2〜3世紀の中国は、魏蜀呉三国が鼎立して覇権を争っていた。蜀の家臣であった歴史家陳寿(233-297)は、280-290年ごろにその歴史を著し『三国志』と名づけた。陳寿による記述は、その資料の真偽を吟味した簡潔な表現が高く評価されている。
 『三国志』では魏・蜀・呉の歴史をそれぞれ独立させている。そのうち魏国について書いた『魏書』の「東夷伝倭人条」の部分が、弥生時代後期のわが国の姿を描く唯一の文献資料である。だからわが国ではこの部分を取り出し、歴史研究に盛んに使われ、『魏志倭人伝』と呼び習わされている。
 さて倭人伝に登場する支配者"卑弥呼"の国、邪馬台国。その所在地は畿内か北九州か、あるいはそれ以外か?さまざまな説が飛び交う「邪馬台国論争」が江戸時代から始まり、1970年ごろからは大量のアマチュア研究者が加わり、いわゆる「邪馬台国ブーム」が勃発し、現在まで継続している。
 筆者もかつてそれに影響を受けて古代史に興味をもつようになった一人だが、特定の説を掲げて論争に参戦するつもりは全くない。まずは、原文をそのまま正確に読み取ろうと思ったのである。漢和辞典を繰りながら、考古学の成果を参照しながら意味を確定していく。その経過を同時進行で記録した。

 ※ 現在はひとまず全文読み終わったので、随時訂正・加筆しています。

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2017/10/07更新  2011年04月17日スタート 回数 アクセス