●2024.12.08(sun) | ・天武天皇紀上[5]・倭京勢力の離反。 |
●2024.10.30(wed) | ・天武天皇紀上[4]・近江朝廷側の認識。 |
●2024.10.17(thu) | ・天武天皇紀上[3]・経由地の比定。 |
●2024.09.23(mon) | ・天武天皇紀上[2]・大友皇子は近江朝廷で政務。 |
●2024.08.21(wed) | ・天武天皇紀上[1]・要地宇治橋。 |
●2024.08.07(wed) | ・天智天皇紀[12]・隠された立太子。 |
●2024.07.30(tue) | ・天智天皇紀[11]・質の悪い書き足し。 |
●2024.07.21(sun) | ・天智天皇紀[10]・ことは実は七年か。 |
●2024.07.09(tue) | ・天智天皇紀[9]・不憖遺耆の訓み方。 |
●2024.06.27(thu) | ・天智天皇紀[8]・高句麗滅亡の実際。 |
●2024.06.14(fri) | ・天智天皇紀[7]・城門の構造の確定。 |
●2024.04.20(sat) | ・天智天皇紀[6]・長門城は未発見。 |
●2024.04.05(fri) | ・天智天皇紀[5]・水城「大堤貯水」の構造。 |
●2024.03.24(sun) | ・天智天皇紀[4]・乾芝山城か遇金山城か。 |
●2024.03.15(fri) | ・天智天皇紀[3]・ありがちな内部対立。 |
●2024.03.08(fri) | ・天智天皇紀[2]・ソースは家伝。 |
●2024.02.27(tue) | ・天智天皇紀[1]・海外資料にはこの年… |
●2024.02.09(fri) | ・斉明天皇紀[9]・そこに宮跡はなかった。 |
●2024.01.16(tue) | ・斉明天皇紀[8]・難解さで有名な歌。 |
●2024.01.05(fri) | ・斉明天皇紀[7]・唐の羈縻(きび)政策。 |
●2023.12.20(wed) | ・斉明天皇紀[6]・漏刻を探る。 |
●2023.12.12(tue) | ・斉明天皇紀[5]・蝦夷の姿は。 |
●2023.11.22(wed) | ・斉明天皇紀[4]・郡領は名目か。 |
●2023.11.10(fri) | ・斉明天皇紀[3]・書紀歌謡がもつ深み。 |
●2023.10.26(thu) | ・斉明天皇紀[2]・古の牟婁温湯。 |
●2023.10.11(wed) | ・資料[72]:国家の北方拡大の過程を郡設置の時期に見る。 |
●2023.09.24(sun) | ・斉明天皇紀[1]・再び神秘的叙述が。 |
●2023.09.05(tue) | ・孝徳天皇紀[20]・大坂磯長陵は八角墳か。 |
●2023.08.08(tue) | ・孝徳天皇紀[19]・皇祖母尊と皇后は飛鳥を懐かしむ。 |
●2023.07.23(sun) | ・孝徳天皇紀[18]・仏教行事の古訓は平安風。 |
●2023.07.17(mon) | ・孝徳天皇紀[17]・皇極(斉明)天皇の古道とは。 |
●2023.07.10(mon) | ・孝徳天皇紀[16]・偶然の白雉の捕獲。 |
●2023.06.26(mon) | ・孝徳天皇紀[15]・掃部をカニモリと訓む不思議。 |
●2023.06.19(mon) | ・孝徳天皇紀[14]・反改新勢力が担ぐ神輿は。 |
●2023.06.09(fri) | ・孝徳天皇紀[13]・磐船柵・渟足柵の性格は。 |
●2023.06.03(sat) | ・孝徳天皇紀[12]・大化三年四月詔を読み解く。 |
●2023.05.30(tue) | ・孝徳天皇紀[11]・氏族間は打倒から競争へ。 |
●2023.05.23(tue) | ・孝徳天皇紀[10]・仕丁は東国から。 |
●2023.05.12(fri) | ・孝徳天皇紀[9]・皇祖大兄御名入部の召し上げ。 |
●2023.05.09(tue) | ・孝徳天皇紀[8]・新たな収奪者としての国司。 |
●2023.04.27(thu) | ・孝徳天皇紀[7]・東山道に国司を置いたが… |
●2023.04.18(tue) | ・孝徳天皇紀[6]・税制の定式化の実際。 |
●2023.03.31(fri) | ・孝徳天皇紀[5]・古代天皇からの脱却へ。 |
●2023.03.25(sat) | ・孝徳天皇紀[4]・寺院の統制へ。 |
●2023.03.11(sat) | ・孝徳天皇紀[3]・オホムタカラの適用範囲。 |
●2023.02.26(sun) | ・孝徳天皇紀[2]・訓読にいくつかの問題が… |
●2023.02.20(mon) | ・孝徳天皇紀[1]・年号制定は史上初。 |
●2023.02.09(thu) | ・皇極天皇紀[11]・孝徳天皇に譲位して終了。 |
●2023.02.06(mon) | ・皇極天皇紀[10]・乙巳の変の政治的意義。 |
●2023.01.30(mon) | ・皇極天皇紀[9]・反大臣派による宣伝工作の痕跡。 |
●2023.01.21(sat) | ・皇極天皇紀[8]・再びワザウタの性格について。 |
●2023.01.15(sun) | ・皇極天皇紀[7]・中臣鎌子の登場。 |
●2023.01.07(sat) | ・皇極天皇紀[6]・平安時代における書紀の読み方。 |
●2022.12.30(fri) | ・皇極天皇紀[5]・ワザウタへの解釈の問題。 |
●2022.12.17(sat) | ・皇極天皇紀[4]・蘇我氏本家滅亡への伏線。 |
●2022.12.08(thu) | ・皇極天皇紀[3]・越の境界の蝦夷との相克。 |
●2022.11.23(wed) | ・皇極天皇紀[2]・百済による遣使の記述に見える混乱。 |
●2022.08.28(sun) | ・皇極天皇紀[1]・崑崙は琉求国のことか。 |
