)「毘(び)古(こ)」二字は音を以ちゐる。下(しもつかた)此れに効ふ[也]。】を生みき。
次に石巣比賣(いはすひめ)の神を生みき。
次に大戸日別(おほとひわけ)の神を生みき。
次に天之吹上男(あめのふきあけを)の神を生みき。
次に大屋毘古(おほやびこ)の神を生みき。
次に風木津別之忍男(かざもつわけのおしを)の神【「風」を訓み、加(か)邪(ざ)と云ふ。「木」を訓むは音(こゑ)を以ちゐる。】を生みき。
次に海(うみ)の神、名を大綿津見(おほわたつみ)の神を生み、
次に水戸(みなと)の神、名は速秋津日子(はやあきつひこ)の神、
次に妹(いも)、速秋津比賣(はやあきつひめ)の神を生みき。【大事忍男の神自(よ)り秋津比賣の神に至り、并(あは)せて十(と)はしらの神。】


此速秋津日子速秋津比賣二神因河海持別而生神名沫那藝神【那藝二字以音下效此】
次沫那美神【那美二字以音下效此】
次頰那藝神
次頰那美神
次天之水分神【訓分云久麻理下效此】
次國之水分神
次天之久比奢母智神【自久以下五字以音下效此】
次國之久比奢母智神【自沫那藝神至國之久比奢母智神幷八神】

此の速秋津日子、速秋津比賣の二つ神、河(かは)海(うみ)に因り持(も)ち別(わ)けて[而]神、名は沫那芸(あはなぎ)の神【「那芸」二字音を以ちてす。下に此れ効ふ。】、
次に沫那美(あはなみ)の神【「那美」二字音を以てす。下に此れ効ふ。】、
次に頰那芸(つらなぎ)の神、
次に頰那美(つらなみ)の神、
次に天之水分(あめのみくまり)の神【「分」を訓(よ)み、久(く)麻(ま)理(り)と云ふ。下に此れ効ふ。】、
次に国之水分(くにのみくまり)の神
次に天之久比奢母智(あめのくひざもち)の神【「久」自り以下(しもつかた)五字(いつもじ)音を以てす。下に此れ効ふ。】
次に国之久比奢母智(くにのくひざもち)の神を生みき。【沫那芸の神自り国之久比奢母智の神至(ま)で、并せて八はしらの神をなす。】


次生風神名志那都比古神【此神名以音】
次生木神名久久能智神【此神名以音】
次生山神名大山/上/津見神
次生野神名鹿屋野比賣神亦名謂野椎神【自志那都比古神至野椎幷四神】

次に風の神を生み、名を志那都比古(しなつひこ)の神【此の神の名、音を以てす。】といふ。
次に木の神、名は久久能智(くくのち)の神【此の神の名、音を以てす。】を生みき。
次に山の神、名は大山〔上声〕津見(おほやまつみ)の神を生みき。
次に野の神、名は鹿屋野比賣(かやのひめ)の神、亦の名を野椎(のづち)の神を生みき。【志那都比古の神自り野椎に至り、并せて四(よはしら)の神。】


此大山津見神野椎神二神因山野持別而生神名天之狹土神【訓土云豆知下效此】
次國之狹土神
次天之狹霧神
次國之狹霧神
次天之闇戸神
次國之闇戸神
次大戸惑子神【訓惑云麻刀比下效此】
次大戸惑女神【自天之狹土神至大戸惑女神幷八神也】

此の大山津見の神、野椎の神の二はしらの神、山(やま)野(の)に因り持ち別(わ)けて[而]生みし神の名は天之狹土(あめのさつち)の神【「土」を訓み豆(つ)知(ち)と云ふ。下に此れ効ふ。】、
次に国之狭土(くにのさつち)の神、
次に天之狭霧(あめのさぎり)の神、
次に国之狭霧(くにのさぎり)の神、
次に天之闇戸(あめのくらど)の神、
次に国之闇戸(くにのくらど)の神、
次に大戸惑子(おほとまとひこ)の神【「惑」を訓み、麻(ま)刀(と)比(ひ)と云ふ。下此れに効ふ。】、
次に大戸惑女(おほとまとひめ)の神。【天之狹土の神自り大戸惑女の神に至(ま)で、并せて八はしらの神也(なり)。】


 しばらくして、もどりおわした時、吉備の児島を生みなさりました。またの名を建日方別(たけひかたわけ)といいます。
 次に小豆(あづき)島を生みなされました。またの名を 大野手比賣(おおのてひめ)といいます。
 次に大島を生みなされました。またの名を大たまる別(わけ)といいます。
 次に女島を生みなされました。またの名を天の一つ根といいます。
 次に知訶の島を生みなされました。またの名を天之忍男(あめのおしお)といいます。
 次両児(ふたご)の島をうみなされました。 またの名を天両屋(あまのふたや)といいます。
 《吉備の児島から天両屋島まで、併せて六つの島があります。》

 このようにして国を生み終わり、さらに神を生みなされました。
 そこで神、名を大事忍男(おおごとおしお)の神を生みなされました。
 次に石土毘古(いはつちびこ)の神をを生みなされました。
 次に石巣比賣(いはすひめ)の神を生みなされました。
 次に大戸日別(おおとひわけ)の神を生みなされました。
 次に天之吹上男(あめのふきあけお)の神を生みなされました。
 次に大屋毘古(おおやびこ)の神を生みなされました。
 次に風木津別之忍男(かぜもくわけのおしお)の神を生みなされました。
 次に海の神を生みなさり、名を大綿津見(わたつみ)の神といいます。
 次に水戸(みなと)の神を生みなさり、名を速秋津日子の神、
 その妹、速秋津比賣(はやあきつひめ)の神といいます。
 《大事忍男の神から秋津比賣の神まで、併せて十柱の神があります。》

 この速秋津日子、速秋津比賣の二神は、川と海のところに特に分けて神、その名を沫那芸(あはなぎ)の神、
 次に沫那美(あはなみ)の神、
 次に頰那芸(つらなぎ)の神、
 次に頰那美(つらなみ)の神、
 次に天之水分(あめのみくまり)の神、
 次に国之水分(くにのみくまり)の神
 次に天之久比奢母智(あめのくひざもち)の神、
 次に国之久比奢母智(くにのくひざもち)の神を生みました。
 《沫那芸の神から国之久比奢母智の神まで、併せて八柱の神があります。》

 [伊邪那岐の命と伊邪那美の命は]次に風の神を生みなさり、名を志那都比古(しなつひこ)の神といいます。
 次に木の神を生みなさり、名を久久能智(くくのち)の神といいます。
 次に山の神を生みなさり、名を大山津見(おほやまつみ)の神といいます。
 次に野の神を生みなさり、名を鹿屋野比賣(かやのひめ)の神といい、亦の名を野椎(のづち)の神といいます。
 《志那都比古の神から野椎の神まで、併せて四はしらの神があります。》

 この大山津見の神、野椎の神の二神は、山と野のところに持に分けて神、その名を天之狹土(あめのさつち)の神、
 次に国之狹土(くにのさつち)の神、
 次に天之狹霧(あめのさぎり)の神、
 次に国之狹霧(くにのさぎり)の神、
 次に天之闇戸(あめのくらど)の神、
 次に国之闇戸(くにのくらど)の神、
 次に大戸惑子(おほとまとひこ)の神、
 次に大戸惑女(おほとまとひめ)の神を生みました。
 《天之狹土の神から大戸惑女の神まで、併せて八柱の神があります。》


【吉備の児島】
 現在、岡山県南部の児島半島は、<wikipedia>江戸時代初期の1618年までまでは、「吉備の穴海」と呼ばれる浅海で隔てられ</wikipedia>た島であった。この島が吉備の児島だと考えられている。
 別名は「たけひかたわけ」である。熊襲の国の「たけ」の解釈を統一的に適用すれば、吉備国もまた、強力な軍事を備えた独立勢力だったことになる。この観点を今後も気に留めながら、読み進んでいきたい。

【小豆島】
 日本書紀によれば、応神天皇が応神天皇22年3月に高台で船を見送って詠んだ歌(歌は万葉仮名で書かれる)に「阿豆枳辞摩」が書かれている。その少し後に、応神天皇が淡路島で狩りをしてから「小豆嶋」に足を伸ばした記事がある。
 したがって、記紀を編纂した時代に現在の小豆島が認識され、「あづきじま」と呼ばれていたことがわかる。

【大島】
 もともと「大きな島」と意味したと思われる「大島」は全国に無数にある。「おおたまる」「たまる」という地名も、島には見つからない。
 「湛む」はごく一般的な動詞である。ということで特定する手段はない。

【女島】
 女島も全国にたくさんある。次の「知訶の島」に当たるとされる五島列島近傍の男女群島にもあるが、それでは男島が無視されるのはどうしてかということになってしまう。むしろ、最後の「両児島」が男女群島ではないかと言われる。