●2022.08.08(mon) | ・舒明天皇紀[7]・百済大寺と目される吉備池廃寺。 |
●2022.07.26(tue) | ・舒明天皇紀[6]・蝦夷討伐を命じられた上毛野君のやる気度は。 |
●2022.07.14(thu) | ・資料[64]:舒明四年一月朔日の日食を、観測し得たか。 |
●2022.06.16(thu) | ・資料[61]・日食のモデル化に座標変換は欠かせない。 |
●2022.05.14(sat) | ・舒明天皇紀[5]・新羅との関係はまだ不調。 |
●2022.05.05(thu) | ・舒明天皇紀[4]・「聖皇」は民間伝承か。 |
●2022.04.20(wed) | ・舒明天皇紀[3]・蘇我蝦夷大臣の本心。 |
●2022.04.13(wed) | ・舒明天皇紀[2]・大勢力として残る上宮王家。 |
●2022.03.31(thu) | ・舒明天皇紀[1]・彦人大兄皇子系列に移る。 |
●2022.03.20(sun) | ・推古天皇紀[12]・蘇我馬子=石舞台古墳の被葬者説。 |
●2022.03.08(tue) | ・推古天皇紀[11]・ホトスカノクニとは。 |
●2022.02.24(thu) | ・推古天皇紀[10]・摂政から大聖への道。 |
●2022.02.11(fri) | ・推古天皇紀[09]・隋朝滅亡を受けて。 |
●2022.01.27(thu) | ・推古天皇紀[08]・馬子は堅塩媛の改葬で権勢を誇る。 |
●2022.01.13(thu) | ・推古天皇紀[07]・蘇我馬子の権力強化。 |
●2022.01.06(thu) | ・推古天皇紀[06]・隋と倭の思惑のすれ違いが… |
●2021.12.31(fri) | ・推古天皇紀[05]・作られた「池」の規模を考える。 |
●2021.12.14(tue) | ・隋書倭国伝(4)・裴世清の来倭に書かれたことを詳細に調べる。 |
●2021.12.03(wed) | ・隋書倭国伝(2)・盟神探湯(くがたち)は実際に行われていたかも。 |
●2021.11.24(wed) | ・〈新シリーズ〉隋書倭国伝をそのまま読む(1)・「姓阿毎氏多利思比孤号阿輩鶏弥」は誰か。 |
●2021.10.29(fri) | ・推古天皇紀[04]・太子が講じた岡本宮の所在地。 |
●2021.10.20(wed) | ・資料[54]・斉明天皇の後岡本宮を探る。 |
●2021.10.06(wed) | ・資料[53]・法華寺と岡本寺の関係。 |
●2021.09.11(sat) | ・資料[52]・太子執筆と言われる三経義疏だが。 |
●2021.08.08(sun) | ・推古天皇紀[03]・十七条憲法を精読する。 |
●2021.07.25(sun) | ・元興寺伽藍縁起并流記資財帳−縁起(k)・「聡耳皇子于諸臣等告」段。 |
●2021.07.21(wed) | ・資料[51]・今に残るさまざまな塔心礎と仏舎利の姿。 |
●2021.07.07(wed) | ・弘仁私記序[6]・「一千五百五十七年五十二帝」の誤りを論ずる。 |
●2021.06.30(wed) | ・弘仁私記序をそのまま読む[1]・弘仁四年〔813年〕の日本紀講筵の記録の序文とされる。 |
●2021.06.08(tue) | ・資料[50]・本元興寺(飛鳥寺)の塔心礎など。 |
●2021.06.06(sun) | ・資料[49]・法隆寺五重塔の心柱と舎利一具。 |
●2021.05.23(sun) | ・資料[48]・豊浦寺跡について文献から探る。 |
●2021.05.20(thu) | ・古事記下つ巻(巻首)・「凡十九天皇」と書き添えられたこと。 |
●2021.05.03(mon) | ・元興寺伽藍縁起并流記資財帳−縁起(j)・推古天皇懺悔言の段。 |
●2021.04.21(thu) | ・推古天皇紀[2]・来目皇子と船連(ふなのむらじ)。 |
●2021.04.07(wed) | ・古事記の精読を終えて・古事記が書かなかったこと。 |
●2021.03.17(wed) | ・古事記下つ巻(推古天皇2)・今回で古事記読了。 |
●2021.03.04(thu) | ・欽明天皇紀[21]・欽明天皇紀終了 |
●2021.02.24(wed) | ・欽明天皇紀[20]・任那滅亡後。〈※神代の訓読を改定しました。〉 |
●2021.01.18(mon) | ・古事記下つ巻(推古天皇1)・推古天皇の人物像。 |
●2020.12.20(sun) | ・欽明天皇紀[17]・書紀の多面性を探る。 |
●2020.12.06(sun) | ・敏達天皇紀[6] ・敏達紀終了。 |
●2020.11.29(sun) | ・敏達天皇紀[5] ・三少女が仏の道に。 |
●2020.11.21(sat) | ・古事記下つ巻(崇峻天皇2)・倉梯岡陵は、やはり赤坂天王山古墳。 |
●2020.10.30(fri) | ・敏達天皇紀[4] ・日羅の招請。 |
●2020.10.04(sun) | ・古事記下つ巻(崇峻天皇1)・倉椅(はし)への遷都は自立志向の表れか。 |
●2020.09.30(wed) | ・古事記下つ巻(用明天皇3)・用明天皇−天皇号は後世か。 |
●2020.09.21(mon) | ・欽明天皇紀[15]・百済の対新羅戦線の緊迫 |
●2020.09.02(wed) | ・[4] 牒・諸寺の「伽藍縁起并流記資材帳」の比較。 |
●2020.08.27(thu) | ・古事記下つ巻(用明天皇2)・聖徳太子の上宮(かみつみや)の謎。 |
●2020.08.18(tue) | ・「天皇」称号の始め(資料41)と、丈六光銘(丈六光銘)。 |
●2020.08.14(fri) | ・古事記下つ巻(用明天皇1)・磐余池畔の宮殿を探る。 |
●2020.08.09(sun) | ・古事記下つ巻(敏達天皇4)・磯長谷古墳群を見る。 |
●2020.08.01(sat) | ・欽明天皇紀[24] ・丸山古墳の内部は。 |
●2020.07.19(sun) | ・欽明天皇紀[13] ・仏教公伝の外交的意味 |
●2020.07.16(thu) | ・元興寺伽藍縁起并流記資財帳をそのまま読む・新シリーズ。 |
●2020.06.22(mon) | ・古事記下つ巻(敏達天皇2)・敏達天皇の皇子たち。 |
●2020.06.14(sun) | ・古事記下つ巻(敏達天皇1)・訳語田幸玉宮の比定地を探る。 |
●2020.05.30(sat) | ・欽明天皇紀[9] ・粛慎はミシハセと訓まれるが… |
●2020.05.08(fri) | ・欽明天皇紀[7] ・安羅国の域内国である日本府。 |
●2020.04.05(sun) | ・古事記下つ巻(欽明天皇2)・間人穴穂部皇女の避難。 |
●2020.04.01(wed) | ・古事記下つ巻(欽明天皇1)・手白香皇女の生涯。 |
●2020.03.05(thu) | ・古事記下つ巻(宣化天皇)・橘之中比売命から男王は生まれたか。 |
●2020.02.20(thu) | ・古事記下つ巻(安閑天皇3)・春日山田皇女の「改葬」?! |
●2020.02.14(fri) | ・安閑天皇紀[5] ・大隅宮西大道村(東淀川区)説の検証。 |
●2020.01.29(wed) | ・安閑天皇紀[4] ・二十六屯倉設置の意味に迫る。 |
●2019.12.11(wed) | ・安閑天皇紀[2] ・韻文担当者の力量は如何に。 |
●2019.11.25(mon) | ・古事記下つ巻(安閑天皇2)・一口に屯倉といっても様々なタイプが… |
●2019.11.07(thu) | ・古事記下つ巻(安閑天皇1)・元嘉暦モデルの適用及び尾張連の系図。 |
●2019.10.21(mon) | ・古事記下つ巻(継体天皇3)・ピンク石(阿蘇溶結凝灰岩)石棺の謎。 |
●2019.10.08(tue) | ・継体天皇紀[6] ・毛野臣に見る書紀の潤色。 |
●2019.09.15(sun) | ・古事記下つ巻(継体天皇2)・磐井の乱の性格を探る。 |
●2019.08.20(tue) | ・継体天皇紀[3]・書紀歌謡解釈の留意点。 |
●2019.08.01(thu) | ・古事記下つ巻(継体天皇1)・継体天皇の政治的才能。 |
●2019.07.17(wed) | ・古事記下つ巻(武烈天皇4)・継体天皇と大伴金村大連との交渉の実際。 |
●2019.07.02(tue) | ・古事記下つ巻(武烈天皇3)・傍丘磐杯丘陵を南北二陵とするのは無理かも。 |
●2019.06.24(mon) | ・狐井城山古墳(顕宗天皇8に加筆)・年代は顕宗・武烈に該当。 |
●2019.06.20(thu) | ・古事記下つ巻(武烈天皇2)・武烈天皇の人格の分裂をどう見るか。 |
●2019.06.03(mon) | ・古事記下つ巻(武烈天皇1)・在位年数は書紀と一致する。 |
●2019.05.21(tue) | ・資料[37]・先代旧辞本紀はかつて偽書と言われたが… |
●2019.05.05(sun) | ・古事記下つ巻(仁賢天皇)・遂に陵も書かれなくなった。 |
●2019.04.29(mon) | ・古事記下つ巻(顕宗天皇8)・天皇陵の真の被葬者の決定とは… |
●2019.04.17(wed) | ・顕宗天皇紀二年〜三年・天照大神から高皇産霊神への皇祖神の転換を探る。 |
●2019.04.06(sat) | ・古事記下つ巻(顕宗天皇7)・兄の言葉は高貴で道徳的なものであるが… |
●2019.03.23(sat) | ・古事記下つ巻(顕宗天皇6)・同じ話だが、書紀は儒教を導入する。 |
●2019.03.17(sun) | ・古事記下つ巻(顕宗天皇5)・「しめき」を解釈する複数の説。 |
●2019.03.13(wed) | ・古事記下つ巻(顕宗天皇4)・引き続き歌謡に基づく物語。 |
●2019.03.11(mon) | ・古事記下つ巻(顕宗天皇3)・歌謡から組み立てられた物語。 |
●2019.03.05(tue) | ・古事記下つ巻(顕宗天皇2)・「磐坂市邊押磐皇子墓」の真実。 |
●2019.02.20(wed) | ・古事記下つ巻(顕宗天皇1)・顕宗・仁賢帝が実在した場合の国家体制。 |
●2019.02.15(fri) | ・古事記下つ巻(清寧天皇7)・書紀の冗長化に見る歴史書からの後退。 |
●2019.02.01(fri) | ・古事記下つ巻(清寧天皇6)・袁祁王伝説はやはり伝説。 |
●2019.01.14(mon) | ・古事記下つ巻(清寧天皇5)・二王発見の真相。 |
●2019.01.09(wed) | ・古事記下つ巻(清寧天皇4)・市辺押歯「天皇」か。 |
●2019.01.02(wed) | ・古事記下つ巻(清寧天皇3)・伊予久米部の存在感。 |
●2018.12.23(sun) | ・古事記下つ巻(清寧天皇2)・飯豊「天皇」の真相。 |
●2018.12.12(wed) | ・古事記下つ巻(清寧天皇1)・白髪部の性格を考える。 |
●2018.12.02(sun) | ・古事記下つ巻(雄略天皇13)・真の高鷲岡陵。 |
●2018.11.24(sat) | ・雄略天皇紀二十二〜二十三年四月・百済の記録には倭国の姿が見えない。 |
●2018.11.13(tue) | ・浦嶋子[1]・『続日本紀』所引の丹後国風土記逸文「浦嶋子」を読む。 |
●2018.10.29(mon) | ・古事記下つ巻(雄略天皇12)・「秀樽(ほだり)」は幻の言葉かも。 |
●2018.10.20(sat) | ・資料[33]・「阿保朝臣」を切望した理由。 |
●2018.10.12(fri) | ・雄略天皇紀十三年・物部氏への依存。 |