【知訶の島】
 一般的に、知訶の島は現在の五島列島とされるので、その根拠を探ってみた。
 孫引きで申し訳ないが、
<以下は日本の原郷・五島列島 - 実在した高天原による>
 『肥前風土記』に「景行天皇が志式嶋(平戸)の行宮においでになって西の海を見て、「この島は遠くにあるけれども近くにあるように見えるから近嶋というがよい」と仰せられた。そこで値嘉島とよぶようになった。」。
 それらの島々は現在の五島列島である。森浩一氏によれば、その一島「小値賀島」は「小値賀島全島が遺跡の宝庫で、五島列島全域で出土しているこの時代の土器、須恵器の95%が小値賀島から出土している」という。
</引用終わり>
 『肥前風土記』の「値嘉島」の地名譚から、景行天皇の九州親征が歴史的事実であるか否かは別として、記紀編纂の時代のころに平戸の西の島々が「値嘉」と呼ばれていたことが、これで実証できる。
 「値賀島」と呼ばれた列島は、地理的に見て、古くから海洋を渡ってきた諸民族との交流があったと見られ、実際に「遺跡の宝庫」である。その一方、日本書紀には、「値嘉」も「知訶」も出てこない。ここでも大和政権が、その出自=「渡来した一族の末裔」を消そうととしていると思われてならない。

【両児島】
 五島列島近くの小さな2つの島である男女群島を指すとも、天草を指すとも言われる。別名「天両屋島」から現在につながる地名も見つからない。

【六島】
 伊邪那岐・伊邪那美は天に戻ったのち、さらに6島を産んだ。これらのうち、大島、女島、両児島については当時、どこかの島を具体的に表していたとは思われるが、今のところ特定する材料が不足している。
 書紀では、八島以外は「対馬嶋、壹岐嶋、及処処小嶋、皆是潮沫凝成者矣。亦曰水沫凝而成也」(対馬、壱岐、など方々の小島はすべて潮が凝まり、あるいは水が凝まってできた)と、あっさり片付けている。

【神生み】
 書紀では、八島を生んだ後、自然環境を生む。「次生海。次生川。次生山。次生木祖句句廼馳。次生草祖草野姬。亦名野槌」つまり海、川、山を生む。次の木々の祖「くくのち」、草の祖「かやの姫」別名「のづち」は記と一致する。
 記は、自然環境を要素別に、それぞれ神として生む。書紀と合わせて見れば、それぞれの物体を各々が宿す神とともに生んだと読みとることができる。書紀は、細かいところには深入りせずに、適当にまとめて、代々天皇の業績に早く入りたいという感じである。

【生んだ神の名前】
 それぞれの神の役割を知ることは、特に重要ではないと思うが、一応探ってみることにする。
 ここでも、ほつまつたゑ/辞書のお世話になり、それぞれの神の名前を解釈を試みる。以下の解釈の多くは「こんなこともあり得るだろう」という程度で、確実な根拠はない。

おほごとおしを(大事押男)……おす=(押す)合わす。
いはつちびこ(石土日子)……ひこ=(日子)男子の美称。
いはすひめ(石洲姫)……=洲?
おほとひわけ(大飛ひ別)……とひ=問ひ、飛び。
あめのふきあけを(天之吹上男)……「吹き上げる」火山?
おほやびこ(大弥彦)……=(矢)はなつ。(八)広がる、熟す。
かぜもくつわけのおしを(風木つ別の押男)……=助詞「の」の古い形。わけ=区分、道理。おし=(押し)合わせること
おほわたつみ(大わたつみ)……わた=溜め、海。=助詞。=霊。
はやあきつひこ(はやあきつ日子)……はゆ=早ゆ、生ゆ、映ゆ。あき=成熟、(参考:秋津島)
はやあきつひめ(はやあきつ姫)……ひめ=(比賣、姫)女子の美称。

あはなぎ(沫なぎ)……=助詞「の」の古い形。=(貴・熟)夫婦神の男神を表す。
あはなみ(沫なみ)……=(陰・穢・卑)夫婦神の女神を表す。
つらなぎ(津らなぎ)……=(門)出入り口、(津)港。=「居る」から派生、名詞化。つら=(観察者に)向けている面。 
つらなみ(津らなみ)
あめのみくまり(天之水分)……=分かつ、配分する。「くまる=くばる」か。
くにのみくまり(国之水分)
あめのくひざもち(天之くひさもち)……=(交)合う・合わす。ひさ=(久)間隔が離れること。(膝)関節。もち=(望)満つること、満月。潮の干満?
くにのくひざもち(国之くひさもち)