●2018.09.23(sun) | ・古事記下つ巻(雄略天皇11)・ピンチを凌いだ一首の歌。 |
●2018.09.17(mon) | ・古事記下つ巻(雄略天皇10)・古代春日氏の痕跡。 |
●2018.08.05(sun) | ・雄略天皇紀六年・泊瀬山とはどの山のことか。 |
●2018.07.28(sat) | ・雄略天皇紀五年四月・昆支王の来朝。 |
●2018.07.20(fri) | ・古事記下つ巻(雄略天皇9)・一言主伝説の真実。 |
●2018.07.06(fri) | ・古事記下つ巻(雄略天皇8)・歌謡が物語の筋に合わない。 |
●2018.06.28(thu) | ・古事記下つ巻(雄略天皇7)・秋津洲の由来は。 |
●2018.06.20(wed) | ・古事記下つ巻(雄略天皇6)・童女伝説の謎。 |
●2018.06.12(tue) | ・古事記下つ巻(雄略天皇5)・大三輪君と引田部との関係。 |
●2018.06.07(thu) | ・古事記下つ巻(雄略天皇4)・三輪山麓の湧き水を源とする三輪川。 |
●2018.05.21(mon) | ・古事記下つ巻(雄略天皇3)・平群谷の地理を見る。 |
●2018.05.15(tue) | ・古事記下つ巻(雄略天皇2)・「直越道」とはどこのことか。 |
●2018.04.21(sat) | ・古事記下つ巻(雄略天皇1)・雄略天皇の実像を探る。 |
●2018.04.03(tue) | ・古事記下つ巻(安康天皇6)・二王子が一時丹後半島に滞在した意味。 |
●2018.03.29(thu) | ・古事記下つ巻(安康天皇5)・市辺天皇が存在したとする異説も。 |
●2018.03.23(fri) | ・古事記下つ巻(安康天皇4)・圓大臣の邸宅の所在地はどこか。 |
●2018.03.12(mon) | ・古事記下つ巻(安康天皇3)・大長谷王子の覇王への歩み。 |
●2018.03.09(fri) | ・古事記下つ巻(安康天皇2)・菅原伏見西陵を探る。 |
●2018.02.26(mon) | ・古事記下つ巻(安康天皇1)・安康天皇段が隠したこと。 |
●2018.02.01(thu) | ・古事記下つ巻(允恭天皇8)・妹との姦淫は真実か。 |
●2018.01.29(mon) | ・古事記下つ巻(允恭天皇7)・流刑の対象は、記:軽太子から書紀:軽郎女皇女へ。 |
●2018.01.25(thu) | ・古事記下つ巻(允恭天皇6)・軽皇子の不道徳の罪は、書紀において薄められる。 |
●2018.01.18(thu) | ・古事記下つ巻(允恭天皇5)・軽皇子の不道徳が強調されるのは、穴穂皇子の覇道を覆い隠すためか。 |
●2018.01.15(mon) | ・古事記下つ巻(允恭天皇4)・天皇陵の位置は、後ろ盾の氏族が関係しそう。 |
●2018.01.04(thu) | ・允恭天皇紀八年〜十一年・書紀には、古事記と異なる布通姫伝説が。 |
●2017.12.29(fri) | ・允恭天皇紀七年・資料[26]・春日県とは。 |
●2017.12.22(fri) | ・古事記下つ巻(允恭天皇3)・盟神探湯は実際に存在したらしい。 |
●2017.12.15(fri) | ・古事記下つ巻(允恭天皇2)・允恭朝、実際は新羅と不仲であった。 |
●2017.12.10(sun) | ・古事記下つ巻(允恭天皇1)・所在地不明の「遠飛鳥宮」。 |
●2017.12.07(thu) | ・古事記下つ巻(反正天皇)・反正天皇は、(伝)仁徳天皇陵に葬られた? |
●2017.11.29(wed) | ・古事記下つ巻(履中天皇7)・本当は「倭の六王」。 |
●2017.11.21(tue) | ・履中天皇紀六年・六年条の読み取りは、意外に奥が深い。 |
●2017.11.17(fri) | ・資料[24]・大宝律令(701年)の職員令について。 |
●2017.11.05(sun) | ・古事記下つ巻(履中天皇6)・履中天皇の半島外交が書かれない理由 |
●2017.11.01(wed) | ・古事記下つ巻(履中天皇5)・明日香はいつから飛鳥か? |
●2017.10.29(sun) | ・古事記下つ巻(履中天皇4)・褒賞を巡る、記紀の視点の相違とは。 |
●2017.10.26(thu) | ・古事記下つ巻(履中天皇3)・水歯別命の腹の内。 |
●2017.10.20(fri) | ・古事記下つ巻(履中天皇2)・記紀に見る平城京遷都の影響。 |
●2017.10.12(thu) | ・古事記下つ巻(履中天皇1)・磐余に都を置いたとされるが… |
●2017.10.08(sun) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇15)・巨大陵築陵のねらい。 |
●2017.10.03(tue) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇14)・船の名前「枯野」とは。 |
●2017.09.23(sat) | ・仁徳天皇紀五十八年・陵守の歴史。 |
●2017.09.12(tue) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇13)・雁の産卵地。 |
●2017.09.05(tue) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇12)・「死刑」の訓みは? |
●2017.08.30(wed) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇11)・隼別皇子・雌鳥皇女の逃走経路は。 |
●2017.08.25(fri) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇10)・八田若郎女を巡る謎。 |
●2017.08.14(mon) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇9)・古事記の大らかさを咎める日本書紀。 |
●2017.08.10(thu) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇8)・戯画的なエピソード。 |
●2017.08.05(sat) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇7)・大后石之日売命の足取りを探る。 |
●2017.07.24(mon) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇6)・再び大王持ち回り制について。 |
●2017.07.19(wed) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇5)・大后の嫉妬の影に氏族対立か。 |
●2017.07.16(sun) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇4)・農民の生活水準の向上。 |
●2017.07.07(fri) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇3)・難波周辺の土地の生産力の向上。 |
●2017.06.18(sun) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇2)・これまでは諸族の大王持ち回り制か。 |
●2017.06.10(sat) | ・古事記下つ巻(仁徳天皇1)・仁徳天皇の前の隠された王朝が。 |
●2017.06.03(sat) | ・古事記中つ巻(応神天皇13)・応神天皇の実在性。 |
●2017.05.20(sat) | ・古事記中つ巻(応神天皇12)・応神朝の後、継体天皇まで上代の南北朝か。 |
●2017.05.11(thu) | ・古事記中つ巻(応神天皇11)・意味不明な上代語に迫る。 |
●2017.05.08(mon) | ・古事記中つ巻(応神天皇10)・天之日矛到来の真実を探る。 |
●2017.04.30(sun) | ・古事記中つ巻(応神天皇9)・阿加流比売神と比売碁曽神。-古事記top |
●2017.04.17(mon) | ・古事記中つ巻(応神天皇8)・仁徳天皇即位の真相。-古事記top |
●2017.04.08(sat) | ・古事記中つ巻(応神天皇7)・反逆の皇子を葬る那羅山墓。-古事記top |
●2017.04.06(thu) | ・古事記中つ巻(応神天皇6)・大山守命が詠んだ歌の意味。-古事記top |
●2017.03.27(mon) | ・古事記中つ巻(応神天皇5)・秦氏の展開は史実である。-古事記top |
●2017.03.17(fri) | ・古事記中つ巻(応神天皇4)・品陀別天皇と大雀皇子との確執。-古事記top |
●2017.03.10(fri) | ・古事記中つ巻(応神天皇3) ・書紀に収められなかった歌。 -古事記top |
●2017.03.05(sun) | ・古事記中つ巻(応神天皇2) ・大山守命の反乱の伏線。 -古事記top |
●2017.02.28(tue) | ・古事記中つ巻(応神天皇1) ・応神天皇における史実と伝説。 -古事記top |
●2017.02.16(thu) | ・古事記中つ巻(続仲哀天皇3) ・神功天皇紀の形成過程を見る。 -古事記top |
●2017.02.13(mon) | ・神功皇后紀(6) ・神功皇后記に書かれた年代。 -古事記top |
●2017.01.29(sun) | ・神功皇后紀(3) ・葛城襲津彦の真相。 -古事記top |
●2017.01.21(sat) | ・古事記中つ巻(神功皇后7) ・「酒楽」の訓みは。 -古事記top |
●2017.01.16(mon) | ・古事記中つ巻(神功皇后6) ・易名伝説の真意とは。 -古事記top |
●2017.01.07(sat) | ・古事記中つ巻(神功皇后5) ・「沙沙那美」はどこか。 -古事記top |
●2016.12.29(thu) | ・古事記中つ巻(神功皇后4) ・再びの東征伝説。 -古事記top |
●2016.12.14(wed) | ・古事記中つ巻(神功皇后3) ・征韓神話の成立過程を探る。 -古事記top |
●2016.11.23(wed) | ・古事記中つ巻(神功皇后2) ・神功皇后征韓神話の歴史への作用。 -古事記top |
●2016.10.30(sun) | ・古事記中つ巻(神功皇后1) ・天照大神と筒男三大神の役割。 -古事記top |
●2016.10.20(thu) | ・古事記中つ巻(仲哀天皇2) ・書紀における原注の性格とは… -古事記top |
●2016.10.12(wed) | ・古事記中つ巻(仲哀天皇1) ・香椎宮に移ったとされる意味。 -古事記top |
●2016.10.01(sat) | ・古事記中つ巻(成務天皇1) ・そこには書かれざる事件が… -古事記top |
●2016.09.26(mon) | ・古事記中つ巻(続景行天皇4) ・纏向政権の終結。 -古事記top |
●2016.09.24(sat) | ・古事記中つ巻(倭建命11) ・建部は、白鳥を神とする教団か。 -古事記top |
●2016.09.14(wed) | ・古事記中つ巻(倭建命10) ・倭建命一族の行く末は? -古事記top |
●2016.08.27(sat) | ・古事記中つ巻(倭建命9) ・三重郡では倭建命の影は意外に薄い。 -古事記top |