しなつひこ(し平日子)……=風、なつ=平(な)らす。あるいは、高める(=跳(は)つ)。
くくのち(木木之霊)……=(木)木の古い語。(書紀:木の祖(おや)くくのち=木々の精)
おほやまつみ(大山つ霊)
かやのひめ(茅之姫)……かや=(茅・萱) 木や草。(書紀:「草野姫」の字を宛てる)
(別名)のづち(野つ霊)……(参考:みずち(龍になる直前の怪物)=水の霊)

あめのさつち(天之些土)……=(割・細・狭・小・少) わける。
くにのさつち(国之些土)
あめのさぎり(天之狭霧)
くにのさぎり(国之狭霧)
あめのくらど(天之暗処)……くる=(離る・暮る)。くろ=(黒)。
くにのくらど(国之暗処)
おほとまとひこ(大留ま処日子)……とむ=(留む・統む・絶む) おさめる。
おほとまとひめ(大留ま処姫)

 最初の「大事おし男」という名前は、「大物主」に似て、総括的である。最初だからだろう。
 最初のブロック(10柱神)は、概ね陸、空、海に基本的構造に関する神である。なお、最後の男女神「はやあきつ」は、「秋津島」と関係ありそうである。「はや」は秋津島を拓いたという意味だろうか。
 この「はやあきつ」から生まれた海・水に関する付属の8柱神か、次のブロックである。まず、水の飛沫、海岸・港に関わる2組の男女神がある。
 次の「くまる」の意味は難しいが、漢字の「分」から意味をとり川の分岐や水量の調節に関する、天つ神と国つ神が一対で生まれる。
 次の「くひざもち」の解釈も難しいが、く=交わる、ひさ=離れる、もち=月齢を組み合わせると、海の干満となる。これは海に関して非常に重要なことだが、実際の意味は何だろう。
 再び、伊邪那岐・伊邪那美の神生みにもどる。この4柱神が、次のブロックである。最初は「風の神」なので、「し」がもつたくさん意味のから「風」を選ぶのは当然である。
 「なつ」は「高める」と「均す」の両方の意味があるが、風の神ならいきなり「鎮める」よりも「吹かせる」方であろう。ただ「風が高まる」というのはちょっと語感に合わない。
 「木々」は古く「くく」だった。「ち」は、「霊」「魂」「命」などを意味する。
 「おおやまつみ」の「つ」は古い助詞で「の」と同じ。「天つ神」など限りなく例がある。「かやのひめ・別名のづち」は書紀の本説でもそのまま出てくるので、一般的だったと思われる。植物の生命力は深い信仰の対象であったに違いない。だから、簡潔な書きっぷりを旨とする書紀でも、木と草の神だけは特記された。
 草の神は女性神で、男性神の大山の神との間に付属の神を生んだ。その8柱神が次のブロックである。
 始めの6柱は、土埃、霧、明るさなど天気に関するものである。ただ「くらど」はちょっと適切でない気がする。この6柱神は、それぞれ天つ神、国つ神が組を作っている。
 最後の男女神「大とまり」は「これで終わり」という意味だろうか。ただし、まだ船の神と火の神が続く。
 天つ神・国つ神の組になっているのは水や流水の作用に関わるものであるが、これらが二重になっている意味は不明である。男女神になっているものは、いわれがあるのだろうがその中身は不明である。

【一書(6)】
 書紀の一書(あるふみ)にもさいくつかの神が出てくる。一例として、6番目の「一書」は、次の7柱の神が書かれる。
 風神=級長戸辺(しなとべ)の命、(別名)級長津彦(しなつひこ)の命。飢えた時=倉稲魂(うかのみたま)の命。海神等=少童(わたつみ)の命。山神等=山祇(やまつみ)。水門神等=速秋津日(はやあきつひ)の命。木神等=句句廼馳(くくのち)。土神=埴安(はにやす)の神。
 7神のうち、5神が記と共通である。

まとめ
 私が読めば、名前の羅列だけなので退屈だから読み飛ばすところである。想像するに、それぞれ各地に伝わる神だから、当時の読者は、身近な神が登場することで親しみを増したのだろうか。


2013.06.16(日) [037] 上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美5) 
次生神名鳥之石楠船神亦名謂天鳥船
次生大宜都比賣神【此神名以音】

次に生みし神の名は、鳥之石楠船(とりのいはくすふね)の神、亦の名は天鳥船(あまのとりふね)と謂ふ。
次に大宜都比賣(おほげつひめ)の神【此の神の名は音(こゑ)を以てす。】を生みき。


次生火之夜藝速男神【夜藝二字以音】
亦名謂火之炫毘古神 亦名謂火之迦具土神【迦具二字以音】

次に火之夜芸速男(ひのやげはやを)の神【夜(や)芸(ぎ)の二字は音を以ちゐる。】を生み、
亦の名を火之炫毘古(ひのかがびこ)の神と謂ひ、亦の名を火之迦具土(ひのかぐつち)の神【迦(か)具(ぐ)の二字は音を以ちゐる。】と謂ふ。


因生此子美蕃登【此三字以音】見炙而病臥在 多具理邇【此四字以音】生神名金山毘古神【訓金云迦那下效此】次金山毘賣神
此の子を生みしに因りて美(み)蕃(ほ)登(と)【此の三字は音を以ちゐる。】見炙(やかえ)て[而]病(や)み臥(ふ)して在り、多(た)具(ぐ)理(り)邇(に)【此の四字は音を以ちゐる。】生みし神の名は金山毘古(かなやまびこ)の神【「金」を訓み、迦(か)那(な)と云ふ。下に此れ効ふ。】、次に金山毘賣(かなやまびめ)の神。

次於屎成神名波邇夜須毘古神【此神名以音】 次波邇夜須毘賣神【此神名亦以音】
次に屎(くそ)に[於]成りし神の名は波邇夜須毘古(はにやすびこ)の神【此の神の名は音を以ゐる。】、次に波邇夜須毘賣(はにやすびめ)の神【此の神の名は亦(また)音を以ちゐる。】。

次於尿成神名彌都波能賣神 次和久產巢日神
此神之子謂豐宇氣毘賣神【自宇以下四字以音】

次に尿(ゆまり)に[於]成りし神の名は弥都波能売(みつはのめ)の神、次に和久産巣日(わくむすび)の神、
此の神之(の)子、豊宇気毘賣(とようけびめ)の神【「宇」自り以下(しもつかた)四字は音を以ちゐる。】と謂ふ。


故伊邪那美神者因生火神遂神避坐也【自天鳥船至豐宇氣毘賣神幷八神】
故(かれ)伊邪那美の神者(は)、火の神を生むに因りて遂に神避(かむさ)り坐(ま)しき[也]。【天鳥船自り豊宇気毘賣の神に至り、并せて八(や)はしらの神。】

《凡伊邪那岐伊邪那美二神共所生嶋壹拾肆嶋神參拾伍神【是伊邪那美神未神避以前所生唯意能碁呂嶋者非所生亦姪子與淡嶋不入子之例也】》
《凡(おほよそ)、伊邪那岐、伊邪那美、二はしらの神共に生(う)みし[所]島は一十拾四島(とをちあまりよつのしま)、神は三十五神(みそはしらあまりいつはしらのかみ)【是れ伊邪那美の神未(いま)だ神避(かむさ)らざるを以ちて前に生みし所なるも、唯(ただ)意能碁呂(おのころ)島者(は)生みし所に非ず、亦(また)姪子(ひるこ)与(と)淡島とは子之例(たぐひ)に不入(いらざ)る也(なり)。】》

故爾伊邪那岐命詔之愛我那邇妹命乎【那邇二字以音下效此】
謂易子之一木乎
乃匍匐御枕方匍匐御足方 而哭時於御淚所成神 坐香山之畝尾木本 名泣澤女神
故 其所神避之伊邪那美神者 葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也

故爾(しかるゆゑに)、伊邪那岐の命詔(のたま)はく「之の愛(うつく)し我(あ)が那邇妹(なにも)の命(いのち)乎(かな)【那(な)邇(に)の二字は音(こゑ)を以ちゐる。下に此れ効ふ。】。
子之(の)一(ひとつ)木(き)に易(か)ふと謂ふ乎(かな)」
乃(すなは)ち御(み)枕(まくら)の方(かた)に匍匐(は)ひ、御(み)足(あし)の方(かた)に匍匐(は)ひて[而]哭(な)きたる時、御(み)涙(なみだ)す所(ところ)に[於]神成り、香山(かぐやま)之(の)畝尾(うねび)の木の本(もと)に坐(ま)し、名は泣沢女(なきさわめ)の神。
故(かれ)、其の神避(かむさ)りし[所之]伊邪那美の神者(は)、出雲国(いづものくに)与(と)伯伎国(はくきのくに)とを堺(さか)ふる比婆之(ひばの)山に葬(はぶ)りき[也]。