●2016.08.18(thu) | ・古事記中つ巻(倭建命8) ・ヤマトタケルの原型伝説を探る。 -古事記top |
●2016.08.07(sun) | ・古事記中つ巻(倭建命7) ・熱田神宮縁起が書かれたのはいつか。 -古事記top |
●2016.07.23(sat) | ・古事記中つ巻(倭建命6) ・酒折宮は連歌の発祥の地。また東国造は存在したか? -古事記top |
●2016.07.09(sat) | ・古事記中つ巻(倭建命5) ・向かい火伝説の舞台は焼津だとされているが… -古事記top |
●2016.07.02(sat) | ・古事記中つ巻(倭建命4) ・「蝦夷」の意味を探る。 -古事記top |
●2016.06.26(sun) | ・古事記中つ巻(倭建命3) ・詐刀伝説は、古事記ではここにある。 -古事記top |
●2016.06.24(fri) | ・古事記中つ巻(倭建命2) ・ここで名前の「建」が転化するが… -古事記top |
●2016.06.18(sat) | ・古事記中つ巻(倭建命1) ・熊襲建は本当は一人か。-古事記top |
●2016.06.04(sat) | ・古事記中つ巻(景行天皇3) ・倭建命に悪意を持った書き方は何故?-古事記top |
●2016.05.24(tue) | ・古事記中つ巻(景行天皇2) ・東国進出に纏わる謎に迫る。-古事記top |
●2016.05.15(sun) | ・高橋氏文 ・磐鹿六鴈伝説を読む。-古事記top |
●2016.05.08(sun) | ・古事記中つ巻(景行天皇1) ・太子が三人いることの意味を探る。-古事記top |
●2016.04.20(wed) | ・上代語で読む日本書紀(垂仁天皇3) ・出石の小刀の不思議な旅。 |
●2016.04.17(sun) | ・上代語で読む日本書紀(垂仁天皇2) ・日本書紀−垂仁天皇紀2 |
●2016.04.11(mon) | ・上代語で読む日本書紀(垂仁天皇1) ・古事記と並行して日本書紀を読み進めます。 |
●2016.04.03(sun) | ・古事記中つ巻(垂仁天皇6) ・菅原伏見東陵の立地の謎を解く。-古事記top |
●2016.03.26(sat) | ・古事記中つ巻(垂仁天皇5) ・品牟都和気命と瀬戸内海文化圏との関係。-古事記top |
●2016.03.19(sat) | ・古事記中つ巻(垂仁天皇4) ・品牟都和気命の伝説。-古事記top |
●2016.03.12(sat) | ・寛治三年七月越後絵 ・平安時代の越後平野は海だったらしい。-古事記top |
●2016.03.05(sat) | ・古事記中つ巻(垂仁天皇3) ・伝説の黒髪山。-古事記top |
●2016.02.25(thu) | ・古事記中つ巻(垂仁天皇2) ・佐保丘陵に遺された歴史。-古事記top |
●2016.02.18(thu) | ・佐保山南陵 ・佐保姫の出身地に葬られた奈良時代の天皇。-古事記top |
●2016.02.04(thu) | ・古事記中つ巻(垂仁天皇1) ・鳥見山古墳群の大王陵が無視されている理由。-古事記top |
●2016.01.12(tue) | ・古事記中つ巻(崇神天皇6) ・出現期の大王級前方後円墳の謎。-古事記top |
●2015.12.31(wed) | ・ちょっと寄り道 ・倭の五王の時代の半島情勢。-古事記top |
●2015.12.14(mon) | ・古事記中つ巻(崇神天皇5) ・和邇氏の真実に迫る。-古事記top |
●2015.11.28(sat) | ・古事記中つ巻(崇神天皇4) ・泉津は北の玄関口であった。-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.11.12(thu) | ・古事記中つ巻(崇神天皇3) ・崇神天皇は実は地祇系らしい。-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.10.22(thu) | ・古事記中つ巻(崇神天皇2) ・これは下克上?大物主大神は、天照大神を…。-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.10.10(sat) | ・古事記中つ巻(崇神天皇1) ・埴輪の起源は殉葬の禁止?-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.09.22(tue) | ・古事記中つ巻(綏靖天皇〜開化天皇8) ・「欠史八代」とは何であったか。-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.08.25(tue) | ・古事記中つ巻(綏靖天皇〜開化天皇7) ・武内宿祢の出身と、一族の展開を探る。-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.07.29(wed) | ・古事記中つ巻(綏靖天皇〜開化天皇6) ・吉備氏族と天孫族との関係は。-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.07.14(tue) | ・古事記中つ巻(綏靖天皇〜開化天皇5) ・独立系氏族は制圧された。 -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.07.01(wed) | ・古事記中つ巻(綏靖天皇〜開化天皇4) ・掖上には独立系氏族が。 -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.06.11(thu) | ・古事記中つ巻(綏靖天皇〜開化天皇3) ・興味深い「軽」の地。 -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.05.29(fri) | ・古事記中つ巻(綏靖天皇〜開化天皇2) ・初期の「天皇陵」は根拠を欠く。 -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.05.24(sun) | ・古事記中つ巻(綏靖天皇〜開化天皇1) ・欠史八代の意味。 -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.05.09(sat) | ・古事記中つ巻(神武天皇6) ・記紀の神武天皇を読了。 -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.04.22(wed) | ・古事記中つ巻(神武天皇5) ・2代目には半分出雲系の血が -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.04.17(fri) | ・古事記中つ巻(神武天皇4) ・書紀で地名が増やされた理由 -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.03.19(thu) | ・古事記中つ巻(神武天皇3) ・「行く」の下二段活用はあるか? -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.03.06(fri) | ・古事記中つ巻(神武天皇2) ・熊野村はどこ? -『古事記をそのまま読む』 |
●2015.02.19(thu) | ・古事記中つ巻(神武天皇1) ・中巻開始。-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.01.30(fri) | ・古事記上つ巻(山幸彦海幸彦8) ・上巻読了。-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.01.26(mon) | ・古事記上つ巻(山幸彦海幸彦7) ・「海境を塞ぐ」の意味。-『古事記をそのまま読む』 |
●2015.01.18(sun) | ・古事記上つ巻(山幸彦海幸彦6) ・隼人とは何か。> |
●2015.01.17(sat) | ・『古事記をそのまま読む』 ・入口ページを設置しました。 |
●2015.01.10(sat) | ・古事記上つ巻(山幸彦海幸彦5) ・古代から、高潮や津波は自然による脅威であった。 |
●2015.01.03(sat) | ・古事記上つ巻(山幸彦海幸彦4) ・鯛のさまざまな別名は何を意味するか。 |
●2014.12.20(sat) | ・古事記上つ巻(山幸彦海幸彦3) ・動詞「欲り」はラ行変格活用か。 |
●2014.12.03(wed) | ・古事記上つ巻(山幸彦海幸彦2) ・海神(わたつみ)の住む国は、海底か海の彼方か。 |
●2014.11.23(sun) | ・古事記上つ巻(山幸彦海幸彦1) ・ここでは詔(の)る・白(まを)すを用いず謂う・云うを用いる理由。 |
●2014.11.16(sun) | ・古事記上つ巻(天降り7) ・日本書紀の訓読は、敢えて当時より古い時代の日本語を使ったらしい。 |
●2014.11.06(thu) | ・古事記上つ巻(天降り6) ・「目合」を「まぐわい」と読む根拠を探る。 |
●2014.10.31(sat) | ・古事記上つ巻(天降り5) ・伊勢国一志郡にも海洋氏族が…。 |
●2014.10.25(sat) | ・古事記上つ巻(天降り4) ・天照の国の誕生の謎に迫る。 |
●2014.10.15(wed) | ・古事記上つ巻(天降り3) ・天降りをどう書くかをめぐって諸族の勢力争いが。 |
●2014.10.01(wed) | ・古事記上つ巻(天降り2) ・天宇受売(あめのうずめ)の再度の活躍。しかし… |
●2014.09.26(fri) | ・古事記上つ巻(天降り1) ・天降りが天御子から天孫に変更された理由を探る。 |
●2014.09.23(tue) | ・古事記上つ巻(国譲り10) ・大国主の最後の抵抗。 |
●2014.09.16(tue) | ・古事記上つ巻(国譲り9) ・国譲り神話の真相に迫る。 |
●2014.09.05(fri) | ・古事記上つ巻(国譲り8) ・事代主の登場は、奈良盆地南部の制圧の歴史を暗示している。 |
●2014.08.31(sun) | ・古事記上つ巻(国譲り7) ・最後に派遣したのは最も恐ろしい神であった。 |
●2014.08.24(sun) | ・古事記上つ巻(国譲り6) ・古事記の歌謡に、掛詞を用いた可能性を見る。 |
●2014.08.15(fri) | ・古事記上つ巻(国譲り5) ・「美濃国藍見河の河上の喪山」は美濃市? それとも不破郡垂井町? |
●2014.08.02(sat) | ・古事記上つ巻(国譲り4) ・漢文法と和文表記法の接点を探る。 |
●2014.07.28(mon) | ・古事記上つ巻(国譲り3) ・雉を詰問使に立て、地上に向かって飛ばすが… |
●2014.07.13(sun) | ・古事記上つ巻(国譲り2) ・神話は、古い事実の痕跡と空想の複合物である。 |
●2014.07.07(mon) | ・古事記上つ巻(国譲り1) ・歴史的事実の反映と、神話創作の間。 |
●2014.06.25(wed) | ・古事記上つ巻(大国主命15) ・朝廷の官僚には新羅系の豪族も… |
●2014.06.15(sun) | ・古事記上つ巻(大国主命14) ・大物主のポジションはどこか? |
●2014.05.30(fri) | ・古事記上つ巻(大国主命13) ・「娶」を「めあふ」でよいのか? |
●2014.05.20(tue) | ・古事記上つ巻(大国主命12) ・助動詞が示す酔っ払いの言葉。 |