 次に神を生みなされ、名を鳥の石楠船(とりのいわくすふね)の神、またの名を天鳥船(あまのとりふね)といいます。次に大宜都比賣(おおげつひめ)の神を生みなされました。
 次に火之夜芸速男(ひのやげはやを)の神を生みなされました。またの名を火之炫毘古(ひのかがびこ)の神、さらにまたの名を火之迦具土(ひのかぐつち)の神といます。
 この子を生みなされたことにより、御陰部(みほと)を灼く目に逢われ病にお臥せになりました。吐きもどして神を生みなされ、名を金山毘古(かなやまびこ)の神、そして金山毘賣(かなやまびめ)の神といいます。
 次に便に神が現れ、名を埴やす毘古(はにやすびこ)の神、次に埴やす毘賣(はにやすびめ)の神といいます。
 次に尿に神が現れ、名をみつはのめの神 そしてわくむすび)の神といい、この神の子は、豊受毘賣(とようけびめ)の神といます。
 このように伊邪那美の神は、火の神を生んだことにより、遂にお亡くなりになってしまいました。《天鳥船から豊宇気毘賣の神まで、併せて八神とします。》
 《ここまで、伊邪那岐、伊邪那美の二神が生みなさったのは、島は十四島、神は三十五神です。》《これらは、伊邪那美の神がまだお亡くなりになる以前に生みなさりましたが、ただ意能碁呂(おのころ)島は生んだものではなく、また姪子(ひるこ)と淡島は子の数にいれません。》
 ゆえに、伊邪那岐の命が仰るに、「このように愛しいわが妹であるお前の命なのに、 ただの一人の子に替えろと謂うのか」と嘆かれ、御枕元に向かって這いつくばり、お御足に向かって這いつくばり、大声でお泣きなされたとき、御涙のところに神が現れて香山(かぐやま)の畝傍の木の下におわし、名を泣沢女(なきさわめ)の神といいます。
 かくして、お亡くなりになった所の伊邪那美の神は、出雲国と伯伎国の国境の比婆の山に葬られたのでした。


…[動] かがやく、くらます。
…[動] あぶる、肉などを火にかざして焼く。 
…[名] くそ、糞便。
尿(ゆまり、ゆばり、いばり)…[名] 小便。
うつくし(愛し)…[形] いとおし。
…[助] 文末に置いて、語気を表す。
…[動] かえる、交換する。
匍匐(ほふく)…はらばう。「はう」(「這」は日本語用法)
…[動] なく、声を上げてなく。
…[動] なく、声をひそめてなく。
かむさる、かみさる(神去る)…[自動・ラ行四] 高貴な人が死去する。

【神の名前の意味】
 これまでに続いて、10柱の神が出現する。

とりのいはくすふね(鳥石楠船)
 あまのとりふね(天鳥船)
おほげつひめ(大結姫)…………けつ=熟れるなど。
ひのやげはやを(火かけ速男)…かく=放つ、発す。はゆ=映える、はやる=速る。
 ひのかがびこ(火輝日子)……ひこ=日子
 ひのかぐつち(火輝土)………つち=土。つつ=低まる。
かなやまびこ(金山日子)
かなやまびめ(金山姫)
はにやすびこ(埴養日子)………はに=土。やす=結す・和す・合す・養すなど。
はにやすびめ(埴養姫)
みつはのめ(水つはの女)…………=水。みつ=満つ・充つ。
わくむすび(湧結)………………わく=分く・湧く。むすぶ=結ぶ、現る。
とようけびめ(豊うけ姫)………とよ=豊。とゆ=統ゆ・溜ゆ。うく=受く・承く。

 火の神を生んで病に伏した伊邪那美の吐瀉物から、金山ひこ・金山ひめが生まれた。比婆山の比定地のひとつ、島根県安来市の一帯は古代から鉄の産地で、たたら製鉄が盛んであったという。
 伊邪那美の糞からは、はにやすびこ・はにやすひめが現れた。堆肥によって畑の土が肥えるので、「はに(土)をやす(肥やす)」という解釈をしてみた。
 また、尿から出現した、みつはのめ・わくむすびは、「水が湧く」、わくむすびの子、とようけびめは、「収穫の神」と解釈してみた。このように解釈すると話がうまくまとまるが、他の資料には当たっていないので、今のところ想像だけである。
 堆肥は豊かな実りを生み出すので、糞尿から神が現るのは決して奇妙なことではなく、ごくまっとうなことである。
 糞尿から現れた神は「成った」神であるが、吐瀉による神は「生まれた」神である。しかし夫婦による有性生殖ではないので、金山神は「成る」の方である。これだけ例外だが、おそらく誤ったのだろう。
 なお、大宜都比賣は、すでに島として生んだ四国の、阿波の国の神として出ていて、重複している。

【并せて八神】
 金山神とはにやす神はそれぞれ夫婦神だから、一神と数えれば、八神となる。ただ、これより前は夫婦神を別々に数えていたので、一貫性がなくなっている。

【生みしは、島を壹拾肆島、神を参拾伍神】
 「壹」あるいは「壱」は、「一」の大字である。画数を多くした数字を「大字」といい、現在でも領収書の改竄を防ぐために使われる。
 参(參)→三、肆→四、伍→五、拾→十である。「拾」の前に「壹」がついているし、「卅」ではなく「参拾」を使っているので、音読みされることもあったと思われるが、やまとことばにおける読み方は、桁の間に「あまり」をはさみ、桁ごとに量詞をつける。たとえば「三十五柱神」は、「みそはしらあまりいつはしらのかみ」である。
 書紀で、天孫降臨から天武天皇の即位までの179万2470余歳(=年)に、岩波文庫版では「ももよろずとせあまりななそよろずとせあまりここのよろとせあまりふたちとせあまりやほとせあまりななとせあまり」とふりがながついている。つまり「一百万歳余り、七十万歳余り、九万歳余り、二千歳余り、四百歳余り、七十歳余り」と読む。
 さて、割注にあるように、「蛭子」「淡島」は数に入れないので、大八洲の八島+然る後に生んだ六島で、生んだ島の数は計算が合う。問題は、神の数である。「夫婦神を別々に数える」に統一すれば、10+8+4+8+10=40柱である。それに対して、最後の八神や「神代七代」のように、夫婦神をひとつ神と数えれば、夫婦神は全部で七組あるので三十三神となり、やはり計算が合わない。
 なお、夫婦神はそれぞれ名称が類似しているが、例外は「大山津見+茅野姫」である。これも子を作るので夫婦神に入れた。この組を別神扱いとすれば三十四神である。それ以外の夫婦神の名称は、「ひこ・ひめ」が4組、「なぎ・なみ」が2組である。そこで、夫婦神のうち「なぎ・なみ」だけは男女別に数え、「大山津見+茅野姫」を夫婦神に戻せば、やっと「三十五神」が得られる。しかし、このような数合わせはとても不自然である。七×五は、中国の五行説では吉数であるが、記紀ではなんといっても八が吉数なので、無理に三十五に合わせる必要もないと思う。
 これ以外の「八柱」で夫婦神の扱いに一貫性がないので、恐らく、最初の古事記には神数の集計は書かれず、後に別の人が、それも複数が別々に書き加えたと思われる。「三十五神」はそのうち誰かの数え間違いであろう。神の数など、どうでもよいことに思えるのだが、写本を作り、点検するときにとても便利である。また、神の数から数理的な意味を読み取ろうとする宗教学派があれば、非常に大切な数である。
 想像を逞しくすれば、注に「併せて八神」と書いた人は陰陽思想を重んじ、「併せて三十五神」と書いた人は、五行思想を重んじていたのかも知れない。そうでなく、もともと一人が意図的に書いたとすれば、古事記には予想以上の奥深い仕掛けがあることになる。

【ほと】
 <wikipedia>古い日本語で女性器の外陰部を意味する単語</wikipedia>
 現在では、「ほと」と似た形状の土地の地名として各地に残っているという。「み」は「美しい」でもよいが、尊敬の「御」と解釈するのが適当と思われる。

【たぐる】
 動詞(ラ行四段) 口から吐く、へどをはく、もどす。
 書紀(神代上)の一書(4)が、記のこの部分と対応する。「伊弉冉尊、且生火神軻遇突智之時、悶熱懊悩。因為吐、此化為神、名曰金山彦。」(いざなみのみこと、且つ火の神かぐつちを生すのとき、熱に悶え懊悩(おうのう)す。因って吐(たぐ)り為し、此れ化して神と為し名を金山彦と曰う)
 ここでも「吐る」が「たぐる」と読むのは明らかである。

【愛し我がなに妹の命かな】 なに=汝である。「いとしい私のいもうとであるお前の命なのに」と二人称で呼びかける。現代の日本人の男性には、妻にむかって「愛しいお前」という言葉を出すのに照れる文化がある。それに比べて、古事記の時代の人々は素直で積極的な言語生活をしていたと思われる。