●2014.05.17(sat) | ・古事記上つ巻(大国主命11) ・本筋から離れた歌謡を取り入れる意味は? |
●2014.05.14(wed) | ・古事記上つ巻(大国主命10) ・沼奈河比売の歌に見る文学性。 |
●2014.05.13(tue) | ・古事記上つ巻(大国主命9) ・上古のやまとことばを勉強します。 |
●2014.05.12(mon) | ・(大国主命6)一部修正 ・枕詞「ももたらず」が暗示するもの。 |
●2014.05.10(sat) | ・古事記上つ巻(大国主命8) ・国譲りの交換条件は、本当に天孫による神殿の建設か。 |
●2014.05.05(mon) | ・古事記上つ巻(大国主命7) ・「期」を「ちぎり」と読む根拠を探る。 |
●2014.04.28(mon) | ・古事記上つ巻(大国主命6) ・古事記執筆者の悩み〜政治的意図と神話の真実の間で。 |
●2014.04.18(fri) | ・古事記上つ巻(大国主命5) ・須佐之男命が、婿にこれほどの試練を与えるのは何故か? |
●2014.04.12(sat) | ・古事記上つ巻(大国主命4) ・本居宣長は、ネズミの家族に儒教道徳を見出そうとするが… |
●2014.04.07(mon) | ・古事記上つ巻(大国主命3) ・江戸時代に、飛鳥時代の言語を再現しようとしたのであるが… |
●2014.04.01(tue) | ・古事記上つ巻(大国主命2) ・蛤貝が「うむ貝」と読まれる根拠は? |
●2014.03.27(thu) | ・古事記上つ巻(大国主命1) ・因幡の白兎は、なぜ日本書紀で無視されたのか? |
●2014.03.21(fri) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命11) ・日本書紀の一書に、古事記を訂正・補足する機能も |
●2014.03.11(thu) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命10) ・須佐之男の功績と罪 |
●2014.03.02(sun) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命9) ・草薙の剣の不思議な旅を探る |
●2014.02.19(wed) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命8) ・八俣大蛇(やまたのおろち)の実像に迫る |
●2014.02.10(mon) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命7) ・速須佐之男の本当の出自は? |
●2014.02.04(tue) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命6) ・政権を支える氏族、中臣・忌部が意地の張り合いか? |
●2014.01.28(tue) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命5) ・天照大御神は、本当は一度死ぬ。 |
●2014.01.19(sun) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命4) ・「係り結び」が表現する肉親の情。 |
●2014.01.15(wed) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命3) ・宗像氏は、朝廷と付かず離れずの関係らしい。 |
●2014.01.12(sun) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命2) ・占いの結果、スサノヲは清心? 濁心? |
●2014.01.08(wed) | ・古事記上つ巻(速須佐之男命1) ・民族の記憶に残る卑弥呼の影が、天照に反映? |
●2014.01.04(sat) | ・古事記上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美12) ・すさのを…記は同情し、紀は暴君として断罪。 |
●2013.12.30(mon) | ・古事記上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美11) ・神功皇后と卑弥呼 |
●2013.12.21(sat) | ・古事記上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美10) ・イザナギの禊の場所はどこか? |
●2013.11.30(sat) | ・古事記上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美9) ・久しぶりに原稿を追加しました。 |
●2013.09.28(sat) | ・古事記上つ巻(伊邪那岐・伊邪那美8) ・伊邪那岐は黄泉の国を脱出しました。 |
●2013.05.31(fri) | ・古事記上つ巻 ・ついに本文解読に突入しました。 |
●2013.05.05(sun) | ・古事記序文 ・「得一・通三」の出典を突き止めました。 |
●2013.03.29(fri) | ・三角縁神獣鏡 ・黒塚古墳 について加筆しました。 |
●2013.03.24(sun) | ・会稽東冶之東 について加筆しました。 |
●2013.03.23(sat) | ・一万二千里 について加筆しました。 |
●2013.03.21(thu) | ・景初二年問題 について加筆しました。 |
●2013.03.18(mon) | ・侏儒国 について加筆しました。 |
●2013.03.17(sun) | ・海南島への漂着 ・木製高坏 について加筆しました。 |