【易子之一木乎】
 一見して、全く意味不明であった。そこで、念のために『全訳漢辞海』で「易」を引くと、「やさしい」他に「交換する」という動詞にも使うことが分かった。では、子を一本の木に替えるのか?そこはまだ判らないので書紀に対応する部分がないか、探してみた。すると一書(書紀の該当箇所の6書目の一書)に同一内容が見つかった。引用すると、
 「然後、悉生萬物焉。至於火神軻遇突智之生也、其母伊弉冉尊、見焦而化去。于時、伊弉諾尊恨之曰、唯以一児、替我愛之妹者乎
 しかる後、悉(ことごと)く万物を生む焉(なり)。火の神軻遇突智(かぐつち)之生むに至り、其の母伊弉冉尊(いざなみのみこと)焦(や)くを見、化し去る(「化」には「死ぬ」意味がある)。時に、伊弉諾尊(いざなぎ)の尊、之れを恨みて曰く、唯一り児(ご)を以て我が愛(うつく)しの妹(いも)に替(かへ)し者(もの)乎(かな)。
 この「妻の死を子一人に替えてしまった」という言葉は、「一人の子供が生まれたことで、妻を失う悲しみを埋め合わせることはできない。」を反語的に表現したものである。
 つまり、一人の子と引き換えに愛しい妻であるお前を失ってしまったと嘆き悲しんでいる。書紀の一書を参照すれば「易子之一木乎」は、易=(妻の死と)替える、之=助詞「の」、一木=一人、乎=語気助詞(詠嘆)であることは明らかである。
 ここは記よりも、書紀の一書の方か格段に解りやすい。記の会話文の読み取りには特別の努力が必要であるが、それだけ生の言葉(口語の原型)に近かったとも考えられる。

【乃匍匐御枕方匍匐御足方】
 書紀の一書は「則匍匐頭辺、匍匐脚辺」(即ち頭辺(まくらへ*)匍匐(は)ひ、脚辺(あとへ*)匍匐ふ。)である。これにより、「乃」は接続詞「すなわち」であることが確認できる。
 「匍匐」(ほふく)とは、赤ん坊のはいはいのような移動方法である。枕元へ「匍匐」、また足元へ「匍匐」と2回書くのは、悲しみをリアルに描くための修辞法である。その表現力により、書紀でもこの修辞法がそのまま採用されている。
 * 他の「一書曰」に、「頭邊、此云摩苦羅陛。脚邊、此云阿度陛。」という読み方の説明がある。

【畝傍山「火山」説について】
 伝統的に「畝火」とも書かれるので、火山だったという説がある。確かに火山岩からできているが、畝傍山などは第三紀の火山岩がその後の浸食作用によって山の形になったもので、火山ではない。第三紀は260万年までなので、最近260万年の間に、噴火している畝傍山を人類は見ていない。
 「ひ」には、「土地」の意味もあり、書紀一書(6)でも「畝丘」としている。ただ、宮に近い山なので、烽火を上げていたことはあり得る。(各地の山上に烽火を設置し、北九州までの情報伝達手段にしていたことは、なかったと考える方が不自然である)
 また「畝傍山」は書紀でよく出てくるので、「畝丘」も恐らく畝傍山であろう。

【坐香山之畝尾木本】
 天の香具山の近くにある畝傍山の木の下、または「木本」という地名にも読める。書紀の一書(6)では「是即畝丘樹下所居之神」になっている。書紀の一書(6)では「木本」は地名ではなく、「樹の下」と書いている。

【比婆山】
 比婆山の比定地は、A広島県庄原市(1299m)、B島根県安来(331m)がある。いずれも、出雲の国・伯耆の国の境界に近い。

まとめ
 妻を病で失った男が、遺体の周囲を這い回りながら地面を拳で叩いて泣いて嘆く姿は、心を打つ。不幸にも、妊産婦が妊娠・出産に伴って死に至ることはかつては多かった。1900年ごろでも妊産婦死亡率は10万人中400人前後であった。これは妊娠250回に1回となり、かなり高率である。その後2011年には、医療の充実により3.8人(妊娠26000回に1回)に減少している。
 記の上巻は神の世界の話であるが、人間の日々の営みを投影している箇所も多い。その表現の豊かさが、最大の魅力である。梅原猛氏は、<『古事記論』(学研M文庫=2012年=周収録)>文学書としてもまさに磨けば磨くほど光り輝く宝物</『古事記論』>であると賞賛している。


[038]  上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美6)